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  【超古神道物語2】

   「神の数学」の真実を語ろう



   

 令和編   『神の数学』

とても信じられない不思議な「数」と「神」との物語。
                   
                                                         令和3年5月   上載 

 さて、さて、少々油断していたら、何と、今年も5月を迎えてしまった、何か、月日は益々速度を早めて来ているような気がするのは私だけであろうか、まさに、光陰矢の如くの言葉が、何故かこの年になってから、身に染みて判るような毎日である。

 私はこの約半年の間に、人間には考え付かないような二つの大仕事をしてしまった、一つは「数」に関することであり、しかも、それは「現代数学」では考えられないような簡単な「数の計算」を用いて、「神」の存在検証を明らかにしたと言うことである。 要するに、今まで、誰もなしえなかった「神の存在」と言うものを簡単な「数」で明らかにしてしまったのである。
 しかも、大変易して、簡単な計算方法、すなわち、小学生にでも出来るような「数の計算」でを用いてである……!!!。
 
 要するに、「神」そのものは間違いなく存在すると言うことを証明したものであり、しかも、誰でも驚くような易しい「数」の仕組みを用いてである。要するに、「数」の本質を突くことにより、「神」の存在が浮かび上がって来ると言うことなのである。
 ただしである、それはあなた方の想像しているような人間的な姿とか、物質的な有形な存在等ではなく、科学者達が言っているような「超知的な存在」であり、現在の宇宙自然を設計し産み出した究極の存在、あるいは、すべての自然の摂理を作り上げた意識的な全知全能の存在、または同時に、どのような空間や時間の中に常に等しく存在している「大いなる存在」と言うべきものなのである。  あなた方はガッカリするであろうが、しかし、それが本当の「神」の正体であり、「神」の本当の姿というものなのである。ようするに、学者達の言い分が正しかったと言う事である。
 
 確かに、あなた方は落胆するであろう、何故ならば、今まで我々は「神」は我々と同一的な存在、すなわち、我々には想像の出来ないような超知的な力を持った「人間的な存在」と考えていたので、懸命に呼びかけたり、拝んだりして物事を頼んだり、お願いしたりしてきたのであるが、それらは一切何の役にも立たなかったと言うことになるからである。 
 
 恐らく、この「神」の存在証明は小学高学年の学歴あれば、誰でも計算出来るものであり、しかも、キチンと計算はで成り立って、不思議なことを次から次へと語り上げてくれるものである。それだからと言って、別に、威張るようなものでもない。それは不思議な動きを見せてはいるが、よく、考えて見ると当たり前の答えであり、真実をついているものなのである。
 まあ、簡単に言えば、ただ、「神」の言葉と「神の業」を「数」で記すことにより、「神の存在」の姿がおぼろげに判って来たと言うだけのことであり、しかも、それと同時に、「神」は大いなる意味を秘めながらも、普遍的で、かつ永遠的な形で常に、何処にでも存在していると言う事実が、同時に解って判って来るものである。

 そこまでの不思議は誰が見ても判るのであるが、さて、その意義、意味となると余りに大きすぎて判断に苦しむことになることは知って欲しい。 何故ならば、そこには我々が未だ手にしていない宇宙の形や、次元の真実等がすべて、「数」で見事な形で表現され、更には、更なる進展をサジエストしょうと我々の来訪を待っている様子がありありと感じられるからである。
 しかも、それは、甚だ易しくて、難しいものでありながら、大変面白いもの、大変興味が湧くと言う「おまけ」がつくのである。

 これから、その「神の存在」を数ヶ月かけて、「数表」とその論理をまとめ上げるつもりであり、その後、改めて公にするつもりである。 ただし、それが何時になるかは今の所、ハッキリと言う事は出来ないのが甚だもどかしい限りである。
 恐らく、一生懸命にやれば、図表とその説明のまとめは2~3日もあれば出来るのであるが、しかし、折角なので、私は十分に時間をかけて自分を楽しませながらジックリとやって行くつもりでありる。何故なら、それが、何時もの私の流儀であり、楽しみ方でもあるからである。 

 しかし、誰か、聡明で直感と洞察力に優れた方が、手助けしてくれるならばその限りでもない、割合早く皆さんの前に披露できるはずである。ぜひ、そのよう殊勝な方が協力を申し出ることを期待したいものである。
 しかし、難渋することは知って欲しい、なんせ、小学生並みの数の計算から始めなければならないからである。
 そのような計算に2時間も3時間も耐えられる御方は、是非、来訪して貰いたい、ただし、計算器などはまったく役には立たないこと
だけは知って欲しい。なぜならば、すべてはあるべき数の仕組み上の計算,当たり前の自然のあるべき計算法によるものだからである。とにかく、我々の用いている10進法様式の計算器はまったく不要なことは、是非、知って貰いたい。

 恐らくは、あなた方がその「神」の言葉を理解しようとしても、最初は少々難しく、意味がまったく不明で、理解が出来ないであろう。何故なら、その内容たるものは「現代物理」の用語には未だ無い次元的な特殊な計算法を持っているからであり、これを理解して、初めて、人間の知の上ににこれから新たに加えられるものになるからである。要するに、それは今までの「人間知」、あるいは現在の人間知等の総括的な数の形式法、、すなわち、「現代数学」では、どうしても「神」の真実を語ることが出来ないと言う事を我々に教えているものである。要するに、「数の計算法」が我々と自然ではまったく異なるものと言うことである。

 その「数の計算法」を少しでも知れば、自然、自然の中に「数」の虜になり、それによって「数の本質」を知ることが出来、「現代数学」の曖昧さや、自然とはまったく噛み合わないと言う驚くべき事実を嫌と言うほど知ることになるのである。
 
 まさに、それが我々にとっては大いなるジレンマとなって来たものであり、それこそが、我々人間が古代から大変苦しみ藻掻いて来た最大の理由なのである。少し考えて見ると簡単に判るはずのものなのであるが……!!!。
 あなた方はその易しい計算方式の存在さえも知らず、余りにも鷹揚に構えていすぎるのであり、威張っていすぎるのである。

 おそらく、知れば知ったで、何とか、難癖を付けて邪魔しようとするであろう。まさに、それは度し難き高学識者の慇懃無礼な態度であり、自分の無能ぶりをさらけ出しているものである。 しかし、そのことは自分では解らないようである。
 
 それを証明しているのが最近の新聞記事である。何と、アジァ地区の20位までの大学ランキングには、日本は僅か、1校か2校しか入ってはいないのである。何と、中国や、韓国に完全に負けている、いや、言葉は悪いがゴロ負けしている状態であり、まったく歯が立たないと言うのが本当なのであろう。
 そのあたりから見ても余り威張れないはずであり、私のような完全に無学の輩とそんなに違いが無いように思えるのであるが……!!!!。しかし、人間としてはあまり尊敬は出来ないことは事実である。何故ならば、「知」に勝ることと、学識が高いことは、まったく別物なのであるからである。 

 「智」は神様が与えたものであり、「学識」は人間からもらったものである。要するに、構成基本そのものがまったく異なっているものなので、比較すること事態がおこがましい限りであり、僭越過ぎるものなのである。

 それは諺にもあるではないか…!!、それが「余り知に溺れると身を亡ぼすことになる」 と……!!!。
 要するに、「知」は世の荒波を生き抜くための手段として用いればいいのであり、それ以上獲得し、知に埋もれても、それを使いこなすだけの技量が無ければ意味が無いと言っているのである。
 

 そんな事を考えていた時に、何となくで思い出した歌がある、それは今から、100年以上前に作られた歌であり、今の人たちは余り聞いたことの無いはずである。大変懐かしくなってユー・チュ―ブを覗いて見た。すると、そこには懐かしい言葉と共にシッカリその歌が載っていたのである。そこには懐かしい曲とともに、色々な「神の御業」が歌われていて、大変、懐かしい思い出が走馬灯のように浮かんだり、消えたりして大変楽しい時間を過ごすことが出来た。
 それはまさに、一つの心の大いなる慰めになるものであった。

 思い出しながら共に歌って見ると、何と、美しい日本語と共に、「神」の真実を讃える文句が鈴なりに歌われて、改めて、先達たちの「神」に対する心構えに、いたく、感動し、その長い歌詞のフレ-ズを最後の最後まで聞いてしまったのである。
 その歌の名前は
「美しき天然」であり、いまでは失われてしまった素晴らしい言葉、懐かしい文句等が綺麗なメロデイで次々と歌われていて、心から「神」の御業を賛美、讃褒している様子が、ありありと伺えるものである。
 そのすべてはあなた方が聞いたこともない見事な言葉と共に歌われている素晴らしいものであり、それらが過去の日本にシッカリ存在して、人々に歌われていたことがよく判り、大変、心が打たれた。
 まさに、それは心をほのぼのとさせる日本の本当の歌であり、素晴らしい歌なのである。 余りのなつかしさに、我を忘れて夜中に大声で歌い、万感をしばし楽しみ、そして涙したのである。
 まあ、年甲斐もない話し、恥かしい話しではあるが……!。

 
 さて、またもや馬鹿馬鹿しいことを述べて自己満足に浸っているとのたまい、軽蔑の念に一杯の御仁がいれば、御足労ではあるが、是非とも、当宅に足を運び、私の言う通りに少しばかり、「神の数学」の計算を軽く行い、その検証を楽しんでもらいたい。
 出来るならば、「神の存在計算」を手助けして貰えれば、まことに有難いのであるが…!!!。
 まさに驚き一杯のものであり、現代数学が如何に頼りない空論的な存在が多いかが判ろうと言うものである。

 その上で、改めて、家に帰ってから、自分の手でジックリと再検証して真実を確証しながら、その事実を確かめて貰いたい。
 とにかく、それは一見、馬鹿馬鹿しいような奇妙な計算であり、小学生でも出来る大変易しくて、不思議な計算なのである。
  しかし、それを行うことにより、あなたの心は十分満足し、これからの自然を見る目や世間を見る目も変わってくることになるはずであり、「神」の存在を確認することも出来るのである。
 また、それを会得すると共にあなたの生活も一変し、「神」の存在を信じて楽しく生きて行くことが出来るものである。
 
 ただし、その数計算は一桁の加算計算であるが、甚だ、「数」が多いので面倒な計算ではある。また、時間がかかるので、ある程度の忍耐力と持久力(2時間から3時間)が必要となるものである。そのことは、あらかじめ、言って置きたい。
 
 また、その結果を図示して、まとめるのにも直感と洞察力がある程度必要なものでもあり、それは言ってみれば、まさに、あなたなの腕と頭脳による自然との力比べと言うことになるはずである。 また、場合によれば、パソコンにて表を完成させ、意味を糺すには1日か二日位はくらい懸かるかも知れない。 しかし、その意味さえ判ったならば、持って帰って後日にでも自宅で完成させて、感激するのも一つの手ではあろう。とにかく、短時間では無理なものであるが、大変、意味深く、考えさせられることになるのはは承知して貰いたい。
 
 せめて、「神」の存在を明かしたいと言う強い大望があるならば、そのくらいの自己犠牲は払ってもいいであろう、そのあたりは覚悟して来てもらいたい。とにかく、「神」の存在を知りたい方、その計算法を知りたい方は遠慮なくどうぞ…!!。
 
  最近の若者たちは我こそはと言う覇気がないばかりか、辛抱強さもないのが大変気にかかることでもある。
 要するに、日頃、甘えさせられて苦労が足りないと言うことであり、それ故に大望と言うものが抱けないと言う事であろうか。
 是非、そのあたりを自問自答しながら、自分の腕と技量を試して見ることにしてもらいたい。いい経験になるはずである。
 要するに、少々、すべてに渡って安楽し過ぎるのであり、苦労しながら深く考えること等は一切しないと言うことであろう。
 それでは何時まで経っても半ば、生半可な人生で終わり、満足した深い生涯は送れず、不満だらけの人生を送ることになりかねないのである。とにかく、若い中に何でも経験しておくことが大切なことであり、それが打たれ強い人間を作り上げることになるのである。 


 私などは、自慢じゃないが、10歳にもならない中に、外国で親、兄弟5人のすべてを失い、飢餓と渇きに苛まされながら、一年半と言う長い間、2歳半の歩けない弟を抱えて、何百里と言う距離を歩き通して、一人で日本に引き揚げて来た苦しい経歴を持っている身である。 それはまさに、壮烈な人生、在ってはならないような経験そのものであり、深い心の傷を負いながら、人には言えないような苦しみの連続の果てに、何とか、やっと日本に帰って来ることが出来たのである。
 しかし、その経験は後の人生には大いに役立ったと今では、逆に「神」に感謝の気持ちで一杯であり、何時も「神」と波長が合っているような感じである。それ故に「神」を求めようとして苦心惨憺を繰り返しながら、現在に至っているのである。
 しかし、その経験だけは、今でも誇りに思い、大切にしているので、どのような難局でも乗り切れるだけの自信はもっている。
 
 それで頑張ることには何も違和感は無く、頑張りこそが生きがいであり、生きていくための必須条件であると思って、86歳の今でも懸命に、かつ楽しく生きている次第である。とにかく、今の口達者な若者達には体力では負けても、根性では負けないつもりである。
 だから、貧乏や飢餓なんては何と思ってはいない、今でも、三日くらい何も口にし無くても平気であり、何とも思わない。
 とにかく、生きていくためには頑張りが必要であり、頑張りこそが人間の人間たる由縁と思っているだけである。
 そうすることにより、運は開け、女神は微笑んでくれ、思うように人生は開けて来ると信じているのである……!!!!。
 それが私の信条であり、堅い信念と情熱をもって、今でも懸命に頑張って楽しく生きて来ているのである……!!!。

 さてさて、つい、力が入ってしまった、御免、ごめん。 さあ、余計な話は止して、改めて、本題に戻ることにしよう。

 
 この「神」の存在を、見出したいと思うならば、それは簡単である。要するに、一切の思考を停止して、当分の間、数の計算だけに心を集中することである。それに慣れてくると、今度は「数」の方から話しかけてくるようになるのである。そのための数表があの古神道の神髄である「カムナガラの道」であり、我々を夢幻の「数の世界」に連れて行って呉れる唯一のものである。
 それは本当の話しである、まあ、そこまで行き着くのが大変であるが…!!!。
 
 何故ならば、それは現代数学的な「数」の操作ではなく、あくまでも「数」と言う記号操作と言う意識的な計算により、すべてが完成され、「神の存在」の証が次々と姿を表すことになるからである。また、それを一見するだけで、その余りの見事さにどのような大学者でも驚嘆し、腰を抜かし頭を垂れるだけになるものなのである。
 それほど、「数」の力は偉大であり、人々の魂を揺るがして止まないものである。
 
 これらを称して、西洋世界では、東洋から来た「数の秘術」と称して、秘密裡に伝えられて来たのである。
 それを最初に世に出したのはギリシャの数学者であり、哲学者でもあったピタゴラスであり、彼は西洋では初めて
「宇宙のすべては数の法則に従う」という思想を確立したのであり、そこから「数秘学」という学問が始まったと伝えられている。
 彼の言う「宇宙のすべては数の法則に従う」という事実は,そもそも、古神道の「カムナガラの道」に「数」でシッカリ記されているものであり、それが遥か大昔に日本人の海外飛雄とともに、かの地に伝わったと私は思っているのである。

 最近の私でさえもピタゴラスの言葉である「宇宙のすべては数の法則に従う」は正しい言葉であることを身をもって知るようになっているのである。何故ならば、その事実を「カムナガラの道」は色々と教えてくれるからである。

 まさにこの古神道の「カムナガラの道」こそが「数」は宇宙の法則のすべてを知っていると言ってもいい存在であり、
そこにある「数」が見せてくれる森羅万象の流れゆく姿こそが、まさに「宇宙の法則」に即した見事な流れをもつものなのである。
 

 また、愚かにも日本人だけが、現在、「数」はインドで見出され、そこから西洋に伝わったと信じて止まないのである。 
 そもそも、インドと日本の歴史はどちらが古いのか、そこをシッカリ考えてもらいたいものである……!!!!!。

 現在でもユーチュウブを見ると 「何故、日本にはインドの失われた文化文物がそのまま残っているのか…!!」などのインド人の驚いているコメントが挙げられているのを見かける。そのあたりをシッカリ考えて見ることである。
 
 なんせ、日本の古神道の遺物そのものが現在でもチベットやインドにはあまた存在しているのである。それがチベットの「マニグルマ」や「曼陀羅の図」などであり、またインドのヨガもそうであり、その身体の動きによって輪廻から解脱を計ろうとしているものである。しかし、誰も日本人は知らない、すべては古神道の神髄である「カムナガラの道」にシッカリ本当の意味が存在しているのであるが……!!!。 しかし、日本人はそれらの事実を誰も知らない、知ろうともしない……!!!。

 また、エゲ-海のクレタ島にはミケーネー文明が栄え、それは古代日本民族が作り上げたものと言われていることを、是非とも知って貰いたい。これも外国の学者は知っているのであるが、日本人には余り知られてはいない。
 何と、その理由とは、そこから発掘された「フアイストの円盤」には日本の古代文字が沢山書かれていたからなのである。それを日本の古代文字であると指摘したのが、ケンブリッチ大学の教授であり、それを読み解いたのが日本の古代文字研究家の相馬龍夫氏なのである。また面白いことに、このミケ-ネ-文明の発掘者であるシユリ-マンが発掘後の幕末にわざわざ日本までやって来て、散々日本を褒めそやしていたと言うのである。その時の日記本が、あの有名な「シユリ-マンの日本訪問記」である。

 
 そのように日本にとっては大切な歴史ではあるが、誰も口にはしない、本にも書かれる事もない、一体、誰が止めているのであろうか……!!???。
 とにかく、日本の歴史家はなってはいない、私の若いころは日本の縄文時代は3000年続いたと教えられていたのであるが、それがこの50年間の中に縄文期は1万6千年に延びて、エジプト文明と肩を並べような状態になって来ている。 しかし、本当の歴史はまだまだ遥かに長いのであるが……!!!!。その中に誰かが言い出して、日本の歴史はまだまだ長いスパンを持っ事にが認証されることになるであろう。
 なんせ、余り真実を突き止めれば、日本の歴史は一瞬で変わつてしまうので、本当のことは認めたくは無いのであろう。歴史が変わったら、変わったで自分達の無能ぶりが明らかになるので……!!!?。要するに、今までの歴史には無かったことは、例え事実でもあっても、認めたくないと言うのが彼等の本当の気持ちなのであろう。


 
 要するに、「神の数学」は「数」を有機的な記号として扱う、一つの 記号操作手法でもあり、それにより、初めて「カムナガラの道」の数表の上に「神の存在」と言うものが、おもむろに姿を表し、色々と囁き始めることになるのである。それは、まさしく、人類初見の、目を見張るばかりの驚くべき一大ペ―ジエントであり、素晴らしい自然の業がシズシズと姿を表わして、ものを申すことになるのである。
 今の私でさえ、それを見る度に驚きと興奮で心は何時も波打ち、中々冷めやらぬ状態になるのである。
 恐らく、我々がそれをシッカリ突き止めるのには、数年、いや数十年はかかるであろう。
 何故ならば、その表は余りにも荘厳極まりの無いものものなので、余程、慎重に点検、検証しなければならず、間違った場合には、それは解明不能となって雲消霧散 (
うんしょうむさん)状態になってしまうものである。 要するに、現代知にいくら卓越しても、現代学をいくら用いても、そんなものはまったく意味は為さないと言う事を知ってもらいたい。
 
 それは、どうしても知りたい、どうしても解き明かして見たいと言う強い意志を持った者でなければ、陽の目を見ることは叶わず、あくまでも、意志を貫徹させたいと思う者だけが通り抜けることが可能な細い道であると言って置きたい。
 しかも、それは国籍や言葉が異なる外国の方でも、その知りたいと言う意思を強く持っているのならば、言葉などはまったく不要であり、十分に理解が出来るものである。また、何度でも言うが、小学高学年の学力があれば十分可能なものでもある。
 なにしろ、単なる「足し算」と「引き算」だけで、ほとんどは済むものであり、「掛け算」や「割り算」等の数学形式はまったく不要なものであるからである。それはあのイギリスの数物理学者であるロジャー・ペンローズが「宇宙を解くための数学とは、「掛け算」や「割り算」、それに「比」があれば十分である」と言っているが、まさにその通りのものなのである。
 なまじっか、高学歴の持ち主は自説に拘泥し過ぎて、変な方に傾き始め、甚だ扱いにくいことになることが多い。
 それが、今の所、私にとっては大きな不満であり、大きく心を傷つけられるものなのである。
 
 要するに、彼等は素直ではない、純真な心を持ってはいない、すなわち、易しいことを殊更難しくして、あなた方には解けないであろうと言って、我々を見下して満足しているだけの人間、それが現代の有識者には甚だ多いのはまことに残念なことであり、将来が思いやられることなのである。
 
 拙宅は余り遠くではない、伊豆のど真ん中である。現在の交通機関を利用すれば、誰でも来れるはずである。
 心の底から知りたいと思うならば、是非、この1年か、2年の間に来宅して疑問を晴らし、更に、己の知を磨いて将来に備えて頑張ってもらいたい。本気になれば割合に簡単なことである。要は心の問題であり、気持ちの問題である。
 現在は86歳なのでそれ以降はどうなるかは判らない。 後は、単なる、好々爺となって世間を憚って、ひっそりと生きて行こうと思っている。私と既に顔なじみの御方は、その折にはまた、尋ねて来るが良かろう、何時でも歓待し、歓談することを約束しよう…!!!!!。
 
 出来れば、若い頭脳を持った数学に興味をもっ高校生あたりが2~3人くらいで来て、無理なく学んで貰いたいのであるが…!!。 とにかく、易しくて、難しいものであり、学べば、学ぶほど楽しく, かつ夢中になることは私が請け合う……!!!。
 


 さて、さて、冒頭で紹介した、もう一つの大変なものとは、すなわち、「カムナガラの道」の中の「神の秘儀」を少々お借りして、我々日本人が大変困っているある病、日本人の60~70%が甚だ困り抜いている、ある病の症状を、いとも簡単に消してしまうような「あるモノ」を「神」に内緒で作り上げたことである。まことに、「神の秘儀」は偉大であり、やんごと無いものと大いに感謝している次第である。これを困っている方々に利用して貰う、そこに「神」の存在意義があるのであり、同時にそれが日本神道の本来の務めなのであると思っているのであるが…!!??。

 そのような偉大な「自然の理」の素晴らしい存在を打ち忘れ、、由緒ある古神道を下げずんで満足しているのが,今の日本民族の知識階級であり、懸命に外見のいい西洋知を有難がって褒め讃えて満足している現在なのである。 
 何かおかしい、何か変である……!!??。

 さて、少々詳細を説明しておこう、馬鹿馬鹿しい、あるはずが無いとのたまう方は、是非、スル―して戴きたい。。

 
 それは別に何もしない、ただ、「ある物体」を傍らに置いておくだけであり、それでありながら、効果絶大と言うものである。
 単に、簡単な軽い物体を就寝時に傍らに置いておくだけであり、恐らく、医師法違反にはならないであろうし、薬事法違反にも問われないであろうと思うのであるが……!!??。そこは、慎重にしていきたいと思っている。

 とにかく、簡単なものではあるが、現代の科学では理解できない摩訶不思議な物体であり、古代の遺物と言ってもいいものでもある。とにかく、古神道の神髄である「カムナガラの道」にある法則を用いて作りあげた「神の秘儀」の一つである。
 
 私としては現在、人々を苦しめている嫌な病から救うことになると安易に考えているのであるが、それが法に触れるのなら即刻、止めてもいいと思っている。果たして、今の世間はどう見るのであろうか…???。

 人を病から救い出し、幸せにすることは悪いことであり、罪になることなのであろうか、そのあたりが私には判らない…!!?。しかもそれは「あの世」を少々操作するだけであり、それにより、病は完全に消え去ってしまうのである。
 まあ、法に触れるのなら、家族だけで使い、安楽の齢、永遠の眠りに就くまでの最後の一時を十分に楽しむだけである。ハ―、ハ―、ハ― !!。

 まあ、当分の間、親戚や友人の間で実験検証し、笑い合って楽しむことにしょう、とにかく、おそろしいものであり、思いもよらないものであるとだけは言って置こう。しかし、よく考えれば、古代から日本人の間では、同一的なもので規模の小さいものは遥か古代から使われていたような気がするのであるが…!!?。
 
 ただ、今では西洋科学知がはびこる中で、半ば、馬鹿にされ、あまり、用いられることは無いようになって来ているのは事実である。 それは日本民族の大なるミス、悔やまれる大きなミスであると私は思っている。
 すべては西洋知により、駆逐されてしまったのであり、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」の例えの通りのものである。
 
 まあ、これに関することは、折に触れて、時々、その経過をここに載せながら皆さんに大笑いしながら戴せていこうとは思っている。さて、さて、それは一体何であろうか……!!!??。
 それほど、馬鹿馬鹿しく、また滑稽なものなのであるが、それは「人間の知」、「人間の健康」とは一体、何であろうかと言う大きな疑問を突きつけているものである。

 また、その効果を見るにつけ、ひしししと、「あの世」の存在を考えさせられるものでもある。
 要するに、現代科学のように「あの世」の存在を完全に無視している限り、病は無くならないということである。
 何故ならば、すべての病の根は「あの世」にあり、あの世の操作を少々行えば、完全に無くなること判るからである。
 あなた方にはとても信じられないであろうが、 すべては事実なのである……!!!??。
 
 まあ、今後、その掲載記事を見つけ出したならば、是非、見て考え込み、そして、恐る々、あたりを見回すことになるはずである……!!!?。  何故、どうしてと……!!!?と、心を痛めながらである。

 また、どうしてもその内容をハッキリさせたいのならば、当方にその小冊(解説書)があるので読んで頂きたい…!!。
 恐らく、あなた方は目をパチクリして呆然となるはずである。果たして、そんなことが、あり得るのかと……!!!?。
 
 以上が約半年、ご無沙汰した理由であり、その報告でもある。お陰様で、私は86歳になった今でも甚だ、矍鑠(
かくしゃく)であり、若いものには、まだ負けないつもりで頑張っている。しかし、老いは年ごとに近づきつつあるのは確かでもあり、体力の低下は日頃、目立ってきているのは否めない。  さあ、あと何年生きていくことやら、…!!!??。

 以上、半年間のご無沙汰の報告は終わりにして、ここからは本題に入ることにしょう。

 
 「数」は神の言葉であり、「神」は数を用いて我々と会話をし、我々に色々なことを告げようとしているのであるが、如何にせん、人間サイドはそれには気が付かず、飛んでもない方向を見て、懸命に「神」を探しているだけなのである。
 それでは、いくら年月をかけても、いくら努力して呼びかけても、「神」は見つからないはずであり、「神」の言葉に遭遇することなどは無いはずである。
 
 しかも、日本の国には、遥か古代から、その徴(
しるし)になるものは残されていたのであるが、如何にせん、見る目を持たず、聞く耳を持たない者達、すなわち、 外つ国(とつくに)に魂を持つ輩が国を治めていたので、陽の目を見ることは叶わず、すべては行方不明となっていたのである。あなた方は知らないであろうが、日本は今回の戦争でアメリカによる完全占領を含めて合計3回、外国勢に占領され、蹂躙されているのであり、そのたびに、古代の日本神宝は次々と失われてきたのである。

 その一つが、すなわち、古神道の神髄である「カムナガラの道」であり、古神道の奥儀祝詞の「ひふみ…天地の数歌」の本体となるものである。また、その再出現により見出されたものが、「数」で語られている「神の秘儀」を解き明かした「神の数学」と言う天下御免の大叡智、天下無双の「神の秘儀」なのである。
 

 「神の数学」は何処まで広げても、常に「陰」と「陽」の関係を持ちながら正しい秩序を持って完全連動しているものであり、それにより、「宇宙大自然の理」を無理なく解き明かしているものである。そこには何処までも尽きることの無い、不思議極まりない「陰」と「陽」の組み合わせが軽いステップを踏んで規則正しく、秩序を踏んで踊っていることを是非、知って欲しい。

 それは誰にでも検証可能であり、決め手を覚えれば何時でも、何処でも姿を表して踊ってくれるのである。
 
 それに比べると、「現代数学」はまったく別な数学形式を持つものであり、いささか、バーチャル的、いや、いい加減な面を持っている数学体系なのである。要するに、「現代数学」こそが遥に自然から離れた数学体系実体を持つ仮想的な空間世界を構築しているものであり、実態にまったくそぐわないものであることを知るべきである。
 恐らく、それ故に、更なる発展を遂げながら新しい「自然的な真実理論」を構築することは最早、望めないはずである。
 何故なら、「現代数学」は「陰」と「陽」の関係等は一切考慮せずに、わき目も振らずただただ無限を目指して一直線に進む姿があるだけ、それが直線数学、すなわち、「現代数学(10進法)」なのである。 本来の数学、すなわち、「自然数学」は平面的に進んで四方と相結びながら秩序や並びに調和を持つ「数学形式」を指すものであり、古代に存在した数学体系である。
 あなた方には何も判らないであろうが、本来のあるべき数学とは「現代西洋数学」、すなわち「10進法」では無く、自然数学である日本の古代数学」、すなわち、「カムナガラの道」にある「9進法」によるものでなければならないのである。

 「現代数学」に比べると、「神の数学」は、すべて「陰」と「陽」の組み合わせと、その本質を語る数多の数列がめくりめくばかりに序を持って整列しながら「真実」を囁き、懸命に我々に「真実」を教えようとしているのである。
 
 しかるに、我々はそれには少しも気が付かないのである。一生懸命、我々に気付かせようと「神」は頑張っているのであるが、如何にせん、それに気づく者は誰もいないような有様、それが現代の哀れな西洋知主導の「世の中」なのである。
 
 とにかく、自然界には現代数学のような「ランダム」とか「意味の無い数の並び」等は一切無く、すべては大いなる意味を秘めながら常に
「陰」と「陽」の関係を持ってキチンとして存在しているのである。しかるに、人間界ではその事実をまったく知らずに好き勝手な論証を作り上げて人々を煙に巻いているのであり、その事実は誰も知らないと言う甚だお粗末なものである…!!。
 その「数の理」の真実は、甚だ簡単なものであり、小、中学生にでも理解が出来る、簡単な計算でありながら、思考的には、甚だ難しいものなのである。 何故ならば、その基本的な思考概念と言うものを我々は持っていないからである。
 
 確かに、その「神の数学」の実体については未だ知る者は誰もいない。要するに、その「陰」と「陽」の関係は常に正確な形で連動しながら真実の存在そのものを指示しながら、動いているのであるが、その「陰」と「陽」の関係の動きの存在や、規律と序を持って間断なく変化していることさえも現代人は知らないのであり、知ろうともしないと言うことである。
 本来は、最も大切な自然界の象(
あらわれ)なのであるが…!!。

 確かに、現代社会において、「神」とか、「神の囁き」等と言っても、笑われるだけであり、信用は地に落ちるだけであろう。
 今のように、あなた方、いや現代社会全体が「神の存在」とか、「神の知」に対して、完全無視、あるいは 侮蔑的な態度を見せている限り、いくら「神の存在」、「神の存在証明」、「神を持ち求めて」等のおこがましい願望を大きく連ねても、その成就は絶対的に叶わないのである。何故なら、私に言わせると、あなた方の学んでいる数学は少々おかしく、そこには大きな矛盾が有って、元来のあるべき切口とは大きく違っているからなのである。
 
 しかし、盲目なあなた方にはそれが見えない、いや、余りにも基本的な根っこの部分に誤りがあるので、気が付かないと言うべきかも知れない。もっと、大きく目を見開いて「真実理」の捜索の網を広げてもらいたい。それにより、だんだん多くの人々が誤りに気が付き、大騒ぎするはずである。そのためにも古神道の神髄である「カムナガラの道」の持つ理を学んでもらいたい。
 ひょっとして、その先導役として、旗を振るのは、あなた自身なのかも…!!!。
 
 考えて見ると、その切口は大きな矛盾を見せながら横たわり始めてから、最早、数千年と言う年月が流れているのである。
 その間、誰もその実際の切口と観念上の切口との違いには気が付かず、観念上の切口を合わせるために営々と努力を重ね、て来たのであり、その結果として、飛んでもない、永遠に合うことの無い怪しげな論理を導き出して満足しているのである。

 本来はもっと素直な数の論理、すなわち、「自然数学」を構築して、大自然と共鳴共歩すべきであったのであるが……!!!。

 
 さてさて、このような漠然としている寝言を広げてもあなた方にはまったく解らないであろう。
 では、現代文明の持っている数学の成り立ちから説明しょう、色々な数的な学説を見てみると、どうも、我々人間には指が10本あるので、それを利用する形で10進法と言う形態が始まったようである。本来ならば、自然の持つ理か、数の現われを学ぶべきなのであるが、それをしなかったのである。 要するに、あまりにも蓋然的なことを基本にして始めたものであり、何ら、自然的な具象から学ぶことは無かったと言う事なのである。それが自然と「数の理」において異なっている最大の理由である。

 何と、我々の数学は自然とまったく無縁なものであり、単なる、人間の手の構造的な理由から便宜上始めたものであり、それが現代数学の基幹となって進められてきたものなのである。それは、人間の生活上、10本の指は甚だ便利なものであり、また、その数をれを我々は勝手気ままに操り、生活上便利なように、2本、3本と気の向くままにその姿を作り変えることが出来たのである。しかし、自然はそうはいかない、起源があり、すべてはそこから順を追って進んできているので、ランダムは許されず、序、順があり、その道をその通りに進んで、数十億年、あるいは数百億年と言う長い間歩んで来ているのである。
 そこにはいい加減とか、曖昧さ等は一切無く、すべては規則通りに進んで来ている、それ故にそれを自然と言っているのである。
 しかし、我々の持っている数学は新機軸を極めたものであり、一つの人間知の素晴らしい発展なのであると言って「現代数学」を全員で祭り上げ、恭しく歴史上にとどめて満足しているのである。
 しかし、その結果、今になって、自然の理には合わない、自然とはマッチしないと大騒ぎしているのである。それが、量子理論と相対性原理の不一致であり、それ故に、現代物理学が足踏みして、進むことが出来ない最大の理由なのである。
 
 それがいわゆる、「現代数学」の中身であり、その本質と言うものである。要するに、
今の自然にはまったくそぐわない非現実的な数学体系であり、遥か過去の体質を改めることなく、そのまま伸ばして来ているものであり、いささかも変わってはいないと言う事である。
 それに比べると、物理学は現実に沿った形で、古典物理、現代物理、量子物理(波動物理)と次々と名を変えて、現実に寄り添うとしているのであるが、残念ながら今でも寄り添うことが出来ずにもがいているのである。
 何故ならば、物理は元より、すべての人間知の基幹、基盤と言うものは現代数学が深く拘わっているからである。
 
 今現在、先進的な数学者達は「現代数学」の持つ様々な定理や規則を持って自然の本質と相対しょうとしているのであるが、進めば進むほどに矛盾まみれになって困惑している状態であり、もはや、手はすべて出しきったと半ば諦め顔である。

 例えば、素粒子のエネルギ-と質量は極めて小さいはずであるが、キチンと計算すればするほど、無限大と言う答えが出てくるのである。しかし、あなた方、「神の数学」を少しでも学んだ方はそのようになる理由が十分に判るはずである。
 それを如実に示しているのが、あの宇宙人の数学、すなわち、「システム オブ ナインズ」なのである。

 要するに、古神道の神髄である「カムナガラの道」は驚くべきことに「システム オブ ナインズ」で作られているのである…!!!!。故に、私は何時も「神の数学」は「宇宙人の数学」とまったく同じものと言って、あなた方を驚かし、結果として大きな侮蔑を勝っているのである。
 
 
 要するに、「現代数学」の顔を立てれば、自然はソッポ向いて言うことを聞いてはくれないのであり、自然の顔を重んじれば「現代数学」はとんでもない答えを返してくれると言うことなのである。要するに、現在のところ、人間知と自然知は相思相愛の仲でな無く、相思相反の仲と言うものなのである。
 しかし、それは有ってはならない事なのであり、何時かは変えなければならないものなのである。
 また、そうしてしまったのも人間の奢りであり、人間の欲望なのである、もって、このあたりで反省すべきであろう。


 何故、そうなったかの理由は簡単である。それは、自然と同調共鳴している「9進法」を用いず、宇宙自然と共鳴することの無い人類独自の「10進法」を用いているからなのである。
 もっと、ハッキリ言えば、我々の持つ「現代数学」直線数学、すなわち「平面数学」的な姿を持っているものであるが、宇宙自然は立体的な構造を持っている数学、すなわち、循環法である9進法をベ-スに持つ半ば立体的な計算法を、用いなければ、すべての答えはでては来ないのである。
 それを我々現代人は玉石混合で、日頃の計算ばかりか、自然の計算にも用いようとしているので正しい答えが見つからず右往左往しているのである。

 もう一度言う、我々の日常の世界には2種類の計算法が必要なのである。 それが日常生活に必要な「10進法」と自然を学ぶための「9進法」なのである。そのことは科学者達が一番よく知っているはずであり、それを知ることにより、一般相対性理論と量子理論は手を結ぶことが出来るのであり、その間にう横たわる解決できな矛盾もスム-スに解き放たれることになるはずである。


 さあ、久しぶりに言いたいことを長いことを言ってしまった、これで完全に溜飲が降りた状態である。あなた方には気の毒ではあるが…!!!。

 そこで、次回からは、「数」の調べ、「数」の語りに戻ることにしよう。 さてさて、何を語り上げてあなた方の心を満足させるのかである。
 まあ、次回が始まるまでの一時、折角のコロナ禍なので、静かに毎日を過ごそうではないか…!!!。しばしの骨休みと思えばいいのである。

                                            それでは次回にまたお会いしましょう…!!!。


   

 令和編   『神の数学』

とても信じられない不思議な「数」と「神」との物語。
                   
                                                         令和3年7月   上載 


さて、さて、毎日の回転が余りにも早すぎて止まることも知らない、まさに、漢詩の「少年老い易く学成り難し」を地で行くような毎日である。

 先回、約束したように今回からは「数」をあげながら、「数と言うものの性質」、あるいは「数」と「空間」の関係を最初から説明して行きたいと思う。

「神の数学」は「数」が開示している一つの自然哲学であり、未だ誰も開いたことは無いものである。なぜ、開けないのか、それは人間の持つ知的概念が自然の持つ概念とは根底から異なっているからであり、なおかつ、誰もその事実を知らないからなのである。

  まずは、そのあたりから説明して行かない限り、どのように「現代数学」を懸命に操作しても、決して自然の理(ことわり)の解明には至ることは無く、ただ、徒(いたずらに心を搔き乱すばかりになるだけである。

要するに、最初の最初からの「数の仕組み」、本当の「自然数の本質」から説明しない限り、「現代知」に完全に脳を侵されているあなた方を正気に戻すことができないのである。

 いくら、正攻法を持って「現代数学」にぶっかっても、今の所、多勢に無勢で「神の数学」は敗残あるのみなのであり、易しくて簡単な正しい認識法と言うものを確立しない限り、今の所、無理と思うものである。なんせ、人類の99,9%は「現代数学」に帰依して、「現代数学」に精進している現在だからである。

 そのあたりを鑑みながら、今回からは、あなたの脳に?(はてな)…との思いを起こさせるような易しい問題、すなわち、「神の数学」の基本中の基本の問題から抜粋したものを取り上げながら、順を追って解説してゆくようにしたいと思う。

  果たして、あなた方の脳に、微かなチカ、チカと瞬くような疑念が起こり、はて、!!???…、何だろうとなるような感情の乱れが生じるであろうか、それとも、別に疑念は何も湧かず、何だ、これは…!?、馬鹿馬鹿しいと言う感じだけで、ただ、スル-の状態があるだけなのか、それにより、行き着く終点がまったく違うことはシッカリと覚悟してもらいたいのである。今回は、「哲理数学」、すなわち、「神の数学」の基本である自然数の方陣である「神の法陣」を用いながら「自然の理」の存在を明らかにし、もって、その理を追いながら、本来のあるべき自然の「数の理」の存在をしかと確かめて見よう。

 

その類(たぐい)には有名な中国の「魔方陣」があって、昔から世界を駆けめぐっている有名な存在として名を馳せている。

さてさて、あなた方は知っているであろうか…??、あの中国の「魔方陣」は、遥か昔に、中国の留学生であった伏羲が日本から密かに持ち出した日本の古来から伝承されて来た、永遠なる宇宙の「知の秘宝」であることを…!!。   ……  この詳細は「竹内古代文献」にあり。

彼は密かに、それを日本から持ち出し、それを自己流で組み立て、その知を武器にして中国の伝説上の帝王になったと言われている。

 なんせ、彼は風聞のみで「神の法陣」の所在を知ったが、その数のめぐりの詳細は知らず、おそらく、国に帰ってから,苦心惨澹して数を組み上げたのであろう、それがあの中国の「魔方陣」なのである。論より証拠、本当の日本の法陣は「カムナガラの道」の中にはゴロゴロと転がっているのである。

 この中国の「魔方陣」の方とは単に四角と言う意味である。また、一方の日本の「神の法陣」の法とは「法則」、「律理」、「さだめ」を意味するものであり、一つの「神」の手になるものなのである。同じ「ホウ」でも、 まったく異なる意味を持っていることを知ってもらいたい。

 また「陣」は配置、備え、「並び」等の意味であり、「並んで敵に備える」を意味するものである。その文字の意味の奥の深さや、教えの理等を是非、知ってもらいたい。  同じ、「ホウ」でも天地の違いが、そこにはあるのである。

このあたりは最早、何回も書き記しているので、あなた方は十分にご存知のことであろう。

 

まずは、易しい所、3次元法陣」、4次元法陣」、「5次元法陣」から始めてみょう。
 出来るだけ、これらの「数の手法」を学び取り、自然の持つ法則である「摂理」と言う存在の真実を確かめて見て貰いたい。それがこれからのあなたの生き様に大きく拘わってくるものであり、一生の運命にも必ず拘わって来ることにもなるのである。

  これらはすべて古神道の神髄である「カムナガラの道」により明らかにされたものであり、「カムナガラの道」が出典なのである。
 
 何回も言うようであるが、これらの「神の叡智」は人類史上初めて公開されるものであり、いま、それを取り出さない限りは、2度と現れることは無いであろう。それ故に、あなた方も出来るだけ、メモして置いて自分の知の啓発に役立てて貰いたい。
 すべては神意そのものであり、永遠なる真実を語っているものである。
 これをして、偶然とが、たまたまの奇遇であるとの言葉をのたまうのならば、更に続けて、6次元法陣、7次元法陣、8次元法陣、9次元法陣を作り、同様な手口を用いてすべてを解き放って見て貰いたい。 それにより、あなた方も十分に理解し、心も穏やかになるはずである。

     
    

 
 まずは「3次元法陣」から始てめて見よう。
 

問題  3次元法陣を解く

 この3次元法陣の外側の枠の数字のすべてを加算してもらいたい、さて、いくつになるであろうか…!?。恐らく、あなた方の99,9%は正しい答えを出すことは出来ないであろう。 それは今までのあなた方の常識が間違っていたからなのである。

 いくら、口惜しがっても無理なものは無理なのである。それがあなた方の持つ人間知の程度であり、それ故に、自然の知とはまったく相供ないものであることが判るのである。すべては「神」の心のままであり、自然の仕組み表しているものなのである。

 また、それを正しいものと思い込みながら更に畳み込むようにして自然の事象を調査、検証して来ているので、辻褄がまったく合わず、自然は難しい、複雑怪奇であると嘆くだけであるのである。 さあ、そのあたりから、ジックリと見ながら検証を始めてもらいたい。

 そのためにはその意味や数の語りを交えながら、深く数を読むことが必要なのである。

 一つ、数字を読みながら、どのような形で「数」を拾っているのか、を一つ探ってもらいたい。

  あなた方の計算法、——— 1,2,3, 6,9, 8,7, 4,1, (Σ)=40……誤り

  
  自然の計算法 ——— 1,2,3, 3,6,9, 9,8,7, 7,4,1, (Σ)=60……正解



 
 あなた方は、余りにも何も考えずに、ただ短絡的に物事(事象)を見ているので、本来の数の本質を掴むことが出来ないのである。シッカリ内部と外部を俯瞰しながら、かつ、全体の姿をジックリ掴む必要があるのである。
そうしない限り、また、同じような過ちを再び犯すことになるのは明らかである。

 考えて見るがいい、古い言葉である「天象地文」とは自然界を指すものであり、昔は上は天。下は地と言い、それらは完全に異なる質を持つものを指す言葉なのである。また四門と言う言葉で天と地、左と右を区別して、その4ヶは完全に異なる本質を持つものであるとハッキリ定義しているのである。

 この場合も天には天の持ち分があり、それが,,あり、右の持ち分が,,、同様に、地の持ち分が987、左の持ち分が,,であると定められているのである。

 要するに、天、すなわち上部から来た圧力(敵)は,,で受け止め、右から来た圧力は,,,で抗(あらが)い、下部から来た圧力は987で逆(さか)らい、左からのものは741で流して、同一的な体制の下で全体をシッカリ守り通しているのである。それが自然の決まりであり、掟と言うものである。

 まさに、その方法こそが全体を考えている最も自然的で無難な発想でもあり、誰が見ても公平で平等なものでもある。

 あなた方の知っている計算法は、この「自然のやりかた」とはまったく異なり、奇々怪々な計算法、まったく自然の理には合わず、不公平極まりないやり方を持っているものなのである。 しかし、 果たして、それは本当のことなのであろうかと疑うであろう。しかし、それは「数」が教えてくれるはずである。

 出来れば人間世界の常識論などは棚上げして、心を無にして「数」の囁きをジックリと検証してもらいたい。すべては自然の業であり、すべからく公平無私なものである。

 さあ、次は残されている中心の数も同じように考えることであり、天、右、下、左となる四門の在り方を公平に考えることである。

 要するに、天は5、右は5、地は5、右は5と公平に考えること、それが自然の方法であり、完全極まりの無い方法なのである。






 
 これらの同一整数の並びの出現は果たして、偶然なのであろうか、それとも無理にこじつけて作り上げた人工の図なのであろうか……!!??。
 それを確かめる方法は「カムナガラの道」の中にシッカリ存在していることを是非、知って欲しい。
 
 このように
「方陣の図」を何処までも伸ばして行っても、常に同一数が並ぶと言うことを、単に偶然であると言って見逃すことになっても良心の呵責を覚えないのであろうか…!!。これは現代知に対する挑戦の一つであり、その答えを見出さない限りこれ以上の前進は無いと思って欲しい。
 並び揃った
「同一数の現れ」、それは大いなる「神」の意志の現れなのであるが、今まで、誰も取り上げようとする者はいなかったのである。
 
 はて、さて、そのあたりをシッカリ吟味しながら考えて見て貰いたい……!!??。要するに、自然の産物かそれとも人知的な産物なのであろうかを見極めて貰いたいと言うことなのである。ここまでならば、いざ知らず、この後をドンドン追うことによりそれはハッキリすることになるはずである。
 要するに、それは、この後の、6次元、7次元、8次元、9次元の法陣を検証することにより、ハッキリと判るのであり、また、それにより、不思議さはますます際だって来ることになるのである。まさに、不思議、不思議の連続であり、目を離すことも出来ないものである。
 
 また、更に余裕のある方は10次元の法陣以降のものを作って確かめて見ることである。それにより、すべてはだんだん解って来ることになり、
「数」は心を持っていることが解ってくるはずであり、そうなれば、次に現れて来る「数」も簡単に予見ができることにもなるのである。

 
この答えとなっている同一数の群れを称して、「神の数学」ではアマテラス数列と呼んで最高位の数列としている。何故ならば、そこに現れた「本質の数」を見るがいい、これらはすべて、一霊四魂の一霊と同一同格なものであり、宇宙の最高神と通じている素晴らしい数列であるからである。
 また、同時にこれらは鏡面数列と言う本来の神々の姿を持っていることも、是非注意を払ってもらいたい。
 
鏡面数列、それは大変恐るべき数列であり、深遠で永遠な知を誇っている「神の数列」そのものなのである。

 一体、これらの数の示しとは、何を語り、何を示唆しょうとしているのであろうか……!!??。まあ、シッカリ考えて見ることである。
 まあ、その中には驚くべき「哲数理の真実」が込められていて、それを我々に伝えようとしているのである。しかし、考えの浅い我々には見当もつかず、ただため息をつくだけなのであり、ただただ、腕をこまねくだけである。

 また、この中には古神道の目録にある「一霊四魂」の真実が説かれているのであるが、それはこの方法を用いて探すことにより、姿を現わすことを知って欲しい。とにかく、試して実証することであり、色々と考え、捜索して見ることである。それにより、すべては明らかになり、同時にこの手法の真実を知ることになるはずである。

 「数」はまことに偉大であり、我々の知らなかった「数の理」、すなわち、この広大な宇宙を創り上げている「自然の摂理」、「天の法則」の存在を教えてくれているのである。 しかし、あなた方はそんなもがあるとは信じられない、いい加減なことを言わないで欲しいとのたまうことであろう。

 しかしである、これらは「神」の囁きであり、すべては数により示されている「神の叡智」の発露なのである。要するに、「神」は数と言う手法をもって、我々人類に「示し」を下されているのであり、この終末期の人類をして何らかの救済法を教えようとしているのかも知れないのである

 アハハ!!、 少々宗教家じみたセリフを吐いてしまったが、別に、そのような意図は何も無い、安心して下され……!!!。

 「神の数学」は決して出所が曖昧なものなどでは無い。ただし、あなた方にとっては歴史上初めてお目にかかるモノであり、甚だ面食らい、疑問を呈することは間違いないことであろう。
すべては古神道の「カムナガラの道」に始まる神の叡智の物語であり、人類史上はじめてのものである。


                                                                       今回は 以上

 これで、答えを問うのは余りにも漠然としすぎて、戸惑うばかりであろう。
 一つ、ヒントを出しておこう。

 ヒント① これは「哲数理」の問題であり、未だ、現代科学は突き止めることの出来ない問題なのである。
       要するに、「空間」と「エネルギ-」の間にある相関的な関係の所在を示すものであり、その両者の間にはとてつもない関係が有って、お互い       に牽制しあっている事実を、このように「数」が教えてくれているのである。そのあたりを考えて見て貰いたい。 甚だ、面白い「神の秘儀」である。 
                                                                    (令和3年7月15日 記す)。 
 
 ヒント②  この枠を一つの空間(スぺ-ス)、あるいはセルと考え、その中にある数字をエネルギ-と考えて貰いたい。次にはその空間を「数」の場合と        まったく同じ理屈をもって計算し、それぞれの合計数を出すのである。すると、「3次元体」のエネルギ-は 示した通りに、222:2、すなわち       、3:1という比率になり、同時に、空間の比率も同じく3:1の比率を持って仲良く円満に納まっているのである。これは、何時も言っているよう         に小、中学生でも解ける計算問題である。ただ、彼等は知に対する視野がまだまだ狭いので十分な理解には至らないだけなのである。
                                                                    (令和3年7月20日 記す)

 ヒント ③  さてさて、試算もしようとしない あなたがたには、判るはずが無いのであるが、一応、言った手前、書き置くことが礼儀であろう。
         要するにである、これらの次元体を計算すると、面白いことに、答えの数は次のような数の並びになるのである。
 
          1,3,5,7,9の奇数の次元体はエネルギー的にも空間的にも …… 1:3:5:7:9 → と奇数的な比率で伸びて行き、

          2,4,6,8等の偶数の次元体エネルギー的にも空間的にも …… 1:2:3:4:5、→ と自然数列的な比率で伸びて行く。

  一体、そこにはどのような関係があり、何を意味するものなのであろうか……!!??。   誰か、その答えを出して見て貰いたい。 
  また、そこには色々な意味を囁いている「数の群れ」がたむろして、あなた方に「大いなる意味」を語ろうとしているのであるが、
  果たして、あなた方はそれらを捕まえて、その意味を察することが出来るのであろうか、 さて、さて、 はて、はて……!!??。
                                                                     (令和3年7月25日 記す)

 今、思い出した、確か、「カタカムナ」の発見者であった楢崎皐月氏は「次元には偶次元と奇次元と言う2種類が存在している」と発言していた世界で唯一の学者である。要するに、そのような素晴らしい自然の理象を言葉にした日本が誇る大科学者の一人なのである。覚えていて欲しい…!!。
 ひょっとすると、古代文献である「カタカムナ」の中にそれらの事象を語っているような言葉があるのであろうか…!!。あれば是非、教えて戴きたい。

 ヒント ④  (令和3年7月30日 明かすつもり。)

  とにかく、「神の答え」は一つばかりではなく、そこには数多あるのであり、いわば、枚挙に暇が無いと言ってもいいくらいなのである。
  決して慢心することは無く、更なる奥へと進んで、見事、「神の寵愛」を受けて見る事である。

 あなた方は、これと まったく、同じような計算手法で、他の次元表の計算を行い、真実を掘り起こしてもらいたい、別に矛盾は起こらないはずである。 すべては、同様にスム-スに行って、そこにある人間の未だ触れていない「真実の法則」の存在を見出すことになるのである。

 そこで、改めて考えてもらいたい…!!。  まだまだ、この「神の示し」には余禄が色々とあるはずである、それを是非、探し出して見て貰いたい。
 とにかく、頭を捻って考え、更に考えることであり、ペンと紙を用意して、黒くなるまで書きまくることである。
 さてさて、 一体、あなた達はどのように考えて、何を引っ張り出して、どのような形で幕引を計ろうとするのやら……!!??。

  果たして、人知を超える「哲数学」の真実の存在を掘り起こすことが出来るのであろうか、甚だ、面白い限りである…… ハ-、ハ-、ハ-!!!!!。