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  【超古神道物語】

   「神の数学」の真実を語ろう



 あなた方は知らないであろう、世界の「神秘思想」や「秘教」の大分部は、古代日本から世界に流れて行ったものである。
 要するに、すべての知のル-ツは日本にその根が有ったのである。その大元の根とは日本の古神道の真髄を語っている、あの失われた
「カムナガラの道」、すなわち、奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」の本体そのものなのである。
 しかし、現在の日本人はその事実を誰も知らない、今では有名神社の神官達にも、完全に忘れられている幻の存在なのである。
 また、彼等神官でさえ、古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌に秘められた数々の「神の秘儀」の存在については一切知らず、ただ、漠然とした口上ただただ述べているだけである。
 
本来の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」とは天、地、神、の本質をすべからず網羅して、その仔細の一切ををいみじくも語り上げているものなのである。また、同時に、天、地、神、と言う自然の一切を歌形式でよどみなく歌い上げ、人々にその素晴らしさと有難さを教えているものなのである。    

 さあ、その日本人の誰も知らない「古神道の真髄」、世界に誇るべき「素晴らしい超叡智」を秘め隠している、あの失われた
「カムナガラの道」の真実を、ここに語り申そう。それは失われたのではなく、必要に駆られて隠されたのであり、現在、また必要になったからこそ、再び、現れ出て来たものである。
 それは、秦が滅亡した頃、あるいは西暦が始まった前後に大量に発生した敗残兵達のの日本侵攻により、縄文時代が終わり、弥生時代が始まったのである。その時の大陸からの侵入者の数は縄文1人に対して、少なく見積もってもその9倍、多い場合は25倍であると東京大学の歴史の先生は言っている。
 それではとてもたまったものではない、ほとんどの縄文人は生きんがために奴隷の身分となり、奴と呼ばれながらやっと生活していたのである。
 恐らく、その国難と呼ぶような大変な時代に、この
「カムナガラの道」は奪われ去ることを恐れて隠されたのであり、それ以来、その行方が判らなくなったと推測されるのである。
 
 何故ならば、日本にあった古い文献等は彼等敗残兵達により、破壊、破棄され始めたので、慌てた、権力者達はそれを携えて都落、すなわち、地方えと落ち延びたのである。と同時に、敗残兵達に奪われることを恐れて、人知れず密かに隠したと思われるのである。しかし、それは完全に隠された訳ではなく、何と、何時の間にかデフォルメされて人々の心の中で密かに生き続けて来たのであり、人々の生活の中でいくばくかは使われて来たと思われるのである。何故ならば、その証拠に、万葉集の中でも二、三、歌われていたと言う事実があるからである。それも恋歌としての遊びの中に出て来るものであり、きわめて洗練された形で歌われ、男女の仲を取り持っていたものである。それが「九九算」であり、「カムナガラの道」を十進法でアレンジしたものである。
 その「九九算」が日本発の証拠としては、日本では誰でも知っているものであり、小学生でさえも、口づさんでいるものである。それだけ、国中に普及しているものであり、他の国には見られないものである。見るがいい、アメリカの大学生でもほとんど、「九九算」を知っている者はいないと言う事実を……!!!。

 確か、大正時代か、昭和の初めの頃に、日本と中国のあいだで、「九九算」の発生地を巡っての学術会議が開かれ、どちらが本当の発祥の地であるかを討議したことがあった。その時は余りにも中国の学者たちが強硬に中国発を述べたので、とうとう、日本が折れて中国が発祥の地になったと言う経過があったのである。要するに、強気に出れば何でも通ってしまうと言うのが何時もの彼等の流儀なのである。確かに、最近の新幹線事件を見ているとよく判る。散々、日本を拝み倒して導入した新幹線を中国が開発したものと主張し、世界から笑われると一気のト-ンダウンし、その後は世界一なのは高速鉄道の線路の長さであるとの自慢になっているようである。それが彼等の何時もの手であると思えば腹も立たない。
 そのあたりから見ていくと、中国の3大発明品とされている火薬,、印刷機、羅針盤等も果たして本当なのかどうかも、怪しくなってくるのであるが、…。
 諺にもあるではないか…!!、大勢で声を上げれば嘘でも本当になる、船頭多くして船、山に登る等の言葉が…!!!。

 要するに、私が言いたいのは、古神道の神髄こそが
「カムナガラの道」であり、その正体を導きだすものが「ひふみ九九算」と言う自然法則の大成を語る数図なのである。しかるに、この「カムナガラの道」は、かっては存在していたのであるが、今では完全に失われてしまい、噂だけの存在となっているものである。要するに、今では、神道学者でさえもその内容さえも知る者はいない状態である。ただ、辞書をめくると「今では、名だけが残り、その本体はすっかり失われてしまった」とあるだけである。
 
 しかし、
「カムナガラの道」それは間違いなく、現代の人間知の誤りを糺し、新たな形で蘇らせてくれるものであり、我々を思いがけない自然知の「新天地」に誘ってくれるものでもある。その証拠に、その中には現代人の未だ知らない自然の持つ「数の計算手法」が厳として存在し我々を手招いているのであるが、今の所、誰も気付く者はいない有様である。 それを知れば、現在の「九九算表」は古来の「ひふみ九九算」と本質においては余りにも差があり、大きく違うものであることもハッキリ解って来るのである。要するに、現代の「九九算表」には自然の持つ律理(神の秘儀)は完全に失われて、単なる、数の計算の手法の一つになってしまっていることが解って来るのである。 要するに、現代の「九九算表」は現代人間知に沿った至極簡単なものであり、深い意味や、自然の律理の秘密などは一切含まない、単なる「数の並び」、ランダムな「数の並び」に過ぎないものなのである。 従って、あまり騒ぎ立てる必要も無いし、重視する必要も無いのである。 すなわち、どこの国が発祥の地であるか等は、一切問題外であり、まったく気にする必要も無いものなのである。

 
ただし、この「カムナガラの道」、すなわち、本来の「ひふみ九九算」だけはまごうことない日本初発の「大叡智」であり、世界に冠たるものであることは日本人全員に知ってもらわなければならない。それだけは何度でも言って置きたい。その証拠となるものが、あの古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、誰も知らない「天地の理」の存在を密かに歌い上げながら、それに続く「神のコード」をありありと示しているものなのである。 

 
要するに、その「ひふみ天地の数歌」の本体こそが、今では失われてしまった古代叡智の魂(真髄)の発露である、あの「カムナガラの道」であったのである。 それを開くための重要なキ-ヮ-ドがこの「ひふみ天地の数歌」であり、大いなる天地自然の秘儀、すなわち、「天地の大律」の存在をシッカリと歌い上げて鎮まっているのである。 また、言葉を変えれば、あの「カムナガラの道」の冒頭に鎮座している尊い数列が「ひふみ天地の数歌」であり、その後に続く見事な「数列の理表」が、あの「カムナガラの道」の本なのである。
 まさに、それは
大いなる「神の理」、すなわち、「神」の存在と「自然の律理」等をいみじくも歌っているものであり、いわば、それは「神」が与えてくれた尊い「数理図」なのである。まさに、それは天与の「神図」と言ってもいいものなのである。
 また、それはいみじくも誰も知らない「神」の存在を示している唯一無二のものでもあり、「神」の存在を確認するためにはまたとい好材料なのである。そのあたりの事実を、是非、あなた方の手で検証し、ジックリ探り出して貰いたいのであるが…!!!。
 ただ、その前に、「自然の計算手法」、すなわち、あの宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」を学んで欲しい。
 なぜならば、この宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」こそは、あの日本発の「カムナガラの道」の本体を解き放つ鍵であり、必要欠くべからずのものなのである。要するに、「システム・オブ・ナインズ」を知らない限り、「カムナガラの道」の内容を解き放つことは出来ないと言うことである。
  
 しかるに、何と言うこと、何も知らない日本民族はただただ、目を逸らしてそれを貶め、無視するだけであり、口にする者も誰もいない、それが現在の「神」をないがしろにしている有様であり、「神無し」の西洋文明の下僕として威張っている姿である。。
 
 もっとハッキリ言えば、
この「カムナガラの道こそが、世界の「神秘思想」や「秘教」の大分部の源郷であり、遥かな古代日本から世界に流れて行ったものである。しかし、あなた方には到底信じtられないことであろうが…!!!。 
 
それが「陰と陽の存在」、「あの世とこの世の仕組み」、「陰陽五行説」、「魔方陣に始まる易」、「ゲマトリアの数秘術」,「般若心経の空即色、色即空」、「チベットの曼陀羅図」、「チベットの摩尼(マニ)車の秘密とその原理原則」、、等などであり、更には、現在、私が各地で説明している「ひふみ天地の歌」こそが宇宙自然天地を共鳴鳴動させる大いなる「神の呪文」であると言う更なる新しい事実でもある。
 
しかも、それは、量子物理学の中の波動理論に沿って解き明かしているものであり、天使の歌声と言われているあの「音楽の倍音と基音の秘密」が2重にも、3重にも重なって更なる大きなエネルギー形態を醸し出しているものなのである。
                    
あなた方もご存知のように量子理論とは、別名、「波動物理学」のことである。)


 
更には、人類の未だ知らない自然数の計算手法、すなわち、「神算法」「禊ぎ算」手法の本来のあるべき真実、すなわち、現代人のまったく知らない自然の数が語る真実内容と言うものを明らかにしている世界で唯一のものなのである。しかも、その計算手法は「あの世」と「この世」を繋いでいる「正しい答え」があることを教えてくれるものであり、我々の心をを励まし勇気づけてくれるものなのである。
 
また、それは、現代数学の不足部分を補い、円満なる「数世界の存在」明らかにして止まないものでもある。
 
 
もっと、ハッキリ言えば、プラス(+)、とマイナス(-)とは、加算、減算を意味するものではなく、進行方向の違いを示す符号なのである。すなわち、プラス(+)とは右回りに回転して答えを求めるものであり、それがいわゆる、「この世」の我々が普段に行っている計算法なのである。
 また、マイナス(ー)とは左回りに回転して、答えを出す、それがすなわち、「あの世」の計算法の答えなのである。

 
 これらにより、「神の数学」はプラス(+)とマイナス(ー)を繋いで常に円滑で正常な答えを出して、すべての自然を満喫させて止まないのである。
 それに対しては、「現代数学」は常に右回りの回転のみ、すなわち、「この世」だけを視野に入れている数学体系であり、「あの世」の数学体系などは知らん顔、そんなものは無いと否定するだけなのである。「神の数学」では、この計算法を称して、「神算法」と名付けており、その中の「禊ぎ算」こそが神道界の「禊ぎ」とか「禊ぎ払い」のいい加減さを暴き、あるべき真実と言うものを示している本来の「自然数の語り」なのである。
 そのあたりの真実を、今回の「神の数学」令和編ではシッカリ語らせて貰うつもりであり、シカと証明を行うつもりである。

 
 
おそらく、これが私の最後の締めくくりとなるものであり、誰も協賛する者がいなければ、すべてはお仕舞になるものである。
 次に現れるのは、恐らく100年以上経った22世紀あたりであろう。残念ではあるが…!!!。
 
 ただ、言って置きたい、 残念なことに、私は、上記の「神の呪文」の理論上の秘密は解き放ったのではあるが、音楽的な知識や描図的な才能はまったく無いので、それを完成させ証明することも、絵図で描き上げることも出来ず、甚だ歯がゆく、残念なことと感じているのは事実である。
 要するに、「カムナガラの道」はすべて倍音成分要素とその基音で何重にも成り立って構成されているので、そこには「神のエネルギー」が重なりながら充満し、十分な力を発揮している妙なる音階そのものの世界なのである。
 それ故に、昔から人々を感動させて止まないものなのである。あなた方も少々、「カムナガラの道」を覗いて見るがいい、すべてはその基音の整数倍の形から成り立って、何重にも重なり合いながら大きな謎を秘めていることがあなたにも十分にお判りになるはずである。試みに、それを立体図化すれば更なる倍音群が密かに現れて、何事かを囁きを始めるのである。
 いや、そればかりか、驚くことに、この「カムナガラの道」はすべて、今、話題になっている「セルフェジオ音律」より成り立っているものなのである。
 要するに、それらすべての基音となるのが、あの「ひふみ天地の歌」であり、その倍音形式で存在しているのが、他のすべての「カムナガラの道」の数列なのである。
 それ故に、本来のあるべき「ひふみ天地の数歌」を正しい形で歌えば、それは天地に響き渡り、自然と唱和状態になって森羅万象が共鳴合唱してくれることになると言うことが推察出来ようと言うものである。それが、「ひふみ天地の歌」、すなわち、「言葉」や「祈り」ではなく「歌」と呼ばれている由縁なのである。すなわち、「祈り」とは心の声であり、「歌」とは体を震わせて発する声なのである。
 しかし、あなた方はそんなバカなことはあるはずが無い、と即座にのたまい、完全否定を決め込むことであろう。
 事実、古代の人々は、「音」を利用して巨石を空中浮揚させ、自由自在に動かしていたのである。その証拠に、それを伝える神話や伝承は今でも世界各地に数多存在していることを知って欲しい。何かあるのであるが、反自然的な現代西洋知などでは到底、解明することなどは出来ないのである。
 
 ただしである、古(
いにしえ)に戻って正しい「ひふみ天地の数歌」を唱えれば道は開かれるかも知れない、今の「ひふみ天地の数歌」は大きな欠陥があるので、そのあたりを十分に正しく訂正して用いない限りは無理なことであろう。 それを指摘しているのが、あの天明さんの「ひふみ神示」である。
 
 そこには
『「ヒフミ祝詞」する時は神の息に合わせて宣れよ』とあり、『「ヒフミ」唱えると岩戸が明くぞ』、とある。また、そこには「レ」であるぞ、「ヶ」であるぞ、「ホ」であるぞ、と、ハッキリ指摘しているはずであろうが…!!。 → (「レ」は0、「ヶ」は9、「ホ」は本当、)

 
また、その謎を解き放つためには、どうしても「アイウエオ50音図」の子音の並び方をシッカリ知る必要があるのである
 甚だ、簡単なことではあるが、誰も試みようとはしないのである。そこまで人々は「アイウエオ50音図」は信頼を失っているのであり、今や、関心を持つ者は余りいないと言うことなのである。残念なことではあるが…!!。
 要するに、本来の
「ひふみ天地の数歌」「アイウエオ50音図」は「隠」と「陽」と言う相関関係を持っている「双対の祝詞」であったのである。それ故に、「ひふみ天地の数歌」を完全に解き放つためには「アイウエオ50音図」の持つ言語の秘密コ―ドを見極めて、それを用いない限り無理なのである。基本的には大変簡単なものであり、誰でも、「アイウエオ50音図」から見出せるものなのである。 しかし、誰もそんなことは知ろうともしないのであり、心に置くべきものでありながら、誰にも忘れ去られてしまっているものなのである。まことに残念で、いたわしい限りである…!!!!。

  そのことを「ひふみ神示」の天明さんも強く言っているはずであるが…!!!。

 「それがすなわち、五十九柱と申してあるが、その中の九柱はかくれた柱ぢゃ。 ヤイユイヨワイウエオ ぞ、123456789ぞ。  この九柱はぞ。心得なされよ。現われの五十柱のかげのかくれた九柱、心して大切申せよ」と……。

 改めて言いたい。
 倍音効果の存在、それがどれだけ素晴らしい自然の音律を奏で、天地を震わせ、共鳴させるのかはあなた方もご存知のはずであろう、特に音楽を学んでいる方々はその秘密を知っていることと思う。
 例えばである、夏の盛りの蝉の鳴き声を思い出して欲しい、蝉は小さな弁で体をこすって小さな小さな音を出し、更にはその小さな音をお腹の中の空洞で共鳴させることによって大音響(エネルギーの波)を発生させ、それを更には大気を震わせる(共鳴振動させる)ことにより、究極の大音響を作り上げ、山全体を一入(
ひとしお)にぎやかに震わせるのである、たった一匹で大自然の主である山を騒がしてやまないのはあなたもご存知であろう。
 それは、今の人間の科学では到底理解不可能な自然の仕組みであり、自然の大いなるエネルギーの発露と言うべきものなのである。
 そのあたりを調べ尽くせば、人類は更に大きな、大きな、エネルギ―の源泉を得ることになるはずなのであるが…!!!。
 
 また、何回も述べているが、合唱(コ-ラス)の際には本来、聞こえるはずのない素晴らしい高音が「天から降ってくるように」聞こえることがあるが、これもまた倍音の効果である。それは西洋では「天使の歌声」と呼ばれている有名な存在であり、別名「神の歌声」とも言われているものである。

 また、ひょっとして、ひょっとすると、あのエジプトのピラミットの大きな石が呪文によって浮き上がり、自在に空を飛んで所定の位置に定着したと言われている話しも、本当かも知れない。そう考えると、山の上にある、あのインカ帝国の大きな、大きな石の塀や、隙間の無い見事な巨石積みも、そのようなテレポーテイションの力を用いていたのかもしれない。そのような不思議な話しも現実には密かに語られているのである。
 有名なペルーの遺跡である「マチュピチュ」を考えて見るがよい、あのょうな大きな石を高い山の斜面上まで運ぶことは、とても人間力では考えられないのであり、現実的には不可能なことである。恐らく、現代の重機を使っても無理であろう。要するに、何か、超自然的な力の存在があったと考えるのが自然であろう。現在、日本の一部の科学者が音響により物体を浮揚させ、移動もさせているようである。
 まあ、これらは私の勝手な推量であるが、大きな石組の形とその重量を見れば、さもありなんとも思えるのであるが、 ハーハ―ハ―…。
 
 是非、あなた方の手で調べてもらいたい。そうすることにより、なた方は古神道の「偉大なる秘密」と古代にあった「日本の大叡智」の存在と言うものが次第々に明らかになり、その一切を知ることになるはずである。また、それを知ることにより、更なる感無量の心地に引きずり込まれ、陶酔感と共に 古い魂の垢(あか)、すなわち、今までの常識を綺麗に洗い流すことにもなるのである。  
          
 更には、特別な「数の秘術」、すなわち、「神の法陣」の仕組みを用いて調べると、こ「カムナガラの道」の図は何と、意識世界を語り上げている「ミロク(弥勒)の図」、すなわち、来るべき「意識世界」の大いなる姿を密かに垣間見せてくれるものでもある。その特別な数の秘術こそは、何と、あの「神の数学」にある「神の法陣」そのものであり、循環態の存在を説いて止まない畢竟の仕組みなのである。 その大いなる姿を前にする度に、私は何時も、ただただ、涙が溢れ、一切の雑念と言うものは泡沫のごとく、消え去ってしまうのである。 
 これらは、別に難しいものではなく、一旦、解き方を学べば、小学の高学年か、中学生でもすらすらと解けるものである。
 ただし、あなた方、曇った常識を持っている方々には、解くことは叶わないであろう。


 
例えば、上記の表題の中の一つでも完全な形で会得することが出来れば、あなたは次々とこれらのものを制覇して、万丈の気を吐くことになるのは間違いの無いことであり、場合にょっては、世界にその名を轟かすことが出来ることにもなるはずである。
 なぜならば、1を知った方々は、10を知ったことにもなるからである。
 
 また、この「神の数学」の出現により、行き場を失った「現代数学」は方向を転換することになり、それと共に現代知の組み直しが始まり、すべては新たな知の下に大展開が始まるはずである…!!!。


 しかし、悲しいかな、現代西洋数学に魂を抜かれているあなた方には、一向に通じず、本気にしょうともしない。

 
 今までは古神道などとは古臭い
、誰がそんなものを信じるか、と馬鹿にされていたものであるが、それはとんでもない認識不足と言うものである。
 現に、ニュ-ヨ-ク工科大学で教鞭をとっていた馬野周二氏(工学博士)は常々次のように言っておられたのである。
 
 「最も古くて最も新しいものが古神道である、その上、古神道は決して神がかりではない、それどころか、逆に神が懸からないものである。何故ならば、その本性は「自然の叡智」の集大成そのものであるからである。それは何よりも哲理学であり、天文学、及び、自然理学でもあるからである。また、それは近代物理学さえも遥かに凌駕し、更に、遥かその先を行っているものである。
 それにしても、古代日本人の思想は不思議である、何故、彼等は、3千年前にあのような物理的世界観観を、整然とした幾何学的な構図の中に収めることが出来たのか…??、その上、どうして、そこから千古比類の無い、人倫と自然哲学と言うものを引き出すことが出来たのか…!!?
と自問自答を繰り返していたのである。 … 「人類文明の秘宝」…馬野周二著より

 

遠い昔から、日本人が守り続けて来た神道とは一体何であろうか?。神道が判らなければ、日本が判らぬと言われるほど、日本人の心の奥底に根を下ろして来た非常に重要な文化的な現象として忘れてはならないのであるが、大多数の日本人は西洋の学に心酔する余り、すっかり、忘れ果てているのである。しかし、私の目から見れば、神道は今でもなお、数多の謎、不可思議な哲学性を数多秘めている不可思議なものなのである。 …  「日本文明の真価」 ……清水けいはちろう(名誉教授、理学博士)著より



 これらはまさに、至言であり、血の叫びである。しかし、誰も答えることが出来なかった難問中の難問である。 私は、その真実を明らかにするために現代物理の理論を用いながら説明しているのであるが、神道には物理理論が通用するはずが無いと逆に否定されるだけであり、大変.、難渋している最中である。如何にせん、一般の神道家達は物理学を毛嫌いし、物理学者達は神道家達を相手にすることを嫌っているのである。要するに、真っ向から相手にしてもお互いに議論は空を切るだけであり、まったく噛み合わないのである。何とか、ならないものであろうか…!!??
 なんせ、生来の口下手の上、老人ボケが重なって、思うように説明が出来ず、現在、苦労の真っ最中なのである。 さてさて、この苦労は何時になったら解消するのであろうか…!!??。それとも、あの世まで引きずって行くことになるのであろうか…!!??。

 
ハッキリ言おう、それらの真実やその元になるすべての証拠が、すべてこの古神道の「カムナガラの道」の中に厳として存在しているのである。 馬野氏は、これらのすべての証拠は「フトマニ」の中にあると言っているが、何を隠そう、馬野氏の言っていた「フトマニ」とは、あの失なわれた古神道の神髄である「カムナガラの道」そのものなのであり、その別名なのである。この際である、もっとハッキリ言って置こう。この「フトマニ」、すなわち、「カムナガラの道」は、またの名は富士神界系では「九の花咲くや姫」と呼ばれ、また、白山神界系では「九九理姫」と呼ばれているものである。
 何故ならば、「カムナガラの道」の中では、縦、横、斜めのすべてにわたって縦横無尽に「九の花」が咲き乱れ、「九の花」の百花繚乱状態となって何事かを語っているからである。何と、「カムナガラの道」の図全体が、すべて「九の数」で埋めつくされ、何事かを懸命に我々に告げようとしているのである。また、「九の花咲くや姫」とはその言葉通りであり、「九九理姫」とは、その名の通り、九九算そのもの, それらすべては、「カムナガラの道」を示していることはお判りであろう。これらの不思議な光景には、誰しも、目を見張るばかりであり、呆気にとられるだけである。すべては、このようにしっかりと繋がり、日本の国を護っているのである。
 いくら、「神」等はあるものか、と「神」の所在を拒んでいる者でも、この「九の花」の咲き乱れる光景を目にすれば、たちまち意気消沈し、余りの不可思議さに気が削がれることであろう、それは、まさに「神の秘儀」の威光であり、「神の御業」の威力なのである。今の私でもそれはまったく同じであり、まったく頭が上がらず、ただ、ただ、平伏あるのみである。
 まさに、それが、すなわち、「カムナガラの道」の不思議極まりない本性なのであり、どう考えても、人間の業の及ぶ所ではないものである。しかして、難しいものかと思えば、さにあらず、小、中学生でも簡単に理解が出来るものでもある。
 それは、決して現代の人間知などでは再現することは不可能であり、まさに、「神」の仕業そのもので、思わず涙がこぼれ落ちるばかりのものである。 果たして、その「神意」が意味することとは何であろうか…!!??。
 また、今まで、不明とされていた「九九算」の名は、この「九の花」の咲き乱れる光景からもたらされたものであり、何処に出しても恥ずかしくない、まさに大いなる由緒のある素晴らしい命名なのである。残念ながら、今では、この「九の花」の咲き乱れる光景や、その経緯(いきさつ)などは誰も知らない…!!、想像することも出来ない…!!!。
 
 恐らくは、それを擁した土地の有力者達がその由来を知り、めいめい思い、思いに勝手に名前を付けて、敬い、育(はぐく)んで来たのであろう。それが、「九の花咲くや姫」であり、「九九理姫」、「天照大神」などの名前の由来なのである。
 また、信じられないであろうが、あなた方の神棚に祀っている「天照大神(アマテラス大ミカミ)」の本体は、今では、単なる名前の書き札のみの白紙同様ではあるが、本来はこの「カムナガラの道」の数が恭しく祀られていたのである。それが本来のあるべき姿であり、その尊い名前の本体と言うものなのである。
 要するに、「九の花咲くや姫(コノハナサクヤヒメ)」、「九九理姫(ククリヒメ)」、そして「天照大神(アマテラスオオミカミ)」はまったく同一の神の名であり、しかも、ヒメと言う言葉から「女の神様」と言われているのも、これまた頷けることでもある。
 
 ちなみに私の命名した名前は古くは「宇宙次元原理表」であったが、現在では「ひふみ九九算表」、または古代にあっては「カムナガラの道」と命名されている恐るべき「古代の超叡智」の集大成と言うものであり、「宇宙自然の大律」や「自然の理律」を納めたものである。また、それは、この世には二つとは無い素晴らしい天啓のものであり、「神意」が一杯詰まっているものである。 しかし、現在、それを解き放つことが出来る者は誰もいない。ただし、宇宙人の数学である「システム オブ ナインズ」の手法を知って、用いている方々は別である。彼等はやすやすと解き放つことが出来、更には、その奥に潜む「次元の原理」さえも知ることが出来るのである。

  また、この
「カムナガラの道」の内容は、残念ながら、今では失われてしまい、その名前だけが残っていると、辞書の中には記されている。

 
一つ、手元の辞書で「カムナガラの道」を調べてもらいたい。そこには次のようにあるはずである。

 「神代から伝わっている神慮(かみのみこころ)のままで人為(人の手)を加えてはいない日本固有の道である」、と…!!

 要するに、「カムナガラの道」とは、何十憶年、何百億年をかけて、自然が独自に創り上げた律道則」と言うものであり、それによって天地の万物はあまねく存在可能となっているものである。しかも、一切、人の手や、人間の考えは入ってはいない純然たる「自然の道(摂理、法則)」の理表であり、その内容を明らかにした「数が語る自然形態の解明書」なのである。何と、そのようなものがかっての古代日本には存在していたのであり、そのすべてを語っているものなのである…!!!。
 しかも、それは日本にだけ残されている尊い古代からの伝承体、すなわち、「カムナガラの道」と言う尊いものであり、世界の何処にも類は無く、日本にだけ存在している由々しいものであると辞書にはハッキリと記されているのである。

 何と、これは古史古伝の言っている「The Sacred Old Holy Science of Ancient Japan] そのものであり、世界にはまったく類の無い尊い古代の叡智の集大成の図なのである。しかし、今の日本人はそれを誰も知らず、ただただ、西洋の片ちんばの知を追いかけて、それに満足しているだけである。何と哀れなことであろうか、……!!!。

 また、古神道などは古臭いもの、いかがわしいものとなじる大変進歩的?な御仁もいるであろう、その方々のために、敢えて言いたい、そこにはとんでもない「宇宙の大叡智」が数多控えて、我々を手招きしているのであるが、誰も近寄ろうとはしない、ただただ、怪しいものを見る目つきで遠巻きに見つめているだけであることを是非、知ってもらいたい、そのことだけはシッカリ言って置きたい。すべては未踏のものであり、誰も知らないものなのである。
 それが「次元の秘密」、「神の法陣」、「大宇宙の形」、「宇宙のエネルギ-構造」、「輪廻転生の理」、「宇宙人の数理」、「すべてのものの本質は0である」、「未来のミロクの世界の真実」等であり、あるいは、「人類の未だ知らない数学計算手法」や、「ひふみ天地の歌」こそが宇宙自然天地を共鳴鳴動させる大いなる神の呪文である等であり、はたまた、「神の法陣」の手法を用いることにより、来るべき「ミロクの世」が開かれると言う大変な事実であり、それらが綺麗に「神の数学」手法により簡単に解き明かすことが出来るのである。まさに、不思議、不思議の連続であり、興味深々の奇怪な物語である。 しかし、誰も信じようともせず、興味を持とうともしない。恐らくは、余りにも己の持っている知とは断絶が深いので,近寄り難かったのであろう。しかし、何時かは知らなければならないものなのであり、手に納めなければならないものなのである。 今の今まで、これらの真実が誰も知られることなしに、この「カムナガラの道」の中に密かに、かつ深く納まり、長い間人に知られることもなく眠り続けていたのである。恐らくは、何時の日か、日本民族の誰かが解き明かしてくれる時を首を長くして待ち続けていたのである。何と言う、律義者であろうか、ただ、ただ、涙がこぼれるだけである。
 しかも、それは何千年と言う長い間である。その健気さにはただただ、有難さを覚え、深く頭を下げるだけである…!!!!。
 
 それこそ、今まで、ただただ、密かに眠り続けているだけで、誰も起こす者がいなかったので、一切、目を覚ますことも無かったのである。 ところが、私が気がついて、ちょっと揺り動かしただけで、完全に目を覚まし、
永遠なる自然の歌を謳い始めたのであるそれは完全なる宇宙のリズムを持っている「永遠の数歌」であり、天地万象の響きを持っている稀代の「神の心」の息吹であり、天与のものと言うべきものである。
 その名が、すなわち、は古神道の奥儀祝詞である
「ひふみ天地の数歌」であり、その本体こそが「カムナガラの道」と呼ばれているものである。
 それは、今まで、噂ばかりで誰も見たことが無かったものである。それが、この世界中の人心が乱れに乱れ、今にも世界大乱が生じようとしている現代の世の中に突然、「救世主」のように出現し、我々日本民族の行く道を照らし始めようとしているのである。それは、確か、
 それはまるで、日本民族よ、立ち上がって、
「未来の叡智」と「世界の秩序」を守れとでも言うように…!!!。

 さあ、あなた方は呆れ果てて、カラ、カラ、カラと大笑するであろう、でも、これらは知りたい人だけが知ればいいのであり、信じる者だけが扉を開けばいいのである。とにかく、懸命になって学んで本当の真実を知る、それが本来の人間の性(さが)であり、未来へ渡るための第一歩となるものである。
 これらが、嘘か、本当かはあなたの持つ魂が教えてくれるはずであり、、直感として心に響いて来て、魂が打ち震えて止まらないはずである…!!。
 それを、是非、期待しよう。頑張って捜索してみてもらいたい。また、信じたいが、何となく、胡散臭いと思われる方は、少しずつ、この「神の数学」に記載してある「数の学」を検証し、真実を学んで見ることである。それにより、あなた方にもだんだん真実が見えて来ることになるはずである。

 考えて見れば、私も85歳となり、「あの世」へ行く準備も始めなければならない年頃である。でも、今の所はお迎えが来たならば、やることを終えるまでしばらく待ってくれと言おう。 そのような訳で、これら上記の残された命題をこれから来年にかけてあなた方に伝え、、最後の務めを果たすつもりでいる。これらは、すべては予定されていた神宜であり、神託なのである。しかし、果たして、あなた方がこれらを完全に理解することが出来るのであろうか…!?。   私は大いに訝(いぶか)しみ、怪しむだけである。何故ならば、あなた方の99%は西洋科学に夢中で、古神道を顧みるようとはしないからである。
 せめて、古神道の学者あたりが、気がついて学ぶ気配があればいいのであるが、彼等は西洋科学などは完全に無視するばかりか、相変わらず、古くからの伝承神道を学ぶだけであり、新しい風を日本神道に吹き込むことさえも考えようとはしない。ただし、これからの「神の数学」は、私の気が向き次第、お天気次第、風の方向次第なので、予定は未定となる公算は甚だ多いであろうとだけは言って置きたい。しかし、私の知っている限りの「神の数学」の内容を、ここにとどめて置くことは約束しょう、なぜならば、これは私の生きがいだからである…!!!。


 さあ、後は頑張って与えられた仕事をまっとうする、それが85歳のおいぼれの残された最後の務めである。 今年もなにとぞ、宜しく…!!!!。

 さて、さて、あなた方の心のご準備は宜しいかな……!!??。これからは生半可なことでは務まらないと思ってもらいたい。


 

『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その1」

         令和2年1月上載

 

 さてさて、今年も世界の情勢は混沌として、あやめもつかない状態であるが、それは人間社会の更なる進歩発展には必要なものと達観し、私はただただ、自分の道を進むことにしたい。これからは、ますます世相は混乱し、有象無象が入り乱れて、混乱の極みに達するのは間違いの無いことである。

 なんせ、今や、地球の人口が増えすぎ、水や食料の不足は目に見えているからである。これからはその略奪戦が始まるのであり、飢えと水不足が人々を苦しめて止まない時期に入って来るのである。恐らくは、水の豊富な国には、いろいろな手を使って、人々は争って入って来て先住人との間でもめ事が起こって来ることになるのは間違いの無いことであろう。今でも、日本は狙われて最良のタ-ゲットと目されている国であり、人知れず、外国の手先に有名水源地は買い占められているのが現状であり、知らないのがは日本人だけなのである。なるべく早い時点で対策を立て無ければ、後で泣き面をかくだけであろう。
 
 どんなに希望的観測しても、あと、10年が限界であり、その後は各国が争って生き抜くための準備に入ることには間違いはないであろう。
 なにしろ、紀元1900年、今から100年前の世界の人口は、およそ16億人だったが、この100年の間には70億人を軽く越し、2020年の現在では、恐らく、80億人と言う膨大な人口に膨れ上がっているのである。そのあたりは、インターネットで調べれば誰にでも判ることであろう。
 そのあたりの差し迫っている事態には誰も口を出さず、ただ、あっけらかんと毎日を送っているのが我々日本国民なのであり、極楽トンボと言われている何処にもいない、お人と良しの民族なのである。
 このままで、誰かが警鐘を鳴らさない限り、日本民族は、ただただ、天下泰平とばかり安眠を貪り、危機感には程遠い毎日を送って泰然としているだけであろう。これからは、民族間の争いが多発するのであり、安穏として、人のいい民族は真っ先に滅ぼされてしまうのである。その正念場と言う時がこれから始まるのである。ご用心、ご用心……!!!!。
 
 1992年ブラジル地球環境サミットで採択されたのがアジェンダ21と言う「人口削減計画」であり、国連の決議では「人口を85%削減」することが記載されている恐ろしい決議書である。 要するに、今の人口の15%あたりが、許容限度と見ているのであり、残りの85%は消し去ってしまおうとの計画なのである。しかも、来るべき2030年あたりまでには終わらせなければならないと言うのである。残すところは、あと10年である。
 恐らくは、大多数の日本の皆さんはご存知ないことであろうが、現在、その計画が密かに進行中なのである。残念ながら…!!!。
 それらが、現在、進行中の「アフリカの民族同士をお互いに戦わせて自滅させる」、「中東の国家主権を崩壊させて、難民を発生させ自滅に追い込む」ことであり、また、現在の、「中国のバンデミック的な奇病の流行」等もその一環とも思われるものである。それらは、これからますます増えるであろう「ますます奇妙なあり得ないこと」の前兆ではないのか。恐らくは、そのすざましい動きと思われるものは、これから年々増えていくことであろう。
 
 とにかく、これから起こることはすべて人口削減を主目的とするものあり、もはや、目先の様子には構ってなどはいられないように思われるものばかりであろう。なにしろ、大分前に学者達は現代人は2050年を超えることは出来ない、何故なら、2050年には人類の人口は100億人を突破し、食料や水の不足で自然自壊に至ることは必然だからであると予測していたからである。
 今になって考えて見れば、その人口削減の前兆は有ったのであるが、誰も気がつかなかったのである。それが数年前から始まった「鶏のエンフルエンザ」や、最近の「豚コレラ」等のエンフルエンザ系の病の蔓延であり、今まで無かったものである。しかも、それらは段階的に鳥→獣→人間と進んできているのである。何か変であり、人間的な細工の匂いがするのであるが…!!!。それとも、神様は動物たちだけでは片手落ちであるとして、人間にもその辛苦を与えようとしているのであろうか。
 これらのすべては空気感染によるものであり、何か、今回の奇病の前哨戦であったような気がするのであるが、単なる、思い過ごしか……!!??。

 それを予測し、回避するためには、いろいろな事態をあらかじめ予想し、巨大コンピユターに資料を入れて、結果を予測し、デ-タ化しておくことが必要なのでああり、欠くべからずなものなのである。そのための高価で素晴らしい性能を持っているはずなのであるが、それを使用することにより素晴らしい効果を納めたと言う話は何も聞こえては来ないのも、少々気にかかる。一体、真相はどうなっているのであろうか…!!??。世界中の巨大コンピユターがすべて音無しの構えなのも何となく気にかかる。何か、秘密の使命を遂行中なのであろうか…!!。一体それは……!!!。
 せっかく、日本は世界で一、二を争うような性能を持つ、ス-パ-/コンピユターを持っているのであるから人類的な危機には強いことは言うまでもなく、我々は多大なる期待を寄せているのであるが……!!!。それも単なる期待で終わってしまうのであろうか。それとも、大っぴらには出来ない任務を追行中なのであろうか…!!??。
 
 ただ、それを十分に使いこなせるか、どうかが、これからは問われることになるのであり、政治家が国家の浮沈の際に、それに沿った強いアクションを起こせるかどうかが問題になるってくるのである。、 要するに、今までのように、短時間で、円周率の何万桁まで抑えることが出来たと言うようなチヤラケタ話しや、コンピユタ-と将棋の旗手が勝敗を争って、負けたと言う二ユース等はもう沢山であり、シッカリ、真面目な運用に心がけてもらいたいものである。
 そのような話は最早通用しない時代であり、それこそ民族が生きるか、死ぬかの瀬戸際を決めるための必須の道具としての最高の位置に置くべきものである。要するに、、巨大コンピユタ-の使い方次第で国の将来が決まることは間違いの無いことである。しかるに、悲しいかな、現時点ではそれさえも疑わしく、ただ、持て余しているような状態であるようにも思えるのであるが…!!?。恐らくは、慰みの玩具として使われているだけと言ってもいいものかもしれない。 なぜならば、それに関する成果等は一向にニュ-スとして我々の耳には入っては来ないし、いくらパソコンを駆使して検索してもお目にかることも無いからである。何か釈然としないものが多くあって、納得ができないことが多すぎる。
 
 恐らくは、アメリカあたりでは、国家的な危機の際に対峙すべきいろいろな局面を想定し、その際の対処法をすべて、デ-タ化して保存してあるであろう、ただそっれを表に出さないだけであり、知らん振りしているだけなのである。果たして、日本は…!???。
 恐らくは、10年以内に人類の生存を賭けた重要な「何事」かが起こるはずであり、それこそ「ひつき神示」が予言している悪の総大将は奥に隠れて居座るぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩するとみせかけて、世界のワヤにする仕組み、もう九分通り出来ているのぢゃ」そのものが現実に現れて来るのは間違いの無いことであろう。その時が目の前に迫っているのであるが、誰も気がつく者はいない。
 要するに、すべては、その奥に隠れている「悪の総大将」が自分の身を助け、存続するために」
仕組んでいるものであり、すべては仕組まれているものなのである.。哀れにも、我々はそれを知らないだけであり、知ろうともしないだけなのである。まさに現在、それらが現実的に始まろうとしているのであり、我々の知らない所で、牙をむきつつあることを知るべきである。世界をよく見るがいい、どこでも人々の阿鼻叫喚の声で一杯である、恐らくはノホホンとしているのは日本の国くらいではなかろうか…!!?。まあ、有難いと言えば、有難くて感謝すべきなのかも知れない。しかし、このままでは済まされないことは間違いの無いことである。何かことが起これば、我々は予想に沿った準備を行い、同時に、出来る限りの力で事に当たることがこれからは絶対的に必要なのである。
 これからは、生半可な行動や準備不足などは命取りになることを頭に叩き込んでおかなければならないのであり、人の噂や行動にすぐに左右されるなどの中途半端な認識などは動物にも劣ることを知らなければならないのである。


 要するに、これからはこれらの事実を踏まえながら日本丸の舵を取ることが重要な案件であり、決して、間違いは許されることはないのである。それが本来の成治家の仕事であり、宿命なのであるが、そんなこと政治家たちは誰も知らず、仲間同士の勢力争いに明け暮れているような毎日である。ああ…、嘆かわしい…!!!。  国会を見ていると、人種の異なる者同士が、相手を滅ぼさんとして口論に明け暮れているように感じるのであり、まさにそれは日本国内のアジェンダ21そのものの様相を呈しているように見えるのであるが…!!?。
 どう見ても、そのように見え、聞こえるのであるが、 それは私だけなのであろうか…!!??。 国民を前にしての仲間喧嘩はほどほどにしてもらいたいものであり,それだけのエネルギ-があるならば、もっと政治に力を注いでもらいたいものである。明日からの日本丸の運命はまさに綱渡りであり、「神」の加護なしでは決して、無事に、対岸に着くことが叶わないものである。その点だけは片時も忘れないでいてもらいたい。

 まあ、すべては年寄りの勘繰りであり、他愛の無い推測にすぎないものであって欲しいが、それは10年後には間違いなく判ることであろう。



 私は、今年で満85歳を迎え、身体ここに相極まった感があるので、改めて、私の頭の中に残されている人類の未だ誰も知らない「神の超智」のすべてを公開して、人生をまっとうすることにしたいと思う。  それが私の今生の与えられた宿命なのであろう。 果たして、間に合うのであろうか…!??。
 ア-ア- 何と最早、85歳となるのである。すると、恐らくは残されている時間は,2、3年か…???。身がしきしまるだけである。
 急がねばならぬ、安閑としていては間に合わない、しかし、そう腦は言っても体は少しも言うことを聞いてはくれない、嘆かわしいしだいである……!!。


 さて、さて、観念して本題に入ろう、私は命ぜられた私の持ち場を守ればいいのであり、余計なおせっかいは最早無用の身なのであるが、それでも日本の行方がいささか心配でもあるのである。 その民族に対する赤心だけは誰にも負けないつもりであり、少々、子孫のことが気がかりなだけなのである。

 

日本の古神道の真髄である、この「カムナガラの道」の存在こそが「神の存在」を明らかにすることが出来るものであり、それと同時に、我々はその神々の「超智」を戴(いただ)きながら世に処して行くことが可能になるものである。要するに、今までの過ちの多い「人間知」から、過ちの無い「神の叡智」にシフトして自然と共に永遠の回路を歩んで行くことが我々日本人に課せられた運命であり、定めでもあるのである。

それが我々に与えられた「本来の道」と言うべきものなのであり、歩むべきして歩まなければならない本来の我々の歩むべき道なのである。

 私があなた方にこれから開示する「神の叡智」をあなた方の心が反発を感じて、受け取ることを拒否するならば、恐らく、次に現れて来るのは、恐らく、数百年後あたりになるであろう。それであるから、素直に受け取り、自らの手で検証を重ねて、学ぶことがことが、今、必要なのである。

 

これらすべては、甚だ易しいものでありながら、かつ非常に難しいものである。その上、古いものでありながら、きわめて新しいものでもある。これらの言葉は甚だ相矛盾しているように聞こえるであろうが、決して、そうではない、すべては相伴って醸成されている自然の知であり、決して矛盾しているものではない。その事実は検証に励んでいることにより、自然に解ってくるはずである。

要するに、確かに、これらは数千年前のきわめて古い時代のものではあるが、この「カムナガラの道」の中には現代知では解くことが叶わない「自然の超叡智」が無数に存在し、何時も訪れる人々を首を長くして待っているのである。

例えば、古神道の神髄である「カムナガラの道」の中には驚くほど数多の「3次元方陣(我々の世界)」が存在するのであるが、恐らく、あなた方、平面的な思考に捉われている御仁にはそれらを見い出すことは出来ないであろう。何と、この「カムナガラの道」の中には9×9ヶ、すなわち全部で81ヶの「3次の方陣」が鎮座して、我々に何事かを囁いているのである。私は敢えて言う、あなた方にはそれを見い出すことは決して出来ないと…!!!。

第一、常識的に考えても、横10×縦10のマス目(セルは合計で100)、しかないのに3×3の3次方陣が81ヶもあると言うのは、余りにも法外なことであり、とても常識上では信じられないこと、余りにもあり得ないことなのである。それは私も同様に感じていると言いたい。
 何しろ、それは単純計算でも9×81ヶのセル、すなわち、全体では、
729ヶと言う膨大なのセルの存在が必要となるのであり、あり得ない話しなのである。これも一つの「神業」であり、我々の知の範囲を超えているものでありながら、大変、易しいものでもある。さあ、考えて戴こう。
 あなた方は間違いなく,、そんなバカなこととのたまい、信じようとはしないであろう。
 それもしかりであり、確かに、私もそのように思うのであると言えば、あなた方は怒り狂うであろう。 しかし、別に私はあなた方をかついで悦に入っているわけではなく、騙そうとしているわけでもない。 ただ、ありのままの真実をそのまま申し上げ、あなた方に伝えているだけなのである。
 ほんの、少々、見方を変えて、常識を一旦、頭から外して、もう一度考えればいいだけなのである
。その答えは目の前にあるのであるが、あなたは気がつかないだけなのであり、気が付こうともしないだけなのである。それがすなわち、「神業」であり、「神の仕組み業」と言う由縁なのである。

要するに、我々の単視眼的な思考ではここにある「3次元方陣」、すなわち、横3×縦3の方陣のすべてを見出して、数え上げることは決して出来ないのである。もっと大局的な目、すなわち、活眼的な思考を駆使して全体をまさぐれば、自(おの)ずからそこには横9×縦9、すなわち、81ヶの「3次元方陣」が見出すことになるはずである。しかしである、あなた方の99%の方々は、恐らく、8×8の方陣、すなわち、64ヶの「3次元方陣」は見出すだけで終わることになるだけであろう。要するに、あなた方の目では81ヶの「3次方陣」を、どうあっても見出すことは出来ない、不可能であると言っているのである。何故ならば、そこには新たな次元的な発想転換がどうしても必要であるからである。

残念ながら、それがあなた方の思考の限界であり、リミットなのである。まずはそれら81ヶの「3次元方陣」は別にして、取りあえず8×8=64ヶの「3次元方陣」を探し出すことから始めてもらいたい。それもある程度、難しいものであり、「神」のご加護なしでは無理かもしれない。 また、もっと、もっと刹那的な超単視眼的なな目の持ち主はこの「カムナガラの道」の中に3×3ヶ、すなわち9ヶの「3次元方陣」を見い出すだけにとどまることであろう。

そして、これによりあなた方は己の思考の程度、己の思考の限界と言うものを悟ることが出来るのであり、己の知の未熟さを嘆くことになるのである。

 

さて、次にはその探し出した「3次元方陣」を見て貰いたい、そこには9ヶのマス(空間)があり、数字(エネルギ-)が入って、それぞれの均衡を保ち、ながら、整然と納まっている状態を示しているものである。それらの9ヶの数をすべて加算して見てもらいたい、すると、あら、不思議、これら「3次元方陣」の中の合計数(Σ)は必ずになり、0になる と言う信じられない出来事がそこには起こっているのである。
 そのことは自分の目でシッカリ確かめ、その驚くばかりの「数の妙技」、「自然の驚異」に感嘆の声を上げてもらいたい。それは夢ではなく、現実である。
 それは、まさに、現代の我々には思いもよらないことであり、まさに「数」の語る大いなる奇跡と言うものである。

そこにある9とは、(出来上がったもの、最終変化の姿)と言う意味であり、この世にあるすべてのものは因と縁によってもたらされた結果の姿であり、物質的な存在のように見えるが、その本質を尋ねれば、すべては空であり、0(無)であると語っているのである。 要するに、「因」が0であり、「縁」が9であると言っているのである。また、それは仏教の根本教理である「色即是空」「空即是色」とまったく同じことを意味しているものでもあり、すべてのものの本質は「空」、「無」であることを「数」で語り、「数」で諭しているものである。これがすなわち、「数」が口をきく、「数」が教えてくれると言うことである。もっとも、博学多才のあなた方達には、とても信じられないことであろうが…!!??。改めて言う、これは夢ではなく、現実なのである。
 簡単に言えば、この「カムナガラの道」の中には、全部で、9×9=81「3次元方陣」が声を揃えて「すべての本質は0である」と大声で語り、そのシュプレヒコ-ルを繰り返しているのである。それは、まさに、驚くべき「数秘」の極みと言うものであり、我々の知にとっては、まったくの想定外のものなのである。 一つ、言って置きたい、この事実を知ることにより、あなただたの意識は一段上の知の次元に到達することになると言うことを…!!。

要するに、今まではただ言葉により言い伝えられていた「色即是空」「空即是色」の言葉であったのであるが、ここに来て初めて「数」により、その真実が明らかにされ、まことの真実の存在と言うものが、もたらされようとしているのである。それが現在の日本に実際に起こっているのである。
 これらは御覧のようにすべては現実に検証されているものであるが、あなた方にはとても、とても、信じられないものなのであろう。

また、それと同時に「神の存在」も明らかになったと言ってもいいであろう。それはすなわち、「神」の言葉である「数」により「神の存在」と「神の心」が明らかにされたと言う事実が確定したことになるからである。 と同時に、この古神道の真髄である「カムナガラの道」は「神の心」、すなわち、自然の業のすべてが「数」により示されている、かけがいのない「神のノ-トブック」であることが解って来るのである。それは他の国には無くて我が国にだけある大変貴重なものであると、辞書には書かれているではないか…!!!。また、その内容は私が解説しなければ判らないであろうし、あなた方の手には負えないものである。何故ならば、それは現代知とは共通点を持ってはいないからであり、相通じる内容と言うものはまったく無いからである。

また、そこには同様に「神の心」が「数」により次々と語られていて、誰も知らない「自然の叡智」と言うものが我々にもたらせられ始められたことをあなた方は知ることになったはずである。そう、「神」の言葉とは「数字」で語られ、数字を用いて教えていると言う事実がハッキリと判ってきたのである。
 それを教えているのが、古神道の神髄である「カムナガラの道」なのである。それは、まさにそこには驚くべき「数の理」が数多渦巻きながら我々に「お出で、お出で」と声をかけているのであり、あなた方の知は「本来のあるべき知」ではないことをハッキリした形で教えてくれようとしているのである。

 また、驚くことに、この「カムナガラの道」全体がその「神の心」で満ち溢れ、数多の「自然の叡智」と言うものを持っている事実が、ここで初めて明らかにされたのであり、「数」こそが自然の秘密を語っている「神の言葉」であることが証明されたことになるのである。
 
 要するに、これは古代文献の「カミフミのコトトギ」に記されている内容そのものなのであり、一句一字とも間違いの無いものなのである。
 それはすなわち、、すべての「数の理」は秩序と調和に満ちて我々の心をうっとりさせて止まないものであることが判明したと言うことであり、しかも、それは自然と調和しながら我々の心に訴えてやまないものなのである。それはすなわち、「数」には心があったと言うことである。

 今の私でもこの、「カムナガラの道」に会うたびに、、それは色々と表情を変え、新しい側面を見せながら「秘儀」の数々を授けてくれるのである。
 果たして、全体ではどれだけの「神の叡智」がその中に身を潜めているのであろうか…!!!。私はそれを開くたびに大きショックを感じるのである。

 

また、もう一つ驚くべきことがある、この「カムナガラの道」の表を見ると、その最外側には0の群れが存在し、全体を取り囲んでいるのがお判りであろう。また、それ以外には、内部にあるのは4ヶの0があるのみである。たった、それだけの0(神々)で 9×9、すなわち、81ヶの「3次元世界」のすべてを見守っているのと言うのである。 まさに、驚き、桃ノ木である。
 その証拠に、これら81ヶの「3次元世界」のすべては0(神)を内蔵している事実が間違いなくあり、それは誰でも検証すれば直ぐにでも判ることである。
  何と、我々は常に神々と一緒にいるのであり、何時も向き合いながら生活しているのである…!!!。

次に、この「カムナガラの道」の中にある9×9ヶの方陣、すなわち、81ヶの「3次元方陣」、すなわち、我々の世界(3次元世界)をジックリと見て貰いたい。それらはあなた方のように平面的な考えしか持たないような方々には決して見つけることは出来ないものである。
 もっと卓越した知をもって本来の上次元、すなわち、「4次元世界(立体世界)」と言うものを知らない限り、どうあがいても無理な話であり、不可能なことであることを知って欲しい。
 そのあたりのことには太古の人々はどうも知ってたようである、その証拠となるものが神話にある「カミムスビ」、「タカミムスビ」の言葉の存在であり、私はそれに従って,「カムナガラの道」を結んで行くと、何と、そこには現代人が予想もしなかった、あの宇宙の姿、すなわち、リンゴの芯をくり抜いたようなト-ラス状の形を持った宇宙の形(縦の長さ=横の長さ)が出現するのである。その頂辺の姿はまさに、先年発表だれたあのブラック・ホ-ルの写真そのものであり、少しの狂いも無いものである。それには私も驚きを隠せず、ただただ、感無量の心地が残っただけであった。
 
 例えばである、そこにある斜めの「神の数(鏡面数列)」を繋いでいくと、何とすべてがピッタリと合うのであり,しかも、そのピッタリと合った数十の数列はそれぞれ、驚くべきことを語り出しているのである。まさに、奇怪そのものであるが、その言葉を信じざるをえないほど、当を得ているものである。 一体、古神道とは何であり、何ものなのであろうか…!!!!!、一体、どのような存在が創ったのものなのであろうか……!!!!!!。
 まさに、これは現代史上に残るミステリーであり、いくら推測しても推測は叶わず、私はただただ、合掌するのみである。

 

 そのあたりのことを知りたくば、是非、拙宅に参るがいい、すべてを数で綺麗に説明し、なおかつ、模型でシッカリ示して見ることにしたい。
 恐らく、あなた方は、ただただ、驚きの声を上げるだけであり、言葉は無く、ただただ、古代人の卓越した「超知」に脱帽するだけであろう。
 私も、是非、そのような方と会いまみえて、親しく話合って見たいとかねがね思っている次第ではある。今の世の中、高学歴者は多いけれど、もっと知りたい、もっと探りたいと言うような野望??を持っているような御仁はいないようである。折角の一生である、それで満足なのであろうか…!!?。

              (一つ、断っておきたい、我々の世界は「3次元の世界」である。 

 さて、大分、脱線してしまったが、本来の続きに入ろう。 

何と、驚くことにその81ヶの「3次元方陣」の中のすべてには必ず「0=神」が同座していて、すべてを見守っていることがお判りになるであろう。 まさに、驚きそのものであり、現実に沿わない話であり、信じられないような話ではある。しかし、現実そのものでもある。
 このような超常的な具象を作り上げるには現代のス-パ-コンピユ-タ―を用いても、とても、とても不可能と言うしかない。
 それは要するに、「神」は常に我々の行動や思想を把握して制限していると言うことであり、我々は「神」の心のままに生かされていることでもある。
 まあ、これには驚いた、すべては「神」に筒抜けとなっていると言うことであり、我々のすべては「神」の監視の下にあったと言うことになるのである。 
  オ- マイ ゴット 、何と言うことであろうか…!!!。 我々は自分の運命、宿命であるとして唯々諾々ととして従っていたのであるが、何と、すべては「神」が采配を振るっていたのである…!!!。 オー・マイ・ゴッド…!!!!。  オー・マイ・ゴッド…!!!!!…。
 あの、アインシタインは「神」はサイコロを振らないと言ったが、それは嘘であり、実際は「神」がサイコロを握っていたのである…!!!。
 要するに、我々は「神」の主導の通りに動いていると言うことなのであり、「神」の心のままに毎日を送っていると言うことなのである。


 要するに、このすべての「3次元方陣」を簡略的な姿にすると、「0」と「9」の2元から成り立っていることが解って来るのである。
 それは、すなわち、「0」とは意識世界(神)であり、、「9」は物質世界(我々)を意味するものであり、その2重的な存在、すなわち、常に、(0と9)と言う相対的なものを伴っている2重の姿こそが、我々の生活圏である「3次元の世界」と言うものなのである。

 要するに、我々の世界、すなわち「3次元世界」は意識(0)物質(9)と言う二つの2元要素から成り立っているもので、例外は一切無いと「数」は言っているのである。それは言葉を変えれば、「魂」と「肉体」と言う異種結合体こそが、我々の持っている生命体の本当の姿なのである。
 そのあたりを考慮に入れながら「その意味するところ」を更に検証し、尋ね歩くことが必要である。それにより、何か大いなる意味、思いもよらなかった自然の秘密が解るかも知れないのである。

それらの事実のすべてが、ここ、21世紀の初頭に来て初めて明らかにされたのであり、すべては「神」の守護の下に生命を与えられ、「神」の守護の下に生命を維持していることをいみじくも物語っているものなのである。 その姿は、まさに、それはお釈迦さんの掌の上で右往左往している孫悟空そのものであり、いくら頑張ってもそれから逃れる術はないと言うことでもあるのである……!!。

さてさて、本来ならば、ちゃんとした「数図の存在」の下にすべてを説明しなければならないのであるが、如何にせん、頭も痴ほうに近く、図をインタ-ネットに上げる方法さえもままならない状態である。すなわち、しばらく扱わないので、その方法をすっかり忘れ果ててしまったと言う哀れなことになってしまった現在なのである。でも、なるべく誰かの力を借りてでも、主要な図はここに載せて行くつもりではいるのであるが、如何にせん、頭には浮かんでいるが、図に描くまでのパソコンの技術が今の私には失われてしまっているのである。甚だ、口惜しい限りではあるが……!!??。。

 

それでも考えたこともあるのである、恐らくは、これらの私のほざき(ひとりごと)を見ても、何の感傷も感じない行きずりの方々が甚だ多いと思われるので、面倒な数図をインタ-ネットに掲載することをこれからは止めることにして、関心のある方々だけにこれらの特別な数図や、その詳細な説明をご送付申し上げることにしたいと思っているのであるが、如何であろうか…。 要するに、その方々には、何時でも、疑問、あるいは質問状をお送り下さればすぐさま返答をFAX,または郵送で送ることにしたいと思っているのである。場合によっては拙宅まで乗り込んで来て大いに議論を交わしてもいいと思っている。 それだけの重大な真理、真実が「神の数学」の中にはあまた潜み、誰かが扉をノックするのを待ちわびているのである。その為にも、我こそと思われる方は是非、手を挙げて連絡をお願いしたいと思うのであり、また、出来る限り、懇切丁寧に説明したいとも思っている次第である。

とにかく、これらすべては、今世紀のいずれあたりかで、必ず発生すると思われる人類の抱えている「神」との関わりをテ-マにしたものであり、決して的外れのものではないものである。これらすべては、我々の「数」に対する認識を一変させるものであり、新しい「神の叡智」を見極めるための数手法でもある。 また、これらは「神」の正体を見極めようとする特別な方々を対象とするものであり、この新しい知を用いることにより、「神」の存在がハッキリし、その正体も解ろうと言うものである。

今後は、現代知のみでは解決不能な「神の問題」ばかりを取り扱うつもりであり、これらの「数」の語る人知を超えた「神の御心」と言うものをあなた方と共に学んで行きたいと思っているこの頃である。 もっとハッキリ言うと、私もまだ道半ばであり、あなた方により教えられることも多々あるはずである。

 

さあ、今回は「カムナガラの道」の中にある81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」を探して、その中の9ヶの数を加算し、そこにある「大いなる意味」を考えて貰いたいと思う。今回の命題は「それ」であり、多数の方々がそれを見い出して、新たな洞察圏の存在を確認し、検証に走ってもらいたいと思う。

これは小学低学年や中学生でも説明すれば出来るような理路整然とした問題であるが、果たして、あなた方はは解けるであろうか…!!???。

私は大いに訝(いぶか)しみ、大いなる疑問としているのであるが、果たして、あなた方はこれらの事実に答えてくれるのであろうか……!!??。

 改めて言う、この「カムナガラの道」の中には81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」が存在し、仏教の根本教理である「色即是空」「空即是色」とまったく同じことを叫んでいるのである。 その81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」を探し出して、それらの叫びを聞き、その意味するところをあなた方の手で明らかにしてもらいたいのである。これは、まさに、それらは「神」の叫びであり、「神」の祈りでもあることを知ってもらいたい。

 また、もう一つお願いがある。それは前に説明した81ヶの「3次元の方陣(我々の世界)」には必ず「神(0)」が同居して、すべてを見守っていると言う事実を自分の手で明らかにし、検証してもらいたい。要するに、自分の手ですべての「3次元の方陣(我々の世界)」を見い出してチエックすれば、すべては自ずからハッキルして来るのであり、疑問は一切消えてしまうはずなのである。 
 
何時間、あるいは何日か思い悩む、それも一つの心の修行であり、未来への投資であると考えればいいではないか…!!。

 なぜ、何のために、「神(0)」はすべての「3次元の方陣(我々の世界)」にあまねく遍在して、我々を見守っているのであろうか…!!??。
 また、何故、その「3次元の方陣(我々の世界)」には、必ず、0(最初)と9(最後)が相揃って同居して何事かを囁いているのであろうか…!!??。 0は最初のものであり、9は最後のものである。何故、それら二つが揃って同居しているのであろうか…!!??。そこには大きな哲理的な秘密が必ずあるはずである。私は、是非とも、それを知りたい…!!!。
 それは恐らく、我々の想定をはるかに超えるものであり、明らかに何事かを示そうとしている自然哲理的な意味を持つものであろう。また、それは大変重大で貴重な問いでもあるはずである。そのあたりを、是非。考えて見て貰いたい。
 恐らくは、この意味の検証結果次第では、我々の現在の知の価値観を180度変えてしまうものとなるのであり、新たな「人間知」を改めて、構築しなければならない一事態が生ずるかも知れないのである。 さあ、考えて戴こう さて、はて…!!??。
 

 
しかし、そのようなことをあなた方に尋ねても無理なことであろ、その答えは「最初の0」と「最後の0」はまったく同じものと考えて=で結べばいいのである。それが、あの古代言葉の「カミムスビ」、「タカミムスビ」のと言う自然の心であり、自然の形態を表しているものなのである。 要するに、それが自然循環の形であり、循環数学の基本と言うものである。見るがいい、それは宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」の中にも、記載されているではないか…!!!。それを理解しない限り、あなたは一歩も前進が出来ず、ただただ、無明の闇に飲み込まれるだけである。
 
 
また、それらのサンプルと言うものを、この「カムナガラの道」は数多持っていることを知って欲しい。それが、すなわち、「カムナガラの道」の横、縦の各数列のすべてが必ず持っている「最初の0と最後の9」の出現である。それらの一つは「無形の0」であり、もう一つは「有形の0」の姿の存在を示しているものである、それがお判りであろうか…!!!?。
 それ故に、人間的な計算の場合、最初の0は0と置き、最後の0は9と置くのである。すると、全部が綺麗な数が並んで、我々の気を引くのであり、また、様々な計算の場合にもすべてが上手く行くのである。これは経験上の知恵により判ったことである。
  これら、「無形の0」、並びに「有形の0」の意味が、少しはお判りになったであろうか…・・!!!。

 例えは少々悪いが、我々の頭部(あたま)を考えてもらいたい、「無形の0」とは頭の後部であり、「有形の0」とは頭の前部と思ってもらいたい。まったく、同じ一つのものではあるが、頭の後部には何も無い、すなわち、そこは見かけが0であるが、実際は脳があり、体の全体を司り、牛耳っている大変貴重な存在なのである。
 一方、頭の前部には華やかに目、鼻、口、耳などの有形なものすべてが揃い、まさに「有形の0」であり、立役者そのものなのである。しかしである、実際には、目、鼻、口、耳などの情報はすべて頭の後部に伝えられて、処理され、初めて役に立つのである。
 すなわち、「見える世界」の物事は、すべて「見えない世界」を通じて、処理されることにより、初めて有効となって認識状態になるのである。要するに、全体としては一つであるが、姿形は「後ろから見るか」、「前から見るか」により二つ存在があるかのように見えるのである。要するに、それは一つの磁石的な性質の存在を考えればいいのである。すなわち、一つの中に(+)と(-)と言うものが仲良く相伴いながら同居しているようなものであり、片方が無ければ他方も自然に消滅してしまうのである。
 
 また、別な意味で、よく考えて見れば、それに似たものは日本の将棋にもあるではないか…!!、最も力を持たない「歩」の駒が、一転して王様の駒の次に力のある「金」の駒に代わること、すなわち、それが「成る」と言う言葉であり、古くは「古事記」にも出ている言葉である。それが、すなわち、「裏返し」となることであり、物理言葉では「反転」という行為と言うものである。
 このような特殊な考えは日本独自のものであり、大変古いものなのである。それは日本以外にはまったく存在しない言葉であり、古事記では宇宙創成の言葉として用いられているのが「成った」と言う言葉であり、突然の反転の象を指すものである。 
 要するに、この手法は古代日本の叡智に見られるものであり、これらはその再来言葉と言ってもいいものなのである。
 それが、すなわち、0が成って9になると言う大変意味深な言葉であり、誰も知らない遥かなる哲理言葉なのである。

 また、それは、恐らくはあの聖書にある「神の言葉」、すなわち、「私は最初(α)であり、最後(Ω)でもあるのだ」と言う言葉を裏書きしている言葉であり、0=9とまったく同じものと考えてもいいものかも知れない。
 
 
または、インド数学の言っているように、0には「何もない無の0」と「満タンを示す0」の二つがあると言うことの示しでもある。 とにかく、今でも、現代数学者達は「0の不思議」には手を焼て四苦八苦している最中なのであるが、どうも答えは出せないようである。まあ、現代数学、すなわち、直線数学では決して、答えを出すことは出来ないのである。

  これらすべては誰にでも、簡単に見出すことが出来るのであるが、その意味することが重大過ぎて皆目わからないので悩んでいるのが今の私である。
 
 これらは今の私にもまったく不明であり、答えと言うものがまったく出ては来ないのである。 もう、何年も、何年も呻吟していることであるが…!?。
 すべては至極簡単なものであるが、しかし、西洋知にまみれている我々には、その答えを一向に見い出すことが出来なくて、おろおろするだけである。

これからはなるべく定期的な、あるいは必要次第な時に随時にこのサイトに更なる高度な「神の数学」の問題、を取り上げて見たいと思う。これらの問題を関心のある方、または疑問をお持ちの方々は、是非、FAXでその内容をご連絡を戴きたい。なるべく懇切丁寧に、そしてザックバランナ形で直ちに、返答、またはその仔細を記してある関係書類をお送り申し上げ、共に考えることにしたいと思う。ただし、私は赤貧まみれの最中である。
 よって、疑問のある方は、せめて郵送代として(200円くらい)は同封してもらいたい。なんせ、赤貧の真っ最中なのである。

宜しく、お願いのほどを申し上げ、今回はこのあたり筆を止めることにする。次回からはあなた方を「更なる夢幻の幻視考」、すなわち、現代科学を遥かに凌ぐ、超メタ・フィジックの真実世界の存在を語る「数の世界」に、ご案内申し上げ、つぶさに詳細を見て貰うつもりである。
 
  次回の題目をお待ちくだされ…!!!。 さて、さて何が良かろうか…!!!?。

 またもや、あなた方が目を廻すような「神の叡智」が出現するのはお察しの通りであり、あなた方の頭脳を混乱させて、正気に戻すつもりである。
   さて、さて、次回の「神の秘儀」についての、あなた方の見解は如何に……!!??。あ-、あ-楽しみである……!!!!。

 

連絡先     FAX 0558 (76) 4334   「神の数学」 サトウ トシオ まで。


  
  

『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その2」

         令和2年月上載



  さて、さて、先回の問題となった「カムナガラの道」の中にある81ヶ、の「3次元の方陣(我々の世界)」が語り上げている究極の内容について、いくらか考察の上、十分に検証されたであろうと思われるが、如何なことであろうか…!!??。

 恐らく、これは誰が行っても、常に結果は同じであり、常に同じ答えが見いだされるはずである。また、ひょっとすると、とんでもない大いなる直感を持った御仁が現れて、更なる回答を出して、我々を唖然とさせてくれる可能性も十分にあるのである。

 今の所、残念ながら、それは「数」で示されていることが解っただけであり、その内容や、本来の意味するところなどは未だ不明なのである。
 この「3次元の方陣(我々の世界)」を尋ねて行けば、最後に存在するものは「0」と「9」のみであり、それはすなわち、3次元の世界とは「見えない世界(意識世界)」と「見える世界(物質世界)」の二つの世界から成り立っていることを語っていると言うことである。
 要するに、そこにある0とは「見えない世界(意識世界)」であり、9とは「見える世界(物質世界)」を意味するものであり、しかも、「見えない世界」と「見える世界」は同じ本質、すなわち、0が本質であり、すべては無に帰す、すなわち、すべては無的な存在、「空」の存在であることを語っているものなのである。
 
ただ、そこには、その現れ方が異なっているだけであり、それにより「2元世界の存在」や「1元世界の存在」さえもハッキリと示されているのも面白い限りである。要するに、「3次元の世界」を尋ね歩けば、「2元世界の存在」や「1元世界の存在」が見えて来ると言うことなのである。
 
 要するに、3次元の世界の中に「2次元世界」が存在し、また、また、同時にその中には「1次元の世界」「0次元の世界」等も共存状態にあることを示しているのである。もっと、ハッキリ言えば、「3次元の世界」の中に「2次元世界」や「1次元の世界」、「0次元の世界」が共存していることを示しているのであり、それが基本枠組みとなって次の次元を作り上げていることを示しているのである。
 しかし、現代物理の世界では、それらの次元は別々な状態で個々に存在しているのであるとか、並列状態で繋がっているとか、言われているようであるが、実際はそうではないことを「数」は如実に示していることになるのである。

 また、数は更に語っている。すなわち、我々は「意識(こころ)」と「物質(肉体)」の二つが重なって一つとなっている融合体であり、そのどちらかが欠損すると成り立たたなくなる、すなわち、それが終焉(死)を迎えると言うことであると… そのような現代人の知らないことをこの「カムナガラの道」はいみじくも語り上げ、我々に教えているのである。是非そのあたりを知ってもらいたい。
 
 また、それと同じことを日本の古代文献である「ホツマツタエ」は語っているのをお存知であろうか…!!。
 それは次の通りである、すなわち、我々の意識と言うものは宇宙の中心から降ろされた[タマ」と、地に由来する「シイ」が「タマノヲ」によって結ばれて「タマシイ」となり、それが体と言う物質と一緒になって人間の身体が出来上がっていると記されている記載であり、説明なのである。また、その「タマ」は、寿命が尽きた時には、再び宇宙に帰って行くのであるとも言っているのも甚だ面白い限りである。 更に、なお、地に由来する「シイ」とは、肉体的な欲求である「食欲」、「性欲」、また、「名誉欲」や「金銭欲」などの次元の低い欲望を司っているものであるとも言い、肉体が滅びると共に消え去ってしまうと言っている。 そのあたりをシッカリ学んでゆくと、現代文明知は古代知に比べると、甚だ見劣りすることが、良く判るような気がするのであるが…!!!??。

 また、「ホツマツタエ」は次のようにも言っている、アモトは宇宙の中心を指すものである。アモトは透き通ったは柱であり、九重に重なって回転しているのである。その回転の響き(波動)は国玉(地球)にも及び、人の呼吸や水面のさざ波にも影響している」と。
 
要するに、九重の柱から発せられる波動が「九」の波動であり、「宇宙の定数」でもあるのである。それが、すなわち、人の呼吸の周期であり、海の打ち寄せる波の周期(一分間に18)でもあると言っているのである。
 
 考えて見ると、我々の呼吸は安静時に1分間に12~18回の呼吸をするのが普通の呼吸とされ、また、我々の血圧は低くて72であり、それより低い場合には「異常値」となる。高い場合には180くらいで、それより高ければ異常値とされる。また、脈拍は生まれた時が90であり、年と共に上がって行く。
 昔から知られている漢方によれば、成人では上の血圧が135くらい.下の血圧は72くらいがいいようである。
 計算して見るがいい、すべては9の倍数であり、自然との同調性を持っているものである。また人間には九つの穴があり、そのすべては生きていて活動し、自然と合まみれながら同調状態にあると言われているようであるが、誰も突き止めた者はいない。
  確か、自然や人体の霊的なエネルギ-を出したり、吸ったりしているチャクラも9種類あるのであるが、人々は7種類の存在しか解らないようである。要するに、これら、7つ以外の0と9のチャクラの存在は余りにも神妙過ぎて感応できないと言うことなのであろう。また、これらの9ヶのチャクラのに同調する周波数こそが、あのセルフジオ周波数と思われるのであるが、今の所、残念ながら、結論は出てはいない。そのあたりのことは「古神道の神髄である「カムナガラの道」にハッキリと記されているのであるが、今の所、あまり、興味が無く、調べるまでにはいっていない、恐らくは、割合、簡単に答えは見つかるはずと思うのであるが…!!。
 一つだけは言って置きたい、「カムナガラの道」の中はセルフジオ周波数で満たされ、それこそセルフジオ周波数だらけなのである。
 誰か、その仔細を検証して見たいと思う御仁が現れれば、私も力を貸そうではないか、恐らく、直感と洞察力がある御仁なら、2~3時間もあればことは済むと思うのであるが、そのような酔狂のある方は恐らくはいないであろう。考えて見ると、これも古神道のジャンルの一つなのであり、日本人の我々が解かない限り、無理なものなのである。
 
 あぁ、、あぁ―、少々、筋がずれ始めたようなので、さあ、さあ、本筋に引き返そう。

 これらの人体の持つ「九」の波動を改めて検証して見るがいい、これら二桁の数を一桁化すればすべては9になるはずである。 まさに、自然の妙と言えるものであり、誰かが設計したものとしか考えられないものである。あなた方は知っているであろうか、は古来から珍重されている類まれな偉大なる数であることを…!!。それが、すなわち、中国では9は皇帝数と呼ばれ、日本では古来から魔除けの数、あるいは縁起のいい数として知られていたことである。しかし、現在の日本人は九は苦に通じるとか言って、避けているようであるが、それはまさに、程度の落ちた慮外な発想と言うものであり、ただただ、古代の人々に笑われるだけであろう。また、同様に、四は「死」に通じるとか言って商売人には禁数とされているようであるが、馬鹿馬鹿しいことである。

 また、現代数学者達には9は不思議な数として知られていて、現在でも、海外のュ-チュ-ブ等では盛んにもてはやされているようである。是非、一見して、論議に参加し,真実の花を咲かせて見て貰いたい。

 しかし、断っておくが、現代人は一切何も知らないのであり、ただ、ピ-チク、パ-チクと話に花を咲かせているだけであり、誰も真実に迫るような事実を語っている者はいない。真実はすべて「神の数学」が握っているのであり、偉大なる「数」の語りはすべて私が預かり、私だけが知っているだけである。
  しかし、そんなことは誰も知らない、知ろうともしない。
 
しかし、考えてみると、現代知はそうではない、「見えないもの」「意識」などは一切眼中には無く、物質オンリ-の世界のみを探索中なのである。かれらの学問は「見えないもの」、すなわち、「神」や「霊」などは存在しないものとして、一切の研究は禁止されている状態である。 何故なら、そのようなものを学問の中に引くずり込めば研究範囲が膨大化して手に負えなくなることが目に見えているからであり、始末に負えなくなることが解っているからである。それはまさに、中世時代の遺物知を引き継いでいるものであり、更なる文明の発展にはあってはならないものであるからである。
 しかるに、誰かが口火を切らない限り、何時まで経っても現代人は路頭に迷い、無駄な時間を過ごすだけなのである。

 たしか、デカルトが「神の棚上げ」を試みて、それ以降は「神」とか「霊」等の目には見えないものに手を付けた場合には村八分の処分をされて来ているのである。それ以来、それらの研究は下火になったのであり、僅か400年前のことである。それ以降、一つの伝統として守られているのであり、今でもそれは続いているのである。その結果、自然は不可解であり、難しいものであるとかの泣き言となって、とどのつまりは、複雑、混沌の言葉で終わっているのである。すると、今後の科学知の発展は最早望めない、ただ、だらだらと片輪の知を引きづって無明な世界を手探りで進むだけである。

 とにかく、それを打破しない限り、一歩も前には進めない現状なのである。現実を考えて見るがいい、今までの現代物理学は旧態なものとして、今では窓際に置かれ、変わって、量子物理学が腕を振るっているのが今の科学界である。 皆さんは知らないであろうが、量子物理の本名は波動物理学である。 要するに、波動の世界を明らかにして、自然の本体、本性と言うものを改めて見極め無ければならないのである。 ただし、困ったことに、その世界は現代数学、すなわち、10進法では自然の象は解けないと言う難題にぶつかって、その本質等はまったくわからない状態なのである。
 それ故に、科学者たちは10進法に代わる新しい数学手法の出現を今か今かと待ちわびているのが、現在の待ち状態の有様なのである。
 現在、科学は停滞期を迎えているが、それは過度期にある状態であると言ってもいいものであり、新しい科学時代の黎明期を迎えようとしている前触れとしての小休止中なのである。 さて、新しい時代が幕を開けるのは何時になるであろうか…!!!。30年後か、50年後か、それとも100年後になるのか、それともこのまま終焉を迎えてしまうのか、今の所、誰にも判らない…!!!。

 さあ、今回からは古神道の神髄である「カムナガラの道」について、少々、あなた方と話し合って、あなた方の「数」に対する知識の程度を確かめて見ることにしたい。思うに、あなた方、有識者の「数」の知識は幼稚園児と同程度であると思われるのであるが、如何であろうか…!!??。

 私はある時知ったのである、「カムナガラの道」の解き方は「宇宙人の数学」、すなわち、「九進法」を用いることにより、簡単に解けることを…。
 要するに、「カムナガラの道」の最初の言葉と墜落したUFOに残されていた「宇宙人の数学」はまったく同じものであったことが偶然にも判ったからである。そのUFOに残されていた「宇宙人の数学」とは、あの「システム オブ ナインズ」とNASA(アメリカ宇宙局)が呼んでいたものである。

 もっとハッキリ言えば「宇宙人の数学」にはマイナスと言う数観念が無いのである。ようするに、負数は無く、すべては正数だけなのである。要するに、負数(ー)が現れた場合には、それを正数(+)に変えて計算すればいいと言うことなのである。
 そのあたりのことは、すべてあの宇宙人の数学である「システム オブ ナインズ」が教えてくれているのであり、今まで、私も何回も言っていることであるが…!!。
 ただ、あなた方は「そんなことはあるはずが無い」とばかり、信じようとは一切しないので知らないだけなのであり、それ故に、何時までも進歩の波に乗れないでいるのである。ほんの少し、ほんの少しだけ、耳を傾ければすべては秒速で完了し、新たな知の大海原を見い出すことが出来るのであるが……!!!。
 
 また、そこには虚数観念も無く、すべては実数によるものである。要するに、現代数学が苦し紛れに編み出した「マイナス観念」や「虚数、複素数」等の自然には無い「数学手法」で、自然にはまったく通じない「幻のあだ花」的な手法と言うものであり、自然のl解明にはまったく役に立たないものなのである。

 恐らく、これを目にした学者達は怒り心頭に達することであり、抗議の言葉が止まむことは無いであろう。
 そのような方々は是非、拙宅に参るがいい、是非とも、「マイナス数」を用いることにより、自然は混乱し、ますます真実から遠ざかって行くことを「数」に語らせ、その上でいろいろと検証して確かめて見ようではないか…!!!。

 「マイナス数」を用いずに、正数を用いることにより自然は正常な展開を行い、真実な答えを見せてくれるのである。要するに、自然の正体を垣間見せ、過ちを諭してくれるのである。論より証拠、現代数学では0より大きい数を正数と呼び、自然数と呼んでいることからもお判りになるであろう。自然数にはマイナス数と言うものはは無いのである。
 また、虚数は嘘の数、あり得ない数を虚数と呼んでいるのであり、英語では"imaginary number"、すなわち、実際にはあり得ない「想像上の数」 と呼んでいることを知ってもらいたい。要するに、これらの数は人間が作り出したものであり、自然にはまったく存在してはいないものなのである。

 大分、前置きが長くなってしまったが、諸氏の誰も知らない、誰も信じようとはしなかった「宇宙人の数学」の真実と言うものを見せてあげようではないか。
 
 それは「神の数学」では「神算法」または「禊ぎ算」と呼ばれている自然の算法であり、マイナス数と言うものはまったく必要とはしないものである。すべてはプラスの数、すなわち正数のみで計算を行うと言う算法である。その算法により、自然は本来の姿をジックリ見せてくれるのであり、すべてはスム-スな形で答えを出してくれるものなのである。

 それは今までの数学者達にとっては思いもよらない算法であり、正しい自然の計算答えを見せてくれるものなのである。

 
恐らくは、そのようなことを言う私には世界中の学者達から非難がごうごう集まり、初めてこの文を見た者は私を悪しざまに罵り、気狂い呼ばわりするであろう。しかし、真実はあくまで真実であり、それは「数の論理」がその中に証明してくれるはずである。
 また、素直に検証して、自然の答を得た者は喜びに震え、小躍りして「素晴らしいもの」と褒め称えることであろう…!!。


 
さてさて、これからが私の本当の正念場であり、腕が問われるところなのであるが、よく考えて見ると、余りにも年を取りすぎ、果たして諸氏に十分に理解が出来るような丁寧な説明が可能なのか、どうか、それが頭の痛いところなのである。

 
まあ、なるべく、丁寧に、かつ安易な言葉で説明しなければならないのであるが、それもまた、頭の痛いところでもある。

 なんせ、すべては史上初めてのものを、綺羅星のように並んでいる数学者たちの頭越しに説明しなければならないのである。
 恐らく、私は全世界では何十万人と言う数学者達の反感と憎しみを受けながら、モノを申そうとしているのである。
 しかしである、何時までも頭の中に宿しておくのも、これまた、本意ではなく、「神」の好意を裏切ることにもなりかねないものである。
 
 今までは、それが恐ろしくて、なるべく隠すようにして数十年間、学んで来たのであり、余り、人には告げることを避けようとしてきたのである。
 ただ、希望と勇気を与えてくれるのはあなた方、「神の数学」を学ぼうと言う方々の応援の声だけが頼りであり、大きな慰めでもあるのである。
 
 先日も甚だ驚いたことが有る、突然、大分県のある御仁からメ-ルを戴き、頑張って欲しい、私は「神の数学」のホ-ム・ペ-ジの初稿からのものをプリントして大切に持っていると言われて、甚だ赤面の至りとなってしまった次第である。
 なぜならば、余りの反応の低さに辟易して、本気で相対しょうと言う気分が失われ、少々ペシミスチックな気持ちになっていたからである。
 今は大丈夫、そのメ-ルにより、頑張ろうと言うエネルギ-が湧いて来て、大変、気分も好調の波に乗って来ているので…!!。

 

 この「数」の問題に関しては今まで誰も口にした者はいなく、考えにも浮かばなかったものである。要するに、その詳細、いや、その片編さえも語っている書籍の類等は皆無であろう。 ただ、あるとすれば、アメリカで墜落したUFOの中から発見された「宇宙人の数学」、すなわち、「システム オブ ナインズ」と私が「神」から与えられた「神の数学」だけである。 また、「神」から与えられた経過というのも甚だ信じられないものであり、私自身でさえもあり得ない話しであると思って、ただ、呆気にとられているものである。その次第を、時々人に話して笑われているような有様でもある。折があればその話も披露し、あなた方の笑いを誘ってみたい。すべては本当にあった話であり、私の本当の面白い体験記なのである。ハ-ハ-ハ-…。

   

『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その

         令和2年月上載


 恐らくは、「神の数学」にとっては今回が最大の試練であり、まさに天王山そのものであろう。 なんせ、全人類80億人を敵に回しての挑戦であり、しかも歴史を通してもあり得ないものなのである。まあ、言って見れば80億対1の呆れた決戦であり、漫画のようなものであると言ってもいいものであろう。
 これらすべては「神」から与えられたものであり、すべては誰も知らない「天与の叡智」とも言うべきものである。

 そう言っても別に難しいものでは無く、至極簡単、明瞭なものである。ただ、あなた方は今まで学んで来た過去の知が災いしてスム-スに受け入れようとはしないのであり、身に付けた過去の知の栄光が忘れられずに身を震わせながら反発しているだけなのである。

 しかし、言って置くが、あなた方の学んでいる現代数学は片輪の知であり、円滑な内容等は一切無いことを知るべきである。何故ならば、現代数学は物質、すなわち、「見える世界」に関してのものに対する計算手法であり、「見えない世界」に対しては一切、効力は無い、また、拘束力等などはまったくないものだからである。そのあたりのことをあの「ひふみ神示」も言っているではないか…、「片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥(くたびれ)儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ」と…。あなた方の知は既に「ヒフミ神示」の天明さんにより70年前に否定されているのである、お判りであろうか…!!!。。

 考えて見るがいい、あなた方は知らないだけであり、「見えない世界」は「見る世界」の数十倍、あるいは数百倍の広大な領域を持つ世界である。言葉を変えれば、「見える世界」は「見えない世界」のほんの1部分でしかないものであり、僅かな領域を占めているものなのである。 その1部分だけに通じる計算手法を持って、全体を牛耳ろうとしているのが、現代数学であり、現代文明なのであり、甚だ、無理無体なことをして満足しているものなのである。

 「見えない世界」の存在を知らない我々は、現代数学手法を用いてすべてを紐解こうとしているのであり、それはまさに、向こう見ずな行為と言うものであり、その結果、解けない、解らないと地団駄踏んでいるのである。その挙句には、虚数、無理数等のあり得ない手法を繰り出して、己の心の満足を計ろうとしているのである。

 本来ならば、出て来たマイナスの数をプラスの数に転換しながら、「陰」、陽」からなる相対的な計算結末を確定してから答えを出すべきなのであるが、それを知らないので、片方だけの絶対性を信じ、その分野のみに通じる計算手法を自らの手で編み出している、それが現代数学なのである。
 

 
本来の自然宇宙の計算法には、足し算と、引き算、それに比だけで済むものであり、マイナス数と言う概念などは無いものである。 これは私が言ったのではなく、現代の宇宙物理学者であるイギリスの ロジャ-・ペンロ-ズが言っている言葉である。

 それとまったく同じ手法を持っているものが、「神の数学」の中にあり、「神算法」、または「禊ぎ算」と呼ばれている自然数算法であり、現代人はまったく知らない「自然の演算法」と言うものなのである。要するに、プラスとかマイナスの本質性とは、その進行性の違いを指すものである。すなわち、数の世界ではプラスは右回り、時計の廻りの方向であり、マイナスはその反対、左回りの方向を指すものである。それは、すなわち、この世(物質世界)ではすべては右回りが本質であり、「あの世(意識世界)」ではすべては、その反対の左回りが本質運動なのである。それが循環世界の決まりであり、それが合一して0を生み出して永遠を紡ぐ由縁となっているのである。それ故に、常に、無限性と永遠性を誇って止まないのである。
 恐らくは、「数」の動きと、その意味合いが解らなければ永遠に閉ざされた謎として残されて行くのであり、同時に、人間知の発展も限度を迎え、徐々に没落を迎えるだけであろう。それはまさに、「日本神道」の歩みを思い出させるような没落過程を経ながらであろう。

 その前に一つ言って置きたい、日本神道においては「禊ぎ」とか「禊ぎ祓い」と言う儀式があるが、これはまがいものであり、本来のあるべき意味からはまったくかけ離れているものである。ようするに、神道においては「禊ぎ」とは単に身を洗い清めることとしているが、そんな簡単な仕草ですべてを済まして、「神」に会いまみれるのは甚だおこがましい限りであり、「神」をぼうどくするものでもあろう。本来必要なのは「体」の清めなどではなく、「心」の洗濯であり、心の垢を洗い流し、正心に戻ることなのである。
 要するに、罪や穢 (けが) れのある者の身を、水やお湯でいくら綺麗にしても、何の効果も無いのは当然なことである。肝心なのは「心」であり、その者の今まで犯して来た「過ち」を、如何にして清算し、汚れた心を元の綺麗な状態、清らかな状態に戻すことが出来るかと言うことである。 それを単なる「水」や「清流」で体を洗いうだけで済まそうと言うのは、甚だ奇怪であり、とても承認などはできないものである。そんな道理は子供でも判ろうと言うものである。
 それ故に、我々が「この世」で罪を犯し、心に穢れが生じた場合には、すぐさま逆な行為を行うことにより、心の穢れはだんだん消え去って行くのである。
 すなわち、穢れの上に清らかな善行で上塗りすることが大切であり、ケガレとはその対極にあって不浄な行為のことなのである。
 それがすなわち、悪を犯した場合には、すぐさま、善行を施して心の汚れを少しづつ、消して行くことが大切なのである。例えば、小さな善行を何度も繰り返すことにより、大きく穢れた行為も少しづつ、消えてしまうことになるのである。 それが自然流であり、「神」の思し召しなのである。
 とにかく、それが肝心なことであり、非常に大切なことなのであり、決して忘れてはならないものなのである。
 そのことを忘れて、「あの世」に罷るので閻魔大王により、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)で生前の善悪の所業のすべてが映し出され、悪行の一切がばれてしまうのであり、すべては一切合切判ってしまい、改めて罪を償うことになるのである。 
  要するに、生きている時の心の借りは、死んでも消えず、あの世でも責め立てられると言うのである。 ハ-ハ-ハ-、何と言う愚かなことなのであろうか…と思うであろうが、これが、本来の宇宙自然の掟であり、定めなのである。

 よく考えて見るがいい、本来、心に罪や穢れを持っている者がどうして水を被るだけで、贖罪(しょくざい)が可能になるのであろうか…、、精神的に歪んで、心がえびつに変形したものが、何故に元の正真円に戻るのであろうか、…、これこそまさに欺瞞であり、人々をたぶらかす行為そのものと言えよう。

 そのあたりだけを考えれば、西洋宗教の「懺悔」の方がよほど的を射てはいるのであり、考えても判ることでもあろう。考えてみるがいい…!!。

 要するに、日本神道は全体にわたって偽善がまかり通っているのであり、古神道の伝えていた神意からは完全にかけ離れてしまっているのである。
 それや、これやで今の日本神道の権威は今や完全に地に落ちてしまい、まさに風前の灯のような状態、それが現代の日本神道の姿なのである。

 そのあたりのこと、すなわち、「数」の教える自然の真実と言うものををシッカリ知りたいのなら、是非とも、この「神算法」の中の「禊ぎ算」を学んでもらいたい。それにより、あなたは「自然の数の算法」の真実を知り、本当の「自然世界」の大律と言うものの存在に目覚めることになるであろう。

 恐らくは、世間からはキチガイ扱いにされ、無視されて終わることになるかも知れない、でもいいではないか…、自分で何回も検証し、すべては真実であることが判明すれば心は十分に満足するのであり、常に快活の状態で一生を過ごすことが出来るのと言うものであるから…。

 「現在の知」の片輪な姿を斜め後ろに見て、前にある素晴らしい「自然の知」を姿を追いかけて、の円満に結び上げて学び取る、何と言う果報者であろう…!!。


 そのような訳で、これから本来の自然の持つ計算法と言うものをこれから、披露することになるのであるが、心のご用意は宜しいであろうか…。
 まあ、既に何回か披露申し上げているのであるが、一向に反応がなかったので、私もそのままにして、ほおって置いていたのであるが、今回は果たして、どうであろうか。

 今回のテ-マ-は「10進法」の不完全性をえぐり出し、自然算法、すなわち、「神の数学」の確かさを諸氏に説明することである。これはまさに現代+文明始まって以来の伝統を持つ現代知の基盤を根本から揺るがすような大仕事であり、恐らくは全世界からの轟々たる非難を受け、軽侮の声が満ち溢れるであろう。それは重々承知はしている、また覚悟もしていることでもある
 
 

よくよく、考えて見ると、過去数千年間、数計算の仕組みに対して正面きって疑論をぶっつけたり、あるいは反証を掲げた者は誰一人としていない。
 恐らく、私が最初の数学知に対しての反逆者、あるいは謀反者と言われ、身の置きどころも無くなるであろう。 すべては承知の上のことである。

 

確かに、「現代数学」における数の概念はそれほど強固で揺るぎないものと思われて来たものであり、それ故に、今になって「現代数学」は真実を語るものではないなどと否定すれば、恐らくは、身の程知らずと罵倒され、誰にも相手にされ無いことは火を見るより明らかである。
 ひょっとすると、世間からつまはじきを受けて明日からの口糊さえもままならぬような状態にも陥るかもしれない。しかし、それも止むを得ないことであろう。

  我々の数の計算とは「10進法」と呼ばれるものであり、この数千年間使い慣れてきたものである。学者達の説明によると人間には指が10本あるので指を折り数えるための便宜法として10進法が用いられていると言うことである。
 要するに、この計算法は人間の便宜のための一時的な手法であって、何も自然界に基く尺度計算法ではないものであない。 ハッキリ言えば、人間は己の便宜上のために勝手につくり上げたものであり、何ら自然の法則に基いたもの、あるいは自然則に即した尺度法ではないと言うことである。 まあ、これについては誰も同じような見方であり、反対を申し述べるような御仁もいないであろう。

さあ、そこで一つ考えてみよう、この人間により考案された計算法と言うものは果たして自然の持つ計算法と合致し、かつ自然の持つ摂理をうまく説明してくれるものなのであろうか…??。 要するに、これは人間史上の大問題であり、自然を知るためには避けては通れない問題と言うものである。

 本来なら、そこをまずは確認することから諸々の自然研究が始まるのであるが、それが当然の「知」の道筋と言うものであろう。

しかし、いくら調べてもそのような形跡は無い、恐らくは誰もそこまで考えが及ぶ者はいなかったのであろう。
 要するに、今まで多くの科学者達が自然は難しい、解明困難であると頭を悩ませて来たのもそこに原因があったのである。それはすなわち、人間の計算法は自然にはまったく通じないものであり、ただただ混乱と不整合を招くだけに過ぎないものであったと言うことなのである。

しかし、今まで誰一人として、それに言及する者はいない、考えることもしなかったのである。
 ただただ、この数千年間、誰も疑うこともせずに営々と現代数学の構築に精を出して来たのである。誰も疑わず、誰も疑問も持たずにである。  
 特に日本人はその傾向が強いような気がする、なぜならば、ただただ西洋の学の後を懸命に追いかけるだけであり、ただただ西洋の学を尊び伏して、そのコピ-を有難く拝領して学ぶだけの姿が目立っているからである。それが、すなわち、それは自己満足の骨頂であり、文化度の高揚につながるものと感じて頑張って来たことなのである。それが、コピ-文化の国と揶揄され、軽蔑されて来た一昔前の姿であり、明治以来の日本の100年の姿なのである。

 

要するに、これが今までの100年の日本文明の普遍的な姿であり、その偽らぬ文明知の内容と言っても差しつかいないものであろう。

ところが、どう言う訳か、この西暦2000年あたりを境にして、事態は一変する方向に動き出して来ているように思われるのである。
 何となくであるが、知に於いても、少しづつではあるが、日本が世界のイニシァテ-ブを取り始めているような気がするのである。それも何となく世界の目は日本に向けられ、日本に興味を持ちながら、近づきつつあるような気がするのである。とみに最近そのようなことを強く感じるのであるが…!!。 如何であろうか…!!。

今まで、日本は世界に追い付け、世界に後れを取るなと言う言葉をスロ-ガンにしゃにむに頑張って来たのであるが、ここに来てホット一息ついたら、何のこと、いつの間にか事態は一変して世界が日本を頼りにしながら懸命に後をついて来ている状態に変わっているのである。

何となく、どことなくそのように感じるのであるが、それは私一人だけなのであろうか…!?。

 

昔から、山や野原で道に迷った時には、原点に戻って改めて出直すことが肝心と言われている。それと同じように人類の知が自然とは異なる方向に向かいつつあることが判った現在、それを糺すために一旦、文明発祥の時点まで戻って考えることが必要であり、肝心なことである。
 そのように考えを持ち始めた先端的な学者達は現在、神話、口伝、超古代文献あたりにそのための糸口(ヒント)を求めて懸命に探しているようであるが、恐らくその答となるものを見つけることは出来ないであろう。要するに、現代知を基にしていくら考えても答は見つかることはないと言うことである。

もし、その可能性を求めるならば、その場を日本に求めるべきである。なぜなら、そこには夥しい超古代文書の群が存在し、それらは現代常識ではとても御すことが出来ないものばかりだからである。 それらのすべては、ただ、ただ、無残に打ち捨てられたままであり、御用立てする者もいないのである。

今まで、西洋知の持ち主達は、これらの古代文献を荒唐無稽な作り話であるとか、意味のない愚な物語であるとか埒のあかないことを言ってただただ馬鹿にするだけであり、否定あるいは無視することで世間体をつくろうとするだけで、決して近寄ろうとはしなかったのである。

見るがよい、現在は科学、哲学などの人間知はもとより、政治、思想、あるいは経済等の人間知に由来するもの全てが完全に閉塞状態に陥って入るでは無いか…、まさに混乱の真最中と言ってもいい有様なのである…。 いったい、この状態は何時まで続くことやら…!!??。
 ここで誰かが人間知に対して何らかの不審を感じ、何処かに間違いがあるあるのではないかと疑問を持っても、それは一向に不思議はなことではない。

何故なら、あれほど強固で絶対と思われていた現代物理学でさえ、量子力学の出現により、今では古典物理と名を変え窓際に置かれている状態である。そこから慮れば「現代数学」も何時までも安閑としてはいられないはずである。でも、今はまだ現代知の優勢度に押され告発する者などは誰ももいない。
 しかし、そう遠くはない時に誰かが言い出すのは間違いないことであろう。今は、ただ、ただ、待ち続けるだけである。

 

確かに、「現代数学」における数の概念はそれほど強固で揺るぎないものと思われて来たものであり、それ故に、今になって「現代数学」は真実を語るものではないなどと否定すれば、恐らくは、身の程知らずと罵倒され、誰にも相手にされ無いことは火を見るより明らかである。
 ひょっとすると、世間からつまはじきを受けて明日からの口糊さえもままならぬような状態にも陥るかもしれない。しかし、それも止むを得ない。

しかし、私は敢えてやらなければならない、何故なら、さかしいようであるが、人類の未来のために、人々の心をユ-トピァに導くためのここ一番の切り札を私は持っているからである…!!。これは大義名分の御旗であり、「神の数学」の真髄のほとばしりの一切の仔細であり、永遠の仔細と言うものである。 
 あなた方がいくら頑張っても「10進法」と言う計算法を用いている限りは、自然の秘密は決して解くことは叶わず、永遠に時を無駄にし続けるだけである。また、それを用いている限り、いくら頑張っても自然の秘密のヴェ-ルの内側を覗くことなどは決して出来ないと言うことである。

その意味で、今回からは人間の作った「10進法」の誤りを徹底的に追及して見たいと思う。せめて直感的な確かな目を持った方々にでも巡り合うことが出来ればまことに幸甚であり、私の心も高なって、希望を持ちながら容易にそれらを楽々と解き放つことが出来るであろうし、また、心も休まるはずである。  しかし、逆に無関心と白眼視が目につけば心は私の心は萎え、しどろもどろになって手を休めてしまい、講義も休むことにもなるであろう。要は「現代数学」と「自然の象」の間には何らかの関連と言うものが、一切が見られないこと、それが一番の問題なのである。

 

要するに、今回の「神の数学」は今までのように数の計算を経て答を出して、その検証に走るものではない。ただ、自然数の計算を経て答を出し、それを確かな目と純な心で眺めるだけでいいのであり、その姿を追い、見つめればいいだけなのである。
 要するに、そこに現われた計算答の「神の数学の数の作られ方」と「10進法による答」の姿を見比べるだけであり、ただ眺めるだけでいいのである。 それがすべてであり、それで終わりなのである。,

ここで最も必要なのは、数学的な知ではなく、緻密な目と真実に対する審美眼、そして素直な心と冴えたる直感的な能力なのである。
 何故ならば、自然の数学は素直でありながら緻密に創られていて、直感と感動を伴いながら学ぶことが出来るからである。

要するに、そのためには、自然の中に存在する秩序や調和を見通すだけの大胆で繊細な目と、それを直感的に感じられるかどうかと言うことに尽きるからである。また、それを解き放った場合に、大いなる感動が伴う、すなわち、同調性を伴うことが必要になるのである。

ハッキリ言えば、、人間の知などの曖昧なものはいらない、必要なのは自然一般の真実を見通すための素直な目であり、直な心が必要と言うことであり、それと共に感動性があればことは足りると言うことである。
 そのあたりの事情は答を見比べている中に追々判って来るはずである。そのためには、ただただ、素直に考えるだけであり、素直に見るだけでいいのである。

 
 さてさて、今月も言葉による説明だけで、肝心な「数の話し」」には至らずに過ごしてしまっいた、大いに悔いは残る。残念至極である…!!!。
 来月こそは肝心の「神算法」について最初から申し上げるつもりではいる。 あなた方に単なる与太話で済ませては、甚だ申し訳ないと思うからである。

 是非、心気一転、驚くべき「数の仕組み」を学んでいただくので、粗相の無いように準備一端をしっかりと整えておくつもりである。
 では、快く、次の〇月を待っていてもらいたい、決して、落胆などはさせないつもりであるが…!!。



 
 


       『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その

         令和2年月上載


  さて、さて、未だに私の魂は疲労から回復はしてはいない、一気に、魂が枯れ果て、気力が失われて半ば、廃人のような心地である。
 要するに、これが年老えたと言う兆候なのであろう。私にとっても初めての経験である。なるほど、こんなものかと舌打ちしたくなる今日この頃である。

  さあ、気分転換の一序として、少々、「神の数学」の回顧録と言うものでも、しばし、書かせて戴こう。

  まずは手に始めに、大分以前に紹介したことのある「神算法」と、その一部である「禊ぎ算」について改めて説明申し上げよう。

 そもそも「神算法」とはアメリカの砂漠地帯に墜落したUFOの中にあったもので、あの宇宙人の数学式である「システム オブ ナインズ」とまったく同じものであり、それはまた、古神道のし真髄である「カムナガラの道」の最初のくだであるあの有名な古神道の奥儀祝詞の「ヒフミ天地の数歌」そのものでもある。何と、この21世紀に来て、宇宙自然の理(ことわり)と太古の古神道の道が完全な一致をみせているのである。

 要するに、それほど「ヒフミ天地の数歌」は天地の理を「数と言う神の言葉」で表しているものであり、自然の真実の理とはすべて、この「カムナガラの道」の中にある数列が関係しているのである。改めて、言い直せば、天地自然の理は必ず因子として「カムナガラの道」の中の数列が関係しているのであり、それが真実か、それとも、まがいものかの判定基準になると言うことである。要するに、これが私の言う「ネイチャ-スタンダ-ド」、すなわち「自然基準」と言うものである。
 試みに、現代数学の色々な数式、あるいは計算式を見て見るがよい、間違ってもこれら「カムナガラの道」の数列が現れることはない。
 それはすなわち、そこ、「現代数学」の用いている計算式と言うものの中には自然の真実を語っているものは何も無いと言うことになるのである。
 
 
 さあ、これで地球上のすべての学者達を敵に回してしまったのであり、孤立無縁の危機の状態になってしまったのである。
 これで失地を挽回するにはあなた方の前に、本当のあるべき自然の計算法の存在を示し、あなた方の賛同を得なければならないと言うことである。

 さて、考えて見ると、余り悲観するようなことではない、大威張りで、私の本論を示せばいいだけの話しである。

 ただし、最初はあなた方も戸惑うことではあろう、なんせ、人類の歴史始まって以来の大問題である、場合によっては人類の文明さえも変えてしまうような事柄であり、人知の理念さえもがらっっと変わってしまうものである。そのあたりを考えながら、ジックリと検証してもらいたい。

 しかし、あなた方は「真実の数理」というものをまったく知らないので、それを伝えながら説明することになるので、少々時間がかかることは否めない。
 まずは、「数の持つ道理」と言うものから始めなければならないので、それが、少々厄介なのである。


   まずは「数の持つ道理」と言うものから始めることにする。


 ここに一つの「数」の入った空間枠が存在する、その数の合計はいくらなのか考えて見て欲しい。