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  【超古神道物語2】

   「神の数学」の真実を語ろう



   

 令和編   『神の数学』
  とても、とても信じられない不思議な,不思議な「数」と「神」との物語。
                   
                                                         令和3年5月   上載 

 さて、さて、少々油断していたら、何と、今年も5月を迎えてしまった、何か、月日は益々速度を早めて来ているような気がするのは私だけであろうか、まさに、光陰矢の如くの言葉が、何故かこの年になってから、身に染みて判るような毎日である。

 私はこの約半年の間に、人間には考え付かないような二つの大仕事をしてしまった、一つは「数」に関することであり、しかも、それは「現代数学」では考えられないような簡単な「数の計算」を用いて、「神」の存在検証を明らかにしたと言うことである。 要するに、今まで、誰もなしえなかった「神の存在」と言うものを簡単な「数」で明らかにしてしまったのである。
 しかも、大変易しい計算、すなわち、小学生にでも出来るような簡単な一桁の「数の計算」でを用いてである……!!!。
 ただ、今の私に言わせれば、あなた方は、余りにも深く考え、遠くを求めてさ迷い歩っているきらいがあるのである。
 それにより、私から見れば、「神」に敬遠されて、逆に惑わされているような感じがあるような気もする。
 そのあたりは、大いに考えるべきであると思われるのである。
 
 要するに、「神の数学」は「神」そのものは間違いなく存在すると言うことを証明しているものであり、しかも、誰でも驚くような易しい「数」の仕組みを用いてである。要するに、「数」の本質を突くことにより、改めて、そこに「神」の存在が強く浮かび上がって来ると言うことなのである。
 
 ただしである、それはあなた方の想像しているような人間的な姿とか、物質的な有形な存在等ではなく、科学者達が言っているような「超知的な存在」であり、現在の宇宙自然を設計し産み出した究極の存在、あるいは、すべての自然の摂理を作り上げた意識的な全知全能の存在であり、同時に、どのような空間や時間の中に常に等しく存在している「大いなる存在」と言うべきものなのである。  あなた方はガッカリするであろうが、しかし、それが本当の「神」の正体であり、「神」の本当の姿というものなのである。要するに、今の学者達の言い分が正しかったと言う事なのである。
 
 確かに、あなた方は落胆するであろう、何故ならば、今まで我々は「神」は我々と同一的な存在、すなわち、我々には想像の出来ないような超知的な力を持った「人間的な存在」と考えていたので、懸命に呼びかけたり、拝んだりして物事を頼んだり、お願いしたりしてきたのであるが、それらは一切何の役にも立たなかったと言うことになるからである。 
 
 恐らく、この「神」の存在証明は小学高学年程度の学歴あれば、誰でも計算出来るものであり、しかも、キチンと計算はで成り立って、不思議なことを次から次へと語り上げてくれるものである。それだからと言って、別に、威張るようなものでもない。それは不思議な動きを見せてはいるが、よく、考えて見ると当たり前の答えであり、単に真実をついているものなのである。
 まあ、簡単に言えば、ただ、「神」の言葉と「神の業」を「数」で記すことにより、「神の存在」の姿がおぼろげに判って来ると言うだけのことであり、しかも、それと同時に、「神」は大いなる意味を秘めながらも、普遍的で、かつ永遠的な形で常に、何処にでも存在していると言う大いなる事実が、同時に解って判って来るものである。

 そこまでの不思議は誰が見ても判るのであるが、さて、その意義、意味となると余りに大きすぎて判断に苦しむことになることは知って欲しい。 何故ならば、そこには我々が未だ手にしていない宇宙の形や、次元の真実等がすべて、見事な「数」の形で表現され、更には、更なる進展をサジエストしょうと我々の来訪を待っている様子がありありと感じられるからである。
 しかも、それは、甚だ易しくて、難しいものでありながら、大変面白いもの、大変興味が湧くと言う「おまけ」がつくのである。

 これから、その「神の存在」を数ヶ月かけて、「数表」とその論理をまとめ上げるつもりであり、その後、改めて公にするつもりである。 ただし、それが何時になるかは今の所、ハッキリと言う事は出来ないのが甚だもどかしい限りである。
 恐らく、一生懸命にやれば、図表とその説明のまとめは2~3日もあれば出来るのであるが、しかし、折角なので、私は十分に時間をかけて自分を楽しませながらジックリとやって行くつもりでありる。何故なら、それが、何時もの私の流儀であり、楽しみ方でもあるからである。 

 しかし、誰か、聡明で直感と洞察力に優れた方が、手助けしてくれるならばその限りでもない、割合早く皆さんの前に披露できるはずである。ぜひ、そのよう殊勝な方が協力を申し出ることを期待したいものである。
 しかし、難渋することは知って欲しい、なんせ、それは小学生並みの数の計算から始めなければならないからである。
 そのような計算に2時間も3時間も耐えられる御方、そして、誰にも負けない推察力のある方は、是非とも来訪して力を貸して貰いたい。 決して落胆させるような羽目にはさせないから……。
 
 ただし、
計算器などはまったく役には立たないことだけは知って欲しい。なぜならば、すべては一桁だけのあるべき「数の仕組み」上の計算であり、自然の妙なる「数の理」を用いている当たり前の自然の計算法によるものだからである。
 それ故に、我々の用いている10進法様式の計算器はまったく不要であることは、是非、知って貰いたい。

 恐らくは、あなた方がその「神」の言葉を理解しようとしても、最初は少々難しく、意味がまったく不明で、理解が出来ないであろう。何故なら、その内容たるものは「現代物理」の用語には未だ無い次元的な特殊な方法と計算法を持っているからであり、これを理解して、初めて、人間の知の上に重ねながら、これから新たに加えられるものになるからである。
 悲しいことに現代人はその存在と言うものをまったく知らず、ただただ、視線を遠くに移し、熟慮を重ねているだけである。
 
 要するに、それは今までの「人間知」、あるいは現在の人間知等の総括的な数の形式、すなわち、「現代数学」では、どうしても「神」の真実を語ることが出来ないと言う事を我々に教えているものである。もっとハッキリ言えば、「数の計算法」が我々と自然界ではまったく異なる様相を持っていると言うことなのである。それを敢えて、言葉に変えれば、「神の数学」は
大乗的であり、「現代数学」」は小乗的な形式を持って、常に作動しているからなのである。

 その「数の計算法」を少しでも知れば、自然、自然の中に「数」の虜になり、それによって「数の本質」を知ることが出来、「現代数学」の曖昧さや、自然とはまったく噛み合わないと言う驚くべき事実を嫌と言うほど知ることになるのである。
 
 まさに、それが我々にとっては大いなるジレンマとなって来たものであり、それこそが、我々人間が古代から大変苦しみ藻掻いて来た最大の理由なのである。少し考えて見ると簡単に判るはずのものなのであるが……!!!。
 あなた方はその易しい計算方式の存在さえも知らず、余りにも鷹揚に構えていすぎるのであり、威張っていすぎるのである。

 現在のような人間知によるあり得ない数学形態を進めて行けば、末は恐ろしく、、お可笑しな結末となって、ただただ、複雑とカオスの世界に入り、解決不能の状態になるだけであろう。 「現代数学」は半ばそうなっているような気がするのであるが…。

 おそらく、現在はこの「神の数学」は完全に無視されている状態であるが、今後、人々が騒ぎ立てれば、立てるほど、また、真実を知れば知ったで、何とか、難癖を付けて邪魔しようとするであろう。まさに、それは度し難き高学識者の慇懃無礼な態度であり、自分の無能ぶりをさらけ出しているものである。 しかし、そのことは自分では解らないのは甚だ淋しいかぎりではある。
 
 それを証明しているのが最近の新聞記事である。何と、アジァ地区の20位までの大学ランキングには、日本は僅か、1校か2校しか入ってはいないのである。何と、中国や、韓国に完全に負けている、いや、言葉は悪いがゴロ負けしている状態であり、まったく歯が立たないと言うのが本当なのであろう。また、それを知らないのが日本人なのである。
 そのあたりから見ても余り威張れないはずであり、私のような完全に無学の輩とそんなに違いが無いように思えるのであるが……!!!!。
 
 しかし、人間としてはあまり尊敬は出来ないことは事実である。何故ならば、「知」に勝ることと、学識が高いことは、まったく別物なのであるからである。 

 「智」は神様が与えたものであり、「知」、あるいは「学識」は人間からもらったものである。要するに、構成基本そのものがまったく異なる様式を持っているものなので、比較すること自体がおこがましい限りであり、僭越過ぎると申し上げているのである。

 それは諺にもあるではないか…!!、それが
「余り知に溺れると身を亡ぼす」 と……!!!。
 要するに、「知」は世の荒波を生き抜くための手段として用いればいいのであり、それ以上獲得し、知に埋もれても、それを使いこなすだけの技量が無ければ、まったく意味が無く、ただただ、笑われるだけと言っているのである。
 

 そんな事を考えていた時に、何となくで思い出した歌がある、それは今から、100年以上前に作られた歌であり、今の人たちは余り聞いたことの無いはずである。大変懐かしくなってユー・チュ―ブを覗いて見た。すると、そこには懐かしい言葉と共にシッカリその歌が載っていたのである。そこには懐かしい曲とともに、色々な「神の御業」が歌われていて、大変、懐かしい思い出が走馬灯のように浮かんだり、消えたりして大変楽しい時間を過ごすことが出来た。
 それはまさに、一つの大いなる心の慰めになるものであり、心を大きく広げてくれたものであった。

 思い出しながら共に歌って見ると、何と、美しい日本語と共に、「神」の真実を讃える文句が鈴なりに歌われて、改めて、先達たちの「神」に対する心構えに、いたく、感動し、その長い歌詞のフレ-ズを最後の最後まで聞いてしまったのである。
 その歌の名前は
「美しき天然」であり、いまでは失われてしまった素晴らしい言葉、懐かしい文句等が綺麗なメロデイで次々と歌われていて、心から「神」の御業を賛美、讃褒している様子が、ありありと伺えるものである。
 そのすべてはあなた方が聞いたこともない見事な言葉と共に歌われている素晴らしいものであり、それらが過去の日本にシッカリ存在して、人々に歌われていたことがよく判り、大変、心が打たれるものであったのである。
 まさに、それは心をほのぼのとさせる日本の本当の歌であり、素晴らしい本当の日本の心の歌なのである。 余りのなつかしさに、我を忘れて夜中に大声で歌い、万感をしばし楽しみ、そして涙したのである。
 まあ、年甲斐もない話し、恥かしい話しではあるが……!。

 
 
さて、またもや馬鹿馬鹿しいことを述べて自己満足に浸っているとのたまい、軽蔑の念に一杯の御仁がいれば、御足労ではあるが、是非とも、当宅に足を運び、私の言う通りに少しばかり、「神の数学」の計算を軽く行い、その検証を楽しんでもらいたい。
 それにより、あなたの「数」に対する疑念も完全に消え失せてしまうことになるであろう。
 出来るならば、ついでに「神の存在計算」を手助けして貰えれば、まことに有難いと思うのであるが…!!!。
 まさに、それは驚き一杯のものであり、現代数学が如何に頼りない空論的な存在が多いかが判ろうと言うものである。


 その上で、改めて、家に帰ってから、自分の手でジックリと再検証して真実を確証しながら、その確かな事実を確かめて貰いたい。また、それはあなたの心の成長にも大きく寄与するものである。
 とにかく、それは一見、馬鹿馬鹿しいような奇妙な計算であり、小学生でも出来る大変易しくて、不思議な計算である。
 しかし、また、その事実を知れば、万人が万人、肝を潰し、驚嘆すると言う、まさに驚くべき「数の威力」をまざまざと見せつけて止まないものである。

 また、その簡単な計算を行い、かつ考えることにより、あなたの心は十分満足し、これからの自然を見る目や「神の存在」を感じることが出来、更には、あなたの人生までもが変わってくることになるはずである。また、それと同時に「神」の存在さえも感じられると言うものである。
 
 要するに、その簡単な「数の業」、誰にでも出来る「数手法」を会得すると共にあなたの生活も一変し、「神」の存在を強く感じて信じることにより、より強く、より楽しく生きて行くことになるかも知れないものでもあるということである。
 
 ただし、その数計算は一桁の加算計算であるが、甚だ、「数」が多いので少々面倒な計算ではある。また、時間がかかるので、ある程度の忍耐力と持久力(2時間から3時間以上)が必要となるものである。そのことは、あらかじめ、言って置きたい。
 
 また、その結果を図示して、まとめるのにも直感と洞察力がある程度必要なものでもあり、それは言ってみれば、まさに、あなたなの腕と頭脳による自然との力比べ,対決と言うことになるものと言うことでもある。 また、場合によれば、パソコンにて綺麗に表を完成させ、意味を糺し、結論付けるにには、場合によっては1日か二日位くらいはかかるかも知れない。 
 しかし、その手法さえ覚えたならば、当宅から持ち帰って後日にでも自宅で完成させて、感激するのも一つの手ではあろう。
 
 とにかく、短時間では無理なものであるが、大変、意味深く、大変、考えさせられることになるのは間違いの無いことである。 そのことだけ十分に承知して来宅して戴きたい。
 
 せめて、「神」の存在を明かしたいと言う強い希望があなたにあるならば、来訪するくらいの自己犠牲は払ってもいいであろう、その価値は十分にあるものである。そのあたりは覚悟して来て貰いたい。私も懸命に応援するつもりでいる。
 とにかく、「神」の存在を知りたい方、その驚くべき計算法を知りたい方は遠慮なくどうぞ…!!。
 ただし、「神」と言う言葉に対して、喧嘩腰や、余りにもアグレッシブな御仁達にはご遠慮を戴きたい。そのような特殊な方々は甚だ苦手である。とにかく、私は日頃、真面目に悩み、勤しんでいるような方々を応援したいと思っているのである。
 
 一つ、言って置きたいことがある。それは最近の若者たちは我こそはと言う覇気がないばかりか、辛抱強さもないのが大変気にかかり、民族としての未来には少々考えさせられるという事である。すべては親任せ、学校任せ、人任せで自分の進路があやふやなままで過ごし、今になって慌てふためいているのであり、自分の方針が何も無いと言うことなのである。
 要するに、日頃、甘えさせられて苦労が足りないと言うことであり、それ故に大望と言うものが抱けないと言う事であろう。
 是非、そのあたりを自問自答しながら、自分の腕と技量を試して見ることにしてもらいたい。いい経験になるはずである。
 要するに、少々、すべてに渡って安楽し過ぎるのであり、苦労しながら深く考えること等は一切しなかったと言うことであろう。
 それでは何時まで経っても半ば、生半可な人生で終わり、満足した深い生涯は送れず、不満だらけの人生を送ることになりかねないのである。とにかく、若い中に何でも経験しておくことが大切なことであり、それが打たれ強い人間、我慢強い人間を作り上げることになるのである。一つ、このあたりで立ち止まって、周囲を見回して見ることも必要であろう。。。。 


 私などは、自慢じゃないが、10歳にもならない中に、外国で親、兄弟5人のすべてを失い、飢餓と渇きに苛まされながら、一年半と言う長い間、2歳半の歩けない弟を抱えて、何百里と言う距離を歩き通して、一人で日本に引き揚げて来た苦しい経歴を持っている身である。 それはまさに、壮烈な人生、在ってはならないような経験そのものであり、深い心の傷を負いながら、人には言えないような苦しみの連続の果てに、何とか、やっと日本に帰って来ることが出来たのである。
 
 しかし、その経験は後の人生には大いに役立ったと今では、逆に「神」に感謝の気持ちで一杯であり、何時も「神」と波長が合っているような感じがあるのである。それ故に「神」を求めようとして苦心惨憺を繰り返しながら、現在に至っているのである。
 しかし、その経験だけは、今でも誇りに思い、大切にしているので、どのような難局でも乗り切れるだけの自信はもっている。
 
 それで頑張ることには何も違和感は無く、頑張りこそが生きがいであり、生きていくための必須条件であると思って、86歳の今でも懸命に、かつ楽しく生きている次第である。とにかく、今の口達者な若者達には体力では負けても、根性では負けないつもりである。
 
 だから、貧乏や飢餓なんては何と思ってはいない、今でも、三日くらい何も口にせずとも平気の平左でであり、何とも思わない。
 とにかく、生きていくためには希望と頑張りが必要であり、それが人間の人間たる大いなる由縁と思っているだけである。
 そうすることにより、運は開け、女神は微笑んでくれ、思うように人生は開けて来ると信じているのである……!!!!。
 それが私の信条であり、堅い信念と情熱をもって、今でも懸命に頑張って楽しく生きて来ている最中である……!!!。

 さてさて、つい、力が入ってしまった、御免、ごめん。 さあ、余計な話は止して、改めて、本題に戻ることにしよう。

 
 この「神」の存在を、見出したいと思うならば、それは簡単である。要するに、一切の思考を停止して、当分の間、数の計算だけに心を集中することである。それに慣れてくると、今度は「数」の方から話しかけてくるようになるのである。そのための数表があの古神道の神髄である「カムナガラの道」であり、我々を驚くべき夢幻の「数の世界」に連れて行って呉れる「この世」では唯一のものである。

 とにかく、そこには驚くばかりの数の見せる「ファンタジーな世界」が大きく広がり、夢にも思わなかったような「数の理」が色々な形で我々を出迎えて、色々と話しかけてくれるのである。要するに、今まで「数」は無機的で心を持ってはいないと考えていたのであるが、それは大間違いであり、それにより、我々の文明は大きく道を踏み外すことになってしまったのである。
 果たして、このような重大な「道の踏み外し」と言うものが今の今まで人類史の中にあったであろうか、まさに、大きな波紋を呼ぶものであり、大きなミステクなのである。現在、私は大いに訝(
いぶか)しみながら、悩んでいる最中である…!!。
 すべては本当の話しであり、現実の事なのである、まあ、そこまで行き着くのが大変であったが…!!!。
 
 何故ならば、それは現代数学的な「数」の操作ではなく、あくまでも「数」と言う記号操作による意識的な数の計算により、自然の心を探ろうとするものであり、その計算が完成された場合、驚くべき「神の答え」の証が次々と姿を表すことになって、ただただ驚嘆と驚異、その上、畏敬と心服で心が一杯になるものであり、ただただ、呆然となって頭を垂れるだけなのである。
 また、それを一見するだけで、その余りの見事さにどのような大学者でも驚嘆し、ただただ、腰を抜かし頭を垂れることは間違いの無いものでもある。
 それは誰でも簡単に数計算が出来る、恐らくは小学生でも出来ようと言うほどの、簡単な計算式なのである。
 しかし、その答えに至っては大の大人でさえも目を見張り、驚嘆するような素晴らしい「神の作品」であることは誰でも頷けるものである。現に、今の私でさえも、あり得ないと心の底では思っているのでるが、現実にはどうしても逆らえない状態なのである。

 それほど、「数」の力は偉大であり、人々の魂を揺るがして止まない大きな存在なのである。
 
 これらを称して、西洋世界では、東洋から来た「数の秘術」と称して、秘密裡の中に代々伝えられて来たのである。
 それを最初に世に出したのはギリシャの数学者であり、哲学者でもあったピタゴラスであり、彼は西洋では初めて
「宇宙のすべては数の法則に従う」という思想を確立したのであり、そこから「数秘学」という学問が始まったと伝えられている。/
 
しかしである、現代科学が発達するにつれて、彼の言葉は否定され、人々の口から離れていったのである。
 
 
彼の言う「宇宙のすべては数の法則に従う」という事実は,そもそも、古神道の「カムナガラの道」に「数」でシッカリ記されているものであり、それが遥か大昔に日本人の海外雄飛とともに、彼の地、すなわち、古代ギリシャあたりに伝わり、そこからまた、古代の西洋世界に伝播していったと私は思っているのである。その証拠になるものが、あのギリシャ近くのエーゲ海にあるクレタ島に伝わる日本の古代文字の存在であり、それらはシッカリ日本の古代文字で読み解かれているのである。
 

 それが、クレタ島のミケ-ネ-文明遺跡から発掘された「フアイストの円盤」であり、そこには日本の古代文字が沢山書かれていたのである。それを日本の古
代文字であると指摘したのが、ケンブリッチ大学の教授であり、それを読み解いたのが日本の古代文字研究家の相馬龍夫氏なのである。 その事実は世界では有名であるが、何故か、日本の学者達はあまり口にしょうとはしない…!!!。本来なら、歴史上の大発見として取り上げ、大騒ぎになるはずであるが、誰も無視しているだけである。

 また面白いことに、このミケ-ネ-文明の発掘者であるシユリ-マンが発掘後の幕末にわざわざ日本までやって来て、散々日本を褒めそやしていたと言うのである。一体、そこにはどのような経緯(
いきさつ)があったのであろうか…??。
 その時の日記本が、あの有名な「シユリ-マンの日本訪問記」であり、今でも本屋の棚に飾られているものである。

 
 
そのように日本にとっては大切な歴史の一コマのはずであるが、口にする者はいない、本にも書かれる事も一切ない。
 丸で懸命に何かを隠そうと頑張っているような感じである。一体、歴史家たちは誰に遠慮しているのであろうか……!??。 一体、そこには何があるのであろうか。まったく今の日本の歴史は闇の中の状態のようである。
 
 とにかく、日本の歴史家はなってはいない、私の若いころは日本の縄文時代は3000年続いたと教えられていたのであるが、それがこの50年間の中に縄文期は1万6千年に延びて、エジプト文明と肩を並べような状態になって来ている。 しかし、本当の歴史はまだまだ遥かに長いのであるが、まだ勇気を出して言い出す歴史学は誰もいない…!!!!。
 その中に誰かが言い出して、日本の歴史はまだまだ長いスパンを持っ事にがハッキリと認証されることになるであろう。
 なんせ、余り真実を突き止めれば、日本の歴史は一瞬で変わつてしまうので、本当のことは認めたくは無いのであろう。歴史が変わったら、変わったで自分達の無能ぶりが明らかになるので……!!!?。要するに、今までの歴史には無かったことは、例え事実でもあっても、認めたくないと言うのが彼等の本当の気持ちであり、恐らく、それが歴史ボスの意向なのであろう。

 でも、最近、近年急速に発達した血液研究によると、日本の歴史学者の主張や教科書で習ったこととは全く違う、不可解な事実が浮かび上がってきているのである。それは、日本人のDNAは、中国人や朝鮮人のDNAと全く一致しない別物であるという新事実であり、これに関して、ある有名大学の名誉教授が、この.DNAの不一致について新しい説を発表していることを知って欲しい。

 その理由は、「アフリカで誕生した人類が、中国大陸に到達するのは約3万年前。だが日本にはもっと早い、約4万年前には到達していることが最新の研究で分かっている。」と言っているのである。 つまり中国よりも1万年も早く日本に来た人類が、縄文人であり、その縄文人が日本で独自のDNAを築きあげてきたのであると歴史的な真実を告げているのである。

 また、それと同時に、今までの歴史上の疑問である「なぜ大陸よりも古い遺跡が日本で大量に見つかっているのか……???、等のの疑問も解けて来るのである。それは要するに、日本の関東地域では、世界最古(35000年前)の磨製石器が出土しており、また、世界最古級(16300年前)の土器も大量に見つかっている事実のことである。また、稲作も我々の時代には大陸から朝鮮経由で日本にもたらされたと教えられていたのであるが、今では遥か6000年前に日本から大陸方面に伝えられたとハッキリ、断言されているのである。)

  これらのことは、すなわち、DNAだけではなく「考古学的」にも、縄文以前は、中国・朝鮮系の大陸文化の影響は受けておらず、独自の文明を築き上げていたことを意味するものであり、なおかつ、大いなる過去に、古史古伝にあるような高度な文明を築いた日本人のルーツはどこにあったのかなどの疑問さえもも共に解決できるものである。

 そこで私も解ったのである、何故、韓国人や中国人は日本人と気質や感情がまったく異なり、日本人と考え方が相容れないのかの理由が …… !!!?。
 
 すべてはこれで了解となり、現実に沿った真実と歴史的な側面はここで完全一致を見たのである。

  
 最近の私でさえもピタゴラスの言葉である「宇宙のすべては数の法則に従う」は正しい言葉であり、事実であることを身をもって知るようになっているのである。何故ならば、その事実を「カムナガラの道」の中には、それを立証するような「数の流れ」がシッカリ存在し、我々に色々と教えてくれるからである。また、それを解き放つことは、恐らく、日本人が最適であり、最も理解しやすいと思われる。なぜなら、日本人は「九九算」に強く、暗算にも長()け、なおかつ「数」に思いを寄せている人々が多いからである。

 なんせ、その中には、長年調べている私でさえも、驚くような「数の秘儀」が鈴なりに並んでいるのであり、呆れ果てるような「数の秘密」が数多(
あまた)勢ぞろいしながら懸命に足踏みしているのである。しかも、それらは、何としたことか、皆「現代科学知」の方向とは反対の方向を向いて並び、かつ足並みを揃えて進んでいるのである。

 また、何回も言うようであるが、日本の超古代文書の一つである『先代旧事本紀』にも
「数」は宇宙のすべてを知っていると書かれているのであり、それが、恐らくは江戸幕府による禁書の理由にもなったものであろう。
 いや、少なくてもそれが禁書の理由の一つであることは間違いの無いことであろう。
 
 まさにこの古神道の「カムナガラの道」こそが「数」は宇宙の法則のすべてを知っていると言ってもいい存在であり、
そこにある「数」が見せる万象の転々と移り行く姿こそが、まさに「宇宙の法則」に即した見事な流れを表しているものである。しかし、そんな事実の存在すら、今の日本人はまったく知らず、ただ、ただ、懸命に、西洋科学の思いを寄せているのである。
 

 
また、愚かにも日本人だけが、現在、「数」はインドで見出され、そこから西洋に伝わったものと信じて止まないのである。
 その理由は簡単であり、、西洋人がそう言い出したので、ただただ、単純な日本人は信じて、そう言っているだけなのである。 
 
 そもそも、インドと日本の歴史はどちらが古いのか、そこを新しい歴史的な事実に沿ってシッカリ考えてもらいたいものであるが、……!!!!!。

 要するに、30年前の歴史の目ではなく、すっかり衣替えした現代日本の新しい歴史の目を持って眺めることが、今こそ必要な時なのである。
 
 あなた方はインドの方が日本よりも遥かに古い歴史を持つと信じているようであるが、それは何も知らない諸外国の三文歴史家達が100年年前に言っていたことであり、それを鵜呑みにした日本の学者達がそう日本人に教えてきたから、皆、そう信じて来たのである。これから、日本の文明、文化を引き継ぐ、若い人々にはもっとシッカリしてもらわなければならないのである。
 とにかく、日本の歴史は世界で一番古いことは疑いの無い事実であり、疑いの無いことなのである。
 その証拠に、 現在でもユーチューブを見ると 「何故、日本にはインドの失われた文化文物がそのまま残っているのか…!!」などのインド人の驚いているコメントが挙げられているのを見かける。しかし、それは当然なこなことなのである。
 そこをシッカリ考えてもらいたい、それは当たり前のことであり、当然、すべてはあるべき歴史の結果。結末なのである。
 
 当時、今から数十年前の日本の歴史は、せいぜい3000年~5000年と言われ、世界もそう認めていたのである。
 ところが、今や、日本の縄文時代の歴史は1万6500年以上と世界では言われ、インドより遥かに古く、何せ、1万5000年のエジプト文明と肩を並べているのである。 なんせ、当時の遺物が次々と日本で発掘され、シッカリ年代測定により明らかにされているのである。しかし、当事国の日本ではあまり知られてはいなく、話題にも上がってはいない、まことに不思議な事であり、奇妙なことであるる……!!!。

 
 
また、日本の古神道の遺物そのものが現在でもチベットやインドにはあまた存在していることを知って欲しい。
 それがチベットの「摩尼車(
マニグルマ}」や「曼陀羅の図」などであり、またインドの「ヨガ」もそうであり、それは身体の動き、すなわち、身体を結ぶことによって輪廻を願い、宿命からの解脱を計ろうとしているものである。要するに、それは日本神話にある宇宙開闢の神々である「カミムスビ」、「タカミムスビ」の仕組みを教えている動きそのものであり、大宇宙(自然)と小宇宙(我)を結びつけ、永遠を願うための身体の動きそのものの姿なのである。
 しかし、そんなことは今の日本人はまったく知らない、知ろうともしない。

 なんせ、「マニグルマ」や「曼陀羅の図」、あるいは「ヨガの原理」等は、古神道の真髄である「カムナガラの道」の中に、シッカリと納まりながら存在しているのであり、その事実さえも私は何時でも、あなた方に「数」で示すことが出来るのである。
 
 そもそも、あなた方は世界で3番目に大きいインドの宗教であるヒンズー教、あるいはシンドウー教(12億人)と呼ばれているものの正体を知っているであろうか……!!!。
 これこそまさに、日本の神道のなれの果てなのである。その証拠に発音をみるがいい、神道とシンドウー、まったく同じ発音なのである。また、それでも疑うような方は、そこにある神話の内容を調べて見るがいい、そこにも瓜二つなものが数多見つかるはずである。
 しかし、その事実は学者達は知っているようであるが、悲しいことに、一般の日本人は余り知られてはいない事実である。

 そのように、遥かな古代日本には世界に誇る偉大なる叡智や、文化、文物が花を開き、ひしめき合って花を咲かせていたのである。そのあたりのことは「竹内古文書」、あるいは「カタカム文献」や「ホツマツタエ」に記されている通りである。
 
 

 さてさて、堪忍、堪忍、またもや、大分、道に迷って余分なことを申し上げてしまった。そろそろ「神の数学」に戻らなけば、叱責を受けそうである、


 要するに、「神の数学」は「数」を有機的な記号として扱う、一つの 計算操作手法(アルゴリズム)でもあり、それにより、私は初めて「カムナガラの道」の数表の上に「神の存在」と言うものが、おもむろに姿を現わし、色々と囁いていることを知ったのである。
 それは、まさしく、人類初見の、目を見張るばかりの驚くべき一大ペ―ジエント形式で、素晴らしい自然の業が次々と姿を表わして、色々とものを申しているのである。ただ、今まで、誰一人としてその事実を知った者はいなかっただけなのである。
 
 今の私でさえ、それを見る度に驚きと興奮で心は何時も心が波打ち、中々冷めやらぬ状態になるのである。
 それはまさに、簡単極まりの無い姿を見せながら、常に心には大きく響いて来るものであり、常に確たる統率のある姿を見ながら、「現代数学」の反自然的な計算法をあざ笑い、半ば愚弄しているような感じもするものでもある。
 
 恐らく、それが「神」の持っている本当の「自然の計算法」であり、それを学んで行くことにより、同時に、徐々に神の本当の正体と言うものが解って来ることになると思われる。
 
 あなた方は疑って大笑いすることではあろう、しかし、小数の真面目に「神」を求めて止まない方々は、是非、その手法を学んで「神の真実」を突き止めることをお勧めする。とにかく、すべては「カムナガラの道」の中にあるのである。
 何回も言うが、それは小学生にでも出来るものであるが、あなた方には理解が甚だ難しいものかも知れない、ただし、素直で優しいな心の持ち主は別である。

 その「神を求める」ための数計算テキストとなる「数計算」の数種類は当方が用意するので、是非、「神の計算」の是非を検証し、それを大勢の人々、出来れば世界中の人々に伝えてもらいたい、それが、今の私の望と言うものである。
 果たして、是か非か、あなた方の判定はそのようになるのであろう、甚だ、楽しみである。 ハ-、ハ-、ハ-、……!!!。


 恐らく、我々が仲間を得て、その事実をシッカリ突き止めるのには、数年、いや数十年はかかるであろう。
 何故ならば、その表は余りにも荘厳極まりの無い神聖なものなので、余程、慎重に点検、検証しなければならず、少しでも間違った場合には、それは解明不能となって雲消霧散 (
うんしょうむさん)状態になって、消えてしまうものであるからである。 
 要するに、現代知にいくら卓越し、現代物理学や現代数学に堪能な学者であっても、そのよう絶対的な「自然的な知」に対しては、まったく意味は為さず、何の役にも立たないものであることを我々はこれから知ることになるのである。
 
 また、それは、どうしても知りたい、どうしても解き明かして見たいと言う強い意志を持った者でなければ、陽の目を見ることは叶わず、あくまでも、意志を貫徹させたいと思う者だけが通り抜けることが可能な細い道なのである。

 しかも、それは国籍や言葉が異なる外国の方でも、その知りたいと言う意思を強く持っているのならば、言葉などはまったく不要であり、「数」のみで十分に理解が出来るものである。また、何度でも言うが、それは小学高学年の学力があれば十分に理解可能なものでもあるが、残念ながら、そこにある意味は十分に読み取ることが出来無いのである。何故なら彼等はまだ世の中のことは知らず、完全なロジック不足の状態にあるからである。
 
 なにしろ、「神の数学」は、単なる「足し算」と「引き算」だけで、ほとんどは済むものであり、「掛け算」や「割り算」等の現代的な数学形式はまったく不要なものなのである。それはあのイギリスの数物理学者であるロジャー・ペンローズが「宇宙を解くための数学とは、「足し算」や「引き算」、それに「比」があれば十分である」と言っているが、まさにその通りであり、それだけあれば事が済むのである。

 また、同様に自然界にはマイナスと言う概念は無い…、も引き算で答えがマイナス数になった場合には、即、該当するプラスの数に変えればいいのであり、それが、すなわち、あの宇宙人の数学である
「システム オブ ナインズ」の用いている「数の仕組み」であり、また、同時に神の数学」では「神算法」と呼んでいる数手法そのものなのである。

 なまじっか、高学歴の持ち主は今まで学んできたことに余りにも拘泥し過ぎて、変な方に傾き始め、甚だ扱いにくいことになることが甚だ多い。特に、自然界には無い「マイナス数」を取り入れたことにより、完全に自然界とは反りが合わなくなってしまっているのであり、その結果、行き着くところが大きく異なっているのである。
 とにかく、自然界には「引き算」は存在しても、「マイナス数」は存在しないのである。すなわち、ー1、とかー3等の概念は一切自然には通用しないのである。あなた方は自然的な実数直線 上に、果たして、それを表すことが出来るのか……!!??。

 すべてにおいてそうである。本来の
「あるべき数学(自然数学)」とは、もっと簡単で、易しいもののはずであり、すべては自然の中で見られるものであり、しかも、計算が出来るものである……!!!。
 このように自然から完全に離れたもの、バーチャル的で、かつ実体の無いものを操って現実を混乱させている学とは、一体何なんだろうか、それが、今の所、私にとっては大きな不満であり、いたく心を傷つけられるものなのである。
 
 要するに、彼等は素直ではない、純真な心を持ってはいない、すなわち、易しいことを殊更難しくして、あなた方には解けないであろうと言って、我々を見下して満足しているだけの人間が甚だ多いのであり、それが現代の有識者には多いと言うのは、まことに残念なことであり、将来が思いやられることなのである。
 
 拙宅は余り遠くではない、伊豆のど真ん中である。現在の交通機関を利用すれば、誰でも来れるはずである。
 心の底から「数の心」を知りたいと思うならば、是非、この1年か、2年の間に来宅して疑問を晴らし、更に、己の知を磨いて将来に備えて頑張ってもらいたい。本気になれば割合に簡単なことである。要は心の問題であり、気持ちの問題でもある。
 
 現在は86歳なのでそれ以降はどうなるかは判らない。 後は、単なる、好々爺となって世間を憚って、ひっそりと生きて行こうと思っている。私と既に顔なじみの御方は、その折にはまた、尋ねて来るが良かろう、何時でも歓待し、歓談することを約束しよう…!!!!!。
 
 出来れば、若い頭脳を持った数学に興味をもっ高校生あたりが2~3人くらいで来て、無理なく学んで貰いたいのであるが…!!。 とにかく、易しくて、難しいものであり、学べば、学ぶほど楽しく, かつ夢中になることは私が請け合う……!!!。
 


 さて、さて、冒頭で紹介した、もう一つの大変なものとは、すなわち、「カムナガラの道」の中の「神の秘儀」を少々お借りして、我々日本人が大変困っているある病、日本人の60~70%が甚だ困り抜いている、ある病の症状を、いとも簡単に消してしまうような「あるモノ」を「神」の助けを借りて作り上げたことである。まことに、「神の秘儀」は偉大であり、やんごと無いものと大いに感謝している次第である。これを困っている方々に利用して貰う、そこに「神」の存在意義があるのであり、同時にそれが日本神道の本来の務めなのであると思っているのであるが…!!??。
 
 これは、恐らく、あの始皇帝が日本に求めた「不老不死の妙薬」かも知れない、いや、少なくとも、現代の老人たちが望んでいる、あの「ピンピンコロリ」という考え方に寄り添うようなものであることは間違いの無い事である。

それは、「ピンピン健康で長生きし、死ぬときはコロリと大往生」、すなわち、あの世の使いが来るまで、元気いっぱいに余生を無事に乗り切ろうと言う現代老人達の大いなる願いでもあり、「苦しまずに、あの世に楽にまかりたい」という我々庶民の大いなる願い、切ない願いでもあるのである。

 そうすることにより、当人も満足し、家族にも負担はかけず、最も負担をかけている国家の財政にも迷惑をかけないと言う、三方丸く納まり、誰もが納得する最良の方法であると、私は思っているのである。

 考えて見れば、このような素晴らしいものは、この三界の世界には恐らくは無いはずであり、これからも出現することは無いであろう。

 それは、すなわち、一つの物質波動を利用したものであり、邪悪なものを寄せ付けないものである。また、何もせずに、ただそれを傍らにおいてい置けばいいと言う事である。また、一切、触れることさえも必要が無い、声をかけることさえも必要が無いと言うものなのである。
 しかも、少なくとも10年以上は十分に使用が出来るモノなのである。

 現在、私自身は、モルモットとして自分の身体を使用して、実験中であり、その効果は驚くほど鮮明に身に受けながら楽しんでいる最中である。
 いずれ、その結末譚は面白く、可笑しく、数年後にはここに披露申し上げるつもりでいる。ただし、それまで無事平穏に過ごせたならばである。
 恐らくは、私自身の体験で、すべてを締めくくることになるであろうが、それでいいと思っている。ただ、十分なる資料は書いて残しておくつもりである。

 今は無理でも、後、数年後の私の亡きあとは誰か真実の人が現れて、それを用いて人々の難渋を救ってくれるであろう、今は、ただ、それを祈るだけである。
 
 私が、思うのに、自分は賢い現代人であると自負している100人が100人、馬鹿なことと笑って信じようとはしないであろう。それでいいのである。
 私は心から、それでいいと思っているのであり、歓迎しているのである、何故なら、真実を告げても、出来るだけ波風を立てたくないと思っているからであり、、なるべく、安寧に、ひっそりと平穏無事に、これからの余生を過ごしたいと願っているからである。

 さあ、さあ、これ以上、馬鹿にされるのは避けて、これ以上のことを言うのは止めにして、またの回に廻すとしよう。
 その上で、少しは真面目な老人の一人、ボケて頭のおかしい人間になって世の中を楽しんで見ようと思う……!!!!。 ハ-ハ-ハ- ……!!!!!。


 
 そのような偉大な「自然の理」の素晴らしい存在を打ち忘れ、、由緒ある古神道を放り出し、下げずんで満足しているのが,今の日本民族の知識階級であり、懸命に外見のいい西洋知を有難がって褒め讃えて満足している現在なのである。 
 何かおかしい、何か変である……!!??。

 さて、少々詳細を説明しておこう、馬鹿馬鹿しい、あるはずが無いとのたまう方は、是非、スル―して戴きたい。

 
 それは別に何もしない、ただ、「ある物体」を寝る際に布団の傍らに置いておくだけであり、それでありながら、効果絶大と言うものであり、半ば、永遠なる時間、恐らく、10年~20年くらい効果を保ってくれるものと考えている。
 ただし、まだ開発して1年くらいなものなので、はっきりとは断言出来ない……!!。

 それは単に、簡単な軽い物体を就寝時に傍らに置いておくだけであり、恐らく、医師法違反にはならないであろうし、薬事法違反にも問われないであろうと思うのであるが……!!??。とにかく、彼等は、いくら正しいも、役に立つものでも、自分達にとって邪魔なもの、役には立たないものは法的に始末して、この世から消したいと常に思っているのである。 
 そこは、慎重に、更に慎重にしていきたいと思っている。

 とにかく、簡単なものではあるが、現代の科学では理解できない、解明不能な摩訶不思議な物体であり、古代の遺物の延長と言ってもいいものでもある。とにかく、これは古神道の神髄である「カムナガラの道」にある法則を用いて作りあげた「神の秘儀」の一つであり、まさに不可思議極まるものであると言って置きたい。私はこれからの時代は「古代の知恵と最新の医学、すなわち、波動医学はリンクして病を治すことになる」と思っているのである。
 

 私としては現在、人々を苦しめている嫌な病から救うことを第一に考えているのであるが、それが法に触れるのなら即刻、止めてもいい、果たして、今の世間はどう見るのであろうか……???。

 人を病から救い出し、幸せにすることは悪いことであり、罪になることなのであろうか、そのあたりが私には判らない…!!?。しかもそれは簡単な方法で「あの世」を少々操作するだけであり、それにより、病は完全に消え去ってしまうのである。
 まあ、法に触れるのなら、家族だけで使い、安楽の齢、永遠の眠りに就くまでの最後の一時を十分に楽しむだけであり、有難く頂いて使って見るつもりである。  ハ―、ハ―、ハ― !!。

 まあ、当分の間、親戚や友人の間で実験検証し、笑い合って楽しむことにしょう、とにかく、おそろしいものであり、思いもよらないものであるとだけは言って置こう。しかし、よく考えれば、古代から日本人の間では、同一的なもので規模の小さいものは遥か古代から使われていたような気がするのであるが…!!?。
 
 ただ、今では西洋科学知がはびこる中で、古い言い伝えは半ば、馬鹿にされ、あまり、用いられることは無いようになって来ているのは事実である。 それは日本民族の大なるミス、悔やまれる大きなミスであると私は思っている。
 すべては見栄えはいいが、実の無い西洋知により、駆逐されてしまったものであり、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」の例えの通りのものである。
 
 まあ、これに関することは、折に触れて、時々、その経過と言うものを、ここに載せて皆さんに大笑いしたいと思っている。
 さて、さて、それは一体何であろうか……!!!??。すべては、これからのお楽しみと言うものである。
 
 それは、甚だ、馬鹿馬鹿しく、また滑稽なものなのであるが、それは「人間の知」、「人間の健康」、はたまた、「病」とは一体、何であろうかと言う大きな疑問を我々に突きつけているものである。さて、「病」と「あの世」は一体、どのような繋がりがあり、どのような関係にあるのであろうか、さて、さて …… !!!??。

 また、その効果を見るにつけ、ひしししと、「あの世」の存在を考えさせられるものでもある。
 要するに、現代科学のように「あの世」の存在を完全に無視している限り、病は無くならないということである。
 何故ならば、すべての病の根は「あの世」にあり、あの世の操作を少々行えば、完全に無くなること判るからである。
 あなた方にはとても信じられないであろうが、 すべては事実であり、真実なのである……!!!??。
 
 まあ、今後、その掲載記事を見つけ出したならば、是非、見て考え込み、そして、大いに悩んで欲しい。そして、余りの法外な現代科学との矛盾に呆れ果て、恐る々、あたりを見回すことになるはずである……!!!?。  何故、一体どうしてと……!!!?、それは余りにも教えられて来た事と違う、そんなはずは無い…、と常識で一杯な心を半ば痛めながらである。

 また、どうしてもその内容をハッキリさせたいのならば、当方にその小冊(解説書)があるので読んで頂きたい…!!。
 恐らく、あなた方は目をパチクリして呆然となるはずである。果たして、そんなことが、あり得るのかと……!!!?。
 
 以上が約半年、ご無沙汰した理由であり、その報告でもある。お陰様で、私は86歳になった今でも甚だ、矍鑠(
かくしゃく)であり、若いものには、まだ負けないつもりで頑張っている。しかし、老いは年ごとに近づきつつあるのは確かでもあり、体力の低下は日頃、だんだん目立ってきていることは否めない事実ではある。  さあ、あと何年生きていくことやら、…!!!??。

 以上、半年間のご無沙汰の報告は終わりにして、ここからは本題に入ることにしょう。

 
 「数」は神の言葉であり、「神」は数を用いて我々と会話をし、我々に色々なことを告げようとしているのであるが、如何にせん、人間サイドはそれには気が付かず、飛んでもない方向を見て、懸命に「神」を探しているだけである。
 それでは、いくら年月をかけても、いくら努力して呼びかけても、「神」は見つからないはずであり、「神」の言葉に遭遇することなどは無いはずである。それを人類は誕生以来、延々と続けて来たのであり、今でも同じことを続けているのである。

 しかも、日本の国には、遥か古代から、その徴(
しるし)になるものは残されていたのであるが、如何にせん、見る目を持たず、聞く耳を持たない者達、すなわち、 外つ国(とつくに)に魂を持つ輩が長年にわたって国を治めて来たので、陽の目を見ることは叶わず、すべては行方不明となってしまったのである。

 あなた方は知らないであろうが、日本は今回の戦争でアメリカによる完全占領を含めて合計3回、外国勢に占領され、蹂躙されているのをご存知であろうか、①それは紀元前の漢の武帝による日本支配、②白村江の敗戦による唐の役人(数千人)の日本駐留、③太平洋戦争の3回である。
その度に、古代の歴史書や日本神宝等は次々と失われてきたのである。皆さんは、余り知らないようであるが、今回の占領下でもアメリカはジープを用いて日本の有名図書館や大きな神社を廻り、日本の古い歴史書や由緒ある神道関係の書を大量に押収して、アメリカ本国へ持ち帰っているのである。恐らく、あなたも噂には聞いたことはあるであろう…!!。


 その狙っていた神宝の一つが、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」であり、古神道の奥儀祝詞の「ひふみ…天地の数歌」の本体となるものである。しかし、それは、幸いなことに、遥か昔に失われしまい、手に入れることは出来なかったのである。とにかく、そこには驚くべき「神の秘儀」が数多眠っているのであり、それを呼び起さない限り、人類は新しい「天の叡智」を手にすることは出来ないのである。

 しかも、ごく最近(1990年代)になってから見出されたもの、それが「ヒフミ…天地の数歌」の本体である「カムナガラの道」」であり、まさに「宇宙叡智」の神宝だったのである。また、それは「数」で自然宇宙の摂理の明らかな存在を歌っている「神の秘儀」と讃えられたものでもある。更に、もっとハッキリ言えば、それを解き明かしたものが、「神の数学」と言う天下御免の「数」が語る大叡智であり、天下無双の「神の数言葉」の数々なのである。
 

 「神の数学」は何処まで広げても、常に「陰」と「陽」の関係を持ちながら正しい秩序を持って完全連動しているものであり、それにより、「宇宙大自然の理」を無理なく解き明かしているものである。そこには何処までも尽きることの無い、不思議極まりない「陰」と「陽」の組み合わせが軽いステップを踏んで規則正しく、秩序を踏んで踊っていることを是非、知って欲しい。

 それは誰にでも検証可能であり、決め手を覚えれば何時でも、何処でも姿を表して踊ってくれるのである。
 
 それに比べると、「現代数学」はまったく別な数学形式を持つものであり、いささか、バーチャル的、いや、いい加減な人為的な面を持っている数学体系なのである。要するに、「現代数学」こそが遥に自然から離れた数学体系実体を持つ仮想的な空間世界を人知により組み上げて構築しているものであり、実態にまったくそぐわないものであることを知るべきである。
 恐らく、それ故に、更なる発展を遂げながら新しい「自然的な真実理論」を構築することは最早、望めないはずである。
 
 何故なら、「現代数学」は「陰」と「陽」の関係等は一切考慮せずに、わき目も振らずただただ無限を目指して一直線に進む姿があるだけ、それが直線数学、すなわち、「現代数学(10進法)」なのである。 本来の数学、すなわち、「自然数学」は平面的に進んで四方と相結びながら秩序や並びに調和を持つ「数学形式」を指すものであり、古代に存在した数学体系である。
 あなた方には何も判らないであろうが、本来のあるべき数学とは「現代西洋数学」、すなわち「10進法」では無く、自然数学である日本の古代数学」、すなわち、「カムナガラの道」にある「9進法」によるものでなければならないのである。

 「現代数学」に比べると、「神の数学」は、すべて「陰」と「陽」の組み合わせと、その本質を語る数多の数列がめくりめくばかりに序を持って整列しながら「真実」を囁き、懸命に我々に「真実」を教えようとしているのである。
 
 しかるに、我々はそれには少しも気が付かないのである。一生懸命、我々に気付かせようと「神」は頑張っているのであるが、如何にせん、それに気づく者は誰もいないような有様、それが現代の哀れな西洋知主導の「世の中」なのである。
 
 とにかく、自然界には現代数学のような「ランダム」とか「意味の無い数の並び」等は一切無く、すべては大いなる意味を秘めながら常に
「陰」と「陽」の関係を持ってキチンとして存在しているのである。しかるに、人間界ではその事実をまったく知らずに好き勝手な論証を作り上げて人々を煙に巻いているのであり、その事実は誰も知らないと言う甚だお粗末なものである…!!。
 その「数の理」の真実は、甚だ簡単なものであり、小、中学生にでも理解が出来る、簡単な計算でありながら、思考的には、甚だ難しいものなのである。 何故ならば、その基本的な思考概念と言うものを我々は持っていないからである。
 
 確かに、その「神の数学」の実体については未だ知る者は誰もいない。要するに、その「陰」と「陽」の関係は常に正確な形で連動しながら真実の存在を指示し、動いているのである。また、その「陰」と「陽」の関係の存在や、動きも規律と序を持って間断なく変化しているのである。そのことさえも現代人はまったく知らないのであり、知ろうともしないのである。
 本来は、最も大切な自然界の象(
あらわれ)なのであるが…!!。

 確かに、現代社会において、「神」とか、「神の囁き」等と言っても、笑われるだけであり、信用は地に落ちるだけであろう。
 今のように、あなた方、いや現代社会全体が「神の存在」とか、「神の知」に対して、完全無視、あるいは 侮蔑的な態度を見せている限り、いくら「神の存在」、「神の存在証明」、「神を持ち求めて」等のおこがましい願望を大きく連ねても、その成就は絶対的に叶わないのである。何故なら、私に言わせると、あなた方の学んでいる数学は少々おかしく、そこには大きな矛盾が有って、本来の自然の切口とは大きく違っているからである。
 
 しかし、知的な盲目なあなた方にはそれが見えない、いや、余りにも基本的な根っこの部分に誤りがあるので、気が付かないと言うべきかも知れない。もっと、大きく目を見開いて「真実理」の捜索の網を広げてもらいたい。それにより、だんだん多くの人々が誤りに気が付き、大騒ぎするはずである。そのためにも古神道の神髄である「カムナガラの道」の持つ理を学んでもらいたい。
 ひょっとして、その先導役として、旗を振るのは、あなた自身なのかも…!!!。
 
 考えて見ると、その切口は大きな矛盾を見せながら横たわり始めてから、最早、数千年と言う年月が流れているのである。
 その間、誰もその実際の切口と観念上の切口との違いには気が付かず、観念上の切口を合わせるために営々と努力を重ね、て来たのであり、その結果として、永遠に合うことの無い怪しげな論理を導き出して満足しているのである。

 本来はもっと素直な数の論理、すなわち、「自然数学」を構築して、大自然と共鳴共歩すべきであったのであるが……!!!。

 
 さてさて、このような漠然としている寝言を広げてもあなた方にはまったく解らないであろう。
 では、現代文明の持っている数学の成り立ちから説明しょう、色々な数的な学説を見てみると、どうも、我々人間には指が10本あるので、それを利用する形で10進法と言う形態が始まったようである。本来ならば、自然の持つ理か、数の現われを学ぶべきなのであるが、それをしなかったのである。 要するに、あまりにも蓋然的なことを基本にして始めたものであり、何ら、自然的な具象から学ぶことは無かったと言う事なのである。それが自然と「数の理」において異なっている最大の理由である。

 何と、我々の数学は自然とまったく無縁なものであり、単なる、人間の手の構造的な理由から便宜上始めたものであり、それが現代数学の基幹となって進められてきたものなのである。それは、人間の生活上、10本の指は甚だ便利なものであり、また、その数をれを我々は勝手気ままに操り、生活上便利なように、2本、3本と気の向くままにその姿を作り変えることが出来たのである。しかし、自然はそうはいかない、起源があり、すべてはそこから順を追って進んできているので、ランダムは許されず、序、順があり、その道をその通りに進んで、数十億年、あるいは数百億年と言う長い間歩んで来ているのである。
 そこにはいい加減とか、曖昧さ等は一切無く、すべては規則通りに進んで来ている、それ故にそれを自然と言っているのである。
 しかし、我々の持っている数学は新機軸を極めたものであり、一つの人間知の素晴らしい発展なのであると言って「現代数学」を全員で祭り上げ、恭しく歴史上にとどめて満足しているのである。
 しかし、その結果、今になって、自然の理には合わない、自然とはマッチしないと大騒ぎしているのである。それが、量子理論と相対性原理の不一致であり、それ故に、現代物理学が足踏みして、進むことが出来ない最大の理由なのである。
 
 それがいわゆる、「現代数学」の中身であり、その本質と言うものである。要するに、
今の自然にはまったくそぐわない非現実的な数学体系であり、遥か過去の体質を改めることなく、そのまま伸ばして来ているものであり、いささかも変わってはいないと言う事である。
 それに比べると、物理学は現実に沿った形で、古典物理、現代物理、量子物理(波動物理)と次々と名を変えて、現実に寄り添うとしているのであるが、残念ながら今でも寄り添うことが出来ずにもがいているのである。
 何故ならば、物理は元より、すべての人間知の基幹、基盤と言うものは現代数学が深く拘わっているからである。
 
 今現在、先進的な数学者達は「現代数学」の持つ様々な定理や規則を持って自然の本質と相対しょうとしているのであるが、進めば進むほどに矛盾まみれになって困惑している状態であり、もはや、手はすべて出しきったと半ば諦め顔である。

 例えば、素粒子のエネルギ-と質量は極めて小さいはずであるが、キチンと計算すればするほど、無限大と言う答えが出てくるのである。しかし、あなた方、「神の数学」を少しでも学んだ方はそのようになる理由が十分に判るはずである。
 それを如実に示しているのが、あの宇宙人の数学、すなわち、「システム オブ ナインズ」なのである。

 要するに、古神道の神髄である「カムナガラの道」は驚くべきことに「システム オブ ナインズ」で作られているのであり、「システム オブ ナインズ」で運用されているものである…、何と、何と ……!!!!!。
 
 
故に、私は何時も「神の数学」は「宇宙人の数学」とまったく同じものと言って、あなた方を驚かし、結果として大きな侮蔑を買い、信用されることは無いと言う有様であり、質問の声をかけられることも余り無い。 
 
 要するに、「現代数学」の顔を立てれば、自然はソッポ向いて言うことを聞いてはくれないのであり、自然の顔を重んじれば「現代数学」はとんでもない答えを返してくれると言うことなのである。要するに、現在のところ、人間知と自然知は相思相愛の仲でな無く、相思相反の仲であり、当分の間、手を繋ぐこと等は無いであろう。
 しかし、それは有ってはならない事なのであり、何時かは変えなければならないものなのである。
 また、そうしてしまったのも人間の奢りであり、人間の欲望なのである、もって、このあたりでそろそろ反省すべきであろう。


 何故、そうなったかの理由は簡単である。それは、自然と同調共鳴している「9進法」を用いず、宇宙自然と共鳴することの無い人類独自の「10進法」を用いているからなのである。
 もっと、ハッキリ言えば、我々の持つ「現代数学」直線数学、すなわち「平面数学」的な姿を持っているものであるが、宇宙自然は立体的な構造を持っている数学、すなわち、循環法である9進法をベ-スに持つ半ば立体的な計算法を、用いなければ、すべての答えはでては来ないのである。
 それを我々現代人は玉石混合で、日頃の計算ばかりか、自然の計算にも用いようとしているので正しい答えが見つからず右往左往しているのである。

 もう一度言う、我々の日常の世界には2種類の計算法が必要なのである。 それが日常生活に必要な「10進法」と自然を学ぶための「9進法」なのである。そのことは科学者達が一番よく知っているはずであり、それを知ることにより、一般相対性理論と量子理論は手を結ぶことが出来るのであり、その間に横たわる解決できない矛盾もスム-スに解き放たれることになるはずである。


 さあ、久しぶりに言いたいことを長いことを言ってしまった、これで完全に溜飲が降りた状態である。あなた方には気の毒ではあるが…!!!。

 そこで、次回からは、「数」の調べ、「数」の語りに戻ることにしよう。 さてさて、何を語り上げてあなた方の心を満足させるのかである。
 まあ、次回が始まるまでの一時、折角のコロナ禍なので、静かに毎日を過ごそうではないか…!!!。しばしの骨休みと思えばいいのである。

                                            それでは次回にまたお会いしましょう…!!!。


   

 令和編   『神の数学』

とても信じられない不思議な不思議な「数」と「神」との物語。
                   
                                                         令和3年7月   上載 


さて、さて、毎日の回転が余りにも早すぎて止まることも知らない、まさに、漢詩の「少年老い易く学成り難し」を地で行くような毎日である。

 先回、約束したように今回からは「数」をあげながら、「数と言うものの性質」、あるいは「数」と「空間」の関係を最初から説明して行きたいと思う。

「神の数学」は「数」が開示している一つの自然哲学であり、未だ誰も開いたことは無いものである。なぜ、開けないのか、それは人間の持つ知的概念が自然の持つ概念とは根底から異なっているからであり、なおかつ、誰もその事実を知らないからなのである。

  まずは、そのあたりから説明して行かない限り、どのように「現代数学」を懸命に操作しても、決して自然の理(ことわり)の解明には至ることは無く、ただ、徒(いたずらに心を搔き乱すばかりになるだけである。

要するに、最初の最初からの「数の仕組み」、本当の「自然数の本質」から説明しない限り、「現代知」に完全に脳を侵されているあなた方を正気に戻すことができないのである。

 いくら、正攻法を持って「現代数学」にぶっかっても、今の所、多勢に無勢で「神の数学」は敗残あるのみなのであり、易しくて簡単な正しい認識法と言うものを確立しない限り、今の所、無理と思うものである。なんせ、人類の99,9%は「現代数学」に帰依して、「現代数学」に精進している現在だからである。

 そのあたりを鑑みながら、今回からは、あなたの脳に?(はてな)…との思いを起こさせるような易しい問題、すなわち、「神の数学」の基本中の基本の問題から抜粋したものを取り上げながら、順を追って解説してゆくようにしたいと思う。

  果たして、あなた方の脳に、微かなチカ、チカと瞬くような疑念が起こり、はて、!!???…、何だろうとなるような感情の乱れが生じるであろうか、それとも、別に疑念は何も湧かず、何だ、これは…!?、馬鹿馬鹿しいと言う感じだけで、ただ、スル-の状態があるだけなのか、それにより、行き着く終点がまったく違うことはシッカリと覚悟してもらいたいのである。今回は、「哲理数学」、すなわち、「神の数学」の基本である自然数の方陣である「神の法陣」を用いながら「自然の理」の存在を明らかにし、もって、その理を追いながら、本来のあるべき自然の「数の理」の存在をしかと確かめて見よう。

 

その類(たぐい)には有名な中国の「魔方陣」があって、昔から世界を駆けめぐっている有名な存在として名を馳せている。

さてさて、あなた方は知っているであろうか…??、あの中国の「魔方陣」は、遥か昔に、中国の留学生であった伏羲が日本から密かに持ち出した日本の古来から伝承されて来た、永遠なる宇宙の「知の秘宝」であることを…!!。   ……  この詳細は「竹内古代文献」にあり。

彼は密かに、それを日本から持ち出し、それを自己流で一個の「3次元方陣」を数字で組み立て、あろうことか、その知を武器にして中国の伝説上の帝王になってしまったとj密かに囁かれているのである。

 なんせ、彼は日本で学ぶ中に、風聞のみで「神の法陣」の所在を知ったが、その数のめぐりの詳細は知らず、おそらく、国に帰ってから,苦心惨澹して数を組み上げたのであろう、それがあの中国の「3次の魔方陣」なのである。論より証拠、正当な「日本の法陣」は「カムナガラの道」の中にはゴロゴロと転がっているのであるが、そんなことは今の日本人の誰も知らず、今でも懸命に中国の魔方陣」を追いかけているのである。

 この中国の「魔方陣」の方とは単に四角と言う意味である。また、一方の日本の「神の法陣」の法とは「法則」、「律理」、「さだめ」を意味するものであり、一つの「神」の手になるものなのである。同じ「ホウ」でも、 まったく異なる意味を持っていることを知ってもらいたい。

 また「陣」は配置、備え、「並び」等の意味であり、「並んで敵に備える」を意味するものである。その文字の意味の奥の深さや、教えの理等を是非、知ってもらいたい。  同じ、「ホウ」でも天地の違いが、そこにはあるのである。

このあたりは最早、何回も書き記しているので、あなた方は十分にご存知のことであろう。

 

まずは、易しい所、3次元法陣」、4次元法陣」、「5次元法陣」から始めてみょう。
 出来るだけ、これらの「数の手法」を学び取り、自然の持つ法則である「摂理」と言う存在の真実を確かめて見て貰いたい。それがこれからのあなたの生き様に大きく拘わってくるものであり、一生の運命にも必ず拘わって来ることにもなるのである。

  これらはすべて古神道の神髄である「カムナガラの道」により明らかにされたものであり、「カムナガラの道」が出典なのである。
 
 何回も言うようであるが、これらの「神の叡智」は人類史上初めて公開されるものであり、いま、それを取り出さない限りは、2度と現れることは無いであろう。それ故に、あなた方も出来るだけ、メモして置いて自分の知の啓発に役立てて貰いたい。
 すべては神意そのものであり、永遠なる真実を語っているものである。
 これをして、偶然とが、たまたまの奇遇であるとの言葉をのたまうのならば、更に続けて、6次元法陣、7次元法陣、8次元法陣、9次元法陣を作り、同様な手口を用いてすべてを解き放って見て貰いたい。 それにより、あなた方も十分に理解し、心も穏やかになるはずである。

     
    

 
 まずは「3次元法陣」から始てめて見よう。
 

問題  3次元法陣を解く

 この3次元法陣の外側の枠の数字のすべてを加算してもらいたい、さて、いくつになるであろうか…!?。恐らく、あなた方の99,9%は正しい答えを出すことは出来ないであろう。 それは今までのあなた方の常識が間違っていたからなのである。

 いくら、口惜しがっても無理なものは無理なのである。それがあなた方の持つ人間知の程度であり、それ故に、自然の知とはまったく相供ないものであることが判るのである。これらすべては「神」の心のままであり、あるべき、正しい「自然の仕組み」を表しているものなのであり、すべては「神の心」を持っているものなのである。

 われわれは今の人間知を正しいものと思い込んで、更に畳み込むように、それを基準にして自然の事象を調査、検証して来ているので、辻褄がまったく合わず、自然は難しい、複雑怪奇であると嘆くだけであるのである。 それは、要するに、「人間の知」と「自然の知」は反りが合わない、方向が異なっているからなのである。 さあ、そのあたりをジックリと見ながら検証を始め、結果をシッカリ出して貰いたい。

 そのためにはその意味や数の語りを交えながら、深く数を読むことが必要なのである。

 一つ、数字を読みながら、どのような形で「数」を拾っているのか、を一つ探ってもらいたい。拾い方がまったく異なっていることが判るはずである。

  あなた方の計算法、——— 1,2,3, 6,9, 8,7, 4,1, (Σ)=40……誤り ×

  
  自然の計算法 ——— 1,2,3, 3,6,9, 9,8,7, 7,4,1, (Σ)=60……正解 〇



 
 あなた方は、余りにも何も考えずに、ただ短絡的に物事(事象)を見ているので、本来の数の本質を掴むことが出来ないのである。シッカリ内部と外部を俯瞰しながら、かつ、全体の姿をジックリ掴む必要があるのである。
そうしない限り、また、同じような過ちを再び犯すことになるのは明らかである。

 考えて見るがいい、古い言葉である「天象地文」とは自然界を指すものであり、昔は上は天。下は地と言い、それらは完全に異なる質を持つものを指す言葉なのである。また四門と言う言葉で天と地、左と右を区別して、その4ヶは完全に異なる本質を持つものであるとハッキリ定義しているのである。

 この場合も天には天の持ち分があり、それが,,あり、右の持ち分が,,、同様に、地の持ち分が987、左の持ち分が,,であると定められているのである。

 要するに、天、すなわち上部から来た圧力(敵)は,,で受け止め、右から来た圧力は,,,で抗(あらが)い、下部から来た圧力は987で逆(さか)らい、左からのものは741で流して、同一的な体制の下で全体をシッカリ守り通しているのである。それが自然の決まりであり、掟と言うものである。

 まさに、その方法こそが全体を考えている最も自然的で無難な発想でもあり、誰が見ても公平で平等なものでもある。

 あなた方の知っている計算法は、この「自然のやりかた」とはまったく異なり、奇々怪々な計算法、まったく自然の理には合わず、不公平極まりないやり方を持っているものなのである。 しかし、 果たして、それは本当のことなのであろうかと疑うであろう。しかし、それは「数」が教えてくれるはずである。

 出来れば人間世界の常識論などは棚上げして、心を無にして「数」の囁きをジックリと検証してもらいたい。すべては自然の業であり、すべからく公平無私なものである。

 さあ、次は残されている中心の数も同じように考えることであり、天、右、下、左となる四門の在り方を公平に考えることである。

 要するに、天は5、右は5、地は5、右は5と公平に考えること、それが自然の方法であり、完全極まりの無い方法なのである。






 
 これらの同一整数の並びの出現は果たして、偶然なのであろうか、それとも無理にこじつけて作り上げた人工の図なのであろうか……!!??。
 それを確かめる方法,,また、その答えは「カムナガラの道」の中にシッカリ存在していることを是非、知って欲しい。
 
 このように
「方陣の図」を何処までも伸ばして行っても、常に同一数が並ぶと言うことを、単に偶然であると言って見逃すことになっても良心の呵責を覚えないのであろうか…!!。これは現代知に対する挑戦の一つであり、その答えを見出さない限りこれ以上の前進は無いと思って欲しい。
 並び揃った
「同一数の現れ」、それは大いなる「神」の意志の現れなのであるが、今まで、誰も取り上げようとする者はいなかったのである。
 
 はて、さて、そのあたりをシッカリ吟味しながら考えて見て貰いたい……!!??。要するに、驚くべき自然の産物かそれともいい加減な人知的な産物なのであろうかを見極めて貰いたいと言うことなのである。ここまでならば、いざ知らず、この後をドンドン追うことによりそれはハッキリすることになるはずである。
 要するに、それは、この後の、6次元、7次元、8次元、9次元の法陣を検証することにより、ハッキリと判るのであり、また、それにより、不思議さはますます際だって来ることになるのである。まさに、不思議、不思議の連続であり、目を離すことも出来ないものである。
 
 また、更に余裕のある方は10次元の法陣以降のものを作って確かめて見ることである。それにより、すべてはだんだん解って来ることになり、
「数」は心を持っていることが解ってくるはずであり、それが「数霊」と言われているものである。また、そうなれば、次に現れて来る「数」も簡単に予見ができることにもなるのこともシッカリ知って貰いたい。

 
この答えとなっている同一数の群れを称して、「神の数学」ではアマテラス数列と呼んで最高位の数列としている。何故ならば、そこに現れた「本質の数」を見るがいい、これらはすべて、古神道の一霊四魂の中の一霊、すなわち、直霊(なおひ)とまったく同一同格なものであり、宇宙の最高神と通じている素晴らしい数列であるからである。
 また、同時にこれらの数列も完全鏡面数列と言う本来の神々の姿を持っていることも、是非注意を払ってもらいたい。
 
鏡面数列、それは大変恐るべき数列であり、深遠で永遠な知を誇っている「神の数列」そのものなのである。

 一体、これらの数の示しとは、何を語り、何を示唆しょうとしているのであろうか……!!??。まあ、シッカリ考えて見ることである。
 まあ、その中には驚くべき「哲数理の真実」が込められていて、それを我々に伝えようとしているのである。しかし、考えの浅い我々には見当もつかず、ただため息をつくだけであり、ただただ、腕をこまねくだけなのである。

 また、この中には古神道の目録にある「一霊四魂」の真実が説かれているのであるが、それはこの方法を用いて探すことにより、姿を現わすことを知って欲しい。とにかく、試して実証することであり、色々と考え、捜索して見ることである。それにより、すべては明らかになり、同時にこの手法の真実を知ることになるはずである。頭で考えていては駄目であり、目、心、手、足などの5つのセンサ—を駆使しながら順序立って考えなければ上手くはいかん。

 「数」はまことに偉大であり、我々の知らなかった「数の理」、すなわち、この広大な宇宙を創り上げている「自然の摂理」、「天の法則」の存在を教えてくれているのである。 しかし、あなた方はそんなもがあるとは信じられない、いい加減なことを言わないで欲しいとのたまうことであろう。

 しかしである、これらは「神」の囁きであり、すべては数により示されている「神の叡智」の発露なのである。要するに、「神」は数と言う手法をもって、我々人類に最大の「示し」を下されているのであり、この終末期の人類をして何らかの救済法を教えようとしているのである

 アハハ!!、 少々宗教家じみたセリフを吐いてしまったが、別に、そのような意図は何も無い、安心して下され……!!!。

 「神の数学」は決して出所が曖昧なものなどでは無い。ただし、あなた方にとっては歴史上初めてお目にかかるモノであり、甚だ面食らい、疑問を呈することは間違いないことであろう。
すべては古神道の「カムナガラの道」に始まる神の叡智の物語であり、人類史上はじめてのものである。

                                                  
 しかし、これでは答えを問うことは余りにも漠然としすぎて、あなた方は戸惑うばかりであろう。
 色々と考えをまとめるためのヒントを一つ、二つ出しておこう。

 ヒント① →答え  これは「哲数理」の問題であり、未だ、現代科学は突き止めることの出来ない由々しい問題なのである。
       要するに、「空間」と「エネルギ-」の間にある相関的な関係の所在を示すものであり、その両者の間にはとてつもない関係が有って、お互い       に牽制しあっている事実を、このように「数」が教えてくれているのである。そのあたりを考えて見て貰いたい。
       甚だ、面白い「神の秘儀」であるが、現代科学は未だ知らない、突き止めようともしない。 
                                                                    (令和3年7月15日 記す)。 
 
 ヒント② →答え  この枠を一つの空間(スぺ-ス)、あるいはセルと考え、その中にある数字をエネルギ-と考えて貰いたい。次にはその空間を
               「数」の場合とまったく同じ理屈をもって計算し、それぞれの合計数を出すのである。すると、「3次元体」のエネルギ-は 示した                 通りに、 222:2、すなわち 、3:1という比率になり、同時に、空間の比率も同じく3:1の比率を持って仲良く円満に納まっているのである。
                それは要するに、外側の枠のセルは、3+3+3+3=12、内側のセルは1+1+1+1=4となって、比は3:1となり、                      すべての比は何処まで行っても完全に一致した数比で納まっている事を示しているのである。

  これは、何時も言っているように、小、中学生でも解ける計算問題である。ただ、彼等は知に対する視野がまだまだ狭いので十分な理解には     至らないだけなのである。
                                                                    (令和3年7月20日 記す)

 ヒント③→答え  さてさて、試算もしようとしない あなたがたには、判るはずが無いのであるが、一応、言った手前、書き置くことが礼儀であろう。
             要するにである、これらの次元体を計算すると、面白いことに、答えの数は次のような数の並びになるのである。
 
          1,3,5,7,9の奇数の次元体の本質数はエネルギー的にも空間的にも …… 1:3:5:7:9 → と奇数的な比率で伸びて行き、

          また、2,4,6,8等の偶数の次元体エネルギー的にも空間的にも …… 1:2:3:4:5、→ と自然数列的な比率で伸びて行く。

  一体、そこにはどのような関係があり、何を意味するものなのであろうか……!!??。   誰か、その答えを出して見て貰いたい。 
  また、そこには色々な意味を囁いている「数の群れ」がたむろして、あなた方に「大いなる意味」を語ろうとしているのであるが、
  果たして、あなた方はそれらを捕まえて、その意味を察することが出来るのであろうか、 さて、さて、 はて、はて……!!??。
                                                                     (令和3年7月25日 記す)

 今、思い出した、確か、「カタカムナ」の発見者であった楢崎皐月氏は「次元には偶次元と奇次元と言う2種類が存在している」と発言していた世界で唯一の学者である。それから70年以上経った今でも、その事実は誰も口にしてはいない、調べようともしない…!!!。
 要するに、彼は、そのような素晴らしい自然の理象を言葉にした日本が誇る大科学者の一人なのである。覚えていて欲しい…!!。
 ひょっとすると、古代文献である「カタカムナ」の中にそれらの事象を語っているような言葉があるのであろうか…!!。
 あれば是非、教えて戴きたい。

 ヒント④→答え  さて、これは甚だ深遠で、奥深い「神の秘儀」の一つである。恐らくは、今まで誰も遭遇したことの無いものであろう。
            皆さんもこぞって考え、そこにある答えと言うものをシッカリあぶり出して貰いたい。
            どっちみち、何時かは遭遇しなければならないものであり、考えて答えを出さなければならないものである。

  さて、これらの次元表の本質数を見ると次のようになる。1次元体は→4, 2次元体は→1, 3次元体は→2、 4次元体は→7、5次元体は→7、   6次元体は→2、7次元体は→1、8次元体表は→4、9次元体は→2、となることがお判りであろう。
  それを並べると次のような数列が現れて来るので、ジックリと眺めて、検証に入るのである。

               4 1 2 7 7 2 1 4 2

 そこでまた考えるのである。 1次元の前には、当然、「神の次元」である0次元が存在して、全体を見張っているはずであると…!!!。

 一つ、断っておきたい、あなた方は数の多い方が高次元であると思っているようであるが、それは今まで何回も言っているように大きな誤りなのである。
 科学者達は10次元の空間から6次元の空間を巻き取ったもの、それが4次元空間であるとか、26次元の存在とか勝手なことを口にして議論しているが、果たして、次元はそのように伸びて行って、数多にわたって存在しているのであろうか…!?。到底、それは考えられない。次元は有限である。
 私の持つ次元論は次元は少なくなればなるほど高次元の世界になると言うことである。それ故に、0次元は最高次元であり、「神」の次元であると主張しているのであり、実在(陽)の次元では四次元が最高であり、それ以上の次元は相対的に結ばれている蔭の次元、すなわち、「あの世」的な次元なのであり、すべてはで9次元で終わっているものである。そのことは、今まで何回も「数」で説明していることであるが…!!!。

 そうすると、1次元の前には、当然、0次元と言う「神」の次元が存在していると考えて、その0と言う「神の次元」の本質数を調べて、付け加えることが必要なのである。すると、それはこれらの対象的な位置関係から考えると、当然、9次元の数と同じ2であることは、今までの学びによって、お判りになるはずである。 (09より)
今回の0次元の数として2を入れる、すると驚くことに、そこに2412772142となる姿の完全鏡面数列が現れて、幕を下ろすのである。


 要するに、0はすべての数を持つ、すなわち、すべての「数」に姿を変えることの出来る、いわば、「神」の数ではあるが、ただし、その場合には何の数でもいいわけではなく、そこには一つの規制があるのである。それは、必ず9次元体の持つ「数」と同一数で無ければならないと言うことである。すなわち、それが偉大なる「神」の宿命であり、「神」の唯一の泣き所なのである。 そのような訳で、今回の0次元である「神の持つ数」はとなるのであり、そのような理由なのである。
 
 すると、次のような0次元から9次元体からの本質数からなる次系数列が現れ、しかも、それは完成対称数列、すなわち、
完全鏡面対称数列の姿を持っている「神の数列」であることが解るのである……!!!。
   
   2 4 1 2 7 7 2 1 4 2 …… 完全鏡面数列



 何故 完全鏡面対称数列は「神の数列」であるのかと言えば、完全鏡面対称数列は常に、その中に「カムナガラの道」の中のいずれかの数列の完成した形を必ず持っているからである。恐らく、あなた方は「そんなバカな」と疑い、笑うことであろう、しかし、それは疑いの無い事実であり、「神の数学」の中の「神算法」を用いることにより、すべては簡単に判るのである。  

 そこで、今度は、果たして、この0次元の本質数が
であると言うのが正しいのかどうか、それを改めて確かめて見ようと言うのである。 あなた方も、是非、その事実を一緒に検証して見てもらいたい…!!。恐らくは目が点になるはずである。


 

 

 ほら、面白いことに、完全鏡面数列を探れば、何と、「神」、すなわち、「カムナガラの道」の中の数列が静々と現れて来たではないか……!!!!。
 それが、すなわち、完全鏡面数列が「神」と呼ばれている由縁であり、鏡面数列は「神」の分身であるとの証拠というものである。

 恐らく、あなた方は、この完全鏡面数列が「神」と呼ばれている由縁と鏡面数列は「神」の分身であるとの理由については頭を悩ますであろう。しかし、その答えはすべて、古神道の神髄である「カムナガラの道」の中にシッカリ示されているのである。
 例えばである、この「カムナガラの道」の中にある二つの対角線数列だけが完全鏡面数列であり、完全な「神」の姿を持っているものであり、古神道では「大神」と呼んでいるものである。また、それ以外の「神」は、単に「神」と言われている一種の「神の眷属」なのである。。
 
 それ故に、「カムナガラの道」においては完全な姿を持つ二つの対角線数列を私は「神」と呼び、それ以外の数多(
あまた)の斜めに走る未完成体な鏡面数列体を私は神より一段劣る神、すなわち、「神の分身」、あるいは「次神」と呼んでいるのである。 何故なら、鏡面数列は未完成なものであり、決められているもう一つの相対的な鏡面数列と合一することにより、初めて完全鏡面数列となって「大神」に昇格するからである。
 
 それが、本当である証明に「カムナガラの道」の中にある二つの対角線数列を取り出し、上部の式と同じように「神算法」を用いて右の数より左の数を引いて見ることである。すると、同じょうに、そこには」カムナガラの道」の中のいずれかの「神の数列」が現れて、弥栄となって納まっているのがお判りになるはずである。

 とにかく、これら二つの対角線数列を上部の計算式を見習って計算をして見ることである。それから、その二つの計算式の答えを見比べて見るのである。すると不可思議な事実、あなた方が見たこともない不思議な「数の流れ」に遭遇し、その不思議さに目を回し驚くことになるのである。その姿こそが、すなわち自然の真実の姿であり、本当の「数の流れ」と言うものに、あなたは初めて、やっと行き着いたということなのである。

 経った二つの「カムナガラの道」の対角数列を「神算法」で処理して、その結果を見比べるだけですべてが判るのであり、
「現代数学」の未熟さ、不完全さが手に取るように判るのである。そこには不可思議な数の並びとマイナス数の無い健康な数の並びが整列してあなたを出迎えてくれているのである。

 そこで、あなたは不可思議な数の囁きの存在に気が付くことになるのであり、それが、ようやく、「現代数学」と言う煩悩から開放されたと言う事になるのである。

 いや、いや、ひょっとしてあなた方は計算(
引き算)、すなわち、1-4=6、2-7=4、2-4=7となる計算である「神算法」が出来ないのであり、迷った挙句、投げ出しているのではないか…!!??。  ハー、ハー、ハー…!!?????。
 私は何回も教えてきたはずであるが、まともに相手にしてこなかったあなたに非があるのであり、あなたに落ち度があるのである。 もっと素直になって私の言う事を聞いてもらっていれば、有数な「数の達人」になれたたはずであるが……!?。

 とにかく、自然界にはマイナス(ー)となる象は無いのである、それを強引にマイナス数で押し切ろうとしても、決して、正しい答えを求めることは出出来ないのである。 それを無理強いして、行なっているのが西洋発の「現代数学」なのである。
 そのあげく、「現代数学」を基調にしている物理学は「自然は複雑怪奇であり、かつ混沌に満ちている」、とぼやいて、嘆き、半ば投げ出しているような有様なのである。
 
 また、それをあからさまに立証しているのが、この「カムナガラの道」の数図にある二つの対応する対角線数列である。また、そのあたりについては、陰」と「陽」のこれら二つの対角線数列から現れた二つの「神の数列」をシッカリ同様な手口(
神算法)で調べて見れば、すべてはハッキリと解るはずなのである。
 それにより、この二つの対角線数列は間違いなく、「陰」と「陽」の性質を持って存在していることが判明するのであり、同時に、マイナス数の無い世界の真実、すなわち、「自然世界の真実」の存在と言うものを、改めて深く知ることが出来るのである。
 
 
 要するに、今まで漠然としていた「陰」と「陽」の本質、本性が即座にこれで解って来ると言う事なのであり、まったく不明であった言葉の意味がここに来てやっと、解けたと言うことになるである。考えて見ると、2000年近くの年月が経って、初めて解明に至った次第であり、まことに素晴らしいことなのである。

 それは確かに、今の今まで漠然としていて、完全に不明の状態にあった「陰」と「陽」の性質、いや本性そのものと言うものが完全に判明したことになるのであり、長年、歴史上で騒がれていた問題もこれで終わりを告げることになったのである。
 目出度い、目出度い……!!!!。とにかく、「陰」と「陽」は自然象の根幹を為すものであるが、この存在理由を解き明かさない限り、自然の本質、本性は決して判ることはないのである。
 
 このように、それは「陰」と「陽」の本質の極みと言うものを見せてくれるものであり、また、それにより、「哲学世界」の現実的な存在と言うものをハッキリと示してくれるものである。今、現代科学の変則的な発展段階により、現在は「自然の哲学」と言うものは完全に圧されて、まさに消失寸前の有様である。
 恐らく、何時の日か、現在、失われつつある「哲学」と言う学問の大切さを改めて我々は認識することになるであろう。
 
 要は、とにかく自らの手で計算を行って見ることであり、ただ、考えているだけでは決して前に進むことはできないのである。
 頭を捻って考える、すべてはこの一言に尽きるのである。弥栄、弥栄 ……!!!。

 とにかく、人間の思考なんては、まったく当てにはならず、「自然世界」の真実を掴むのには程遠いものである。それ比べると、「神」の思慮は理路整然であり、着実方正なのである。それ故に、決して間違うようなことは無いものなのである。
 日頃、私はそれを称して「神コンピュウター」と言って敬い、奉っているのである。

 その「神コンピュウター」の素晴らしさ、ゆくりないその性能の如何を調べたい方は、いくらでもそのサンプル的な問題は当方にあるので、是非、来宅して調べて見ることである。驚いて、腰を抜かすことは、これ、当然なことである。

 ほい、また、路線が狂ってしまった、堪忍、堪忍 …!!!。 「神」の説明途中であったはず、続けよう …!!!。


 またまた面白いことに、どういう訳か、これらの「神の分身」である鏡面数列のすべては、必ず対となっている相手の数列を探し当てて完成に至るべく、懸命にその相手となる鏡面数列を求めようとしているのである。良く調べて見ると、その相手の数列は遥かに離れた対極にある同じ斜めの数列帯の中に100%完全な形で存在しているのであり、その二つが完全な結び合うことにより。完全な「神」に昇格し、不思議な能力を発揮して止まないのである。まことに不思議なことであるが……!!!。
 
 それ故に、ある一つの法則を見出して、その相棒となる二つの数列を繋いで見るのである。すると、その二つはピッタリと合って完全な合体数列、すなわち、九つの数を抱いている「神の数列」の姿となって我々の前に静々と現れて来るのである。
 それと同じ法則を用いることにより、すべての他の鏡面数列も、それぞれが九つの数からなる数列となって「神」にに納まり、力を持つことになるのである。 まさに、数の語るストーリは素晴らしく、また面白いものである。 
 しかも、すべては整然とした法則に従って動いているのである。
 それ故に、私は「カムナガラの道」とは素晴らしい「神の叡智」の集成体であり、「神」の系図の姿を見せている素晴らしい「神の贈物」、すなわち「天与の数図」と呼んで敬っているのである。

 
 その見事な数列の関係から見ても、この古神道の神髄である「カムナガラの道」の存在は驚くべきものであり、それはまさに「神の手」により作られたものとしか思えないものである。恐らく、将来、いくら性能の良い巨大コンピユターが発明されても、とても同じようなモノは決して作れないであろう。
 また、同時に、この「カムナガラの道」を探索し、その業を極めることにより、「神の存在」が明らかになるはずであり、現存している神の在、不在の論証は完全に姿を消すことになるのである。要するに、「神」は間違いなく存在していることが明らかになり、大きな歴史的な問題は解決されることになるのである。 後は自由に「神」の姿をトレ-スしながら色々と学んで、人生を送るだけである。 まさに、弥栄、弥栄 弥栄の極みと言うものである…!!!。


 また、これらの仕組みは、「神」の存在を肯定する最大の材料としての存在を認めざるを得ないものであり、同時に、そのような偉大なものが日本の国に存在していたことを感謝しなければならないものである。とにかく、日本と言う国は他の国とは5歩も10歩も秀でている国であり、まったく異なる由緒を持つ国なのである。そのあたりは、これから、ますます世界中に知れ渡ることになり、人々の尊敬をますます受けることになるであろう。

 しかし、そのような事実関係の所在については、今の所、誰も知らない、誰も知ろうともしない、ちょっと、手を動かせば簡単に解るはずなのであるが…!!。
 
 まあ、そのあたリのことを、どうしても知りたい方は、わたしを尋ねるがいい、改めて、講義申しあげよう、これらは2~3時間もあれば、中学生でも解き放つことが出来るような易しいものであるが……!!!。ただし、どの問題の解答が欲しいのかはハッキリ明示して貰いたい。
 「神」とはそのような、素晴らしい姿や形をしているのであるが、実際に遭遇し、調べて見なければ、その素晴らしさはわからないものである……!!!!!。ただただ、憧れ、崇めているだけでは、決して、求めることは出来ず、ましてや、その正体やその働き等は解ることは決して無いものなのである。
 
 
 また、更に面白いことに、何と、御覧の通りに「神の数」である「0」の後ろには必ず最終次元体である「9次元体」の姿が、見え隠れして、全体を支えていることが証明もされているのである。それは宇宙自然の一つの律であり、当然の決まりなのである。

 その姿は完全循環体においては当たり前のことなのであり、それがすなわち、循環体の姿なのである。そのあたりのことは、確か、西洋の黙示禄にもあるのであるが、今の今までその言葉をの意味を解明した者は誰もいない、ただただ、口で唱えながら考えているのであるが、今のままでは、永久に答えは出ないはずである。何故なら、今の世界の考えの根本がまったく違うからなのである。
 それがすなわち、「神」の言葉である「わたしはアルファであり、オメガである、または、わたしは最初であり、最後でもあると言う謎の言葉なのである。それは、すなわち、「神」の本当の姿は循環体を持っていると言うことを指している言葉なのである。

 その完全な姿を持っているものが、すなわち、日本の古神道の神髄である、あの「カムナガラの道」であり、自由自在に、このわたしは最初であり、最後でもあると言う言葉に意味を説明出来る世界で唯一無二のものなのである。
 
 この当たり前の言葉、その意味を解した者は誰もいないと言うのが、今の「知の世界」であり、哀れな我々の世界の姿なのである。
 それは、要するに、自然世界(神の世界)は直線世界ではなく、完全なる循環態を持っていることを表している言葉なのである。
 確かに、今の世の中は何かが狂っている、何かが正常ではないような気がするのであるが……!!!。

 このわたしは最初であり、最後でもあると言う言葉の理由、その違いの真実を知りたいのならば、是非、古神道の神髄である「カムナガラの道」を懸命に調べることである。判らなければ私もシッカリ応援しよう、真実を求めるにははばかることは無かれ……!!!!。
 
 すべての答えは、そこに記されているのであり、すべての完全な自然世界の答えはそこにシッカリ出ているのである。
 また、その上、答えを求めようとしているあなた方の訪れを今か、今かと首を長くして待っているのである……!!!。

 要するに、今、世界で一番求められている真実の言葉がこの「カムナガラの道」の中に存在しているのである、しかし、誰もがせせら笑うだけであり、歩みを止めることもないのである……!!!!!。それが西洋知に真っ赤に染まってしまった日本民族であり、我が身を振返ることも無く、一心不乱に西洋知と言う反自然な現代知に塗(まみ)れ去った哀れな民族なのである。
 

 この「神の数」である「0」の後ろには必ず最終次元体である「9次元体」の姿が、見え隠れして、全体を支えていると言うことは忘れないでもらいたい
、すなわち、例えて見ると、それは丸で、あなた方一家の様である、要するに、全体的な権力を持っていると思われている一家の長であるあなたの後ろには常に、奥さんの目が光っていて、バランスを取っている、それとまったく同じ構図であり、それが自然の真実の姿、永久に変わらぬ姿なのである。要するに、あなたと奥さんは常に一心同体で無ければならないのであり、心に違いがあってはならないことを教えているのである。
 あるべき自然とはそのようなバランスの上に立ってすべては成り立ち、調和により永遠性を保っていることを知って欲しい。すべては同じなのである。 
 おわかりであろうか、あなたも宜しく、この自然の原理を学ぶがいい、家庭は永遠に保たれて無事にハッピ-エンドまで行くことになるぞょ。
 、ハ-、ハ-、ハ- …… !!!!。
 

れはすなわち、0はすべての数の母体であり、あらゆる「数」を産み出すことが出来る、いわば、母なのである。それ故に、唯一、すべての数を表す(代用する)ことが可能なものなのである
 しかし、そこには制限があり、必ず、9次元体の本質数と同一なものでなければならないのである。要するに、それはトランプのババ抜きゲ-ムのジョカ-と同じようなものであり、数の順序が来ても、手持ちにその数が無ければ、ジョ-カ-で代用してもいい、と同じようにである。 

ただし、この場合、すなわち、トランプの場合には「数」は何でもいいのであるが、この自然体の0の場合には必ず、9次元体と同じ「数」でなければならず、そこには大きな制限が付き纏っていることを知ってもらいたい。また、それを示しているのが、すなわち、(0=9)なのである。
 私も、最初の出会いでは解らなくて甚だ面くらったのであるが、2度、3度同じような場面に出合って、考えた挙句、だんだん解るようになって来たのである。自然とはそのようなものであり、余り、突飛さ、不合理さ、と言うものは持ち合わせてはいないのである。
 それが、自然体、すなわち、自然体の姿なのであり、あり、その本性と言うものなのである。

 恐らく、そこには何らかの大きな意味があって、永遠な姿、無窮なる存在となって時間を闊歩しているのであろうが、残念なことに、今の私には何も解らない。とにかく、自然はまろやかな姿で回転しながら、永遠の回廊をめぐっているのは確かであり、我々の存在等には歯牙もかけてはいないのである。

 私の推量としては、偉大なる「0の姿」の「神」はオ-ルマイテイであるが、やはりそこには規制がかけられている、その規制のひもをにぎっているのが、何と、9次元体そのものなのである。このようなことは、今の今まで、誰も言ったことは無く、いや、誰も思ってもみなかったことである。

 しかし、自然の真相を語る「数」はそう言っているのであり、そう、明かして止まないのである。

この「完全鏡面数列」の現れこそを称して、私は「神の姿の現れ」を予見するものであり、また、計算(神算法)に従って現れて来るのが、御覧の通り、間違いの無い「カムナガラの道」と言う日本固有のまことの「神の道」の姿なのである。そこをシッカリ、覚えていてもらいたい。
 要するに、
この「カムナガラの道」のいづれかの数列が計算により現れた場合には、すべては正しい経過で最終答えに至っていることの証明となるものなのである。 

  要するに、この「カムナガラの道」の出現により、すべては「正しい形」、「満足状態」が示され、また、それは一つの自然象による完全証明に至つたことを物語るものであり、完全な大円団を迎えたことを表している「神の数列の群れ」なのである。
  この「カムナガラの道」の出現こそが、すべてを満足させて、弥栄を迎える大前提となるものであり、それほど素晴らしいものなのである。

しかし、誰も知らない、誰も気にしない。ただ、ただ、何となく生きているだけであり、何となく死んでゆくだけである。


 とにかく、「神の答え」は一つばかりではなく、そこには数多あるのであり、いわば、枚挙に暇が無いと言ってもいいくらいなのである。
  あなた方も、決して慢心することは無く、更なる奥へと進んで、見事、「神の寵愛」を受けて見る事である。それが人生の華であり、生きがいと言うものである。ただ、ただ、散漫に生きて、何となく大切な人生を無駄に過ごして、死んでゆく、それでは余りにも悲しすぎるではないか……!!!!!。

 あなた方は、これと まったく、同じような計算手法で、他の次元表の計算を行い、真実を掘り起こしてもらいたい、別に矛盾は起こらないはずである。  すべては、同様にスム-スに行って、そこにある人間の未だ触れていない「真実の法則」の存在を数多、見出すことになるのである。
 それは、一つの生きがい達成であり、同時に、人類に対しての「こよない奉仕」ともなるものである。

 そこで、改めて考えてもらいたい…!!。  まだまだ、この「神の示し」には余禄(よろく)が色々とあるはずである、それを是非、探し出して見て貰いたい。
 とにかく、頭を捻って考え、更に考えることであり、ペンと紙を用意して、黒くなるまで書きまくることである。
 さてさて、 一体、あなた達はどのように考えて、何を引っ張り出して、どのような形で幕引を計ろうとするのやら……!!??。

 今回は、熱が入り過ぎて少々難しいものとなってしまったが、次回からは、また、なるべく平易な「神の話し」に戻ることにしょう。
 あなた方の頭ッを混乱させて、まことに済まなんだ…!!。堪忍、堪忍……!!!!!。

  果たして、人知を超える「哲数学」の真実の存在を掘り起こすことが出来るのであろうか、甚だ、面白い限りである……ハ-、ハ-、ハ-!!!。