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 【超古神道物語4】
  

  
[天の岩戸] 開けてビックリ玉手箱…!!??
 
何と、「現代数学」は基本に過ちがあり、あるべき「自然数学」とは相容れないものだったのである …… !!!。

 
「天の岩戸開き」≪1の巻≫

 
恐らくあなた方の120%は呆れ果てて口も効けない事であろう、それは十分過ぎるほど判ってはいる。
 何故なら、これは、まるでスッポンが月に向かって戦いを挑んでいるようなものであるから … !!!。
 
 しかしである、我々日本人の大切な御本尊とも言うべき古神道の「カムナガラの道」はそのように述べて止まないのである。それは「現代数学」は大きな間違いを犯しているのであり、、それを早く糺(
ただ)さない限り 人類には未来はないであろう…… !!!!、と叫んでいる事実であり、それが現在起こっているのである。

 要するに、「現代数学」は人知により作り上げられた「似非数学」であり、それに対して、本来のあるべき「自然数学」とは、宇宙を創り上げた「大いなる存在」が数百憶年、数千億年かけて創り出した究極の「数の仕組み」の大成集とも言うべきものなのである。もし、そこに少し、ほんの少しでも間違いがあれば、宇宙全体が瞬時に壊滅して、すべては終わりになってしまうような大切な、大切な「数の仕組み」なのである。

 僅か、数百年の歴史しか持たぬ「現代数学」が藻掻いても、藻掻いても追いつくことの出来ないもの、それが
「形而上の数学仕組み」、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」から現れ出た「神の数学」なのである。 私はそれを調べ、検証を始めてから、もはや30年近くになるのであるが、今でも毎日が驚嘆の嵐であり、溜息の日々が続いている。とにかく、毎日が修練の場であり、息もつけないような真剣の場が続き、体が悲鳴を上げて上げている有様なのである。とにかく、調べれば、調べるほどに「現代数学」の意味のない内容が目について、やるせない気持ちになり、ただただ悲嘆に暮れているような毎日である。

 確か、天明さんの「ヒフミ神示」にもあるはずである。

 そこには
「フトマニ」、すなわち、「カムナガラの道」とは「大宇宙の法則」であり、秩序を示しているものである』とか、または、『「秘密の仕組み」はヒフミの仕組みざぞ、はようヒフミ唱えてくれよ、ヒフミ唱えると岩戸が開くぞ……!!!と叫んでいる悲痛な叫び声等で溢れている。。。。。

 その後の言葉も、まさにその通りの展開そのものであり、ただただ、驚嘆して嘆息があるだけなのである。
 それが、『
「123(ヒフミ)」の御用が済んだら、345(ミヨイツ)のご用にかからなならんから,早く「123(ヒフミ)」の御用してくれよ」と言う催促言葉であり、懇願懇請文句等の語りである。 …… !!!。
 要するに、その
「123(ヒフミ)の御用」とは、天の岩戸を意識で開くことであり、その次にある「345(ミヨイツ)のご用」とは、天の岩戸を意識で開いた後、その先に出現した驚くべき「量子力学的な世界(多次元世界)」、すなわち、「カムナガラの道」から現れ出た数多の「3次元世席」の実質的な検証と、その開眼を行って欲しい、と言う、まことに切なる「神」の願であり、要望なのである。

 また、そこには「道理も判らず、理屈ばかり申しているが、理屈は外国のやり方、用意なされよ、その中、上下にグレンとひっくり返るぞ」。「算盤の桁が違う算盤でいくらはじいても出来はせん」、「何時まで片車でトンテン、カンテンやっているのじゃ、…」、「科学にチョンを入れると宗教じゃ、チョンとは「数」であるぞ」、また、
「今までのものは日本の宗教、この度は、世界のもとの3千世界の大道であるぞ」、の等の警告文が多くあるが、その本当の意味には現在のところ、誰も気が付いてはいないようである。

 また、その生み時の大切さを唱えているのは、
『今度の岩戸開きは「神」と「人」との九十運動ぞ、建て時の守護が大切ぞ』等もある。要するに生み時、すなわち誕生の時が大切であり、現れて来る敵(現代数学信者達)に対して油断をするな、と言っているのである。まさにさもあらんことであろう、気を付けなければ …… !!!。
 また、そこにある
九十運動とは、すなわち、「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供たちの懸命な叫びや、その姿の変化の姿等の動きを指しているものであろう…。恐らくは天明さんは「動き」と数字で記していたのであろうが、それを後代に解読した者達が「運動」としたのであろうと思われる。
 その証拠に「動き」とは昔からある言葉であるが、「運動」とは西洋文化が入って来てからの新造語であることからも判ろうというものである。それにしても、余りにすべては一致しているのは、まさに驚きである。とにかく,現在は力のある限りシッカリ守護しなければならないと老いた体に鞭打ちながら頑張っているような毎日である。

 あなた方の心には響かない文言ではあろうが、まさにそれらは私にとっては至言であり、心を打たれる言葉でもある、何故なら、私は毎日「ヒフミの仕組み」、すなわち、「カムナガラの道」を唱えながら、その内容(数)の解明に当たっている現在であるからである。 
 すなわち、知らず、知らずに一日に何回も、何十回も、自然に「ヒフミの仕組み」をまさぐりながら、唱え、検証している最中、それが今の私の現況なである。 また、それが「カムナガラの道」の仕組みの解明であり、同時に「九進法の数学」の至宝、すなわち、「神の数学」に繋がってきているものなのである。
 また、それと同時に、いや、その結果、そこから生まれた100ヶ近くの「カムナガラの道」の子供たちの囁いている数多の呪文、すなわち、「数の摂理」、「神の秘儀」の数々を解明するために身を粉にしているような境遇に置かれているような毎日なのである。
 
 とにかく、悲しいことに、今の私には最早、時間が無く、いい加減な空事や、作りごとを言っている暇などは無いことを是非、知ってもらいたい。まさに、毎日が真実を求めての大いなる心の旅であり、何時果てるかも知らない、いや、果てることに無いような毎日の「真実を求めてのさすらい旅」が続いているのである。
 
 推察すれば、恐らく全部ではそれらの呪文は子供たちの人数分である100ヶ近くになると思われるのであるが、残念ながら、今のところ、40ヶくらいしか、私は解き放ってはいない、恐らく残りは、あなた方の誰か、素直で、高い直観とヒラメキ、それに洞察力と検証力を有した御仁があっさりと解き放ってくれる事であろう、私はそう期待しながら,達観し、願っている状態である。

 
 [現代科学」には最早、進歩は無い。誰かが身を投げ打ってでもその方向を変えなければ、人類はどんどん奈落の底に沈んで行くだけであり、このままでは自然に背いて反自然の方向にドンドン進んで行くだけである。
 その挙句、益々、袋小路に入ってニッチもサッチもいかなくなり、挙句の果てには、深く深く底に沈んで行って2度と浮かび上がることは無いことになるであろう。誰か、ヒラメキの鋭い御仁が現れて来ないであろうか、私は毎日それだけを願っているのであり、必ず現れて来るはずと信じて待っているのであるが … !!!。
 
 要するに、今のままでは自然に対しての人間知の敗北は必須であり、再び立ち上がるには、恐らく、数百年は掛ることになるであろう。今はまさに、人間知の存続かそれとも,中断化かの瀬戸際に立っていると言ってもいいものである。
 その証拠に、この100年の間に、何か数学的な新しい理論が発見されたことがあるであろうか……、それはまったく無く、数学界は深い沈黙に包まれて、ただただ溜息と嘆息が漏れるだけなのである。
 要するに、人々の心をえぐり、歓喜の余り躍り出すようなまったく新しい「数学理論」は一切見つかってはいないと言うことであり、その希望さえも見えないような状態である。
 とにかく、今の数学界は既に「死に体」であり希望を持っている者は誰もいない。恐らく、このままでは次代の「数学界を担おうとする若者」はいなくなるのは必須であろう。
 
 それどころか、物理学界は「現代数学」には未来が無い、どこかに基本的な間違いがあるはずと、一部の学者達から囁かれているような始末である。 何故ならば、最近の物理学である量子力学と今までの物理学は結論において、0と無限大と言う甚だ極端な結果に終始して、まとまる気配等はまったく無いからである。
 
 現在、彼等物理学者達はまったく新しい「数学的な手法」の出現をジリジリしながら待っているのである。
 とにかく、今、求められているのはまったく新しい考え方を持つ「数学革命の種」なのである。
                           …… 
「超ひも理論入門(上)」  FD ピート著より ……
 

 その素晴らしい「数学革命の種」を持っていながら、持て余しているのが、古神道を持っている我々日本人であり、世界で最も古い歴史を持っている日本民族なのである。しかし、そんな事は何も知らずに「現代数学」に夢中なのである、すでに結果は破綻の兆候を見せていることも知らずに……!!!.
 
 昔から日本人は極楽とんぼと言われてきたが、まさにその通りであり、現在も何の変りもない ……!!。

 最早、時間はあまり無い、そのあたりのことについては日本民族がシッカリ学んで、警告を発するべきであろう。とにかく、「現代数学」は不完全な人間知が築き上げたものであり、自然の理の基本がまったく欠けているものである。 しかるに、本来必要な「自然の理」は何と、古神道の神髄である「カムナガラの道」が握っているのであり、そこに今も人知れずに静かに眠っているのである。
 それが「神の秘儀」の正体であり、古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」なのである……!!!。
 また、それは古くから「日本の秘宝」、「世界を救う日本の大叡智」と言われて、古神道の先達者達が死に物狂いで探していたものなのである。
 
 しかし、誰もそのようなことは知らずに、ただただ、生活に明け暮れ、絵にかいた餅のような幻の未来の到来を信じて、目指している現在なのである。今のままでは我々には最早未来等は無いことも知らずに……!!。
 とにかく、古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」を調査、検証して、自然の真実を探り、世界にそれを知らせる、それが我々日本民族の使命と言うものである。
 
 その重大極まりない事実を掘り起こして、出来るだけ形式化しながら一般の人々に教える、それにより「神の知」は段々と広まって常識となり、それにつれて「神」に対する人々の信頼、すなわち、自然宇宙を統べている実体である本当の「自然神」に対する信頼は益々厚くなり、どんどん大きくなって来るものである。
 
 また、私が言う「神」とはあなたがたが信じているような人間的な「神」ではなく、自然宇宙を統べている「神々を指しているのであり、それはすなわち、ある種の「数の演算」と言う驚くべき手法によって、何時でも、「宇宙の摂理」やその存在を「数計算」により確かめることが出来ると同時に、何と、尊い「神々」の実在も判明することになるのである。
 
 まあ、あなた方には信じられないことであろうが、私は何時でもその方法により、色々と教えられ、また、諭されているような現在である。しかもそれらは究極の真理であり、宇宙自然の大道なのである。
 まあ、時間はかかるかも知れないが、あなたも知る気持ちになれば、恐らく、半年か、1年くらいで「神の存在」が確かめられ、しかも、「数」と言う言葉で様々な「自然の真実」を告げていると言うことも知ることになるはずである。

 私は、今回の意識による「天の岩戸開き」により、「神の存在」を「数」と言う手法を用いて、しかと教えられたのであり、誰も知らない、もろもろの「自然の真実」と言うものの存在をシッカリ知ることが出来たのである。

 
 もし、真剣に取り掛かれば、恐らく、半年か、1年もあれば、誰でも理解が出来るものであり、また、素直で、真面目な小学生か中学生ならば、即、その場で理解することも出来ようと言うものである。
 まあ、「西洋学」に夢中で何も知らないあなた方に、これ以上言ってもせんかたの無いことであろうが……。
 せめて直感、すなわち、ヒラメキで、事の良し悪しくらいはある程度見極めてもらいたいものである。


 そこで、一つ、「カムナガラの道」にある簡単な一桁の計算問題を少しばかり、ここに上げておくことにする。
 
 我こそは人には負けない「数計算のプロ」であると自負している「数学好きの面々」に、是非、正解となるものをシッカリと見つめてもらいたいと思う。そうして、自然な数の正解と言うのはこのようなことであることを知ってもらいたい。
 まあ、「現代数学」を学んでいるあなた方には少々無理と思われるのではあるが,……ハ―、ハ―、ハ―、。  軽蔑しているので御座るよ、侮蔑しているのであるぞよ、ハ―、ハ―、ハ―、ハ―、 …… !!!。
 
 何故なら、「現代数学」は人間知によるものであり、それに対して「神の数学」は自然が用いている自然の数学、すなわち、自然律理数学のことである。それが本当の「神の数学」と言うものなのである。
 要するに、同じ数学形態でも、まったく基本的な計算方式が異なっているので、そこに現れる「計算答え」もまた、完全に異質なものであり、大変、意味が深く、深遠なもの、玄なるものと言うべきものなのである。                (
「玄」とは真黒のことで、天地のように誰も知らない「微妙で深遠な理」を指す。
 
 何時も言っているように、「神の数学」は小、中学生には易しいものであるが、あなた方のように「現代数学」にぞっこんまみれてしまった高学歴の面々には甚だ難しいものと言うべきものなかも知れない。
 何しろ、「現代数学」は理屈で作られ、理屈で動かされているのでり、理屈好きのあなた方にはたまらない魅力を持つものであるからである。

 その理由を申し上げよう、我々の持つ「現代数学」は
正真正銘な数の仕組みの学ではなく、たまたま我々人間は手の指が10本ある故に、基本をそこに置いて、10進法を作り上げたと言うだけであり、決して、宇宙全般の「数の仕組み」を基本に置いて作られたものではない。そこを顧みず「現代数学」を用いて宇宙自然のすべてを解明しようとしているのは甚だ幼稚な考えであり、おこがましいものと言わざるを得ないのである。
 そのあたりを少々時間をかけて少々垣間見て見ることにしよう。

 例えば、宇宙自然の全般に通じる「神の数学」による正しい答えとは次のようになるのであるが、果たして、「現代数学」の得意なあなた方には納得がいくものであり、解き放つことが出来るのであろうか … ???。 
 すなわち、正しい答えを見出して返答可能な方は稀に見る正しい目を持っている方々と言える御仁である。
 まあ、そのような素晴らしい知の持ち主は、恐らくは、今のところ、誰もいないであろうが…… !!!。
 
 私も、今回の意識による「天の岩戸開き」によって、完全に開眼し、誰も知らない数多の「数の大業」の存在を知ったのである。要するに、それが古神道の先達たちが懸命に求めていた、あの日本の「知の秘宝」であり、「全人類を救う最高の叡智」そのものだったのである。
ここに、それらを少々紹介して見よう。はて、はて、お気に召すことであろうか…!!!!。

 まずは、「カムナガラの道」意識で開くことにより、そこには新たな90ヶの「カムナガラの道」の子供たちが現実的に数多現れて、口々に素晴らしい「神の呪文」を唱え始めている事実が判明したのである。
 私はそれらに教えを乞いながら、色々と学んでいるのが現在なのである。それを私は「第2の天の岩戸開き」と言ってはばからないのであり、結構苦しみながら楽しんでいる現在なのである。 何故ならば、それだけの価値は十二分にあって、私の心を大きく成長させてくれるものであったからである。

 それは時には90ヶの全体が、「すべての本質は0である」と呪文で唱え、また、ある時は90ヶの全体が、数字の異なりを見せながら、やはり「すべては3、6、9(0)」であるとも言っていることも甚だ面白い。
 また、別な呪文としては、今、話題になっている258,や147の数、すなわち、ソルフェジオ数列等である147,258,269も、そこでは90ヶのすべてに渡って唱えられているものである。

 何と、これらの数は147は3に、258は6に還り、369は0の変体であり、相揃いながら、369、すなわち、0の本質を語り上げ、すべて物質の本質は0であり、無であると囁いて、その事実を我々に諭そうとにいるのである。
 要するに、片方の対角線の90ヶのすべてが、147の数を唱え、またもう一方の対角線はすべて258の数から成り立っていると言う不可思議な「数」の対立的な並びがそこには陣を構えているのである。が、まだ、それが何を意味するのかについては、今のところ、まったく手が届かないような状態であり、まったく白紙の状態なのである。恥ずかしい話ではあるが …… !!!。

 とにかく、すべては「数」が語る膨大な「神々の秘儀」であり、我々には理解不能な内容を持つものばかりである。
 また、それらすべては「神の呪文」でもあり、90ヶの神々が列をなして整列しながら口々に唱えている情景はまことに壮大であり、また感に堪えぬものなのである。まことに簡単である、自分の目で確かめてもらいたい。
 
 また、別の時には、その呪文の種類がガラリと一変し、「左回りはあの世の廻り」、「右の廻りはこの世の廻り」と口調を変えながら、90ヶ全体が一斉に唱えていると言うことも中々興味が湧くものでもある。 
 それは、まさに、あの世界の秘境と言われている、ヒマラヤのブ―タン国、すなわち、世界で一番幸福な国と言われている国の仏器具である、あの「マニ車」とまったく同じことを「カムナガラの道」全体でつぶやいているのであり、遥か古い時代の名残の真実と言うものを、まさに今の我々に切々と伝えようとしているものである。

 調べて見ると、プータンは世界でも最も古い仏教国であり、その国の歴史はインドよりも古く、考古学的には数千年前から人々は住んでいたと言われている。 
 住人は今でも日本と同じようにアミニズムを信奉しており、昔は、それをポン教と言い、その仏具が「
摩尼(マニ)車」なのである。  
 
 ポン教―― 日本教、 シンドー教(シンズー教とも言う)――神道教、 何と無く、日本の神道を思い出させ、連想させるものではないか …… !!!??。
 そのシンドー教、何と、今では12億人以上の信者を抱え、世界の大宗教となっているのはあなた方も知っているであろう。 


 そのようなことを連想していると、なんか、頭がこんがらかってきた、あなた方も、考えて下され……!!!。 
 なんせ、仏教を開いたお釈迦様は日本に来て学んで開眼したのがBC,1044年であり、それからインドに帰って仏教を作り上げたと竹内古文書にはシッカリ記されているのである。そのことは是非、頭に入れて置いて、決して忘れないでもらいたい …… !!!。

 要するに、すべての宗教の「教えの理」は古代日本の国から広がったものなのであり、日本が発祥の大元の地なのである。ただ、口さがない外国の民衆により、自国発とされているだけなのであり、人の好い日本人はそれを信じて来ただけなのである。その手法は、過去に散々味を占めた中国や韓国が今でも盛んにやっているではないか …… !!!。 あなた方はすっかり騙されているのである、まことにしょうが無い話である。
                                   
 また、
その事実を言っていたのが、あの聖徳太子であり、彼の残した言葉である。

 その言葉とは、すなわち、「わが日本は種を生み、震坦(中国)は枝葉で、天竺(インド)は果実に開く、故に、仏教は万法の果実たり、儒教は万法の枝葉なり、そして、神道は万法の根本たり」の言葉である。

 何と、何と、あの聖徳太子はすべての教えの発端は古代日本から始まったと言っていたのである。しかし、今の日本人は誰も知らない、夢にも思うこともない、まさに、その様は哀れの一言に尽きるものである。


 さて、このあたりで前述した「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の一端を紹介しておこう。
 要するに、それが、自然の本性、すなわち、「自然の理」、「自然の摂理」と言うものであり、それらを全員が揃って唱えながら、大いなる過去から現在に至っているのである。しかも、すべてはストレートであり、まさに、「神の叡智」の現れと讃えてもいいものであり、我々日本人はこぞってぞっこんなものである。

 さてさて、そのようなことを、ただ、口で言っても何のことか判らないであろう、すべては「数」が語っているものであり、「数」を見ながら目と心で検証し、その素晴らしいい形と意味のある姿を見てみてもらいたい。
 
 これらすべては目を用いながらも、心で見るものであり、そこにある姿、形と言うものをあなたが今まで培かった理性等ではなく、ただ自然的な直観と自然な感性だけで見てもらいたいと思うのである。それは、要するに、まだ何も知らない生まれたばかりの幼児の目、すなわち、素直な目でシッカリ見てもらいたいと言うことなのである。

 
 これらは「神の数学」に好奇心を持っている皆々様に毎月2回送付している「神の数学」の資料、すなわち、「神のノート」からの引用問題からの出題であり、大変、易しくて難しいものである。しかも、それらを読むためには純な素直さとある程度の慧眼が要求されるものである。 さてさて、心のご準備は如何かな …… !!!。
 そこにはまったく我々には理解の出来ない真実と言うものが様々な形で紹介されているのであるが、すべては易しいながら我々が目を剥くような数多の「神々の秘儀」が揃ってものを申さんとあなた方を待ち構えているのである。まあ、そんなことを言っても、今の世の中、誰も信じはしないであろうが …… !!??。

 私の見立てでは、その内容は現代の超物理学理論である「超ひも理論」や「量子力学」を超えているもの、
すなわち、それが古神道の「カムナガラの道」であり、それを語っているのが「神の数学」なのである。
 何故ならば、「カムナガラの道」は波動関数そのもの姿であり、かつ、自然の律理の動きと言うものを「数」の形でもって見事に表しているものであるからである。 要するに、自然の持つ波動は9種類存在し、それらのどの二つを加算しても、あるいは減算しても、その答えは、そこにある「カムナガラの道」の9種類のいずれかに必ず戻るものであるからである。察するに、中国の陰陽5行説は、まさに「カムナガラの道」の内容そのものであり、いささかの違いも無いものである。誰か、志の有る者はそのあたりのことをジックリと調べて見て欲しい。
 恐らくは、天下の諸賢を唸らせることになるであろう …… !!!。

 疑うなら、自分の手で試してみるがいい、とにかく、小、中学生でも出来るような簡単な事であるから……。

 「神の呪文」は、すべて、「数」で示されているものであり、その答えは勿論、計算や形態によりシッカリと示されているものである。しかも、それは調和がとれて、心に響くものであり、目にも優しく美しく、また、その姿は幼い子供でも判るような形を取っているものなのである。それが、すなわち、心の琴線に響く「神の調べ」と言うものであり、心に安堵感をあたえて、見る度に心を休ませて和やかにしてくれるものなのである。
 
 要するに、

  @ その数形態の順序を正しく追っているもの、または整然とした美しい形、素直な形を持っているもので    あり、それを見ているだけで心が休まるものである 。。。。。
    
  A 「数」と言う言葉を使って、「詩」や「物語」、あるいは「音楽」のようにを人々の心を引き付けて
    やまないもの、その上、何となく、我々の常識等には理解されそうにないものでありながら、心      では何となく引付けられて、常に心に残るもの、それが本当の「神の秘儀」と言うものである。

  B 現代的な頭では、合点がいかないが、何となく、スミノース的な匂いをさせて我々の心を引き寄せて    止まないもの、それが「神の秘儀」であり、何時見ても我々の魂を揺るがし、騒がせるすものである。

  C 次の問題の答えに、なんとなく心が曳かれるのは直観が優れている方々であり、少々洞察力を磨けば
    「神」の思し召しに叶うような真(
まこと)の心を持っているな御仁達である。

 さて、さて、一つ小手調べと行こうではないか、頑張って真実を突き止めて貰いたい、とにかく、「現代数学知」は傍らに置いて、ジックリと考えながら数の本質的な正体を見破る、それには心でシッカリ見る、そうして、安堵感を感じる、それが大切なことである。

 例題 (1) これらは「神のノ^ートAの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。
   
1−0=1  2−0=2  3−0=3  4−0=4  5−0=5  6=0=6  7−0=7  8−0=8  0−0=0
  
 2−1=1  4−2=2  6ー3=3  8−4=4  1ー5=5  3ー6=6  5−7=7  7ー8=8  0−0=0
  
 3−2=1  6−4=2  0ー6=3  3−8=4   6−1=5  0−3=6  3−5=7  6−7=8  0−0=0
  、
4−3=1  8−6=2  3−0=3  7−3=4  2−6=5  6−0=6  1−3=7  5−6=8  0−0=0
   
5−4=1  1−8=2  6−3=3  2−7=4  7−2=5  3−6=6  8−1=7  4−5=8  0−0=0
   
6−5=1  3−1=2  0−6=3  6−2=4  3−7=5  0−3=6  6−8=7  3−4=8  0−0=0
           …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる …… 何となく、ここには法則があって、それにより「数の序」が
                 シッカリと結ばれているのであるが …… !!!。

  どうであろうか、縦、横、斜めの数の答えの整然とした並び
に何となく、スミノース的な匂いが感じられないであろうか…!!?。
  これを「現代数学」で計算をすると、何と、めちゃくちゃな数の並びになって「答え」として出てくるのであり、それ故に、正常なものではないと捨てられるだけである。



 例題 (2) これらは「神のノ^ートBの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。

        1−0=1  2−1=1   3ー2=1  4−3=1  5−4=1  6ー5=1  7−6=1  8−7=1  0−8=1
       2−0=2  4−2=2  6ー4=2  8−6=2  1ー8=2  3ー1=2  5−3=2  7ー5=2  0−7=2
       3−0=3  6−3=3  0ー6=3  3−0=3   6−3=3  0−6=3  3−0=3  6−3=3  0−6=3
       4−0=4  8−4=4  3−8=4  7−3=4  2−7=4  6−2=4  1−6=4  5−1=4  0−6=4
      5−0=5   1ー5=5  6ー1=、
5  2−6=5  7−2=5  3−7=5  8−3=5  4−8=5  0−4=5
              …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる……

 これは要するに、「自然数学」、すなわち、九進法による答えであり、十進法では解くことは出来ないものである。そのつもりで考えて見てもらいたい。ここにはマイナスの数は一切無いことに留意のこと …… !!!!。
 
 これが本当の「自然の数学」、すなわち、形而上学の答えであり、まさに、正しいものであることは「神の数学」の他の解答類から見ても間違いの無いものである。 さて、さて、あなた方が笑ってこれらを捨て去るか、それとも私が笑ってあなた方を迎えることになるのであろうか。
  はて、はて、 … ??、 恐らくは、あなた方は大笑いしながら、捨て去るの方であろうが、 ハー、ハー、ハー、…… !!??。

 
  さてさて、これらの数の並びは、甚だ、興味をそそるばかりのものであり、心が癒される感じがするであろう。それが、自然であり、素直な心の持ち主、自然的な頭の持ち主だけが感じるものである。
 一体、何故、このようにスミノース的な匂いをさせながら、「数」は登場するのであろうか…!!??。
 はて、はて、この計算はあなた方のような優秀な頭の持ち主にはにはには判らないものであろう …!!??。
  何故ならば、これらはすべて、「9進法」計算によるものであり、マイナスの数などはまったく無いものであ  ることを知ってもらいたい、それが「自然の数学」の形態であり「数の真実の姿」と言うものである …… !!!。その真実を知らない限り、何時まで経っても自然の真実は明かされないのであり、我々の知には何時まで経っても 進展は一切無いことを知らなければならないのである。
 すべては直観的な内的な感性にて感じるものである、あなた方の直感に訴えながらシッカリ考えてもらいたい。とにかく、宇宙自然界にはマイナスの数などはまったく無く、すべてはプラスの数により成り立っている事だけは、是非、」知ってもらいたい。要するに、マイナスの数が現れた場合には、それをプラスの数に直してから計算を始めなければならないのである。
 
 甚だ興味があると考う皆様が多ければ、毎月、これらの問題を少しずつ提供してもいい、まあ、皆さん次第であり、皆さんが大いに望めばの話である。
 
 これらは「神のノート」からの出題であり、このような易しくて高度な「神の語り」、「神の秘儀」が現在、姿を現わして、進行中であり、更には、もっと興味深い「神の知」の核心に迫る数多の「神の秘儀」を数多用意しているので、要望がありさいすれば、何時でも忌憚なく提供していくつもりでいる。


 今のところ、意識による「天の岩戸開き」により、全部では40ヶ近い「神の秘儀」の存在を確認しているので、それらを約1年間かけてあなた方に閲覧してもらえるように頑張っている「神のノートとして皆さんにお配りしている最中である。
 要するに、それらすべてを事細かく「神々のノー」に記載しながら、あなた方のお手元に私の出した「本物の答え」を届けている最中なのである。とにかく、目が点になるのは確かなことであり、心がナーバスになり、宙を躍ることは請け合いである。

 まあ、これらの事実が世界に広まりることにより、日本民族の優秀さは、改め知られることになり、益々、日本の国の株は上がって行くことになtるであろう。正に、弥栄、弥栄であり、やっと、正式に日本の国が昔から、素晴らしい、神々に愛されて来た国であることが世界中に知れ渡ることにもなるであろう。                                     
令和5年4月3日 記す


 
 「天の岩戸開き」≪2の巻≫

 
 
2回目の「天の岩戸」を意識で開いた結果について、その後の様子をジックリと述べることにしたい。

 それまでの古神道の大祝詞である「カムナガラの道」は平面的な数の示すものであり、現代の物理学でも内容を十分に把握することが出来るものであるが、今回の意識で開いた驚くべき
「カムナガラの道」は、何と、驚くことに、量子力学的な構図を持っているものであり、現代の我々には少々手が出ず、すこぶる重々しく感じるものなのである。何故なら、そこでは「数」が色々と囁きながら、自然の大律理の存在を教えているからである。

 例を申し上げよう、今の我々が従来の天照大御神である「カムナガラの道」の中から3次元の我々の世界を引っ張り出しても、そこには9ヶの「3次元の世界」が見い出せるだけ、それが「現代物理学」の限界と言うものである。しかし、量子力学的、すなわち、意識で、もっと出来るだけ細分化して見た結果、何と、そこには100近くの「3次元の世界」が見出され、しかも、それらの存在意義さえも確かめることが出来たのである…。

 要するに、この「カムナガラの道」から生まれた100近くの子供たちは、何と、不可思議な呪文を唱えながら数万、数千年の間、時を過ごして来たのであるが、悲しいことに、誰も今までそれを聞いて学ぼうとする者は誰もいなかったのである。それでも、やっと、ここに来て、不審に感じ、それらの一切を調べ始めた者が出て来て、やっと安堵しているのである。

 更に、面白いことに、この「カムナガラの道」の子供たちの「3次元の世界」には目には見えない不可思議な[
幽霊次元]と言うものが数多存在していることが判明し、我々が存在するはずの無いと思っている「幽霊」に遭遇可能なことは十分にあり得ることを「図」と「数」により完全証明が出来ると言うものなのである。 それらを称して、私はその意識による細分化の世界を、意識による「天の岩戸開き」と呼び、その一切を調査研究している現在なのである。
 まさに、それは理論上、当を得たものであり、それにより、まさに倒れるばかりの古神道は息を吹き返し、改めて、「世界神道」、「宇宙神道」へと昇華進展を始めることが出来ようと言うものである。

 しかもである、今回の「カムナガラの道」を意識で開いた場合には、何と、そこには100近くの「3次元の世界」が現れて、繰り返し、繰り返し、声を揃えながら、また、手を替え、形を変えて様々な「真理の呪文」を連唱し始めていることが判ったのである。
 これが学者達の言う「量子力学の世界」の姿そのものであり、一種の「意識の世界」の開眼の始まりであり、一つの「量子力学」的、または「波動力学」的な世界の現れの現実的な出現と言ってもいいものであろう。
 恐らく、それが物理学者達が言う「パラレル・ワールド」であり、前後左右に規則をもって広がっている世界と言ってもいいものなのである。
 
 また、恐らくは、この「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の数(種類)は100近くあるであろうが、残念ながら、私一人の手に負えるもの、すなわち解明出来たのは今のところ、40くらいなのであり、残りは未だ手つかず、悲しいかなそのままの状態である。近いうちには何とかしなければならないとしきりに焦っているのであるが …… !!!。
 
 その検証結果を小々紹介して見よう、何と、驚くことに、この100近くの「3次元の世界」はすべては母親である「カムナガラの道」のDNA(遺伝子)を受け継いでいて、それらは母親と同じことを口々に叫んでいるのである。しかし、学者達はそんなことがあるはずが無い、出鱈目であると大きな声で反発し、大笑いするだけであろう。

 しかし、母親が「すべての本性は0であり、無である」と叫べば、100近くの子供達も口を揃えて「すべての本質は0であり、無である」と答えているのである。その様はまことに圧巻であり、見事なものなのである。

 また、最近、正体不明な「数」と言われている 147、258、 の数は「3次元世界」創り上げている90ヶの子供たちの持っている対角線であり、それらの二つの対角線の一方は1,4.7,で作られているのに対し、もう一方の対角線は2、5、8、で作られていると言う驚くべきものものなのである。これらの二つの対角線は対逆的な性質を持っていることを知ってもらいたい。 要するに、一方を反対(逆さ)にして加算するとすると、258+741=999になって0になり、初原に戻って弥栄となるのである。また、あなた方は弥栄の本当の意味を知らないようであるが、弥栄とは9になることであり、また、同時に0でもあるのである。要するに、9になると同時に、それは0でもあると言うことであり、9の数を頂点とした循環世界存在こそが、本当の自然世界なのである。
 また、死は同時に誕生であり、改めて生への出発点となるものであると「カムナガラの道」は囁いているのである。要するに、死は単なる一里塚であり、改めて始まる生への分岐点であり、生命循環の基本そのものであると「数」は言っているのである。
 そのあたりのことはあの世からの生還者達が言っていることと、まったく同じものであり、これらの「数図」で調べても、まさにその通りなのである。

 何と、驚くことに、昔の人々が語り継いできた「輪廻転生」は真実そのものであったと言うことであり、死から生へと、生から死へと、我々の生命的な回路は丸い円の上を生死を繰り返しながら、巡って行くのである。
 要するに、死んでも意識は同一なものとして新たなボデイをまとって生まれ変わる、それが古から言われている輪廻転生の経緯であり、正しい言葉であったと言うことなのである。
 
 どうも、「カムナガラの道」の「数」の走りから推測すると死んでから生まれ変わるまでは、何と、約、10年くらいのように思われるのであるが、ただし、人生100年と考えた場合に、その十分の一くらいと言うことであり、早逝した者はそれより早く生まれてくるようである。
 あなた方もご自分の手で検証して見ては如何かな、…!!。誰でも十分に納得することになるはずである。
 その検証方法は資料さえ見れば、誰にでも解るような割合に簡単なものである。
 それは例えて見ると、子供たちが遊んでいジグソーパズルのようなものであり、ヒラメキと少々の洞察力があればピタリと真実を抑えることが出来ると言うものである。それらすべては古神道の「カムナガラの道」語る事実であり、既存の知識で誰でも開示が可能なものなのである。
 
 それには別に、「現代科学」のような小難しい数式や記号などはまったく不要であり、僅かばかりの小学生並みの計算力と洞察力が有れば、それで十分なのである。
 とにかく、現代科学知は難しいことはいいことである、難解な言葉や記号を用いることはいいことであると言って人々を煙に巻いているだけである。
 何故ならば、難解な言葉や記号を用いることにより、小うるさい素人は一切口を出すことが出来ないからであり、我々の世界を守ることが出来ると宣って満足しているのであり、それ故に、一切の進歩、発展等は夢のまた夢の向こうになってしまうと言うことを知らないと言うことになるのであるが …… !!!。 
 
 また、ジグソーパズルのようなものとは一体、何と、はしたない言葉であろうかと思う方は、私の資料を一見してもらいたい、それであなたは十分に納得するはずである。
 
 しかし、この「あの世の10年」は単なる私の推測値であり、ハッキリと断言出来るようなものではない。しかし、色々な文献からも解るように、生まれ変わりの事実を色々と検証をして見ても、大体、普通の人ではそのくらいであると断言出来るのである。ただし、よほど因縁のあるような者は駄目であろう。 

 あなた方も、「カムナガラの道」の表を見ながら、この推測値を楽しんでもらいたい、楽しくなるはずである。
 あとどのくらい生きて、今生の生命は終わり、その後10年くらいで、改めて戻ってくると考えると死ぬことも余り苦にはならないはずである。 まあ、そのくらい希望を抱きながらあの世に御罷る、甚だ結構なことではないか。まあ、そのうちに誰かがハッキリした証拠を突きつけて結論を出してくれることであろうが、… !!。。。。

 
 また、その90ヶの子供たちは連携した波動的な「3次元」の存在であり、量子的な存在として、両隣と巧みに重なって、次えと繋がってゆくものである。その重なり率は60%くらいなので、それに従って次の数図を順序よく作り上げて行くことが出来ると言うことである。要するに、その重なりを手繰って行くことにより、次の隣はどのようなものかが推定できるのであり、その重なりを利用することにより、もう一つのあるべき「見えない実体(
実際にはそこには無いが、現実には存在するもの)」が計算によりあらわに現れてくるのである。それは、まさに現代の最新物理理論、すなわち、量子力学が語っているものそのものであり、これから、普及していく「自然理論」の先駆けとなるものになることであろう。
 それは、恐らく、中学生程度の頭脳があれば、簡単に出来るものであり、これからは「現代物理学」を窓際に追いやって、まったく「新しい、新しい物理理論」を再構築することになることであろう。
 現実においても、今はそのシフト・チエンジの始まりであり、あと、20年か30年後には「現代物理学」は完全に窓際に置かれ、人々は目もくれない、見向きもしないような状態になるであろう。

 私は、それを称して「幽霊次元」と言って楽しんでいるのであるが、その隠された「幽霊次元」が無ければ我々の世界はバランスが取れず、崩れ去って成り立たない、要するに、すべての存在と言うものは一瞬で無くなることになるのである。 まさに、我々の世界は調和とバランスの世界なのである。
 そのことは、要するに、我々の世界でさえも幽霊と言う「見えない存在」が有ってこそ、初めて存在可能になるものであり、幽霊の存在は当然なこととなるのである。このことはこれらの「カムナガラの道」の子供たちの「重なり具合い」から見ても一目瞭然なことであり、まさに現実的なものなのである。
 
 とにかく、これらの事実を出来れば、あなた自身の手でシッカリ確かめて、あなたの手で世の中に出してもらいたい、それが今の私の望みであり、いま、最も希望している事である …… !!!!!。
 彼ら、すなわち、「カムナガラの子供達」は色々な自然事実の存在を口々に囁いているのであるが、そのあたりの事情も、是非、自分の手で確かめて見てことが大切であろう。
 とにかく、すべては流麗に流れて止まることを知らない、それが自然の流れであり、永遠の流れでもあるのである。しかも、その流れは一方ではなく、循環しながら永遠の中を巡り巡って行くのである。
 
 そういえば、同じようなことを量子力学でも誰かが言っていたような気がするのであるが、知っている方は教えてほしい。確か、「重なり理論」とか言っていた気がするのであるが、年を取り過ぎて忘れてしもうた、しかし、見えない象である「幽霊」は完全に存在していることは理論上完全に証明が可能なのである。見えないし、理屈に合わないからと言うのは学者達の詭弁であり、証明不能ゆえの我々に対しての騙し言葉と言うものなのである。 西洋科学の真実とはそんなものである。 ハー、 ハー、 ハー、…… !!!

 また、その幽霊は死んだ後ではなく、生まれる前の位置にチャンと存在しているのであり、それは没した時の姿形そのままの姿でその位置(
生まれる前の位置)に現れていると言う、まことに不可解なものである。
 要するに、それが、生まれる前の「見えない存在」としての存在であり、生へ向かうための予備的な存在、それが幽霊の正体であり、これから始まる新たな生への予備的な第一歩と言ってもいいものなのであろう。
 まさに、それが幽霊と言う象の存在であり、現実的には見えないけれど、チャンと存在しているものである。
 幽霊象、それは数図がシッカリと示す通り、不可視ではあるが、完全に理論上では存在するものなのである。
 それは申し上げた通り、ジグソーパズルのようなものと思ってもらえば、間違いない。
 要は、易しいものであるが、現在の物理学などでは説明がつかぬものであり、新たな理論展開が改めて、始まらない限り、一切は闇の中である。しかし、量子力学の出現により大分、目鼻がついてきたようである。
 そうすると、西洋科学も満更盲目では無いようでもあり、これからの10年、20年が楽しみでもある。
 
 そのことを、「カムナガラの道」の90ヶの子供たちは語っているのであり、全体的な「数表」を検証しても、まさに、その通りなのである。 それ故に、正確に言えば「カムナガラの道」の子供たちは81ヶの(実在する存在)+18ヶの(幽霊的な存在)=99ヶから成り立っているものと言えるものかも知れない。
 
 詳しいことは、是非、その資料を請求した上で自らの手と頭で検討し、その仔細全般と言うものを見てみてもらいたい。現在の「西洋知」、すなわち、「神無し」の現代物理学ではそこまでの理解は無理と言うものである。
 今の状況では方法はそれしかない…!!。とにかく、自分の手で検証し、心で納得することが大切である。
 何回も言うが、ヒラメキさえ有れば、すべては小、中学生でも簡単に解るような易しいものなのである。

 甚だ、興味深い話であると感じた方は、出来れば、是非、来所してもらいたい、改めて、その現物資料を見ながら検証し、共に議論するほうが、考えるよりも手っ取り早いと思うのであるが如何であろうか …… !!!??。


 
 そう考えると、私が数十年前から呼びかけていた「ヒフミ祝詞」の肝心な最初には、あるべき言葉が欠けている、それ故に、いくら唱えても「神」には届かないと言っていたことは真実そのものだったのである。
 
 要するに、 ヒフミの最初の言葉である「ヒ」の前に肝心な言葉を添えなければ意味がないと言って世間を騒がしたのであるが、今になって、その真実が顔を出して、まさに真実であることを告げているのである。

 私は、当時、ヒフミの前に「カムナガラ」をつけて唱えると、「神」が感応して空気がピンと張り詰める、と言って笑われたのであるが、ここにきて、その証拠がありありと姿を現わしたのである。
 その証拠に、最初のヒィの子音はィであり、その前には子音がァである「尊い言葉」が絶対的に必要であると力説したのであるが、誰も耳を貸す者はいなかったと言う苦い経験がある。
 もう数十年前の話であるが、誰もその真意を探ろうとする御仁はいなかった。
 要するに、「カムナガラ」の言葉を最初に付けると、「ア」の子音が発生し、「アイウエオ」と子音が続いて、すべては
大団円となり、弥栄となるのであると言い、人々に勧めたのであったが …… !!!。

 要するに、そうすることにより、子音は完全円満に「アイウエオ」と流れて完全完結を果たすのであり、一切の不都合は消えてしまい、自然の流れとなるのである。まさに、これこそは古代の知の円満な証拠であり、現代知には無い完全無欠の状態を語り上げ、表しているものなのであり、また、そこにある大意とは、すなわち、
それは「神の大道」、それは「カムナガラ」のアで始まり、ヒ、フ、ミ、ヨ、で終わり、更に続くものである。

 試みに、自分の手でやって見てもらいたい、それにより、古神道の真実と有難味が十分に判るはずであり、空気がピンと引き締まるはずであるから …… !!!。         
                                       (続く…)

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  「天の岩戸開き」≪3の巻≫