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 【超古神道物語4】
  

  
[天の岩戸] 開けてビックリ玉手箱…!!??
 
何と、「現代数学」は基本に過ちがあり、あるべき「自然数学」とは相容れないものだったのである …… !!!。

 
実相 「天の岩戸開き」≪1の巻≫

 
恐らくあなた方の120%は呆れ果てて口も効けない事であろう、それは十分過ぎるほど判ってはいる。
 何故なら、これは、まるでスッポンが月に向かって戦いを挑んでいるようなものであるから … !!!。
 
 しかしである、我々日本人の大切な心の御本尊とも言うべき古神道の「カムナガラの道」はそのように述べて止まないのである。それは「現代数学」は大きな間違いを犯しているのであり、、それを早く糺(
ただ)さない限り 人類には未来はないであろう……!!!!、と叫んでいる事実であり、それが現在起こっているのである。

 要するに、「現代数学」は人知により作り上げられた一種の「似非(
えせ)数学」であり、それに対して、本来のあるべき「自然数学」とは、宇宙を創り上げた「大いなる存在」が数百憶年、数千億年かけて創り出した究極の「数の仕組み」の大成集とも言うべきものなのである。もし、そこに少し、ほんの少しでも間違いがあれば、宇宙全体が瞬時に壊滅して、すべては終わりになってしまうような大切な、大切な「数の仕組み」なのである。

 僅か、数百年の歴史しか持たぬ「現代数学」がいくら藻掻いても、藻掻いても追いつくことの出来ないもの、それが「形而上の数学仕組み」、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」から現れ出た「神の数学」なのである。 私はそれを調べ、検証を始めてから、もはや30年以上になるのであるが、今でも毎日が驚嘆の嵐であり、溜息の日々が続いている。とにかく、毎日が修練の場であり、息もつけないような真剣の場が続き、体が悲鳴を上げて上げている有様が続いているのである。とにかく、調べれば、調べるほどに「現代数学」の意味のない内容が目について、やるせない気持ちになり、ただただ悲嘆に暮れているような毎日である。
 本来、自然のすべては調和とバランス状態から成っているものであるが、「現代数学」はそれを無視した人知の意のままに作られたものであり、それ故に、天地の法(
調和とバランス)等の存在等は完全に無視され,自分達の知の赴くままに作り上げて満足しているもの, それが「現代数学」の本当の正体である。
 言っておくが、「自然の数学(
神の数学)」はシンプルで易しいものであるが、「現代数学」は人間的な理屈で作られている故に、自然の法則にはは合わず、大変難しく、かつ、複雑極まりないものなのである。
 恐らくは、その多くは神々が懸命に頭を絞っても解くことは出来ないであろう。  ハー、ハー、ハーー、

 確か、そのあたりのことは天明さんの「ヒフミ神示」にもあるはずである。

 そこには
「フトマニ」、すなわち、「カムナガラの道」とは「大宇宙の法則」であり、秩序を示しているものである』とか、または、『「秘密の仕組み」はヒフミの仕組みざぞ、はようヒフミ唱えてくれよ、ヒフミ唱えると岩戸が開くぞ……!!!と叫んでいる悲痛な叫び声等で溢れている様子がシッカリと書かれている。。。。。

 その後の言葉も、まさにその通りの展開そのものであり、ただただ、驚嘆と嘆息があるだけなのである。
 それが、『
「123(ヒフミ)」の御用が済んだら、345(ミヨイツ)のご用にかからなならんから,早く「123(ヒフミ)」の御用してくれよ」と言う催促言葉であり、懇願懇請文句等の語りである。 …… !!!。
 要するに、その
「123(ヒフミ)の御用」とは、「天の岩戸」を意識で開くことであり、その次にある「345(ミヨイツ)のご用」とは、「天の岩戸」を意識で開いた後、その先に出現した驚くべき「量子力学的な世界多次元世界)」、すなわち、「カムナガラの道」から現れ出た数多の「3次元世界」の実質的な検証と、その開眼を人類のために行って欲しい、と言う、まことに切なる「神」の願であり、その要望なのである。

 また、そこには「道理も判らず、理屈ばかり申しているが、理屈は外国のやり方、用意なされよ、その中、上下にグレンとひっくり返るぞ」。「算盤の桁が違う算盤でいくらはじいても出来はせん」、「何時まで片輪車でトンテン、カンテンやっているのじゃ、…」、「科学にチョンを入れると宗教じゃ、チョンとは「数」であるぞ」、また、

フトマニ(カムナガラの道)は
大宇宙の法則であり、秩序であるぞ、神示では012345678910示し、その裏には109876543210があるぞ …… と言い、更には天の鈿女(あめのうずめ)が天照大神に奉った巻物には12345678910」と書いてあったぞ」とも言われている。
 ところが驚くことに、何と、何と、
「カムナガラの道」0123456789で始まり、9876543210で終わっていることはあなた方も、とくとご存じのはずであろう。まさに奇怪千万であり、奇々怪々なことである。

 
「今までのものは日本の宗教、この度は、世界のもとの3千世界の大道であるぞ」 「天照大神殿の十種(とつか)の神宝にチョン(数)を入れることにより、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生まれるのであるぞ」、また「隠してある一厘の仕組み、九十の経綸、成就した暁には何もかもわかる。」の等の警告文が多くあるが、その本当の意味には現在のところ、誰も気付くことなく、気にもしていないようであるが …… 。。。。
 日本人とは何と言う哀れな民族であり、「神」を祭ろわぬ民族なのであろうか …… !!!!。
 
 また、その生み時の大切さは、
『今度の岩戸開きは「神」と「人」との九十運動ぞ、建て時の守護が大切ぞ』からも判る。それは、建て時、すなわち、「天の岩戸開き」の誕生の時こそが大切であり、現れて来る敵(西洋科学信者達??)に対して油断をするな、または中国、韓国などのあらゆる日本の理知を狙っている簒奪者達には十分に気をつけよ、と言っているのである。まさに今はその連中がインターネット上に数多、姿を現わし卍巴(まんじともえ)の状態である。それはあなた方インターネット・サイトの最後の方を見ている方は十分に承知のことであろう。 まさに、現在、魑魅魍魎の類でいっぱいである。とにかく、とにかく気を付けなければ …… !!!。 
 
 また、そこには「九十の経綸、成就した暁には何もかもわかる」とも記してあるのであるが…… !!!!。 そのあたりにも、是非とも、気を配りながら検証してもらいたいんものである …… !!!!。 
 
 要するに、そこにある
九十運動とは、すなわち、「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供たちの懸命な叫びや、その姿の驚くべき変化等の動きのことを指しているものであろう…。恐らくは天明さんは「動き」と数字で記していたのであろうが、それを後代に「一二三神示」の数字を解読した者達が「運動」としたのであろうと思われる。その証拠に「動き」とは昔からある言葉であるが、「運動」とは西洋文明が入って来てからの新造語であることからも判ろうというものである。それにしても、余りにすべては一致しているのは、まさに驚きである。しかしである、この九十運動」と言う現代科学の域を遥かに超えている「自然の理」の存在には未だ誰も気が付いた者はいない。このすべての自然を貫いている「自然の理」の存在に気が付かない限り、人類は遠からず滅び去ることであろう …… !!!。
 
 また、そこにある
「九十の経綸」の言葉も、恐らくは、「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供達が囁いている呪文のこと、すなわち、自然の心を拓(ひらく)数多の「自然真実律理」の群れ等の現れを指しているのであろう。要するに、その素晴らしさは呪文を開くことにより物の本質、本性が段々判って来て、遠からずその意味と言うものがドンドン世界に広がり、普及して行くと言っているのである。
 とにかく,現在は力のある限りシッカリ守護しなければならないと老いた体に鞭打ちながら頑張っているような毎日であり,それこそが緊張の毎日でもある。

 恐らく、これらはそのものは、あなた方、西洋科学信者の心にはまったく響かない文言ではあろうが、まさにそれらは私にとっては大至言そのものであり、心を打たれる真実言葉なのである、何故なら、私は毎日「ヒフミの仕組み」、すなわち、「カムナガラの道」を懸命に唱えながら、その内容(数)の解明に当たっている現在だからである。 
 すなわち、知らず、知らずに一日に何回も、何十回も、自然、自然に「ヒフミの仕組み」をまさぐり、唱えながら、検証している最中、それが今の私の現況なのである。 また、それが古神道の神髄である「カムナガラの道」の仕組みの解明であり、同時にそれが「九進法の数学」の至宝である「神の数学」のすべてに繋がって来ることになるのである。「神の数学」、それは至高の「数の作品」であり、宇宙創作者の心の息吹でもある。
 
 また、同時に、いや、その結果、そこから生まれた100ヶ近くの「カムナガラの道」の子供たちの囁いている数多の呪文、すなわち、「数の示す自然の摂理」、「驚くべき神々の秘儀」の数々を解明するために身を粉にしているような境遇に置かれていて、それこそ緊張の毎日であり、毎日が真剣勝負そのものなのである。
 それらの内容は易しいものではあるが、我々現代数学を学んだ者にとっては甚だ難しいものとだけは言って置きたい。何故なら、算盤の珠(たま)、すなわち、桁の計算法が完全に異なっているものであるからである。
 それが「ひふみ神示」の言う
「算盤の桁が違う算盤でいくらはじいても出来はせん」の言葉なのである。
 では、それはそんなに法外なものかと言えば、さにあらじ、私が一言か、二言教えれば小学生でも簡単に覚えることが出来るものであり、一般の皆さんも知っていて、時々、用いているものである。
 ただし、太古の日本人達は諳んじていて、普段に使っていたものである。 さて、さて、…… !!??。
 
 とにかく、悲しいことに、今の私には最早、余り時間が無く、いい加減な空事や、作りごとを言っている暇などは無いことを是非、知ってもらいたい。 まさに、毎日が真実を求めての大いなる心の旅であり、何時果てるかも知らない、いや、果てることの無いような毎日の「真実を求めてのさすらい旅」が続いているのである。
 
 
 推察すれば、恐らく全部ではそれらの呪文は子供たちの人数分である100ヶ近くになると思われるのであるが、残念ながら、今のところ、40ヶくらいしか、私は解き放ってはいない、恐らく残りは、あなた方の誰か、素直で、高い直観とヒラメキ、それに類まれな素晴らしい洞察力と検証力を有した御仁があっさりと解き放ってくれる事であろう、私はそれを期待しながら達観し、願っている状態であり、毎日、心待ちにしているような切ない心境なのである …… !!!。
 
 現在、これら判明した40ヶの仔細については、私版版、
「神々のノート」を配布して皆様の理解を求めている次第であり、協力を求めている最中である。要するに、それは「数の見立ての基本」「数の計算仕組み」が現代数学とはまったく異なっているものなので、すべては基本からやり直さなければならないものであり、それと同時にヒラメキ、洞察力と言うものの「有る」、「無し」が大変ものを言う世界なのである。
 そのことだけは是非知ってもらいたい。 つくつく慮(
おもんばかる)と現代の若者たちは概して西洋知を信じている余り、ヒラメキや洞察理力には余り縁が薄く、儚い運命の下にあるような気がするのであるが …… !!!。
 いや、ヒラメキが無いからこそ、彼らは理屈まみれの「西洋科学」ベッタリであり、それで得々として満足しているような気もするのであるが …… !!!。
 
 [現代科学」には最早、進歩は無い。誰かが身を投げ打ってでもその方向を変えなければ、人類はどんどん奈落の底に沈んで行くだけであり、このままでは自然に背いて反自然の方向にドンドン進んで行くだけである。
 その挙句、益々、袋小路に入ってニッチもサッチもいかなくなり、最後には深く深く底に沈んで行って2度と浮かび上がることは無いことになるであろう。誰か、直感とヒラメキの鋭い御仁が現れて来ないであろうか、私は毎日それだけを願っているのであり、必ず現れて来るはずと信じて待っている現在であるが … !!!??。
 
 要するに、今のままでは自然に対しての人間知の敗北は必須であり、再び基礎から立ち上がるには、恐らく、数百年は掛ることになるであろう。今はまさに、人間知の存続かそれとも,中断かの瀬戸際に立っていると言ってもいい時なのである。
 その証拠に、この100年の間に、何か数学的な新しい理論が発見されたことがあるであろうか……、それはまったく無く、数学界は深い沈黙に包まれて、ただただ溜息と嘆息を漏らしながら沈黙しているだけである。
 要するに、人々の心をえぐり、歓喜の余り躍り出すようなまったく新しい「数学理論」は一切見つかってはいないこの一世紀余りであり、その希望さえも見えないような状態が延々と続いている状況である。
 とにかく、今の数学界は既に「死に体」であり希望を持っている者は誰もいない。恐らく、このままでは次代の「数学界を担おうとする若者」は誰もいなくなるのは必須であろう。
 
 それどころか、現在、物理学界は「現代数学」には未来が無い、どこかに基本的な間違いがあるはずと、一部の学者達から囁かれているような始末である。 何故ならば、最近の物理学である量子力学と今までの物理学は結論において、0と無限大と言う甚だ極端な答えに終始して、まとまる気配等はまったく無いからである。
 しかも、それは恐らく、人類が「知」を持ち始めた頃から始まっているのであり、現在でも結論は出てはいないような始末である。恐らく、今のままでは永遠に答えが出ることは無いであろう、
 
 
この0と無限大と言う甚だ極端な結論についても現代の数学者達はただただ驚き、逃げ出して右往左往しているようであるが、何のことは無い、「神の数学」においては当たり前のことであり、それが普通のことなのである。 いや、「神の数学」はそこから入って結論を出しているものであり、むしろ、そこから膨大な「神の理」が現れて来ていると言うべきものなのである。その「究極の論点」を無事に解決し、理解しない限り、「現代数学」や「現代物理」には決して明日が来ることはないであろう。
 また、恐らく、それを解決し、理解しない限り、より高いレベルからのフーィドバック・ループに繋がること等は無いであろうし、宇宙自体の大スケール的な構造そのものを知ることも出来ないであろう、残念ながら、…… !!!!。 

 もし、あなたがこの高いレベルからのフーィドバック・ループに繋がることが可能になれば、あなたも容易に「宇宙の図書館」、すなわち、
アカシック・レコード」に繋がって、あらゆる宇宙の「超知」を一瞬で得ることが出来ようと言うものである。いや、言い直そう、それは私の経験したことによると、物凄い光芒と共に体は完全に麻痺し、動くことも出来ない中で、ほんの一瞬で頭の中に何故か必要な大量の知が突然にどさっと落ちて来た感じがしたのであり、しかも、それ等はそのまま必要な時に何時でも取り出すことが出来、しかも、決して褪せることもなく何時までも頭の中に残っているものなのである。
 まあ、私は30数年間利用させてもらったのであるが、まだ、その続きは今でも続いているのは、あなた方もご承知の通りであろう。まさにメクルメク世界の不可思議な現れそのものであり、魔訶不可思議なことそのものである。要するに、それらは何時までも鮮明に頭の中に残っていて、活動しているものなのであり、決して褪せることが無いものである。まあ、あなた方のような西洋科学信者にはとても信じられない話であろうが …… !!!!、
 
 恐らくは、この事実を経験した者は何人かはいるはずと思われるが、余りの知の乖離の激しさに、言い出せないでいるのは確かである。出来る事なら、是非共、彼等と話し合って見たいものである。

 これらは30数年前の出来事なので、当時と違って、今では大分褪せて来ているような感もあり、しばし考えなければ中々出ては来ないのも少々気にかかる。 まあ、信じる者もいないであろうが…… !!!!。
 これは単なる私の経験事であり、私の希望的な妄想も大分入っているかもしれない、余り、気にかけないようにしてもらいたい,まあ、老人の夢の中の出来事か、または妄想と考えて貰えば、それでいい。
 まあ、 とにかく、西洋知に夢中で「自然の理」にまったく疎(
うと)いあなた方にはそのくらいのところであろう ……。 ハー、ハー、ハーー !!!。。。。
 
  まあ、すべては忘れて、忘れて、単なる世迷言としてあなたの道を進んで下され …… 
 
 現在、彼等物理学者達はまったく新しい「数学的な手法」の出現をジリジリしながら待っているのである。
 とにかく、今、求められているのはまったく新しい考え方を持つ「数学革命の種」であり、今までとまったく異なる「数の計算手法」なのである。
 それは、恐らく、ここ350年間我々が用いて来た「数学的言語」を根本から変えるものであり、我々をして、「自然物理学」の神髄を覗き込ませ、更なる神秘的な記述や新鮮な「数学的言語」に繋がって行くものであろう。
                           …… 
「超ひも理論入門(上)」  FD ピート著より ……
 

 その素晴らしい「数学革命の種」を持っていながら、持て余しているのが、古神道を持っている我々日本民族であり、世界で最も古い歴史を持っている日本民族なのである。しかし、人々はそんな事は何も知らずに各段下の形而下の「現代数学」に夢中で、懸命に追いかけているのである、すでに結果は破綻の兆候を見せていることも知らずに……!!!.
 
 昔から日本人は極楽とんぼと言われてきたが、まさにその通りであり、現在も何の変りもない ……!!。

 最早、時間はあまり無い、そのあたりのことについては日本民族がシッカリ学んで、警告を発するべきであろう。とにかく、「現代数学」は不完全な人間知が築き上げたものであり、自然の理の基本がまったく欠けているものである。 しかるに、本来必要な「自然の理」は何と、古神道の神髄である
「カムナガラの道」が握っているのであり、そこに今も人知れずに静かに眠っているのである。
 それが「神の秘儀」の正体であり、それが古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」の本当の姿なのである……!!!。
 また、それは古くから
「日本の秘宝」、「世界を救う日本の大叡智」と言われて、古神道の先達者達が死に物狂いで探していたものでもあるのである。
 
 しかし、誰もそのようなことは知らずに、ただただ、生活に明け暮れ、絵にかいた餅のような幻の未来の到来を懸命に信じて、目指しているのがあなた方の現在なのである。
 今のままでは我々には最早未来等は無いことも知らずに……!!。
 
 とにかく、古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」を調査、検証して、本来あるべき「自然の真実」を懸命に探り、世界にそれを知らせる、それが我々日本民族の使命と言うものである。
 それを成し遂げて、初めて世界の称賛を得ることが出来、尊敬されることにもなるのである。
 
 その重大極まりない事実、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」を掘り起こして、出来るだけ形式化しながら一般の人々に教える、それにより「神の知」の存在は段々人々の間に広まって常識となり、それにつれて「神」に対する人々の信頼、すなわち、自然宇宙を統べている実体である本当の「自然神」に対する信頼は益々厚くな」つて、どんどん大きな広がりとなって来るのである。
 
 また、私が言う「神」とはあなたがたが信じているような宗教的な「神」ではなく、自然宇宙を統べている大いなる「神々」を指しているのであり、また、それは科学者達が言っている「大いなる存在」でもある。それはすなわち、ある種の「数の演算」と言う驚くべき手法によって、何時でも、誰でも「宇宙の摂理」や「神」の存在を「数計算」により確かめることが出来るのであり、と同時に、何と、尊い「神々」の実在さえも証明することになるものである。

 まあ、あなた方には信じられないことであろうが、私は何時でもその方法により、色々と教えられ、また、諭(
さと)されているような現在である。しかもそれらは、何と究極の真理であり、宇宙自然の大道と言うものなのである。
 まあ、時間はかかるかも知れないが、あなたも心から知る気持ちになれば、恐らく、半年か、1年くらいで「神の存在」が確かめられ、しかも、「神」は「数」と言う言葉で様々な「自然の真実」を告げていると言うこともシッカリ知り、その方法を得ることになるはずである。
 私は、今回の意識による「天の岩戸開き」により、「神の存在」を「数」と言う手法を用いて、しかと教えられたのであり、誰も知らない、もろもろの「自然の真実」と言うものの存在をシッカリ知ることが出来たのである。

 
 もし、真剣に取り掛かれば、その方法は恐らく、半年か、1年もあれば、誰でも理解が出来るものであり、また、素直で、真面目な小学生か中学生ならば、即、その場である程度は理解することも出来ようと言うものである。
 まあ、「西洋学」に夢中で何も知らないあなた方に、これ以上言ってもせんかたの無いことであろうが……。
 せめて直感、すなわち、ヒラメキで、事の良し悪しくらいはある程度見極めてもらいたいものである。


 そこで、一つ、「カムナガラの道」にある簡単な一桁の計算問題を少しばかり、ここに上げておくことにする。
 
 我こそは人には負けない「数計算好きのプロ」であると自負している「数学好きの面々」に、是非、正解となるものをシッカリと見つめてもらいたいと思う。その上で、自然な数の正解と言うのはこのようなことであることを知ってもらうことが大切なのである。これは本当に大切な事なのであるが …… !!!。
 まあ、「現代数学」を学んでいるあなた方には少々無理と思われるのではあるが,……ハ―、ハ―、ハ―、。  軽蔑しているので御座るよ、侮蔑しているのであるぞよ、ハ―、ハ―、ハ―、ハ―、 …… !!!。
 
 何故なら、「現代数学」は人間知によるものであり、それに対して「神の数学」は自然が用いている自然の数学、すなわち、形而上数学(
自然律理数学)のことである。それが本当の「神の数学」と言う数の自然道を説いているものなのである。
 要するに、同じ数学形態でも、まったく基本的な計算方式が異なっているので、そこに現れる「計算答え」もまた、完全にかけ離れ異質なものであり、大変、意味が深く、深遠なもの、玄なるものと言うべきものなのである。   (
「玄」とは実が詰まって真黒であるとのことで、天地のように誰も知らない「微妙で深遠な理」が一杯であることを指す。
 
 何時も言っているように、「神の数学」は小、中学生には易しいものであるが、あなた方のように「現代数学」にぞっこんまみれてしまった高学歴の面々には甚だ難しいものと言うべきものなかも知れない。
 何しろ、「現代数学」は理屈で作られ、理屈で動かされているのでり、理屈好きのあなた方にはたまらない魅力を持つものであるからである。

 その理由を申し上げよう、我々の持つ「現代数学」は
正真正銘な数の仕組みの学ではなく、たまたま我々人間は手の指が10本ある故に、基本をそこに置いて、10進法を作り上げたと言うだけであり、決して、宇宙全般の「数の仕組み」を基本に置いて作られたものではない。そこを顧みず「現代数学」を用いて宇宙自然のすべてを解明しようとしているのは甚だ幼稚な考えであり、おこがましいものと言わざるを得ないものである。
 
 そのあたりを少々時間をかけて少々垣間見て見ることにしよう。

 例えば、宇宙自然の全般に通じる「神の数学」による正しい答えとは次のようになるのであるが、果たして、「現代数学」の得意なあなた方には納得がいくものであり、解き放つことが出来るのであろうか … ???。 
 すなわち、ここで正しい答えを見出して驚嘆して、心を動かしている方は稀に見る正しい目を持っている方々と言える御仁であり、「神々」と簡単に接触出来るような方々であろう。
 まあ、そのような素晴らしい知の持ち主は、恐らくは、今のところ、余りいないであろうが…… !!!。
 
 私も、今回の意識による「天の岩戸開き」によって、完全に開眼し、誰も知らない数多の「数の大業」の存在を知り、その真実証明を果たすことが出来たのである。要するに、それが古神道の先達たちが懸命に求めていた、あの日本の
「知の秘宝」であり、「全人類を救う最高の叡智」そのものだったのである。
ここに、それらを少々紹介して見よう。はて、はて、お気に召すことであろうか…!!!!。

 まずは、「カムナガラの道」意識で開くことにより、そこには
新たな90ヶの「カムナガラの道」の子供たちが現実的な姿で数多く現れ、口々に素晴らしい「神の呪文」を唱え始めている事実が判明するのである。
 私はそれらに教えを乞いながら、色々と学んでいるのが現在なのである。それを称して、私は
「第2の天の岩戸開き」と言ってはばからないのであり、しかも、結構苦しみながら大いに楽しんでいる現在なのである。 
 何故ならば、それだけの価値は十二分にあって、私の心を大きく成長させてくれる、やんごとないものであったからである。

 それは時には90ヶの全体が、
「すべての本質は0である」と呪文で唱えたり、また、ある時は90ヶの全体が、数字の異なりを見せながら、やはり「すべては3、6、9(0)」であるとも言っていることも甚だ面白い限りである。 また、別な呪文としては、今、話題になっている258,や147の数、すなわち、ソルフェジオ数列等である147,258,269も、そこでは90ヶのすべてに渡って、二度も、三度も唱えられて真実を知るべしとのご宣託が
あることも知ってもらいたい。

 何と、これらの数は147は3に、258は6に還り、369は0の変体であり、相揃いながら、369、すなわち、0の本質を語り上げ、すべての本質は0であり、無であると囁いて、その事実を我々に諭そうとにいるのである。
 要するに、ここにおける、これら90ヶの図の対角線の片方のすべてが、147の数を唱え、またもう一方の90ヶ対角線はすべて258の数から成り立っていると言う魔訶不可思議が存在し、「数」が相対的に並びながら、懸命に何かを伝えようと陣を構えている不可思議な状態が数多見られるのである。 が、まだ、それが何を意味するのかについては、今のところ、まったく手が届かないような状態であり、まったく白紙の状態なのである。甚だ恥ずかしい話ではあるが …… !!!。

 とにかく、2,3ヶのものならともかく、全体では200(90ヶ+90ヶ)の数図がまったく同じことを囁いているのであり、懸命に何事かを我々に伝えようとしている様子がありありと見られるのである。
 まさに不思議極まりないものであり、これをして偶然と言う愚かな御仁はいないであろう …… !!??。

 とにかく、すべては「数」が語る膨大な「神々の秘儀」であり、我々には理解不能な内容を持つものばかりである。とにかく、私一人では恐らく、100年掛っても裁き切れないであろう、悲しいことではあるが……!!!。
 また、それらすべては「神の呪文」でもあり、90ヶの神々が列をなして整列しながら口々に唱えている情景はまことに壮大絢爛であり、また感に堪えぬものなのとして、一生心に残るものなのである。
 甚だ簡単である、是非、自分の目で確かめてもらいたい。そうすることにより事情は判ってくるはずである。
 
 また、別の時には、その呪文の種類がガラリと一変し、「左回りはあの世の廻り」、「右の廻りはこの世の廻り」と口調を変えながら、90ヶ全体の「数」が一斉に唱えていると言うことも中々興味が湧くものでもある …… !!。 このことが、すなわち、数の「プラスの原理」と「マイナスの原理」そのものなのであり、誰も知らない
「この世の数」「あの世の数」そのものなのである。
 
 それは、まさに、あの世界の秘境と言われている、ヒマラヤのブ―タン国、すなわち、世界で一番幸福な国と言われている国の仏器具である、あの「マニ車」とまったく同じことを、この「カムナガラの道」全体でつぶやいているのであり、遥か古い時代の名残の真実と言うものを、まさに今の我々日本人に切々と伝えようとしているものである。私はこれをして古代神道の名残であると言っているのであるが …… !!!。

 調べて見ると、プータンは世界でも最も古い仏教国であり、その国の歴史はインドよりも古く、考古学的には数千年前から人々は住んでいたと言われている。 
 住人は今でも日本と同じようにアミニズムを信奉しており、昔は、それをポン教と言い、その仏具が、あの有名な
摩尼(マニ)車」なのである。  
 
 ポン教―― 日本教、 シンドー教(シンズー教とも言う)――神道教、 何と無く、日本の神道を思い出させ、連想させるものではないか …… !!!??。
 そのシンドー教、何と、今では12億人以上の信者を抱え、世界の3大宗教の一つになっているのはあなた方も知っているであろう。 


 そのようなことを連想していると、なんか、頭がこんがらかってきた、あなた方も、考えて下され……!!!。 
 なんせ、仏教を開いたお釈迦様は日本に来て学んで開眼したのがBC,1044年であり、それからインドに帰って仏教を作り上げたと竹内古文書にはシッカリ記されているのである。そのことは是非、頭に入れて置いて、決して忘れないでもらいたい …… !!!。

 要するに、すべての宗教の「教えの理」は古代日本の国から広がったものなのであり、日本が発祥の大元の地なのである。ただ、口さがない外国の民衆により、自国発とされているだけなのであり、人の好い日本人はそれを信じて来ただけなのである。その手法は、過去に散々味を占めて来た中国や韓国が今でも盛んにやっているではないか …… !!!。 あなた方はすっかり騙されているのである、まことにしょうが無い話である。
                                   
 また、
その事実を言っていたのが、あの聖徳太子であり、彼の残した言葉である。

 その言葉とは、すなわち、「わが日本は種を生み、震坦(中国)は枝葉で、天竺(インド)は果実に開く、故に、仏教は万法の果実たり、儒教は万法の枝葉なり、そして、神道は万法の根本たり」の言葉である。

 何と、何と、あの聖徳太子はすべての教えの発端は古代日本から始まったと言っていたのである。しかし、今の日本人は誰も知らない、夢にも思うこともない、まさに、その様は哀れの一言に尽きるものである。


 さて、このあたりで前述した「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の一端を紹介しておこう。
 要するに、それが、自然の本性、すなわち、「自然の理」、「自然の摂理」と言うものであり、それらを全員が揃って唱えながら、大いなる過去から現在に至っているのである。しかも、すべてはストレートであり、まさに、「神の叡智」の現れと讃えてもいいものであり、我々日本人はこぞってぞっこんなものである。

 さてさて、そのようなことを、ただ、口で言っても空事(
そらごと)としか感じないであろうし、何のことか判らないであろう、すべては「数」が語っている事実であり、「数」を見ながら目と心で検証することが肝心である。
 とにかく、その素晴らしいい形と意味のある姿を見てから、それぞれの心と知で判断してもらいたい。
 
 これらすべては目を用いながらも、心で見るものであり、心で感じるものである。 要するに、そこにある姿、形と言うものをあなたが今まで培かった学知等ではなく、ただ素直な直観と自然な感性だけで見てもらいたいと言っているのである。 それは、すなわち、まだ何も知らない生まれたばかりの幼児の目、すなわち、生まれたばかりの素直な目、わだかまりの無い純な心でシッカリ見てもらいたいと言うことでもあるのである。

 
 これらは「神の数学」に好奇心を持っている皆々様に毎月2回送付している「神の数学」の資料、すなわち、「神々のノート」からの引用問題からの出題であり、大変、易しくて難しいものである。しかも、それらを読むためには純な素直さとある程度のヒラメキと慧眼が要求されるものである。 また、それは余程の「数」に対する好奇心か、「現代数学」に対して疑問を抱いている特別な御仁だけが探索出来る「秘密の花園」と言ってもいいものであろう。これはまさに「世紀の発見」であり、人類の知を先送りする驚くべき「日本の叡智」でもある。
 その存在を日本民族に広く披露し、その真実を問おうとしているのである。 
 さてさて、心のご準備は如何かな …… !!!。
 
 そこにはまったく我々には理解の出来ない「自然の真実道」と言うものが様々な形で紹介されているのであるが、すべては易しいながら我々が目を剥くような数多の「神々の秘儀」が揃って、ものを申さんとあなた方を待ち構えているのである。まあ、そんなことを言っても、今の世の中、誰も信じようとはせず、笑い出すだけであろうが …… !!??。

 私の見立てでは、その内容は現代の超物理学理論である「超ひも理論」や「量子力学」を超えているもの、
すなわち、それが古神道の「カムナガラの道」であり、それを語り、教えているのが「神の数学」なのである。
 何故ならば、「カムナガラの道」は波動関数的な姿を見せながら、かつ、自然の律理の存在とその動きと言うものを「数」の形でもって見事に表しているものであるからである。 あなた方は知らないであろうが、「量子力学」の本当の名前は「波動物理」であり、呼び方が違うだけであり、この2つはまったく同じものなのである。

 要するに、自然の持つ波動は本来9種類存在しているのであり、そのどれらの二つを加算しても、あるいは減算しても、その答えは、そこにある「カムナガラの道」の9種類のいずれかに必ず戻り、もとの完全な自然波動の姿に還って行くのである。そこから察するに、中国の陰陽5行説等は、まさに「カムナガラの道」の内容そのものであり、その内容にいささかの違いも無いものなのである。
 誰か、志の有る者はそのあたりのことをジックリと調べて公表して見てもらいたい。
 恐らくは、天下の諸賢を唸らせることになるであろうから …… !!!。

 疑うなら、自分の手で試してみるがいい、とにかく、小、中学生でも出来るような簡単な事であるから……。

 「神の呪文」は、すべて、「数」で示されているものであり、その答えは勿論、計算や形態によりシッカリと示されているものである。しかも、それは調和がとれて、心に響くものであり、目にも優しく美しく、また、その姿は幼い子供でも判るような易しい形を取っているものなのである。それが、すなわち、心の琴線に響く「神の調べ」と言うものであり、我々の心に安堵感をあたえて、見る度に心を休ませて和やかにしてくれるものなのである。
 
 要するに、

  @ それらは、その数形態の順序と言うものを正しく追っているものであり、、または整然とした美しい形、素直な連続的な姿を持っているものであり、それを見ているだけで心が休まり、自然に頷け、ほほえましく    もなるものでもある。それに比べと、「現代数学」にはスミノース的な要素、感じ等は何もない。
    
  A 「数」と言う言葉を使って、「詩」や「物語」、あるいは「音楽」のようにを人々の心を引き付けて
    やまないもの、その上、何となく、我々の常識等には理解されそうにないものでありながら、心では    何となく引付けられ、常に心に残つて響き合うもの、それが本当の「神の秘儀」と言うものである。

  B 現代的な頭では、合点がいかないが、何となく、スミノース的な匂いをさせて我々の心を引き寄せて    止まないもの、それが「神の秘儀」であり、何時見ても我々の魂を揺るがし、心を騒がせるすものであ    る。

  C 次の問題の答えに、なんとなく心が曳かれると感じるのは直観が甚だ優れている方々であり、少々洞    察力を磨けば「神」の思し召しに叶うような真(
まこと)の心を持っているような御仁達と言えるであろう    。是非、自覚心に目覚めて心を鼓舞してもらいたいものである。

 さて、さて、一つ小手調べと行こうではないか、頑張って真実を突き止めて貰いたい、とにかく、「現代数学知」は傍らに置いて、ジックリと考えながら数の本質的な正体を心でシッカリ見る、そうすることにより、何となく安堵感を感じる、それが大切なことである。

 例題 (1) これらは「神のノ^ートAの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。
   
1−0=1  2−0=2  3−0=3  4−0=4  5−0=5  6=0=6  7−0=7  8−0=8  0−0=0
  
 2−1=1  4−2=2  6ー3=3  8−4=4  1ー5=5  3ー6=6  5−7=7  7ー8=8  0−0=0
  
 3−2=1  6−4=2  0ー6=3  3−8=4   6−1=5  0−3=6  3−5=7  6−7=8  0−0=0
  、
4−3=1  8−6=2  3−0=3  7−3=4  2−6=5  6−0=6  1−3=7  5−6=8  0−0=0
   
5−4=1  1−8=2  6−3=3  2−7=4  7−2=5  3−6=6  8−1=7  4−5=8  0−0=0
   
6−5=1  3−1=2  0−6=3  6−2=4  3−7=5  0−3=6  6−8=7  3−4=8  0−0=0
           …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる …… 何となく、ここには法則があって、それにより「数の序」が
                 シッカリと結ばれているのであるが …… !!!。すべては順を追った数の並びそのものである。

  どうであろうか、縦、横、斜めの数の答えの整然とした並び
に何となく、スミノース的な匂いが感じられないであろうか…!!?。
  これを「現代数学」で計算をすると、何と、めちゃくちゃな数の並びになって「答え」として出てくるのであり、それ故に、「現代数学」では正常なものではないと、ただただ、捨てられるだけなのである。要するに、あなた方の目は節穴だらけと言っているのである … !!!。



 例題 (2) これらは「神のノ^ートBの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。

        1−0=1  2−1=1   3ー2=1  4−3=1  5−4=1  6ー5=1  7−6=1  8−7=1  0−8=1
       2−0=2  4−2=2  6ー4=2  8−6=2  1ー8=2  3ー1=2  5−3=2  7ー5=2  0−7=2
       3−0=3  6−3=3  0ー6=3  3−0=3   6−3=3  0−6=3  3−0=3  6−3=3  0−6=3
       4−0=4  8−4=4  3−8=4  7−3=4  2−7=4  6−2=4  1−6=4  5−1=4  0−6=4
      5−0=5   1ー5=5  6ー1=、
5  2−6=5  7−2=5  3−7=5  8−3=5  4−8=5  0−4=5
              …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる……

 これは要するに、「自然数学」、すなわち、九進法による答えであり、十進法では解くことは出来ないものである。そのつもりで考えて見てもらいたい。ここにはマイナスの数は一切無いことに留意のこと …… !!!!
 よくよく調べてみるがいい、この中には甚だ興味深いものが数多あるはずである …… !!!!。
 まずは地道にこれらの計算を「現代数学」で行い、その答えと上記の「カムナガラノ道」の答えを合わせ比べをしてもらいたい。
 その上で、自分の手と心で審査検証する、ただそれだけである。これらが判れば、あなたもヒラメキを持っていると断じてもよかろう。
 これが「自然の数学」、すなわち、形而上数学の答えであり、まさに、正しいものであることは「神の数学」の他の解答類から見ても間違いの無いものである。 さて、さて、あなた方が大笑して、てこれらを捨て去るか、それとも私が笑ってあなた方を迎えることになるのであろうか …… !!!。
  はて、はて、 … ??、 恐らくは、あなた方は大笑いしながら、捨て去る方であろうが、 ハー、ハー、ハー、…… !!??。

 
 さてさて、これらの数の並びは、甚だ、興味をそそるばかりのものであり、心が癒される感じがするであろう。それが、自然であり、素直な心の持ち主、自然的な頭の持ち主だけが感じるものなのである。
 一体、何故、このようにスミノース的な匂いをさせながら、「数」は登場するのであろうか…!!??。
 はて、はて、この計算はあなた方のような優秀な頭の持ち主にはにはには到底判らないものであろう …!!??。だだし、ヒラメキのある御仁は別である。
 
 何故ならば、すべて、「9進法」計算によるものであり、マイナスの数などはまったく無いものであるからである。これが「自然の数学」の形態であり、自然的な「数の真実の姿」と言うものである …… !!!。
 何回も言うが、「マイナス数」とは「あの世の数」であり、「この世の数」である「プラスの数」とは存在している場が180度異なっているものなのである。その事実を知らず、「現代数学」は同一空間軸に置いて計算しているので正しい答えが出せずに呻吟しているのである。それを知らない極楽トンボが現代人であり、「現代数学」なのである。それを図にして作っ本人が、あの数学史上で有名な哲学者で有名なルネ・デカルトである。
 彼は、自然の対称性の意味を取り違えて、動的、すなわち、連続的な対称性を考えたのであり、それがあの有名な「デカルトの座標図」である。しかし、本来の自然の対称性とは、静的な重ね合わせ対称性であり、それが自然の本来の姿そのものなのである。これらのすべては古神道の「カムナガラの道」から学んだものである。
 これらの真実を知って考えない限り、何時まで経っても自然の真実は明かされることは無く、また、我々の知は何時まで経っても 進展等は一切無いものである。そのことだけは是非知ってもらいたい。
 
 これらすべては直観的で、かつ内的な感性にて感じるものである、そのあたりを、あなた方の直感に訴えながらシッカリ考えてもらいたい。とにかく、宇宙自然界にはマイナスの数などはまったく無く、すべてはプラスの数により成り立っている事だけは、是非、知ってもらいたい。要するに、マイナスの数が現れた場合には、それをプラスの数に直してから計算を始めなければならないと言うことなのである。
 その証拠が欲しいのならば、是非、上記2題の簡単な計算を「現代数学」で答えを出し、「神の数学」の答えと照らし合わせてみることである。それは小学生でも出来るような簡単な問題であると言って置きたい。
 
 さて、どちらの流れがスムースであり、かつ、スミノース的な匂いを発しているのかはお解りになるはずである。とにかく、自然の数の流れを示しながら見事な整数体系列を持って、我々の目を引付け、心に響き合うものが本物の自然の数学体系と言うものなのである。
 
 甚だ興味があると考う皆様が多ければ、毎月、これらの問題を少しずつ提供してもいい、まあ、皆さん次第であり、皆さんが大いに望めばの話である。
 
 これらは「神々のノート」からの出題であり、このような易しくて高度な「神の語り」、「神の秘儀」が現在、数多姿を現わして、我々に真実の存在を伝えているのであり、しかも、現在、それが進行中なのである。
 更には、もっと興味深い「神の知」の核心に迫る数多の「神の秘儀」を数多用意しているので、要望がありさいすれば、何時でも忌憚なく提供していくつもりである。


 今のところ、意識による「天の岩戸開き」により、全部では40ヶ近い「神の秘儀」の存在を確認しているので、それらを約1年間かけてあなた方に閲覧してもらえるように頑張っているのが「神々のノート」であり、約1年かけて皆さんにお配りしている最中である。それらはすべて、「天の岩戸」を意識で開いた時に現れた「神々の秘儀理」と言うものであり、私の推察する所では、恐らく100ヶはあるだろうと思えるものである。
 
 要するに、それらすべてを事細かく「神々のノート」に記載しながら、あなた方のお手元に私の出した「本物の答え」を届けている最中なのである。とにかく、目が点になるのは確かなことであり、心がますます知的にナーバスになり、宙を躍ることは請け合いである。また、同時に面白いこと限り無いものでもある。

 まあ、これらの事実が世界に広まりることにより、日本民族の知の優秀さは、改め知られることになり、益々、日本の国の株は上がって行くことになるであろう。正に、弥栄、弥栄であり、やっと、正式に日本の国が昔から、素晴らしい、神々に愛されて来た国であることが世界中に知れ渡ることにもなると言うことでもあろう。

 とにかく、これからは日本の国力、日本の叡智が世界を動かすことになり、世界中が日本と手を結ぼうと懸命に努力するのは間違いの無いことであり、日本はあのアインシュタインが言っていた世界の盟主国となると言うことは間違いの無いことである。
 さあ、我々日本民族も期待を裏切ること無いように心を磨いて行かなければならない。
 恐らくは、この令和の次代がその分岐点になることは間違いの無いことではあろう。
                                      
令和5年4月3日 記す


 
  実相 「天の岩戸開き」≪2の巻≫


 

 2回目の「天の岩戸」を意識で開いた結果について、その後の様子をジックリと述べることにしたい。

 それまでの古神道の太祝詞である「カムナガラの道」は平面的な数の示しであり、現代の物理学でも内容を十分に把握することが出来るものであるが、今回の意識で開いた
「カムナガラの道」は、何と、驚くことに、空間的な「量子力学的な構図」を持っているものであり、現代の我々には少々手が出ず、すこぶる重々しく感じられるものである。何故なら、そこでは「数」が色々と囁きながら、我々の知らない驚くべき「自然の大律理」、すなわち、「神の秘儀」の存在と言うものを囁きながら、我々に授けようとしている気配が見えるからである。

 例を申し上げよう、今の我々の知では、従来の天照大御神である「カムナガラの道」の図の中から3次元の我々の世界を引っ張り出しても、「カムナガラの道」の図からは9ヶの「3次元の平面世界」が見い出せるだけであろう。
 それがすなわち、「現代物理学」の知であり、その限界と言うものである。しかしである、量子力学的な見解、すなわち、意識の力で、もっと出来るだけ空間的に細分化し、量子学的に見た場合、そこには何と驚くことに、100近くの「3次元の世界」が出現し、内容的にはそれらの存在意義や、囁いている内容さえも十分に確かめることが我々にも出来ると言う驚くべき結果が見られることになるのである …… !!!!。
 それが、すなわち、
令和の「天の岩戸開き」と呼ばれている不可思議千万な神知的な大いなる現象なのであり、私が学んでいる古神道の「カムナガラの道」から飛び出した驚くべき大いなる「神の図」なのである…。。。

 要するに、この「カムナガラの道」から生まれた100近くの子供たちは、何とも摩訶不可思議な呪文を唱えながら数万、数千年の間、ただただ無為に時を過ごしながら、いろいろな時代を経て来たのであるが、悲しいことに、今までそれに気が付き、シッカリと開いて学ぼうとする者は誰もいなかったと言うのである。
 それでも、やっと、ここに来て、不審に感じ、それらの一切を調べ始めた身分の低い私のよう不埒な者が現れて、遅まきながら、今、やっと「神々」達は安堵し、心おきなく眠れると言う状態にあるのである。まあ、少々遅きに失した感はあるのではあるが …… !!!。

 また、最近は天照大御神は男神であると言う失礼なことを言う者がいるのも困ったものである。しかし、それは御覧の通り、100近くの子供たちが腹中にいて驚くべきことを口々に唱え合っていることから見ても、天照大御神は女性神であることが判ろうと言うものである。要するに、昔からの由緒ある口述こそが正しいものであり、まさに神話の伝えていることが正しかったと言うことが判ろうと言うものである。

 更に、驚くことに、この「カムナガラの道」の子供たちの「3次元の世界」の仲間には目には見えない不可思議な「幽霊次元」と言うものが数多共存状態で存在していることが、つい最近、令和にになってから気が付き、我々が存在するはずの無いと思っている「幽霊界と言う存在象」とは噂ではなく、すべてが事実そのものであり、実際的に存在し、遭遇可能あり、調査も考えようによっては可能なものであることが判って来たのである。
 その仔細一切が事実であることを、これらの「図」と「数」により完全証明が出来るような現在であり、誰でもその気になれば自分の手で、何時でもその証明が可能になると言うものなのである。
 それらを私は称して、意識により拓かれた
「新たな空間的な世界」の出現、すなわち、意識による「天の岩戸開き」と呼んで、その一切次第を懸命に調査研究しているのが現在なのである。 
 
 それが、まことに恐るべき「空間的な量子力学的な世界」の出現であり、その仔細一切、証明の一切と言うものが、私の毎月出している
「神々のノート」の中ににシッカリと記載され、明らかにされているのはあなた方も十分にご承知のことであろう。まさに、それは歴史的にも大変重要な記録であり、人類初の「神の叡智」の記録と言うものである。しかも、それは理論上、または計算上、当を得たものであり、それにより、まさに倒れるばかりの古神道は完全に息を吹き返し、改めて、「世界神道」、「宇宙神道」へと昇華進展を始めることが可能になったのである。 ただし、それだけの俊才英才が神道界に現れることになればの話であるが …… !!!!。まあ、現在のように古い仕来たりのみを懸命に追っているような状態では到底無理なことであろう。

 しかもである、今回の「カムナガラの道」を意識で開いた場合には、何と、そこには100近くの「3次元の世界」が現れて、繰り返し、繰り返し、声を揃えながら、また、手を替え、形を変えて様々な「真理の呪文」を連唱し、本当のあるべき「自然の真実理」、すなわち、「自然の理律」を我々に告げようと懸命になっていることが判って来たのである。 まさに人類史上の一大事が、現在発生中なのである。
 
 これが学者達の言う「量子力学の世界」の姿そのものであり、一種の「意識の世界」の開眼の始まりであり、一つの「量子力学」的、または「波動力学」的な世界の現れの現実的な出現と言うものなのである。
 恐らく、それは物理学者達が言う「パラレル・ワールド」と言うものであり、前後左右に厳とした規則をもって広がっている「大いなる未知の世界」、それがすなわち、空間的な自然界の現れと言うものなのである。
 しかも、それは現在、バランスが崩れた状態で姿を現わしているのであり、そのバランスを補正して、正しい次元関係を作り上げているもの、それが「見えない次元」であり、我々には「見ることも」、「察知する」ことも出来ない「幽霊次元」と言うものなのである。そのあたりについては、いずれ近い中に、すべての詳細をこのぺ−ジの中で明らかにしていくつもりであるが …… !!!。
 
 まあ、そのあたりについては、ひとまず、この「カムナガラの道」の表を見ながら考えて見て欲しい、ヒラメキの鋭い方は恐らく判るはずである。 現在、
学者達は「宇宙は9次元か、10次元かについて検討を始めて、久しいようであるが、その本当の答えも、この「カムナガラの道」の表にはシッカリと回答が示されているのであるが …… !!!。 何と言うこと、誰も気が付く者はいないようである…!!!。
 いや、もっと観察眼と洞察眼の鋭い方は、ひょっとすると、この中から「幽霊次元」の存在を嗅ぎ当てて20ヶ近くの「見えない次元」の存在さえも、見つけ出してしまう事もあるかも知れない、一つ、頑張ってもらいたい。
 
 また、この「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の数(種類)は100近くあるであろうが、残念ながら、私一人の手に負えるもの、すなわち解明出来たのは今のところ、40くらいなのであり、残りは未だ手つかず、悲しいかなそのままの状態にあるのである。
 近いうちには何とかしなければならないと、しきりに焦っているのであるが …… !!!。
 
 その検証結果を小々紹介して見よう、何と、驚くことに、この100近くの「3次元の世界」はすべては母親である「カムナガラの道」のDNA(遺伝子)を受け継いでいて、それらは母親と同じことを口々に叫んでいるのである。しかし、学者達はそんなことがあるはずが無い、出鱈目であると大きな声で反発し、大笑いするだけである。
 まさに、度し難いことであり、自らの自然知に対する無学さを暴露しているようなものである。
 要するに、母親の「カムナガラの道」が、「すべての本性は0であり、無である」と叫べば、100近くの子供達も同様に口を揃えて「すべての本質は0であり、無である」と答えているのが、誰にでも判ることなのである。
 その様はまことに圧巻であり、見事なものであり、手を打って心から喜び,踊り出したくなるものである。

 また、最近、正体不明な「数」と言われている 147、258、369の数はこれらの「3次元世界」創り上げている90ヶの子供たちの持っている各図の対角線そのものの姿である。要するに、それらの二つの対角線の一方の90ヶのすべては、1,4.7,で作られているのに対し、もう一方の90ヶ対角線のすべては 2、5、8、で作られていると言う驚くべきものものなのである。しかし、その意味する所、すなわち真実はまったく不明なのであり、何かを訴えているのは間違いの無いことなのであるが …… !!!。
 これらの二つの対角線は対逆的な性質を持っていることを知ってもらいたい。 要するに、対角線とは対逆的な関係にあるものなので、一方を反対(逆さ)にして加算するとすると、あら不思議、258+741=999になって0になり、初原の0に戻って弥栄となるものなのである。
 とにかく、147,258、360の数は宇宙波動の重要なものであり、基本的な宇宙波動数列と言はれているようであるが、そのあたりのことは、あの有名な科学者であった二コラ・テスラも言っているようである。

 また、あなた方は弥栄の本当の意味を知らないようであるが、弥栄とは9になり、すべては整えられ、満タンになった(完成された)と言うことであり、また、同時に、それは0にもなり、すべてを満足させ、完全完成に至ったと言う事でもあるのである。最近の宇宙物理学は「宇宙の本質は0である」と言っているが、まさに宇宙は全体的にシッカリまとまっていて全体的な本質は0に納まって、永遠を謳歌し、未来永劫な姿を示しているものである。そのあたりのことは古神道の「カムナガラの道」を計算すれば誰でも判ろうと言うものである。

 要するに、9になると同時に、それは0でもあると言うことであり、9の数を頂点とした循環世界の存在こそが、本当の自然世界の実体であることを、懸命に告げているものなのである。
 我々の持つ「現代数学」は直線数学であり、果て(
終焉)をもつものである。しかし、「神の数学」は循環数学であり、、果て(終焉)は無く、永遠な姿を持っているものである。それは自然も同様であり、果ての無い永遠を紡いで永劫を誇っているものである。
 
 また、死は同時に誕生であり、改めて生への出発点となるものであると「カムナガラの道」は囁いているのも甚だ興味深いものである。要するに、死は単なる生への一里塚であり、改めて始まる生への単なる出発点(分岐点}でもあり、生命循環の基本そのものなのであると「数」はいみじくも言っているのである。
 
 そのあたりのことは「あの世からの生還者」達が言っていることと、まったく同じものであり、これらの「数図」で調べても、まさにその通りなのである。そのことが、私が常々言っている、3次元世界の数図の前後左右の数を合わせ、それを整えて一つの「数図のピース」を作り、それをバランス的に不足している場に置けば、なんと、それは驚くことに、「数」はぴったり合って、すべての筋が見事に通り、まさに実存状態に入り、活動をし始めると言うのである。
 それがあなた方の好きな筋が通る、「神」の域に入ったと言うことであり、理論通りに「神の道」に入ったと言うことなのである。「神の道」に入る…??、何を寝言を言っているのか、と怒鳴られそうであるが、そのような方は、是非、ご一報願いたい、実物の存在をしかと、お目にかけようではないか …… !!!!。
 
 また、それが、まさに「幽霊次元」の存在とまったく同じ、由緒のものであり、我々の目を見開かせて止まないものなのである。確実な「見えない世界」の存在を懸命に教えてくれるものである。
 また、同時に、虚次元的…??な存在体の実在と言うものが新たな視界に入って来たと言うものでもある。
 まさに吃驚仰天の世界であり、我々の知の足りなさを痛感するだけである。

 それにしても、この古神道の太祝詞である「カムナガラの道」とは、一体何なんであろうか……!!!。
 我々の持つ「現代知」を遥かに超える「超叡智」を自在に操りながら、我々の「現代知」の次元の低さを、ただただ嘲笑しているのである。さてさて、はてはて …… !!!????。

 その確定的な証拠立証を、何と、古神道の神髄である「カムナガラの道」がとうとうと述べ、かつ実証しているのである。何と、驚くべきことなのであろうか …… ただ、ただ感極まり、号泣するだけである。
 

 何と、驚くことに、昔の人々が語り継いできた「輪廻転生」は真実そのものであったと言うことであり、死から生へと、生から死へと、我々の生命的な回路は丸い円の上を生死を繰り返しながら、巡り、巡っているものなのである。要するに、死とは永遠なものではなく、すぐまた再生してこの世に再び戻って来て活動出来るものと認識すべきものと考えてもいいようである。
 その事実を「カムナガラの道」は素直に歌い、教えているものなのである、はて、はて、 …… !!。。。
 
 もっとハッキリ言えば、死んでも意識はまったく同一な状態で新たな肉体{
ボデイ}をまとって生まれ変わる、 それが古から言われている輪廻転生の本当の姿であり、それはまさに正しい言葉であったと言うことである。 その驚くべき事実をいみじくも3千年前に存在していた古神道の大祝詞である「カムナガラの道」が言っているのである。まさに驚き、桃の木と言うものである。
 
 もっと、真実を突き止めようと思うならば、本来、我々が本能と言っているものは、我々が何千回、何万回と言う生死のはざまで繰り返し覚えて来た経験則そのものであり、決して、DNAなどに組み込まれて自然発現しているようなもの等ではないと言うことなのである。
 
 どうも、「カムナガラの道」の「数」の走りから推測すると死んでから生まれ変わるまでは、何と、約、10年くらいのように思われるのであるが、ただし、人生100年と考えた場合に、その十分の一くらいと言うことであり、早逝した者はそれより早く生まれてくるようである。
 あなた方もご自分の手で検証して見ては如何かな、…!!。
 それは「カムナガラの道」を調べることにより、誰でも十分に納得することになるのであるが …… !!。

 古神道の神髄、神道の神典である「カムナガラの道」はそこまで詳しく述べているのであるが、いかにせん、
形而下の学知である「西洋知」にぞっこん夢中な日本人は、形而上の学である「古神道」等には見向きもせず、ただただ、一段下の西洋知に溺れてその先棒を担いで満足しているのである。哀れと言えば、哀れでもある。
 
 その検証方法は資料さえ見れば、誰にでも解るような割合に簡単なものであり、一目瞭然なものである。
 それは例えて見ると、子供たちが遊んでいジグソーパズルのようなものであり、ヒラメキと少々の洞察力があればピタリと真実を抑え、本来の真実を知ることが出来ると言うものである。それらすべては古神道の「カムナガラの道」語る事実であり、少々の知識とヒラメキが有れば、日本民族であるならば、誰でも作り上げて開示することが可能なものなのである。
 
 ご連絡頂ければ、「カムナガラの道」の原図をすぐにでもお送りする用意が整っているので申し込んでもらいたい。遥か古代の超知識である「カムナガラの道」、それは古代ばかりか、現代の先端科学を凌ぐばかりのものであり、驚くことに生死の謎でさえも、詳しく「数」で描かれているものなのである。恐らく、これは神々の最高の秘密であり、いまや、それを人類に教えようとしている気配があるのである。しかし、いかにせん、余りにも、現代の常識から離れた、思いがけない知識なので、知に疎(
うと)い人類は受け取ることを頑なに拒否しているような有様なのである。要するに、現代の西洋知の程度では理解が無理なのである。
 
 それには別に、「現代科学」のような小難しい数式や記号などはまったく不要であり、僅かばかりの小学生並みの計算力と洞察力、それにヒラメキが有れば、それで十分なのである。その上、それは自然的な流れに沿ったものであり、しかも小難しい現代物理や現代数学の知識はまったく不要であり、あくまでヒラメキと少々の洞察力があれば簡単に判かるものであり、後はそれを利用して、不足状態にある一枚の見えないジグソーパズルのようなものを作り上げて、適所に置けばいいだけなのである。

 要するに、それを生まれる前の位置に置くことにより、すべては完成完了となり、生と死は繋がっているのは判るのであり、すべては円満に終わり、「あの世」と「この世」は、バランス的に繋がっていることがハッキリと見えて来ると言う状態になることが判るのである。
 
 とにかく、学者と言うものは、ただただ「現代科学知」は難しいことはいいことである、難解な言葉や記号を用いることはいいことである」と言って人々を煙に巻いているだけであり、それはただ、素人を介入されないように難しいものと言うバリケードを張っているに過ぎないだけなのである。
 何故ならば、難解な言葉や記号を用いることにより、小うるさい素人は一切口を出すことが出来ないようにしているのであり、我々の力だけで世界を守ることが出来ると宣って大見えを切り、満足しているだけなのである。
 また、逆に言えば、それ故に、知の一切の進歩、発展等は夢のまた夢となり、何時かは自滅することも当然なことと思えるのであるが…… !!!。しかし、彼らはそのあたりのことさえも頭には無いようである。
 
 また、ジグソーパズルのようなものとは一体、何と、はしたない言葉であろうかと思う方は、私の資料を一見しながら、説明を聞いてもらいたい、ただ、それだけで、あなたは十分に納得し、満足するはずである。
 それほど、至極当然であり、すべては了解の一言に尽きる自然の形そのものなのである。
 まさに、それはジグソーパズルそのものであり、一瞬のヒラメキと洞察力がものを言うのであり、前後左右の数の重なりにより、全体は簡単に決まって現実的な存在となって来ることになるのである。
 さあ、悩んでいるより、一歩踏み出し、「あの世」の存在を確かめ、自分の生き方を考える、それがあなたには出来るのである。
 
 しかし、この「あの世の10年」は単なる私の推測値であり、ハッキリと断言出来るようなものではない。しかし、色々な文献からも解るように、生まれ変わりの事実を色々と検証をして見ても、大体、普通の人ではそのくらいであると断言出来るのである。ただし、よほど因縁のあるような者は別であろうが …… !!!。 

 あなた方も、「カムナガラの道」の表を見ながら、この推測値を楽しんでもらいたい、死ぬことが楽しくなって来るはずであり、恐怖感などは一切何処かに飛んで行ってしまうはずである。
 あとどのくらい生きて、今生の生命は終わり、その後10年くらいで、改めてこの世に戻って来れると考えると死ぬことも余り苦にはならず、逆に面白くなる一面もあるような気がするのであるが、……!!!。 
 まあ、そのくらい希望を抱きながらあの世に御罷(
みまか)る、甚だ結構なことではないか……!!!。
 まあ、そのうちに誰かがハッキリした証拠を突きつけて結論を出してくれることであろうが、… !!!。

 
 その次第とは、すなわち、それらの90ヶの子供たちは連携した波動的な「3次元」の存在そのものは、一つの量子的な存在、空間的な存在となって両隣と上下に巧みに重なりながら、次から次えと繋がって延びて行っている事実が全体に見られるのである。 その重なり率は60%くらいなので、我々はそれに従って連鎖的に次の数図を順序よく作り上げて行くことが出来ると言うことである。また、同時にすべては中心を対称軸にして、上下と左右に対称的な関係を持って次々に伸びて行っていることが見られるのであり、それが重要なのである。
 恐らく、あなた方はそれを見れば、それは自然の法則には深い基本的な対称性があるからこそ、存在可能になっていることを知ることであろう。

 とにかく、すべての素粒子や自然の事象は対称的な関係を持って存在していながら、かつ、連続性を持って存在しているのであるが誰もそれには気付いていないのが現状である。
 
 なんせ、上下左右の重なり率が60%もあるのである。その重なりを上手に手繰って行くことにより、次の隣の数図はどのようなものかが推定が出来、確定に至ることが出来るのである。
 要するに、その重なりを利用することにより、もう一つのあるべき
「見えない実体実際にはそこには無いが、現実には存在するもの)」が計算により、シッカリした姿で浮上して来るのである。

 それは、まさに現代の最新物理理論、すなわち、量子力学が語っている素粒子の対称性の姿そのものであり、それはこれから、普及していく「自然理論」の先駆けとなるものになることは確かなことであろう。
 それは、恐らく、中学生程度の頭脳と探求心があれば、簡単に出来るものであり、これからは「現代物理学」を窓際に追いやって、まったく「新しい、新しい物理理論」を再構築することになることであろう。
 
 現実においても、今はそのシフト・チエンジの始まりであり、あと、20年か30年後には「現代物理学」は完全に窓際に置かれ、人々は目もくれない、見向きもしないような状態になるであろう。
 それは、4,50年前にあれほど権勢を誇っていた「哲学」が、今では完全に見捨てられ学ぶ者もいない有様を見れば判ろうと言うものである。所詮 人間知とはそんなものである。  ハー、ハー、ハーー 少々 口が(論が}過ぎるか、それならば、ごめん、ごめん 。

 私は、その見えない次元を称して「幽霊次元」の存在と言って楽しんでいるのであるが、その隠された「幽霊次元」が無ければ我々の世界はバランスが崩れて、もろくも崩れ去って成り立たなくなるものなのである。
 要するに、「幽霊次元」の存在こそが、自然次元のバランスを取っていて、均衡を保っているものであり、「幽霊次元」が存在しなければすべての存在と言うものは一瞬で無くなってしまうことになるのである。 
 そのあたりは「カムナガラの道」の詳細を極めると誰にでも判ろうと言うものである。
 要するに、古神道の「カムナガラの道」はそれほど偉大であり、奥が深いものなのである。
 恐らく、そのあたりは「現代科学」が束になって、かかっていっても叶わないものなのであろう。
 
 まさに、我々の世界は調和とバランスの世界,すなわち、「陰」と「陽」の重なりの上に成り立っているからこそ、永遠を誇って自然の回廊を巡って常に存在しているのであり、そのバランス関係が崩れると、すべては完全に崩壊し、存在不能になってしまうものなのである。そのあたりはシッカリ知ってもらいたいものである。
 
 そのことは、要するに、我々の現実世界でさえも幽霊界と言う「見えない存在」が有ってこそ、初めて存在可能になっているものであり、そのあたりから見ると幽霊の存在は当然なこととなるのである。このことはこれらの「カムナガラの道」の子供たちの「重なり具合い」から見ても一目瞭然なことであり、まさに現実的なものと言ってもいいものなのである。

 考えて見ると、今から、30〜40年前に、ニュース界に驚くべき激震が走ったのを、年配の皆様の中には覚えている方もいるであろう。何とNASAの宇宙物理学者が言うには、「
太陽の向こう側に地球と同じ公転軌道上を回るまったく別の地球が実在している、ただし、それは光の反射具合や、電波の乱れ具合により、時折、微かに姿を現わすだけであり、通常は見えないし、、姿を現わすことも無い、異次元的(幽霊的)な存在と言えるものである、と言うニュース通信記事であった。
 これは「見えない世界」の実在記事であったのであるが、しかし、今、この「見えない次元」の存在が数字により、確かめられることになれば、恐らくは新たなニュース、もっと確実な答えが、改めて飛び交うことにもなるであろう。ひょっとすると、新たな面白い局面の展開が始まるかもしれない …… !!!!。

 
 とにかく、これらの事実を出来れば、あなた自身の手でシッカリ確かめて、いろいろと検証した上で、あなたの手で世の中に出してもらいたい、それが今の私の望みであり、いま、最も希望している事である …… !!!!!。
 今の私は余りの出来事にただただ、これらの「神の言葉」を抱えてウロウロしている状態であり、10日に一回くらいの頻度でこれらの「幽霊次元」の資料を覗いて、ただただ溜息をついているような情けない有様なのである。何故なら、その「幽霊次元」の資料を改めて調べようとすれば途端に心が沈み、手が出せないような状態に落ち込むことになるのであり、そのたびに、また、次回に回そうと心が鈍るだけなのである、それが何回続いていることやら…!!!。あ、あ、情けない、何時になったら頑張ろうと言う気が戻って来るのであろうか …!!!。

 さあ、少し、歩を進めようとしても、今のところ心が言うことを聞かず、手が出せず、沈滞状態が続いているばかりであり、、毎日が塗炭の苦しみに苛(
さいな)まされながら、鬱々として時間が経つだけである。
 まあ、それでも、時が経つにつれて何時かは正常に戻ることは経験上、判っていることではあるが ……。
 さてさて、それは何時なのかが皆目わからないのが不安なのであり、精神的に参っているのである。
 しかも、現在、そこには、まさに汲んでも汲んでも尽きない数多の「神の秘儀」が整列して出番を待っているような状態であり、それを見る度に我が身のヒラメキと洞察力の足りなさと言うものが感じられて、ますます、心が縮んでしまうだけである。さて、何時になったらこのピンチから脱出出来る事やら …… さて、さて、……!!!。
 ひょっとすると、これらは我々人間に少々早すぎる「知」なのかもしれない、そう思えることも再々である。

 
 彼ら、すなわち、「カムナガラの子供達」は驚くべき色々な自然事実律の存在を口々に囁いているのであるが、そのあたりの事情も、是非、自分の手で確かめて見ることこそが大切なものであると思われる。
 とにかく、すべては流麗に流れて止まることを知らないもの、それが自然の流れであり、しかも、バランスを持って永遠に流れる永遠の流れと言うものなのである。しかも、その流れは一方ではなく、循環しながら永遠の中を巡り巡って流れて行く、力の尽きないの流れであり、常にバランスを取りながら神妙な形で流れていることを、是非とも、知ってもらいたい。
 
 そういえば、同じようなことを量子力学でも誰かが言っていたような気がするのであるが、知っている方は教えてほしい。確か、「重なり理論」とか言っていたような気がするのであるが、年を取り過ぎて忘れてしもうた。
 よく見てもらいたい、この古神道の太祝詞である「カムナガラの道」は見事なほどの「重なり理論」から成り立っている優れものであり、誰もが驚くような「重なり理論」を持っていろいろと我々の知らないことを語り上げているものである。論より証拠、この「カムナガラの道」の数図の真ん中を縦に折って重ね合わせて見るがいい、その二つ重なった数の合計は、すべて、9であり、0なのであり、陰陽の極値を示し、それが何かを教えているているものである。 また、真ん中を中心に今度は横に折って見てもらいたい、はて、結果は如何に…!!??。 それも、誰も知らない「神の秘儀」の一つと言うものであり、弥栄を示すものである。

 確か、それは神話にある「まぐあい」、それは、すなわち正面同士の重なりを指すものであり、完全なバランスの存在こそが確たる自然の存在を造り上げている事を意味するものである。また、その重なりの存在こそが、それら二つは結びつきはまさしく「陰」と「陽」の結びつきであり、正しい結合状態を指す言葉でもあるのである。 
  さて、さて、 お解りになるかの ……、はて、はて、 …… !!???。
 
 それによって見えない象である「幽霊象」は完全に存在していることは理論上完全に証明が可能なのである。見えないし、理屈に合わないからと言うのは学者達の詭弁であり、証明不能ゆえの我々に対しての騙し言葉と言うものなのである。 得てして西洋科学の真実とはそんなものである。 ハー、 ハー、 ハー、…… !!!

 また、その幽霊的な存在は死んだ後にそのままとどまっているのではなく、何と、生まれる前の位置にチャンと常に存在して、誕生を見守っているものなのである。しかも、それは没した時の姿形そのままの姿でその位置(
生まれる前の位置)に現れて見守りながらとどまっているものであり、まことに不可解千万なものと言ってもいいものなのである。
 要するに、それが、生まれる前の「見えない存在」としての本来の存在意義そのものであり、生へ向かうための予備的な存在、いや、確かな存在とも言う当然な自然の姿なのである。それが、すなわち、幽霊の本当の正体であり、これから始まる新たな生への準備的な第一歩の姿と言うものである。それはまさに、生へ向けての第一歩の始まりと言う自然の姿であり、今までの我々の知には完全に欠けていたものなのである。
 
 まさに、それが人々の「幽霊と言う象の存在」であり、現実的には見えないけれど、チャンと存在し、実在しているものであり、また、当然、自然の理から言えば、存在していなければならないものである。
 
 改めて言う、幽霊象、それは数と図がシッカリと示す通り、不可視ではあるが、完全に理論上存在していなければならないものである。また、実在的に存在しているからこそ、バランスが取れているものなのである。
 それが自然の法則と言うものであり、それを称して、我々は「自然の対称的な基本性」と言っているのである。
 それは申し上げた通り、ジグソーパズルのようなものと思って数を置き、しかもそれをバランスの取れる状態の位置を見つけて置けばいいのであり、間違いないことなのである。
 要は、易しいものであるが、現在の物理学などでは説明がつかぬものであり、新たな理論展開が改めて始まらない限り、一切は闇の中の存在である。しかし、量子力学の出現により大分、目鼻がついてきたようである。
 そうすると、西洋科学も満更盲目では無いようでもあり、これからの10年、20年が楽しみと言うものである。
 
 そのことを、「カムナガラの道」の90ヶの子供たちは語っているのであり、全体的な「数表」を検証しても、まさに、その通りなのである。 それ故に、正確に言えば「カムナガラの道」の子供たちは81ヶの(実在する存在)+18ヶの(幽霊的な存在)=99ヶから成り立っているものと言えるものかも知れない。
 また、その平面的な完成図を見ると、その4隅を占める幽霊図を見るとまったく同じ図であり、何かを言わんとしているようではあるが、今の私には検討し、調査する余裕さえも無いようなボロボロの心の有様なので少々余裕を戴きたいと思っている。何時かは仲間たちと共に検証し、改めて、答えを出して見たいと思ってはいる。

 そのあたりのことは、これからあなた方が、改めて検証して決めてくれるものであると申し上げて置きたい。 そのあたりのことについては是非、あなた方の手で再検証をして、確実なものにしてもらいたい …… !!。とにかく、易しものであると同時に甚だ、奥の深いものであることは是非、知って戴きたい。
 
 詳しいことは、是非、これらの資料を請求した上で自らの手と頭で検討し、その仔細全般と言うものを見てみてもらいたい。何故なら、現在の「西洋知」、すなわち、「神無し」の現代物理学ではそこまでの理解は無理と言うものであるからである。要するに、「神」の存在を認めていない「現代科学」が「神」を探す事には大きな矛盾があり、絶対的に探すことは不能であり、不可能なものなのである。そのあたりは常識で判断してもらいたい。
 とにかく、自分の手で検証し、自分の心で納得することが何よりも大切なことであり、今の状況では方法はそれしかないと言わざるを得ないのである …… !!!!。
 何回も言うが、ヒラメキさえ有れば、すべては小、中学生、高校生でも簡単に解るような易しいものであるとだけは言っておきたい。また、大変面白いものであり、学知などは一切不要なものである。

 甚だ、興味深い話であると感じた方は、出来れば、是非、来所してもらうことが望ましい。
 すべてを語りあかし、その上で疑念のかぎりを払拭してもらいたい。西洋の学が理屈で押し進むのならば、日本の学はヒラメキと直感で押し進んでゆくべきものなのであり、決して理屈には負けないものなのである。
 恐らくは、完全に理解するのは利発な御仁なら、1ヶにつき 1時間くらいで結末は着くことであろう。
 しかし、それを経ることにより、あなたは世界一の物知りになり、すべての迷いが吹っ飛ぶことになれば、それでいいではないか、ハー、ハー、ハー、 …… !!!。
 改めて、自分で考えながら右往左往し、頭を悩ませるよりも、その現物資料等を見ながら懸命に検証し、共に議論するほうが、自分で考えるよりもよほど手っ取り早いと思うのであるが、果たして、あなた方には如何に思われることやら …… !!!??。


 
 そう考えると、私が数十年前から呼びかけていた「ヒフミ祝詞」の肝心な最初には、あるべき言葉が欠けている、それ故に、いくら唱えても「神」には届かないと言っていたことは真実そのものだったのである。
 
 要するに、 ヒフミの最初の言葉である「ヒ」の前に肝心な言葉を添えなければ意味がないと言って世間を騒がしたのであるが、今になって、その真実が顔を出して、まさに真実であることを告げているのである。

 私は、当時、ヒフミの前に「カムナガラ」をつけて唱えると、「神」が感応して空気がピンと張り詰める、と言って笑われたのであるが、ここにきて、その証拠がありありと姿を現わしたのである。
 その証拠に、最初のヒィの子音はィであり、その前には子音がァである「尊い言葉」が絶対的に必要であると力説したのであるが、誰も耳を貸す者はいなかったと言う苦い経験がある。
 もう数十年前の話であるが、誰もその真意を探り明かそうとする御仁はいなかった。
 要するに、「カムナ」または「カムナガラ」の言葉を最初に付けると、「ア」の子音が発生し、すべては「アイウエオ」と子音が続いて
大団円となり、弥栄となるのであると言い、人々に勧めたのであったが …… !!!。
 
 要するに、カムナ、ヒ、フ、ミ、ヨー となって大弥栄に向かうのである。
 疑う方は大音上で数回唱えて見るがよかろう、空気の響きそのものが違うこと判ろうと言うものである。

 要するに、そうすることにより、子音は完全円満に「アイウエオ」と流れて完全完結を果たし円満具足となって
弥栄になるのであり、一切の不都合等はすべて消え失せ、自然の流れの中に完全に身を置くこととなって無心の境地に入ることになり、一切の邪念は消え去るのである。 まさに、これこそは古代の知の円満な証拠であり、現代知には無い完全無欠の状態を語り上げ、表しているものなのであり、また、そこにある大意とは、すなわち「神の大道」であり、それは「カムナガラ」のアで始まり、ヒ、フ、ミ、ヨ、で終わり、更に続くものなのである。

 試みに、自分の手でやって見てもらいたい、それにより、古神道の真実と有難味が十分に判るはずであり、あたりの空気がピンと引き締まるはずであるから …… !!!。         
                                       (続く…)

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実相 「天の岩戸開き」≪3の巻≫