【TOPページ】  【2020年1月記】  【神の数学 平成編】  



 

      
  【超古神道物語】

   「神の数学」の真実を語ろう



 あなた方は知らないであろう、世界の「神秘思想」や「秘教」の大分部は、古代日本から世界に流れて行ったものなのである。
 要するに、すべての知のル-ツは日本にその根が有ったのである。
その大元の根とは日本の古神道の真髄を語っているものが、あの失われた
「カムナガラの道」なのである。しかも、その前置きのフレ-ズをして彼等は神道の奥儀祝詞として取り上げて、長年、
「ひふみ天地の数歌」として崇め奉って来たのである。

 しかし、現在の日本人はその事実を誰も知らない、今では有名神社の神官達にも、完全に忘れられている幻となっている存在、
それがあの「カムナガラの道」であり、超古代日本の「叡智の秘宝」なのである。

 また、彼等神官でさえ、古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」の本体、、すなわち、
「カムナガラの道」持っている数々の秘められた「神の秘儀」の存在については一切知らず、ただ、漠然とした口上と音律をもって、ただただ述べて,自己満足しているいるだけである。
 

 本来の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」とその本体は、天、地、神、の本質をすべからず網羅して、その仔細の一切ををいみじくも語り上げているものである
。また、同時に、天、地、神、と言う自然の一切の象を歌形式でよどみなく歌い上げ、人々にその有難さを教えているものでもある。    

 
さあ、その日本人の誰も知らない「古神道の真髄」、世界に誇るべき「素晴らしい超叡智」を秘め隠している、あの失われた「カムナガラの道」の真実を、ここに語り申すことにしょう。それは失われたのではなく、必要に駆られて隠されたのであり、現在、また必要になったからこそ、再び、現代の世に現れ出て来たものなのである。
 

 それは、秦が滅亡した頃、あるいは西暦が始まった前後に大量に発生した大陸の敗残兵達による日本侵攻により、縄文時代が終わり、弥生時代が始まったのはご承知であろう。その時の大陸からの侵入者の数は縄文人1人に対して、少なく見積もってもその
9倍、多い場合は25倍であると東京大学の歴史の先生は言っている。当時の縄文人の人口は7~8万人くらいであり、それに対して60万人~200万人の荒くれた大陸の敗残兵が日本に押し寄せて来たのである。なんせ、当時の日本は安寧な国、長命な国として大陸人にとっては憧れの国であったと中国の古書には記されていたのである。
 
 それではとてもたまったものではない、ほとんどの縄文人は生きんがために奴隷の身分となり、奴と呼ばれながらやっと生活していたのである。
 そのあたりのことは古代文献である
「竹内古文書」にしっかり記されているのであるが、誰も問題として扱う者はいない。いや、それどころか、日本書紀にもそのあたりのこと,すなわち、日本が完全に大陸勢に完全占領されて、皇都まで乗っ取られた時に、天皇が深く嘆いていたことが記されているのである。
 しかし、それさえも知らない輩が大部分であろう。そこには、あまりの乱暴狼藉の態度に、天皇は嘆いているとあからさまに記されているのである。 
 しかし、学者達は何も言わない、口にしょうともしない。ましてや、それを問題にすることなどはまったく思わない、歴史の一大事実なのに…!!!。
 
 恐らく、その国難と呼ぶような大変な時代に、この
「カムナガラの道」は奪われ去ることを恐れて密かに隠されたのであり、それ以来、その行方が判らなくなったと推測されるのである。最近ではその「カムナガラの道」の言葉の噂さえも聞くことも無い。
 
 要するに、日本にあった古い文献等は彼等敗残兵達により、破壊、破棄され
始めたので、慌てた、権力者達はそれを携えて都落、すなわち、地方えと落ち延びたのである。と同時に、敗残兵達に奪われることを恐れて、人知れず密かに隠したと思われるのである。しかし、それは完全に隠されたばかりではなく、、何と、何時の間にかデフォルメされて、姿を変えながら人々の心の中で密かに生き続けて来たのであり、人々の生活の中でいくばくかは使われて来たと思われるのである。何故ならば、その証拠に、万葉集の中でも二、三、歌われていたと言う事実があるからである。それも恋歌としての遊びの中に出て来るものであり、きわめて洗練された形で歌われ、男女の仲を取り持っていたのである。それが「九九算」であり、「カムナガラの道」を十進法でアレンジしたものなのである。
 
 その「九九算」が日本発の証拠に、日本では誰でも知っているものであり、小学生でさえも、口づさんでいるものである。それだけ、国中に普及しているものであり、他の国には見られないものである。見るがいい、アメリカの大学生でもほとんど、「九九算」を知っている者はいないと言う事実を……!!!。

 確か、大正時代か、昭和の初めの頃に、日本と中国のあいだで、「九九算」の発生地を巡っての学術会議が開かれ、どちらが本当の発祥の地であるかを討議したことがあった。その時は余りにも中国の学者たちが強硬に中国発を述べたので、とうとう、日本が折れて中国が発祥の地になったと言う経過があったのである。要するに、強気に出れば何でも通ってしまうと言うのが何時もの彼等の流儀なのである。確かに、最近の新幹線事件を見ているとよく判る、散々、日本を拝み倒して導入した新幹線を中国が開発したものと主張し、世界から笑われると一気のト-ンダウンし、その後は世界一なのは高速鉄道の線路の長さであるとの自慢になっているようである。それが彼等の何時もの手であると思えば腹も立たない。
 そのあたりから見ていくと、中国の3大発明品とされている火薬,、印刷機、羅針盤等も果たして本当なのかどうかも、怪しくなってくるのであるが、…。
 諺にもあるではないか…!!、大勢で声を上げれば嘘でも本当になる、船頭多くして船、山に登る等の言葉が…!!!。

 要するに、私が言いたいのは、古神道の神髄こそが
「カムナガラの道」であり、その本来の正体を導きだすものが「ひふみ九九算」と言う自然法則の大成を語る数図なのである。しかるに、今では、この「カムナガラの道」は、かっては存在していたのであるが、今では完全に失われてしまい、噂だけの存在となっているものであると述べられているだけである。要するに、今では、神道学者でさえもその内容を知らず、口にする者もいないような状態なのである。
 ただ、辞書をめくると
「今では、名だけが残り、その本体はすっかり失われてしまった」とあるだけである。
 
 しかし、
「カムナガラの道」それは間違いなく、現代の人間知の誤りを糺し、新たな形で蘇らせてくれるものであり、我々を思いがけない「自然知の新天地」に誘ってくれるものでもある。その証拠に、その中には現代人の未だ知らない自然の持つ「数の計算手法」が厳として存在し我々を手招いているのであるが、今の所、誰も気付く者はいない有様である。 それを知れば、現在の「九九算表」は古来の「ひふみ九九算」と本質においては余りにも差があり、大きく違うものであることもハッキリ解って来るはずなのであるが…!!!。
 
 要するに、現代の「九九算表」の母体である
、あの、ゆかしき古(いにしえ)の「カムナガラの道」には自然の持つ律理(神の秘儀)が数多収納されていたものであるが、今の「九九算」では、それらの神髄と言うものは完全に失われてしまい、単なる、数の計算手法の絵図となっていると言うことである。 
 要するに、現代の「九九算表」は現代人間知に沿った至極簡単なものであり、深い意味や、自然の律理の秘密などは一切含まないものなのである。 
 従って、あまり騒ぎ立てる必要も無いし、重視する必要も無いと言うことである。 すなわち、どこの国が発祥の地であるか等は、一切問題外であり、まったく気にする必要も無いものとなり、騒ぎ立てる必要などはまったくないものとなっているのである。

 
要するに、数多の「神の秘儀」を備え、持っているのは古代日本の「カムナガラの道」だけであり、現在の「九九算の表」は完全に魂を抜かれたものと言ってもいいものなのである。 よく考えると、まさに、それは天の配剤の賜物と考えるべきものであり、我々が有難く押し頂くべきものなのである。
 
 
まさに、この「カムナガラの道」、すなわち、本来の「ひふみ九九算」だけはまごうことない日本初発の「大叡智」であり、世界に冠たるものであることは日本人全員に知ってもらわなければならないもののである。それだけは何度でも言って置きたい。その証拠となるものが、あの古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、誰も知らない「天地の理」の存在を密かに歌い上げながら、それに続く「神のコード」をありありと示しているものなのである。 

 
要するに、その「ひふみ天地の数歌」の本体こそが、今では失われてしまった古代叡智の魂(真髄)の発露である、あの「カムナガラの道」であったのであり、くすしくも、現在、それが甦りを果たして、現代の我々に何かを告げようとしているのである。

 そ「カムナガラの道」を開くために絶対に重要なキ-ヮ-ドがこの「ひふみ天地の数歌」であり、大いなる天地自然の秘儀、すなわち、「天地の大律」の存在をシッカリと歌い上げて鎮まっているものである。 また、言葉を変えれば、あの「カムナガラの道」の冒頭に鎮座している尊い数列が、あの古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、その後に続く見事な「数列の理表」が、あの「カムナガラの道」の各数列そのものなのである。
 
 まさに、それは
大いなる「神の理」、すなわち、「神」の存在と「自然の律理」等をいみじくも歌っているものであり、いわば、それは「神」が与えてくれた尊い「数理図」であり、一つの天与の「神図」と言ってもいいものなのである。
 
 また、それはいみじくも誰も知らない「神」の存在を示す唯一無二のものでもあり、「神」の存在を確認するためにはまたと無い好材料なのである。 
 そのあたりの事実を、是非、あなた方の手で検証し、ジックリ探り出して貰いたいと思って、ここにすべてを記そうとしているのであるが、ただ、その前に、「自然の計算手法」、すなわち、あの宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」を是非学んで欲しいと思うのであるが…!!。
 
 なぜならば、この宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」こそは、あの日本発の「カムナガラの道」の本体を解き放つ唯一の鍵であり、必要欠くべからずのものであるからである。要するに、「システム・オブ・ナインズ」を知らない限り、「カムナガラの道」の内容を解き放つことは不能であり、不可能なのである。
従って、当然、「神の数学」の超叡智を学び知ることも出来ないと言うことである。
  
 しかるに、何と言うこと、何も知らない日本民族はただただ、目を逸らしてそれを貶(おとし)め、無視しているだけであり、口にする者も誰もいないのである。、 それが現在の「神」をないがしろにしている有様であり、「神無し」の西洋文明の下僕として大威張りしている情けない姿なのである。
 
 もっとハッキリ言えば、
この「カムナガラの道こそが、世界の「神秘思想」や「秘教」の大分部の源郷であり、遥か昔に日本から世界に流れて行ったものである。そのあたりのことは超古代文献の「竹内古文書にも記されているこrとである。、あなた方は到底信じられないと言うであろうが…!!!。 
 

 それが、大陸発と言われている「陰と陽の存在」、「あの世とこの世の仕組み」、「陰陽五行説」、「魔方陣に始まる易」、チベットの「マニ車の原理」、インドの「ヨガの基本」」等であり更には、西え流れて「カバラの数秘術」や「マケドニヤの占星術」などの発生に繋がっていったものなのである。 

 
それに現在、私が各地で説明している「カムナガラの道」を開けば、宇宙の形が見えて来る等であり、また、それが「ひふみ天地の歌」こそが宇宙自然天地を共鳴鳴動させる大いなる「神の呪文」であると言う更なる新しい事実にも繋がって来ているのである。

 ただしこれは未だ未完成である。今の所、まだ絵にかいた餅のような状態であり、頭では理解しているのであるが、絵図描写がまったく伴わってはいないのである。要するに、己の知の不甲斐なさ、腕の不足さを深く感じさせて止まないものであり、これからの一層の奮起を必要なものでもある。
 
 
誰か、私の説明する絵を描き上げてくれるような御仁はいないであろうか……!!?。
 
 
それはまさに、量子物理学の中の波動理論に沿って解き明かしているものであり、天使の歌声と言われているあの「音楽の倍音基音の秘密」が2重にも、3重にも重なって更なる大きなエネルギー形態を醸し出していることを描いているものであるが、悲しいかな、未だ、解明には至ってはいない、恥かしい限りである。恐らくは、私の頑是ない知などで解き放つのには無理があると言うことなのかも知れない。
 
 
それらの事象こそが、現代の量子力学理論であり、学者達の頭を悩ませているものなのである。

 彼等は頭で考えているので難しいのであり、「数」の流れに従えば暗黙のうちに解って来るものなのである。
                   
 (あなた方もご存知のように量子理論とは、別名、「波動物理学」のことである。)


 
更には、人類の未だ知らない自然の数計算手法、すなわち、「神算法」「禊ぎ算」の手法等は本来のあるべき真実、すなわち、現代人のまったく知らない自然の数が語る「本来の真実内容」と言うものを明らかにしている世界で唯一のものでもある。しかも、その計算手法は「あの世」と「この世」を厳しく繋いでいる「正しい答え」の存在も、シッカリ教えてくれるものでもあり、更には、我々の心大きくを励まし勇気づけてくれるものでもある。
 また、それは、現代数学の不足部分を補い、円満なる「数世界の存在」、現代数学の裏に潜む「自然世界の数学」と言うものを明らかにして止まないものでもあり、これからの確かな未来を作り上げてくれるものでもあるのである。
 
 要するに、プラス(+)、とマイナス(-)とは、加算、減算を意味するものではなく、進行方向の違いを示す符号であり、自然世界の真実を明らかにしてくれるものなのである。要するに、プラス(+)とは右回りに回転して答えを求めるものであり、それがいわゆる、「この世」の我々が普段に行っている数学計算法なのである。
 また、マイナス(ー)とは左回りに回転して、答えを出す、それがすなわち、「あの世」の計算法の答えなのである。
 それはまた、「この世の計算法」と「あの世の計算法」を合わせて行う計算法こそが、本来のあるべき「自然の計算法」と言う正しい計算法であることをシッカリ証明しているものでもある。


 
もっと、ハッキリ言えば、現代数学には欠落した部分があり、それを教え、補ってくれるのが、この「神の数学」なのである。
 もっとハッキリ言えば、「現代数学」は「この世の数学」、すなわち「物質世界」の数学であり、自然界にはもう一つの「意識世界」の「数学」が対となって存在して、真実を囁いているるのであるが、それを我々はまったく知らず、夢にも思わないのである。


 
 これらにより、「神の数学」はプラス(+)とマイナス(ー)を繋いで常に円滑で正常な答えを出して、すべての自然を満喫させて止まないのである。
 それに対しては、「現代数学」は常に右回りの回転のみ、すなわち、「この世」だけを視野に入れている数学方式であり、「あの世」の数学体系などは知らん顔、そんなものは無いと否定するだけなのである。「神の数学」では、この相対的な計算法を称して、「神算法」と名付けており、その中の「禊ぎ算」こそが神道界の「禊ぎ」とか「禊ぎ払い」のいい加減さを暴き、あるべき真実と言うものをしっかりと示している本来の「自然数の語り」なのである。
 そのあたりの真実を、今回の「神の数学」令和編ではシッカリ語らせて貰うつもりであり、シカとその証明を行うつもりである。

 
 
おそらく、これが私の最後の締めくくりとなるものであり、誰も賛同し、検証する者がいなければ、すべてはお仕舞、ジ・エンドとなるものであろう。

 次に現れるのは、恐らく100年以上経った22世紀あたりであろう。まことに残念なことではあるが…!!!。
 
 ただ、言って置きたい、 残念なことに、私は、上記の「神の呪文」の理論上の秘密は解き放っことは出来たのであるが、音楽的な知識や描図的な才能はまったく無いので、それを完成させ証明することも、絵図で描き上げることも出来ず、甚だ歯がゆく、残念なことと感じている次第である。
 要するに、「カムナガラの道」はすべて倍音成分要素とその基音で何重にも重なって成り立って構成されているので、そこには「神のエネルギー」が数多充満して、素晴らしい力を発揮している「妙なる音階」、すなわち、「自然の波動旋律」そのままの世界と言うものが姿を現わしているのである。
 
 それ故に、昔から人々を感動感泣させて止まないものなのである。あなた方も出来るならば、少々、「カムナガラの道」を覗いて見るがいい、すべてはその基音の整数倍の形から成り立って、何重にも重なり合いながら大きな謎を秘めて鎮座していることが十分にお判りになるはずである。
 試みに、それを立体図化することにより、更なる倍音群が密かに現れて、二重、三重に重なり共鳴しながら何事かを囁きを始めるのである。それは0や9を含みながらサークル的な力を発散させているもので、あの磁力の渦や、地球のを取り巻く磁力構成とまったく同じ構成を持って、作用をしているものかも知れないのである。
 また、この音の秘密を明らかにすることにより、ひょっとするとあなたは地球の磁場構成の秘密も解明できるかもしれない……!!??。 まさに、そこにあるのは「知」の有無の問題では無く、直感と洞察力の問題と言うべきものである。 
 まさに、すべては、あるべくしてある本来の自然の象であり、すべてに共通した循環的な動きを持つものであることがことが、やがては判ることであろう。そう思うと、何となく、心は打たれて気が休まって来るのであるが…!!。 
 
 いや、そればかりか、驚くことに、この「カムナガラの道」は、今、話題になっている「セルフェジオ音律」により、全てが成り立っているものでもあり、それぞれがその要素を持ちながら、厳として、鎮座ましましているものであることに気がつき、あなたは驚嘆することになるはずである…!!!。
 要するに、
それらすべての基音となっていものが、あの、古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の歌」であり、その倍音形式で存在しているのが、この「カムナガラの道」の中に連なって存在している、あの奇しき「9ヶの数列」の姿そのものなのである……!!!!。
 
 これらを検証したいと思う気持ちがあるならば、誰でも「カムナガラの道」のすべての数列の中に「セルフェジオ音律」を見ることが出来るのであり、頑是ない子供でも見出すことが出来るのである。
 要するに、誰でも簡単に「セルフェジオ音律」の図を見出すとが出来、そのすべての不可思議な数の走りの様子を確かめることが出来ると言うことである。それはまことに簡単であり、誰にでも出来ることなのであるが、あなた方には、その手順が判らないだけなのである…!!?。
 その手順さえ、解れば、小学生でも出来る簡単なものであり、楽しみながら後を追うことが出来ようと言うものである。
 
 要するに、、本来のあるべき「ひふみ天地の数歌」を正しい形で歌えば、それは天地に響き渡り、自然と同調共鳴しながら森羅万象を揺り動かすことになるのである。それがすなわち、「ひふみ天地の歌」は単なる「言葉」や「祈り」ではなく「歌」と呼ばれている一つの由縁なのである。
 それはすなわち、「祈り」とは心の声であり、「歌」とは声を震わせて自然と共鳴同調を奏するために行う、一つの体による天地のメロデー音律の発現なのである。要するに、それが宇宙との共鳴音を呼び込むために発する驚くべき基音の秘められた姿と言うものなのである。
 
 しかし、あなた方はそんなバカなことはあるはずが無い、と即座にのたまい、完全に否定して、ただただ無視を決め込むだけであろう。
 事実、古代の人々は、「音」を利用して巨石を空中浮揚させ、自由自在に動かしていたのである。その証拠に、それを伝える神話や伝承は今でも世界各地に数多存在していることを知って欲しい。そこには何かあるのであるが、現代西洋知などでは到底、解明することなどは出来ないのである。

 要するに、現代西洋知の知では、いくら頑張って考えても、自然と調和し、共鳴をすることなどは一切出来るはずが無いと、頭から不可能を決め込んで満足しているもの、それが、今の我々の現在の知であり、途方に暮れている現代科学の現在の姿でもある。
 
 ただしである、一旦、古(
いにしえ)に戻って正しい「ひふみ天地の数歌」を唱えれば道は開かれるかも知れないのであるが、しかるに、今の「ひふみ天地の数歌」は大きな欠陥があるので、そのあたりを十分に正しく訂正して用いない限りは無理なことなのである。 それを指摘しているのが、あの双対の祝詞である「アイウエオ五十音図」であり、また、天明さんの「ひふみ神示」でもある。それを読めば判るであろうが、今の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」には欠点があり、「神の息」と合わせることが出来ないのである。甚だ、残念なことではあるが…!!??。
 
 そこには『「ヒフミ祝詞」する時は神の息に合わせて宣れよ』とあり、『「ヒフミ」唱えると岩戸が明くぞ』、とあり、「
ひみつの仕組とは一二三の仕組ざぞ、早う一二三唱へて呉れよ、一二三唱へると岩戸あくぞ。」とある。要するに、祝詞「ヒフミ…」の仕組みには大きな秘密が隠されているのであり、それを解き放てば、岩戸は自然に開き放たれると言っているのである。
 また、そこには「レ」であるぞ、「ヶ」であるぞ、「ホ」であるぞ、と、ハッキリ指摘しているはずであろうが…!!。 → (「レ」は0、「ヶ」は9、「ホ」は本当に、)であり、それは、すなわち、0=9となることは真実であることを我々に教えている言葉である。

 また、その謎を解き放つためには、どうしても「アイウエオ50音図」の子音の並び方をシッカリ知る必要があり、学ぶ必要があるのである。しかるに、それは甚だ簡単なことではあるが、今まで誰も試みようとはし無かったものでもある。それが、今まで「アイウエオ50音図」が人々の信頼を失って来た原因であり、今や、関心を持つ者は余りいないと言う有様である。まことに残念なことではあるが…!!。

 出来れば、これからでもいい、祝詞「ヒフミ天地の数歌」と「アイウエオ五十音図」の二つの持つ深い関係性を調べて、そこにある「大いなる神の秘密」を見い出して貰いたい。数を特化すれば、あなたにも簡単に出来るはずである。関心があるならば、是非、教えて進ぜようではないか…。
 それがすなわち、、本来の「ひふみ天地の数歌」「アイウエオ50音図」は「隠」と「陽」と言う相関関係にある
「双対の祝詞」であり、極めて重要な相関関係を持っているものであることの一つの証明ともなるものなのである。
 
 それ故に、「ひふみ天地の数歌」を完全に解き放つためには「アイウエオ50音図」の持つ言語の秘密コ―ドを見極めて、それを用いない限りどうしても無理と言うものなのである。
 
 それは、基本的には大変簡単なものであり、誰でも、「アイウエオ50音図」から見出せるものなのである。 しかし、誰もそんなことは考えようとはしないのであり、本来なら、しっかりと心に置くべきものでありながら、誰にも忘れ去られてしまっているものなのである。まことに残念で、いたわしい限りであるが…!!!!。

  そのことを「ひふみ神示」の天明さんも強く言っているはずであるが…!!!。

 「それがすなわち、五十九柱と申してあるが、その中の九柱はかくれた柱ぢゃ。 ヤイユイヨワイウエオ ぞ、123456789ぞ。  この九柱はぞ。心得なされよ。現われの五十柱のかげのかくれた九柱、心して大切申せよ」と……。

 改めて言いたい、「カムナガラの道」における「声の秘密」とは誰も知らないものであり、現代科学でもその扉を開けることが叶わないものである。
 そこにある倍音効果の存在、それがどれだけ素晴らしい自然の音律を奏で、天地を震わせ、共鳴させるのかは誰も知ないのである。
 ひよっとすると音楽を学んでいる方々は「倍音効果」の秘密を知っているかも知れないのであり、その「音の秘密」を、今でも懸命に追っかけているかも知れないのである。
 
 例えばである、夏の盛りの蝉の鳴き声を思い出して欲しい、蝉は小さな弁で体をこすって小さな小さな音を出し、更にはその小さな音をお腹の中の空洞で共鳴させることによって大音響(エネルギーの波)を発生させ、それを更には大気を震わせる(共鳴振動させる)ことにより、究極の大音響を作り上げ、山全体を一入(
ひとしお)にぎやかに震わせているのである、たった小さな一匹で大自然の主である山を騒がしてやまないことは、あなたも十分にご存知であろし、体験も出来ることなのである。
 それは、今の人間の科学では到底理解不可能な自然の仕組みであり、自然の大いなるエネルギーの発露と言うべきものなのである。
 そのあたりを調べ尽くせば、人類は更に大きな、大きな、エネルギ―の源泉を得ることになるはずなのであるが、恐らくは現代科学理論に従っている限り、無理であり、とうてい、不可能な夢なのである…!!!。
 
 また、何回も述べているが、合唱(コ-ラス)の際には本来、聞こえるはずのない素晴らしい高音が「天から降ってくるように」聞こえることがあるが、これもまた倍音の効果である。それは西洋では「天使の歌声」と呼ばれている有名な存在であり、別名「神の歌声」とも言われているものである。

 また、ひょっとして、ひょっとすると、あのエジプトのピラミットの大きな石が呪文によって浮き上がり、自在に空を飛んで所定の位置に定着したと言われている話しも、本当かも知れない。そう考えると、山の上にある、あのインカ帝国の大きな、大きな石の塀や、隙間の無い見事な巨石積みも、そのようなテレポーテイションの力を用いていたのかもしれない。そのような不思議な話しも現実には密かに語られているのである。
 
 現実を見てみるがいい、それが、ペルー・インカ帝国の遺跡である、オリャンタイタンボの「六枚の屏風(びょうぶ)岩」がある、そこには一枚平均 高さ4メートル・幅2.5メートルの岩が横一列に並べられている。一枚あたりの重さは50トンから80トンと言われるものである。この屏風岩が建てられているのは、高さ150メートルほどの丘の上であるが、その岩を切り出したと思われる場所は、この丘の下を流れる川の向こう岸の山の中、それも高さ330メートルの地点なのである。その重い岩を下の川まで運び、更には、そこから再び、高いところまで、人力で運ぶ、そんなことは完全に不可能なことである。 例え、一枚でも現実には不可能なことであるが、それが現実には六枚も見事に運ばれて、屏風のように立っているのである。


 また、有名なペルーの遺跡である「マチュピチュ」を考えて見るがよい、あのょうな大きな石を高い山の斜面上まで運ぶことは、とても人間力では考えられないのであり、現実的には不可能なことである。恐らく、現代の重機を使っても無理であろう。要するに、何か、超自然的な力の存在があったと考えるのが自然であり、無理の無いことなのである。


 そう言えば、現在、日本の一部の科学者が音響により物体を浮揚させ、移動もさせているようである。
 まあ、勝手な推量であるが、これらの大きな石組の形とその重量を見れば、音による物体浮揚もさもありなんとも思えるのであるが……!!!。 
 
 是非、これらの事実をあなた方の手で調べてもらいたい。そうすることにより、なた方は古神道の「偉大なる秘密」と古代にあった「日本の大叡智」の存在と言うものが次第々にリンクして明らかになり、その一切を知ることになるかも知れないのである。また、それを知ることにより、更なる感無量の心地に引きずり込まれ、陶酔感と共に 古い魂の垢(あか)、すなわち、今までの常識と言うものを綺麗に洗い流すことにもなるはずである。  
          
 更には、特別な「数の秘術」、すなわち、「神の法陣」の仕組みを用いて調べると、こ「カムナガラの道」の図は何と、意識世界を語り上げている「ミロク(弥勒)の図」、すなわち、来るべき「意識世界」の大いなる姿を密かに垣間見せてくれるものでもある。その特別な数の秘術こそは、何と、あの「神の数学」にある「神の法陣」そのものであり、循環態の存在を説いて止まない畢竟の仕組みなのである。 その大いなる姿を前にする度に、私は何時も、ただただ、涙が溢れ、一切の雑念と言うものは泡沫のごとく、消え去ってしまうことになるのである。 
 
 これらは、別に難しいものではなく、一旦、解き方を学べば、小学の高学年か、中学生でもすらすらと解けるものである。
 ただし、あなた方、曇った常識を持っている方々には、解くことは叶わないであろうし、考えて見ることも無いであろう。。


 
例えば、上記の表題の中の一つでも完全な形で会得(マスター)することが出来れば、あなたは次々とこれらのものを制覇して、万丈の気を吐くことになるのは間違いの無いことであり、場合にょっては、世界にその名を轟かすことが出来ることにもなるはずである。
 なぜならば、1 を知った方々は、次々と新たな事実を知り、最後にはすべて、すなわち、10を知ることにもなり、すべては完成に向かうことになるからである。
 
 また、この「神の数学」の出現により、行き場を失った「現代数学」は方向を転換することになり、それと共に現代知の組み直しが始まり、すべては新たな知の下に大展開が始まるはずである…!!!。


 しかし、悲しいかな、現代西洋数学に魂を抜かれているあなた方には、一向に通じず、本気にしょうともしない。

 
 今までは古神道などとは古臭い
、誰がそんなものを信じるか、と馬鹿にされていたものであるが、それはとんでもない認識不足と言うものである。
 現に、ニュ-ヨ-ク工科大学で教鞭をとっていた馬野周二氏(工学博士)は常々次のように言っておられたのである。
 
 「最も古くて最も新しいものが古神道である、その上、古神道は決して神がかりではない、それどころか、逆に神が懸からないものである。何故ならば、その本性は「自然の叡智」の集大成そのものであるからである。それは何よりも哲理学であり、天文学、及び、自然理学でもあるからである。また、それは近代物理学さえも遥かに凌駕し、更に、遥かその先を行っているものである。
 それにしても、古代日本人の思想は不思議である、何故、彼等は、3千年前にあのような物理的世界観観を、整然とした幾何学的な構図(カムナガラの道)の中に収めることが出来たのか…??、その上、どうして、そこから千古比類の無い、人倫と自然哲学と言うものを引き出すことが出来たのか…
!!?、と自問自答を繰り返していたのである。 … 「人類文明の秘宝」…馬野周二著より

 

遠い昔から、日本人が守り続けて来た神道とは一体何であろうか?。神道が判らなければ、日本が判らぬと言われるほど、日本人の心の奥底に根を下ろして来た非常に重要な文化的な現象として忘れてはならないのであるが、大多数の日本人は西洋の学に心酔する余り、すっかり、忘れ果てているのである。しかし、私の目から見れば、神道は今でもなお、数多の謎、不可思議な哲学性を数多秘めている不可思議なものなのである。 
                        ……
「日本文明の真価」 ……清水けいはちろう(名誉教授、理学博士)著より



 これらはまさに、至言であり、血の叫びである。しかし、誰も答えることが出来なかった難問中の難問、それが日本の神道なのである。 私は、その真実を明らかにするために出来るだけ、現代物理の理論を用いながら説明しているのであるが、神道には物理理論が通用するはずが無いと逆に否定されるだけであり、大変.、難渋している最中である。如何にせん、一般の神道家達は物理学を毛嫌いし、物理学者達は神道家達を相手にすることを嫌っているのである。要するに、真っ向から相手にしてもお互いに議論は空を切るだけであり、まったく噛み合わないのである。何とか、ならないものであろうか…!!??
 なんせ、生来の口下手の上、老人ボケが重なって、思うように説明が出来ず、現在、苦労の真っ最中なのである。 さてさて、この苦労は何時になったら解消するのであろうか…!!??。それとも、あの世まで引きずって行くことになるのであろうか…!!??。

 
ハッキリ言おう、それらの真実やその元になるすべての証拠が、すべてこの古神道の「カムナガラの道」の中に厳として存在しているのである。 馬野氏は、これらのすべての証拠は「フトマニ」の中にあると言っているが、何を隠そう、馬野氏の言っていた「フトマニ」とは、あの失なわれた古神道の神髄である「カムナガラの道」そのものであり、その別名なのである。この際である、もっとハッキリ言って置こう。
 この「フトマニ」、すなわち、「カムナガラの道」は、またの名は富士神界系では「九の花咲くや姫」と呼ばれ、また、白山神界系では「九九理姫」と呼ばれている大変尊いものなのである。
 何故ならば、「カムナガラの道」の中では、縦、横、斜めのすべてにわたって縦横無尽に「九の花」が咲き乱れ、「九の花」の百花繚乱状態となって咲き誇り、何事かを物語っているからである。何と、「カムナガラの道」の図全体が、すべて「九の数」で埋めつくされ、何事かを懸命に我々に告げようとしているのである。

 ただ、その事実をあなた方は知らないだけであり、教えられていないだけなのである。要するに、「九の花咲くや姫」とはその言葉通り、「コノハナ サクヤ ヒメ」であり、「九の花」が満杯の状態で咲き乱れていることを示しているものであり、また、「九九理姫」とは、その名の通り、九九算そのものを指している言葉である。 それらすべては、「カムナガラの道」の別名なのであり、何事かをあなた方に囁こうとしているもののであるが、あなた方は一向に耳を貸そうとはしないのである。

 しかし、これらの不思議な光景を目にすれば、、誰しも、呆気にとられるだけであり、ただ、ただ、心に刻み込まれ、信じざるを得ないのである。
 
 とにかく、すべては、このようにしっかりと繋がりながら、日本の国を懸命に護ろうと頑張っていることを知ってもらいたい。
 
 いくら、「神」等はあるものか、と「神」の所在そのものを拒んでいる者でも、この「九の花」の咲き乱れる光景を目にすれば、たちまち意気消沈し、余りの不可思議さに気が削がれることであろう、それは、まさに「神の秘儀」の威光であり、「神の御業」の威力なのである。今の私でもそれはまったく同じであり、まったく頭が上がらず、ただ、ただ、平伏あるのみの状態にあるだけである。
 
 まさに、それが、すなわち、「カムナガラの道」の不思議極まりない本性なのであり、どう考えても、人間の業の及ぶ所ではないものである。
 しかして、難しいものかと思えば、さにあらず、小、中学生でも簡単に理解が出来るものでもあり、計算も十分に出来るのである。
 それは、決して現代の人間知などでは再現することなどは不可能であり、まさに、「神」の仕業そのもので、思わず涙がこぼれ落ちるばかりのものである。 果たして、その「神意」が意味するものは一体何であろうか…!!??。
 
 また、今まで、不明とされていた「九九算」の名は、この「九の花」の咲き乱れる光景からもたらされたものであり、何処に出しても恥ずかしくない、まさに大いなる由緒のある素晴らしい命名なのである。残念ながら、今では、この「九の花」の咲き乱れる光景や、その経緯(いきさつ)などは誰も知る者はいないのであり、想像すらも出来ないものなのである…!!!。
 
 恐らくは、それを擁した土地の有力者達がその由来を知り、めいめい思い、思いに勝手に意味を思い名前を付けて、敬い、育(はぐく)んで来たのであろう。それが、「九の花咲くや姫」であり、「九九理姫」、「天照大神」などの地方に残る「神」の由来と言うものであろう。
 また、信じられないであろうが、あなた方の神棚に祀っている「天照大神(アマテラス大ミカミ)」の本体は、今では、単なる名前の書き札のみの白紙同様なものではあるが、本来はこの「カムナガラの道」の数が恭しく祀られていたのである。それが本来のあるべき姿であり、その尊い名前の本体と言うものなのである。しかし、今では、誰もそんなことは知らず、白紙のお札を拝んで、満足しきっているのである。 何と、何と言うことか…!!!。
 
 要するに、「九の花咲くや姫(コノハナサクヤヒメ)」、「九九理姫(ククリヒメ)」、そして「天照大神(アマテラスオオミカミ)」はまったく同一の神の名であり、しかも、ヒメと言う言葉から「女の神様」と言われていることも、これまた頷けることでもある。
 
 ちなみに私の命名した名前は古くは「宇宙次元原理表」であったが、現在では「ひふみ九九算表」、または古代にあっては「カムナガラの道」と命名されていた恐るべき「古代の超叡智」の集大成と言うものであり、「宇宙自然の大律」や「自然の理律」を納めたものである。また、それは、この世には二つとは無い素晴らしい天啓のものであり、「神意」が一杯詰まっているものである。 しかし、現在、それを解き放つことが出来る者は誰もいない。
 ただし、宇宙人の数学である
「システム オブ ナインズ」の手法を知って、用いている方々は別である。彼等はやすやすと解き放つことが出来、更には、その奥に潜む「次元の原理」さえも知り、自然物理の坂を駆け上がっているのである。
  また、この
「カムナガラの道」の内容は、残念ながら、今では失われてしまい、その名前だけが残っていると、辞書の中には記されている。

 
一つ、手元の辞書で「カムナガラの道」を調べてもらいたい。そこには次のようにあるはずである。

 「神代から伝わっている神慮(かみのみこころ)のままで人為(人の手)を加えてはいない日本固有の道である」、と…!!

 要するに、「カムナガラの道」とは、何十憶年、何百億年をかけて、自然が独自に創り上げた道」、すなわち、天地の律則」と言うものであり、それによって天地の万物はあまねく存在が可能になり、永遠を謳歌しているものである。
 しかも、一切、人の手や、人間の考えは入ってはいない純然たる「自然の道(摂理、法則)」の表であり、その内容を明らかにしている「数が語る自然則の解明書」とも言うべきものなのである。

 
 何と、そのようなものがかっての古代日本には存在していたのであり、そのすべてを語っているものなのである…!!!。
 しかも、それは日本にだけ残されている尊い古代からの伝承体、すなわち、「カムナガラの道」と言う尊いものであり、世界の何処にもその類は無く、日本にだけ存在している由々しいものであると辞書にはハッキリと記されているのである。
 何と、これは古史古伝の言っている「The Sacred Old Holy Science of Ancient Japan] そのものであり、世界にはまったく類の無い尊い古代の叡智の集大成の図なのである。しかし、今の日本人はそれを誰も知らず、ただただ、西洋の片ちんばの知を追いかけて、それに満足しているだけである。何と哀れなことであろうか、……!!!。

 また、古神道などは古臭いもの、いかがわしいものとなじる大変進歩的?な御仁もいるであろう、その方々のために、敢えて言いたい、そこにはとんでもない「宇宙の大叡智」が数多控えて、我々を手招きしているのであるが、誰も近寄ろうとはしない、ただただ、怪しいものを見る目つきで遠巻きに見つめているだけであることを是非、知ってもらいたい、そのことだけはシッカリ言って置きたい。すべては未踏のものであり、誰も知らないものなのである。
 それが「次元の秘密」、「神の法陣」、「大宇宙の形」、「宇宙のエネルギ-構造」、「輪廻転生の理」、「宇宙人の数理」、「すべてのものの本質は0である」、「未来のミロクの世界の真実」等であり、あるいは、「人類の未だ知らない数学計算手法」や、「ひふみ天地の歌」こそが宇宙自然天地を共鳴鳴動させる大いなる神の呪文である等であり、はたまた、「神の法陣」の手法を用いることにより、来るべき「ミロクの世」が開かれると言う大変な事実等であり、それらが綺麗に「神の数学」手法により簡単に解き明かすことが出来るのである。まさに、不思議、不思議の連続であり、興味深々の奇怪な物語である。 しかし、誰も信じようともせず、興味を持とうともしない。恐らくは、余りにも己の持っている知とは断絶が深いので,近寄り難かったのであろう。  しかし、何時かは知らなければならないものなのであり、手に納めなければならないものなのである。 今の今まで、これらの真実が誰も知られることなしに、この「カムナガラの道」の中に密かに、かつ深く納まり、長い間人に知られることもなく眠り続けていたのである。恐らくは、何時の日か、日本民族の誰かが解き明かしてくれる時を首を長くして待ち続けていたのであろう。何と言う、律義者であろうか、ただ、ただ、涙がこぼれるだけである。
 しかも、それは何千年と言う長い間である。その健気さにはただただ、有難さを覚え、深く頭を下げるだけである…!!!!。
 
 それこそ、今まで、ただただ、密かに眠り続けているだけで、誰も起こす者がいなかったので、一切、目を覚ますことも無かったのである。 ところが、私が気がついて、ちょっと揺り動かしただけで、完全に目を覚まし、永遠なる自然の歌、すなわち、「カムナガラの道」を謳い始めたのである。
 それは完全なる宇宙のリズムを持っている「永遠の数歌」であり、天地万象の響きを持っている稀代の「神の心」の息吹であり、天与のものと言ってもいいものなのである。
 その名が、すなわち、は古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、その本体となる「カムナガラの道」と呼ばれているものである。
 それは、今まで、噂ばかりで誰も見たことが無かったものである。それが、この世界中の人心が乱れに乱れ、今にも世界大乱が生じようとしている現代の世の中に突然、「救世主」のように出現し、我々日本民族の行く道を照らし始めようとしているのである。
 それはまるで、日本民族よ、立ち上がって、「未来の叡智」を手にして「世界の秩序」を守れとでも言うように…!!!。

 さあ、あなた方は呆れ果てて、カラ、カラ、カラと大笑するであろう、でも、これらは知りたい人だけが知ればいいのであり、信じる者だけが扉を開けばいいのである。とにかく、懸命になって学んで本当の真実を知る、それが本来の人間の性(さが)であり、未来へ渡るための第一歩となるものである。
 これらが、嘘か、本当かはあなたの持つ魂が教えてくれるはずであり、、直感として心に響いて来て、魂が打ち震えて止まらないはずである…!!。
 それが本来の日本民族のDNAを受け継いでいる者の大いなる御印であり、来るべき未来世界を作り上げる先駆者となるべき者達であることを示しているものである。とにかく素直になって心を開くことが大切であり、心のままに歩みを進めることが肝心なことである。
 それを、是非、期待しよう。そのためにも頑張って捜索、検証し、大いなる未来を垣間見てもらいたい。すべてはまたとない真実なのである。

 また、信じたいが、何となく、胡散臭いと思われる方は、少しずつ、この「神の数学」に記載してある「数の学」を検証し、真実を学んで見ることである。それにより、あなた方にもだんだん心が解けて、本当の真実が見えて来ることになるはずである。

 考えて見れば、私も85歳となり、「あの世」へ行く準備も始めなければならない年頃である。でも、今の所はお迎えが来たならば、やることを終えるまでしばらく待ってくれと言おう。 そのような訳で、これら上記の残された命題をこれから来年にかけてあなた方に伝え、、最後の務めを果たすつもりでいる。
 これらは、すべては予定されていた神宜であり、神託なのである。しかし、果たして、あなた方がこれらを完全に理解することが出来るのであろうか…!? 私は大いに訝(いぶか)しみ、怪しむだけである。何故ならば、あなた方の99%は西洋科学に夢中で、古神道を顧みるようとはしないからである。
 せめて、古神道の学者あたりが、気がついて学ぶ気配があればいいのであるが、彼等は西洋科学などは完全に無視するばかりか、相変わらず、古くからの伝承神道を学ぶだけであり、新しい風を日本神道に吹き込むことさえも考えようとはしない。ただし、これからの「神の数学」は、私の気が向き次第、お天気次第、風の方向次第なので、予定は未定となる公算は甚だ多いであろうとだけは言って置きたい。しかし、私の知っている限りの「神の数学」の内容を、ここにとどめて置くことは約束しょう、なぜならば、これは私の残されている唯一の使命であり、生きがいでもあるからである…!!!。

 さあ、後は頑張って与えられた仕事をまっとうする、それが85歳のおいぼれの残された最後の務めであり、与えられた仕事でもあるのである。 

  今年もなにとぞ、宜しく…!!!!。

 さて、さて、あなた方の心のご準備は宜しいかな……!!??。これからは生半可なことでは務まらないと思ってもらいたい。
 すべては、神託であり、日本民族の務めとしてまっとうしなければならないものである。 


『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その1」

         令和2年1月上載

 

 さてさて、今年も世界の情勢は混沌として、あやめもつかない状態であるが、それは人間社会の更なる進歩発展には必要なものと達観し、私はただただ、自分の道を進むことにしたい。これからは、ますます世相は混乱し、有象無象が入り乱れて、混乱の極みに達するのは間違いの無いことである。

 なんせ、今や、地球の人口が増えすぎ、水や食料の不足は目に見えているからである。これからはその略奪戦が始まるのであり、飢えと水不足が人々を苦しめて止まない時期に入って来るのである。恐らくは、水の豊富な国には、いろいろな手を使って、人々は争って入って来て先住人との間でもめ事が起こって来ることになるのは間違いの無いことであろう。今でも、日本は狙われて最良のタ-ゲットと目されている国であり、人知れず、外国の手先に有名水源地は買い占められているのが現状であり、知らないのがは日本人だけなのである。なるべく早い時点で対策を立て無ければ、後で泣き面をかくだけであろう。これからの政治家は私利私欲にうつつを抜かしてはならない、外国の甘い言葉に騙されるような者は要らない、50手、100手の先を読むことが出来ないものは政治家たる資格は無いのであり、民衆を安全にリ-ドして、未来に向かうことなどは出来ないのである。
 これからは頭脳戦が始まるのであり、各国とも生き抜くためには他国を押しのけても自国を守らなければならないのである。まさに非情とも言える強靭な意志と頭脳こそが必要とされる世の中になって行くことは疑いのないことである。政治家には甘いマスクとか、2世、3世などの誉などは役に立たず、ましてうや、国民の先頭に立って国を守ることなどは到底、無理なことなのである。 我々も出来るだけ厳しい目をもって先に立つ者を選別する、それが日本の国を安全にj未来に運ぶための唯一の道であり、同時に、それは我々の義務なのである。
 
 どんなに希望的観測しても、あと、10年か20年が文明の限界であり、その後は各国が争って生き抜くための準備に入ることには間違いはないであろう。
 なにしろ、紀元1900年、今から100年前の世界の人口は、およそ16億人だったが、この100年の間には70億人を軽く越し、2020年の現在では、恐らく、80億人と言う膨大な人口に膨れ上がっているのである。そのあたりは、インターネットで調べれば誰にでも判ることであろう。
 そのあたりの差し迫っている事態には誰も口を出さず、ただ、あっけらかんと毎日を送っているのが我々日本国民なのであり、極楽トンボと言われている何処にもいない、お人良しの民族なのである。
 このままで、誰かが警鐘を鳴らさない限り、日本民族は、ただただ、天下泰平とばかり安眠を貪り、危機感には程遠い毎日を送って泰然としているだけであろう。 恐らく、これからは、水や食料不足により、民族間の争いが多発すると思われる、その際は、安穏として、人のいい民族は真っ先に滅ぼされ、歴史から抹殺されてしまうのである。その正念場と言う時がこれから始まろうとしているのである…。。。  ご用心、ご用心……!!!!。
 
 1992年ブラジル地球環境サミットで採択されたのがアジェンダ21と言う「人口削減計画」であり、国連の決議では「人口を85%削減」することが記載されている恐ろしい決議書である。 要するに、今の人口の15%あたりが、許容限度と見ているのであり、残りの85%は消し去ってしまおうとの計画なのである。しかも、来るべき2030年あたりまでには終わらせなければならないと言うのである。残すところは、あと10年である。
 恐らくは、大多数の日本の皆さんはご存知ないことであろうが、現在、その計画が密かに進行中なのである。残念ながら…!!!。
 それらが、現在、進行中の「アフリカの民族同士をお互いに戦わせて自滅させる」、「中東の国家主権を崩壊させて、難民を発生させ自滅に追い込む」ことであり、また、現在の、「中国のバンデミック的な奇病の流行」等もその一環とも思われるものである。それらは、これからますます増えるであろう「ますます奇妙なあり得ないこと」の前兆ではないのか。恐らくは、そのすざましい動きと思われるものは、これから年々増えていくことであろう。
 
 とにかく、これから起こることはすべて人口削減を主目的とするものあり、もはや、目先の様子には構ってなどはいられないように思われるものばかりであろう。なにしろ、大分前に学者達は現代人は2050年を超えることは出来ない、何故なら、2050年には人類の人口は100億人を突破し、食料や水の不足で自然自壊に至ることは必然だからであると予測していたからである。
 今になって考えて見れば、その人口削減の前兆は有ったのであるが、誰も気がつかなかったのである。それが数年前から始まった「鶏のエンフルエンザ」や、最近の「豚コレラ」等のエンフルエンザ系の病の蔓延であり、今まで無かったものである。しかも、それらは段階的に鳥→獣→人間と進んできているのである。何か変であり、人間的な細工の匂いがするのであるが…!!!。それとも、神様は動物たちだけでは片手落ちであるとして、人間にもその辛苦を与えようとしているのであろうか。
 これらのすべては空気感染によるものであり、何か、今回の奇病の前哨戦であったような気がするのであるが、単なる、思い過ごしか……!!??。

 それを予測し、回避するためには、いろいろな事態をあらかじめ予想し、巨大コンピユターに資料を入れて、結果を予測し、デ-タ化しておくことが必要なのでああり、欠くべからずなものなのである。そのための高価で素晴らしい性能を持っているはずなのであるが、それを使用することにより素晴らしい効果を納めたと言う話は何も聞こえては来ないのも、少々気にかかる。一体、真相はどうなっているのであろうか…!!??。世界中の巨大コンピユターがすべて音無しの構えなのも何となく気にかかる。何か、秘密の使命を遂行中なのであろうか…!!。一体それは……!!!。
 せっかく、日本は世界で一、二を争うような性能を持つ、ス-パ-/コンピユターを持っているのであるから人類的な危機には強いことは言うまでもなく、我々は多大なる期待を寄せているのであるが……!!!。それも単なる期待で終わってしまうのであろうか。それとも、大っぴらには出来ない任務を追行中なのであろうか…!!??。
 
 ただ、それを十分に使いこなせるか、どうかが、これからは問われることになるのであり、政治家が国家の浮沈の際に、それに沿った強いアクションを起こせるかどうかが問題になるってくるのである。、 要するに、今までのように、短時間で、円周率の何万桁まで抑えることが出来たと言うようなチヤラケタ話しや、コンピユタ-と将棋の旗手が勝敗を争って、負けたと言う二ユース等はもう沢山であり、シッカリ、真面目な運用に心がけてもらいたいものである。
 そのような話は最早通用しない時代であり、それこそ民族が生きるか、死ぬかの瀬戸際を決めるための必須の道具としての最高の位置に置くべきものである。要するに、、巨大コンピユタ-の使い方次第で国の将来が決まることは間違いの無いことである。しかるに、悲しいかな、現時点ではそれさえも疑わしく、ただ、持て余しているような状態であるようにも思えるのであるが…!!?。恐らくは、慰みの玩具として使われているだけと言ってもいいものかもしれない。 なぜならば、それに関する成果等は一向にニュ-スとして我々の耳には入っては来ないし、いくらパソコンを駆使して検索してもお目にかることも無いからである。何か釈然としないものが多くあって、納得ができないことが多すぎる。
 
 恐らくは、アメリカあたりでは、国家的な危機の際に対峙すべきいろいろな局面を想定し、その際の対処法をすべて、デ-タ化して保存してあるであろう、ただそれを表に出さないだけであり、知らん振りしているだけなのである。果たして、日本は…!???。
 恐らくは、10年以内に人類の生存を賭けた重要な「何事」かが起こるはずであり、それこそ「ひつき神示」が予言している悪の総大将は奥に隠れて居座るぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩するとみせかけて、世界のワヤにする仕組み、もう九分通り出来ているのぢゃ」そのものが現実に現れて来るのは間違いの無いことであろう。その時が目の前に迫っているのであるが、誰も気がつく者はいない。
 要するに、すべては、その奥に隠れている「悪の総大将」が自分の身を助け、存続するために」
仕組んでいるものであり、すべては仕組まれているものなのである.。哀れにも、我々はそれを知らないだけであり、知ろうともしないだけなのである。まさに現在、それらが現実的に始まろうとしているのであり、我々の知らない所で、牙をむきつつあることを知るべきである。世界をよく見るがいい、どこでも人々の阿鼻叫喚の声で一杯である、恐らくはノホホンとしているのは日本の国くらいではなかろうか…!!?。まあ、有難いと言えば、有難くて感謝すべきなのかも知れない。しかし、このままでは済まされないことは間違いの無いことである。何かことが起これば、我々は予想に沿った準備を行い、同時に、出来る限りの力で事に当たることがこれからは絶対的に必要なのである。
 これからは、生半可な行動や準備不足などは命取りになることを頭に叩き込んでおかなければならないのであり、人の噂や行動にすぐに左右されるなどの中途半端な認識などは動物にも劣ることを知らなければならないのである。


 要するに、これからはこれらの事実を踏まえながら日本丸の舵を取ることが重要な案件であり、決して、間違いは許されることはないのである。それが本来の成治家の仕事であり、宿命なのであるが、そんなこと政治家たちは誰も知らず、仲間同士の勢力争いに明け暮れているような毎日である。ああ…、嘆かわしい…!!!。  国会を見ていると、人種の異なる者同士が、相手を滅ぼさんとして口論に明け暮れているように感じるのであり、まさにそれは日本国内のアジェンダ21そのものの様相を呈しているように見えるのであるが…!!?。
 どう見ても、そのように見え、聞こえるのであるが、 それは私だけなのであろうか…!!??。 国民を前にしての仲間喧嘩はほどほどにしてもらいたいものであり,それだけのエネルギ-があるならば、もっと政治に力を注いでもらいたいものである。明日からの日本丸の運命はまさに綱渡りであり、「神」の加護なしでは決して、無事に、対岸に着くことが叶わないものである。その点だけは片時も忘れないでいてもらいたい。

 まあ、すべては年寄りの勘繰りであり、他愛の無い推測にすぎないものであって欲しいが、それは10年後には間違いなく判ることであろう。



 私は、今年で満85歳を迎え、身体ここに相極まった感があるので、改めて、私の頭の中に残されている人類の未だ誰も知らない「神の超智」のすべてを公開して、人生をまっとうすることにしたいと思う。  それが私の今生の与えられた宿命なのであろう。 果たして、間に合うのであろうか…!??。
 ア-ア- 何と最早、85歳となるのである。すると、恐らくは残されている時間は,2、3年か…???。身がしきしまるだけである。
 急がねばならぬ、安閑としていては間に合わない、しかし、そう腦は言っても体は少しも言うことを聞いてはくれない、嘆かわしいしだいである……!!。


 さて、さて、観念して本題に入ろう、私は命ぜられた私の持ち場を守ればいいのであり、余計なおせっかいは最早無用の身なのであるが、それでも日本の行方がいささか心配でもあるのである。 その民族に対する赤心だけは誰にも負けないつもりであり、少々、子孫のことが気がかりなだけなのである。

 

日本の古神道の真髄である、この「カムナガラの道」の存在こそが「神の存在」を明らかにすることが出来るものであり、それと同時に、我々はその神々の「超智」を戴(いただ)きながら世に処して行くことが可能になるものである。要するに、今までの過ちの多い「人間知」から、過ちの無い「神の叡智」にシフトして自然と共に永遠の回路を歩んで行くことが我々日本人に課せられた運命であり、定めでもあるのである。

それが我々に与えられた「本来の道」と言うべきものなのであり、歩むべきして歩まなければならない本来の我々日本民族のの歩むべき道なのである。

 私があなた方にこれから開示する「神の叡智」をあなた方の心が反発を感じて、受け取ることを拒否するならば、恐らく、次に現れて来るのは、恐らく、数百年後あたりになるであろう。それであるから、素直に受け取り、自らの手で検証を重ねて、学ぶことがことが、今、必要なのである。

 

これらすべては、甚だ易しいものでありながら、かつ非常に難しいものである。その上、古いものでありながら、きわめて新しいものでもある。これらの言葉は甚だ相矛盾しているように聞こえるであろうが、決して、そうではない、すべては相伴って醸成されている自然の知であり、決して矛盾しているものではない。その事実は検証に励んでいれば、自ら自然に解ってくるはずである。

要するに、確かに、これらは数千年前のきわめて古い時代のものではあるが、この「カムナガラの道」の中には現代知では解くことが叶わない「自然の超叡智」が無数に存在し、何時も訪れる人々を首を長くして待っているのである。

例えば、古神道の神髄である「カムナガラの道」の中には驚くほど数多の「3次元方陣(我々の世界)」が存在するのであるが、恐らく、あなた方、平面的な思考に捉われている御仁にはそれらを見い出すことは出来ないであろう。何と、この「カムナガラの道」の中には9×9ヶ、すなわち全部で81ヶの「3次の方陣」が鎮座して、我々に何事かを囁いているのである。私は敢えて言う、あなた方にはそれを見い出すことは決して出来ないと…!!!。

第一、常識的に考えても、全体的に見ても、横10×縦10のマス目(セル)は合計で100しかないのに3×3の3次方陣が81ヶもあると言うのは、余りにも法外なことであり、とても常識上では信じられないこと、あり得ないことなのである。それは私も同様に感じていると言いたい。
 何しろ、それは単純計算でも9×81ヶのセル、すなわち、全体では、
729ヶと言う膨大なのセルの存在が必要となるのであり、あり得ない話しなのである。これも一つの「神業」であり、我々の知の範囲を超えているものでありながら、大変、易しいものでもある。さあ、考えて戴こう。
 あなた方は間違いなく,、そんなバカなこととのたまい、信じようとはしないであろう。
 それもしかりであり、確かに、私もそのように思うのであると言えば、あなた方は怒り狂うであろう。 しかし、別に私はあなた方をかついで悦に入っているわけではなく、騙そうとしているわけでもない。 ただ、ありのままの真実をそのまま申し上げ、あなた方に伝えているだけなのである。
 ほんの、少々、見方を変えて、常識を一旦、頭から外して、もう一度考えればいいだけなのである
。その答えは目の前にあるのであるが、あなたは気がつかないだけなのであり、気が付こうともしないだけなのである。それがすなわち、「神業」であり、「神の仕組み業」と言う由縁なのである。

要するに、我々の単視眼的な思考ではここにある「3次元方陣」、すなわち、横3×縦3の方陣のすべてを見出して、数え上げることは決して出来ないのである。もっと大局的な目、すなわち、活眼的な思考を駆使して全体をまさぐれば、自(おの)ずからそこには横9×縦9、すなわち、81ヶの「3次元方陣」が見出すことになるはずである。しかしである、あなた方の99%の方々は、恐らく、8×8の方陣、すなわち、64ヶの「3次元方陣」は見出すだけで終わることになるだけであろう。要するに、あなた方の目では81ヶの「3次方陣」を、どうあっても見出すことは出来ない、不可能であると言っているのである。
 何故ならば、そこには新たな次元的な発想転換がどうしても必要であるからである。要するに、その次元的な転換と言うのが、あの「カミムスビ」と「タカミムスビ」と言う言葉であり、大変、創造的な言葉なのである。しかしながら、あなた方は単なる「神の名前」としか覚えてはいないのである。
 それがあなた方の思考の限界であり、リミットなのである。まずはそれら81ヶの「3次元方陣」は別にして、取りあえず8×8=64ヶの「3次元方陣」を探し出すことから始めてもらいたい。それもある程度、難しいものであり、「神」のご加護なしでは無理かもしれない。 また、もっと、もっと刹那的な超単視眼的なな目の持ち主はこの「カムナガラの道」の中に3×3ヶ、すなわち9ヶの「3次元方陣」を見い出すだけにとどまることであろう。それは、要するに幼稚園的な知のレベルと言うものである。

そして、これによりあなた方は己の思考の程度、己の思考の限界と言うものを悟ることが出来るのであり、己の知の未熟さを嘆くことになるのである。

 

さて、次にはその探し出した「3次元方陣」を見て貰いたい、そこには9ヶのマス(空間)があり、数字(エネルギ-)が入って、それぞれの均衡を保ちながら、整然とマス(セル)の中に納まっている状態を示しているものである。そこで、それらの9ヶの数をすべて加算して見てもらいたい、すると、あら、不思議、これら「3次元方陣」の中の合計数(Σ)は必ずになる と言う目を剥くような信じられない出来事がそこには起こっているのである。
 そのことは自分の目でシッカリ確かめ、その驚くばかりの「数の妙技」、「自然の驚異」に感嘆の声を上げてもらいたい。それは夢ではなく、現実である。
 それは、まさに、現代の我々には思いもよらないことであり、まさに「数」の語る大いなる奇跡と言うものである。

そこにある9とは、(出来上がったもの、最終変化の姿)と言う意味であり、この世にあるすべてのものは因と縁によってもたらされた結果の姿であり、物質的な存在のように見えるが、その本質を尋ねれば、すべては空であり、0(無)であると語っているのである。 要するに、「因」が0であり、「縁」が9であると言っているのである。また、それは仏教の根本教理である「色即是空」「空即是色」とまったく同じことを意味しているものでもあり、すべてのものの本質は「空」、「無」であることを「数」で語り、「数」で諭しているものである。 これがすなわち、「数」が口をきく、「数」が教えてくれると言うことである。もっとも、博学多才のあなた方達、己の知に自信満々なあなた方には、とても信じられないことであろうが…!!??。

 改めて言う、0と9は現われ方が違うだけであり、まつたく、同一のものなのである。要するに、それは前から見るか、後ろから見るかによってまったく異なるものである。例えて見れば、人の頭のようなものであり、正面から見ると、色々なものが沢山備わっている完成された顔であり、後ろから見ると、何も無い、すなわち、空っぽなものに見える、それとまったく同じことなのである。
 
 簡単に言えば、この「カムナガラの道」の中には、全部で、9×9=81「3次元方陣」が声を揃えて「すべての本質は0である」と大声で語り、そのシュプレヒコ-ルを繰り返しているのである。それは、まさに、驚くべき「数秘」の極みと言うものであり、我々の知にとっては、まったくの想定外のものなのである。 一つ、言って置きたい、この事実を知ることにより、あなただたの意識は一段上の知の次元に到達することになると言うことを…!!。

要するに、今まではただ言葉により言い伝えられていた「色即是空」、「空即是色」の言葉であったのであるが、ここに来て初めて「数」により、その真実が明らかにされ、まことの真実の存在と言うものが、もたらされようとしているのである。それが現在の日本に実際に起こっているのである。
 これらは御覧のようにすべては現実に検証可能なものであるが、あなた方には、とても、とても、信じられないものなのであろう。

また、それと同時に「神の存在」も明らかになったと言ってもいいであろう。それはすなわち、「神」の言葉である「数」により「神の存在」と「神の心」が明らかにされたと言う事実が確定したことになるからである。 と同時に、この古神道の真髄である「カムナガラの道」は「神の心」、すなわち、自然の業のすべてが「数」により示されている、かけがいのない「神のノ-トブック」であることが解って来るのである。それは他の国には無くて我が国、日本だけある大変貴重なものであると、辞書には書かれているではないか…!!!。また、その内容は私が解説しなければ判らないであろうし、あなた方の手には負えないものである。何故ならば、それは現代知とは共通点は無く、、相通じる内容と言うものはまったく無いからである。

また、そこには同様に「神の心」が「数」により次々と語られていて、誰も知らない「自然の叡智」と言うものが我々にもたらせられ始められたことをあなた方は知ることになるはずである。そう、「神」の言葉とは「数字」で語られ、数字を用いて教えていると言う事実がハッキリと判ってきたのである。
 それを教えているのが、古神道の神髄である「カムナガラの道」なのである。それは、まさにそこには驚くべき「数の理」が数多渦巻きながら我々に「お出で、お出で」と声をかけているのであり、あなた方の知は「本来のあるべき知」ではないことをハッキリした形で教えてくれようとしているのである。

また、驚くことに、この「カムナガラの道」全体がその「神の心」で満ち溢れ、数多の「自然の叡智」と言うものを持っている事実が、ここで初めて明らかにされたのであり、「数」こそが自然の秘密を語っている「神の言葉」であることが証明されたことになるのである。
 
 要するに、これは古代文献の「カミフミのコトトギ」に記されている内容そのものなのであり、一句一字とも間違いの無いものなのである。
 それはすなわち、、すべての「数の理」は秩序と調和に満ちて我々の心をうっとりさせて止まないものであることが判明したと言うことであり、しかも、それは自然と調和しながら我々の心に訴えてやまないものなのである。それはすなわち、「数」には心があったと言うことなのである。

 今の私でもこの、「カムナガラの道」に会うたびに、、それは色々と表情を変え、新しい側面を見せながら「秘儀」の数々を授けてくれるのである。
 果たして、全体ではどれだけの「神の叡智」がその中に身を潜めているのであろうか…!!!。私はそれを開くたびに大きショックを感じるのである。

 

また、もう一つ驚くべきことがある、この「カムナガラの道」の表を見ると、その最外側には0の群れが存在し、全体を取り囲んでいるのがお判りであろう。また、それ以外には、内部にあるのは4ヶの0があるのみである。たった、それだけの0(神々)で 9×9、すなわち、81ヶの「3次元世界」のすべてを見守っているのと言うのである。 まさに、驚き、桃ノ木である。
 その証拠に、これら81ヶの「3次元世界」のすべては0(神)を内蔵している事実が間違いなくあり、それは誰でも検証すれば直ぐにでも判ることである。
  何と、我々は常に神々と一緒にいるのであり、何時も向き合いながら共に生活しているのである…!!!。

次に、この「カムナガラの道」の中にある9×9ヶの方陣、すなわち、81ヶの「3次元方陣」、すなわち、我々の世界(3次元世界)をジックリと見て貰いたい。それらはあなた方のように平面的な考えしか持たないような方々には決して見つけることは出来ないものである。
 もっと卓越した知をもって本来の次の次元、すなわち、「4次元世界(立体世界)」と言うものを知らない限り、どうあがいても無理な話であり、不可能なことであることを知って欲しい。
 そのあたりのことには太古の人々はどうも知ってたようである、その証拠となるものが神話にある「カミムスビ」、「タカミムスビ」の言葉の存在である。
 

 私はそれに従って,「カムナガラの道」を結んで行くと、何と、そこには現代人が予想もしなかった、あの宇宙の姿、すなわち、リンゴの芯をくり抜いたようなト-ラス状の形を持った宇宙の形(縦の長さ=横の長さ)が出現するのである。その頂辺の姿はまさに、先年発表だれたあのブラック・ホ-ルの写真そのものであり、少しの狂いも無いものである。それには私も驚きを隠せず、ただただ、感無量の心地が残っただけであった。

 
 例えばである、そこにある斜めの「神の数(鏡面数列)」を繋いでいくと、何とすべてがピッタリと合うのであり,しかも、そのピッタリと合った数十の数列はそれぞれ、驚くべきことを語り出しているのである。まさに、奇怪そのものであるが、その言葉を信じざるをえないほど、当を得ているものである。
 そこにある「数の妙」、または、「数の瞬間移動」等はいくら、我々が頭を捻って考えても到底無理であり、人間知の最高傑作である巨大なコンピュターを用いても不可能なものである。その事実は物理専門誌にもまったく不明と記され、その絵図もシッカリ載っているものである。
 それは、また、大変易しいものでありながら、大変難しいものである。それはすなわち、素直で現代知に染まっていない者には簡単に理解が出来るものであるが、現代知にどっぷり浸かっている有識者と言われている種族には理解がまったく出来ないと言うことである。

 一体、古神道とは何であり、何ものなのであろうか…!!!!!、一体、どのような存在が創ったのものなのであろうか……!!!!!!。

 まさに、これは現代史上に残るミステリーであり、いくら推測しても推測は叶わず、私はただただ、合掌し、頭を下げるのみである。

 

 そのあたりのことを知りたくば、是非、拙宅に参るがいい、すべてを数で綺麗に説明し、なおかつ、模型でシッカリ示して見ることにしょう。
 恐らく、あなた方は、ただただ、驚きの声を上げるだけであり、言葉は無く、ただただ、古代人の卓越した「超知」に脱帽するだけであろう。
 私も、是非、そのような方と会いまみえて、親しく話合って見たいとかねがね思っている次第ではある。今の世の中、高学歴者は多いけれど、もっと知りたい、もっと探りたいと言うような野望??を持っているような御仁はいないようである。折角の一生である、それで満足なのであろうか…!!?。
 とにかく、これらのもろもろの素晴らしい事実は言葉や文章などでは到底、説明が出来ないのであり、資料を手に、相まみえながら共に検証する以外には方法は無いのである。要するに、お互いに面と向き合って疑問点を一つずつ消して行くしか方法はないのである。

              (一つ、断っておきたい、我々の世界は「3次元の世界」である。 

 さて、大分、脱線してしまったが、本来の続きに入ろう。 

何と、驚くことにその81ヶの「3次元方陣(我々の世界)」の中のすべてには必ず「0=神」が同座していて、すべてを見守っていることがお判りになるはずである。 まさに、驚きそのものであり、現実にはまったく沿わない話であり、信じられないようなことではある。
 しかし、これは現実そのものなのであり、実際にある本当の事実なのである。
 このような超常的な具象を作り上げるには現代のス-パ-・コンピユ-タ―を用いても、とても、とても不可能と言うしかない。
 それは要するに、「神」は常に我々の行動や思想を把握して制限していると言うことであり、我々は「神」の心のままに生かされ、心のままにあの世に送られて行くのである。すなわち、我々は何時も「神」と共にあって、「神」と共に生きなければならないと言うことであり、すべては「神」任せと言うことなのである。また、すべては実際の現実であり、如何ともし難いものなのである。
 ただ、今の今まであなた方が知らなかっただけであり、考えようともしなかっただけのことなのである。

 まあ、これには驚いた、すべては「神」に筒抜けとなっていると言うことであり、我々のすべては「神」の監視の下にあったと言うことになるのである。 
  オ- マイ ゴット 、何と言うことであろうか…!!!。 我々は自分の運命、宿命であるとして唯々諾々ととして従っていたのであるが、何と、すべては「神」が采配を振るっていたのである…!!!。 オー・マイ・ゴッド…!!!!。  オー・マイ・ゴッド…!!!!!…。
 
 あの、アインシタインは「神」はサイコロを振らないと言ったが、それは嘘であり、実際は「神」がサイコロを握って、振っていたのである…!!!。
 要するに、我々は「神」の主導の通りに動いていると言うことなのであり、「神」の心のままに毎日を送っていると言うことなのである。


 要するに、このすべての「3次元方陣(我々の世界」)」を簡略的な姿にすると、「0」と「9」の2元のみから成り立っていることが解って来るのである。
 それはあなた方も計算すれば簡単に判ることであるが、その方法は秘密中の秘密として今の今まで封じられて、開封禁止になって来たものである。
 それが、すなわち、「0」とは意識世界(神)であり、、「9」は物質世界(我々)を意味するものであり、その2重的な存在、すなわち、常に、(0と9)と言う相対的なものを伴って存在している姿こそが、我々の生活圏である「3次元の世界」の真の姿と言うものなのである。

 要するに、我々の世界、すなわち「3次元世界」は意識(0)物質(9)と言う二つの2元要素から成り立っているもので、例外は一切無いと「数」は言っているのである。それは言葉を変えれば、「魂」と「肉体」と言う異種結合体こそが、我々の持っている生命体の本当の姿であると言っていることなのである。 それ故に、『死』とは異種結合体である「魂」と「体」が相離れることであり、『生』とは「魂」と「体」が結ばれて一体化することを意味するものなのである。
 そのあたりを考慮に入れながら「その意味するところ」を更に検証し、尋ね歩くことが必要であろう。それにより、何か大いなる意味、思いもよらなかった自然の秘密が新たに解るかも知れないのである。

それらの事実のすべてが、ここ、21世紀の初頭に来て初めて明らかにされたのであり、すべては「神」の守護の下に生命を与えられ、「神」の守護の下に生命を維持していることをいみじくも物語っているものなのである。 その姿は、まさに、お釈迦さんの掌の上で右往左往している孫悟空そのものであり、いくら頑張ってもそれから逃れる術はないと言うことでもあるのである……!!。 お-、何と言うことであろうか……!!!。

さてさて、本来ならば、ちゃんとした「数図の存在」の下にすべてを説明しなければならないのであるが、如何にせん、頭も痴ほうに近く、図をインタ-ネットに上げる方法さえもままならない状態である。すなわち、しばらく扱わないので、その方法をすっかり忘れ果ててしまったと言う哀れなことになってしまった現在なのである。でも、なるべく誰かの力を借りてでも、主要な図はここに載せて行くつもりではいるのであるが、如何にせん、頭には浮かんでいるが、図に描くまでのパソコンの技術が今の私には失われてしまっているのである。甚だ、口惜しい限りではあるが……!!??。。

 

それでも考えたこともあるのである、恐らくは、これらの私のほざき(ひとりごと)を見ても、何の感傷も感じない行きずりの方々が甚だ多いと思われるので、面倒な数図をインタ-ネットに掲載することをこれからは止めることにして、関心のある方々だけにこれらの特別な数図や、その詳細な説明をご送付申し上げることにしたいと思っているのであるが、如何であろうか…。 要するに、その方々には、何時でも、疑問、あるいは質問状をお送り下さればすぐさま返答をFAX,または郵送で送ることにしたいと思っているのである。場合によっては拙宅まで乗り込んで来て大いに議論を交わしてもいいと思っている。 
 それだけの重大な真理、真実が「神の数学」の中にはあまた潜み、誰かが扉をノックするのを待ちわびているのである。その為にも、我こそと思われる方は是非、手を挙げて連絡をお願いしたいと思うのであり、また、出来る限り、懇切丁寧に説明したいとも思っている次第である。

とにかく、これらすべては、今世紀のいずれあたりかで、必ず発生すると思われる人類の抱えている「神」との関わりをテ-マにしたものであり、決して的外れのものではないものである。これらすべては、我々の「数」に対する認識を一変させるものであり、新しい「神の叡智」を見極めるための数手法でもある。 また、これらは「神」の正体を見極めようとする特別な方々を対象とするものであり、この新しい知を用いることにより、「神」の存在がハッキリし、その正体も解ろうと言うものである。

 あなた方はご存知であろうか、『心ここにあらざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを“身を脩(おさ)むるはその心を正すに在る』と言う言葉を、それは、今まさに我々の心境であり、何時までも「西洋科学」の下で神無し科学を押し進めても、いずれ自然の本質には辿り着くことが出来ないのである。そろそろ、目覚めてもいいような気がするのであるが…!!!?。いや、是非目覚めようではないか…!!!!!。

今後は、現代知のみでは解決不能な「神の問題」ばかりを取り扱うつもりであり、これらの「数」の語る人知を超えた「神の御心」と言うものをあなた方と共に学んで行きたいと思っているこの頃である。 もっとハッキリ言うと、私もまだ道半ばであり、あなた方により教えられることも多々あるはずである。

 

さあ、今回は「カムナガラの道」の中にある81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」を探して、その中の9ヶの数を加算し、そこにある「大いなる意味」を考えて貰いたいと思う。今回の命題は「それ」であり、多数の方々がそれを見い出して、新たな洞察圏の存在を確認し、検証に走ってもらいたいと思う。

これは小学低学年や中学生でも説明すれば出来るような理路整然とした問題であるが、果たして、あなた方はは解けるであろうか…!!???。

私は大いに訝(いぶか)しみ、大いなる疑問としているのであるが、果たして、あなた方はこれらの事実に答えてくれるのであろうか……!!??。

 改めて言う、この「カムナガラの道」の中には81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」が存在し、そのすべてが、仏教の根本教理である「色即是空」「空即是色」とまったく同じ意味のことを叫んでいるのである。 その81ヶ、または64ヶの「3次の方陣」を探し出して、それらの叫びを聞き、その意味するところをあなた方の手で検証して、その明らかにしてもらいたい、そこからすべては始まるのである。
 これは、まさに、それらは「神」の叫びであり、「神」の祈りでもあることを知ってもらいたい。

 また、もう一つお願いがある。それは前に説明した81ヶの「3次元の方陣(我々の世界)」には必ず「神(0)」が同居して、すべてを見守っていると言う事実を自分の手で明らかにし、改めて検証してもらいたい。要するに、自分の手ですべての「3次元の方陣(我々の世界)」を見い出してチエックすれば、すべては自ずからハッキリして来るのであり、すべての疑問は一切消えてしまうことになるはずである。 
 
何時間、あるいは何日か思い悩むこと、それも一つの心の修行であり、未来への投資であると考えればいいではないか…!!。

 なぜ、何のために、「神(0)」はすべての「3次元の方陣(我々の世界)」にあまねく遍在して、我々を見守っているのであろうか…!!??。
 また、何故、その「3次元の方陣(我々の世界)」には、必ず、0(最初)と9(最後)が相揃って同居して何事かを囁いているのであろうか…!!??。 0は最初のものであり、9は最後のものである。何故、それら二つが揃って同居している意味とは一体何であろうか…!!??。
 是非、あなた方にも一緒になって考えて見て貰いたいものである。

 これは今世紀最大の哲学的な展望、いや、命題であり、誰かが解決しなければならないものである。恐らくは、そこには大きな哲理的な秘密が必ずあるはずである。私は、是非とも、それを知りたい…!!!。解明したうえで「あの世」に行きたい…!!!。それが今の私の最大の望みでもある。
 恐らく、それは我々の想定をはるかに超える超理であり、明らかに何事かを示そうとしている大きな自然哲理的な意味があるはずである。
 また、それは大変重大で貴重な問いを意味するものでもあり、生けとし生けるもののすべてが絡んでいる大変重大な事柄のはずである。そのあたりを、是非、あなた方も考えて見て貰いたい。最早、私一人の頭ではどうにもならないものである。
 恐らくは、この意味の検証結果次第では、我々の現在の知の価値観を180度変えてしまうものとなるのであり、新たな「人間知」を改めて、構築しなければならない一事態が生ずるかも知れないものである。 さあ、シッカリ考えて、答えを出して戴こう さて、はて…!!??。
 

 しかし、そのようなことをあなた方に尋ねても無理なことであろう。その数の語る本当の答えとは「最初の0」と「最後の9
」はまったく同じものと考えて=で結んで、循環体を作って見てると、その結び付きはよく判って来ることになるのである。
 それが、あの古代言葉の「カミムスビ」、「タカミムスビ」と言う「自然の心」の語りであり、それにより、代表的な自然の形態であるこの宇宙の形がいみじくも現れて来ることが判って来るのである。
 要するに、それが自然循環のスタンダードな形であり、同時に、循環数学の基本となっている形と言うものなのである。
 
見るがいい、それは宇宙人の数学である「システム・オブ・ナインズ」の中にも、ハッキリと記載されているではないか…!!。
 まさに、すべてはその通りであり、まったく それを理解しない限り、あなたは一歩も前進が出来ず、ただただ、現代西洋知と言う無明の闇に飲み込まれ、右往左往を繰り返しているで終わるだけになるのである。

 また、それらのサンプルと言うものを、この「カムナガラの道」は数多持っていることを知って欲しい。それが、すなわち、「カムナガラの道」の横、縦の各数列のすべてが必ず持っている「最初の0と最後の9」の出現である。それらの一つは「無形の0」であり、もう一つは「有形の0」の姿の存在をいみじくも示しているものであるが、それが判るまで何回も、何回も、この「カムナガラの道」をまさぐってもらいたい…!!!?。
 
 それ故に、人間的な意味、すなわち、われわれの計算過程での「神の数学」の計算の場合、最初の0は0と置き、最後の0は9と置くのである。すると、全部が綺麗な数が並んで、我々の気を引くのであり、形的にも理解が出来るのである。また、様々な計算を行う場合にでも、すべてが上手く行くのであり、綺麗な答えが並ぶのである。これらは経験上の知恵、すなわち、私の経験則により判ったことである。
  さて、これら、「無形の0」、並びに「有形の0」の意味が、少しはお判りになったであろうか……!!???。

 
 もう一度言う、我々の頭部(あたま)と言う実在のものを考えてもらいたい。要するに、「無形の0」とは頭の後部であり、「有形の0」とは頭の前部と考えるのである。まったく、同じ一つのものではあり、我々の誰もが同じものと見ているものである。しかるに、頭の後部には何も無い、すなわち、そこは見かけが0であるが、実際は脳があり、体の全体を司り、牛耳っている大変貴重な存在であることはご存知の通りである。
 要するに、同じ一つのものでありながら、前から見るか、それとも、後ろから見るかではまったく見方と言うものが、まったく異なってしまうのである。
 
 もっとハッキリ言えば、同じ頭ではあるが、前部には華やかに目、鼻、口、耳などの有形状なものすべてが揃い、まさに「有形の0」であり、立役者そのものの姿なのである。しかしである、実際には、目、鼻、口、耳などの情報はすべては何もない頭の後部に伝えられて、処理され、初めて役に立つのである。
 すなわち、「見える世界」の物事は、すべて「見えない世界」を通じて、処理されることにより、初めて有効となって認識状態になるのである。
 要するに、全体としては一つであるが、姿形は「後ろから見るか」、「前から見るか」により二つ存在があるかのように見えると言うことである。
 また、それは一つの磁石的な性質の存在を考えて見るとよく判るはずである。すなわち、正面から見ると(+)の存在であり、反対から見ると(-)の存在になる、要するに、二つの存在が仲良く相伴いながら仲良く同居しているものであり、片方が無ければ他方も自然に消滅してしまうような完全一体の状態なのである。
 
 また、別な意味で、よく考えて見れば、それに似たものは日本の将棋にもあるではないか…!!、最も力を持たない「歩」の駒が、一転して王様の駒の次に力のある「金」の駒に代わること、すなわち、それが「成る」と言う言葉であり、古くは「古事記」にも出ている言葉である。それが、すなわち、「裏返し」となることであり、「成った」と言う言葉であり、現代物理で言う「反転」という行為を指す言葉である。
 このような特殊な考えは日本独自のものであり、大変古いものなのである。それは日本以外にはまったく存在しない言葉であり、古事記では宇宙創成の言葉として用いられているのが「成った」と言う言葉であり、突然起きた反転の象の出現を指すものである。 
 要するに、この手法は古代日本の叡智に見られるものであり、これらはその再来言葉と言ってもいいものなのである。
 それが、すなわち、0が成って9になると言う大変意味深な言葉であり、誰も知らない遥かなる「哲理言葉」なのである。

 また、それは、恐らくはあの聖書にある「神の言葉」、すなわち、「私は最初(α)であり、最後(Ω)でもあるのだ」と言う言葉を裏書きしている言葉であり、0=9とまったく同じものと考えてもいいものかも知れない。すなわち、
αアルファ)は最初であり、Ω(シグマ)は最後を意味する言葉であり、最初と最後はまったく同じものであると言っているのである。 
 
または、インド数学の言っているように、0には「何もない無の0」と「満タンを示す0」の二つがあると言うことの示しでもある。 とにかく、今でも、現代数学者達は「0の不思議」には手を焼て四苦八苦している最中なのであるが、どうも答えは出せないようである。まあ、現代数学、すなわち、直線数学では決して、この答えを出すことは出来ないのである。

  これらすべては誰にでも、簡単に見出すことが出来るのであるが、その意味することが重大過ぎて皆目わからないので悩んでいるのが今の私?であり、あなた方でもある。
 
 これらは今の私にもまったく不明であり、答えと言うものがまったく出ては来ないのである。 もう、何年も、何年も呻吟していることであるが…!?。
 すべては至極簡単なものであるが、しかし、西洋知にまみれている我々には、その答えを一向に見い出すことが出来なくて、おろおろするだけである。

これからはなるべく定期的な、あるいは必要次第な時に随時にこのサイトに更なる高度な「神の数学」の問題、を取り上げて見たいと思う。これらの問題を関心のある方、または疑問をお持ちの方々は、是非、FAXでその疑問内容をご連絡を戴きたい。なるべく懇切丁寧に、そしてザックバランナ形で直ちに、返答、またはその仔細を記してある関係書類をお送り申し上げ、共に考えることにしたいと思う。ただし、私は赤貧まみれの最中である。
 よって、疑問のある方は、せめて郵送代として(200円くらい)は同封してもらいたい。なんせ、85歳の老人で、赤貧の真っ最中なので……!!!。

宜しく、お願いのほどを申し上げ、今回はこのあたり筆を止めることにする。次回からはあなた方を「更なる夢幻の幻視考」、すなわち、現代科学を遥かに凌ぐ、超メタ・フィジックの真実世界の存在を語る「数の世界」に、ご案内申し上げ、つぶさに詳細を見て貰うつもりである。
 
  次回の題目をお待ちくだされ…!!!。 さて、さて何が良かろうか…!!!?。

 またもや、あなた方が目を廻すような「神の叡智」が出現するのはお察しの通りであり、あなた方の頭脳を混乱させて、正気に戻すつもりである。
   さて、さて、次回の「神の秘儀」についての、あなた方の見解は如何に……!!??。あ-、あ-楽しみである……!!!!。

 

連絡先     FAX 0558 (76) 4334   「神の数学」 サトウ トシオ まで。


  
  

『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その2」

         令和2年月上載



  さて、さて、先回の問題となった「カムナガラの道」の中にある81ヶ、の「3次元の方陣(我々の世界)」が語り上げている究極の内容について、いくらか考察の上、十分に検証されたであろうと思われるが、如何なことであろうか…!!??。

 恐らく、これは誰が行っても、常に結果は同じであり、常に同じ答えが見いだされるはずである。また、ひょっとすると、とんでもない大いなる直感を持った御仁が現れて、更なる回答を出して、我々を唖然とさせてくれる可能性も十分にあるのである。

 今の所、残念ながら、それは「数」で示されていることが解っただけであり、その内容や、本来の意味するところなどは未だ不明なのである。
 この「3次元の方陣(我々の世界)」を尋ねて行けば、最後に存在するものは「0」と「9」のみであり、それはすなわち、3次元の世界とは「見えない世界(意識世界)」と「見える世界(物質世界)」の二つの世界から成り立っていることを語っていると言うことである。
 要するに、そこにある0とは「見えない世界(意識世界)」であり、9とは「見える世界(物質世界)」を意味するものであり、しかも、「見えない世界」と「見える世界」は同じ本質、すなわち、0が本質であり、すべては無に帰すもの、すなわち、すべては無的な存在、「空」の存在であることを語っているものなのである。要するに、「見えない象」を表す場合には0を用い、「見える象」の場合には9を用いるのである。しかしその二つ、すなわち、0と9は本質的にはまったく変わりは無く同じものなのである。

 ただ、そこには、同じものでも、その現れ方が異なっているのであり、それにより「2元世界の存在」や「1元世界の存在」さえもハッキリと示されているのも面白い限りである。要するに、「3次元の世界」を尋ね歩けば、「2元世界の存在」や「1元世界の存在」が見えて来ると言うことなのである。
 
 要するに、3次元の世界の中に「2次元世界」が存在し、また、また、同時にその中には「1次元の世界」「0次元の世界」等も共存状態にあることを示しているのである。もっと、ハッキリ言えば、「3次元の世界」の中に「2次元世界」や「1次元の世界」、「0次元の世界」が共存していることを示しているのであり、それらが基本枠組みとなって「次元世界」を作り上げていることを示しているのである。
 しかし、現代物理の世界では、それらの次元は別々な状態で個々に存在しているのであるとか、並列状態で繋がっているとか、言われているようであるが、実際はそうではないことを「数」は如実に示しているのである。

 また、数は更に語っている。すなわち、我々は「意識(こころ)」と「物質(肉体)」の二つが重なって一つとなっている融合体であり、そのどちらかが欠損すると成り立たたなくなる、すなわち、それが終焉(死)を迎えると言うことであると… そのような現代人の知らないことをこの「カムナガラの道」はいみじくも語り上げ、我々に教えているのである。是非そのあたりを知ってもらいたい。
 
 また、それと同じようなことを日本の古代文献である「ホツマツタエ」は語っているのをお存知であろうか…!!。
 それは次の通りである、すなわち、我々の意識と言うものは宇宙の中心から降ろされた[タマ」と、地に由来する「シイ」が「タマノヲ」によって結ばれて「タマシイ」となり、それが体と言う物質と一緒になって人間の身体が出来上がっていると記されている記載であり、説明なのである。また、その「タマ」は、寿命が尽きた時には、再び宇宙に帰って行くのであるとも言っているのも甚だ面白い限りである。 更に、なお、地に由来する「シイ」とは、肉体的な欲求である「食欲」、「性欲」、また、「名誉欲」や「金銭欲」などの次元の低い欲望を司っているものであるとも言い、肉体が滅びると共に消え去ってしまうと言っている。 そのあたりをシッカリ学んでゆくと、現代文明知は古代知に比べると、格好はいいかも知れないが、質には甚だ見劣りするものであることがことが良く判るような気がするのであるが…!!!??。

 また、「ホツマツタエ」は次のようにも言っている、アモトは宇宙の中心を指すものである。アモトは透き通ったは柱であり、九重に重なって回転しているのである。その回転の響き(波動)は国玉(地球)にも及び、人の呼吸や水面のさざ波にも影響している」と。
 
要するに、九重の柱から発せられる波動が「九」の波動であり、それがすなわち、「宇宙の定数波」でもあると言っているのである。
 また、それは同時に。我々の呼吸の周期でもあり、海の打ち寄せる波の周期(一分間に18)でもあるとも言っている事実である。のである。
 なぜならば、それを一桁化すると9になり、0になるからである。
 

 よく考えて見ると、我々の呼吸は安静時に1分間に12~18回の呼吸をするのが普通の呼吸とされているが、昔の人はもっと少なく、8~10であった。
 また、我々の血圧は低くて72であり、それより低い場合には「異常値」となる。高い場合には180くらいで、それより高ければ異常値とされる。また、脈拍は生まれた時が90であり、年と共に上がって行くのである。現在医学の正常血糖値は120から130と言われ、古代人より少々低く算定されているような気がするが、それは恐らく、日頃の生活上の安定性がもたらした結果なのであろう。
 昔から知られている漢方によれば、成人では上の血圧が135くらい.下の血圧は72くらいがいいようである。
 計算して見るがいい、すべては9の倍数であり、完全に自然と同調的なリズムを持っているものであることが判るであろう。

 また人間には九つの穴があり、そのすべては生きていて活動し、自然と合まみれながら同調状態にあると言われているようであるが、まだ誰も突き止めた者はいない。 確か、それは自然と同調しながら、人体の霊的なエネルギ-を出したり、吸ったりしている我々のチャクラと言う神妙な神経器官も9種類あるのであるが、今の所、人々は7種類の存在しか解らないようである。要するに、これら、7つ以外の0と9のチャクラの存在は余りにも神妙過ぎて感応できないと言うことなのであろう。また、これらの9ヶのチャクラのに同調する周波数こそが、あのセルフジオ周波数と思われるのであるが、今の所、残念ながら検証は出来ず、従って結論は出てはいない。
 
 そのあたりのことは「古神道の神髄である「カムナガラの道」にハッキリと記されているのであるが、私としては、あまり、興味が無く、調べるまでには至ってはいない、恐らくは、割合、簡単に答えは見つかるはずと思うのであるが…!!。
 確か「カムナガラの道」の中には九つの数列が流れ、お互いに合い呼応しながら神妙な形で流れていると言う事実がある。それらはお互いに合一したり、お互いに、分離状態にあっても、すべては常に、これら、九つの数列が流れのいずれかに姿を変えて、変化なく存在しているのである。不思議なことではあるが……!!!!!。
 今度、時間がある時に、そのあたりシッカリ調べてみて、改めてあなた方にご報告したいと思う。

 更に、一つだけは言って置く、「カムナガラの道」の中はセルフジオ周波数で満たされ、それこそセルフジオ周波数だらけである言ってもいいものであることを。要するに、すべては「セルフジオ周波数」で作られ、「セルフジオ周波数」で回転しているということである。
 誰か、その仔細を検証して見たいと思う御仁が現れれば、私も力を貸そうではないか、恐らく、直感と洞察力がある御仁なら、1~2時間もあればことは済むと思うのであるが、そのような酔狂のある方は恐らくはいないであろう。考えて見ると、これも古神道のジャンルの一つなのであり、日本人の我々が解からない限り、無理なものなのである。
 
 あぁ、、あぁ―、少々、筋がずれ始めたようなので、さあ、さあ、本筋に引き返そう。

 これらの人体の持つ不思議な「九」の波動を改めて検証して見るがいい、これら二桁の数を一桁化すればすべては9になり、0になるはずである。
  まさに、自然の妙と言えるものであり、誰かが設計したものとしか考えられないものであるが、あなた方はどのように思っているのであろうか…!!。
 あなた方は知っているであろうか、は古来から珍重されている類まれな偉大なる数であることを…!!。それが、すなわち、中国では9は皇帝数と呼ばれ、日本では古来から魔除けの数、あるいは縁起のいい数として知られていたことである。しかし、現在の日本人は九は苦に通じるとか言って、避けているようであるが、それはまさに、程度の落ちた慮外な発想と言うものであり、ただただ、古代の人々に笑われるだけであろう。また、同様に、四は「死」に通じるとか言って商売人には禁数とされているようであるが、まことに馬鹿馬鹿しいことである。

 また、現代数学者達には9は不思議な数として知られていて、現在でも、海外のュ-チュ-ブ等では盛んにもてはやされているようである。是非、一見して、論議に参加し,真実の花を咲かせて見て貰いたい。まだまだ、追及することは山ほどあり、今は未だ、一歩踏み出した状態にあるのである。

 しかし、断っておくが、現代人は「数の本質」と言うものは一切何も知らないのであり、ただ、ピ-チク、パ-チクと話に花を咲かせてウロウロしているだけであり、誰も真実に迫るような事実を語っている者はいない。真実はすべて「神の数学」が握っているのであり、偉大なる「数」の語りはすべて私が預かり、私だけが知っているだけである。
  しかし、そんなことは誰も知らない、知ろうともしない。
 
しかし、考えてみると、現代知はそうではない、「見えないもの」「意識」などは一切眼中には無く、物質オンリ-の世界のみを探索中なのである。かれらの学問は「見えないもの」、すなわち、「神」や「霊」などは存在しないものとして、一切の研究は禁止されている状態である。 何故なら、そのようなものを学問の中に引くずり込めば研究範囲が膨大化して手に負えなくなることが目に見えているからであり、始末に負えなくなることが解っているからである。それはまさに、中世時代の遺物知を引き継いでいるものであり、更なる文明の発展にはあってはならないものであるからである。
 しかるに、誰かが口火を切らない限り、何時まで経っても現代人は路頭に迷い、無駄な時間を過ごすだけなのである。

 たしか、デカルトが「神の棚上げ」を試みて、それ以降は「神」とか「霊」等の目には見えないものに手を付けた場合には村八分の処分をされて来ているのである。それ以来、それらの研究は下火になったのであり、僅か400年前のことである。それ以降、一つの伝統として守られているのであり、今でもそれは続いているのである。その結果、自然は不可解であり、難しいものであるとかの泣き言となって、とどのつまりは、複雑、混沌の言葉で終わっているのである。すると、今後の科学知の発展は最早望めない、ただ、だらだらと片輪の知を引きづって無明な世界を手探りで進むだけである。

 とにかく、それを打破しない限り、一歩も前には進めない現状なのである。現実を考えて見るがいい、今までの現代物理学は旧態なものとして、今では窓際に置かれ、変わって、量子物理学が腕を振るっているのが今の科学界である。 皆さんは知らないであろうが、量子物理の本名は波動物理学である。 要するに、波動の世界を明らかにして、自然の本体、本性と言うものを改めて見極め無ければならないのである。 ただし、困ったことに、その世界は現代数学、すなわち、10進法では自然の象は解けないと言う難題にぶつかって、その本質等はまったくわからない状態なのである。
 それ故に、科学者たちは10進法に代わる新しい数学手法の出現を今か今かと待ちわびているのが、現在の待ち状態の有様なのである。
 現在、科学は停滞期を迎えているが、それは過度期にある状態であると言ってもいいものであり、新しい科学時代の黎明期を迎えようとしている前触れとしての小休止中なのである。 さて、新しい時代が幕を開けるのは何時になるであろうか…!!!。30年後か、50年後か、それとも100年後になるのか、それともこのまま終焉を迎えてしまうのか、今の所、誰にも判らない…!!!。

 さあ、今回からは古神道の神髄である「カムナガラの道」について、少々、あなた方と話し合って、あなた方の「数」に対する知識の程度を確かめて見ることにしたい。思うに、あなた方、有識者の「数」の知識は幼稚園児と同程度であると思われるのであるが、如何であろうか…!!??。

 私はある時知ったのである、「カムナガラの道」の解き方は「宇宙人の数学」、すなわち、「九進法」を用いることにより、簡単に解けることを…。
 要するに、「カムナガラの道」の最初の言葉と墜落したUFOに残されていた「宇宙人の数学」はまったく同じものであったことが偶然にも判ったからである。そのUFOに残されていた「宇宙人の数学」とは、あの「システム オブ ナインズ」とNASA(アメリカ宇宙局)が呼んでいたものである。

 もっとハッキリ言えば「宇宙人の数学」にはマイナスと言う数観念が無いのである。ようするに、負数は無く、すべては正数だけなのである。要するに、負数(ー)が現れた場合には、それを正数(+)に変えて計算すればいいと言うことであり、自然に沿った数の並びになるものである。
 そのあたりのことは、すべてあの宇宙人の数学である「システム オブ ナインズ」が教えてくれているのであり、今まで、私も何回も言っていることであるが…!!。誰も見返ることもしない……!!!!。
 
 ただ、あなた方は「そんなことはあるはずが無い」とばかり、信じようとは一切しないので知らないだけであり、知ることもままならないのである。
 それ故に、何時までも進歩の波に乗ることも出来ず、ただ、右往左往しているだけなのである。ほんの少し、ほんの少しだけ、耳を傾ければすべては秒速で完了し、新たな知の大海原を見い出すことが出来るのであるが……!!!。
 
 また、そこには虚数観念も無く、すべては実数によるものである。要するに、現代数学が苦し紛れに編み出した「マイナス観念」や「虚数、複素数」等の自然には無い「数学手法」であり、自然にはまったく通じない「幻のあだ花」的な手法と言うものなのである。それは要するに、自然の解明にはまったく役に立たない、単なる思い込みと言うあだ花とも言うべきものなのである。。
 
 恐らく、これを目にした学者達は怒り心頭に達することであり、抗議の言葉が止まむことは無いであろう。
 そのような方々は是非、拙宅に参るがいい、是非とも、「マイナス数」を用いることにより、自然は混乱し、ますます真実から遠ざかって行くことを「数」に語らせ、その上でいろいろと検証して確かめて見ようではないか…!!!。真実の道を掴むためには千里の道でも決して遠くは無い。

 「マイナス数」を用いずに、正数を用いることにより自然は正常な展開を行い、真実な答えを見せてくれるのである。要するに、自然の正体の真実を垣間見せ、過ちを諭してくれるのである。論より証拠、現代数学では0より大きい数を正数と呼び、自然数と呼んでいることからもお判りになるであろう。自然数にはマイナス数と言うものはは無いのであり、人間だけがマイナス数の概念を抱いて、己を苦しめているだけなのである。
 また、虚数は嘘の数、あり得ない数を虚数と呼んでいるのであり、英語では"imaginary number"、すなわち、実際にはあり得ない「想像上の数」 と呼んでいることを知ってもらいたい。要するに、これらの数は人間が作り出した偽りの概念であり、自然にはまったく存在してはいないものなのである。

 大分、前置きが長くなってしまったが、諸氏の誰も知らない、誰も信じようとはしなかった「宇宙人の数学」の真実と言うものを見せてあげようではないか。
 
 それは「神の数学」では「神算法」または「禊ぎ算」と呼ばれている自然の算法であり、マイナス数と言うものはまったく必要とはしないものである。要するに、すべてはプラスの数、すなわち正数のみで計算を行うと言う算法である。その算法により、自然は本来の姿をジックリ見せてくれるのであり、すべてはスム-スな形で答えを出してくれることになるものなのである。

 それは今までの数学者達にとっては思いもよらないものであり、正しく、その上、素晴らしくて矛盾の無い自然の計算法と言うものを見せてくれるものなのである。

 
恐らくは、そのようなことを言う私には世界中の学者達から非難がごうごう集まり、初めてこの文を見た者達は私を悪しざまに罵り、気狂い呼ばわりするであろう。しかし、真実はあくまで真実であり、それは「数の論理」がその中に証明してくれるはずである。
 また、素直に検証して、自然の答を得た小数の者は喜びに震え、小躍りして「素晴らしいもの」と褒め称えることであろう…!!。



 
さてさて、これからが私の本当の正念場であり、腕が問われるところなのであるが、よく考えて見ると、余りにも年を取りすぎ、果たして諸氏に十分に理解が出来るような丁寧な説明が可能なのか、どうか、それが頭の痛いところなのである。

 
まあ、なるべく、丁寧に、かつ安易な言葉で説明しなければならないのであるが、それもまた、頭の痛いところでもある。

 なんせ、すべては史上初めてのものを、綺羅星のように並んでいる数学者たちの頭越しに説明しなければならないのである。
 恐らく、私は全世界では何十万人と言う数学者達の反感と憎しみを受けながら、モノを申そうとしているのである。
 しかしである、何時までも頭の中に宿しておくのも、これまた、本意ではなく、「神」の好意を裏切ることにもなりかねないものでもある…。
 
 今までは、それが恐ろしくて、なるべく隠すようにして数十年間、学んで来たのであり、出来るだけ人にはすべてを告げることは憚ってきたのである。
 ただ、希望と勇気を与えてくれるのはあなた方、「神の数学」を学ぼうと言う方々の応援の声が大きな慰めとなって来たのである。
 
 先日も甚だ驚いたことが有る、突然、大分県のある御仁からメ-ルを戴き、頑張って欲しい、私は「神の数学」のホ-ム・ペ-ジの初稿からのものをプリントして大切に持っていると言われて、甚だ赤面の至りとなってしまった次第である。
 なぜならば、余りの反応の低さに辟易して、本気で相対しょうと言う気分が失われ、少々ペシミスチックな気持ちになっていたからである。
 今は大丈夫、そのメ-ルにより、頑張ろうと言うエネルギ-が湧いて来て、大変、気分も好調の波に乗って来ているので…!!。

 

 この「数」の問題に関しては今まで誰も口にした者はいなく、考えにも浮かばなかったものである。要するに、その詳細、いや、その片編さえも語っている書籍の類等は皆無であろう。 ただ、あるとすれば、アメリカで墜落したUFOの中から発見された「宇宙人の数学」、すなわち、「システム オブ ナインズ」と私が「神」から与えられた「神の数学」だけである。 また、「神」から与えられた経過というのも甚だ信じられないものであり、私自身でさえもあり得ない話しであると思って、ただ、呆気にとられているものである。その次第を、時々人に話して笑われているような有様でもある。折があればその話も披露し、あなた方の笑いを誘ってみたい。すべては本当にあった話であり、私の本当の面白い体験記なのである。ハ-ハ-ハ-…。

   

『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その

         令和2年月上載


 恐らくは、「神の数学」にとっては今回からが最大の試練であり、まさに天王山そのものであろう。 なんせ、全人類80億人を敵に回しての挑戦であり、しかも歴史を通してもあり得ないものを口にしょうとしているのである。まあ、言って見れば80億対1の呆れた決戦であり、漫画のようなものであると言ってもいいものであろう。果たして、どちらに軍配は上がるのであろうか。まあ、それは100年もたてば、ハッキリすることであろう。

 これらすべては「神」から与えられたものであり、すべては誰も知らない「天与の叡智」とも言うべきものであるが、誰も振り向こうとはしない、ただ、冷ややかに通り過ぎるだけである。そのたびに、私の心は情けなくて小さくなるだけであり、身の置き所がだんだんになくなるだけである。

 そう言っても、この「神の数学」は別に難しいものでは無く、至極簡単、明瞭なものである。ただ、あなた方は今まで学んで来た過去の知が災いしてスム-スに受け入れようとはしないのであり、身に付けた過去の知の栄光が忘れられずに身を震わせながら反発しているだけなのである。

 しかし、言って置くが、あなた方の学んでいる現代数学は片輪の知であり、円滑な内容等は一切無いことを知るべきである。何故ならば、現代数学は物質、すなわち、「見える世界」に関してのものに対する計算手法であり、「見えない世界」に対しては一切、効力は無い、また、拘束力等などはまったくないものだからである。そのあたりのことをあの「ひふみ神示」も言っているではないか…、「片輪車でトンテントンテン、骨折損の草臥(くたびれ)儲けばかり、いつまでしてゐるのぞ」と…。あなた方の知は既に「ヒフミ神示」の天明さんにより70年前に否定されているのである、お判りであろうか…!!!。。

 考えて見るがいい、あなた方は知らないだけであり、「見えない世界」は「見る世界」の数十倍、あるいは数百倍の広大な領域を持つ世界なのである。
 言葉を変えれば、「見える世界」は「見えない世界」のほんの1部分でしかないものであり、僅かな領域を占めているものなのである。 その1部分だけに通じる計算手法を持って、全体を牛耳ろうとしているのが、現代数学であり、現代文明なのである。
 要するに、甚だ、無理無体なことをして満足しているものが現代西洋文明知なのである。

 「見えない世界」の存在を知らない我々は、現代数学手法を用いてすべてを紐解こうとしているのであり、それはまさに、向こう見ずな行為と言うものである。 その結果、解けない、解らないと地団駄踏みながらも懸命に頑張っているのである。その挙句には、虚数、無理数等のあり得ない手法を繰り出して、己の心の満足を計ろうとしてもがいているのである。

 本来ならば、出て来たマイナスの数をプラスの数に転換しながら、「陰」、陽」と言う相対的な計算結末を確定してから、その答えを出すべきなのであるが、それを知らないので、片方だけの絶対性を信じ、その分野のみに通じる計算手法を自らの手で編み出している、それが現代数学なのである。
 

 
本来の自然宇宙の計算法には、足し算と、引き算、それに比だけで済むものであり、マイナス数と言う概念などは無いものである。 これは私が言ったのではなく、現代の宇宙物理学者であるイギリスの ロジャ-・ペンロ-ズが言っている言葉である。

 それとまったく同じ手法を持っているものが、「神の数学」の中の「神算法」、または「禊ぎ算」と呼ばれている自然数算法であり、現代人はまったく知らない「自然の演算手法」と言うものなのである。要するに、プラスとかマイナスの本質性とは、その進行性の違いを指すものである。すなわち、数の世界ではプラスは右回り(時計廻り)の方向であり、マイナスはその反対、左回りの方向を指すものである。それは、すなわち、この世(物質世界)ではすべては右回りが本質であり、「あの世(意識世界)」ではすべては、その反対の左回りが本質運動なのである。それが循環世界の決まりであり、それが合一することにより、0が生み出され、それが永遠を紡ぐ由縁となっているのである。それ故に、、自然運動は常に無限性と永遠性を誇って止まないのである。
 恐らくは、「数」の動きと、その意味合いが解らなければ自然の本質は永遠に閉ざされた謎として残されて行くだけであり、同時に、人間知の発展も限度を迎え、徐々に没落し、ただ、終焉を迎えるだけであろう。それはまさに、「日本神道」の歩みを思い出させるような没落過程を経ながらである。

 その前に一つ言って置きたい、日本神道においては「禊ぎ」とか「禊ぎ祓い」と言う儀式があるが、これはまがいものであり、本来のあるべき意味からはまったくかけ離れているものである。ようするに、神道においては「禊ぎ」とは単に身を洗い清めることとしているが、そんな簡単な仕草ですべてを済まして、「神」に会いまみれるのは甚だおこがましい限りであり、「神」をぼうどくするものでもあろう。本来必要なのは「体」の清めなどではなく、「心」の洗濯であり、心の垢を洗い流し、真心、すなわち、まん丸な心、欠けの無い心に戻ることなのである。
 要するに、罪や穢 (けが) れのある者の身を、水やお湯でいくら綺麗にしても、何の効果も無いのは当然なことである。今流の言えば、罪を犯しても、水と石鹸で綺麗に体を洗えば、大手を振って、世間に顔を向けることが出来ると言うことであり、子供が考えても成り立たない屁理屈そのものである。
 
 肝心なのは「心」であり、その者の今まで犯して来た「過ち」を、如何にして清算し、汚れた心を元の綺麗な心、清らかな状態に戻すことが出来るかと言うことである。 それを単なる「水」や「清流」で体を洗いうだけで済まそうと言うのは、甚だ奇怪であり、とても承認などはできないものである。そんな道理は子供でも判ろうと言うものである。
 それ故に、我々が「この世」で罪を犯し、心に穢れが生じた場合には、すぐさま逆な行為を行うことにより、心の穢れはだんだん消え去って行くのである。
 すなわち、穢れの上に清らかな善行で上塗りすることによりすべてを消し去ることが大切であり、ケガレとはその対極にあって不浄な行為なのである。
 
 それがすなわち、悪を犯した場合には、すぐさま、善行を施して心の汚れを少しづつ、消して行くことが大切と言われていることである。例えば、小さな善行を何度も繰り返すことにより、大きく穢れた行為も少しづつ、消えてしまうことになるのである。 それが自然流であり、「神」の思し召しと言うものである。
 とにかく、それが肝心なもの、非常に大切なことなのであり、決して忘れてはならないものなのである。
 そのことを忘れて、「あの世」に罷るので閻魔大王により、浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)で生前の善悪の所業のすべてが映し出され、悪行の一切がばれてしまうのであり、すべては一切合切判ってしまい、改めて「あの世」で罪を償うことになるのである。 
  要するに、生きている時の心の借りは、死んでも消えず、あの世でも責め立てられると言うのである。 ハ-ハ-ハ-、何と言う馬鹿馬鹿しい、愚かなことなのであろうか…と思うであろうが。しかし、これが本来の宇宙自然の掟であり、定めと言うものなのである。

 よく考えて見るがいい、本来、心に罪や穢れを持っている者がどうして水を被るだけで、贖罪(しょくざい)が可能になるのであろうか…、、精神的に歪んで、心がえびつに変形したものが、何故に元の正真円に戻るのであろうか、…、これこそまさに欺瞞であり、人々をたぶらかす行為そのものと言えよう。

 そのあたりだけを考えれば、西洋宗教の「懺悔」の方がよほど的を射てはいるのであり、考えても判ることでもあろう。考えてみるがいい…!!。

 要するに、日本神道は全体にわたって偽善がまかり通っているのであり、古神道の伝えていた神意からは完全にかけ離れてしまっているのである。
 それや、これやで今の日本神道の権威は今や完全に地に落ちてしまい、まさに風前の灯のような状態、それが現代の日本神道の姿なのである。
 このままでは後、何十年持つことやら…!!!!。

 そのあたりのこと、すなわち、「数」の教える自然の真実と言うものををシッカリ知りたいのなら、是非とも、この「神算法」の中の「禊ぎ算」を学んでもらいたい。それにより、あなたは「自然の数の算法」の真実を知り、本当の「自然世界」の大律と言うものの存在に目覚めることになるであろう。

 恐らくは、世間からはキチガイ扱いにされ、無視されて終わることになるかも知れない、でもいいではないか…、自分で何回も検証し、すべては真実であることが判明すれば心は十分に満足するのであり、常に快活の状態で一生を過ごすことが出来るのと言うものであるから…。

 「現在の知」の片輪な姿を斜め後ろに見て、前にある素晴らしい「自然の知」を姿を追いかけて、円満に結び上げて学び取る、何と言う果報者であろう…!!。 心の充実が人生を豊かにし、健康で快適な一生を送る最大のキイ・ポイントと言うものであり、類ない喜びをもたらしてくれるものなのである。


 そのような訳で、これから本来の「自然の持つ計算法」、「素晴らしい神慮の計算法」と言うものをこれから、披露することになるのであるが、心のご用意は宜しいであろうか…。
 まあ、これらの「神算法」の中の「禊ぎ算」については、既に何回か披露申し上げているのであるが、一向に反応がなかったので、私もそのままにして、ほおって置いていたのであるが、今回は果たして、どうであろうか。

 今回のテ-マ-は「10進法」の不完全性をえぐり出し、自然算法、すなわち、「神の数学」の確かさを諸氏に説明し、納得してもらうことである。
 これはまさに現代+文明始まって以来の伝統を持つ現代知の基盤を根本から揺るがすような大仕事であり、恐らくは全世界からの轟々たる非難を受け、軽侮の声が満ち溢れることになるかも知れない。それは重々承知はしている、また覚悟も出来ていることでもある 最早、動じない…!!。
 
 

よくよく、考えて見ると、過去数千年間、数計算の仕組みに対して正面きって疑論をぶっつけたり、あるいは反証を掲げた者は誰一人としていない。
 恐らく、私が最初の現代数学知に対しての反逆者、あるいは謀反者と言われ、身の置きどころも無くなるであろう。 すべては承知の上のことである。

 

確かに、「現代数学」における数の概念はそれほど強固で揺るぎないものと思われて来たものであり、それ故に、今になって「現代数学」は真実を語るものではないなどと否定すれば、恐らくは、身の程知らずと罵倒され、誰にも相手にされ無いことは火を見るより明らかである。
 ひょっとすると、世間からつまはじきを受けて明日からの口糊さえもままならぬような状態にも陥るかもしれない。しかし、それも止むを得ないことであろう。

  我々の数の計算とは「10進法」と呼ばれるものであり、この数千年間使い慣れてきたものである。学者達の説明によると人間には指が10本あるので指を折り数えるための便宜法として10進法が用いられていると言うことである。
 要するに、この計算法は人間の便宜のための一時的な手法であって、何も自然界に基く尺度計算法ではないものであない。 ハッキリ言えば、人間は己の便宜上のために勝手につくり上げたものであり、何ら自然の法則に基いたもの、あるいは自然則に即した尺度法ではないと言うことである。 
 まあ、これについては誰も同じような見方であり、反対を申し述べるような御仁もいないであろう。

さあ、そこで一つ考えてみよう、この人間により考案された計算法と言うものは果たして自然の持つ計算法と合致し、かつ自然の持つ摂理をうまく説明してくれるものなのであろうか…??。 要するに、これは人間史上の大問題であり、自然を知るためには避けては通れない問題と言うものである。

 本来なら、そこをまずは確認することから諸々の自然研究が始まるのである、それが当然の「知」の道筋と言うものであろう。

しかし、いくら調べてもそのような形跡は無い、恐らくは誰もそこまで考えが及ぶ者はいなかったと言うことであろう。
 要するに、今まで多くの科学者達が自然は難しい、解明困難であると頭を悩ませて来たのもそこに原因があったのである。それはすなわち、人間の計算法は自然にはまったく通じないものであり、ただただ混乱と不整合を招くだけに過ぎないものであったと言うことなのである。

しかし、今まで誰一人として、それに言及する者はいない、考えることもしなかったのである。
 ただただ、この数千年間、誰も疑うこともせずに営々と現代数学の構築に精を出して来たのである。誰も疑わず、誰も疑問も持たずにである。  
 特に日本人はその傾向が強いような気がする、なぜならば、ただただ西洋の学の後を懸命に追いかけるだけであり、ただただ西洋の学を尊び伏して、そのコピ-を有難く拝領して学ぶだけの姿が目立っているからである。それが、すなわち、それは自己満足の骨頂であり、文化度の高揚につながるものと感じて頑張って来たことなのである。それが、コピ-文化の国と揶揄され、軽蔑されて来た一昔前の姿であり、明治以来の日本の100年の姿なのである。

 

要するに、これが今までの100年の日本文明の普遍的な姿であり、その偽らぬ文明知の内容と言っても差しつかいないものであろう。

ところが、どう言う訳か、この西暦2000年あたりを境にして、事態は一変する方向に動き出して来ているように思われるのである。
 何となくであるが、知に於いても、少しづつではあるが、日本が世界のイニシァテ-ブを取り始めているような気がするのである。それも何となく世界の目は日本に向けられ、日本に興味を持ちながら、近づきつつあるような気がするのである。とみに最近そのようなことを強く感じるのであるが…!!。 如何であろうか…!!。

今まで、日本は世界に追い付け、世界に後れを取るなと言う言葉をスロ-ガンにしゃにむに頑張って来たのであるが、ここに来てホット一息ついたら、何のこと、いつの間にか事態は一変して世界が日本を頼りにしながら懸命に後をついて来ている状態に変わっているのである。

何となく、どことなくそのように感じるのであるが、それは私一人だけなのであろうか…!?。

 

昔から、山や野原で道に迷った時には、原点に戻って改めて出直すことが肝心と言われている。それと同じように人類の知が自然とは異なる方向に向かいつつあることが判った現在、それを糺すために一旦、文明発祥の時点まで戻って考えることが必要であり、肝心なことである。
 そのように考えを持ち始めた先端的な学者達は現在、神話、口伝、超古代文献あたりにそのための糸口(ヒント)を求めて懸命に探しているようであるが、恐らくその答となるものを見つけることは出来ないであろう。要するに、現代知を基にしていくら考えても答は見つかることはないと言うことである。

もし、その可能性を求めるならば、その場を日本に求めるべきである。なぜなら、そこには夥しい超古代文書の群が存在し、それらは現代常識ではとても御すことが出来ないものばかりだからである。 それらのすべては、ただ、ただ、無残に打ち捨てられたままであり、御用立てする者もいないのである。

今まで、西洋知の持ち主達は、これらの古代文献を荒唐無稽な作り話であるとか、意味のない愚な物語であるとか埒のあかないことを言ってただただ馬鹿にするだけであり、否定あるいは無視することで世間体をつくろうとするだけで、決して近寄ろうとはしなかったのである。

見るがよい、現在は科学、哲学などの人間知はもとより、政治、思想、あるいは経済等の人間知に由来するもの全てが完全に閉塞状態に陥って入るでは無いか…、まさに混乱の真最中と言ってもいい有様なのである…。 いったい、この状態は何時まで続くことやら…!!??。
 ここで誰かが人間知に対して何らかの不審を感じ、何処かに間違いがあるあるのではないかと疑問を持っても、それは一向に不思議はなことではない。

何故なら、あれほど強固で絶対と思われていた現代物理学でさえ、量子力学の出現により、今では古典物理と名を変え窓際に置かれている状態である。そこから慮れば「現代数学」も何時までも安閑としてはいられないはずである。でも、今はまだ現代知の優勢度に押され告発する者などは誰ももいない。
 しかし、そう遠くはない時に誰かが言い出すのは間違いないことであろう。今は、ただ、ただ、待ち続けるだけである。

 

確かに、「現代数学」における数の概念はそれほど強固で揺るぎないものと思われて来たものであり、それ故に、今になって「現代数学」は真実を語るものではないなどと否定すれば、恐らくは、身の程知らずと罵倒され、誰にも相手にされ無いことは火を見るより明らかである。
 ひょっとすると、世間からつまはじきを受けて明日からの口糊さえもままならぬような状態にも陥るかもしれない。しかし、それも止むを得ない。

しかし、私は敢えてやらなければならない、何故なら、さかしいようであるが、人類の未来のために、人々の心をユ-トピァに導くためのここ一番の切り札を私は持っているからである…!!。これは大義名分の御旗であり、「神の数学」の真髄のほとばしりの一切の仔細であり、永遠の仔細と言うものである。 
 あなた方がいくら頑張っても「10進法」と言う計算法を用いている限りは、自然の秘密は決して解くことは叶わず、永遠に時を無駄にし続けるだけである。また、それを用いている限り、いくら頑張っても自然の秘密のヴェ-ルの内側を覗くことなどは決して出来ないと言うことである。

その意味で、今回からは人間の作った「10進法」の誤りを徹底的に追及して見たいと思う。せめて直感的な確かな目を持った方々にでも巡り合うことが出来ればまことに幸甚であり、私の心も高なって、希望を持ちながら容易にそれらを楽々と解き放つことが出来るであろうし、また、心も休まるはずである。  しかし、逆に無関心と白眼視が目につけば心は私の心は萎え、しどろもどろになって手を休めてしまい、講義も休むことにもなるであろう。要は「現代数学」と「自然の象」の間には何らかの関連と言うものが、一切が見られないこと、それが一番の問題なのである。

 

要するに、今回の「神の数学」は今までのように数の計算を経て答を出して、その検証に走るものではない。ただ、自然数の計算を経て答を出し、それを確かな目と純な心で眺めるだけでいいのであり、その姿を追い、見つめればいいだけなのである。
 要するに、そこに現われた計算答の「神の数学の数の作られ方」と「10進法による答」の姿を見比べるだけであり、ただ眺めるだけでいいのである。 それがすべてであり、それで終わりなのである。,

ここで最も必要なのは、数学的な知ではなく、緻密な目と真実に対する審美眼、そして素直な心と冴えたる直感的な能力なのである。
 何故ならば、自然の数学は素直でありながら緻密に創られていて、直感と感動を伴いながら学ぶことが出来るからである。

要するに、そのためには、自然の中に存在する秩序や調和を見通すだけの大胆で繊細な目と、それを直感的に感じられるかどうかと言うことに尽きるからである。また、それを解き放った場合に、大いなる感動,や、満足感、すなわち、心の同調性と言うものが伴うことになるのである。

ハッキリ言えば、、人間の知などの曖昧なものはいらない、本来、必要なのは自然一般の真実を見通すための素直な目であり、直な心があればいいのである。それと共に感動が伴えば的を射たものと言ってもいいであろう。
 そのあたりの事情は答を見比べている中に追々判って来るはずである。そのためには、ただただ、素直に考えるだけであり、素直に見るだけでいいのである。

 
 さてさて、今月も言葉による説明だけで、肝心な「数の話し」」には至らずに過ごしてしまっいた、大いに悔いは残る。残念至極である…!!!。
 来月こそは肝心の「神算法」について最初から申し上げるつもりではいる。 あなた方に単なる与太話で済ませては、甚だ申し訳ないと思うからである。

 是非、心気一転、次回こそ驚くべき「数の仕組み」を学んでいただくので、粗相の無いように準備一端をしっかりと整えておくつもりである。
 では、快く、次の月を待っていてもらいたい、決して、落胆などはさせないつもりであるが…!!。



 
 


       『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その

         令和2年月上載


  さて、さて、未だに私の魂は疲労から完全に回復はしてはいない、今までは一気に、魂が枯れ果て、気力が失われて半ば、廃人のような心地であった。
 要するに、これが年老えたと言う兆候なのであろう。私にとっても初めての経験である。なるほど、こんなものかと舌打ちしたくなる今日この頃である。

  さあ、気分転換の一序として、少々、私の愚痴や、更には「神の数学」の回顧録と言うものでも、しばし、少しづつ書かせて戴こう。
 意味の無いもの、あるいは気持ちにそぐわないものと思うならば、飛ばしてもらって本文に入って下さってもも結構である。

最近、日本人は英語等の外国語の覚え方が中々出来ないとトツクニ(外国)の痴れ者達に笑われているが、それは当たり前である。何故ならば、日本語こそ人類最初の言葉であり、世界中で最も合理的、合法的な言葉と言えるものだからであるから…!!。 その証拠が世界には2000種以上の言語が存在するが、日本語と同じル—ツを持つような言語は皆無なのである。 強いて探せと言うならば、紀元前3500年前に東ヨ-ロッパに現れたシュメ-ル文明であり、メソポタミア文明の初めに繁栄したのが、このシュメール文明である。彼等は紀元前2000年頃、突然姿を消してしまったとも言われている民族であり、歴史上では彼等、シュメ-ル人達の一部は日本に渡ったとも言われていることを知ってもらいたい。その証拠となるものが、あ地中海に花開いたミケ-ネ文明であり、その遺跡から発見されたあの有名な古代円盤の文字はすべて日本語で読み解かれていると言う事実である。


 それが、本来の歴史上の語りであり、我々日本民族こそが古代世界の雄であったのである。要するに、無理に外国語を覚えなくとも彼等ヨ-ロッパの人々が上手に日本語を覚えてくれるはずであるからと、 日本民族の魂達、すなわち、民族のDNAが密かにそう囁いているのである。
 よく考えて見ると、彼ら、ヨ-ロッパ系の人々の日本語の発音は甚だ流暢であり、大変、綺麗な発音である。それに比べると、中国や朝鮮系の人々の発音は20年経っても、30年経っても一向に進歩してはいない。恐らくは舌の動作が余り芳しくないと言う人種的な差異から来ているのであろう。すなわち、それは人種的にまったく違うものであることを証明しているものであろう。  でも、人のいい日本人は誰もそんなことは言わない…!、思うこともない…!!。

  その証拠に、西洋の若者たちは、今まで難しいと言われていた日本語を割合簡単に自分一人で覚えて、日本に来て日本人相手に上手な発音で日本語を話しているではないか中には少々アクセントが変な者も見受けられるが、それは、それはそれで愛嬌があって、とても微笑ましい限りである。
 彼等は大変難しいと思って始めたのであるが、そうでもなかったと口を揃えて言っているようである。

笑ってしまうことに、彼等は漫画や日本のアニメ映画などで日本語を覚えて来たと言っているのであり、一人で学習したと言っているのである。

それに比べれば、日本の若者は、殆どが、中、高、大学で6年~10年間、何時もみっちりと英語の教育を受け、試験、試験で練られて来て頑張ってきているはずである。しかし、哀れにも殆どは外国人との会話も出来ない状態であり、まさに中途半端な状態もいいところである。何か、おかしい、何か、変である。 今では、中学校では外国の英語教師を雇って教えているようであるが、あまり効果も無いようである。何か、おかしい、何か、変である。

 でも、誰もそこにある矛盾には気がつくことも無く、相も変わらず同じょうな教育を施しているのである。これまたおかしい話しであり、変な話である。いや、そのあたりは確かにおかしい、まことに変である。そう思うのは私だけなのであろうか…!!!。

   いくら考えてもどこかが変であり、大きな矛盾がそこにはあると感じているのであるが、それは私だけなのであろうか!!!!!。

  いや、どう考えてもおかしい話であり、私には納得できない話である??????。

 ハイ、ハイ、本題に入ろう、大変、易しくて難しい問題、すなわち、すべては一桁の数の「足し算」と「引き算」の問題である。しかしながら、シッカリと腹帯を締め直して始めてもらいたい。
 馬鹿にしていると足元からひっくり返されることになり、身動きさえも出来なくなり、投げ出してしまうことになるのである。ご用心、ご用心…!!!。

     
 

  まずは手始めに、大分以前に紹介したことのある「神算法」と、その一部である「禊ぎ算」について改めて説明申し上げよう。

 そもそも「神算法」とはアメリカの砂漠地帯に墜落したUFOの中にあったもので、あの宇宙人の数学式である「システム オブ ナインズ」とまったく同じものであり、それはまた、古神道のし真髄である「カムナガラの道」の最初のくだりでもあるのである。それは、あの有名な古神道の奥儀祝詞の「ヒフミ天地の数歌」そのものであり、まったく同じものなのである。何と、この21世紀に来て、宇宙自然の理(ことわり)と太古の古神道の道が完全な一致を見せていると言うのである。 まさに驚木、桃ノ木である。

 要するに、それは「ヒフミ天地の数歌」は天地の理を「数と言う神の言葉」で表しているものであり、自然の真実の理とはすべて、この「カムナガラの道」の中にある数列が関係しているものと言っているのである。 改めて、言い直せば、天地自然の理は必ず因子として「カムナガラの道」の中の数列と関係しているものであり、それが真実か、それとも、まがいものかの一つの判定基準になると言うことである。要するに、これが私の言う「ネイチャ-スタンダ-ド」、すなわち「自然基準」と言うものである。
 試みに、現代数学の色々な数式、あるいは計算式を見て見るがよい、間違ってもこれら「カムナガラの道」の数列が現れることはない。
 それはすなわち、そこ、「現代数学」の用いている計算式と言うものの中には自然の真実を語っているものは何も無いと言うことになるのである。
 
 
 さあ、さて、この新たな数の計算式を世に出すことにより、地球上のすべての学者達を敵に回してしまったと言うことになるのであり、完全に孤立無縁の危機の状態になってしまった状態になったと言うことである。
 これで失地を挽回するにはあなた方の前に、本当のあるべき自然の計算法の存在を示し、あなた方の賛同を得なければならないと言うことである。

 でも、よく考えて見ると、余り悲観するようなことではない、大威張りで、私の本論を示せばいいのであり、簡単な話しである。

 ただし、最初はあなた方も戸惑うことではあろう、なんせ、これは人類の歴史始まって以来の大問題である、場合によっては人類の文明さえも変えてしまうような「数の真実」の出現であり、人知の理念さえもがらっっと変わってしまうものである。そのあたりを考えながら、ジックリと検証してもらいたい。

 しかし、あなた方は「真実の数理」というものをまったく知らないので、それを少しずつ伝えながら説明することになるので、少々時間がかかることは否めない。
 まずは、「数の持つ道理」と言うものから始めなければならないので、それが、少々厄介なのである。


   まずは「数の持つ道理」と言うものから解いて戴こうではないか…!?。まずは小学生程度の一桁の足し算と引き算問題から始めることにしょう。

 
 「カムナガラの道」、すなわち、「ヒフミ九九算」の中の数多の摩訶不思議な数の出現しているのであるが、、あなたはこれを何と見るのか…!!?。
  
 
       
  
〖『数の現われの不思議、不可思議〗


  しかしである、よく見ると、これらすべてには確たる調和と秩序があり、到底、無視などは出来ないものである。更によく調べると、何と、それは意味のある何事かを密かに囁いているのであり、何事かを我々に教えようとしていることがだんだんに判って来るのである…!!!!。 
 さて、さて、これはまさに、奇妙奇天烈な数の語りのお出ましであり、その「語り上げ」なのであるが、何と、それは我々を揺るぎ無い別天地に誘い、あるべき自然の真実を解き明かすための大いなる「知の種」となるものなのである。これらの「数の語り」を基本に置くことにより、我々は新たな「自然の在り方」の真実、いや、本来のあるべき「自然の姿」を知ることになり、「新しい叡智の世界」への第一歩を踏み出すことが可能になるのである。

「神算法」と≪(みそぎ)ぎ算の講義

≪概略編≫その1

 

さて、あなた方、現代人の誰も知らない「禊ぎ算」の講義をそろそろ語り申そう。

「禊ぎ算」とは「神の数学」の「神算法」の一部であり、自然の理を知るためには絶対的に必要なものである。それを「現代数学」は知らないゆえに難渋しているのである。

  その「神算法」を極めるためのいい教材がこの古神道の神髄である大祝詞「カムナガラの道」であり、その最初の文句である祝詞の「ヒフミ天地の数歌」のあどけない姿なのである。この3歳の稚児でも知っている「1,2,3,4……」の文句の正体は誰も知らないものであり、「世界最高の秘密を持っている数」と言っても決して、過言ではないものである。かっては、この数を最高の極め文句としていた日本の古神道は外国の宗教家達にとっては一種の笑いの種となっていたのであり、その挙句、子供でも知っている「123……」の数を国の最高宗教である神道の奥儀祝詞として崇めているとは一体、何事か、恥を知りなさい、と散々言われて来たのである。 あなたが普通の人なら同じように思うはずである。

 

そう言ってもあなた方の殆どは「カムナガラの道」を知らないはずであり、聞いたことも無いはずである。そもそも「カムナガラの道」とは、神々の持つ自然叡智を、恭しくも歌い上げている古代日本の「叡智の宝」であり、かしこくも、神道の根源とも言ってもいいものである。

しかし、その本当の正体を知る者は誰もいない、いや、その存在さえも誰も知らないのである。

 

恐らく「神々」は言うであろう…、何と言う恥知らずであり、何と言う恩知らずの呆れ果てた人々なのであろうか、それでもあなた方は日本民族のDNAを持っている子孫なのかと…!!。 

遥かな昔から、あなた方日本人は家族の無事を祈って、先祖代々、神棚に奉納して、毎日懸命に礼拝し、柏手を打っていたご本尊こそが、この「カムナガラの道」であり、同時に、それは日本神道の神髄であり、その大元締めと言うものなのである。そこをシッカリわきまえることである。

ただし、今では完全に骸(むくろ)と化し、単なる白紙のお札(フダ)となって、神の名を留(とど)めながら神棚に眠っているだけの存在ではあるが…!!!。

遥か昔に、それはちゃんと筋の通った本体として立派に機能を果たし、人々の大いなる信頼を得て日本民族と共に栄えて来たものなのである。

 試みに、辞書を引くがいい、そこには間違いなく次のように出ているはずである。


「カムナガラの道」
……

 ≪
神代から伝わって来ている神慮(神の心)のままで、人為(人間の手)を加えてはいない日本固有の道≫ 

 

要するに、それは宇宙自然がつくりあげた天然自然の本来の律理であり、人類発生する前から、既に存在していた天地の法則理の存在を声高らかに謳っているものである。

ただし、残念なことに、我々の祖達は、自然の災害や抗争、あるいは他民族の襲来の度の隠匿などにより、少しずつ失われ、とうとう長い間には、すべては時のはざまに失われてしまい、挙句の果て、人々の心からはすっかり忘れ去られてしまったのである。

このようにして、日本民族にとっては大切なご本尊、すなわち、精神的支柱である「日本の叡智魂」をすっかりを失われ、本来の神道の「あるべき真髄」の姿は身を隠してしまったのである。それ以降は大陸や西洋などの外国の魂に身をゆだね、半ば精神的な奴隷となって右往左往の状態が続き、今、やっと目覚めようとしているのである。恐らく、今後は当分の間、日本主導の世の中になるのであり、日本が全面的に世界の模範となることであろう。

 

それについての馬鹿ばかしい話、信じられない話を真面目に申し上げなければならない、ハッキリ言って私自身も余りの不可思議さに、今でも首をかしげているばかりである。まあ、この話は私自身の評判を落とすだけであり、決して褒められるようなものでは無い、しかし、真実はあくまでも真実なので、ここに語り申さなければならないと思い、敢えて真面目に書き記すことにしたのである。のである。まあ、笑いたければ大笑いするがよかろう、。

 

確か、1990年代に、私の下に起こった、あの不可解な現象と共に再びこの世に姿を現わしたのが、なんと、この「カムナガラの道」なのである。

それ以来、10年の長きにわたって、私は「カムナガラの道」に取り憑かれ、半ば奴隷のような状態になって頭に浮かんで来る全然知る由もない不可思議な「数の語り」の数々を、毎晩、8時から午前1時頃まで狂ったように大冊のノートに筆記で書き記す羽目になったのである。
 
 恐らく、それら現代人の知らない「数の語り」は全部では100項目くらいはあるはずである。それらすべては私の書斎にあり、来宅する方々の供覧出来るようになっている。まあ、ペ-ジにすれば約2000ぺ-ジ、すなわち、広辞苑と同じくらいのぺ-ジをもっているのではなかろうか……。
 その中からランダムに選んだものが、私の「神の数学」と名ずけて「インタ-ネット」に上載しているものであり、約10年間毎月欠かさず上げているものである。恐らく、それらは全体の数分の1くらいであろう。今では、哀れ、その殆どがインタ-ネット上に棲息する虫に食われ、ボロボロの状態で見るに堪えないものとなっている。何と、虫類は「数」と「図」が好みのようで綺麗に食われてしまい、、残された文章だけが無残な形で晒されているだけである。
 要するに、肝心な「数式」や「数図」が完全以消えてしまっているのである……!!!!!。 何ということであろうか……!!!!!。 
 
 
 それから、もはや、30年余である、しかし今でも、その呪縛から解き放たれることはない、相も変わらず「数の道」の中で呻吟を繰り返しながら、飽くなき、探求を続けている毎日である。それでいて毎日が楽しくて仕方が無いのである。これも一つの与えらことれた修行の道なのであろう。
 そう思って、、一瞬、一瞬の世の移り変わりを横目で見て見て、余りの素晴らしさに声を上げながら楽しみ、また、毒図きながら面白くおかしく毎日を過ごしているような今日この頃である。
 

 (しかし、その楽しい毎日の後遺症もある。それは85歳になった今でも続いている、約30年前から就寝は夜中の1時であり、丑三つ時に近い時刻に近い時刻である。しかも、朝の目覚めも、夜の眠りも、まことに自然であり、快活そのものである。
 それに私には昼寝とか、うたた寝等の経験は一切ない。また、老人にはありがちな用便などで夜中に起きたこと等も無い。 ただ、ひとつ困ったことは、出るべきものが出ないのである。
 食事は一日2食であり、シッカリ食べている、しかし、いくら、頑張っても、出るものは1ヶ月に1回あればいいところであり、量もほんの少々である。
 医者にも診て貰っている、機械で胃や腸を調べても、何も溜まってはいない、触診でも異常なしであり、お腹もげっそりと凹んでいる。まさに不思議としか言いようがない。
 体もすこぶる元気であり気力も十分である。 一体、私の身には何が起こっているのであろうか……!!!、甚だ、摩訶不思議であり、不思議千万である。あまり人には言えない尾篭な話ではあるが…。
 昵懇な秋山佳胤氏、不食で有名な御仁であるが、その顔の輝きから見ると別に心配することではないと、何時も笑いで一蹴されている。 
  ハ—、ハ-ハ—……!!。

  
 さて、さて、更に、話は続く、私の手書きの状態を見かねた、パソコンを仕事に用いていた横浜の友人からパソコンを勧められ、見ょう見まねでパソコンを覚え始めたのである。また、その友人も1週間 泊まり込みで教えてくれたので、割合早く覚えることができたと思う。

 先程、不可解な言動の下に現れたのが、「カムナガラの道」であると申し上げたが、その経緯をかいつまんで説明して見よう。それは以下の通りである。まあ、余り信じられない方は、適当に流しながら読んでもらいたい。何故なら、現在でも、私自身、今でも半分信じられない気持ちであり、そんなバカなことはあるはずが無いと今でも思っているからである。

 

 それは突然に起きた、確か私が、50歳を少々過ぎた頃である、ある日の午前中、

 トイレのノブに手をかけようとしていた時である、突然、まわりのすべてのものが金色の光芒を伴って光り輝き始めたのである。いや、違う、すべてのものが黄金の強い光を放ち、煌々と輝き始めたと言うのが正しいのかも知れない。とにかく、目に見えるモノすべてが、明るく強烈な黄金の色を天に向かって放ちながら、輝き始めたのである。それも間を置かず瞬間的な発生現象であったのである。

 その時、私はと言うと、完全に恐怖で体も心も麻痺し、動くことさえままならず、半分錯乱に陥った状態で、声を上げることさえも出来なかったのである。

 それが何分くらいだったのか、判らない、不意に光芒は色を失い、次第、次第に消え失せて普段の状態に戻って来たのである。と同時に、不意に右横手上の壁際から黒っぽい目の粗い網状のものがスルスルと降りて来て、その上には一枚の新聞紙が乗っているのに気がついたのである。

 その距離は約、2メトル50センチくらいであり、当然、書いてある文字は読めるはずはない、しかし、その時は不思議にも新聞面の細かい文字までハッキリと読むことが出来たのである。ある程度、暗いのであるが、それでもハッキリ読めたのである。

それは恐らく、その新聞紙が眼前に近寄って来たのか、それとも、私の目玉がそこまで伸びて行って文字を捕らえたかのどちらかである。そのあたりのことは、いくら考えても皆目不明であり、現在でも、説明が出来かねるものである。

 本当はこのような変なことは言うべきではないことは重々承知しているのであるが、とにかく、私のところに来る人々は,どういう訳か、この次第を聞きたがるのであり、その次第には首をひねって、考え込んでいるのである。。

 今では、その網状のものに乗って現れた、あの新聞記事の内容についてはあまり記憶はなく、多分、昭和一桁あたりの市井の出来事の記事であり、何か、犯罪事件のことを報じたものであったとの記憶があるだけである。思わず、次の記事に目を移そうと思った時にすべては瞬時に消え失せて、元の状態に戻ってしまったのである。

 あれよ、あれよと思っていると、その黒い網が消えると同時に、間もなく、次には金色の網状なものに乗ったものが静々と現れて来たのである。

はて、何であろうかと、ぐいと身を乗り出して見ると、それは数字の羅列であり、何やら、沢山の数字が光りを発している一つの「数図」がおもむろに現れて来たのである。何も知らない私は不思議な数図であると思って、見つめていると、間もなく,少しづつ薄くなり始め、スッと消えてしまったのである。

 

私も、その出現時にはアワをくっていたので、最初の2~3行は覚えていたが、残念ながら、すべてを覚えるまでには至らなかったのである。

が、不思議なことに、夜になって改めて机に向かうと、頭の中にその映像がハッキリと浮かび始めたので、そのすべてを完全に写し終えることが出来たのである。ただし、これら頭の中のすべてを書き写し終えるのには約、10年間かかったのである。

しかも面白いことに、それを書き写すだけではなく、それと同時に不思議にも、色々なその数字の解き方さえも次々と頭に浮かび、面白いように解くことが出来たことも付け加えておきたい。その結果、私は、それを「宇宙次元原理表」名付け、そこにある内容を面白半分に片っ端から紐解き始め、それを出来るだけノートに記し始めたのである。

まあ、どういう訳か、他のすべての答えも面白いように判り、すらすらと筆も進み、次々と見知らぬ数式で大判の帳面が次々と満杯になっていったのである。その時は確か、時間なんては無かったような気がするのであるが…!!!。

そのすべては初めて見るものではあるが、しかし、懐かしさが十分い感じられるものなのである。

その上、難なく、すらすらと答えが見つかり、面白いように次々と帳面が一杯になるのである。

今になって見れば、まことに不思議な話ではあり、信じられない話である。

そのことに関して、後日、友人の実藤遠氏(理学博士・大学教授)は、これらの不可思議な事件に関して、恐らくは、宇宙の全知識を詰め込んだ図書館と言われているアカシック・レコードにアクセスしたと思われると言った言葉を改めて思い出すのであるが…!!。そう思わなければ、どうしても私自身も説明がつかないのである。

 

そこで、その友人勧めでインターネットのサイトの登録し、「神の数学」と題して流し始めたのである。結果は散々たる有様であり、閲覧者も殆どいなかった。

それはそうであろう、まだ、誰も言ってはいない20年前に、素性の知れない素人が「我々の世界は9次元で作られている」、とか、「アインシタインの相対性原理は間違いである」「宇宙次元(時空)の本質は0である」……、 などと、とんでもないことを語り出したのである、まあ、恐らくは狂人扱いであり、とても真っ向には相手には出来ないと思われたのであろう。 しかし、これらは、今では誰でも知っている事実なのである。


最初の中は、2日か、3日に1人くらいの閲覧であり、それでもその中に年々、相手にしてくれる御仁達は増え続け、応援するようなサイトも徐々に現れてくるようになったのである。

私が最初に名付けた「宇宙次元原理表」を仲間達は、「ヒフミ九九算表」と呼び始めたので、私も面白半分にその名をとって呼び始めたのであるが、しかし、今から数年前に、ある古神道研究者から、これはどうもあの失われてしまったあの「カムナガラの道」であり、古い昔には民間で古神道の神髄と言われていた「太祝詞(ふとのりと)」とまったく同じものであろうと有難い指摘を受けたので、現在、私自身も「カムナガラの道」と呼んで、その内容とその詳細を調べて皆さんに披露かたがた報告している次第なのである。

 

それがすなわち、インタ―ネツトのサイトにある「神の数学」の語りの一切であり、まったく隠すことの無い不思議極まりない「数の物語」のすべての次第なのである。 考えて見ると、インタ—ネットに上載してからもう10年以上も経つのである。

あなたが興味を持つならば、是非、調べて、一応、内容を把握してもらいたい。すべては、信じられないような「数の不思議な業」の話しで一杯である。

そこにある絶対的な「神の秘儀」の秘密は驚くべきものであり、遥かなる古代日本民族が持っていた「数の秘密」の一切を語っているものなのである。

それは、まさに前代未聞のものであり、人類の持つ知を根本から変えてしまうようなものでもある。いわば、それらは日本民族の「知の宝」とも言うべきものであり、現代知のすべてを書き換えてしまうようなものである。

 それは調べれば、調べるほど、驚くような事実を語り始めたのであり、それと共に、何と、「現代数学」の欠陥と言うものを指摘しながら、驚くべき「自然数学」の存在についてまでも朗々と語り始めているのである。

それが、すなわち、「自然界にはマイナス数と言うものはまったく存在せず、すべてはプラス数で処理しなければならないものである」であるとの言葉であり、「自然界を語るには加算、減算、それに比があればすべては済むのである」とその計算法さえもシッカリと理路整然とした形で披露しているなのである…!!!。

 

また、その頃、たまたま手にした物理学の本に、次のようなことが載っていたのも気を強くした一因でもあった、すなわち、有名なイギリスの宇宙物理学者であるロジャー・ペンローズは「宇宙の物理象の本質の計算には足し算、引き算、比だけが必要であり、他はまったく必要ではない」との話であり、それは、まさに、私の「神の数学」の計算法と完全に一致していることが判ったのである。

 

まさに、それが私の言う「神算法」であったのであり、いわば、それは宇宙人の用いているあの「システム オブ ナインズ」とまったく同じ算法でもあり、驚くべき、効能を持った自然の数学体系そのものでもあったのである。

それには、大変驚いたことは言うまでもない、その驚きを克服して平静になるまでには半年くらいかかり、そこには誰も知らない、未曾有の計算式が次々と誕生して来ているのである。
 それらは現代人の誰も知らない計算式であり、まったく、矛盾の無い自然の計算法と言うものなのである。

恐らくは、この自然数学による計算式を用いた計算による答え、すなわち、僅か一桁だけの加算や減算でも、あなた方には正しい答えを出すことなどは出来ないはずである。要するに、完全に我々の用いている10進法とは異なるものであり、したがって計算法も異なった計算形態をを持っているのである。また、すべては自然体であり、十分な合理性と言うものを持っているものである。

確かに、あなた方は西洋式の演算、すなわち現代数学的な計算では答えを出すことが出来るのであるが、それは宇宙自然的な自然演算法の答えとはまったく程遠いもので、本来のあるべき正しい自然の答えではないものである。

 

さあ、試みとして、ここに一桁の加算式と減算式をサンプルとして掲示して置くので、解いて見て欲しい。これらすべては「ヒフミ九九算表」の中にある甚だ簡単な数の計算の形であり、すべては小学生でも出来るような簡単な問題ばかりである。

でも、馬鹿にすることは禁物なことは言うまでもない。恐らく、あなた方の90%は余程頭を捻らなければこの意味を解くことは出来ず、そこにある正しい意味と言うものを掴むことなどはどうあっても出来ないと思われるのであるが…!!!。

 

これらは単なる、たった一桁の数の加算と減算である、言って見れば、小学1,2年程度の易しい計算の問題と言えるものであるが、権威ある数学者達でもまったく歯がたたないものであろう。

 是非、挑んでみてもらいたい、その際は、既存概念は傍らに置いて、無心な状態で取り掛かってもらいたい。

さあ、時間などはいくらかかってもいいではないか、とにかく、この易しい一桁の数式を解き明かさない限り、今後、人類は100年も、200年も現代数学の下で悩み、もがき苦しみながら、のたうち回ることになるのである。



 
誰も知らない「神算法」と「禊ぎ算」と言う計算法(自然算法)を解き明かそう。 【その1

 まずは、基本中の基本である「ヒフミ九九算表」の数列を用いての簡単な出題から…!!

 
 
≪この世≫すなわち、「ヒフミ九九算表」の中心線から上の計算手法とその答え
である

さあ、さあ、考えて戴こう、たった一桁の自然数学式における加算と減算であるが、果たして、あなた方の手には負えるであろうか、それともまったく負えないものなのであろうか…。


 〔1〕 下の計算式は足し算であり、隣り合った二つの数を加算したものである。さあ、それらの答えを出していただこう。 さて、出来るかな…!!??。




  
 〔2〕 次の計算式は単なる一桁の引き算であり、
隣り合った二つの数を減算(引き算)したものである。さあ、それらの続きの答えを出していただこう。 さて、出来るかな…!!??。
 
 
とにかく、考えて見ることであり、素直に「数の流れ」を見ることである。

   

 
  ここには目を見張るばかりの「数の秩序」の真実が渦巻いて、あなた方に「真実の数の在り方」を指し示しているのであるが、「現代数学」に慣れ親しんでいるあなた方には一切が奇妙に感じ、はてな…!!と感じるだけで、ここにある真実を追求する御仁は誰もいないであろう。
 もし、ここであなたの目が光り、追及に乗り出すならば、恐らくは、大きな知の収穫を得ることになり、凡人と言う名から脱出することが出来るのである。
 要するに、あなたは一気に非凡な界の住人となり、人知未踏の「真実真理のハンタ-」として大いに腕を振るうことになると言うことである。
  まあ、恐らくは一生に一度のチャンスであり、2度とは来ない大チャンスである。大いに悩み、大いに苦しむがよかろう、それが、あなたの巡り合わせであり、宿命と思い、思考の汗を流して考えてもらいたい。何故ならば、それがあなたを異次元の思考世界に飛ばしてくれるキ-・ストンとなるものであるからである。

 さて、考えて見ると、本来の「九九算」としては当然な「数」の流れではあるが、あなたにはこの流れがお判りになるであろうか…!!!。自然数の流れから見ても、すべては当たり前の序を示しているものものであり、疑問に思うことは何もない。すべては自然に沿った当然な数の流れであり、まさに、「神」の意志を持っている数の流れの実体が、ここには現れているのである。

 恐らくは、これらの順序だった数の並びの出現から見ると、我々の知らない何らかの「神の秘儀」の存在を囁いているのであろう、心して、ジックリと考えて見て欲しい。とにかく、既存の知は傍らに置いといて、心を無にしてから始めることである。

 例えばである、「カムナガラの道」の表を覗いて見ると前半の5つの数列は左から右へと流れている、しかし、6番目から始まる後半の5つの数列は逆に右から左えと流れる逆な流れの数列が出現し、完全に断絶状態な反対の形の数の群れが現れているのであり、その事実は誰にでも判ろうと言うものである。果たして、その意味するところは何だろうか……!?。
 
 しかしである、これらの「数」が告げていることをシッカリと見てみることが大切である。何故ならば、これらは断絶ではなく、完全に連続しているものであると「数」は囁いているからである。!!!。
 
 あなたにはその意味がお判りであろうか、まさに不可思議なことではあるが、「数」は明らかに真実を告げていることはお判りになるであろう…!!。

 その証明がこの減算の答えであり、それは12345678…となる縦の流れであり、正しく順を追って流れることにより、、完全な連続体であることをハッキリと証言しているのである。
 そこで考えるのである、その数の語りに隠されている本当の意味と言うものを…、一たい何だろう それは………!!!。
 
 ジックリと考えるがいい、すべてはたった一桁の簡単な計算であり、あなた方が日ごろ馬鹿にしているような計算式なのであるが、恐らくは、あなた方の心の中にはいくらかの戸惑いと恐れが生じてはいるはずであろう、如何かな…??。



 見るがいい、縦に流れるすべては整った数の流れとなって、正常な形で滔々と流れて、何かを囁いているのである…!!!。
 上記の「足し算」においては、数の流れのすべては「カムナガラの道」の数列そのものが現れ、また、何と、「引き算」においては、すべては同一数の現れ(アマテラス数)となって完全な秩序を示しながら堂々と流れているのである。しかも、縦の数は012345678…と秩序をもって流れる「ヒフミ天地の数」の姿が現れ、そこには一切断絶は無いことを歌っているのである。
 
 要するに、同一数の表われとは、すなわち、「カムナガラの道」の最上段にある「00000…の群れ」と同格な数列であることを意味するものであり、また、それは「カムナガラの道」の中では最高位の数列であることを意味するものでもある。
 ここにあるすべての数の答えは最高の数列である「アマテラス数列」で表され、大変重要な基本的で、かつ重大な自然の仕組み、すなわち、自然のあるべき本当の姿を描いている大切なものであることを教えているものである。

 さて、さて、ここで、その「数」の足跡を辿ってみることにしょう、すべての自然の基本は完結循環態であり、それは単純な形で表せば、「円」であり、その仲間である「楕円」や、「四角形」等である。その円、あるいは四角形が真ん中から180度捻じれてメビュース状態になり、それと同時に、その中の流れがそのまま相対的に反転してしまったもの、それが宇宙であり、自然宇宙の姿であると、この「カムナガラの道」「は囁いているのである。同時に、その相対的に反転した世界こそが「陰の世界」、「陽の世界」、すなわち、我々の言う「あの世」と「この世」となったのであるとも「数」は言っているのである。


 
言い遅れたが、この引き算の場合に現れるまったく同一な数の群れに対しては、「神の数学」では数列上最高の数列として「アマテラス数列」の称号を私は与えているのであり、更に、その下に位置するものとしては、「ひふみ数列」や「ソルフェジオ数列」などがある。ちなみに、「ひふみ数列」は「ソルフェジオ数列」よりは上の存在であり、共に本質は0の存在である。それらもまた、何事かを懸命に囁いているのであるが、知の基盤が異なる我々の耳には少しも聞こえることはないのである。また、「カムナガラの道」の中のすべての数列は循環態にすると、すべてが「ソルフェジオ数列」で成り立っていることが判るはずである。

要するに、数列にも確かな「格」と言うものがあり、ハッキリとした序を持って存在しているのであるが、その事実ををまったく知らないのが現代数学なのである。
 すなわち、数列にも、それぞれの位(くらい)が有って、ハッキリした秩序をもちながら順を追って厳しい姿で並んでいるのである。それが「数序」であり、「数の律」と言うものである。 まずは、そのこと知らなければならないのであり、学ばなければならないのである。

 

 さて、さて、これが問題の「神算法」と言う「神の計算法(自然の計算法)」であり、自然の本質を検証するためには絶対的に必要な計算手法である。それは現代数学のよう「物質欲望的」な計算答えとは雲泥の違いを持っているものであり、自然的な秩序と公平さを持っているものである。そのあたりのことに是非とも、気がついてもらいたい。

 さて、あなた方には、是非とも一気呵成に解いてもらいたいものであるが…!!?
 
 これらは「神の数学」の基本中の基本であり、これが解らなければ「自然の理」を解することは出来ないと考えてもらいたい……!!!!!。
 
 今回はここまでとして、後は、あなた方からの吉報を待っているだけである。 是非ともジックリと考えた上で十分な調査と検証をお願いしたい。

 果たして、お判りになるであろうか…!!?。   いわばこれは人類の未来を賭けた一つの分かれ道の道標(みちしるべ)となるものである。

 では,ご奮闘をお祈り申し上げる。 あなた次第で世の中が180度変わるのであり、それは新しい次元世界にの玄関口に立てると言うことでもある。

                                                                   (今月はこれで完、夏休み)


 

 『神の数学』

不思議な不思議な「数」の物語

令和編「その

         令和2年10月上載

  
 さて、さて、あなた方はポカ-ンと口を開けただけで閉める術も無いような有様であろう。何故ならば、「神の数学」はそれほど、現代数学に衝撃を与えるモノであり、数学の概念、すなわち、「数」に対する考え方を根本から変えてしまうものであるからである。と同時に、更には「神の存在」さえも彷彿ではあるが、浮かび上がらせ、考えさせることにもなるからである。要するに、それは今までの西洋科学学問の在り方さえも完全に変え、新たな日本発の二十一世紀文明の「カミナガラの文明」の幕が開かれることを密かに囁き、あなたを新天地に誘おうとしているのである。

 現在、世界を牛耳っている文明は、明らかに西洋文明であり、「神無し文明」である。二十一世紀を迎えた現在、「神無し文明」である西洋文明がまき散らした様々な矛盾、それによる文明の危機の多発や環境の悪化、すなわち、天候異変やそれに伴う生物種の減少、更には、人間世界における人種紛争や地域紛争、これから起こるであろう水不足、食糧不足等が更なる拍車をかけながら、我々に迫ってこようとしているのである。

 恐らく、このままの現代文明の真直(しんちょく)が進めば、あと何年ももたないであろう。多分、20年か、30年で文明は滅び去るであろう、と学者達は計算している。それは水不足と食料不足による大きな争いが起き、現代文明は自らの手でお互いを滅ぼし合うと言うことになるのである。
 それを救うのは「神」に一番近い所にいる「神あり文明」である日本文明、すなわち、世界で最古の歴史を持つ「カムナガラ文明」しかないのである。
 何故ならば、「神無し文明」と対極位置にいるのが「神あり文明」の日本文明であり、一万6千年以上の歴史を有する偉大な歴史を持つ国であるからである。
 要するに、自然と対決するのが「西洋文明」ならば、自然と共存共栄しようとしているのが「カミナガラ文明」であり、「日本文明」なのである。
 
 昔は、日本文明は自然や神と共に生きる原始的なアミニズム文明であり、最も稚拙な文明であると散々軽口をたたかれた時もあったが、それは「神無し文明」である西洋文明の早とちりであり、勇み足であったのである。それを証するものがすなわち、『「現在の文明の危機状態を救うことの出来るのは、「日本文明」以外には無い』、と言う内外の多くの識者たちの意見である。

 要するに、世の中の動きは物質中心主義から精神中心主義へと軸足が変わりつつのであり、今までの「奪い合い」から「分かち合い」にかわろうとしているのである。要するに、本来のあるべき「原点」に,これから帰ろうとしているのである。それが、すなわち、日本民族の持っていた魂の原点であり、アミニズムの本来の意味なのである。また、同時に、それはすなわち、古神道の神髄であり、「カムナガラの道」の本来の姿でと言うものでもあるのである。
 
 現在の日本は昔のことなどはすっかり忘れ、西洋文明の虜となり、手足となって世界に尽くそうと頑張っているのであるが、如何にせん、元来の主義、主張とは基盤が甚だ異なっているので、中々、思うようにはいかないあ有様である。要するに、尽くせば、尽くすほど西洋文明とのギァップが目立ってくるのであり、心の葛藤が増してくる有様なのである。

 あの大天才科学者であるアインシュタイン博士も言っていたではないか、「これからの世界の盟主なるものは武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古くて、尊い家柄でなければならない。 世界の文明はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峰、日本に立ち戻ラねばならない。われわれは「神」に感謝する、我々に日本と言う尊い国をつくっておいてくれたことを」 と ……!!!!!


 今や、日本が世界を必要としている以上に、世界は日本を必要としている、それが現在の世界の情勢なのである。それは世界における日本の評判を見ればよく判るはずである。これからは日本が世界を引っ張る牽引車として、真っ先に立って行くことが必要になる時代が必ず来ると言うことである。

 あなた方日本人よ、誇りと自信を持ってこれからの混沌としている道なき道を進まなければならないのである、それが与えられた運命なのであるから。……!!!。
 現に、世界中の人々は日本の心を学ぼうとして、日本を目指して大勢来ているのであり、特に若者たちは独学で日本語を学んで流暢に日本語を操り、日本人の忘れ去ってしまった「日本の心」を探し求めて全国各地を行脚しているのである。これらは無意識が導く予報的な現象であり、一つの無意識による日本調査現象とも言えるものであろう。 これをあなた方は何と見るのであろうか……!!。
 

 
 さてさて、私の「心の思い」の紹介はこのくらいにして、再び「神の数学」に戻り、出来る限り「数」に教えを乞おうではない。なんせ、「神の数学」の基本概念は現代数学とはまったく異なる゚のであり、考えれば、考えるほど、不可解の闇に引き込まれて、ただ悶えるだけで終わりかねないものであるから……!!。
 しかし、考えて行けば、その中に一条の光が射し込み、それが完全な昼光となってあなたを包んで見えない道もだんだんに見えて来ることになるもの
である。要するに、すべてはあなた方の心次第であり、努力次第と言ってもいいものなのである。
 
 要するに、これは現代数学のように「目に見える事象」を追いかけるような単純な数学概念ではなく、見えないものを見える化して、そこにある基本概念を探し出そうとするものであり、いわば、「数理哲学」、あるいは「哲理数学」と言うべきものかも知れない。
 賢(さか)しき、あなた方、古代史に精通しているあなた方は、あのギリシャの鉄人、プラトンが述べた話し、すなわち、遥か紀元前に科学の使い方を誤って、海底に没したアトランチス大文明が持っていた数哲理学(数学+哲学)のことはご存知であろう。 また、数の語りの偉大さ、その知の素晴らしさについては日本の超古代史である「先代旧事本紀(西暦800年あたりに書かれたもの)」にもシッカリ記され、あるべき数の本質や、その本義までも述べている事実があるのであり、更には、宇宙自然の理象律についても、そのすべてを「数」が知っていて、我々に教えてくれるもの、と、そこには記されているのである。
 
 そのあたりの詳細については、既に何回も述べたのであるが、ただ、あなた方は「そんなことはあるはずが無い」、「あまりにもひどい妄想である」として誰も問題にはしなかったのである。それは、まるで、知識の幼かった江戸時代の学者達や為政者たちの目とまったく同じものとも言うものであろう。
 それは要するに、江戸時代に港間に流れ出た、遥か昔の古代文献が余りにも「当時の知」としては高度過ぎて、理解不能、解釈不能なので、「とんでもない偽作」であるとして学者達は幕府に直訴して取り締まりを願い、幕府はそれらを発行禁止処分にして、関係者を罪人にしたと言う事実があったのである。 それと同じことが現在の世の中でも、平然と行われているのであり、並ある古代文献も塵(ちり)、芥(あくた)のように取り扱われているのである。
 それは、すなわち、、日本の歴史、すなわち、古代史に関しては、学者達はこの数百年間、一歩も進展していない、何ら、知識を得てはいないことを示すものであり、その明らかな証拠と言えるものであろう。
 何と、それから500年以上経った今でも、相も変わらず「日本の史書」であり、「神道における神典」であるとされているこれらの古代文献を無視するだけであり、誰も取り上げる者はいない状態である。彼等はただ、ただ、偽書、すなわち、後世の誰かが作り上げた偽りの書であるとして無視、放りぱなしであり、読もうともしないのである。甚だ嘆かわしい次第である……!!!。
 まさに、それは過去の学者達の目そのものであり、何ら、進歩は無かったと言ってもいいものであろう。
 
  しかし、シッカリ考えて見ると、今から500年前の江戸時代に、あのような現代の世界を上回るような歴史的な真実を書いた者が存在したと、仮に考えて見ただけでも、その事実の存在は空恐ろしいことであり、信じられないことなのである。しかし、いくら信じられなくとも、江戸時代にはこのような古代文献の存在が明らかにされて、学者達や、幕府の偉い人々をかき回していた事実がシッカリ残っているのである。要するに、信じられないような超知識を持った古代文明が存在していたことを告げている古代文献が江戸時代に既に存在し、人々の噂になっていたので、怪しからんもの、あり得ないものとして幕府は取り締まっていたと言う事実があると言うことである。

 しかるに、何と言うこと、それら古代文献の存在は日本最初の書と言われている古事記や日本書紀にも載っているのである、それにも拘わらず、現代の学者達は「そんなものは無い」としきりに否定して止まないのである。一体、そこにはどのような事情があるのであろうか……!!!!!。
 
 時は既に平成を過ぎて令和を迎え、現在、世の中は騒然とした世相を現実は迎えつつあるのである。果たして、我々は無事に2050年と言う、一つの文明の目安となる年代を迎えられるかどうか、それさえ、不安な年代、それが今なのである。何かがおかしい、何かが狂い始めている、あなたはそのようには感じられないであろうか…!!。


 さあ、今回も古神道の神髄である「カムナガラの道」をお手本にして、「神算法」や「禊ぎ算」の基本を学んでゆこうではないか…。

  
  誰も知らない「神算法」と「禊ぎ算」と言う計算法(自然算法)を解き明かそう。……その2】



        「禊ぎ算」こと始め」、「カムナガラの道」より… 


 さて、現実世界から目を離し、目くるめくばかりの日本発の「数の世界」に飛び込んでみることにしょう。

今回も、相変わらず、古神道の神髄である「カムナガラの道」をあなたがたと共に紐解いて行くことにしよう。
 とにかく、これがすべての基礎になるものであり、最も大切なものなのである。遠い昔から、神道が解らなければ日本の真実を知ることは出来ないと言われて来たが、まさにその通りであり、その一言一句が心に沁みる今日この頃である。

  今回からは、少しづつ「神算法」の中に、「禊ぎ算」を絡ませながら数を学んで行くことにしょう。 それにより、「カムナガラの道」の秘儀の奥深さ、深遠なる「数の語り」を垣間見てもらい、「数」の語る自然真実の偉大さ、その巧みな「数の仕組み」について、改めて感嘆の意を表してもらいたい。

 これは、決して遊びとか、ゲ-ムなどではない、あくまでも、自然の持つ「本当の数の仕組み」を語っている、「神の秘儀」なのである。しかも、古代人は知っていたのであるが、現代人はまったく知らないあるべき「宇宙自然の叡智」と言うものである。

 
   

                         
              ……つづく  ……


 今回の「カムナガラの道」の秘儀を解き明かす場合に次のようなマ—クの存在があり、その意味については必ず知ってもらわなければならない。

 (1)

 ∨図の中で、右側の数(大)より左側の数(小)を引くべし、と言う意味であり、その計算記号の下にあるのが、その答えとなる数字である。

  (2)

 ∧は図の中で、左側の数(小)より右側の数(大)を引くと言う意味であり、その計算記号の上にあるのが答えとなる数字である。

  (3)

この(1)と(2)が混じり合った計算手法が、いわゆる「禊ぎ算」であり、物事の本質をシッカリ守って明らかにしてくれるものである。

 
 この∨と∧の上下の組み合わせの妙、すなわち、∨+∧=9→0、これはまさに、あのUFOから現れて来た「宇宙人の数学式」、すなわち、「システム オブ ナインズ」の姿なのである。これは、また、行き詰まっている現代知にとっては大変な福音であり、救世主ともなるものでもある。 恐らくは、これにより、今までの物理学計算上の色々な矛盾は消え去り、健全な学として、今まで叶わなかった大自然の解明が一気に進むことであろう。
 たとえば、量子力学上の問題、すなわち、理論上では0になるべきものが、計算を進めていくと最終的には無限大が現れて、すべてはそこで終わってしまうと言う学者達の悩みも、これで解消されることになるであろう。
 要するに、これが、全世界の数学者達の頭を悩まして来た「0」の正体であり、「9」の本当の姿でもあるのである。



 さて、さて、宇宙人の数学である「システム オブ ナインズ」とまったく同一の数学式が、何と、この日本に存在していたのである。しかも、それは古神道の神髄である「カムナガラの道」と呼ばれるものであり、ひっそりと息づきながら、一人長い眠りに就きながら、日本を見守って来たのである。しかるに、今までは、誰もそれを知らず、ただ、ただ、その一部である「ヒフミ天地の数歌」を神にまつわる最高の秘密、すなわち、やんごとない奥儀祝詞として宮司達は数千年の間それを神に捧げて来たのである。


 さあ、我と思うものは上記の計算式の謎を見事に解いて見て貰いたい、それにより、あなたは、更なる本当の自然の真実を数多得ることになるのであり、また、人類を救う数学者として後世に長くその名が残るはずである。しかし、残念にも、あなた方は、この計算は出来ないであろう、何故ならば、計算の基本となる概念そのものが、完全に異なっているからである。

 ヒントはあのアメリカの砂漠に墜落したUFOの中から見つかった、宇宙人の数学である「システム オブ ナインズ」であり、それとあなたの直感力、洞察力だけがが頼りとなるものである。

 例えばである、知の目覚めに敏(さと)い御仁はここに並ぶ上下の小文字の配置の妙や、その巧みなる数の出現などに見られる 「神意」の存在には涙を流して感泣することであろう。また、この、「カムナガラの道」の下半分に至っては完全に数列は逆転しているのであるが、これらの上下の小文字の存在を検証することにより、見かけは逆転ではあるが、実際は正転であることに気がつくことであろう。要するに、自然には、このように「見た目」は逆であるが、「本質」はまったく同じであることが甚だ多いと言っているのである。 流石に、この事実だけは今までには誰も気がつかなかったのである……!!!!。。。。

 しかし、まことに残念なことであるが、今の今まで、これらの手法は、「現代数学」にとっては完全に無縁なものであり、あってはならないものであったのである。それが一つの手落ちであったのである。
 
 いや、「神無しの世界」では知ってはいけないものであったと言うべきなのかも知れない。実際は、本来のあるべき「自然の理」であり、必要欠くべからずの「必須の理」なのであるが、「神無しの世界」なってからは何時の間にか縁遠いものになって、挙句の果てには、忘れ去られてしまったものなのである。まことに、痛恨の極みであり、痛哭あるのみであるが……!!!。
 しかし、どういう風の吹きまわしか、この20世紀末に再びこの日本に出現して、世間を騒がすことになりそうなのである。

 それがすなわち、「神の数学」であり、古神道の「カムナガラの道」とその秘儀なのである。

  
 
さて、あなた方、すなわち、「神の数学」にこ興味をお持ちの方々、ここに現れた奇々怪々な「計算手法」とそれに続く「答えの数の姿」には何かしらの感銘と郷愁を覚えるはずであろう。それは日本人の遠い過去のメモリーであり、DNAの中に残されている微かな真実の匂いの残滓であるからである。また、これらの数の表われは、あなたの推察の通り、あのUFOの中から発見された、あの宇宙人の数学、すなわち、「システム オブ ナインズ」の姿そのものでもあり、今まで、私は何回もその存在を口にしていたが、誰も信じようとはしなかったものである。

 更に、私は何時も言っていた、それが、古神道の神髄である「カムナガラの道」の中には宇宙人の数学式である、「システム オブ ナインズ」が密かな形で存在していると…!!。 それ故に、これが、 遥か遠い昔に、宇宙人からもたらされた「数の理」が古神道の大元となっているものであると……!!、  しかし、誰も信じようとはしなかった、無視するだけであったのである。
 その確たる証拠、それが今回の、これらの、「数の仕組み」であり、それらの持つ「数の物語」の確かな存在なのである。


 恐らくあなた方は、馬鹿馬鹿しい…!!、何を寝言を言っているのか…!!、と罵り、聞く耳をもたないであろう。
 私はそれでいいと思っている、別に気にもしない、何故ならば、それはあなた方自身の知の限界と進化の程度の問題点であり、その程度を計る一つのバロメタ-となるものであるからである。 それを何とか突破し、前に進まない限り、何時まで経っても解決することは無いのである。要するに、心の問題であり、更には、意識の程度の問題なのである。

 しかし、この夢も希望も無く、ただ騒然としている現代の世の中で、少しくらいの心の余裕、すなわち、郷愁、懐古、そして、あればいいなぁ—…、と言うノスタルジャ-的な気分と希望が若者達にあるなら、少しは心がしき締まり、歩むべき道を見出すことが出来るはずであり、少なくとも、失う羽目にはならないであろうと思うのであるが…!!。
 

 そのいい例が、若者たちの漫画に熱中している姿であり、しかも、世界中の若者たちがそうである。彼等は現実に大きな幻滅を感じ、希望と自信を失っているのである。いわば、現実逃避に生きがいを感じ、それに従って身も心も仮想世界に投げ出そうとしているような気がして仕方が無いのである。

 このままでは「世の中」は低迷し、希望は底ついて行くだけであり、絶望と不安がますます満ちて、世の中が、ただ、ただ、衰退するだけになるのである。

 それを防ぐためにも、この「神の数学」を学んで、そこにある「神の知」である「自然の律理」を見い出すことにより、その真実の存在を探り当て、更にはそれを検証して行くことが必要と思われるのであるが…。 それが、今の私の望みであり、生きがいでもあるのである。

 どうせ信じるのならば、夢のあるモノ、生きがいが感じられる本当の道を選んで欲しいものであり、それに邁進してもらいたいもののである。

 でも、現実はそうではなく、単なる夢で終わるもの、一時的な笑いで終わるようなものに若者たちは夢中で、現実から完全に逃避し、孤立して、そのはけ口を漫画や、テレビに見出していると言うような状態になっているのである。

 現在のテレビの「お笑いの番組」を見るがいい、馬鹿馬鹿しさにもほどがある、あれでは折角,、親が施して来た教育さえも無に帰すだけで、精神も幼稚に還るだけである。まことに情けない限りであり、その結末は誰でも推測できるるものであろう。
 このままではテレビ界も自ら自壊の道を進むだけであり、国民からも見放されて行くことになるだけである。 
 現在、既にそうなりつつあるのが、彼等には判らないのであろうか…!!??。本当に、ナンセンスの限りである。
 要するに、それが現実生活から逃避した者達が好んで選んでいる現代の世相の姿であり、それが現実の今の姿でもあるのである。
 それではこれからの日本の将来はどうなることやら……!!??。

 それは、恐らく、我々大人、すなわち既成社会を作り上げている側に大きな責任があると思ってもいいのであり、確かなことである。

 要するに、今のような社会を作り上げているのは若者達ではなく、、現実世界に直結している我々30代以上の大人,すなわち、現代社会を取り仕切っている者達である。彼等は現在だけを見据えているだけであり、未来を予想して動いている訳ではない。そこに問題があるのである。
 それはすなわち、現在の生活術に長けているだけではだめであり、数十年と言うスパンを持って未来を透視出来る能力を有しなければならないと言うことである。それが、本当の政治家であり、日本を背負って立つ真の大黒柱存在と言える指導者なのである。

 要するに、彼等若者たちに夢や希望を与えることが出来なかった我々大人に責任があるのであり、その責任を取らなければならないと言うことである。

 これからは、若者たちに夢と希望をもたせ、なるべく明るい未来を描かせることが必要であり、それが心の健康をはぐくんで行くことになるのである。
 そのためにも、これら「神の数学」の語る「自然の真実」を学ぶことが大切であり、更には検証に走って、その真実を明らかにすることが必要なのである。
 
 要するに、「神の存在」と言う希望をもたせ、それによる「神の存在」の「イ-メジ」調査という大きな夢をはぐくむことが必要と言うことであり、それにより、あるべき自然に沿ったまっすぐな精神を育て上げて、一生を心のままに健やかに過ごす、それが本来の自然の姿と言うものではなかろうか…!?。
 
 しかし、教えられることは覚えるが、自分で考える力を失っている最近の若者達には荷は重いかも知れない、考えることを失った若者たちの存在とは、すなわち、現在の教育が裏目に出たと言うことであり、完全に教育方針が失敗した状態にあると言うことである。

 とにかく、自分の頭では考えようとはしない、ただ、物事を暗記することに重点を置く、それが、今までの秀才と言われる第一の由縁のようである。

 しかし、一旦、世の中に出れば、独創的な考え、アイデアが幅を利かすことになり、その良し悪しで自分の地位が決まるのであり、それに魅かれて人も寄って来るのである。と同時にそれが本来の成功と呼べるものなのであり、その意義にも叶うものなのである。
 これからの世の中は、ただのもの覚えのいい秀才などは何の役にも立たず、すべてはコンピユターが代役を果たし、ただ、落ちこぼれとなるだけである。

 要するに、今の〇×式の教育などは、これからの世の中では何の役にも立たなく亡国の兆(きざ)しの予兆でしかありえないものなのである。
 それはすなわち、今後の日本にとっては甚だ由々しいことであり、将来の日本にとっても甚だ、気がかりとなるものでもある。

 その証拠が現在(2020年)の日本の大学の凋落ぶりである。アジァのトップ20の大学ランクイン校数は中国7、韓国5、香港4、シンガポール・日本各2で、軒並み中国、韓国に押さえられている状況である。更に、付け加えれば、これら2校の日本の大学とは東京大学と京都大学である。
 これでは馬鹿にされ、軽視されても文句も言えないのは当たり前でり、威張ることの方が間違いなのである。
 恐らく、この事実を知ったあなたも同じ考えに耽(ふけ)ることであろう。要するに、日本は最早、過去の存在になりつつあるのである……!!!。
  まことに、残念なことであるが、事実はあくまでも事実として捉えて、目を覚まさなければならないのであり、それが、今、必要なのであるる……!!!。
 
 その原因は一体何だろうか……!!??。 やっぱり、教育の在り方なのであろう……。
  老い行く身ではありながら、本当に日本の行く末が案じられる、今日、この頃である。
  
   さて、さて、少々言い過ぎたかな、 年寄りの戯言(ざれごと),愚言と思って勘弁して戴きたい……、ハ-ハ-ハ-  !!!!!。
                                                                      
     トップ20の                                                                  以上。