【TOPページ】  【超古神道物語】  【超古神道物語2】  【超古神道物語3】  【神の数学 平成編】




 【超古神道物語4】
  

  
[天の岩戸] 開けてビックリ玉手箱…!!??
 
何と、「現代数学」は基本に過ちがあり、あるべき「自然数学」とは相容れないものだったのである …… !!!。

 
実相 「天の岩戸開き」≪1の巻≫
                       
令和4年6月吉日

 
恐らくあなた方の120%は呆れ果てて口も効けない事であろう、それは十分過ぎるほど判ってはいる。
 何故なら、これは、まるでスッポンが月に向かって戦いを挑んでいるようなものであるから … !!!。
 
 しかしである、我々日本人の大切な心の御本尊とも言うべき古神道の「カムナガラの道」はそのように述べて止まないのも、これまた事実でもある。それは「現代数学」は基本計算において大きな間違いを犯しているのであり、それを早く糺(
ただ)さない限り 人類には未来はないであろう……!!!!、と叫んでいる事実である。それがまさに今、現在起こっているのであり、日本の神々がそう叫んで懸命に動いているのである。
 それを立証しようとして立ち上げたのが、この「神の数学」であり、宇宙自然の本当の有るべき本当の「自然の真実」を懸命に伝えようとして叫んでいる「数の仕組み学」の偽りの無い姿なのである。

 要するに、「現代数学」は人知により作り上げられた一種の「似非(
えせ)数学」であり、それに対して、本来のあるべき「自然の数学」、すなわち、「自然の数理」は、宇宙を創り上げた「大いなる存在」が数百憶年、数千億年かけて創り出した究極の「数の仕組み」の大成集とも言うべきものなのである。もし、そこに少し、ほんの少しでも間違いがあれば、宇宙全体が瞬時に壊滅して、すべては終焉となってしまうような大切な、大切な「数の仕組み」、それが「自然の数理」と言う絶対的なものなのである。
 
 何と驚いたことに、その本筋、すなわち、「自然数理」のあるべき本質を伝えているものが世界に一つだけ残されているのであり、しかもそれは世界で最も古い文明を持つ日本に遺されているのである。
 それが古神道の神髄を伝えている「カムナガラの道」、すなわち「ヒフミの大道」なのであり、まさにそこには夥(
おびただ)しいあるべき本当の「数の仕組み」の姿が数多見受けられるのである。
 それが、長年の間、私の心を芯から揺るがして、急げ、急げと懸命に騒ぎ立てて止まないのである。
 しかもである、誰が知ろうか、何と、驚くことに、それらすべては小、中学生でも簡単に理解が可能な姿であり、まさに自然が長年かかって作り上げた「自然の大道」の姿そのものと言うべきものなのである。

 僅か、数百年の歴史しか持たぬ「現代数学」がいくら藻掻いても、藻掻いても追いつくことの出来ないもの、それが「形而上の数仕組み」、すなわち、古神道の神髄である
「カムナガラの道」から現れ出た「神の数学」の姿であり、宇宙自然の本質を説いているものなのである。 私はそれを調べ、検証を始めてから、もはや30年以上になるのであるが、今でも毎日が驚嘆の嵐であり、溜息の日々が続いている有様なのである。まずは、毎日が修練の場であり、息もつけないような真剣勝負の場が続き、まさに心と体が悲鳴を上げて上げているような状態が長年続いているのである。
 とにかく、調べれば、調べるほどに「現代数学」の意味のない内容が目について、やるせない気持ちで、ただただ毎日が悲嘆の中に明け暮れているような状態なのである。
 
 本来の自然の姿のすべては調和とバランスがとれて、均衡状態から成っているものであるが、「現代数学」はそれを無視し、人知の意のまま、欲望の行くままに作られているものであり、それ故に、
天地の法調和とバランス)等の存在は完全に無視し、疎外状態にある状態、 それがまさに「現代数学」の現実の姿なのである。

 要するに、有るべき「自然数理のバランス」、すなわち「陰」と「陽」のバランスが完全に無視されて人間の欲知の赴くままに作られたもの、それが、我々が何時も用いている「現代数学」の本当の姿なのである。
 本来、自然の諸様相とはすべて「陰」と「陽」のバランスがピタリと合って初めて成り立つものなのである。
 
 我々は、その不可思議極まりの無い「現代数学」を用いて自然の本来のあるべき「数」の正体を探ろうとしているのであるが、それはまったく、現代のような有様では無理な話と言うものであり、それ故に、「現代数学」はますます複雑と混沌の世界に入ってしまい、もはや、抜き差しの出来ない状態になっているのである。
 要するに、「自然の数学(
神の数学)」はシンプルで易しいものであるが、人間の作り上げた「現代数学」は人間的な理屈で作られた上、更に理屈で捏()ね上げられている故に、あるべき自然の法則とはまったく噛み合わず、大変難しく、かつ、複雑極まりないものとなっているのである。
 恐らくは、その多くは神々が懸命に頭を絞っても解くことは出来ないであろう。  ハー、ハー、ハーー。

 確か、そのあたりのことは天明さんの
「ヒフミ神示」も言っているはずである。

 そこには
「フトマニ」、すなわち、「カムナガラの道」とは「大宇宙の法則」であり、秩序を示しているものである』とか、または、『「秘密の仕組み」は「ヒフミの仕組み」ざぞ、はようヒフミを唱えてくれよ、ヒフミ唱えると岩戸が開くぞ……!!!と叫んでいる悲痛な叫び声等で溢れている様子がシッカリと書かれている。。。。。

 今になって解ったのであるが、確かに「カムナガラの道」は「秘密の仕組み」はヒフミの仕組みであり、
神の心をそのまま表している
「神の息吹」そのものなのである。
 
 その後の言葉も、まさにその通りの展開そのものであり、ただただ、驚嘆と嘆息があるだけなのである。
 それが、『
「123(ヒフミ)」の御用が済んだら、345(ミヨイツ)のご用にかからなならんから,早く「123(ヒフミ)」の御用してくれよ」と言う催促言葉であり、懇願懇請文句等の語りである。 …… !!!。
 要するに、その
「123(ヒフミ)の御用」とは、「天の岩戸」を意識で開くことであり、その次にある「345(ミヨイツ)のご用」とは、「天の岩戸」を意識で開いた後、その先に出現した驚くべき「量子力学的な世界多次元世界)」、すなわち、「カムナガラの道」から現れ出た数多(100近くの「3次元世界」)の実質的な検証と、その開眼を人類のために行って欲しい、と言う、まことに切なる「神々」の願の言葉であり、その要望なのである。

 また、
そこには「道理も判らず、理屈ばかり申しているが、理屈は外国のやり方、用意なされよ、その中、上下にグレンとひっくり返るぞ」。「算盤の桁が違う算盤でいくらはじいても出来はせん」、「何時まで片輪車でトンテン、カンテンやっているのじゃ、…」、「科学にチョンを入れると宗教じゃ、チョンとは「数」であるぞ」、また,「フトマニ(カムナガラの道)は大宇宙の法則であり、秩序であるぞ、神示では012345678910示し、その裏には109876543210があるぞ」 …… と言い、更には「天の鈿女(あめのうずめ)が天照大神に奉った巻物には12345678910と書いてあったぞ」と言っているのも、甚だ面白い。。
 
 ところが驚くことに、何と、何と、
「カムナガラの道」0123456789で始まり、9876543210で終わっていることはあなた方も、とくとご存じのはずである。まさに、それは「先代旧事本記」にある「天璽瑞宝十種(あまつしるし-みずたから)であり、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天降りする際に、天の神々から授けられたとする。十種の神宝の内容そのものなのである。何と、古代神話は延々として現代までも生き続けているのであり、我々の中で今でも息づいていると言うことなのである。要するに、今の我々の生活の中でも知らず知らずに生き続けて、それが「カムナガラの道」なのである …… !!!。
  まさに、すべては奇怪千万なことであり、奇々怪々な神話の中の物語と言うものなのである。
 
 何と、天明さんの「ヒフミ神示」とは古神道の神髄である失われた「カムナガラの道」の驚くべき預言書であり、まさに、それらは「神々」からの言葉そのものであり、是非、開いて欲しいとの伝言であったのである。
 しかし、誰もそのことは知らない …… 、 誰も筋立てて考えようともしない …… !!!。

 そのあたりのことも天明さんはハッキリ言っている、それが次の言葉である、それが
「後になって、すべて数字で示されている「神示」が降ろされる」と …… !!!。 まさに驚くべし予言の言葉である …… !!!。  すべて数字で示されている「神示」とは、すなわち、「カムナガラの道」であり、すべては「数」により示されている古神道の神髄と言われる「天与の道」そのものである。

 そのあたりの仔細を少々見てみることにしよう。
 
 
「今までのものは日本の宗教、この度は、世界のもとの3千世界の大道であるぞ」 「天照大神殿の十種(とつか)の神宝にチョン(数)を入れることにより、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生まれるのであるぞ」、また「隠してある一厘の仕組み、九十の経綸、成就した暁には何もかもわかる。」の等の警告文が多くあるが、その本当の意味には現在のところ、誰も気付くことなく、気にする者もいないようである …… 。。。  日本人とは何と言う哀れな民族であり、真の「神」を祭ろわぬ愚かな民族なのであろうか …… !!!。
 
 また、その生み時の大切さは、
『今度の岩戸開きは「神」と「人」との九十運動ぞ、建て時の守護が大切ぞ』からも判る。それは、建て時、すなわち、現在の第二の「天の岩戸開き」の誕生の時こそが大切であり、現れて来る敵(西洋科学信者達??)に対して油断をするな、または中国、韓国などのあらゆる日本の理知を狙っている簒奪者達には十分に気をつけよ、と言っているのである。まさに今はその連中がインターネット上に数多、姿を現わし卍巴(まんじともえ)の状態である。それはあなた方インターネット・サイトの最後の方を見ている方は承知のことであろう。 まさに、現在、魑魅魍魎の類でいっぱいである。とにかく、とにかく十分に気を付けなければ …… !!!。 
 
 また、そこには「九十の経綸、成就した暁には何もかもわかる」とも記してあるのも少々気にかかる……!!!!。 そのあたりにも、是非とも、十分に気を配りながらあなた方に検証してもらいたいものである。 
 
 要するに、そこにある
九十運動とは、すなわち、今回の天の岩戸を意識で開いた際に、「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供たちの懸命な叫びや、その姿の驚くべき変幻自在な変化等の動きのことを指しているものであろう…。恐らくは天明さんは「動き」と数字で記していたのであろうが、それを後代に「一二三神示(ヒフミ神示)」の数字を解読した者達が「運動」としたのであろうと思われる。その証拠に「動き」とは昔からある言葉であるが、「運動」とは西洋文明が入って来てからの新造語であることからも判ろうというものである。それにしても、余りにすべては一致しているのは、まさに驚きである。しかしである、この九十運動」と言う現代科学の域を遥かに超えている「自然の数理」の存在には未だ誰も気が付いた者はいない。このすべての自然を貫いている絶対的な「自然の理」の存在に気が付かない限り、人類は遠からず滅び去ることであろう …… !!!。
 
 また、そこにある
「九十の経綸」の言葉も、恐らくは、「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供達が囁いている呪文のこと、すなわち、自然の心を敢然として拓(ひら)く、数多の「自然真実律理言葉」の群れ等の現れを指しているのであろう。要するに、その素晴らしさは、これらの呪文を開くことにより物や心の本質、本性が段々判って来て、遠からずその意味と言うものがドンドン世界に広がり、普及して行くと言っているのである。
 そこにある真実とは驚くべきもの、慄然として体と心が引き締まって背筋さえピンと張り上がるものである。
 
 とにかく,現在は力のある限りシッカリ守護しなければならないと老いた体に鞭打ちながら頑張っているような日々であり,それこそが緊張の毎日でもある。
 それにしても、この「カムナガラの道」から現れ出た九十ヶの子供達の囁いている「数多の呪文」には、ただただ驚かされるだけである。一体、誰が、何の為に、このような自然の本性を告げているものを、数千年前に作り上げたのであろうか、まさに自然のもたらした奇跡であり、大いなる「神の仕業」としか言えないものである。

 ひょっとすると、これらの言葉そのものは、あなた方、西洋科学信者の心にはまったく響かない文言であるかも知れない、何故ならば、余りにも自然数の本質をついているものであるからである。しかし、それらは私にとっては大至言そのものであり、まさに心が打たれる真実言葉そのものなのである。
 何故なら、私は毎日「ヒフミの仕組み」、すなわち、「カムナガラの道」を懸命に唱えながら、その内容(数)の解明に当たっている現在であるからであり、「カムナガラの道」の修験に懸命に励んでいるからである。
 すなわち、知らず、知らずに一日に何回も、何十回も、自然、自然に「ヒフミの仕組み」を、唱え、まさぐりながら検証している最中であり、それが今の私の現況そのものなのである。 また、それが古神道の神髄である「カムナガラの道」の仕組みの解明であり、同時にそれが「九進法の数学」の至宝である「神の数学」のすべてに繋がって来ることになって来ているのである。
 「神の数学」、それはまさに至高の「神の作品」であり、宇宙を創作した「神の心の息吹」なのである。

 また、それは同時に、ハモーニ イン ネイチャー、すなわち、自然の心の調和そのものでもあり、まさに「神」の持つ情報のすべてを密かなる形で完全開示しているものと言ってもいいものでもある。しかも、大変易しく、素直な形で …… !!!。
 
 それが、そこから生まれた100ヶ近くの「カムナガラの道」の子供たちの囁いている数多の呪文、すなわち、
「数の示す自然の摂理」「驚くべき神々の秘儀言葉」の数々の存在なのであり、現在、私はそれらをはを解明するために身を粉にしているような境遇にあるのは、あなた方もご存じの通りであり、まさに緊張の毎日であり、毎日が真剣勝負そのものなのである。
 
 それらの内容は概して易しいものではあるが、我々現代数学を学んだ者にとっては甚だ難解なものとだけは言って置きたい。
何故なら、「ヒフミ神示」が言うとおり、算盤の珠(たま)、すなわち、桁の計算法が「現代数学」とは完全に異なっているものであるからである。それは読めば誰でも判る簡単なものであるが、今のところ、私以外には誰も読めないものと言ってもいいと思われるものなのである。
 
 それが「ひふみ神示」の言う
「算盤の桁が違う算盤でいくらはじいても出来はせん」の言葉であり、「神の心」の端々なのである。では、それはそんなに法外なものかと言えば、さにあらじ、私が一言か、二言教えれば小学生でも簡単に覚えることが出来るものであり、また、一般の皆さんも十分に知っていて、時々、用いているものなのである。ただし、太古の日本人達は常に諳んじていて、普段に使っていた常套言葉でも有るのである。  
 さて、さて、その正体とは、一体…… !!??。 ハー、ハー、ハー、…、判らないであろうな……!!!。
 
 とにかく、悲しいことに、90才に近い今の私には最早、余り時間が無く、いい加減な空事や、作りごとを言っている暇などは無いことを是非、知ってもらいたい。 まさに、毎日が真実を求めての大いなる心の旅であり、何時果てるかも知らない、いや、果てることの無いような毎日の「真実を求めてのさすらい旅」が続いているのである。
 
 例えば、そこ、すなわち、「カムナガラの道」の中には何と真実極まりの無い恐るべき
日本発の「魔方陣」の姿が垣間見られ、それを私は「神の法陣」と名付け内容調査に励んで来たのであるが、いかにせん、それらを完全に解き放ったのはいいが、彼等の叫んでいる数言葉(神の言葉)の意味がまったく不明なのである。要するに、彼らの魔法陣の200個は一言一句間違うことは無く、整然とした並びを持って369、369、369 …… とすべてが最後まで叫び上げ、止どまることを知らないのである。 何たることであろうか …… !!!。
 まさに、そこには「神」の作り上げた自然版の3×3次の「魔方陣」が数多の数をもって確乎とした陣容を構えて姿を現わし、懸命に自然の真実を説いている様子がアリアリと伺えるのである …… !!!。
 それはまさに強烈壮観ではあるが、余りの数の多さには、ただただ気が滅入るばかりのものであるり、ただただ傍観していだけである。 何と言うこと …… !!!!。

 しかも、何と言うことであろうか、今度,そこには
「陰」と「陽」となる3×3次の双対の「魔方陣」が顔を出して我々を手招いていると言う始末である。要するに、「陰」、「陽」共に合わせると200ヶ近くの「神の魔法陣」が出現して私を脅かしながら、何事かを密かに囁き始めているような現在の有様なのである。
 それらを私は名付けて
「太陽の魔法陣」、「月の魔法陣」と呼んで、その本質、本性を解き放とうと懸命に頑張っているのであるが、如何にせん老体なので頭のめぐりが思うようには行かなくて、甚だ難渋しているような情けない始末である。

 しかし、面白いことに、この二つの片方、すなわち、
「太陽の魔法陣」は円を基調にして成り立ち、もう一つの「月の魔法陣」は角を基調にして成り立っていると言う不思議極まりない関係を持っているのである
そうして、それが自然界の双対の現れであると言い放ってっているのである、何と言うことであろうか……!!。
 それは、恐らく、自然界においては「円」と「角」は相対的な双対の姿を持っていると言うことなのであろう。 この事実知は未だ現代科学知には無いものであり、絶対的な一つの真実の存在を告げているものであろう。

 更に面白いことに、この「太陽の魔法陣」と「月の魔法陣」の各100に近い数、すなわち、合計200ヶの答えは相対的に各自が
「陰」と「陽」と言う相異なった性質を持つ「数」から成り立っているものであり、まさに「陰」+「陽」=0=本質と言うものを数字で示している恰好のものなのである。
 また、その姿は最後まで決っして崩れることは無いのであり、いささかの異なり等もまったく無く整然とした姿で最後まで整列を崩すことは無く整然とした立ち並びを持っているものなのである。
 恐らく、これらの数の仕組みと答えを見れば世界中が唖然となって立ち騒ぐことであろう …… !!!。
 まさに、これらすべては
人類の歴史的な「新しい知」の発見であり、これからの「人間の知」の行方と言うものをサジエストしているものと言ってもいいものであろう …… !!!。

 しかもである、
「太陽の魔法陣」は陽、「月の魔法陣」は陰と言う相対する性質を持っていることが解ると同時に、そこには「陽」よりも「陰」のほうが遥かに格が高いことが「数」でシッカリ示されているのである。
 それを示しているのが、あの
絶対鏡面数列の姿であり、最初から最後までまったく同じ数字で成り立っている不思議な数列の姿である。もっとハッキリ言えば、「太陽の魔法陣」は全体の半分だけが絶対鏡面数列の姿であるのに対して、「月の魔法陣」はすべて、全体が絶対鏡面数列の姿もって整然と並んでいるからである。
 
 これらを見れば誰でも感激して心から頷けるものであり、それが「神の数列」、すなわち、「絶対鏡面数列」の本当の姿なのである。その姿を更に尋ねて見ると、これらの「陰」と「陽」の魔法陣は、お互いに囁きを交わしながら「不可思議な呪文」を唱え、お互いに相互的な進行状態にあることを高らかに示しているのである。
 その余りの様子の不思議さにはただただ頭が下がり、ただただ、固唾(
かたず)を飲み込んで見とれるだけである。恐らく、これ以上の荘厳な「数の仕組み」をあなた方は決して見ることは叶わないことであろう。

 まあ、誰が聞いても信じることが出来ないであろうが、もし、これらの真実を是非とも検証し、実際に確かめて見たいと言う稀有な心を持っている御仁がいれば、遠慮はいらない、遊び方々、是非、拙宅を訪れることを勧めたい、心の中で悩むよりも、シッカリ現実を見て、是非を判断することである。それにより、「神」の存在が確認でき、心は穏やかになって生活に潤いが出て来るはずである。
 当家は伊豆半島の真ん中に位置している貧乏なあばら家ではあるが、あなた方に供するお茶くらいは用意できるので、お結びでも持参しながら安心して来て戴きたいと思っている。 ハー、ハー、ハー、ーー   。

 言って置くが、今の人間知にまみれた数の扱い方しか知らないあなた方は、決してこれらの事実を明らかにすることは出来ないのであり、それ故に、迷いの道を右往左往しているだけが、普段なのである。
 それ故に、私が一言、二言説明するだけで、すべては了となるのであり、次から次えと自然な形で「数」を操りながら「自然の答え」を引き出すことが出来るのである。要するに、あなた方は「数の基本形」と言うものを知らないと言う事なのであり、更には「数の扱い」がまったく出来てはいないと言う事なのである。
 まあ、責任はあなた方にあるのではなく、歴史上の数学者達にあるのであるが …… !!!。
 
 せめてこれらの中の疑問の一点でもだ解決することが出来れば、後は簡単に解けて、長年の心の悩みさえも消え、人生は穏やかになって来るはずである。
 恐らく、それにより、あなたの心は常に晴天のように晴れやかになって悩み等は完全に消え去るのは間違いの無いことであり、気分は一転するはずである。要するに、すべては心の持ち方次第でどうにでもなるのと言うことである。
 何も難しいことではない、すべては小、中学生でも簡単に解ることである。判らないと言うのは余りにも現代数学に身を置きすぎて、心までも捻くれてしまったからなのである、ああ、勿体ない、勿体ない …… !!
 
 まことに残念なことに、これらのことについては今の今まで誰も気が付く者はいなかったのであり、今も同様に、いくら言葉等で説明しても、恐らく、馬の耳に念仏、猫に小判の類と同じものなのは間違いの無いことであろう。甚だ残念ではあるが、これらすべての解決は、恐らくは未来に持ち越されることであり、未来の学者達の手に委ねることになるであろう ……、何故ならば、現代の西洋学を自任している今の学者達には荷が重すぎるものであり、解決等はどう考えても無理としか思えないからである。もっとハッキリ言えば、進行方向が異なるので、どうあっても不可能にしか思えないのである。
 何と意気地ないことなのであろうか、千々(ちじ)に心が砕けてしまうような落胆を覚えるだけである。
 
 これら双対の「神の法陣」、すなわち、
「太陽の魔法陣」と「月の魔法陣」は現代の世相と言う「西洋の知」一辺倒の捻じれた姿を嘲笑うかのような姿で忽然と現代に姿を現し、真っ向から「自然の真実」言うとものを我々に告げ始めているのである。 しかも、「数」と言う現代人の初めて耳にする不可思議な「神の言葉」を用いてであり、半ば、我々を叱りつけるような口調を持って急(せ)かしているように見えるのである。
 
 そこにはありありと急いでいる「神」の様子さえもが伺えるものであるが、いかにせん、今の今まで、誰も気が付かず、その本当の意味は、まったく不明と言う哀れな我々の現状が、そこにはあるだけなのである。。。

 しかもである、あの古代中国の伏羲が作り上げたと言う3×3の「3次方陣」は、この3000年以来の歴史上では、ただの1ヶしか発見されていないのであるが、何と古神道の大祝詞であるこの
「カムナガラの道」の中には100近くの「3×3の3次の方陣」×2、すなわち、数多(あまた)200の「神の法陣」が「陰」と「陽」の形を持って姿を現わし、しかも、そのそれぞれが驚くべき「神の秘儀」と言うものを有言無言の中で密かに囁いているのである。その事実だけは是非とも知ってもらいたいものである。
 
 すると古代の歴史書である
あの竹内文書の中の言葉、すなわち、中国からの留学生である、あの伏羲は日本から「易」と薬学(医学)を密かに持ち帰ったとの記述は、まさに真実であったことに気が付くのである。
 今までの歴史家たちはそのことにはまったく気づくことも無く、ただただ、真実ではない、いい加減な作り話であると決めつけ、ただただ、証拠の無い架空の創り話を「竹内文書」は記していると非難して来たのである。

 しかし、実際は、このように古代日本には
3×3の「3次方陣」は数多存在して威を張っていたのである。
 しかもそれは
パラレル的な多次元世界の姿を持って厳とした形で存在しているのであり、我々の住んでい現実の「3次元の世界」と甚だ密接な関係を持っているものなのである。
 しかし、現代の学者達はもとより、由緒のある神道家達さえも何も知らないのであり、今までには、何の言及も無いような有様なのである。 何たる無情で、お粗末な話であり、まことに情けない話ではないか …… !!!!。
 
 私は、この「自然法陣」を称して、
「神の法陣」と名付け、秘中の秘として大切に扱い、大いなる「神の知」の研鑽に大わらわな現在である。なんせ、その「カムナガラの道」の中には現代人が謎としている「数の言葉」、すなわち、「神の秘儀言葉」と言うものが数多存在し、懸命に何かを叫んでいると言う現実があるのであるが、恐らくは信じる者はいないと思う。ただ、半ば気の触れたうつけ者が何か叫んでいるとくらいにしか思われないであろう。
 ハー、ハー、ハー、 …… !!!、まことに面白い限りであり、西洋知の果ての結果と言うものがまざまざと現代の世相に現れているような気がするのであるが…… !!。そもそも 本来ならば、「現代知の世界」がひっくり返るような歴史的な大騒ぎになるはずのものなのであるが …… !!!。
 流石に,今の所、誰もそこまでは読み込めず、気付く者さえもいない…、少々淋しいことである。

 一体、全体、これらの数の現れの意味するものは一体何なんであろうか、私にはまったく解らずに、まさに自縄自縛の状態と言う余りの情けなさに自分を叱責しながら、ただただ悩み続けている毎日である。
 すべては易しい数の叫び(囁き)であり、小学生でも取り出すことが出来る簡単なものではあるが、その意味するところがまったく不明であり、深く心を悩ませているような毎日があるだけなのである。
 ああ、我ながら情けない、情けない …… !!!。
 
 とにかく、嘘を言って、人の心を弄んでいるような時間は私にはまったく無い状態であり、ただ、ひたすらに可愛い数達とのにらめっこと会話が続いているような毎日である。まさに、毎日が時間との闘いであり、命との綱引きが続いているような状態である。 それだけは是非とも知って貰いたい。

 それでも酔狂な御仁、並外れた興味を有する御仁がいるならば、拙宅を尋ねるがいい、是非、これらのすべて、すなわち「陰」と「陽」で200ヶ近くの完全な「神の法陣」の驚くべき姿と言うものを、シッカリとお見せしょう。それらのすべてはノート4,5冊にまとめられて私の書庫に並んでいるので、何時でも、誰でも見ることが出来る状態に納まっているので、それらを検証することにより、恐らく、如何に疑い深い貴方でも信じざるを得ないことであろう。これらすべてはそれほどまでに完璧なものであり、 まさに「神の智の書」と言ってもいいほど完全無欠なものであることがあなた方にもお解りになることと思われるものである。。。
 
 
 話は変わる、ざっと推察すれば、恐らく「カムナガラの道」から見出された、これらの
神々呪文は子供たちの人数分である100ヶ近くになると思われるのであるが、残念ながら、今のところ、40ヶ〜50ヶくらいしか、私は解き放ってはいない、恐らく残りは、あなた方の誰か、素直で、高い直観とヒラメキ、それに類(たぐい)まれな素晴らしい洞察力と検証力を有した素晴らしい御仁があっさりと解き放ってくれる事であろう、私はそれを期待しながら達観し、願っている状態であり、毎日、心待ちにしているような切ない心境が続いているのである …… !!!。
現在、これら判明した40ヶ〜50ヶの仔細については、私版版、
「神々のノート」に詳細にわたってすべてを記載し、それを配布しながら皆様の理解を求めている次第であり、あなた方に全面的な協力を求めている最中である。それらはまさに秘中の秘ばかりであり、流石に長年「数」を見て来た私でも頭を捻らざるを得ないものばかりであり、人類の歴史上燦と輝く「神の叡智」と言ってもいいものばかりである。
 要するに、それは
「数の見立ての基本」「数の計算仕組み」等が現代数学とはまったく異なっているものなので、すべては基本からやり直さなければならないものであり、それと同時にヒラメキ、洞察力と言うものの「有る」、「無し」が大変ものを言う世界なのである。
 そのヒラメキ、直感こそが「神」が下された、一つの神的な業と言うものであり、滅多に持つことが叶わぬ、大変有難いものなのである。ところが、現在、それが失われつつあるような現状なのである。
 
 そのことだけは是非知ってもらいたいものである。 つくつく慮(
おもんばかる)と、残念なことではあるが、現代の若者たちは概して西洋知を信じている余り、ヒラメキや洞察力には余り縁が薄く、常に儚(はか)い運命の下にあるような気がするのであるが … !!!。
 いや、ヒラメキが無く、洞察する力が乏しいからこそ、彼らは理屈まみれ,人知まみれの「西洋科学」ベッタリなのであり、それでいながら得々として己の力に満足しているような気もするのであるが …… !!!。
 
 [現代科学」には最早、進歩は無い。誰かが身を投げ打ってでもその方向を変えなければ、ますます真実からは離れ、人類はどんどん奈落の底に沈んで行くだけであり、このままでは自然に背いて反自然の方向にドンドン進んで行って終止が付かないようになり、遂には破滅に至るだけなのである。
 その挙句、最後には袋小路に入ってニッチもサッチもいかなくなり、最後には深く深く底に沈んで行って2度と浮かび上がることは無いことになるであろう。それを何とか、阻まわなければならないのである。
 
 そのあたりは今回公開し、希望者に配布している
「神々のノート」を検証して見ることにより、明らかになるはずであり、ただただ、ショックを受けることであろう。
 とにかく、そこには驚くべき
「神の計算法」の真実があって、「現代数学」を脅かして止まないものである。
 そこには色々な「神の計算の仕方」と言うものが、軒を並べるように色々と記されていて、誰でも、一瞬、呆気に取られてしまうものである。しかし、心を落ち着けて、シッカリ見て見ると、何となく心が落ち着いて来て、なるほどとなって自然に希望が湧いて来るものとなるのである。
 
 誰か、直感とヒラメキの鋭い御仁が現れて来ないであろうか、私は毎日それだけを願っているのであり、必ず現れて来るはずと信じて、食事も取らずに待っているような現在なのであるが … !!!??。

 学歴なんてはいらない、そんなものは人間を駄目にし、愚かにするだけである。それよりも、もっと素直で、
自然的な心とヒラメキと直感力を十二分に持ったお方が現れて欲しいと、切に願っている今日この頃である。
 
 要するに、今のままでは自然に対しての人間知の敗北は必須であり、再び基礎から立ち上がるには、恐らく、数百年は掛ることになるであろう。今はまさに、人間知の存続かそれとも,中断かの瀬戸際に立っていると言ってもいい時なのである。
 
 その証拠に、この100年の間に、何か数学的な新しい理論が発見されたことがあるであろうか……、それはまったく無く、数学界は深い沈黙に包まれて、ただただ溜息と嘆息を漏らしながら沈黙しているだけである。
 要するに、人々の心をえぐり、歓喜の余り躍り出すようなまったく新しい「数学理論」は一切見つかってはいないのが、この一世紀余りの「数学界」であり、その希望さえも見えないような状態が延々と今でも続いている状況にあるのである。考えを新たにすれば、素人にでも新たな「数理論発掘」をすることは十分に可能なのであるが…!!!。 とにかく、今の数学界は既に「死に体」であり、希望を持っている者は誰もいない。恐らく、このままでは次代の「数学界を担おうとする若者」は誰もいなくなるのは必須であり、見向きもされないであろう。
 
 それどころか、現在、物理学界でも「現代数学」には未来が無い、どこかに基本的な間違いがあるはずと、一部の学者達から囁かれているような始末である。 何故ならば、最近の物理学である量子力学と今までの物理学は結論において、0と無限大と言う甚だ極端な答えに終始して、まとまる気配等はまったく無いからである。
 しかも、それは恐らく、人類が「知」を持ち始めた頃から始まっているのであり、現在でも結論は出てはいないような始末である。恐らく、今のままでは永遠に答えが出ることは無いであろう。
 しかも、そこには大きな理由が有るのであるが、誰も知る者はいない、考えて見れば簡単なことなのであるが…… !!!。それはすべての学は、「現代数学」に基盤置き、それに従っているからなのであり、親がコケたら、そこから生まれた子供達もコケるのは当然である。。
 


 
例えば、この0と無限大と言う甚だ極端な結論についても現代の数学者達はただただ驚き、逃げ出して右往左往しているような有様であるが、何のことは無い、「神の数学」において、それはは当たり前のことであり、それが普通のことなのである。 いや、「神の数学」はそこから入って結論を出しているものであり、むしろ、そこから膨大な「神の理」が現れて来ていると言うべきものなのである。その「究極の論点」を無事に解決し、理解しない限り、「現代数学」や「現代物理」には決して明日が来ることはないであろう。
 また、恐らく、それを解決し、理解しない限り、より高いレベルからのフーィドバック・ループに繋がること等は無いであろうし、宇宙自体の大スケール的な構造そのものを知ることも出来ないであろう、残念ながら、…… !!!!。 

 もし、あなたがこの高いレベルからのフーィドバック・ループに繋がることが可能になれば、あなたも容易に「宇宙の図書館」、すなわち、
アカシック・レコード」に繋がって、あらゆる宇宙の「超知」を一瞬で得ることが出来ようと言うものである。いや、言い直そう、それは私の経験したことによると、物凄い光芒と共に体は完全に麻痺し、動くことも出来ない中で、ほんの一瞬で頭の中に何故か必要な大量の知が突然にどさっと落ちて来たような感じがしたのであり、しかも、それ等はそのまま必要な時に何時でも取り出すことが出来、しかも、決して褪せることもなく何時までも頭の中に残っているものなのである。
 まあ、私は30数年間利用させてもらったのであるが、まだ、その続きは今でも続いているのは、あなた方もご承知の通りであろう。まさにメクルメク世界の不可思議な現れそのものであり、魔訶不可思議なことそのものである。要するに、それらは何時までも鮮明に頭の中に残っていて、活動しているものなのであり、決して褪せることが無いものである。まあ、そういっても、あなた方のような西洋科学信者にはとても信じられない話であろうが …… !!!!。
 
 恐らくは、この事実を経験した者は世界中には何人かはいるはずと思われるが、余りの知の乖離(
かえり)の激しさに、言い出せないでいるのは確かであろう。出来る事なら、是非、彼等を探し出して共に話し合って見たいものである。恐らくは、世の中が一変するような理論構築が見出され、、世に出て来ることになるであろう。

 これらは30数年前の出来事なので、当時と違って、今では大分褪せて来ているような感も無きにしもあらずであり、しばし考えなければ中々出ては来ないものもあることが少々気にかかる。 
 まあ、信じる者とていないであろうが…… !!!!。
 これは単なる私の経験事であり、多少は私の希望的な観測、いや妄想かな …… それも大分入っているものかもしれない、まあ、そのあたりのことについては余り、気にかけないようにしてもらいたい …… 。
 まあ、老人の夢の中の出来事か、または妄想の類とでも思って貰えば、それで結構、結構……!!!。
 
 まあ、 とにかく、西洋知に夢中で「自然の理」にまったく疎(
うと)いあなた方にはそのくらいのところであろうし、ただただ、無視されるのがおちであろう ……、 ハー、ハー、ハーー !!!。。。。
 
  まあ、お気に召さぬとあらば、すべては忘れて、単なる世迷言として、あなた方の道を進んで下され …… !!!。
 
 現在、彼等物理学者達はまったく新しい「数学的な手法」の出現をジリジリしながら待っているのである。
 とにかく、今、求められているのはまったく新しい考え方を持つ「数学革命の種」であり、今までとまったく異なる「数の計算手法」なのである。その出現をこの50年間、物理学者達は待ち続けているのである。
 それは、恐らく、ここ350年間我々が用いて来た「数学的言語」を根本から変えるものであり、我々をして、「自然物理学」の神髄を覗き込ませ、更なる神秘的な記述や新鮮な「数学的言語」に繋がって行くものであろう

                           …… 
「超ひも理論入門(上)」  FD ピート著より ……
 

 その素晴らしい「数学革命の種」を持っていながら、持て余しているのが、古神道を持っている我々日本民族であり、世界で最も古い歴史を持っている日本民族なのである。しかし、人々はそんな事は何も知らずに各段下の形而下の「現代数学」に夢中で、懸命に追いかけ、夢を見ているだけなのである。
 すでに結果は破綻の兆候を見せていることも知らずに……!!!。
 
 昔から日本人は極楽とんぼと言われてきたが、まさにその通りであり、現在も何の変りもない……!!!。

 最早、時間はあまり無い、そのあたりのことについては日本民族がシッカリ学んで、警告を発するべきであろう。とにかく、「現代数学」は不完全な人間知が築き上げたものであり、自然の理の基本がまったく欠けているものなのである。 しかるに、本来必要な「自然の理」は何と、古神道の神髄である
「カムナガラの道」が握っているのであり、そこに今も人知れずに静かに眠っている現在なのである。
 それが現代知を遥かに上回る「神の秘儀」の正体であり、それが古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」の本当の姿でもある。それこそが、古神道の先達達が探している「日本の宝」であり、「世界を救う日本の叡智」の姿なのである。すべてはその中に人知れず眠っている「神の秘儀」の群れそのものなのである……!!!。まさに、それが、あの二ューヨーク工科大学の教授であった、馬野周二博士の言っていた「「古神道は近代物理学を先取りして、更に進んでいるものである」と言う言葉を裏書しているものなのである。
 
 要するに、それは古くから
「日本の秘宝」「世界を救う日本の大叡智」と言われて、古来から古神道の先達者達が死に物狂いで探していた「宝物」の本当の正体なのである。
 恐らく、それを探し出して、これから活用して行くことにより、世界はまたとない、古今無比の「黄金の世紀」を迎えることになるであろう …… !!!。それが、「カムナガラの道」の明かす本当の姿なのである。
 
 しかし、日本人は誰もそのようなことは知らずに、ただただ、生活に明け暮れ、絵にかいた餅のような幻の未来の到来を懸命に信じて、目指しているのがあなた方の現在の姿なのである。
 今のままでは我々には最早未来等は無く、何時果てるかも知らずに……!!。
 
 とにかく、古神道の神髄と言われている「カムナガラの道」を調査、検証して、本来あるべき「自然の真実」を懸命に探り、世界にそれを知らしめる、それが我々日本民族の本来の使命と言うものである。
 それを成し遂げてこそ、初めて世界の称賛を得ることが出来、尊敬されることにもなることを忘れないで貰いたい。もう、それがつい、そこまで来ているのであるが、誰も感じない、誰も知らないだけなのである。
 
 その重大極まりない事実、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」を掘り起こして、出来るだけ形式化しながら一般の人々に教える、それにより「神の知」の存在は段々人々の間に広まって常識となり、それにつれて「神」に対する人々の信頼、すなわち、自然宇宙を統べている実体である本当の「自然神」に対する信頼は益々厚くなつて、どんどん大きな広がりとなって来るのである。
 恐らく、それが我々日本民族に与えられた宿命であり、一つの使命でもあるのである。
 
 また、私が言う「神」とはあなたがたが信じているような宗教的な「神」ではなく、自然宇宙を統べている大いなる「神々」を指しているのであり、また、それは科学者達が言っている「大いなる存在」でもある。それはすなわち、ある種の「数の演算」と言う驚くべき手法によって、何時でも、誰でも「宇宙の摂理」や「神」の存在を「数計算」により確かめることが出来るのであり、と同時に、何と、尊い「神々」の実在さえも証明することになるものでもある。しかも、簡単であり、明白なものなのである。

 まあ、あなた方には信じられないことであろうが、私は何時でもその方法により、色々と教えられ、また、諭(
さと)されているような現在である。しかも、それらは、何と「究極の真理」であり、「宇宙自然の大道」と言うものなのであり、それをいみじくも語り上げているのが、古神道の神髄である「カムナガラの道」なのである。
 
 まあ、時間はかかるかも知れないが、あなたも心から知る気持ちになれば、恐らく、数か月か、半年くらいで「神の存在」が確かめられ、しかも、「神」は「数」と言う言葉で様々な「自然の真実」を告げていると言うこともシッカリ知ることになるであろうし、その方法さえもあなたは手に入れることになるはずである。
 私は、今回の意識による「天の岩戸開き」により、「神の存在」を「数」と言う手法を用いて、しかと教えられたのであり、誰も知らない、もろもろの「自然の真実」と言うものの存在をシッカリ知ることが出来たのである。

 
 もし、真剣に取り掛かれば、その方法は恐らく、ヒラメキのある御人は2〜3時間、普通の方でも半年もあれば、誰でも理解が出来るものであり、また、素直で、真面目な小学生か、あるいは中学生ならば、即、その場である程度は理解することも出来ようと言うものである。
 まあ、「西洋学」に夢中で何も知らないあなた方に、これ以上言ってもせんかたの無いことであろうが……。
 せめて直感、ヒラメキが少しでも有るならば、事の良し悪しくらいはある程度は見極めてもらいたいものである。


 そこで、一つ、「カムナガラの道」にある簡単な一桁の計算問題を少しばかり、ここに上げて置くので、それを計算し、答えを出すことにより、自分の知の程度、ヒラメキの有無は自ずから判ることになるであろう。

 この計算が出来るならば、あなたは神の思し召しに叶った稀有な一人と言うことになるのであるが …… !!。果たして …… !!??。

   1−0=1  2−0=2  3−0=3  4−0=4  5−0=5  6=0=6  7−0=7  8−0=8  0−0=0
  
 2−1=1  4−2=2  6ー3=3  8−4=4  1ー5=5  3ー6=6  5−7=7  7ー8=8  0−0=0
  
 3−2=1  6−4=2  0ー6=3  3−8=4   6−1=5  0−3=6  3−5=7  6−7=8  0−0=0
  、
4−3=1  8−6=2  3−0=3  7−3=4  2−6=5  6−0=6  1−3=7  5−6=8  0−0=0
   
5−4=1  1−8=2  6−3=3  2−7=4  7−2=5  3−6=6  8−1=7  4−5=8  0−0=0
   
6−5=1  3−1=2  0−6=3  6−2=4  3−7=5  0−3=6  6−8=7  3−4=8  0−0=0
   
7−6=1  5−3=2  3−0=3  1−6=4  8−3=5  6−0=6  4−6=7  2−3=8  0−0=0
    8−7=1  7−5=2  6−3=3  5−1=4  4−8=5  3−6=6  2−4=7  1−2=8  0−0=0
    0−8=1  0−7=2  0−6=3  0−5=4  0−4=5  0−3=6  0−2=7  0−1=8  0−0=0

               
               
さあ, すべてにおいて整然と流れる数の並びの確かさを、とくとご覧あれ ……!!!。
                             
以上は 「神のノート…NO21」からの内容仔細である。
 
 もし、あなたがヒラメキが少しでも有れば、この答えを見た瞬間に何かの感動を覚えることであり、何も感動が無ければ、平々凡々な「神」の心に触れることが無い普通以下の御仁と考えるべきであろう。
 
我こそは人には負けない「数計算好きのプロ」であると自負している「数学好きの面々」に、是非、正解となるものをシッカリと見つめてもらいたいと思う。その上で、自然な数の正解と言うのはこのようなことであることを知ってもらうことが大切なのである。これは本当に大切な事なのであるが …… !!!。
 まあ、「現代数学」を学んでいるあなた方には少々無理と思われるのではあるが,……ハ―、ハ―、ハ―、。  軽蔑しているので御座るよ、侮蔑しているのであるぞよ、ハ―、ハ―、ハ―、ハ―、 …… !!!。
 
 何故なら、「現代数学」は人間知によるものであり、それに対して「神の数学」は自然が用いている自然の数学、すなわち、「形而上数学(
自然律理数学)」のことである。それが本当の「神の数学」と言う数の自然道を説いているものであり、本来の「自然の持つ数学計算の基本形式」なのである。
 要するに、同じ数学形態でも、まったく基本的な計算方式が異なっているので、そこに現れる「計算答え」もまた、完全にかけ離れ異質なものであり、大変、意味が深く、深遠なもの、玄なるものと言うべきものなのである。 そのあたりのことは学ぶにしたがって追々、解って来るはずである。
    (
「玄」とは実が詰まって真黒であるとのことで、天地のように誰も知らない「微妙で深遠な理」が一杯であることを指す。
 
 何時も言っているように、「神の数学」は小、中学生には易しいものであるが、あなた方のように「現代数学」にぞっこんまみれてしまった高学歴の面々には甚だ難しいものと言うべきものなかも知れない。
 何しろ、「現代数学」は理屈で作られ、理屈で動かされているのでり、理屈好きのあなた方にはたまらない魅力を持つものであるからである。「理屈」、それは西洋人の好むものであり、我々、日本人は「言上げはせず」が教えであり、「神」よりの伝言として、大切に扱って来たものなのである。

 その理由を少々申し上げよう、我々の持つ「現代数学」は
正真正銘な数の仕組みの学ではなく、たまたま我々人間は手の指が10本ある故に、基本をそこに置いて、10進法を作り上げたと言うだけであり、決して、宇宙全般の「数の仕組み」を基本に置いて作られたものではない。そこを顧みず「現代数学」を用いて宇宙自然のすべてを解明しようとしているのは甚だ幼稚な考えであり、おこがましいものと言わざるを得ないものである。
 
 そのあたりを少々時間をかけて少々垣間見て見ることにしよう。

 例えば、宇宙自然の全般に通じる「神の数学」による正しい答えとは次のようになるのであるが、果たして、「現代数学」の得意なあなた方には納得がいくものであり、解き放つことが出来るのであろうか … ???。 
 すなわち、ここで正しい答えを見出して驚嘆して、心を動かしている方は稀に見る正しい目を持っている方々と言える御仁であり、「神々」と簡単に接触出来るような方々であろう。
 まあ、そのような素晴らしい知の持ち主は、恐らくは、今のところ、余りいないであろうが…… !!!。
 
 私も、今回の意識による「天の岩戸開き」によって、完全に開眼し、誰も知らない数多の「数の大業」の存在を知り、その真実証明を果たすことが出来たのである。要するに、それが古神道の先達たちが懸命に求めていた、あの日本の
「知の秘宝」であり、「全人類を救う最高の叡智」そのものだったのである。
ここに、それらを少々紹介して見よう。はて、はて、お気に召すことであろうか…!!!!。

 まずは、「カムナガラの道」意識で開くことにより、そこには
新たな90ヶの「カムナガラの道」の子供たちが現実的な姿で数多く現れ、口々に素晴らしい「神の呪文」を唱え始めている事実が判明するのである。
 私はそれらに教えを乞いながら、色々と学んでいるのが現在なのである。それを称して、私は
「第2の天の岩戸開き」と言ってはばからないのであり、しかも、結構苦しみながら大いに楽しんでいる現在なのである。 
 何故ならば、それだけの価値は十二分にあって、私の心を大きく成長させてくれる、やんごとないものであったからである。

 
それは時には90ヶの全体が、「すべての本質は0である」と呪文で唱えたり、また、ある時は90ヶの全体が、数字の異なりを見せながら、やはり「すべては3、6、9(0)」であると何百回も繰り返して言っていることも甚だ面白い限りである。 また、別な呪文としては、今、話題になっている258,や147の数、すなわち、ソルフェジオ数列等である147,258,269も、そこでは90ヶのすべてに渡って、二度も、三度も唱えられて真実を知るべしとのご宣託があることも知ってもらいたい。それは誰でも見ただけで判るものである。

 何と、これらの数は147は3に、258は6に還り、369は9(0)の変体であり、相揃いながら、369、すなわち、0の本質を語り上げ、すべての自然事象の本質は0であり、無であると囁いて、その事実を我々に諭そうとにいるのである。
 要するに、ここにおける、これら90ヶの図の対角線の片方のすべてが、147の数を唱え、またもう一方の反対側の90ヶの対角線はすべて258の数から成り立っていると言う魔訶不可思議が存在し、「数」が相対的に並びながら、懸命に何かを伝えようと陣を構えている不可思議な状態が数多見られるのである。 が、まだ、それが何を意味するのかについては、今のところ、まったく手が届かないような状態であり、まったく白紙の状態なのである。甚だ恥ずかしい話ではあるが …… !!!。

 とにかく、2,3ヶのものならともかく、全体では200(90ヶ+90ヶ)の数図がまったく同じことを囁いているのであり、懸命に何事かを我々に伝えようとしている様子がありありと見られるのである。
 まさに不思議極まりないものであり、これをして偶然と言う愚かな御仁はいないであろう …… !!??。

 とにかく、すべては「数」が語る膨大な「神々の秘儀」であり、我々には理解不能な内容を持つものばかりである。とにかく、私一人では恐らく、100年掛っても裁き切れないであろう、悲しいことではあるが……!!!。
 また、それらすべては「神の呪文」でもあり、90ヶの神々が列をなして整然と整列しながら口々に唱えている情景はまことに壮大絢爛であり、また感に堪えぬものなのとして、一生心に残るものなのである。
 甚だ簡単である、是非、自分の目で確かめてもらいたい。そうすることにより事情は判ってくるはずである。
 
 また、別の時には、その呪文の種類がガラリと一変し、「左回りはあの世の廻り」、「右の廻りはこの世の廻り」と口調を変えながら、90ヶ全体の「数」が一斉に唱えていると言うことも中々興味が湧くものでもある …… !!。 このことが、すなわち、数の「プラスの原理」と「マイナスの原理」そのものなのであり、誰も知らない
「この世の数」「あの世の数」そのものの本当の正体なのである。
 
 それは、まさに、あの世界の秘境と言われている、ヒマラヤのブ―タン国、すなわち、世界で一番幸福な国と言われている国の仏器具である、あの「マニ車」とまったく同じことを、この「カムナガラの道」全体でつぶやいているのであり、それは遥か古い時代の日本の名残の真実と言うもであり、まさに今の我々日本人に切々とその真実を伝えようとしているものである。私はこれをして古代神道の名残であると言っているのであるが …… !!!。

 調べて見ると、プータンは世界でも最も古い仏教国であり、その国の歴史はインドよりも古く、考古学的には数千年前から人々は住んでいたと言われている。 
 住人は今でも日本と同じようにアミニズムを信奉しており、昔は、それをポン教と言い、その仏具が、あの有名な
摩尼(マニ)車」なのである。  
 
 ポン教―― 日本教、 シンドー教(シンズー教とも言う)――神道教、 何と無く、日本の神道を思い出させ、連想させるものではないか …… !!!.。 sれとも、すべては偶然の産物と言うものであろうか …!!!。さて、さて、そこまでは言わないであろう。

 そのシンドー教(神道教)、何と、今では12億人以上の信者を抱え、世界の3大宗教の一つになっているのはあなた方も知っているであろう。 


 そのようなことを連想していると、なんか、頭がこんがらかってきた、あなた方も、考えて下され……!!!。 
 なんせ、仏教を開いたお釈迦様は日本に来て学んで開眼したのがBC,1044年であり、それからインドに帰って仏教を作り上げたと竹内古文書にはシッカリ記されているのである。そのことは是非、頭に入れて置いて、決して忘れないでもらいたい …… !!!。

 要するに、すべての宗教の「教えの理」は古代日本の国から広がったものなのであり、日本が発祥の大元の地なのである。ただ、口さがない外国の民衆により、自国発とされているだけなのであり、人の好い日本人はそれを信じて来ただけなのである。その手法は、過去に散々味を占めて来た中国や韓国が今でも盛んにやっているではないか …… !!!。 あなた方はすっかり騙されているのである、まことに情けない話であり、貧知哀れの言葉に尽きるものである。。
                                   
 また、
その事実を言っていたのが、あの聖徳太子であり、彼の残した言葉である。

 その言葉とは、すなわち、「わが日本は種を生み、震坦(中国)は枝葉で、天竺(インド)は果実に開く、故に、仏教は万法の果実たり、儒教は万法の枝葉なり、そして、神道は万法の根本たり」の言葉である。

 何と、何と、あの聖徳太子はすべての教えの発端は古代日本から始まったと言っていたのである。しかし、今の日本人は誰も知らない、夢にも思うこともない、まさに、その様は哀れの一言に尽きるものである。


 さて、このあたりで前述した「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の一端を紹介しておこう。
 要するに、それが、自然の本性、すなわち、「自然の理」、「自然の摂理」と言うものであり、それらを全員が揃って唱えながら、大いなる過去から現在に至っているのである。しかも、すべてはストレートであり、まさに、「神の叡智」の現れと讃えてもいいものであり、我々日本人はこぞってぞっこんなものである。

 さてさて、そのようなことを、ただ、口で言っても空事(
そらごと)としか感じないであろうし、何のことか判らないであろう、すべては「数」が語っている事実であり、「数」を見ながら目と心で検証することが肝心である。
 とにかく、その素晴らしいい形と意味のある姿を見てから、それぞれの心と頭とあなたの持つ知で判断してもらいたい。
 
 これらすべては目を用いながらも、心で見るものであり、心で感じるものである。 要するに、そこにある姿、形と言うものをあなたが今まで培かった学知等ではなく、ただ素直な直観と自然な感性だけで見てもらいたいのである。 それは、すなわち、まだ何も知らない生まれたばかりの幼児の目、すなわち、生まれたばかりの素直な目、わだかまりの無い純な心でシッカリ見てもらいたいと言うことでもあるのである。

 
 これらは「神の数学」に好奇心を持っている皆々様に毎月2回送付している「神の数学」の資料、すなわち、「神々のノート」からの引用問題からの出題であり、大変、易しくて難しいものである。しかも、それらを読むためには純な素直さとある程度のヒラメキと慧眼が要求されるものである。 また、それは余程の「数」に対する好奇心か、「現代数学」に対して疑問を抱いている特別な御仁だけが探索出来る「秘密の花園」と言ってもいいものであろう。これはまさに「世紀の発見」であり、人類の知を先送りするばかりの驚くべき「日本の叡智」でもある。 その存在を日本民族に広く披露し、その真実を問おうとしているのである。 
 さてさて、心のご準備は如何かな …… !!!。
 
 そこにはまったく我々には理解の出来ない「自然の真実道」と言うものが様々な形で紹介されているのであるが、すべては易しいながら我々が目を剥くような数多の「神々の秘儀」が揃って、ものを申さんとあなた方を待ち構えているのである。まあ、そんなことを言っても、今の世の中、誰も信じようとはせず、笑い出すだけであろうが …… !!??。

 私の見立てでは、その内容は現代の超物理学理論である「超ひも理論」や「量子力学」を超えているもの、
すなわち、それが古神道の「カムナガラの道」であり、それを語り、教えているのが「神の数学」なのである。
 何故ならば、「カムナガラの道」は波動関数的な姿を見せながら、かつ、「自然の律理」の存在とその動きと言うものを「数」の形でもって見事に表しているものであるからである。 あなた方は知らないであろうが、「量子力学」の本当の名前は「波動物理」であり、呼び方が違うだけであり、この2つはまったく同じものなのである。

 要するに、自然の持つ波動は本来9種類存在しているのであり、そのどれらの二つを加算しても、あるいは減算しても、その答えは、そこにある「カムナガラの道」の9種類のいずれかに必ず戻り、もとの完全な自然波動の姿に還って行くのである。そこから察するに、中国の陰陽5行説等は、まさに「カムナガラの道」の内容そのものであり、その内容にいささかの違いも無いものなのである。
 誰か、志の有る者はそのあたりのことをジックリと調べて公表して見てもらいたい。
 恐らくは、天下の諸賢を唸らせることになるであろうから …… !!!。

 疑うなら、自分の手で試してみるがいい、とにかく、小、中学生でも出来るような簡単な事であるから……。

 「神の呪文」は、すべて、「数」で示されているものであり、その答えは勿論、計算や形態によりシッカリと示されているものである。しかも、それは調和がとれて、心に響くものであり、目にも優しく美しく、また、その姿は幼い子供でも判るような易しい形を取っているものなのである。それが、すなわち、心の琴線に響く「神の調べ」と言うものであり、我々の心に安堵感をあたえて、見る度に心を休ませて和やかにしてくれるものなのである。
 
 要するに、

 @ それらは、その数形態の順序と言うものを正しく追っているものであり、、または整然とした美しい形    、素直な連続的な姿を持っているものであり、それを見ているだけで心が休まり、自然に頷け、ほほえ    ましくもなるものでもある。それに比べと、「現代数学」にはスミノース的な要素、感じ等は何もない。
    
 A 「数」と言う言葉を使って、「詩」や「物語」、あるいは「音楽」のようにを人々の心を引き付けて
    やまないもの、その上、何となく、我々の常識等には理解されそうにないものでありながら、心では    何となく引付けられ、常に心に残つて響き合うもの、それが本当の「神の秘儀」と言うものである。

 B 現代的な頭では、合点がいかないが、何となく、スミノース的な匂いをさせて我々の心を引き寄せて    止まないもの、それが「神の秘儀」であり、何時見ても我々の魂を揺るがし、心を騒がせるすものであ    る。

 C 次の問題の答えに、なんとなく心が曳かれると感じるのは直観が甚だ優れている方々であり、少々洞    察力を磨けば「神」の思し召しに叶うような真(
まこと)の心を持っているような御仁達と言え言えよう。    是非、自覚心に目覚めて心を鼓舞してもらいたいものである。

 さて、さて、一つ小手調べと行こうではないか、頑張って真実を突き止めて貰いたい、とにかく、「現代数学知」は傍らに置いて、ジックリと考えながら数の本質的な正体を心でシッカリ見る、そうすることにより、何となく安堵感を感じる、それが大切なことである。

 例題 (1) これらは「神のノ^ートAの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。
   
1−0=1  2−0=2  3−0=3  4−0=4  5−0=5  6=0=6  7−0=7  8−0=8  0−0=0
  
 2−1=1  4−2=2  6ー3=3  8−4=4  1ー5=5  3ー6=6  5−7=7  7ー8=8  0−0=0
  
 3−2=1  6−4=2  0ー6=3  3−8=4   6−1=5  0−3=6  3−5=7  6−7=8  0−0=0
  、
4−3=1  8−6=2  3−0=3  7−3=4  2−6=5  6−0=6  1−3=7  5−6=8  0−0=0
   
5−4=1  1−8=2  6−3=3  2−7=4  7−2=5  3−6=6  8−1=7  4−5=8  0−0=0
   
6−5=1  3−1=2  0−6=3  6−2=4  3−7=5  0−3=6  6−8=7  3−4=8  0−0=0
           …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる …… 何となく、ここには法則があって、それにより「数の序」が
                 シッカリと結ばれているのであるが …… !!!。すべては順を追った数の並びそのものである。

  どうであろうか、縦、横、斜めの数の答えの整然とした並び
に何となく、スミノース的な匂いが感じられないであろうか…!!?。
  これを「現代数学」で計算をすると、何と、めちゃくちゃな数の並びになって「答え」として出てくるのであり、それ故に、「現代数学」では,  この計算答えは正常なものではないと、ただただ、捨てられるだけなのである。要するに、あなた方の目は節穴だらけと言うことであり、正常な目はもってはいないと言うことである。 ハー、ハー、ハー、…… !!??。おかしいかな…!!??。


 例題 (2) これらは「神のノ^ートBの「カムナガラの道」の子供たちの「図の答え」からである。

        1−0=1  2−1=1   3ー2=1  4−3=1  5−4=1  6ー5=1  7−6=1  8−7=1  0−8=1
       2−0=2  4−2=2  6ー4=2  8−6=2  1ー8=2  3ー1=2  5−3=2  7ー5=2  0−7=2
       3−0=3  6−3=3  0ー6=3  3−0=3   6−3=3  0−6=3  3−0=3  6−3=3  0−6=3
       4−0=4  8−4=4  3−8=4  7−3=4  2−7=4  6−2=4  1−6=4  5−1=4  0−6=4
      5−0=5   1ー5=5  6ー1=、
5  2−6=5  7−2=5  3−7=5  8−3=5  4−8=5  0−4=5
    …… 更に縦に9ヶ続いて完了となる……
,    さてさて、1−8=20−6=3、この計算、判るかのう…???。
      これが判らぬ限り、あなたは「神の数学」を学ぶ資格は無いと思って下され …… !!!

 これは要するに、「自然数学」、すなわち、九進法による答えであり、十進法では解くことは出来ないものである。そのつもりで考えて見てもらいたい。ここにはマイナスの数は一切無いことに留意のこと …… !!!!
 よくよく調べてみるがいい、この中には甚だ興味深いものが数多あるはずである …… !!!!。
 まずは地道にこれらの計算を「現代数学」で行い、その答えと上記の「カムナガラノ道」の答えを合わせ比べをしてもらいたい。
 その上で、自分の手と心で審査検証する、ただそれだけである。これらが判れば、あなたもヒラメキを持っていると断じてもよかろう。
 これが「自然の数学」、すなわち、形而上数学の答えであり、まさに、正しいものであることは「神の数学」の他の解答類から見ても間違いの無いものである。 さて、さて、あなた方が大笑して、てこれらを捨て去るか、それとも私が笑ってあなた方を迎えることになるのであろうか …… !!!。
  はて、はて、 … ??、 恐らくは、あなた方は大笑いしながら、捨て去る方であろうが、 ハー、ハー、ハー、…… !!??。
  試みに「現代数学法計算」で計算を行って見てほしい、どのような無様な計算答え、意味の解らぬ答えが現れるのかが解るであろうか。
 
 さてさて、これらの数の並びは、甚だ、興味をそそるばかりのものであり、心が癒される感じがするであろう。それが、自然であり、素直な心の持ち主、自然的な頭の持ち主だけが感じるものなのである。
 一体、何故、このようにスミノース的な匂いをさせながら、「数」は登場するのであろうか…!!??。
 はて、はて、この計算はあなた方のような優秀な頭の持ち主にはにはには到底判らないものであろう …!!??。だだし、ヒラメキのある御仁や研究心の強い方は解るであろう。
 
 何故ならば、これらすべては「9進法」計算によるものであり、マイナスの数などはまったく無いものであるからである。これが「自然の数学」の形態であり、自然的な「数の真実の姿」と言うものである …… !!!。
 何回も言うが、「マイナス数」とは「あの世の数」であり、「この世の数」である「プラスの数」とは存在している場が180度異なっているものなのである。その事実を知らず、「現代数学」は同一空間軸に置いて計算しているので正しい答えが出せずに呻吟しているのである。それを知らない極楽トンボが現代人であり、「現代数学」なのである。それを図にして作っ本人が、あの数学史上で有名な哲学者で有名なルネ・デカルトである。
 彼は、自然の対称性の意味を取り違えて、動的、すなわち、連続的な対称性を考えたのであり、それがあの有名な「デカルトの座標図」である。しかし、本来の自然の対称性とは、静的な重ね合わせ対称性であり、それが自然の本来の姿そのものなのである。これらのすべては古神道の「カムナガラの道」から学んだものである。
 これらの真実を知って考えない限り、何時まで経っても自然の真実は明かされることは無く、また、我々の知は何時まで経っても 進展等は一切無いものである。そのことだけは是非知ってもらいたい。
 
 これらすべては直観的で、かつ内的な感性にて感じるものである、そのあたりを、あなた方の直感に訴えながらシッカリ考えてもらいたい。とにかく、宇宙自然界にはマイナスの数などはまったく無く、すべてはプラスの数により成り立っている事だけは、是非、知ってもらいたい。要するに、マイナスの数が現れた場合には、それをプラスの数に直してから計算を始めなければならないと言うことなのである。
 その証拠が欲しいのならば、是非、上記2題の簡単な計算を「現代数学」で答えを出し、「神の数学」の答えと照らし合わせてみることである。それは小学生でも出来るような簡単な問題であると言って置きたい。
 
 さて、どちらの流れがスムースであり、かつ、スミノース的な匂いを発しているのかはお解りになるはずである。とにかく、自然の数の流れを示しながら見事な整数体系列を持って、我々の目を引付け、心に響き合うものが本物の自然の数学体系と言うものなのである。
 
 甚だ興味があると考う皆様が多ければ、毎月、これらの問題を少しずつ提供してもいい、まあ、皆さん次第であり、皆さんが大いに望めばの話である。
 
 これらは「神々のノート」からの出題であり、このような易しくて高度な「神の語り」、「神の秘儀」が現在、数多姿を現わして、我々に真実の存在を伝えているのであり、しかも、現在、それが進行中なのである。
 更には、もっと興味深い「神の知」の核心に迫る数多の「神の秘儀」を数多用意しているので、要望がありさいすれば、何時でも忌憚なく提供していくつもりである。


 今のところ、意識による「天の岩戸開き」により、全部では40ヶ近い「神の秘儀」の存在を確認しているのであるが、全部では100くらいはあると思われる。この判明した40ヶを約1年間かけてあなた方に閲覧してもらえるように頑張っているのが「神々のノート」であり、約1年かけて皆さんにお配りしょうと頑張っている最中である。それらはすべては「天の岩戸」を意識で開いた時に現れた「神々の秘儀理」と言うものであり、今の今まで隠されていたものである。それらが、やっと、数千年ぶりに姿を見せて、学ぶべしと、迫っていおるのである。
 
 要するに、それらすべてを事細かく「神々のノート」に記載しながら、あなた方のお手元に出した「本物の答え」を毎月届けている最中なのである。とにかく、目が点になるのは確かなことであり、心がますます知的にナーバスになり、宙を躍ることは請け合いである。また、同時に面白いこと限り無いものでもある。
 また、恐らくは、この「神々のノート」を新たに検査検証を行っている最中に、あなた方は思いもよらない驚くような「神の秘儀」に遭遇し、頭を大いに悩ますことになつて、我を忘れて呻吟するであろう。
 「神の数学」はそれを克服することから始まるものである。
 
 まあ、これらの事実がこれから世界に広まりることにより、日本民族の知の優秀さは、改め知られることになり、益々、日本の国の株は上がって行くことになるであろう。正に、弥栄、弥栄であり、やっと、正式に日本の国が昔から、素晴らしい、神々に愛されて来た国であることが世界中に知れ渡ることにもなると言うことでもあろう。まさに、弥栄、弥栄の限りであり、万々歳である。

 とにかく、これからは日本の国力、日本の叡智が世界を動かすことになり、世界中が日本と手を結ぼうと懸命に努力するのは間違いの無いことであり、日本はあのアインシュタインが言っていた世界の盟主国となると言うことは間違いの無く、本当のことであったと言うことである。

 さあ、我々日本民族も期待を裏切ること無いように心を磨いて世界の為に努力しょうではないか…!!!。
 恐らくは、この令和の次代がその分岐点になることは間違いの無いことであり、以て瞑すべしである。
                                      



 
  実相 「天の岩戸開き」≪2の巻≫

                                 令和5年1月吉日
 

 2回目の「天の岩戸」を意識で開いた結果について、その後の様子をジックリと述べて見ることにしたい。

 それまでの古神道の太祝詞である「カムナガラの道」は平面的な数の示しであり、現代の物理学でも内容を十分に把握することが出来るものであるが、今回の意識で開いた「カムナガラの道」は、何と、驚くことに、空間的な「量子力学的な構図」を持っているものであり、現代の我々には少々手が出ず、すこぶる重々しく感じられるものである。何故なら、そこでは「数」が色々と囁きながら、我々の知らない驚くべき「自然の大律理」、すなわち、「神の秘儀」の存在と言うものを囁きながら、我々に授けようとしている気配が見えるからである。

 例を申し上げよう、今の我々の知では、従来の天照大御神である「カムナガラの道」の図の中から3次元の我々の世界を引っ張り出そうとしても、この「カムナガラの道」の本体図からは9ヶの「3次元の平面世界」が見い出せるだけが関の山であろう。
 その9ヶの図、それがすなわち、「現代物理学」の限界知であり、その限界と言うものである。しかしである、量子力学的な見解、すなわち、意識の力で、もっと出来るだけ空間的に細分化し、量子学的に見た場合、そこには何と驚くことに、100近くの「3次元の世界」が出現し、内容的にはそれらの存在意義や、囁いている内容さえも十分に確かめることが我々にも出来ると言う驚くべき結果が見られることになるのである …… !!!!。
 それが、すなわち、令和の「天の岩戸開き」と呼ばれている不可思議千万な神知的な大いなる現象なのであり、私が学んでいる古神道の「カムナガラの道」から飛び出した驚くべき大いなる「神の図」なのである…。。。

 要するに、この「カムナガラの道」から生まれた100近くの子供たちは、何とも摩訶不可思議な呪文を唱えながら数万、数千年の間、ただただ無為に時を過ごし、いろいろな時代を経て来たのであるが、悲しいことに、今までそれに気が付き、この尊い「カムナガラの道」シッカリと開いて学ぼうとする者は誰もいなかったのである。
 それでも、やっと、ここに来て、不審に感じ、それらの一切を調べ始めた身分の低い私のよう不埒な者が現れて、遅まきながら、今、やっと「神々」達は安堵し、心おきなく眠れると言う状態にあるのである。まあ、少々遅きに失した感はあるのではあるが …… !!!。

 また、最近は天照大御神は男神であると言う失礼なことを言う者がいるのも困ったものである。しかし、それは御覧の通り、100近くの子供たちが腹中にいて驚くべきことを口々に唱え合っていることから見ても、天照大御神は女性神であることが判ろうと言うものである。要するに、昔からの由緒ある口述こそが正しいものであり、まさに神話の伝えていることが正しかったと言うことが判ろうと言うものである。

 更に、驚くことに、この「カムナガラの道」の子供たちの「3次元の世界」の仲間には目には見えない不可思議な「幽霊次元」と言うものが数多共存状態で存在していることが、つい最近、令和にになってから気が付き、我々が存在するはずの無いと思っている「幽霊界と言う存在象」とは噂ではなく、すべてが事実そのものであり、実際的に存在し、遭遇可能あり、調査も考えようによっては可能なものであることが判って来たのである。
 その仔細一切が事実であることを、これらの「図」と「数」により完全証明が出来るような現在であり、誰でもその気になれば自分の手で、何時でもその証明が可能になると言うものなのである。
 それらを私は称して、意識により拓かれた「新たな空間的な世界」の出現、すなわち、意識による「天の岩戸開き」と呼んで、その一切次第を懸命に調査研究しているのが現在なのである。 
 
 それが、まことに恐るべき「空間的な量子力学的な世界」の出現であり、その仔細一切、証明の一切と言うものが、私の毎月出している「神々のノート」の中ににシッカリと記載され、明らかにされているのはあなた方も十分にご承知のことであろう。まさに、それは歴史的にも大変重要な記録であり、人類初の「神の叡智」の記録と言うものである。しかも、それは理論上、または計算上、当を得たものであり、それにより、まさに倒れるばかりの古神道は完全に息を吹き返し、改めて、「世界神道」、「宇宙神道」へと昇華進展を始めることが可能になったのである。 ただし、それだけの俊才英才が神道界に現れることになればの話であるが …… !!!!。まあ、現在のように古い仕来たりのみを懸命に追っているような状態では到底無理なことであろう。

 しかもである、今回の「カムナガラの道」を意識で開いた場合には、何と、そこには100近くの「3次元の世界」が現れて、繰り返し、繰り返し、声を揃えながら、また、手を替え、形を変えて様々な「真理の呪文」を連唱し、本当のあるべき「自然の真実理」、すなわち、「自然の理律」を我々に告げようと懸命になっていることが判って来たのである。 まさに人類史上の一大事が、現在発生中なのである。
 
 これが学者達の言う「量子力学の世界」の姿そのものであり、一種の「意識の世界」の開眼の始まりであり、一つの「量子力学」的、または「波動力学」的な世界の現れの現実的な出現と言うものなのである。
 恐らく、それは物理学者達が言う「パラレル・ワールド」と言うものであり、前後左右に厳とした規則をもって広がっている「大いなる未知の世界」、それがすなわち、空間的な自然界の現れと言うものなのである。
 しかも、それは現在、バランスが崩れた状態で姿を現わしているのであり、そのバランスを補正して、正しい次元関係を作り上げているもの、それが「見えない次元」であり、我々には「見ることも」、「察知する」ことも出来ない「幽霊次元」と言うものなのである。そのあたりについては、いずれ近い中に、すべての詳細をこのぺ−ジの中で明らかにしていくつもりであるが …… !!!。
 
 まあ、そのあたりについては、ひとまず、この「カムナガラの道」の表を見ながら考えて見て欲しい、ヒラメキの鋭い方は恐らく判るはずである。 現在、学者達は「宇宙は9次元か、10次元かについて検討を始めて、久しいようであるが、その本当の答えも、この「カムナガラの道」の表にはシッカリと回答が示されているのであるが …… !!!。 何と言うこと、誰も気が付く者はいないようである…!!!。
 いや、もっと観察眼と洞察眼の鋭い方は、ひょっとすると、この中から「幽霊次元」の存在を嗅ぎ当てて20ヶ近くの「見えない次元」の存在さえも、見つけ出してしまう事もあるかも知れない、一つ、頑張ってもらいたい。
 
 また、この「カムナガラの道」の子供たちが唱えている呪文の数(種類)は100近くあるであろうが、残念ながら、私一人の手に負えるもの、すなわち解明出来たのは今のところ、40くらいなのであり、残りは未だ手つかず、悲しいかなそのままの状態にあるのである。
 近いうちには何とかしなければならないと、しきりに焦っているのであるが …… !!!。
 
 その検証結果を小々紹介して見よう、何と、驚くことに、この100近くの「3次元の世界」はすべては母親である「カムナガラの道」のDNA(遺伝子)を受け継いでいて、それらは母親と同じことを口々に叫んでいるのである。しかし、学者達はそんなことがあるはずが無い、出鱈目であると大きな声で反発し、大笑いするだけである。
 しかるに、その遺伝子の存在事実は一つや、二つではなく、数多あって枚挙にいとまが無いくらいである。
 
 要するに、母親の「カムナガラの道」が、「すべての本性は0であり、無である」と叫べば、100近くの子供達も同様に口を揃えて「すべての本質は0であり、無である」と答え、369が自然の真実の答えなのであると叫べば、100ヶ近くの子供達も、声を揃えて、同じ言葉を叫んでいるのである。そのあたりのことは少々、学べば誰にでも判ろうと言うものである。ているのが、誰にでも判ることなのである。
 その様はまことに圧巻であり、見事なものなので、手を打って心から喜び,踊り出したくなるものである。

 また、最近、正体不明な「数」と言われている 147、258、369の数はこれらの「3次元世界」創り上げている90ヶの子供たちの持っている各図の対角線そのものの姿である。要するに、それらの二つの対角線の一方の90ヶのすべては、1,4.7,で作られているのに対し、もう一方の90ヶ対角線のすべては 2、5、8、で作られていると言う驚くべきものものなのである。しかし、その意味する所、すなわち真実はまったく不明なのであり、何かを訴えているのは間違いの無いことなのであるが …… !!!。
 これらの二つの対角線は対逆的な性質を持っていることを知ってもらいたい。 要するに、対角線とは対逆的な関係にあるものなので、一方を反対(逆さ)にして加算するとすると、あら不思議、258+741=999になって0になり、初原の0に戻って弥栄となるものなのである。
 とにかく、147,258、360の数は宇宙波動の重要なものであり、基本的な宇宙波動数列と言はれているようであるが、そのあたりのことは、あの有名な科学者であった二コラ・テスラも言っているようである。

 また、あなた方は弥栄の本当の意味を知らないようであるが、弥栄とは9になり、すべては整えられ、満タンになった(完成された)と言うことであり、また、同時に、それは0にもなり、すべてを満足させ、完全完成に至ったと言う事でもあるのである。最近の宇宙物理学は「宇宙の本質は0である」と言っているが、まさに宇宙は全体的にシッカリまとまっていて全体的な本質は0に納まって、永遠を謳歌し、未来永劫な姿を示しているものである。そのあたりのことは古神道の「カムナガラの道」を計算すれば誰でも判ろうと言うものである。

 要するに、9になると同時に、それは0でもあると言うことであり、9の数を頂点とした循環世界の存在こそが、本当の自然世界の実体であることを、懸命に告げているものなのである。
 我々の持つ「現代数学」は直線数学であり、果て(
終焉)をもつものである。しかし、「神の数学」は循環数学であり、、果て(終焉)は無く、永遠な姿を持っているものである。それは自然も同様であり、果ての無い永遠を紡いで永劫を誇っているものである。
 
 また、死は同時に誕生であり、改めて生への出発点となるものであると「カムナガラの道」は囁いているのも甚だ興味深いものである。要するに、死は単なる生への一里塚であり、改めて始まる生への単なる出発点(分岐点}でもあり、生命循環の基本そのものなのであると「数」はいみじくも言っているのである。
 
 そのあたりのことは「あの世からの生還者」達が言っていることと、まったく同じものであり、これらの「数図」で調べても、まさにその通りなのである。そのことが、私が常々言っている、3次元世界の数図の前後左右の数を合わせ、それを整えて一つの「数図のピース」を作り、それをバランス的に不足している場に置けば、なんと、それは驚くことに、「数」はぴったり合って、すべての筋が見事に通り、まさに実存状態に入り、活動をし始めると言うのである。しかし、その先については今のところ、まったく不明で難儀の最中なのである。
 
 それがあなた方の好きな筋が通る、「神」の域に入ったと言うことであり、理論通りに「神の道」に入ったと言うことなのである。「神の道」に入る…??、何を寝言を言っているのか、と怒鳴られそうであるが、そのような方は、是非、ご一報願いたい、実物の存在をしかと、お目にかけ、その先にあるものを共に検証して見ようではないか …… !!!!。
 
 また、それが、まさに「幽霊次元」の存在とまったく同じ、由緒のあるものであり、我々の目を見開かせて止まないものなのである。とにかく、確実な「見えない世界」の存在を懸命に教えてくれるものである。
 また、同時に、虚次元的…??な存在体の実在と言うものが新たな視界に入って来たと言うことでもある。
 まさに吃驚仰天の誰も立ち入ったことのない世界であり、ただただ、我々の知の足りなさを痛感するだけである。

 それにしても、この古神道の太祝詞である「カムナガラの道」とは、一体何なんであろうか……!!!。
 我々の持つ「現代知」を遥かに超える「超叡智」を自在に操りながら、我々の「現代知」の次元の低さを、ただただ嘲笑し、馬鹿にしているようにも思えるものである。 さてさて、はてはて …… !!!????。

 その確定的な証拠立証を、何と、古神道の神髄である「カムナガラの道」がとうとうと述べ、かつ実証しているのである。何と、驚くべきことなのであろうか …… ただ、ただ感極まり、号泣するだけである。
 

 何と、この「カムナガラの道」を学んで行くと、驚くことに、昔の人々が語り継いできた「輪廻転生」は真実そのものであったと言うことであり、死から生へと、生から死へと、我々の生命的な回路は丸い円の上を生死を繰り返しながら、巡り、巡っているものと言っているのである。要するに、それによると、死とは永遠なものではなく、すぐまた再生してこの世に再び戻って来て活動出来るものと認識すべきものと考えてもいいようである。
 その事実を「カムナガラの道」は素直に歌い、教えているものなのである、はて、はて、 …… !!。。。
 
 もっとハッキリ言えば、死んでも意識はまったく同一な状態で新たな肉体{
ボデイ}をまとって生まれ変わる、 それが古から言われている輪廻転生の本当の姿であり、それはまさに正しい言葉であったと言うことである。 その驚くべき事実をいみじくも3千年前に存在していた古神道の大祝詞である「カムナガラの道」が言っているのである。まさに驚き、桃の木と言うものである。
 
 もっと、真実を突き止めようと思うならば、本来、我々が本能と言っているものは、我々が何千回、何万回と言う生死のはざまで繰り返し覚えて来た経験則そのものであり、決して、DNAなどに組み込まれて自然発現しているようなもの等ではないと言うことなのである。
 
 どうも、「カムナガラの道」の「数」の走りから推測すると死んでから生まれ変わるまでは、何と、約、10年くらいのように思われるのであるが、ただし、人生100年と考えた場合に、その十分の一くらいと言うことであり、早逝した者はそれより早く生まれてくるようである。

 また、ひょっすると「あの世」と「この世」は、メビュースス的な「裏」と「表」の捻じりを見せながら存在しているのかも知れない、その仔細の一切をこれから、「数」に教えて貰わなければならないのである。
 そのあたりのことを重々承知はしていたのであるが、余りの忙しさに手がまわらなかったのである。

 あなた方もご自分の手で検証して見ては如何かな、…!!。そのためには次のことをシッカリ学ぶことがふ必要なのである。要するに、表が1なら、その裏は8であり、表が2なら、その裏は7であると言うことである。

 今の学者達は、紙の表が
なら、その紙の裏もであるとの認識で動いて来ているようであるが、それは大間違いなのである。それはあなた方の正面には、顔があつて目、口、鼻、がついている、これが事実である。
 そうすると、同じように考えて行くと、あなたの後ろも同じように顔があつて目、口、鼻、がついていることになると言うことになるのである。
 我々は一枚の紙とまったく同様な立体的な構造体であるが、我々は後部と、前面ではでまったく異なる形状と内容を持っているのが常識である。それは一枚の薄い紙でも、まったく我々と同様な構造体、すなわち、立体的な構造を持っているので、そこには「天」と「地」的な相対的な関係があり、当然、裏と表は別な形が存在していると考えるべきであろう。
 それも知らずに、紙の片面が
なら、当然、その裏もであると思い込んでいるのが、古来からの学者達であり、また、同様に「その知」を当たり前に受け継いでいる我々、現代人なのである。

 それは「カムナガラの道」を調べることにより、誰でも十分に納得することになるのであるが …… !!。

 古神道の神髄、神道の神典である「カムナガラの道」はそこまで詳しく述べているのであるが、いかにせん、
形而下の学知である「西洋知」にぞっこん夢中な日本人は、形而上の学である「古神道」等には見向きもせず、ただただ、一段下の西洋知に溺れてその先棒を担いで満足しているのである。哀れと言えば、哀れでもある。
 
 その検証方法は資料さえ見れば、誰にでも解るような割合に簡単なものであり、一目瞭然なものである。
 それは例えて見ると、子供たちが遊んでいジグソーパズルのようなものであり、ヒラメキと少々の洞察力があればピタリと真実を抑え、本来の真実を知ることが出来ると言うものである。それらすべては古神道の「カムナガラの道」語る事実であり、少々の知識とヒラメキが有れば、日本民族であるならば、誰でも作り上げて開示することが可能なものなのである。
 
 ご連絡頂ければ、「カムナガラの道」の原図と、その計算用紙ををすぐにでもお送りする用意が整っているので申し込んでもらいたい。もし、ご要望があれば、「神のノート」の易しい計算答え等も添えてお送りしたい。
 
 遥か古代の超知識である「カムナガラの道」、それは古代ばかりか、現代の先端科学を凌ぐばかりのものであり、驚くことに生死の謎でさえも、詳しく「数」で描かれているものなのである。恐らく、これは神々の最高の秘密であり、いまや、それを人類に教えようとしている気配があるのである。しかし、いかにせん、余りにも、現代の常識から離れた、思いがけない知識なので、知に疎(
うと)い人類は受け取ることを頑なに拒否しているような有様なのである。要するに、現代の西洋知の程度では理解が無理なのである。
 
 それには別に、「現代科学」のような小難しい数式や記号などはまったく不要であり、僅かばかりの小学生並みの計算力と洞察力、それにヒラメキが有れば、それで十分なのである。その上、それは自然的な流れに沿ったものであり、しかも小難しい現代物理や現代数学の知識はまったく不要であり、あくまでヒラメキと少々の洞察力があれば簡単に判かるものであり、後はそれを利用して、不足状態にある一枚の見えないジグソーパズルのようなものを作り上げて、適所に置けばいいだけなのである。

 要するに、それを生まれる前の位置に置くことにより、すべては完成完了となり、生と死は繋がっているのは判るのであり、すべては円満に終わり、「あの世」と「この世」は、バランス的に繋がっていることがハッキリと見えて来ると言う状態になることが判るのである。
 
 とにかく、学者と言うものは、ただただ「現代科学知」は難しいことはいいことである、難解な言葉や記号を用いることはいいことである」と言って人々を煙に巻いているだけであり、それはただ、素人を介入されないように難しいものと言うバリケードを張っているに過ぎないだけなのである。
 何故ならば、難解な言葉や記号を用いることにより、小うるさい素人は一切口を出すことが出来ないようにしているのであり、我々の力だけで世界を守ることが出来ると宣って大見えを切り、満足しているだけなのである。
 また、逆に言えば、それ故に、知の一切の進歩、発展等は夢のまた夢となり、何時かは自滅することも当然なことと思えるのであるが…… !!!。しかし、彼らはそのあたりのことさえも頭には無いようである。
 
 また、ジグソーパズルのようなものとは一体、何と、はしたない言葉であろうかと思う方は、私の資料を一見しながら、説明を聞いてもらいたい、ただ、それだけで、あなたは十分に納得し、満足するはずである。
 それほど、至極当然であり、すべては了解の一言に尽きる自然の形そのものなのである。
 まさに、それはジグソーパズルそのものであり、一瞬のヒラメキと洞察力がものを言うのであり、前後左右の数の重なりにより、全体は簡単に決まって現実的な存在となって来ることになるのである。
 さあ、悩んでいるより、一歩踏み出し、「あの世」の存在を確かめ、自分の生き方を考える、それがあなたには出来るのである。
 
 しかし、この「あの世の10年」は単なる私の推測値であり、ハッキリと断言出来るようなものではない。しかし、色々な文献からも解るように、生まれ変わりの事実を色々と検証をして見ても、大体、普通の人ではそのくらいであると断言出来るのである。ただし、よほど因縁のあるような者は別であろうが …… !!!。 

 あなた方も、「カムナガラの道」の表を見ながら、この推測値を楽しんでもらいたい、死ぬことが楽しくなって来るはずであり、恐怖感などは一切何処かに飛んで行ってしまうはずである。
 あとどのくらい生きて、今生の生命は終わり、その後10年くらいで、改めてこの世に戻って来れると考えると死ぬことも余り苦にはならず、逆に面白くなる一面もあるような気がするのであるが、……!!!。 
 まあ、そのくらい希望を抱きながらあの世に御罷(
みまか)る、甚だ結構なことではないか……!!!。
 まあ、そのうちに誰かがハッキリした証拠を突きつけて結論を出してくれることであろうが、… !!!。

 
 その次第とは、すなわち、それらの90ヶの子供たちは連携した波動的な「3次元」の存在そのものは、一つの量子的な存在、空間的な存在となって両隣と上下に巧みに重なりながら、次から次えと繋がって延びて行っている事実が全体に見られるのである。 その重なり率は60%くらいなので、我々はそれに従って連鎖的に次の数図を順序よく作り上げて行くことが出来ると言うことである。また、同時にすべては中心を対称軸にして、上下と左右に対称的な関係を持って次々に伸びて行っていることが見られるのであり、それが重要なのである。
 恐らく、あなた方はそれを見れば、それは自然の法則には深い基本的な対称性があるからこそ、存在可能になっていることを知ることであろう。

 とにかく、すべての素粒子や自然の事象は対称的な関係を持って存在していながら、かつ、連続性を持って存在しているのであるが誰もそれには気付いていないのが現状である。
 
 なんせ、上下左右の重なり率が60%もあるのである。その重なりを上手に手繰って行くことにより、次の隣の数図はどのようなものかが推定が出来、確定に至ることが出来るのである。
 要するに、その重なりを利用することにより、もう一つのあるべき「見えない実体(
実際にはそこには無いが、現実には存在するもの)」が計算により、シッカリした姿で浮上して来るのである。

 それは、まさに現代の最新物理理論、すなわち、量子力学が語っている素粒子の対称性の姿そのものであり、それはこれから、普及していく「自然理論」の先駆けとなるものになることは確かなことであろう。
 それは、恐らく、中学生程度の頭脳と探求心があれば、簡単に出来るものであり、これからは「現代物理学」を窓際に追いやって、まったく「新しい、新しい物理理論」を再構築することになることであろう。
 
 現実においても、今はそのシフト・チエンジの始まりであり、あと、20年か30年後には「現代物理学」は完全に窓際に置かれ、人々は目もくれない、見向きもしないような状態になるであろう。
 それは、4,50年前にあれほど権勢を誇っていた「哲学」が、今では完全に見捨てられ学ぶ者もいない有様を見れば判ろうと言うものである。所詮 人間知とはそんなものである。  ハー、ハー、ハーー 少々 口が(論が}過ぎるか、それならば、ごめん、ごめん 。

 私は、その見えない次元を称して「幽霊次元」の存在と言って楽しんでいるのであるが、その隠された「幽霊次元」が無ければ我々の世界はバランスが崩れて、もろくも崩れ去って成り立たなくなるものなのである。
 要するに、「幽霊次元」の存在こそが、自然次元のバランスを取っていて、均衡を保っているものであり、「幽霊次元」が存在しなければすべての存在と言うものは一瞬で無くなってしまうことになるのである。 
 そのあたりは「カムナガラの道」の詳細を極めると誰にでも判ろうと言うものである。
 要するに、古神道の「カムナガラの道」はそれほど偉大であり、奥が深いものなのである。
 恐らく、そのあたりは「現代科学」が束になって、かかっていっても叶わないものなのであろう。
 
 まさに、我々の世界は調和とバランスの世界,すなわち、「陰」と「陽」の重なりの上に成り立っているからこそ、永遠を誇って自然の回廊を巡って常に存在しているのであり、そのバランス関係が崩れると、すべては完全に崩壊し、存在不能になってしまうものなのである。そのあたりはシッカリ知ってもらいたいものである。
 
 そのことは、要するに、我々の現実世界でさえも幽霊界と言う「見えない存在」が有ってこそ、初めて存在可能になっているものであり、そのあたりから見ると幽霊の存在は当然なこととなるのである。このことはこれらの「カムナガラの道」の子供たちの「重なり具合い」から見ても一目瞭然なことであり、まさに現実的なものと言ってもいいものなのである。

 考えて見ると、今から、30〜40年前に、ニュース界に驚くべき激震が走ったのを、年配の皆様の中には覚えている方もいるであろう。何とNASAの宇宙物理学者が言うには、「
太陽の向こう側に地球と同じ公転軌道上を回るまったく別の地球が実在している、ただし、それは光の反射具合や、電波の乱れ具合により、時折、微かに姿を現わすだけであり、通常は見えないし、、姿を現わすことも無い、異次元的(幽霊的)な存在と言えるものである、と言うニュース通信記事であった。
 これは「見えない世界」の実在記事であったのであるが、しかし、今、この「見えない次元」の存在が「カムナガラの道」の数字解により、確かめられることになれば、恐らくは新たな局面のニュース、もっと確実な答えの仔細というものが、改めてニュースとして飛び交うことになるであろう。
 ひょっとすると、新たな面白い局面の展開がこれから始まるかもしれない …… !!!!。

 
 とにかく、これらの事実を出来れば、あなた自身の手でシッカリ確かめて、いろいろと検証した上で、あなたの手で世の中に出してもらいたい、それが今の私の望みであり、いま、最も希望している事である …… !!!!!。
 今の私は余りの出来事にただただ、これらの「神の言葉」を抱えてウロウロしている状態であり、10日に一回くらいの頻度でこれらの「幽霊次元」の資料を覗いて、ただただ溜息をついているような情けない有様なのである。何故なら、その「幽霊次元」の資料を改めて調べようとすれば途端に心が沈み、手が出せないような状態に落ち込むことになるのであり、そのたびに、また、次回に回そうと心が鈍るだけなのである、それが何回続いていることやら…!!!。あ、あ、情けない、何時になったら頑張ろうと言う気が戻って来るのであろうか …!!!。

 さあ、少し、歩を進めようとしても、今のところ心が言うことを聞かず、手が出せず、沈滞状態が続いているばかりであり、、毎日が塗炭の苦しみに苛(
さいな)まされながら、鬱々として時間が経つだけである。
 まあ、それでも、時が経つにつれて何時かは正常に戻ることは経験上、判っていることではあるが ……。
 さてさて、それは何時なのかが皆目わからないのが不安なのであり、精神的に参っているのである。
 しかも、現在、そこには、まさに汲んでも汲んでも尽きない数多の「神の秘儀」が整列して出番を待っているような状態であり、それを見る度に我が身のヒラメキと洞察力の足りなさと言うものが感じられて、ますます、心が縮んでしまうだけである。さて、何時になったらこのピンチから脱出出来る事やら …… さて、さて、……!!!。
 ひょっとすると、これらは我々人間に少々早すぎる「知」なのかもしれない、そう思えることも再々である。

 
 彼ら、すなわち、「カムナガラの子供達」は驚くべき色々な自然事実律の存在を口々に囁いているのであるが、そのあたりの事情も、是非、自分の手で確かめて見ることこそが大切なものであると思われる。
 とにかく、すべては流麗に流れて止まることを知らないもの、それが自然の流れであり、しかも、バランスを持って永遠に流れる永遠の流れと言うものなのである。しかも、その流れは一方ではなく、循環しながら永遠の中を巡り巡って流れて行く、力の尽きないの流れであり、常にバランスを取りながら神妙な形で流れていることを、是非とも、知ってもらいたい。
 
 そういえば、同じようなことを量子力学でも誰かが言っていたような気がするのであるが、知っている方は教えてほしい。確か、「重なり理論」とか言っていたような気がするのであるが、年を取り過ぎて忘れてしもうた。
 よく見てもらいたい、この古神道の太祝詞である「カムナガラの道」は見事なほどの「重なり理論」から成り立っている優れものであり、誰もが驚くような「重なり理論」を持っていろいろと我々の知らないことを語り上げているものである。論より証拠、この「カムナガラの道」の数図の真ん中を縦に折って重ね合わせて見るがいい、その二つ重なった数の合計は、すべて、9であり、0なのであり、陰陽の極値を示し、それが何かを教えているているものである。 また、真ん中を中心に今度は横に折って見てもらいたい、はて、結果は如何に…!!??。 それも、誰も知らない「神の秘儀」の一つと言うものであり、弥栄を示すものである。

 確か、それは神話にある「まぐあい」、それは、すなわち正面同士の重なりを指すものであり、完全なバランスの存在こそが確たる自然の存在を造り上げている事を意味するものである。また、その重なりの存在こそが、それら二つは結びつきはまさしく「陰」と「陽」の結びつきであり、正しい結合状態を指す言葉でもあるのである。 
  さて、さて、 お解りになるかの ……、はて、はて、 …… !!???。
 
 それによって見えない象である「幽霊象」は完全に存在していることは理論上完全に証明が可能なのである。見えないし、理屈に合わないからと言うのは学者達の詭弁であり、証明不能ゆえの我々に対しての騙し言葉と言うものなのである。 得てして西洋科学の真実とはそんなものである。 ハー、 ハー、 ハー、…… !!!

 また、その幽霊的な存在は死んだ後にそのままとどまっているのではなく、何と、生まれる前の位置にチャンと常に存在して、誕生を見守っているものなのである。しかも、それは没した時の姿形そのままの姿でその位置(
生まれる前の位置)に現れて見守りながらとどまっているものであり、まことに不可解千万なものと言ってもいいものなのである。
 要するに、それが、生まれる前の「見えない存在」としての本来の存在意義そのものであり、生へ向かうための予備的な存在、いや、確かな存在とも言う当然な自然の姿なのである。それが、すなわち、幽霊の本当の正体であり、これから始まる新たな生への準備的な第一歩の姿と言うものである。それはまさに、生へ向けての第一歩の始まりと言う自然の姿であり、今までの我々の知には完全に欠けていたものなのである。
 
 まさに、それが人々の「幽霊と言う象の存在」であり、現実的には見えないけれど、チャンと存在し、実在しているものであり、また、当然、自然の理から言えば、存在していなければならないものである。
 
 改めて言う、幽霊象、それは数と図がシッカリと示す通り、不可視ではあるが、完全に理論上存在していなければならないものである。また、実在的に存在しているからこそ、自然的なバランスが取れているものなのである。
 それが自然の法則と言うものであり、それを称して、我々は「陰」と「陽」、あるいは「天」と「地」と言っているものであり、現代物理学では「自然の対称的な基本性」と言っているものである。
 それは申し上げた通り、ジグソーパズルのようなものと思って数を確かめながら置き、しかもそれをバランスの取れる状態の位置を見つけて置くことにより、「陰」と「陽」の均衡が取れて完全に安定状態になるものである。
 要は、易しいものであるが、現在の物理学などでは説明がつかぬものであり、新たな理論展開が改めて始まらない限り、一切は闇の中の存在である。しかし、量子力学の出現により大分、目鼻がついてきたようである。
 そうすると、西洋科学も満更盲目では無いようでもあり、これからの10年、20年が楽しみと言うものである。
 
 そのことを、「カムナガラの道」の90ヶの子供たちは語っているのであり、全体的な「数表」を検証しても、まさに、その通りなのである。 それ故に、正確に言えば「カムナガラの道」の子供たちは81ヶの(実在する存在)+18ヶの(幽霊的な存在)=99ヶの俯瞰的な存在から成り立っている神的なものと言えるものかも知れない。
 また、その平面的な完成図を見ると、その4隅を占める幽霊図を見るとまったく同じ数図であり、何かを言わんとしているようではある。恐らくは、その四隅を重ね合わせることにより、新たな立体図が姿を現わすと言っているのであろう。しかし、今の私には検討し、調査する余裕さえも無いようなボロボロの心の有様なので少々時間的な余裕を戴きたいと思っている。何時かはヒラメキを持つ仲間たちと共に検証に入り、改めて、答えを出して、あなた方に届けて見たいと思ってはいる。

 そのあたりの真実は、これからあなた方が、改めて検証して決めてくれるものであると申し上げて置きたい。 そのあたりのことについては是非、あなた方の手で再検証をして、確実なものにしてもらいたい …… !!。とにかく、易しものであると同時に甚だ、奥の深いものなのである。そのことだけは是非、知って戴きたい。
 
 詳しいことは、是非、これらの資料、すなわち「神のノート」を請求した上で自らの手と頭で検討し、その仔細全般と言うものを見てみてもらいたい。何故なら、現在の「西洋知」、すなわち、「神無し」の現代物理学ではそこまでの理解は無理と言うものであるからである。要するに、「神」の存在を認めていない「現代科学」が「神」を探す事には大きな矛盾があり、絶対的に探すことは不能であり、不可能なものなのである。そのあたりは常識で判断してもらいたい。
 とにかく、自分の手で検証し、自分の心で納得することが何よりも大切なことであり、今の状況では方法はそれしかないと言わざるを得ないのである …… !!!!。
 何回も言うが、ヒラメキさえ有れば、すべては小、中学生、高校生でも簡単に解るような易しいものであるとだけは言っておきたい。また、大変面白いものであり、従来の学知などは一切不要なものである。

 甚だ、興味深い話であると感じた方は、出来れば、是非、来所して共に資料を見ながら検証し、解決に向かっての議論を是非とも戴きたいと思う。それが一番望ましい形であり、私としてもも最も望ましいものである。

 それが嫌なら、簡単な「神の数学」の検証計算の図と数枚の「カムナガラの道」の計算用紙をお送りするので、ご連絡戴きたい。
 ただし、私も赤貧で貧乏状態な簿で、郵送費と実費代で、せめては500円くらいは頂戴したいと思っている。
 
 とにかく、すべてを語りあかし、その上で疑念のかぎりを払拭してもらいたい。西洋の学が理屈で押し進むのならば、日本の学はヒラメキと直感で押し進んでゆくべきものなのであり、決して理屈には負けないものなのである。そのことを「神の数学」は懸命に言っているのであるが、誰も耳を貸さない、悲しいことに……!!!。

 とにかく、古神道の神髄である「カムナガラの道」は「現代科学」や「現代数学」等より遥かに超越している「神の超意識」を誇っているものであることを是非とも知ってもらいたい、それだけは言って置きたい。
 
 恐らくは、完全に理解するのは利発な御仁なら、この「神の言葉」1ヶにつき 1時間くらいで結末は着くことであろう。とにかく、単純でハッキリしているものであり、直載形を持っているものでもあることを知って欲しい。
 
 しかも、それを経ることにより、やがて、あなたは世界一の物知りになり、すべての迷いが吹っ飛ぶことになれば、それでいいではないか、何を遠慮しているのであろうか、ハー、ハー、ハー、 …… !!!。
 改めて、自分で考えながら右往左往して頭を悩ませるよりも、その現物資料等を見ながら共に検証し、議論を交わす方が、自分で考えるよりもよほど手っ取り早いと思うのであるが、果たして、あなた方には如何に思われることやら …… !!!??。とにかく、世紀の一大事そのものである、是非、そのあたりの熟慮を乞いたい …… !!!!。

 
 そう考えると、私が数十年前から呼びかけていた「ヒフミ祝詞」の肝心な最初には、あるべき言葉が欠けている、それ故に、いくら唱えても「神」には届かないと言っていたことは真実そのものだったのである。
 
 要するに、 ヒフミの最初の言葉である「ヒ」の前に肝心な言葉を添えなければ意味がないと言って世間を騒がしたのであるが、今になって、その真実が顔を出して、まさに真実であることを告げているのである。

 私は、当時、ヒフミの前に「カムナガラ」をつけて唱えると、「神」が感応して空気がピンと張り詰める、と言って笑われたのであるが、ここにきて、その証拠がありありと姿を現わしたのである。
 その証拠に、最初のヒィの子音はィであり、その前には子音がァである「尊い言葉」が絶対的に必要であると力説したのであるが、誰も耳を貸す者はいなかったと言う苦い経験がある。
 もう数十年前の話であるが、誰もその真意を探り明かそうとする御仁はいなか、イヤ、今でもいない。。。。
 要するに、「カムナ」または「カムナガラ」の言葉を最初に付けると、「ア」の子音が発生し、すべては「アイウエオ」と子音が続いて
大団円となり、弥栄となるのであると言い、人々に勧めたのであったが …… !!!。
 
 要するに、カムナァ、ヒィ、フゥ、ミェ、ヨォー と、数の韻を踏み、完成となって大弥栄に向かうのである。
 疑う方は大音上で数回唱えて見るがよかろう、空気の響きそのものが違い、心に響いてくることが判ろうと言うものである。

 要するに、そうすることにより、子音は完全円満に「アイウエオ」と流れて完全完結を果たし円満具足となって弥栄になるのであり、一切の不都合等はすべて消え失せ、自然の流れの中に完全に身を置くこととなって無心の境地に入ることになり、一切の邪念は消え去るのである。 まさに、これこそは古代の知の円満無欠な証拠であり、現代知には無い完全な状態を語り上げ、表しているものなのであり、また、そこにある大意とは、すなわち「神の大道」、すなわち、自然の大律を語り上げているものであり、それは「カムナガラァ」のアで始まり、ヒィ、フゥ、ミェ、ヨォ、で終わり、更に、循環を続けるものなのである。

 試みに、自分の手でやって見てもらいたい、それにより、古神道の真実と有難味が十分に判るはずであり、あたりの空気がピンと引き締まるはずであるから …… !!!。         
                                       (続く…)

 ()
  
  
実相 「天の岩戸開き」
≪3の巻≫
                                  令和6年1月 吉日
 話
 さてさて、久しぶりに筆を執る羽目になった。これまでの経過に誰か異論、または同意を唱えて、白熱した展開になることをいささか予想していたのであるが、、まあ、何と言うこと、誰も応じ気配はまったく無く、待てど、暮らせど日暮らしの蝉の声が有るだけであり、反応の声等はまったく聞かれなかったのは甚だ淋しく、悲しい …… !!!。果たして、次の令和6年はどのような事態に立ち入ることであろうか 先がまったく見えないのは甚だ淋しく、日本の将来が思いやられるような次第が続いているだけである。

 今の日本人は余りにも「西洋科学知」」に憧れ、それに向かって懸命に走り過ぎている気配があるので、そのあたりを是非糺したい。また、同時に先祖達が、一生懸命育て上げて来た大切なアミニズム的な尊い日本神道,古来から何千年に渡って続いて来ている世界でも稀な「日本神道」をまったく価値の無いもの、意味の無いものとして、排斥しているような世の中になっている現状を是非とも糺したいとも思っている。 
 果たして、そのように感じているのは私だけなのであろうか …… !!!。 

 
 考えて見れば、無理も無い、明治以来、日本神道は宗教ではないと外国の宗教家達から散々言われていたのである。何故なら、「神道」は我々の宗教と異なり、主もいないし、教本も無い。要するに、何処から現れ出たのかが、まったく不明で、正体が判らないと、様々、異口同音に散々、陰口を叩かれてきたのである。 
 それに対して、神道の神官たちは何も抗弁は出来ず、悔し涙を飲んでいただけであり、口を開くこともなかったのである。

 今考えて見ると、それは当たり前である、そもそも、神道はとは「自然の理」の解明と、その律理を我々に教えるための「神の教え」であり、いわば、「神の教本」的な存在、すなわち、「神の神典」とも言うべき存在であったのである。その存在こそが、今も各家で祭っている「天照大御神」のお札であり、その本来の正体は、あの古神道の神髄と言われている、失われた「カムナガラの道」なのである。それを厚い辞書を調べても、その名が有るだけで、その内容は既に失われてしまい、まったく判らない、と記されているだけである。
 
 この失われた
「カムナガラの道」、果たして、その正体は ……!!!。
 
 しかるに、よくよく考えて見ると、無理も無い、この世知辛い世の中にあって、「意味不明で、かつ問答無用とも思われるばかりの日本神道こそが、日本の国を駄目にした張本人である」とアメリカの占領軍から難詰されて、それらの関する歴史ある重要書類のすべては集められて、アメリカ本国へと持って行かれたと言う大変な経歴が日本神道には有るのであるが、そのような事情があったことを今の若者たちはまったく知らないであろう。それ以降、日本神道は国民から遠ざけられ、ただただ、衰退の道を歩んでいるだけである。
 
 本来ならば、手間をかけずに日本国内で処分してもいいはずであるが、何故か、手間と時間をかけてすべてを大切に本国に持ち去ってしまっているのである。そこには大きな理由があるのであるが……!!!。 
 さて、さて、 ……!!!。

 噂によると、何処かの大図書館の地下で大切に、かつ丁寧に保存されていると聞く。 さて、さて、その真意とは …… はて、はて、一体、何故なのであろうか …!!??。
 そのあたりのことを日本人はは誰も考えようとはしない、ただ、ただ、あっけらかんとしているだけである。

 本来はこの大切な古神道こそが、「人類古来の宝」とも言うべき非常に大切なもの、すなわち、天与の有るべき大自然の叡智であり、「神」からのこの上ない素晴らしい「戴きもの」と言ってもいいものなのである。
 ましてや、その存在を探し出して、急遽日本神道に戻す、それが急務なのである。
 その証拠に、現在でも、「日本の宝」、「世界を救う日本の叡智」として、その行方を懸命に捜している古神道の信者たちが大勢いることを知って欲しい。何回も言うようであるが、私は、ふとした縁で、この「日本の宝」、「世界を救う日本の叡智」にくすしくも出会い、現在、懸命に解読し、検証している最中なのである。
 しかるに、そこにある「数計算の仕組み」が、「現代数学」とはまったく異なっているので、苦労惨憺の有様なのであり、ご存じの通り、あなた方に助けを求めているような最悪な状態なのである。。。

 そのやんごとない由縁と言うものを辿れば、その仔細の一切は日本で最も古い書物である「先代旧事本義
(さきのよのふるきことのふみ))」、すなわち、この書こそが、あの「古事記」の記載元となったものと言われているものであり、それはまた、同時に日本神道上においては限りない「叡智の魂」の史書でもあり、いわば、神道における「神典」であると代々言われて来ているような非常に大切極まりのない存在なのである。

 
 その「先代旧事本義冒頭には次のような一節があり、代々、神話として大変由緒の有るものとして古くか物語られているものである。そこには日本人としては見逃すことの出来ない不可思議な物語が語られていることを、是非、知ってもらいたい。

 それがすなわち、我々日本民族に神話として語り継がれて来た一つの重要な神話物語であり、神妙不可思議な驚くべき物語なのである。から

 そのあたりをシッカリ考察することにより、まさにそこには不可思議な展開があって、日本史では「三種の神器」と言われている大切な稀代の宝物の本当の正体とその由緒が判ってくると言うものでもある。
 
 そのあたりを少々紹介して見よう。


 
これは「先代旧事本義」の冒頭で語られている日本最古の神話であり、そこでは次のように語られている。
 
 饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が天上界から地上界に降臨する際、天上界の神々から授けられた「10種の神誼(ジンギ)」とは大いなる霊力を有した10種類の言葉と言われ、その力は国家の隆盛も滅亡も操作できるほどの霊力が備わったものとされているものなのである。またそこにある布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」とも言われるものであり、それを唱えると死者も甦るとまで言われている、まことにすざましく、恐ろしい言葉でもあると言われているものなのである。

 しかし、誤解の無いように言っておきたい、この唱えると死者も甦るとは、一つの比喩であり実際的なものではない。恐らくは、そこにある真実とは次のようなものであろう、要するに、死者となった場合、それは必ず、転生し、再び、この世に戻って来ると言うことを言っているのであろう。

 その死から改めてこの世に転生する一切の事実過程と言うものを「数」は知っていて、それを我々に示し、教えてくれるということなのである。しかも、そこにはハッキリした事実と言うものが「数」と「図」で示されているのであり、それが、あの古神道の大祝詞である、あの「カムナガラの道」の真実内容なのである。


 そのあたりのことを日本の古神道の神髄である「カムナガラの道」は
、ハッキリと「数」で教え、かつ、示してくれているのであるが、悲しいことに、我々現代の日本民族はすっかり、それらの事実を忘れ果てて、懸命に西洋の学を追いかけ、学ぼうとしているのである。
 西洋の学とは、単なる「知の影」に過ぎず、そこには「自然の知」の面影等はまったく無い、自然の律に合わない人間の作り上げた「虚の知」そのものであることも知らずにである。

 古文書に記されているように、古(
いにしえ)にあっては、この「カムナガラの道」は「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」とも言われていたものであり、それは「カムナガラの道」を一目見れば誰でも解ることである。
 また、他の古書では「太占(
フトマニ)」とも言われているものでもあり、とにかく、日本最古の言葉そのものなのである。それは、まさに「神言」、すなわち、「神の言葉」であり、疑うことは一切許されないものなのである。 
 何故なら、それを解き放つと、すべてに渡り、何十、何百と言う「神の言葉」が現れて、我々の心胆を寒からしめると言われているからである。また、それらのすべては我々の心の琴線に触れながら我々の心を大きく揺るがして、「神の領域」の存在や、「あの世」のことまでも、あからさまに見せてくれるものなのである。

 

 要するに、それが辞書に残されている、あの失われた「カムナガラの道」の内容であり、
死者も甦えらせるほどの力を持つものなのであるとも言われているものの内容なのである。

 恐らく、あなた方は、死者も甦えらせるほどの力を持つと言う言葉には首をひねることであろう、しかし、ご安心下され、この「カムナガラの道」の中ではその仔細とその構図一切はシッカリ示され、あなた方の知の帰りを首を長くして待っているのであり、心を開いて「学び」を待ってからである。

 ただ、今の、今まで、あなた方は何も知らないだけであり、何も考えようともしないだけなのである。

 その中身とそれにまつわる一切、要するにすべてのものは既に私が解き放ち、今回の「神のノート」の後に続く番外編にチャンと記載し、その驚くべき内容を世間に公表する手筈になっていることを知ってもらいたい。
 
 驚くことに、そこには物理理論に則している「あの世の存在」さえもハッキリと謳っているのである。
 そこには間違いなく、輪廻転生は自然の道であり、生物のすべてはそれに従って生命を繰り返しながら、永遠の時間を乗り切ろうとしていることが判ろうと言うものなのである。
 ただし、今のところ、そこには少々不可解な点があって、これから、それを乗り越えなければならないのである。「数」の語りによると、「生」と「死」、それは、どうもメビュス的な転換点が作用しているような気がするのであるが …… !!!???。 しかし、いくら「数図」を見ながら、頭を捻っても、そこが判らず、答えが一向に出ては来ないのである。本当は簡単なのであろうが、私の知識が追いつかないのであろう。
 
  ハー、ハー、ハー、 誰がそんな世迷言を信じるか …… そう言いたいであろうが、残念ながらすべては真実であり、あなた方が信頼している「数」がそのように言っているのであるが …… !!!!。

 「数」」は決して嘘をつかない、常に真実を指している、これだけは世が果てても真実なものである。

 「数」とは「神」の言葉であり、「神」は「数」を用いて、宇宙自然を無難に治め、生きとし生きるものを大切にしていることを知るべきである。それが「宇宙自然の大道」であり、
「大宇宙の大律理」そのものなのである。
 それをして、我々は「数」は人間による発明なので、「数」には人間知を超えるものなどは何も無いととばかり
嘯(うそぶ)いていたのである。あたりのことを、この古神道の神髄である「カムナガラの道」は「数」でハッキリと示しているのであるが…!!!。果たして、あなたにはそれがお解りであろうか …… !!!???。
 
 
 そのあたりのことを改めて考えて見ると、我々日本民族は古神道の神髄である「カムナガラの道」から改めて、学び直す必要が有るのであり、更には「数」をもっと信じて、その「語る言葉」を聞くべきなのである。
 「数」は「神」の言葉であり、「神」は「数」を用いてすべてを明らかにしていることを忘れないでもらいたい。
 
 とにかく、「数」が語り上げている自然の本質、それを語っているのが、日本神道であり、「カムナガラの道」なのである。そのことだけは忘れないで貰いたい、また、それがこれからの「日本の道」となるのである。
 
 この「先代旧事本義」にある「10種の神誼(
ジンギ)」、すなわち、十種神宝には、鏡が二、剣が一、玉が四、比礼(布)が三で、すべて「鏡」「剣」「玉」の要素が含まれ、後世の三種の神器とも共通したものであり、恐らくは、あの「古事記」に記載されている「三種の神器」の命名の起因となったものと考てもいいであろう。。

 まあ、そのあたりのことはこれからの歴史学者達が調べて、真実を明らかにしてくれるであろう。
 
 しかし、その前に、我々が為すべきことが有る、それは、この「カムナガラの道」から自然の持っている「数の道」、すなわち、「自然数学」の存在を明らかにして、我々の「現代数学」的な意識の薄っぺらさを改めて見直してみる必要があると言うことであり、まさに、それにより大いなる「自然の大道」は開かれることになるものであることを、シッカリ知ってもらわなければならないのである。

 とにかく、そこには無限な「神の叡智」が眠っているのであり、我々が気付くだけで長い眠りから覚めて、いろいろと、教えてくれるのである。とにかく、解き放てば、解き放つほどに、その内側から新しい「神の智」が改めて、新しく湧いて来てどうにもならない状況が続いているような昨近の私の状態である。

 とても信じられないと宣(のたま)う方には、それらを証拠立てるような「数の計算資料」を送付したいと思うので、十分に活用して貰いたいと思う。それが今回の「神々のノート」の24巻の「数仕組みの物語」である。
 ただし、無料とはいかない、私の数十年間の苦労の賜物であり、「数」の言葉を証拠立てとなる大切な、大切な資料なので、1種類に付き最低でも1千円以上は戴きたいのである。それが私の生きて行くための生計であり、生きて行くために必要なものでもあるのである。 ハー、ハー、ハー、哀れな90歳の老人の泣き言でござるよ、生きて行くための泣き言でござるよ、ハー、ハー、ハー、…余り気にしない、気にしない …… !!!。
 
 しかし、多くても最初は5種類程度にお願いしたい、それにより、あなた方が開眼が始まり、人生が一変するのなら、是非、ご協力をお願いしたい。その後、それ以上なものを、私は人類の為にと思って喜んで最大のご協力申し上げると同時に、懸命に尽力すること約束したいと思う。まことに、心苦しいのであるが、すべては有料であり、小学生の塾の1科目くらいの月額料金は戴きたいと思ってはいる現在である。何しろ、大変な、大変な「日本の宝物」の資料そのものであり、これからの日本を左右するようなものであるからである。

 ただし、それらのすべては「神のノート」の資料に記載されているものものであり、誰にでも容易に歯が立つが、しかし、誰にも判らない内容を持つまったく新しい「神の叡智」の数々と言うものである。そのことだけはご了承の上で、これらの基礎学をシッカリ学ぶと同時に、更なる「新事実の発見研鑽」に励んでもらいたい。
 とにかく、これは、2〜3000年前の人類は持っていた「数の計算式」でもあるのであるが、すべては「現代数学」の押され、流されて、今では微かに、その一部が残り、古代バビロニァや、古代エジプト等で占いの際に用いられて来たと言う歴史があるものである。また、もっと古い時代には日本でも用いられて来たものであり、それを証しているのが、この古神道の神髄であるなのである。
 ただ、余りにも古いので、すでに、完全に忘れ去られて、今では行方不明となっていると辞書には書いてあるだけである。 
 しかしである、この「カムナガラの道」の「数」で記されている恐るべき「神の秘儀」と言うものは、現代の最高のコンピユターを何台繋いでも絶対に作り上げることは不可能であり、ましてや、読み取ること等も出来ないものである。なぜなら、現代の最高のコンピユターは人間知により作られているので、人間知を遥かに超えるものには及びがつかないからである。

 それほど、常識外の「神の叡智」であり、我々の「知」等は足元にも及ばないものなのである。

 今回は、ほんの初心者向きの易しいものを選んでご送付申し上げているもの、それが「神のノート」の24冊なのである。また、それらすべては人類の未だに知らない神の持つ「数の理」の数々と言うものであり、恐るべき「神の叡智」の集大成と言うものである。
 しかしである、それらはいくら易しいと言っても、あなた方には完全に未知の「神の学」であり、今の今まで人知れず密かに眠っていたものを私が叩き起こしたと言ういわくのあるものなのである。その経緯は今まで、何回も述べているので、そこはご承知のことであろう。 とにかく、すべては易しいが、あなた方は目を剥くような驚くべき「神の秘儀」そのものである。

 恐らく、記されている内容を人々が知ったなら、現代知は窓際に押し付けられ、新しい「自然の知」を知るために世界は混乱と無秩序の坩堝となるであろう。いや、これは少々言い過ぎかな …… 。
 老いた身はセッカチがあるだけであり、まごまごなどはしてはいられないのである。ハー、ハー、ハー、… 。
 
 もし、あなたが最初の口火を切ったなら、恐らく、これは燎原の火のように瞬く間に、世界中に広がって行くことであろう、とにかく、すべてはこの日本の国から始まるものであり、それがこれからの日本の宿命と言うものなのである。
 
 そのことは、天明さんの「ヒフミ神示」でも数多にわたって言っていることであり、古くは、あの「ノストらダムスの大預言」の中にもにもシッカリと記されていることからも判ろうと言うものでもある。

 ハー、ハー、ハー、… 「ノストらダムス」の預言とは大袈裟なと思うであろうが、そこには次のように記されているので、是非、確かめて見てほしい …… !!!。彼は何回も、しかも、間違いなく、それは日本人であると言っているのである。まことに面白い話では無いか … !!!。

 ●「ある男、失われた言葉を研究し、それを学んで、それまで世界に無かった斬新な学知を人々に知らしめ  ながら、それまで人類の持っていた道義を消滅させる」。

 ●「ある男が21世紀初頭に日本に現れて、この予言を人類の大遺産として復活させ、同時に人類を大いに   満足させる『輝かしい真理』を発表し、それが人類の「黄金の世紀」を実現させることになる」。
 
 ●「その彼は素晴らしい理解能力を持ち、それまで世界になかった学術の創始者になる。また、そのケタ違  いの能力で、古い言葉を理解し、それまでの「道義」を批判検討し、人類を蝕んでいる旧道徳を消滅させる。
 
 ●「その男のその価値の高い作品は、世界に満ちわたる大ベストセラーになるが、その登場の時期には大  虐殺、すなわち、戦争が始まる時で、それは21世紀初頭前後あたりであろう」。
       
 ●「新しく現れる救世の思想は西洋の哲学思想とはまったく縁の無い東洋的な思想であり、それまでのドイ  ツ哲学とは縁遠いもの、それが世界を統治するという大ニュースである。同時にそれは我々には脅威でも  あり、屈辱と怒りを感じる。だが、唯一の天才が世界連合の議場で告げるその新しい哲学とその訓戒は、結  局 人類に支持される」。
 
 ●「その男の死後も残ったその哲学、それは過去に最高だったドイツ哲学より高く、昇った月のように輝く…。」 等の色々な予言が、「ノストラダムスの預言集」には記されていて、散々日本を褒め上げているのである。        
 
 また、ノストらダムスは更に言っている、「大不況がきっかけで目覚めた日本はそれからの世界をリードして行くであろう」と、また、これからは「石油に代わるエネルギーが世界を救う」とも言っているのも甚だ面白い、まさに現代の日本の世相そのものを表しているように思え、気分が快となるものである。
          
これらはすべて、真説 ノストラダムスの大予言「黄金の世紀」……加治木義博著からの引載である。

 ハー、ハー、ハー、甚だ、面白いではないか、大いなる過去の学の無い偉人達は知っていたのであるが、現在の学識豊富の方々には、初めて聞く言葉であり、甚だ耳が痛い言葉と聞こえるだけであろう。
 これはまさに、世紀の、いや歴史上のスクープ事実であるが、真面目に考えようとするような御仁は恐らくいないであろうが…… ハー、ハー、ハー、 それが現実と言うものであり、今の世相なのである。。。。
 大笑いしたい方は、どうぞ、大声でお笑い下され、でも、いくらかは心に残して、何時の日にか思い出して下され……、それだけは、お願い申しあげたい …… !!!!!。
 
 とにかく、「大いなる知」の変動がこの数年あたり、すなわち、21世紀の初頭に起こることは間違い無いことであり、それは日本から始まる「神の叡智のウェーブ」であると、ノストらダムスはいみじくも言っているのであるが …… !!!。

 また、同様に、天明さんの「ヒフミ神示」も同じようなことを伝えているのも面白い限りである。

 しかるに、恐らくは、極楽とんぼの日本人には有難迷惑な言葉、一人よがりの言葉としか聞こえないであろうが、聡明なあなた方にはジックリと身に沁み、十分に判ることではあるであろう …… !!!。

 現代の世相と言うものをシッカリ見て欲しい、すると、何か、現在、すべては日本に有利な展開となっているようであり、世界中では、日本が注目の的になっていることに気が付いて貰いたい
 
 これからまさに、「天の利」が日本に降りて来て、日本の国は世界を牽引して行くような素晴らしい展開が始まることは疑いはない。要するに、これからは世界が日本を見習うするようになって、全体的に日本化が進んで来るのであり、世界が一つになってまとまった状態になって来ると言うことである。
 
 まさに、これからは豊かな将来を迎えることになるのであり、人間の「ユートピャ」が出現するのである。
 それが、ノストラダムスの言う「黄金の世紀」であり、まさに「日本の世紀」そのものの出現なのである。
 
 ハー、ハー、ハー、まことに面白い展開になって来るのであるが、残念にも、私には見えない、聞こえない、何故ならば、それは90歳に近い私にとっては少々未来過ぎるからであり、縁遠い話であるからである。

 一つ言って置きたい、恐らく、あなた方は最初は相当に苦労するであろうが、それでも、是非、続けて「神の数学」の調査検証に励んで貰いたい。とにかく、すべては易しいものであり、同時にそれは大変難しくて頭を悩ますものでもあるが、甚だ面白く、人の心を引付けて止まないものでもある。
 また、そこにはヒラメキとインスピレーション、そして絶え間ない努力と言うものが必要となるものでもあり、学ぶことによって「神」とその存在が、ひしひしと案じられ、「数」はすなわち、本当の「神の言葉」そのものであることが判り、向学心が芽生えると同時に、心は溌剌となって何者も恐れない気丈夫な人間に変わってゆくのである。是非、それを望みたい …… !!!。

 さあ、いよいよ古神道の神髄である「カムナガラの道」の出番である、要するに、これが噂にあった「世界を救う日本の秘宝」であり、あのノストらダムスの言う「世界の道義」を根元から変えてしまうものなのである。
 さあ、どの様に「世界」は変わって行くのか、20〜30年後のその実際の有様をあなた方は見ることが出来るのであり、「カムナガラの道」の威力をまざまざと見ることができるのである。まあ、羨ましい限りである。
 
 もし、学んでもどうしても判らないものが、大分、有ることではあろう。しかし、悩むこと等は不要である、遠慮なく文書でも電話でも連絡してもらうか、来訪してもらえれば、必ずその回答は手に出来るものである。
 まあ、全部とは行かないであろうが、初歩的な問題の答えには十分に役に立つはずである。
 初歩的と言っても、あの弘法大師あたりが散々、迷って一生を送ったもの等の言葉の類なのである。
 要するに、偉い人間でさえ解けなかったものを、「神の数学」はさらりと解いていることを知って欲しい。

 夜の9時から12時までは回線を空けて置くので、真面目に学ぼうとする方は是非、電話、もしくはFAXにて遠慮なく連絡のほどをお願いしたい。
 
    TEL&FAX …… 0558ー76ー4334 
  
 
                                 
世界で唯一の数の語り部  ……  「神の数学」  佐藤敏夫