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 「神の法陣」大精義講()

  「神の法陣」に次元の神髄を見る…!!!

   さあ、「神の法陣」の基本を学ぼう…!!  

 「神の法陣」は自然方陣であり、目に見えない自然の(かたち)を解き明かして
 くれるものである…!!
    
                                                           (2017年6月上載)



  恐らく、あなた方は「神の法陣」と言う言葉を初めて聞くであろう。この「神の法陣」の名付け親は私であるが、それは別に考えた末ではなく突然ポッと口に出てきたものである。しばらくは当然のように使っていたのであるが、ある時、聴講者の一人のご老体が指摘した「あなたの「神の法陣」とは、まさしく「魔方陣」に対応する性質を持っているように思えるのであり、名前にある「神」とはそれを承知で用いているのであろうか」と…?。

 まあ、思い出せば、恐らくは今から15年前の平成12年頃のことであった。

  確かに、私は迂闊であった、一応、「魔方陣」の存在は知ってはいたが、内容を調べ、「神の法陣」との比較検証はしたことはなかったのである。

 そこで改めて考え、その結果「魔方陣」は直線的手法、「神の法陣」は循環手法で答えに迫っていることが判ったのである。これを称して、現代数学では線形、非線形と言う言葉を使っているようであるが、私にはこの用語をいくら説明されても少しも要領がえられないのである。何故ならば、彼等の説明は専門用語等を駆使しての甚だ高等な説明に終始しているからである。改めて考えて見れば、線形は直線を表す言葉であり、非線形は直線ではないもの、すなわち、曲線を指す言葉であるとしか思われないのであるが…!!?。。

 

インドでは現代数学を直線数学と呼んでいるそうである。確かに、最も要領を得ているいい言葉であると思う。考えて見るがいい、現代数学は直線主義をモット-に1から始まり、無限に向かって一直線に進んでいるものであり、どこまでも進む一種の欲望追及数学と言つてもいいものである。

諸氏は知らないであろうが、自然には直線と言う無限を求めて止まないと言う欲望的な概念は無い、すべては完全性を持つ循環形式態であり、廻り回って始原(0)に至ると言う単純な答えがあるだけなのである。

  物象的な最小単位である電子は核の周りを回り、地球は自転しながら太陽の周りを回り、月は地球の周りを回っている。また、衛星は惑星 (本星)の周りを、本星はもっと大きい恒星の周りを、またその大きい恒星は何かの周りを回っているのであるが、それはまだ解ってはいないようである。

 要するに、宇宙自然はすべて回転しながら存続しているのであり、回転により永遠性を保持しているのである。そのような観点から見ると、我々人間も回転運動をしていなければ永遠性を保てないはずである。しかしそんな運動は我々の生活の中には何処にも無い、まったく見当たらない。それどころか、噂にも無い、科学者たちの言葉の端にものぼったことも無い…!!!。しかし、大自然を見るがいい、電子から大きな恒星までも回転運動、ないし、回転作用により終止一貫してエネルギ-を得て、動き回っているのである。r要するに、回転作用により、プラスとマイナス、すなわち、自然律である「陰」陽」の反作用が生じ、それにより無(0)からエネルギ-を貰い、それを運動エネルギ-として用いているのである。

 

  しかし、我々当事者から見れば解らないが、第三者的な目で見ると我々の生活の中にもそれはあるのである。それがすなわち、毎日の睡眠であり、覚醒である。これも一つの生における循環作用であり、ある程度のミニ永遠を求めるための循環作用と言ってもいいものである。さらにはもう一つの忘れてはならないものが存在する。それが「この世」と「あの世」の循環作用であり、これもまた、一種の永遠性を求めて止まない回転循環態であり、0を求めての運動なのである。その事実をシッカリ物語っているのは「神の数学」であり、その中の「「神の法陣」の姿なのである。それは我々現代人の知では解くことは出来ないものである。何故ならば、それらはすべて循環形式の顔を持って「いるからであり、我々の「直線数学」解法ではまったく歯がたたないものであるからである。要するに、「直線数学」とは「魔方陣」の解法を用いているのに対して、「循環数学」は「神の法陣」の解法方式を用いるのであり、それを用いない限り、本来の正しい答えは出ては来ないのである。その正しい答えとは、すなわち、自然の形態に沿っていることであり、循環態を持っていることである。

それは当事者には解らないのであるが、第三者的な目で離れた4次元の宇宙から見るとよく判るのである。 確かに、自然的な見地からすると「この世」と「あの世」の循環は相対的な関係で存在しているものであり、それは一種のエネルギ-的な一つの回転運動であると考えても差し支えないものである。 確か、それは我々の言葉にもあるではないか、それがすなわち、輪廻循環,、輪廻転生と言うれっきとした言葉であり、真実を求めて止まない言葉である。
 しかし、現代科学は認めようとはしないので、今のところ信じている者は甚だ少ない。 でも、それは宇宙自然の真実と言うものであり、決して、否定は出来ないものである。「見える世界(現実世界)」と「見えない世界(影の世界)」の存在、それは双子の兄弟みたいなものであり、共に相対的な関係で存在しているから意義のあるものなのである。もっと、小理屈を言えば、「有」があるから、「無」があるのであり、「有」が存在しなければ「無」は当然存在しないのである。
まことに、。簡単な理屈、誰でも判る理屈ではあるが、中々理解が出来ないのである。まあ、ジックリと、考えて見なければならないものであり、本気で考えなければならないものである。

 

 要するに、私の言いたいことは宇宙自然の万物はすべて回転運動により、永遠を紡(つむ)いで存在しているのであり、早く言えば、この宇宙自然の中には直線的な運動を持っているものは一切見当たらないと言うことに尽きるのである。
 何と言うこと、自然には直線と言う概念はまったく無く、すべてのものは曲線的な動きをしているのであり、曲線が自然を支配しているのである。何故なら、この最大的な宇宙の本体の形は球体であり、それに沿ってすべては円運動しているからである。 要するに、直線と言うものは大宇宙にはそぐわないもの,忌むべきものであり、本質的には有ってはならないものなのである。何故ならば、直線と曲線は相伴わず、同居すれば必ず、衝突し、破壊に進むからである。
 ところが、そのことを知らない「人間知」は宇宙は丸い形であることを知らずに、平面的な姿をしていると考えているのであり、それ故にそれに沿った数学、すなわち、10進法を用いて無限を目指しているのである。
 それは丁度あのマゼランが地球は平面と考えて、その端を目指して航海をしたが、あにはからんや、行き着いたのは出発港であったと言う、あの15世紀頃の知識を思い出させるものである。

要するに、我々が直線的な存在と見ている直線は大きく弧を描いて宇宙を走る循環円の一部であり、端的、刹那的に見ているから直線に見えているだけなのである。それは一種の錯覚であり、心理的な心のイリュウ-ジョンのなせる業なのである。いや、学校でそのように教えられているから、そう思っているだけなのかも知れない。

 要するに、我々の持っている知、すなわち、学の基準になっている直線系的なものの見方では自然の本質的なものをつかむことがまったく出来ないと言うことなのである。すなわち、自然系には直線は無い、そのことを知らない我々は自然の理象を解明することなどはまったく出来ないと言うことに尽きるのである。もっとハッキリいえば、有限な性を持つ人間は無限に憧れ、無限の性を持つ「神」は有限の中に無限を走らせているのである。 それはすなわち、我々人間は独自のアルゴリズム(計算手法)を作り上げて相手(自然)を知ろうとしているのである。しかし、その人間の手になるアルゴリズム(計算手法)は相手の鍵穴とまったく異なる鍵(キ-)であることをを知らずに…!!!。

 

 よく考えて見ると、確かに、我々の現代数学はあくまでも直線的なものであり、円的な運動を持つものに対しての拘束力はまったく無く、空すべりの状態にあるものである。

要するに、我々の持っている西洋科学知は円的、循環的な運動に対してはまったく効力は無く、甚だ非効率的なもの、無駄なものと言ってもいいものである。故に、自然の象に対しては現代科学は甚だ無力であり、自然の本性などを探そうとしても、決して探せないのである。それが本当の西洋科学の姿であり、我々が懸命に追従している現代科学の本性なのである。

 それを知っていながら、現代西洋科学は直線的な計算法をもって自然に対処し、それを解き明かそうと頑張っているのである。しかし本当は彼等も心の中では、まったく不合理性も甚だしいことは十分に知っているのであるが、10進法数学に代わる数学が今のところ無いで止むを得ずに使っているのであると量子物理学者達は言っている。要するに、彼等も10進法数学に代わる新しい数学手法の出現を今か今かと待ちわびているのである。

 

 見るがいい、量子物理学のように自然の真実を解明しょうとしている学においても、今まで同様に直線数学を用いて盛んに挑戦しているのであるが、その結果、答えはまったく惨めなものとなって敗退しているのである。

 例えば、理論的には0になるはずのものが、10進法で計算の結果、無限大の答えとなって学者を慌てさせ、苦労して出来上がった答えはすべて完全に破棄されてしまうのである。若し、彼等が自然上の計算理では0=9が通用することを知れば、問題は簡単以解決してしまうのであるが…!!!。 

 要するに、それだけ現代数学は自然に対しては甚だ無力であり、拘束力がないと言うことになるのである。その事実について物理学者達は十分に知っているのであるが、他に手はないので、量子論も一般相対性原理も解けないことを知りながら10進法を使い続けているのである。彼らは自然と融和する新たな直感数学(自然数学)の出現を首を長くして待ち続けているのである。

  その現代知のサンプル的な存在があの「魔方陣」であり、現代知の姿をそのまま写しているものである。また、それと反対に「神の法陣」は自然のあるべき動きをそのまま描いているものであり、そこにある「数の動き」も自然と同様に循環的な姿を見せているものであり、それ故に、「神の法陣」はまさに「自然知の羅針盤」と呼んでも差し支えないものである。

 

改めて言って置きたい、遥か昔から「魔方陣」は大変難しい学問であり、多くの人々が解法を見出すことが出来ず、涙を飲んで敗退しているのである。  最近になって苦心惨憺の末に解き方が見つかったのであるが、その始末はハッキリ言って何の役にも立ってはいないデクノボウ的な存在であり、知的な要因は何もないものなのである。要するに、「神の叡智」などは何も見当たらなく完全に無駄骨で終わっているものである。その証拠に今では誰も見向こうともせず、あまり噂を聞くこともない。

 一方、自然の姿をそのまま写している「神の法陣」は易しいものであり、考えることなどはまったく不用なものである。何故ならば、自然数をそのまま辿れば答えが見つかるからである。しかも、それでありながら、解いた答えと言うものは常に「自然の秘密」の存在を囁き、ひそかに何事かを我々に教えようとしているものである。 しかし、そんなことは誰も言わない、誰も身上とはしない…!!!。

 

 さあ、今回からはこの神秘に満ちた不可思議千万な「神の法陣」を紐解き始めることにする。是非とも多くの皆さんに興味を持って調査、検証されることをお願いし、なおかつ、新たな発見が諸氏の手で数多見いだされることをただただ祈るだけである。 すべては現代歴史始まって以来の驚くべき「自然の叡智」の発見であり、その大いなる紐解きがこれから始まろうとしているのである。その解き手が、すなわち、あなた方なのである。

 

すべては日本起源のものであり、遥かな日本超古代に存在した大いなる「知の遺産」の迸(ほとばし)りなのである。恐らくは、これが世界に広がれば古代知に対する認識が180度変わって来るものであり、それと同時に現代知に対しても基本からの見直しが改めて始めなければならないことになるであろう。

 まずは直線数学手法(現代数学)と循環数学手法(神の数学)の違いを明記して置くことが必要であろう。

   直線数学手法  12345678910…百、千、万、億…と無限に向かって一直線に進む。 いわゆる人間知(現代数学)。

  ②  循環数学手法 → 0123456789(0)の繰り返しでどこまでも循環的に進む。 宇宙意識の知(神の数学)

    ①  については諸氏のお馴染みのものであり、説明は不要であろう。

  ②  についての説明図は下記の通り、すなわち古神道の奥義祝詞の「ひふみ天地の数歌」そのものである。 すなわち、数とは123…6789の繰り返しであり、すべては一桁の単数で語られ、決して二桁とか三などの数の姿はまったく無いものなのである。

    要するに、現代数学手法で表される一桁以外の多桁はすべての桁の数を加算することにより、一桁化の数にするのである。例えば、21と言う2桁の数が現れた場合には2+1=3、すなわち、3と言う一桁の数に置き換えればいいのである。 321の場合には3+2+1=6となり、6の数に置き換えるのである。その手法は西洋世界の宇宙の数秘術と言われている「ゲマトリア」、あるいは「カバラの数秘術」、あるいは「インド占星術」等の手法とまったく同じものである。いや、「神の法陣」はそれらの手法を遥かに超えて本当の「数の本質」、「数の仕組み」を秘めているもの、いわば、現代人の未だ知らない驚くべき「自然の律」、すなわち、「宇宙自然の摂理」を秘めながら永遠に鎮まっているものである。 要するに、一桁の数の循環態こそが宇宙自然界のリズムであり、その調べ、すなわち、その波動が万象を形作っているのである。 そのいい例が原子の電子構造であり、その周期律と言うものである。すべては12345678で途絶えて0を経て、新たに12345678が始まっているのである。

原子の電子構造と周期律

            

 

 日本神道の奥義祝詞の「ひふみ天地の数歌」はすべての数を含んでいるものであり、その数で「天地の万象」を語り上げているものである。

  
  


  この我々日本人の見慣れた古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」の数列は如何に不思議な数列であるのか、何故、そこには人知の及ばない「天地の仕組み」が秘められて鎮まっているのであろうか、そのあたりを少々調べて見よう。上の図で判るように、0123456789 こそが「数の母数」であり、それに従うすべての数は「子数」とも言うべき存在である。何故ならば、「子数」は母数に還る、すなわち、一桁に換数すると常に母数が現れてくるからである。

  「神の法陣」の描く軌跡はまさに自然の粒子である「電子の軌道」とまったく同じもの、すなわち、循環回転することにより、永遠なる存在を語り上げているものである。要するに、これらの両者共に自然が作り上げた「自然の姿」をかいま見せながら、あるべき真実を語り継いでいるものである。 それらすべては「数」が描き出すフアンタージであり、自然が醸し出す妙なる「永遠の循環リズム」の姿でもある。

 

 「神の法陣」と「電子の軌道図」は相似的関係下にある。
  

  さあ、この不可思議な数の言葉を語る「神の法陣」をこれから紹介しよう

すべては「神の仕組み」であり、我々は謹んで聞かなければならない。

 たとえ、我々の知が不十分でよく聞き取れなくても決して無視すべきではない、懸命に努力して完全を期さなければならない大切なものである。

なぜなら、すべては真実であり、すべてはまごうことない自然の律により動かされ、形づくられているものだからである。

  その前に、「魔方陣」を紹介しておこう。 あなた方は「魔方陣」は中国が発祥の地であると思い込んでいるようであるが、そうではない、本来の発祥の地は超古代の日本である。 その証拠となるものは、「カムナガラの道」の中に数多あることを知って欲しい。日本人のあなた方はマスコミや中国の宣伝に踊らされて中国発祥と信じているだけであり、巧みな宣伝文句に操られて信じ込まされているだけなのである。 そのあたりのことは最近起こった新幹線のパクリ事情とまったく同じものであり、真実を曲げても声高に世間にアピールすることにより、時間が経てば何時かは無理が通り世間が納得してしまうと言うことになるのである。

その証拠となるものを日本に存在していることを私は二つばかり知っている。その一つが日本の超古代文献であり、もう一つは「易」の発祥源である日本の「神の法陣」の存在である。

その一つが日本の超古代文献の「竹内文書」に記されている記録であり、そこには日本に留学していた伏羲と神農が「易」と「薬学」を学んで故郷に持ち帰るとハッキリ記録されていることである。 しかし、彼らが持ち帰ったのは単なる風聞によるイミテーシヨンであり、本物ではなかったのである。 おそらく、彼らが日本での風聞を頼りに頭を絞って作り上げたものが「3次の魔方陣」であり、イミテーシヨンに沿って作り上げた「偽方陣」と言うものである。それが河図(かと)」、「洛書(らくしょ)」と呼ばれるものであり、洪水の時に河から上がって来た大亀の甲羅にあった模様であるとか、神馬の額に記されていた模様であろうとか、無知な人々の関心を引こうとして大袈裟に吹聴しものであろう。

 まずは「易」の母体である河図(かと)」,「洛書(らくしょ)、すなわち、3次の「魔方陣」とは次のようなものである、紹介しよう…。

    まずはこの3次の「魔方陣」を読んで見よう…

 

「魔方陣」とは縦3×横3の正方形のマスの中に1から9までの数を入れて縦、横、斜めのマスの中の数を加算すると、それらのすべては15になると言う他愛の無いものである。 下の図の通りである。検算して見るがよかろう。


  
  

この「魔方陣」には不思議な力が宿っていると昔から囁かれ、多くの賢人たちが生涯を賭けて研究にいそしんで来ている。 彼らは大きいことはいいことであるとばかりに、4次元、5次元、6次元の魔法陣を求めて頭脳を競い合い、「不可思議な力の発見」「神の存在」等を求めて頑張ってきたのであるが、如何にせん、何も見つけることは叶わず、すべては徒労に終わってしまっているものである。

 有史以来、今まで何十万、何百万の人々が涙を呑んで敗退したことか…!!。しかし、現在でも数多の人々がその魔力に魅かれてこぞって研究に勤しんで来たのである…!!!。

 

 それはそうであろう、この「魔方陣」は不自然な秩序性を持っているもの、すなわち、自然の調べは何もなく、すべては人間の手により改ざんが進められて来たものである。それは全体的には甚だ不自然な姿を持つものであり、どう見ても自然流の産物とは言えないものである。そろそろ目を覚ますべき時であろう。

 確かに、愚なる人間の目から見れば、一応理屈が通っているようにも思えるものであろう、しかし自然的には決して流暢な流れを持っているものではない。

ハッキリ言えば、「自然形成陣」ではなく、「人工模造陣」とも言うべきものであり、人間知により作られているものである。それ故に、あるべきはずの太極、両義、四象、八卦等は一切そこには無い、見られない。

 そこには決して、「自然の真理」等は何もふくまれてはいなく、すべては人間の手により作られたマガイモノであり、まったく虚ろな世界が顔を覗かせてアカンベ―をしながらて人々を惑わしているものである。


  要するに、「魔方陣」は現代物質文明の基本形である直線世界の産物であり、「神の法陣」は循環世界の存在を意味する意識世界の申し子と言うものである。

「魔方陣」は単純な直線的で、一元性の性質を持つ現代文明の姿を明示しているものであり、それに対して後者の「神の法陣」は変化に富んだ「陰」と「陽」と言う二元性を持った自然世界の姿を平面上で開示しているものである。それを例えれば、直線世界(現代世界)では死んだらそれまでと言う一面的な概念を持っているが、平面立体世界では循環的思想、すなわち、輪廻転生により生と死がめぐり巡っていると言う二面的な概念がまかり通っていることである。

のことを古神道の「カムナガラの道」ではハッキリと歌っているのであるが、誰もそこまで突き止めた者はいない、その噂さえもまったく無いのである。

例えばである、この「カムナガラの道」の横、縦、斜めの数列を直線に進んで行くと最後には数は途切れてそれ以上は進めず、ジ・エンドの状態で終わるそれが我々の知の限度なのである。要するに、そこですべては終わってそれ以上の追及は如何としても出来ず涙を飲んでいる状態である。その後は単なる噂話として「あの世」の存在が人々の口に残り花を咲かせているだけである。それが我々の平面世界の姿なのであり、頑是ない人々の住んでいるこの我々の世界である。本来なら、あるいは知があるならば、ジ・エンドの帳(トバリ)をくぐりぬけて、その先にある世界を見てみるべきなのである、するとそこには思いもよらない世界が横たわっているのが判るのであり、その秘密が明らかになるのである。せめて、その存在くらいは知るべきであり、知らなければならないのである。 その手法を明らかにしているものが、この古神道の真髄である「カムナガラの道」であり、その一派である最奥祝詞の「ひふみ天地の数歌」なのである。今回は「カムナガラの道」のやんごとない手法を用いて、そのあたりを覗いてみることにする。見るがいい、この「カムナガラの道」の最上部と最下部の数列は奇しくも完全に同じ数列で作られているのであり、なんかいわくがありそうである。そこでその二つの数列を重ね合わして一つにする、それがすなわち、「カミムスビ」と言われている神の創造行為なのであり、新しいものを産み出す聖なる行為なのである。それにより、そこには一つの円筒立体世界が姿を現わし、その結果、横と縦の二つの数列は断絶から立ち直って完全なる循環数列となり再び息を吹き返すことになるのである。
 そこがすなわち、「あの世」と呼ばれている場であり、「この世」と繋がっている世界なのである。それは、我々の世界からは見ることはおろか、感じることもできないもう一つの別な世界なのである。

更によく見ると、驚くことに最左端と最右端の数列はこれまた奇しくもまったく同じ数列であり、完全にダブっているような数列なのである。よって、またもや、この二つを同じように重ねて一つにして再び「カミムスビ」を行うのである。これがわち、「タカミムスビ」、すなわち、もう一つの 「カミムスビ」と呼ばれる言葉であり、神話上にある全く意味不明な言葉と言われているものである。何と、これらの言葉は「あの世」と「この世」は相対的な関係で結び付けている絶対的な「神の仕組みの存在」を語っている驚くべき言葉なのである。今の日本人はそんなことも知らずに、ただただ、西洋知の迷いごとにあこがれ、その後を追いかけているだけである。


 要するに、「カムナガラの道」の上下を結ぶ
「カミムスビ」と言う聖なる行為を行うことにより、平面が立体化され、さらにそれをふたたび、左右を結ぶ「タカミムスビ」の行為を行うことにより、今度は一つの超立体な形(ト-ラスの形)、すなわち、宇宙の形に移行することになるのである。
 するとまたもや、不思議なことが起こり横に走る数列、あるいは二つの斜めに走る数列の断絶などはは即、消え、すべては綺麗につながり完全なる循環数列となって息を吹き返すことになるのである。この「カミムスビ」「タカミムスビ」の行為こそが、永遠を結び上げるためのキーヮードであり、そのための呪文の言葉であったのである。要するに、縦、横、斜めの二つの合計4ヶの数列は途切れることのない完全循環体となって、無限循環を始めて止むことをしらない永遠なる存在になってしまうのである。 それは、「カムナガラの道」だけではなく、「アイウエオ五十音図」においてもまったく同じ事が起こつているのである。 それ故に私は本来、「カムナガラの道」と「アイウエオ五十音図」は双対の祝詞であったと私は声を上げて申し上げているげているのである。   <これは図面で完全に立証されているものであり、誰にでも判るものでる。これを知ることにより、「この世」と「あの世」のからくりが判ろうと言うものである>

  これが常々私が言っている大自然宇宙を作り上げている構造エネルギーの大いなる姿なのであり、一つの「ト-ラス(ド-ナツ形)」的な宇宙の姿なのである。 しかし、言って置きたい、ここに現れてくる「トーラス体」は現代科学が論じているような形ではなく、縦=横 となる形、すなわち、縦と横の寸法がまったく同じものなのである。まあ、それが判明するのは恐らくは数十年、数百年後であろう。
 いや、そんなに待てない、どうしても知りたい方はと言う方は、是非、私を尋ねるがいい、すべては明らかになるはずである。昔の人は数学の問題を教えてもらうために京都から東北の秋田まで徒歩で言ったそうである。今では新幹線で日本の端から端まで簡単に行けるではないか…!!。知に未熟さを感じている方々よ、何を躊躇しているのか…!!!。。。。。

オッと、調子に乗り過ぎて余計なことまでお喋り過ぎ、余分な方へと走ってしまった、堪忍、堪忍…!!!。本当は「魔方陣」の解説のはずであったが…!!?。

要するに、「魔方陣」と「現代西洋科学」には「見えない世界(あの世)」の概念は無く、死んだらそれですべては終わり、そこまでと言う考え方なのである。それに対して、「神の法陣」と「日本のアミニズム」の思想とは生と死は繋がり合う一つの共同体であり、相互に循環し合ってプラスエネルギーとマイナスエネルギーの交換を計ることにより、エントロピ―0の世界を作り、永遠を紡いで無限を保っている姿を示しているものなのである。その仕組みと同様にカムナガラの道」と「アイウエオ五十音図」も同じことを力強く「数」で描いているのであり、永遠な形を持って囁いていることを知って欲しい。

 もっと結論的に言えば、これらは「魔法陣」と「現代西洋科学」は直線的思考であり、それに対して、「神の法陣」と日本人の思考(神道)は循環的な自然思考により成り立っていることを示しているものである。それが日本のアミニズムの本来の姿であり、日本神道の「現世(うつしよ)」と「幽世(かくりよ)」であり、すなわち、「この世」と「あの世」などの言葉の語源となっているものなのである。

オット、そろそろ紙数が尽きそうなので取り急ぎ「神の法陣」の姿とその計算手法を手短に紹介して置くことにする。 とにかく、これは未だ誰も知らない数のマジック、すなわち、「魔方陣」は直線的な解法であり、「神の法陣」は循環的解法を持っものであると言うことを十分に心して「数の走り」を検証してもらいたい。恐らく、懸命に学ぶことにより、あなた方は古今稀な「数」の扱い者として、歴史に名を残すことになるはずである。

 恐らく、現代数学に慣れ親しんで来たあなた方には途方もないものに映るであろう。しかし、一歩退いて、遠くから眺めて見るとそれはまさにかけがいのない「宇宙自然の真実知」の現れであり、「神の心」を映している唯一の数による宇宙方程式と言ってもいいもの、それが「神の法陣」の姿なのである。 (方程式とは?……正しい答えを得るための決まったやり方)


  
 『神の法陣』とは…?

 すべては循環的な自然数の動きにより真理を歌っているものであり、「魔方陣」の直線的な数の動きとはまったく異なるものである。信じられないであろうが…!!。

  

 

【A】    の「魔方陣」についてはすでに説明済みなので、【B】「神の法陣」について説明しよう。既に説明しているが「魔方陣」は直線に始まり直線で終わっているものである。   それに対して【B】の「神の法陣」は循環で始まり循環で終わるものである。その動きは中心に対しての循環、すなわち回転であり、行っては戻ると言う自然的な単純性を持っているものである。

その数の循環的な動きは次に掲げてある数の動きと言うものを読みながら、こにある1次、2次、3次、4次の「神の法陣」のすべてを解き放ってもらいたい。

それらのすべては循環の手法に尽きるものであり、それを読み解くことにより自然宇宙全般における森羅万象の動きが手に取るように判るものである。

    
   
『神の法陣』の解き方とは


   

 

 ここで一つ注意しておきたい、それはそれぞれ中心から対称にある「陰」、「陽」の数列があればそれらを結べばいいのであるが、そこには一つの数列しか無い場合、すなわち、単数列の場合には雌雄同性(陰陽同体)と見なして同じ数列を行って帰ってくればいいのである。 例えば123と行った場合には321と逆数列の関係になって戻って来ると言うことである。

 よく日本には哲学や思想がないと外国人は言うが、そうではない。そもそも哲学というものは、紀元前ギリシャの昔から始まった思想、学問であり、主にヨーロッパ、特にドイツにおいて研究、発展してきたものである。それは日本には元々なかった概念であり、その代わりに、日本には独特の「神の概念」や「自然思想」があったのである。要するに、日本人の心の中には常に「神」や自然の持つ強大な力に対する怖れがあって、人々の行動や思いを制限してきたのである。要するに、西洋の哲学は自然に対して挑んで、人間の優位性を主張するものであり、それに対して、日本の思想とは、長年にわたって日本人が育んできたエコロジ―思想の根底は自然に対する畏怖感であり、それにより自然には逆らわず、むしろ自然の褥(しとね)にくるまれて生をまっとうすることが我々人間達の務めであるとと説いているのである。そもそも哲学と言う観念自体が最初から違っているのであり、自然に対して人間は常に優位であるとの西洋の考えそのものがおかしいのである。一方、日本には先史時代から伝わって来ている自然の概念(自然哲学)があったのであるが、激しい人間的欲望を持つ仏教や西洋の思想に圧されて、いつの間にか勢いがなくなり、細々とした形になって、やっと息をついているような状態なのである。それが今の日本神道の姿であり、まさに、反自然的な西洋の知に圧されて、今、まさに消えなんとする偉大なる「自然の道」の姿である。
なのである。
 ところが今や、仏教も西洋科学思想もドンづまりの状態に入り、ただただ、衰退の道を辿るだけであり、大自然の力に圧されて、ただただ逃げ惑うだけの姿である。 そこで改めて、復活しつつあるのが日本の古神道の精義である「カムナガラの道」であり、その中で語り上げられて「自然の持つ律理」、すなわち、、現代科学の及ばない見えない世界の「大いなる仕組業」の存在や、大自然の持つ「輪廻循環」の律理(大道)などの大いなる自然の道筋(摂理)なのである。
 それを表しているものが古神道の「カムナガラの道(ひふみ九九算の表))であり、そこに示されている「宇宙の大叡智」の数多の姿なのである。また、同時に「神の法陣」も同様であり、更に高度な「宇宙の真実の心」の存在を説いて止まないものである。
 日本人の心、あるいは日本人のDNAの中には常に「カムナガラの道」の思想が流れ、常にそれが我々の思いや行動に結びついて制限帯として働いているのである。ただ、現代西洋知に惑わされ酔いしれている今の日本人にはその事実を何も知らずに西洋知に追従しているだけである。そのうち、すなわち、現代西洋知の夢が爆ぜた時になって初めてそれが判ってくるのである。 まさに「カムナガラの道」は偉大であり、それを所持している日本民族もまた偉大な民族なのである。ただ、今の日本民族はそれを知らないのであり、勘づいてはいても言わないだけなのである。それが「言挙げせず」と言う奥ゆかしい日本の心であり、一つの美意識なのであるが…!!!。 恐らく、判るまい…、外っ国(
とつくに)の強者(こわもの)共と心を一つにするあなた方には…!!!!

 

 さあ、試みとして、1次元法陣、2次元法陣、4次元法陣、5次元法陣を掲げて置くので予習の形で解いてもらいたい。 更に余裕がある御仁は6次元法陣、7次元法陣、8次元法陣、9次元法陣、を作り上げてその秘密を解き放ってもらいたい。恐らくは、どえらいものを発見するはずである。これらはすべて、「カムナガラの道」にある数多の方陣から教わった究極の極意なのであるが、…!!。
さて、あなた達にはお判りになるであろうかr…!!!。はて、はて……!!!!!。


 そろそろ紙数も尽きるので 正しい解き方とその答えは次回に廻すことにしたい。

 

                                                           平成296月上載 (完)


    

    「神の法陣」大精義講()

      「神の法陣」に次元の神髄を見る…!!!

     「神の法陣」の基本を学ぼう…!! ② 

     「神の法陣」は自然方陣であり、目に見えない超自然の(かたち)
    すなわち「次元の仕組み」までも解き明かしてくれるものである…!!

                          2017年7月上載)

  あなた方は「神の法陣」の存在を恐らくは認めないであろう…!!。

何故ならば、これは今まで誰も知ることが叶わなかったものだから…。

これらすべては時の発露であり、一つの神の創造行為の存在、すなわち、誰も知らなかった宇宙次元の仕組みを明らかにするものである。 また、それは同時に「神」の存在を明らかにする強力な証でもある。さあ、誰でもいい、「神の秘密」を明らかにして、「神の存在」を世間に知らしめてもらいたい。 それはまさに、世界の人々の心を一つにし、強力な一体感をはぐくんでくれるものである。

  要するに、これは現代西洋科学知に対する一つの挑戦であり西洋知と日本知の「知の在り方」の違いと言うものをシッカリと垣間見せてくれるものである。その違いとは、すなわち、西洋知は直線方式をもって計算するのに対して、本来は日本知循環方式を用いて計算することなのである。要するに、それらは人知式と自然知式と言う大きな違いであり、物の見方の大きな違いと言うものである。それを現代言葉で表現すると「物質性的な考え」に対する、「意識性的な考え」であり、「見えるもの」に対する「見えないもの」を捜索するための一つの数的な手法と言うものである。今まで、我々は「見える世界(物質世界)」の探求だけに的を絞って来たから直線方式のみで事は足りたが、これからは「見え無い世界」の探求も視野に入れなければ、総括的な自然世界観はまとまらないことになるので、どうしても日本知、すなわち循環方式的な数式を用いなければすべてを紐解くことが出来ないのである。

それはいわば、西洋知と東洋知の知比べと言ってもいいものであり、そのレフリ-(審判者)を務めようとしているのがあなた方と言うことである。

 しかし、昨今の諸事情、すなわち、日本の地理的特性や古の知的遺産等の現実からつらつら考えて見ると、現況の実際は西洋知に対する日本知の挑戦、もっと詳しく言えば、現代数学の計算基盤の「10進法」に対する日本古代の数法である「9進法」の真っ向からのぶつかり合いと言ってもいいものである。 要するに、この半世紀にもわたる西洋科学の停滞にしびれを切らし、古代日本の超叡智が再び甦りを果たそうとしている蠕動現象が始まっているのである。どういう訳か、今それが始まりを迎えているのである。それが、すなわち、神道の奥義祝詞である「ひふみ…天地の数歌」であり、更にはその奥に座している「カムナガラの道」の出現なのである。現在、「カムナガラの道」の内容を知る者は誰もいない、すべては数千年前に歴史から姿を消してしまい、どのよな大辞典を調べてもその内容に触れているものは無い。ただ、あるのは「神代から伝わる、神意のままで人為を加えない日本固有の道」と言う記載だけである。

  
 すべては時の為せる業であり、歴史の繰り返し現象の現れなのである。これだけはいくら人為的な力で隠そうとしても所詮無理な足掻きであり、無駄に終わるものである。

 要するに「時の力」の前にはどのような大きな権力や知力、すなわち、自然にそぐわないものや、自然に逆らっているもの等は絶対に勝つことは出来ないと言うことである。

 

 確かに今の世の中、「現代数学」は唯一無二のものとされて人類全体が足並みを揃え、歩を進めて邁進して来ているのであるが、それはすなわち、「現代科学文明」は現代数学を基本の柱として組み立てられ、それを基礎に万事は整えられ、次々と発展し現代に至っているのは衆知のことであり、間違いの無いことである。

 なかんずく、現代物理学はその中でも群を抜いて現代数学に頼りっきりになっているのはこれまた事実である。 しかし、それ、すなわち、「現代数学」が自然に沿ったものでなければ、何時かは消滅して消え去る運命にあることも同時に知らなければならない。何故ならば、何時か、何処かで、必ず矛盾が生じ、進むことも退くことも出来なくなるからである。

  「現代物理学は自然理論の哲学的な背景や自然物理的な実証を無視して、あまりにも「数学」に集中し、かたより過ぎている」とデビット・ボームはその著書のなかで嘆き、

また「現代数学には根本的な指導原理である自然原理は何も無い」、すなわち、「現代数学」には自然界が基本としている自然の型は何も無く、すべては人間原理により成り立っている」とも述べている。

 また、現代物理学の雄であるマイケル・グリーン(ケンブリッジ大学教授)は「先端物理学理論が戸惑い、自然の真実にアプローチ出来ないのは過度に現代数学的な内容に頼り過ぎていることが原因であり、もっと抽象数学的な発展を考慮しなければならない」と同様な意見を述べていることからも明らかである。

 

 これらのことは「先端物理学(量子理論・超紐理論)」が更に内容をステップアップし、自然的な事実を更に明らかにするには、数学的にまったく新しい手法、すなわち、自然物質世界の量子的な性質を知るためには新しい革命的な数学手法がどうしても必要である」と言っているのと同じことである。 また、「量子理論は連続性と大きさを持たない点の究極的な実在を否定しながら、それに反する連続性の数学、すなわち、現代数学の10進法を用い続けている」とも断じられ、それ故に、真の答えに到達することが出来ないと言う大きなジレンマを抱えているとも言われている。まさにその通りである。

 

 要するに、今、彼等が待ち望んでいるのは、この350年の間、珠玉のように思ってきた数学手法、すなわち、現代数学的な言語を根本から変えてしまうような全く新しい数学手法、革命的な数学手法の出現なのである。

 例えばである、量子論における素粒子を数学的な枠組みの中で記述しょうとする場合、現代数学手法で重要な値を計算しようとしても、何時も無限大に悩まされるのである。そこにある素粒子のエネルギ-と質量は極めて小さいはずなのであるが、きちんと計算を進めて行くと無限大と言う結果が生まれてくるのである。

 これらの無限大の出現に対して、一部の物理学者達は「場の量子論の基礎には根本的な欠陥があるのではないか」と考えるようになっている。それでなくても、一般の学者達は〝無限大〟と〝無限小〟に関して恐れを抱いて、それらが出て来ることを極端に嫌っているのである。しかし、そのあたりの矛盾は「神の数学」においては完全に解消しているので、一切気にも止めることもない。要するに、それが循環数学の骨子である9=0の公式である。

 

 確かに、「現代数学」における無限小と無限大の差は非常に大きく、「宇宙のマトリックス」の一つといってもいいものである。それに対して、「神の数学」は無限小と無限大はまったく同じものであり、まさに、同一的な意味を持つものである。

ほとんどの諸氏は呆気らかんとなるであろう。しかし、その意味は簡単である、要するに、無限小と無限大を持つ直線を丸めて円形を作るのである。すると、端(無限小)と端(無限小)は結ばれて同一的なものになる。
 例えばである、、あなたの両腕をまっすぐに伸ばす、その場合の、左側の掌が端であり、無限小(0)の状態を示すものである。また、右側の掌は右側の端にあって無限大を示しているのである。 次にこれの端と端を結び上げ、円をつくるのである。それがすなわち、循環系の形であり、右側の掌と右側の掌は完全以同一化して一つのものを示すのである。ただ、その場合、右側の掌と右側の掌はまったく同じものではあるが、方向が逆な関係、すなわち、プラスとマイナスの関係にあるのと言うことである。すると、同一値を持つプラスとマイナスのものは加算により0になると「現代数学」では言っているはずである。それが、すなわち、0+9=0であり、9=0となる始末を語っているものである。
 また、相対する象、すなわち、上端と下端、あるいは左端と右端を結んで重ねて一体化する荘厳な行為を古神道では「カミムスビ」、「タカミムスビ」と呼んでいるのである。
 断っておくが、現在の知では、この「カミムスビ」、「タカミムスビ」の言葉はの意味は不明であり、誰も正しい解釈を持っていないのである。 

 しかし、それは「現代数学」の算用そのものに帰する基本原理の概念自体が問題なのであり、それに従っている限り当然そうなるのである。ハッキリ言えば、すべては「現代数学」の基本そのものに由来しているものであり、基本に誤りがあれば、「現代数学」、「現代科学」等の人間知のすべては総崩れになるのである。る。それを解決するのが「神に数学」であり、その中の0=9の基本数学的な概念なのである。

 

さあ、小難しいことはさておいて、先月出題した問題にかかることにしよう。

すなわち、宿題となっているあの「神の法陣」の大いなる意味解きである。 言って置くが、これは現代人の誰も知らない素晴らしい「神」の叡智であり、燦然とした流れを持っているものである。

 要するに、この「神の法陣」は人類の未だ知らない宇宙次元の大いなる秘密を内蔵しているのであり、それらは現在の現代知ではどうあっても解き放つことなどはまったく不可能なものである。

 

しかし、そう言っても、特に難しいものではない、それは自然的な常識さえあれば誰にでも手がとどくものであり、理解も出来るものである。要するに、魂が澄み切っていればいいと言うことである。魂が澄み切った状態とは、すなわち、偉ぶらない、固定観念にとらわれないと言うことであり、また、悟りの心、熱い魂の波動を常に持っていることなどでもある。

 要するに、「数」の語りに魂が熱くなる程感動し、既存概念に惑わされずに「数」の言い分に従ってすべての答えを見出し、自分の力で纏め上げることが大切なのである。そのためには何回も、何回も「神の数学」の基本を忠実に学ぶことや、計算を繰り返しながら心に叩き込むことが必要なのである。

 

 今回はそのあたりに重点を置いて語り、あなた方の心を熱くして見ようではないか…!!。 そして出来るだけ肯定的に見るのであり、否定的な心はなるべく出さないようにしてほしい。

 

 もう一度繰り返す、「魔方陣」は線形手法であり、『神の法陣』は循環形手法である。また現代文明世界の基盤は線形手法により成り立っていることはご承知のことであろう。要するに、これからの意識文明世界は非線形、すなわち、循環形手法が知の主役となって自然と歩調を共にすることが必要なのである。もうそろそろ、線形数学(現代数学)を卒業して非線形と言う新しい手法を学ぶことが必要なのではないかな…。
 そのためには「神の法陣」の計算を何回も、何回も繰り返して行い、その概念と言うものをシッカリ心で覚えることが必要なのである。、

 要するに、現代文明世界の線形手法は直線で始まり、直線で終わるものであり、それに対して、未来世界は循環形手法であり、すべては循環して元(始原)に納まって、自然世界と鼓動を同じくするものである。例えて言えば、両者には「直線」と「円」と言う根本的な違いが根底にはあるので、決して両立は出来ないものなのである。要するに、どっちを信じ、どっちを選ぶかと言う問題になるのである。

 

では『神の法陣』をあなた方と共に見てみよう。 これは日本独自の大叡智であり、今まで世界にはまったく無かったものである。要するに、中国発の「魔方陣」は「易」の母体として世界を席巻していたのであるが、ここにきて正体がばれ、マガイモノであることがはっきりと証明されたのである。 要するに、3次の「魔方陣」からは決して太極、両義、四象、八卦などの「易」の極意は生まれず、逆に日本の古神道の真髄である、「神の法陣」の母体、すなわち「カムナガラの道」からこれらの太極、両義、四象、八卦などの「易」の極意が容易に見出されると言うのである。

 

「易の仕組み」が遥か三〇〇〇年以上にわたって歴史を欺いて来たのはまさに由々しい大罪と言ってもいいであろう。何故なら、そこには数十万、数百万の知者たちが涙を呑んで生涯を終えてきたからである。この3次の「魔方陣」の中には太極、両義、四象、八卦などの「易」の極意が潜んでいると信じて時代、時代の大勢の人々が研究検証に邁進したのであるが、すべては無残な結果に終わり、尊い一生を台無しにしてしまったものである。

 要するに、実際は「何も無い」ものを風聞に惑わされて「ある」と信じて一生をその探索にすごしたのである。本当に歴史は無情である。恐らく、今でもその探索に懸命な御仁もかなり多いはずである。

 

 

では、ゆるりと『神の法陣』幻視考にあいまみえることにしょう、ただ、これは学識の有無には関係なく直感と洞察力の鋭さが必要なのである。要するに、解る人には判るが、解らない人にはどうしても判らないものである。そのことを心に置いてもらいたい。

 

まずは1次元、2次元、3次元、4次元表、……九次元表を次に掲げて置くのでシッカリと計算して答えを出していただこう。その答えこそが驚くべき真実を告げているものであり、それを理解出来る御仁は恐らく誰もいないはずである。

 

また、これは考え方によっては、これは古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」とまったく同じものであり、また、あのUFOから見いだされた宇宙人の数学体系である「システム オブナインズ」と同一なものとも思われる。 要するに、「自然宇宙」の次元的な仕組みと言うものを、この「神の法陣」は物語り、更には二重、三重にわたって広く開錠して止まないのである。

恐らく、世の中の学者と言う種族や、高学歴な知者を任じている方々は腹を抱えて大笑いするであろう、確かに言葉だけから判断し、「数の語り」の結果を見ない限り、確かに大ぼら吹きと言われても仕方のないことではある。

まあ、すべての結果を見てからの判断、数の語りの是非の検証を尽くした上での熟慮がものを言うのであり、直感の有無が必要不可欠なのである。そこまで達するには今の現代知の進捗状態から見ると数十年がかかるような気がするが、まあ、それも止むをえないであろう。しかし、解る人には判るものでもあり、懸命な御仁には必ず推察力が醸し出され次々と開眼の運びとなるはずである。

 

1次元から8次元までの「神の法陣」の図を掲げて置くので自然的な「循環法」でこれらを解き放ってもらいたい。「循環法」とは先月説明した通りのものであり、自然則に沿って中心から対称位置にある数列を進行方向に加算するものである。

それは ①横の循環 ②縦の循環 ③斜めの循環に沿ってそれぞれの計算を進めることにより、すべては同一数を生み出すのであり、まさに妙理であり、天地を揺るがすものである。

 その同一数を称して、私は神の手になる「大いなる調和数」の出現であると呼んで、いろいろと重宝しているものである。

 

 次にあるのは『次元表の列記』である。これからは何回も顔を突き合わせていくことになるので、是非、馴染みになってほしい。

 

 

 

 これらの「神の法陣」図を手順にのっとり一つ、一つ解いていこう。

その手順は先月に記した通りであり、循環手法を用いて「大いなる調和数」を求めることが必要なのである。 その循環手法とは先月に公開した中心を対称点とした大いなる数の巡りであり、そこからもたらされた加算の答が「大いなる調和数」なのである。それらを調べて見ると、すべては予定されていた流れであり、自然とはその流れに沿ってすべては展開されていることがよく判る。そこには決して偶然は無く、すべては秩序を持って流れているのであり、決してランダムな構成を持っているものではない。故に、我々も十分に未来を予測することが可能であり、未来に対処することもあらかじめ出来ると言うことである。ただし、今のような西洋科学知では無理というものである。

 

これらの加算の答えを秩序通りに並べて見ることにより、自然大宇宙の構造序と言うものが判り、また、次元の仕組みさえもある程度判ってくることを知ってほしい。

それによると、我々の関与している「表の次元」の姿、すなわち、「この世」の次元は4次元までであり、5次元、6次元、7次元、8次元、9次元は、「表の次元」に対しての「裏側の次元」と言う関係にあるものであり、言ってみれば、我々の「実体次元」に対しての「影の次元」と言うべき相対的な次元の存在になるのである。

要するに、我々の「表次元」が存在するためには、「裏次元」と言う相対的な次元の存在が必要不可欠であり、それが無ければ存在不能になって消滅するのである。

 

もっとハッキリ言えば、実体化した「表の存在」に対しては必ず、表からは見えない「裏の存在」があるのであり、表と裏が相伴って初めて一つの実相体となるのである。 例えば、磁石を見てみるがいい、そこにはプラスの磁極とマイナスの磁極が相対的な関係にあって一つの実体的な存在となっているのである。要するに、プラスの磁極だけでは存在不能であり、また、マイナスの磁極だけでも存在出来ず、磁性そのものは消滅してしまうのである。要するに、それがこの大宇宙には単極(モノポリ―)と言う存在は無いと科学が断言している事実なのである。

 

そのあたりのことは古神道の奥義祝詞の本体である「カムナガラの道」や、それと双対の祝詞であった「アイウエオ五十音図」を見ると、「あの世」の存在と言うものがよく判るのであるまた、同時に、「カムナガラの道」や「アイウエオ五十音図」は人間の作ったものではなく、「神」が人間に与えた「数」で書かれた自然宇宙の大叡智の集大成であることがよく判るものである。何故ならば、それらの中には「あの世」と「この世」の必然的な存在がシッカリ描かれているからであり、「あの世」と「この世」があるからこそ、すべては巡り巡って丸く納まって永遠へとつながっていることが示されているからである。

 

考えて見れば、確かに、西洋科学知は「神の世界」、「見えない世界」を嫌い、「神無し」の状態のままで科学知を作り上げて来て久しい。しかし、そのうちに自然とはそぐわないもの、自然知に逆らうものとしてだんだんと排除されていくことになるであろう。現に、現代物理学は古典物理と名を変えて窓際に置かれ、現代哲学は最早、無いに等しい。そして、今、現代数学は発展を止め堂々巡りしている有様である。、

 

さあ、余分な話はこのくらいにしてこれら次元表の語る「神の秘密」を探索して見ようではないか…!!。

 

要するに、これらの次元表の縦、横、斜め数(対角線数)から算出される調和数は次の通りである。 是非、検算検証し、「数」の語る自然の真実を見てもらいたい。



  
  


  

 前回は〔例〕の部として3次元数図の解き方を明示したのであるが、今回は4次元数図の解き方を掲げて置くので宜しく紐解いて、ご検証のほどをお願いしたい。

   5次元数図、6次元数図、7次元数図等は自分の手で作り上げて検証してもらいたい。すべては同じ手順である。

 

 これらの答えである
各次元の「大いなる調和数」を見てみよう、次の通りである。

 

   0次元表1次元表→、2次元表→55、3次元表→1114次元表→8888、5次元表→88888、6次元表→111111

  7次元表→5555555、8次元表→22222222、9次元表→111111111

 

 
 
これでは少々判断がつかないので、次のように並べ直して見よう。



   

    

 



 
要するに、次元に裏と表があり、我々に関す次元は次元の0,1,2,3,4、の次元であり、表次元としては4次元が最高の次元なのである。
  そして、裏次元とは5次元から始まって9次元で終わるものであり、それ以上の次元は理論のうえでは存在するが、実際的、現実的には存在してはいないのである。要するに9次元が最高次元であり、それは神の次元、すなわち、0次元と同じものなのである。我々は4次元の次は5次元その次は6次元…とその存在を何処までも伸ばしているがそれは誤りである。その論法に従えば、100次元、1000次元などが存在し、我々の住んでいる3次元世界などは塵、芥となって論外のものになってしまうのであり、同時に「神」の存在場も論議外になって失われてしまうのである。


 また、「裏次元」と「表次元」は相対的な関係をもって固く結び付いているのであり、一方を抜きにしては決して成り立たっことは無く、即、崩壊し,消滅してしまうのである。それが「陰」と「陽」の関係であり、「表」と「裏」の関係と言うものである。
例えて見れば電気を見てみよう、電気とは+と-が対になって存在している。「表」が+なら、「裏」は当然、-である。それらは対になって現象として存在しているのであり、「表」が無くなれば、当然、「裏」も消失してしまうのである。

 

そもそも、今まで学者達が11次元とか21次元とか勝手なことを言っているが、そんな次元は無い、考慮外と言うものである。彼らは3次元とか、4次元の正体さえも何も解らってはいないのが実情である。 そもそも、3次元とか、4次元の言葉を使いだしたのは、確か、漫画家や小説家たちが面白半分に使いだした言葉が初めなのであり、科学者達はそれに引きずられて使っているだけなのである。これは甚だ失礼なことを申し上げたようである…!!。


  

これらの「数の真実」はすべては現れるべくして現れたものであり、「神」の手の発動により出現したものではなかろうか…!!?。恐らくは人間の知の貧困とはかなさを哀れんだ「神」が手を差し伸べようとしているのではなかろうか。

考えて見てほしい…、今まで誰がこのような劇的とも言える自然理を基盤に持つ数学の計算法を知り得た者がいたであろうか、そこで私は知ったのである。

この「神の法陣」の存在を知ったのは決して偶然などではなく、起こりえるべくして起こった必然の出来事である。すなわち、この「神の法陣」の驚くべきシナリオを描き、その筋書を定めた「何者かの存在がある」と言うことであり、また、それを受け取って理解すると言う何者かいると言うことを…!!!。

もっと分かりやすく言えば、「そこに発信者が存在すると言うことは、そこには同時に受信者もいる」と判断が出来ると言うことなのである。

ひょっとすると、それは我々人類ではなく、もっとハイ・レベルのこの宇宙の知的な先駆者か、または別宇宙の知的水準の高い住人達なのかも知れない。

彼らは恐らく、物質文明をとうの昔に捨て去り、華やかな精神文明の絶頂期にいて、更なる、高度な自然と調和した「神の叡智」を見出そうと懸命になって学んでいるのであろう。 それは、要するに、自然の持つ「大叡智」は限りないと言うことであり、いくら求めても、求め足りないほど膨大なものということでもあろう。

 すると、私は彼等の知を密かに横取りしているのであろうか…、それは知の泥棒である。。私は危ぶむ…、本当にそうなのであれば心は痛むのであるが…。 誰か教えてほしい…!!。

 

 

 すべては「数」が語る次元の真実であり、我々の現代文明知などではとても追いつかないものである。恐らくはあなた方もため息が漏れるだけであり、現代知の儚さに地団駄を踏みたくなることであろう。

「神の法陣」の物語はこれで終わりではない、次回からはもっと現実の知に沿った驚くべき「神の知」の技法の数々をご披露申し上げたいと思う。

この「神の法陣」の中にはまだ数多の「神の秘密」が転がっていて、それを解き放つことにより人間の知、すなわち、現代の科学知、哲学知、更には神学知などは一気に2倍増、3倍増することになるのである。しかもそれも学者などではなく、あなた方自身の手によってである。 今回は取り急ぎ以上を掲示して参照講としたい。 例によって例のごとしである。 各々方、宜しくご検証のほどをお願いしたい。    (完)                                                                                                                                           

    

 「神の法陣」大精義講()

  「神の法陣」に次元の神髄を見る…!!!

    「神の法陣」の基本を学ぼう…!!  


「神の法陣」は自然方陣であり、それは人間知の至らなさを(さと)し、やさしく教えてくれるものである。

                                  2017年8月上載)

 

  「神の法陣」は宇宙自然の持つ「しきたり」の総括的な法典であり、それは現代数学の基盤である「10進法」とは決して相容れることはないものである。

 それ故に、現代数学を基本とする現代科学が自然の解明に挑み、そこにある法則を求めようとしてシャカリキになっても基盤が異なる故に、「宇宙自然の秘密」は決して正体を現そうとはしなかったのである。 

 それでも、人間の誤った傲慢性、成り上がり根性の浅はかさで、自然を見下し、「人間の知」こそ宇宙無双の大知であり、完全無欠の知であるとうそぶきながら、自然を脚下に収めようと営々と陣を進めてきたのである。

 

 しかるに、ここに来てパタッと歩みは止まり、すべての学問の進度は一斉に空回り状態に陥ってしまったのである。 哲学は大分前から姿を消し、数学はすでに袋小路に入ってしまい、最も力を入れていた現代物理学も古典物理学と名を変えられて窓際に追いやられ、代わりに登場してきたのが現代物理学とはまったく性質の異なる「波動物理学」、すなわち、「量子物理学」や「量子力学」なのである。 あなた方はご存知であろうか…、量子物理学の本当の名前は「波動物理学」であることを…!!!。今、やっと彼等学者達は気がついたのである、「この世」と「あの世」のすべての万象を創り上げているのは波動であることに…!!!。

 

 要するに、今までの西洋科学知は完全に変容を来たし、どんどん変わりつつあるのである。 例えば、数学では今までの自然数、すなわち、1234567…は姿を消し、今では0が付加されて01234567…が使われつつあるのをご存知であろうか。

 また、今までは重要な必須項目であった哲学はすっかり、面目を失いあまり話題になることもない。今では大学で哲学を学ぼうとする若者の激減により採算がまったく取れなく、開店休業の有様である。要するに、今の若者は直感的に哲学に魅力を感じなく学ぶ意欲をまったく失ってしまっていると言うことであろう。

 要するに、若者たちは考えることを止めた、すなわち、現実の重みに耐えるのが精一杯で未来志向の夢を完全に捨ててしまったと言うことである。

 それは若者たちに夢がない、未来には希望が持てないと言うことであり、それは同時に現代文明の終焉の到来を意味することになるものである。

恐らく、それは今からあまり遠い時ではないであろう、そんな気がしきりにするのであるが…!!。

 要するに、現代科学文明は危機に瀕している状態であるが、誰もそのことには気がつかないのであり、疑いを持つ御仁は誰一人としていない有様である。

 いや、それどころか、それを感じ、警告する人はまったくいない状態なのである。

 

 ところが、ここに来て日本の古神道が妙な動きを始め、とんでもないことを言い出し始めているのである。そのはしりが古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」の歌う地球天地の創造物語であり、それと同時に宇宙天地の開闢物語の仔細さえも数の仕組みを巧みに用いて朗々と歌い出しているのである。しかも、続いてあの古神道の神髄である「カムナガラの道」さえも顔を覗かせ始めているのである。

 まさにそれは自然の巧みなメロディーを奏でながら、厳かな自然の真実の響きを歌っているものであり、がっちりと人の心をつかんで離さないものである。

 一つ言って置きたい、本来、「歌」と言う意味は心の穢れを清めるためのものであり、「禊ぎ」は身の穢れ,すなわち、心の穢れを払うものである。「歌」とはそれだけ生活上において大変重要な使命を持っているものなのであり、生命の息吹を体に吹き込むものなのである。そのあたりを心していてもらいたい。   (注) 本来、「歌」と言う意味は心の穢れを清め、「禊ぎ」は身の穢れを払うものである。…ホツマ辞典より

     

さあ、そればかりではない、誰も知らないが、古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」とは単なる題名であり、その裏にはその本体そのものが粛々とした形で横たわっていたあるが、長い、未曾有の混乱時代の経過の中で、すべては忘れ去られて失われ、今の今まで、それには誰も気がつかなかったである。

 何と、この「ひふみ天地の数歌」の本体こそが、あの失われた「カムナガラの道」そのものであったのである。その姿はまさに「神慮のままで、人為を加えぬ日本固有の道」であり、現代文明の先に存在した超古代日本文明の「超叡智」のまごうことのない姿であったのである。そこには現代西洋文明が否定している「あの世」の厳とした存在や輪廻転生の極みまでもシッカリ描かれているものである。 まさにそこにあるのは日本先史文明の息吹であり、世界に誇ることの出来る古代日本に存在した「神の叡智」そのものなのである。

 

  そのあたりを密かに語っているのがあの「アイウエオ五十音図」の仕組みにあのである。 しかし、それも誰も知らない。しかし、それ以上にもっと不思議なことが数多あるのであるが、それもまた誰も知らないものなのである。 

どうしてこのような何千年にもわたって閉ざされていた神道の秘密がこの無学文盲な私にだけ解き放つことが出来るのか、それも不思議極まりない話である。 あなた方は信用しないであろう、私もまた、半信半疑の状態でもある。
 もっとハッキリ言おう、要するに、神道の双対の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」の本体である「カムナガラの道」と「「アイウエオ五十音図」の仕組みの中には現代西洋知が100年かかっても解くことの出来ない「宇宙大自然の真実」、すなわち、「あの世」と「この世」の存在や、その一切の「輪廻の仕組み」と言うものが壮大なる数の流れを用いて歌い込まれているのである。
 
 でも恐らく信じる御は皆無であろう、それほど雄大無比で信じられないような形で、しかも、あなた方が現在問題にしているようなふしぎな数の現われを用いてその経過と言うものをシッカリ歌い上げているのである。

とにかく、すべてが不思議、不思議であり、まさに不思議の連続が続いているのもこれまた不思議と言うものである。

 

またもう一つ不思議な話をして進ぜよう、それは遥か昔の太古日本においては「ひふみ天地の数歌」と「アイウエオ五十音図」は双対の奥義祝詞として「神々」に奉納されていたのであり、その事実を証明する証拠と言うものは、これまた私のところにだけ存在しているものであり、今の今まで誰も知らなかったものである。これもまた不思議なことの一つである。
 恐らく、これからの私の残された余生はこの事実を世の中に伝えることであろうと思われて、懸命に時間を割いてこれらの資料の一切を作り上げているのであるが、なかなか人々の心には届かず、難渋している最中である。心ある方々に申し上げたい、自然の知と言うものの素晴らしさを知りたくば、ぜひこれらの自然の伝言を垣間見て、その絶大なる叡智の存在を学んでほしい。そのような方にはあたしは喜んですべての資料を託するつもりである。ただし、その中には現在の私には理解不能、すなわち、知が未熟で答えが出ないような自然の仕組みが語られているが、もし、説明可能であれば教えてもらいたいと思っているものもある。流れとしては判っているのであるが、悲しいかな、ボキャボリ-不足、あるいは現代知には無い表現なので答えが綴られないのである。是非、考えて結論となるものを言葉化して頂きたいと思うのであるが…!!。

 

 それらすべての端緒となったもの、それが世界で最も古い歴史を持つ尊い国である日本に存在している古神道であり、その中から今になって現れ、懸命に何事かを囁き始め、動き出し始めているのである。そのあたりの事実をこれからあなた方と一緒に見てゆきたいと思う。

 

 日本人の誰でも知っているもの、それが古神道の双対の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、その本体が「カムナガラの道」なのである。この「カムナガラの道」の名はあなた方も今まで聞いたことがあるであろう。それはすでに失われてしまったとされ、ただ、その名前だけが辛うじて残っている現在である。

 辞書によると「神代から伝わってきて、神慮のままで、人為を加えぬ日本固有の道」であり、その内容は失われて久しいと記されている。

 

今、この「カムナガラの道」はすでに甦りを果たし、その内容はすでに公開されている。そればかりかそこにある内容もある程度は解明されているのであり、多くの人々は懸命にその謎解きに没頭している最中であることは是非知ってほしい。

 ただ、驚いたことに、この「カムナガラの道」はどのように考えても不思議が一杯であり、あまりにも我々の常識知(現代科学知)から外れているものなのであり、まさに奇想天外なものである。

要するに、それは現代科学知ではまったく解けないものと言うことである。

それを解き放つく鍵が、すなわち、古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」である。要するに、「ひふみ天地の数歌」は「カムナガラの道」の一部でありながら、かつ「カムナガラの道」の開錠キィーとしての役割を果たしているのである。 知るがいい、「カムナガラの道」とは「ひふみ天地の数歌」の集合体であり、それを変化させて森羅万象の響きを表しているものと言うことを…。

 

 ここで、そのあたりのことを要約してもう一度おさらいして見ることにしょう。

 大体、次のようなものになるはずである。思い起こしながらもう一度考えて検証に走ってもらえれば更なる数多の真実も見出すことが出来るであろう。

 

〔1〕

 どういう訳か古神道の奥義祝詞の「ひふみ天地の数歌」の正しい形には1の前に0を置くこと、すなわち、1の前に「カムナ」、または「カムナガラ」を置いて唱えるのが正しい唱え方であると伝えているのである。要するに、それをシッカリ教えてくれているのが「アイウエオ五十音図」の言葉なのである。

それはすなわち、0=神であり、「カムナ」とは「神の名」であり、「神の名」は0であると言っているのである。また、「カムナガラ」は神の行為、神の本質、本性を指す言葉であるとすると、やはり、同様に「カムナガラ」=0となるものである。それ故に、最も大切なもの、それを最初においてからすべては始まるのである。それが自然のル―ルと言うものである。

要するに、本当の自然数とは0を含めた、0123456789が正しいものであり、宇宙自然の心に沿っているものなのである。

 

論より証拠、「ひふみ天地の数歌」の頭に「カムナ」、たは「カムナガラ」をつけて大声で唱えて見るがいい。 全身が反応して力がみなぎってくることがハッキリと判って来るはずである。一体、この不可思議な言霊の妙力は何に起因するものであり、何に帰属するものなのであろうか。改めて言う、これらのすべては古神道の業であり、西洋現代知などはどうあっても足元にも及ばないものである。

 

〔2〕

また、不思議千万なことであるが、双対の祝詞である「ひふみ天地の数歌」と「アイウエオ五十音図」の仕組みを探って行くと、驚くことに最終的にはまったく同じ啓示図が現れて真実を囁いているのであり、それは人知では決して作り上げることは不可能なものであり、まさに「神」の手になるものであることが判る。それをして、厚顔無恥な学者達はやれ唐天竺から伝わったものとか、南方から伝わったものとか言って大恥をかいている始末である。なんせ、彼らは自分の手には負えないものはすべて外国発としてうやむやにすることが多いのである。

 確か、最後の国学者と言われている国学の大家であった山田孝雄博士は「アイウエオ五十音図」は人間の頭脳などでは製作不可能であり、「神」の関与が有るからこそ、これらの終始がピッタリと合っているのであるうものである。」と述べているのであるが、それも頷けることでもある。

要するに、「ひふみ天地の数歌」を「アイウエオ」を用いてひも解くと「神」の存在が明らかになり、その「神」を冒頭に置くことにより厳かに天地は開かれ、素晴らしい地球自然の成り立ちが悠然とした姿を現すことになるのである。 

また、逆な形、すなわち、「アイウエオ五十音図」を「ひふみ天地の数歌」でひも解くとそこに現れるのは素晴らしい自然宇宙の姿、すなわち「あの世」と「この世」を併せ持った整然としたト-ラス構造体(ドーナツ形)の姿が現れて我々を驚かせるのである。
 それはまさに、整然とした循環的なアルゴリズム形式を持っている驚くべき姿であり、「現代西洋科学知」」などでは逆立ちしても及びもつかないものである。

  〔3〕

このように、古神道の流儀に沿って自然の数の理を尽くすことにより、そこには厳然として雄大な宇宙開闢の理(宇宙創成理論)が悠然と姿を現わして、我々を驚かすすのであり、しかも、それを司っている宇宙エネルギー体のすべての構造までも明らかにされるのである。その矛盾の無い素晴らしい姿には我々を驚嘆の坩堝に引きずり込んで慌てさせるのである。

それも、一つや二つではない、「カムナガラの道」から1体、それから「アイウエオ五十音図」から2体、合計3体がまったく同一な宇宙構造を示している素晴らしい図が現れるのである。一般的に、「神」のネイチャースタンダ―ド(自然規範)はダブル、すなわち2ヶなのであるが、このようにトリプル(3ヶ)で現れるのは珍しいことである、「神」にとってはよほど重要な事柄なのであろう。

  〔4〕

この「カムナガラの道」の中には800と言う大勢の神々が潜在し、口々にすべては「空」であり、「無」であると叫んでいるのである。神道で言う八百万の神々とは数多の神々と解釈されているが、本来は八百柱と言う大勢の神々と言うべきものである。 なお、皆さんが知っている「般若心経」の中にはすべては「空」であり、「無」であると叫んでいる言葉は30~40ヶくらい存在していると言われているが、そのことをあなた方はご存知であろうか…!!。

 それは仕組みさえ解れば大変易しいものである。一つ、頭の体操と考えて解いてみては如何であろうか、すると知もいろいろと練れてくることになるであろう。

 

  〔5〕

この「カムナガラの道」の中にはこの大宇宙は複相的なメビュース構造になっているのであり、宇宙の端は無く、反転して元(初発)に還っていくと数は語っている。

いや、そればかりか古神道の祝詞「ひふみ天地の数歌」ではこの大宇宙は極限状態を迎えると反転が起こり、それにより収縮と膨張が交互に繰り返されていることが語られている。
 これらは簡単な方法で語られているので誰にでも理解が可能なものである。ただし、頑固頭の持ち主である学者達を除けばである。

 

 さあ、このあたりで今回の主題に戻ろう。

先回の「神の法陣」の講座の中で語った「網の法陣」の仕組みにおいてページの関係で語り切れなかったものが一つあるので、今回はそれを紹介したいと思う。

 要するに、先回は同一中心点を持ついろいろな円上の数、すなわち、横、縦、斜めの数列を加算すると不思議にもまったく同一の数の数列が現れ、何事かを囁いていると言う話をしたのであるが、それだけではまだ完結には至ってはいないものであり、まだまだ続きが存在しているのである。それが今回の「右下がりの循環」と「右上がりの循環」における同一数の現れである。

 そこには更なる不思議なことが存在し、あなた方に呼びかけをしているのであるが、お判りであろうか。今回はその説明に入るのであるが、一つじっくりと考えながら答えを見出してもらいたい。私はもう老いさらばえて知は枯れてしまった、後はただただ、若いあなた方に期待するだけである。

まあ、あなた方、如何に知に秀でていても、答えることなどは出来ないのではないかと危惧しているのも事実である。そこには何か人知を超えた大きなメッセージがあるのであるが、如何にせん、私の頭脳ではとても探り出すこと等は出来ないのである。あとはあなた方に任せることにしたい…!!。

まあ、あなた方は若いのである、じっくり当たって、ゆっくりと考えてもらいたい。

 

下図に示しているものは左側は同心円を持った縦、横、斜めの循環図(A)、(B)であり、右側は同心円を持った斜めに走るそれぞれの循環図の姿(右上がり、右下がりの各々2ヶ)である。そのあたりについては先月の講座、および先々月の講座を見てもらえば意味は了承されるはずである。すべては繋がって物語を展開しているのであり、すべては連続的に走っているものである。

 その最も右側にあるのが今回の物語、すなわち、「斜めに走る循環図」の計算式である。よく勘案しながら仔細を検証し、「数」の語る不思議な物語を十分に賞味してもらいたい。


          先回の「神の法陣の解説」   今回の「神の法陣の解説」

                                                   

   

 

要するに、右下がりの循環数列の計算も、左下がりの循環数列の計算も まったく同じ同一数列が現れて何かを囁いているのである。さて、その意味は…!!??。

 考えて見るがいい、一つや二つの図ばかりではない、何十、何百と言う図のすべてが4重、5重の体制で一つの数字で統一されていることから見ると、何かが起こっているのであり、まさに知の非常時体制と言ってもいいものであろう。

  何と、奇妙なことなのであり、あまりにも不思議な数の語りではないか…!!?。まさに「神」による数の語りであり、とても人間業ではとても、とても不可能な数の走りである。一体、これは何なのであろうか…!!?。

 

 易しく言えば、各々の「神の法陣」はすべてたった一つの数で語られ、一つの数で守られていると言うことである。要するに、図は全体的な共鳴により会話を交わしているのであり、何らかの意識を持っている存在と考えてもいいのである。よく仔細の判らない御仁は前回の7月の講座を参照して事の重大さを知ってほしい。 まさに、人知を超えた自然の叡智と言うものである。

そこは特定数の独断場であり、一つの社交場となって玄なる大真理を囁いていることが解る。

我々は夢を見ているのであろうか、白昼夢にさいなまされてであろうか…!!。いくらそう考えても計算は常に同じものを算出してやまないのである。

 

 これを見て知の疼(うず)きを覚えない者は学徒ではない、知の礼賛者でもない。いや、何も感じないのは人間失格者、豚馬と同じと罵(ののし)られても仕方が無いことであろう、何故ならば、この図は現代人のまだ知らぬ知の局面、知の応対的な別面と言う存在を見せている可能性があるからである。

ひよっとすると、我々はすべてを見直して知の再構を計らなければならない可能性も出てくるかもしれないのである。なぜなら、これによりすべての現存する知の楼閣(現代西洋科学知)は音を立てて崩れ落ちたのであり、最早や、術(すべ)はまったく無いからである。

なんせ、人間の常識外としている、厳とした「神の語り」がそこにあるのは確かなことであり、動かせない事実が起きているのもこれまた事実である。

我々はあまりにも愚かすぎたのであり、自然を甘く見ていたのである。

 

 この「数の語り」を私なりの流儀で解釈を下して見よう、次のようなものである。

 

(A)の0、1、11、111、これを常識的に判断すれば0、1、2、3、であり、自然数の0123でもある。同様に、(B)の0、8、88、888,8888の存在も個数から見れば0、1,2,3,4、と規則を持って並んでいるのであり、一つの自然数的な存在、すなわち、これらは1,2,3,4、の自然規範をもって真実であることを告げているものである。

 しかし、常識的に見れば、図は1234…となっていて、0の姿が無い、そこでまた、ジックリと考えるのである。 すると、この「神の法陣」の外側には何もない空間、すなわち、0(神)の群れ、すなわち、絶対神の群れが無限に広がっているのである。 要するに我々の「見える世界(物質界)は見えない世界(意識界)に囲まれながら共存しているのである。

すると、有限の存在である「神の法陣」と言う実体はその無限の0から生まれたものであり、、無限のこそ有限(ありてあるもの)の母体であることが解る。それ故に、最初に母体である0が存在し、そこからすべての実世界は生まれた、だから自然数の最初には0を置くのが当たり前であり、同時に自然の理に叶っているものなのである。

あなた方は突拍子も無いことを言うと落胆するかも知れないが、最近の宇宙創成の理論バージョンをのぞき見して見るがいい。 今まで宇宙は何もない真空状態と思われていたが、実は無と言うエネルギーが満ち満ちてそこから有となる物質が飛び出してくると言い始めていることからも判るはずなのである。

 

     そのあたりを改めてシッカリと考えてもらいたいものである…!!!。

 

例えばである、(B)の0、8、88、888,8888を現代数学的に解釈すると0、8、16、24、32であり、中心に進むにしたがって数は大きくなる。

 しかし、これを9進法で表せば0、8、7、6、5となり、中心に進むにしたがって数は小さくなる。一体、この真逆の形は一体を意味するものであろうか…??。

 これは天下分け目の戦いである…!!!,ジックリと時間をかけて考えてもらいたい。

   これは人知を左右するばかりの「神の知」の出現であり、人類の未来を賭けての挑戦なのである…!!!。

果たして、我々は「神」の意思を解き放つことが出来るのであろうか、「神」が語ろうとしている「自然宇宙の真理」を理解することが可能なのであろうか…!!?。

それとも、相変わらず忸怩(じくじ)たる思いで人間知の歩を進めて行くことになるのであろうか。、私は大いに訝(いぶか)しみ、大いに怪しむのである。

       一つ断っておきたい、この「神の法陣」の基本を学ぼうのシリーズの①②③は3篇をもって一つと考えて検証してもらいたい。いわば、これらは三身一体で一つと考えるのである。 そうすることによってこれらの不思議さはますます輝き始め、 それと同時に我々現代知には無いいろいろなことを更に手にすることが出来ることになるはずである。                  
                                                                                           以上……(今月の講座完)

 

 

  「神の法陣」大精義講()

    「神の法陣」の基本を学ぼう…!! ④ 


「神の法陣」は自然方陣であり、本来の自然知の在り方を示す、叡智の羅針盤なのである。
                                  2017年9月上載)


 

  我々は一体何処からきて、何処へ行こうとしているのであろうか…!!?。 ただ判るのは中途半端な知を持ちながら自然に逆らい、妥協を拒みながら独り歩きしてたださ迷い歩っている最中であると言うことだけである。

 その知の出生も知らず、叡智の歴史も持たずにただ流れに身を任せて漂っている、それが現在の我々の姿なのである。「神々」の教えの存在も知らず、ただひたすら自分たちの力だけでこの広大無限な時空の海を押し渡ろうとしているのである。何ら目的も無く、意味も持たずに、代々、次々とひたすら輪廻転生を重ねながら時を乗り越え、懸命に何処(いずこ)かに向かわんとしているのである。考えて見るとまことに魔訶不可思議な存在である。

 まことに、哀れな物語であるが、その理由や仔細を知る者は誰もいない。

また、考えることも無く、ただただ無為無策の日々を送りながら、懸命に時間とエネルギ-を無駄に費やしている、それが我々の今の虚ろな姿である。一体全体、我々は何者なのであろうか…。

 

 そして、最後の今、力も尽き果て知の刀は折れ、矢は尽き果てなんとしているのであるが、それさえも知る者は誰一人いない状態である。それぞれ、勝手気ままに歩き出して勝手な方向へと身を向けて歩き、止まることを知らないと言う一方的な態度が裏目に出て、今や、まったく動きが取れない状態を迎えようとしているのである。でも、そんなことは誰も知らない、ただ、明日を迎えるために、がむしゃらに毎日を生きて、息をついているだけである。

今となっては、大自然に深く頭をたれ、大自然の知に帰して共存共栄を図るべきなのであるのであるが、それさえも知らないので出来ないのである。本来ならば、大自然との共存共栄を図るべきであり、それが無い限り我々は未来を生きることが叶わないことくらいは当然の知として知っておくべきなのであるが…!!?。

何回も叫んでいるのであるが、改めて、声を大にして叫びたい、一旦古(いにしえ)の心に帰るべしと。大いなる太古の事実、それがすなわち、自然万象は古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」に封じられている数で示されている「天地の大理」であり、我々もそれに従うことが必要なのである。出来る限り、即刻学んで、知らなければならないのである。

その大理がすなわち、超古代日本に存在していた古神道の「カムナガラの道」であり、古神道の祝詞「ひふみ…天地の数歌」の奥に隠されている驚くべき神のメッセ-ジ・コ-ドなのである。

   

      「神の法陣」と斜め連続循環図、そして、その不思議…!!!。



  


  

  この後は「神の法陣」を宇宙の大きさに延ばしてもまったく同じような数示が現れて、何事かを囁き、あなた方を何処かにいざなうはずである。


 要するに、最上の0と対角線を結ぶ楕円形をそのまま次の斜め数まで移行し、それを次々と連続的に行えばいいのである。 次の図のようにである。

 
  

 

 さて、今回は少々忙しい、何故ならば、先回(先月)手抜きをして「斜めに走る循環図」の計算の左下がりの計算を省いてしまったからである。私としては同じような仕組みなので簡単に出来ると考えていたのであるが、それでは駄目でもう少し詳しくかつ丁寧に教えてほしいと言う叱責のお便りが2,3通ばかり入っているからである。彼らは私と同様な高齢者達であるが、知的な欲求は大変高い同胞たちである。よって今回は手抜きをせずに全般的に書き表さなければ叱られそうな気がすると一時は思ったのではあるが…!!。 しかし、何か、すべての図を描くのが面倒くさい、年のせいなのであろうか…。

そこで少々ズルをして簡略化するが、そのあたりは一つ大目に見てもらいたい。答えには何ら間違えはないのでどうぞ、ご安心下され。 後掲の「次元表」を例にとって考えてもらえば判るはずであるが、これらの図のようにすべてを計算しなくとも、対角の数列だけを加算し、それを一桁化して次元の数だけ並べるとまったく同じものが出来上がるのである、労を省くためにも是非知ってもらいたい。

 

その要領を用いて、これら0次元~9次元までの答えを出して、次に掲げておくのでいろいろと検証をしてもらいたい。 必ずや、あなた方の直感にピンと響き、それと同時にもろもろの興味が次々と湧き上がって来てあなたを悩ますことになると思う。


 

   この「神の法陣」と斜め連続循環図を考える


  


 

これらは次のように考えるとその意味が解り、自然次元はどのようにして成り立って機能しているのかが判るはずである。すべての相対する「陰」と「陽」の加算関係は0であることが判るはずである。

 

 要するに、これらは私が何時も言っているように自然次元は常に2極、すなわち、表次元と裏次元と言う2極関係(陰と陽)で成り立っているものであり、それが成立不能になればすべての次元系は崩壊して完全な消滅をしてしまうと言うことなのである。

 
 

 これは前々回の「神の法陣」の基本を学ぼう…!!② にある自然次元の図とまったく同じ仕組みを持っているものであり、恐らくは自然が作り上げたもう一つのネイチャー・ スタンダード(自然規範)であると考えていいものであろう。

 

 よく考えて見ると、現代西洋科学にはネイチャー・ スタンダード(自然規範)を取り入れて、それに準じようと考えるような心がけはまったく無く、すべては人知と言う怪しげな知で構成されているような気がするのであるが、如何であろうか…!!?。それでは自然と足並みを揃えて進むなどとは片腹痛しではないのか…。

 

 本来、自然の知とは我々人間の頭で生み出すものではなく、自然から学び、自然と共有すべきものである。 要するに、それにより自然と語り合いながら知を共有し、自然と共に足並みを揃え未来に向かうことが出来る、それが本来の姿である。

 

しかし、我々の頭の中にはそのような考えは微塵も無い、常に自然と相対し、争闘の挙句、年中苛(さいな)まされている始末である。それが現代文明の本当の姿である。

 

 我々はもっと素直になって自然を学び、自然の知を吸収して自然と同体化しながら生きる術を学ばなければならない、それが宇宙自然における最低的な姿勢と言うものである。

ところが、現実はどうであろう、中途半端な人間知、未熟で未完成の人間知を振りかざしながら自然を恫喝し、簒奪に明け暮れているような始末である。 要するに、それが有無を言わせない人間サイドの一方的な略奪姿勢と言うものであり、まことにアンフェアーなものであることが誰にでも判るものである。

  要するに、我々は次のような自然の仕組みを知り、そこから改めて「天地の理」、すなわち、「陰陽の摂理」を学ばなければならないのである。この世のあらゆる事象、現象には「」と「」の二元性から成り立っているのであり、それらはお互いに逆の性質、すなわち、相対する性質(相)を持つことにより、永遠をまっとうしているのである。しかるに、現代西洋科学は陰陽の本当の姿を知らず、太陽と月、昼と夜、男と女等の言葉で表現しているのである。要するに、そこにある本質を知らず、形のみの表現であいまいにしていると言うことである。本来、そこにはお互いに補完し合うことにより、その本質は0になり、無限のエネルギ-を引き出して永遠性を保っているのであるが…!!!。、

 

 ただし、断っておきたい、自然の持つ答えとは我々の持つ答えと異なり」、必ずしも一つではない。要するに、物理学的な頭の持ち主は物理学上の答え、哲学的な考察をする者には哲学的な答え、神を念頭に置いて追及する者には神学上の答えと言うものが必ずあり、それらの根っこは必ず一つになっていることを知って欲しい。要するに、自然にはそのような区別は何も無く、すべては、人間サイドが作り上げた架空の論理なのであり、見方の相違なのである。

 本来、宇宙自然上の知にはあまり区別はないのであるが、いろいろな知を想定して「知のジャンル」を作り上げて悦に入っているのは我々人類だけなのである。

 その理由は人類は区別と競争が好きだからであり、それによってその分野の第一人者になることが夢であり、大きな野望なのである。

ようするに、それは心の器が小さいと言うことであり、まだまだ熟練度が低く、完成までは程遠いと言うことである。もっとも無理は無い、まだ誕生してから数万年~数十万年と言う浅い歴史しか無いのであるから…!!!。


  下の図は私が見い出した科学、及び哲学上の答えである、是非、検証願いたい。実際はこれにとどまらず、まだまだあるはずである。出来れば、思索の限りを尽くして大いに洞察の網を広げてもらいたい人類のために心からそう願うだけである。

 

   

 
  さあ、この図の持つ「神の真実」を見てみょう。


   

  
 見るがいい、これはまさに宇宙人の数学「システム オブ ナインズ」そのものである。あなた方は「宇宙人の数学」と聞くだけで大笑いするであろうが、古神道の秘儀を解き放つためには、どうしてもこの「宇宙人の数学」である「システム オブ ナインズ」を用いなければ、古神道の奥義真髄である「カムナガラの道」を開くことはできないのである。また、御同様に西洋の数の秘儀である「古代バビロンニヤの占星術」や「インドの占星術」、あるいは「カバラの数秘述」などのも、すべてこの「システム オブ ナインズ」に端を発しているものである。信じられなければ自分の手で調べて見るがよかろう。

この数の並びを一見すると何となくランダムで不規則な数列に思えるのであろう、しかしこのように計算を重ねてシッカリ調べて見ると、すべての筋妻はピッタリと合い、自然的な完全性を持って、完全な補完状態にあることがよく判る。それにより、この表はまさに、「神の表」そのものであり、「神の啓示」であることをシッカリ示していることに気がつくはずである。

 
 

 要するに、この「神の法陣」の各次元の数表の語る「次元物語」の中には何らかの大きな「神の秘密」の存在を示唆しているのであり、何事かを懸命に我々に語りかけているのであるが、今の我々には解読が不能なのである、恐らく、それは本来のあるべき「自然の知」が不足しているので、読むことは叶わないと言うことであろう。

 

私は出来る限りこれ以上のことを知ろうと私は何度も挑戦したのであるが、すべては失敗に帰した。でも、老いさらばえたけど、まだくじけてはいないつもりである。 恐らくはこれからも、何度も、何度も生のある限り挑戦することであろう。

  とにかく、「神」は何事かを懸命に語っているのであるが、残念ながら、我々にはそれを解することが出来ないのである。何故ならば、「神の知」と「我々の知」の間には大きな、大きなギャップがあってお互いが語り合うことが出来ないからである。

ただ判るのはそこにある共通する言葉は「数」であり、「数」を介して「神の知」と意思疎通が出来るのではないかと言う、一つの希望的観測があると言うことだけは言って置きたい。 とにかく、すべての鍵は「数」にあるのは間違無く、われわれはそれに気がつかないだけなのである。それは遥か昔の超古代文献「カミフミのコトトギ」にも記されているのであるが、日本人は誰も信じず笑い飛ばすだけであったのである。それは今でもまったく変わりない。本来、「数」とは「神の語り言葉」なのであるが…!!!。要するに、」「神」は「数」と言う言葉を用いてこの宇宙に存在する「知を持つもの達に何事かを囁き、教えているのであるが、我々人類は未だそれを理解するだけの「知」はもっていないと言うことなのである。甚だ、口惜しいことであるが…!!!。

 

 例えば、古代の哲学者であったソクラテスは「万物は数から成り立っている」と言っていたと、現代人は笑うけれど、それはまさに正鵠を得たものであり、正しい言葉であったのである。

 また、

 確か日本にも同じ内容を持つ偉大な知、すなわち、驚くべき超古代の叡智が存在していたと言う事実があるのであるが、西洋知を敬愛して止まない日本人、西洋知に溺れ果てている日本人は誰一人として振り向こうともしない。

 その確たる証拠となるものが、何と言うこと、この「神の法陣」であり、「カムナガラの道」なのである。 なぜならば、「神の法陣」を解き放つと、そこには「カムナガラの道」が現れて、次々と「自然宇宙の大摂理」を語り上げると言う魔訶不可思議な事実が起こるからである。そこではまさに、「数」はハッキリとした秩序を持って何かを歌っていることを意味するものである。

 とにかく、我々の日本人の祖たちは我々の知らない大いなる「宇宙の叡智」持っていたことは明らかであり、それを古神道の中に封じて未来に託そうとしたのは間違いのないことなのである。そこにはどのような事情があって「神の秘密」を隠す必要があったのであろうか…。恐らくは国や、文化が滅び去るような懸念が生じたので、知恵を絞った挙句、古神道に目をつけて人知れずにその言葉の中に隠し、国民に唱和させて、未来に残そうとしたのであろう。
 それが、すなわち、古神道の奥義祝詞であり、その中に秘められていた「カムナガラの道」なのである。


    

    「神の法陣」の 0から9法陣までの一覧表


    

  一つ、今回の「神の法陣」の方式説明をしておきたい。実は今回の不思議図は「神の法陣」の基本を学ぼう…!!②における「裏」と「表」の次元図のサイド プルーフ、すなわち、自然の持つセカンド ネイチャースタンダ―ド(自然理法、自然規範)なと言うものである。

要するに、この図は次元は相対する「裏」と「表」と言う完全な対極性を持って存在していることを改めて証明している図なのである。

 

、あなた方はあざ笑うかもしれない、現代の科学者たちの誰もが予測もしなかった自然知の存在を一介の田舎者が口にするのは甚だおかしく、笑止千万であるといと…!!。しかし、現在のような人類知の停滞期をじっくりと見てみると、これ以上の現代西洋知の発展は無理であり、望む方がおかしいことが判るはずである。

 なぜならば、現在、すべての科学知は袋小路に入り、脱出することが出来ず、ただもがいているだけであり、ただ小手先の知に惑はされて満足しているだけであるからである。それらは数学、科学でもしかりである。この100年の間、知の土台を揺るがすほどの大きな発見があったであろうか…!!?。 それはあなた方がよく知っているはずである、。

 

 確かに不思議であり、おかしい話でもある。しかし、じっくりと考えて見てほしい。要するに、現在、西洋科学は停滞している、立ち止まったままで進歩は無い、すなわち、壊死の状態にあると言うことなのである。それはすなわち、現代文明は静かに滅びようとしていると言うことであり、ほどなく終焉を迎えると言うことである。

 

               

 さて、次回は今回の講座で少し触れたソクラテスの「万物は数から成り立っている」と言う言葉を少々もじって「宇宙自然は数から成り立っている」と言う自然真実を証明して見よう。 それは現代人のあなた方は馬鹿馬鹿しいとばかりに現実視を避け、大笑いをしているものである。しかし、超古代の人々は真面目に取り組み、立派な業績を残している事実に気がつけば笑うどころか、慄然となるはずである。

 

しかも、「数」は言う、これらを検証することにより、宇宙次元は間違いなく、「神」のセオリー通りに作られ、セオリー通りに動いていることが判明すると…。要するに、大自然は何時も完全なるつながりを持って存在しているのであり、すべてはその関係下で動いているものである。我々はその事実を最初に知らなければならないのであり,シッカリ認識しなければならないのである。
しかし、現代西洋科学知はそれを知らず、人間知の赴くままに構築され、人間知の命ずるままの方向へと顔を向けて突き進んで満足しているのである。その結果、自然知との差はますます広がり、最早、抜き差しならない局面に入っているのであるが、その事実を誰も知らないのである。まさに哀れなのが現代科学知と言うものであり、我々の持っている常識知と言うものである。

 また、同時に「神」は確実に存在し、宇宙自然のあらゆる万象を司(つかさど)っていることが解るのである。そのシナリオが、すなわち、この古神道の「カムナガラの道」であり、それは「数」で描かれている「宇宙叡智」の大金字塔ならぬ大金字表なのである。それを綿密に辿ることにより「神の存在」が明らかになり、誰もが感嘆の声を上げて、うな垂れて鎮まってしまうのである。

 

 そのあたりのことを次回は例を引いてじっくりと説明し、検証して見よう。 「神の法陣」はまことに偉大であり、現代人と自然をつなぐ「叡智のバイブル」と言ってもいいものである…!!!。

すべては「神」のセオリー通りに作られ、セオリー通りに動いていることが判るようになれば、あなたはすでに「神の世界」に一歩足を踏み込んだも同然であり、「神の知」の継承者の一人として世の中に足跡を残すことになるである。

                                                                     〔今月の講座(2017年9月)はこれで完〕

     


   

  「神の法陣」大精義講()

「神の法陣」に次元の神髄を見る…!!!

     さあ、「神の法陣」の基本を学ぼう…!! 


 「神の法陣」は自然方陣であり、それは我々の知らない「自然の理の確かな存在」を密かに我々に告げているのである。
 しかし、誰も知らないのであり、誰も気がつかないのである。…!!!。
                                                        2017年10月上載)




 さて、さて、「数」は自然の知、すなわち、自然超知の語り部であると説いてきたのであるが、あまり信じて学んでくれるような奇特な御仁はいないようである。

無理は無い、長年にわたって10進法が幅を利かせすべての人間知を抑え、牛耳ってきているのである。要するに、10進法計算が大きな間違いであることを誰かが立証しない限り、まだまだ10進法の世界は続き、それにつれてますます現代文明の跛行状態は大きくなって行くのである。

 

なんせ、10進法は物質世界の計算法であり、欲と絡んで無限大を目指しているものである。その結果として、大きいことはいいことだと言って、直線的な尺度を果て知らずの無限大まで伸ばして満足しているのである。

その結果、最終的には計算不能となり、複雑系であるとか混沌(カオス)であるとか訳の分からない言葉を並べ立てて人々を欺いているのである。それが現代数学であり、現代物理の正体なのである。

「複雑系」=複雑な相関関係にあって何が何だか訳のわからん状態であり、終止のつかない状態。

「カオス」=ぐちゃぐちゃに入り混じっていて、何だか訳のわからん状態で永遠にそれが続く様子を指す。

本来の宇宙自然は永遠なる調和と秩序を保っている存在であり、連続的な流れを持っている確固たる存在である。要するに、一見すると複雑にもつれた糸のようにグチャグチャに見えるのであるが、実際は連続している存在であり、少し引っ張ればするすると伸びて完全な一本の糸状になるものなのである。しかし、一見しただけではまさに複雑そのものであり、ただただカオス(混沌)に見えるものなのである。

要するに、現代人間知により表面だけを見てそう感じているのであり、その奥にある本質と言うもの見るまでにはまだ至っていないと言うことである。

ハッキリ言えば、まだそこまで知が成熟してはいない、すなわち不完全な知が蔓延している状態、未だ物質的な見解知の下にあると言ってもいいものである。 

しかし、そのことを誰も知らない、考えることもない…!!

それらすべては基本である出発点が間違っていたことに由来するものである。

しかるに、誰もそのことには気がつかないのである、まことに困ったことであり、ただ、ため息が出るだけである…!!?。

 

それはすなわち、「見える世界(現象界)」だけを見ているだけで、「見えない世界(意識界)」にはまったく目が行っていないと言う現実である。その結果「見えない世界」などは存在しないと言い放ち、「見えない世界」との断絶を宣言し、一切の研究を止めて、「見える世界(現象界)」の調査に専念するようにした、それがあ近代科学の祖であるフランス出身のルネ・デカルトである。それ故に、現代西洋科学は現実的な事象の半分、すなわち、物質界のみの研究に没頭するだけであり、残りの半分、すなわち、「見えない世界(意識世界)」のことを調べることを禁じて来たと言う歴史を持つものである。    

しかるに、ここに来て現実の物象世界とは「見える世界(現象界)」と「見えない世界(意識界)」が2元的な陰陽関係で結びつくことにより顕在化していることに初めて気がついて慌て始めているのである。それは「超ひも理論」が見い出されたことによりハッキリしているのである。

 

果たして、これからどのようにして新しい物理学を現代の学者達は構築してゆくのであろうか、まずはその始まりの一環として現代物理学を窓際に追いやって、まったく新しい量子物理学(波動物理学)を配し、素粒子物理学(「見えない世界」の物理学を体系づけつつあるのが現在である。しかし、それも最近では停滞気味で一向に進展しないのも少々気がかりではある。

要するに、もはや物理は物理学ではなく、神学的な形態(目に見えないものを探る学)に近づきつつあると言ってもいいであろう。もっと、ハッキリ言えば現代科学は、その根本において間違いがあるのであり、現代知はそれを基盤にして構築されている一つの蓋然的な虚構、すなわち、一つのバ-チャル的なフィクションであると言ってもいいものである。要するに、それらのすべては現実から遥かに離れていると言うことである。

 それではいくら懸命に自然の理を解明しょうとしても、ただただ空をつかむだけであろり、決して実を結ぶことはなく、永遠にさ迷うだけなのである。

 さて、さて、大変生意気なこととあなた方は感じていることであろう、しかし、「神の数学」を十分に学ぶと、そのような感慨を誰でも持つことになるのであり、ただただ、焦燥感を感じるだけなのである。

 例えば、「神の法陣」を次々と広げて行けば、そこにはいつの間にか「ひふみ九九算」が完全なる秩序を持って現れて来て、すべては完全無欠な真実であることを「数」は宣言し、われわれはそこでただただ感涙にむせぶだけである。

 

多くの人は「神の法陣」は古神道から現れた畢竟のものであり、それ故に、両者は完全なつながりがある連続体である説明すれば、やれそれを証明せよとか、「神の法陣」は古神道とは何ら関係なく、完全な別物であるとのかまびすしい声が何時も聞こえてくるのである。 それ故に、その二つは十分な関係があることを改めてここでハッキリ証明しておくことにしたいと思う。

  それらの両者がどのような関係にあるのか、諸氏も十分に興味をお持ちであろう。 また私にしても、そのあたりを改めて検証して見るのも楽しみである。

果たしてこの二つはどのような関係下で結びついているのであろうか…!!。

まさにそれは興味深々の「古神道ロマンの物語」があり、スリル満点の「古神道幻視行物語」の始まりなのである。すべては宇宙創世期に「神の描いた筋書き」を追うもの出り、大自然の理の素晴らしさを裏書きするものでもある。

「神の御心」通りに「数」が働いて作り上げたシナリオそのものなのである。例えば、日本の古神道には奥義祝詞である「ひふみ…祝詞」がある。学者達は馬鹿にして止まないのであるが、そこには「宇宙創造」の一切がたった九つの数によりて語られているのである。しかも、その内容は現代宇宙論等を一蹴しても、かつ余りあるような簡単にして、明瞭なシナリオを持っていて、論じる者を唸らせる素晴らしいものである。 また、そこには現代の数学者達が論じても結論が出ない調和、大調和、完全調和、などの素晴らしい論理証拠さえも人知れず眠っているのであるが、それらについては誰も知らない、尋ねようとするる者もいない。
 それらはすこぶる、簡単なことであり、小、中学生でも簡単に解る論理、道理なのであるが…!!!。

 信じる人にとっては甚だ面白いものであり、興味の尽きない方々には成程と言って安堵の中に胸を撫で下すばかりの本当に不思議千万な物語なのである。

今回はそのあたりを徘徊しながら、しばし諸氏と共に楽しみ、心をも宙天に飛ばして見ようではないか…!!!。

確か、数年前にその事実をこの「神の数学」講座の中で発表したことがあったが、恐らくは、あなた方は覚えているであろう。実を申せば私もこの数年間すっかり忘れ去っていたものである。

 

すべては真実であり、あなた方も自分の手で計算して実証することが出来ようと言うものである。 それは決して変な数学記号や難しい計算式を用いてあなた方を弄ぼうとするものではない、すべては 筋が通って甚だ易しいものである。

多分、それについては小学5,6年生の頭脳があれば十分に計算が出来るものであり、更には素直に考えれば十分に理解することが可能なものである。

 まずは、概要を示しておく、 下に掲載されている「神の法陣」の1~9次元までの次元図をジックリ見ていただこう。それから各次元図の縦の数列を加算するのである

例として、「神の数学」の3次元図を用いて縦の列を加算するので、その答えの数列をじっくりと見てもらいたい。 何と、それはあなた方のよく知っている「ひふみ九九算(カムナガラの道)」の数列の一部であることが判明すると言う事実を知って驚きを隠せないことであろう。これらは決して偶然の産物ではなく、宇宙創成の時に「神」がシッカリ確定して置いていたものなのである。 それ故に、この「ひふみ九九算」を超古代の祖達は「カムナガラの道」と呼んで崇め奉っていたのである。

果たしてこの事実は何を語ろうとしているものなのであろうか、恐らくこれは「神」が意識的に書き残したものであり、宇宙に散らばる知を持つ生命体に対する一つの「知のメッセージ」であり、何事かを伝えようとする一つの重大な「神のメッセージ・コード」と言ってもいいものである。

恐らくは、これを解き放つことにより、「次元の秘密」が解錠されることになり、人々が期待している次元の上昇(アセンション)と言うものが始まるのかも知れない。

なんせ私の直感がしきりにそう囁いて止まないのである…!!!。

確かに見ての通り、問題としては確かなものであり、大変重大なものであることはお判りになるはずである。確かに推察通りにこれらは「神の手になる大作品」と言ってもいいも差し支えないものなのである。

しかも、共にシッカリ筋は通っているものであり、盤石な重みのあるものでもある。果たして、この語りの意味すること、その言わんとしている内容は一体何であろうか…。

誰か調べて、直感的に解ったことがあれば是非教えてもらいたいものである。

これは直感がひらめかない限り、考えれば解るような簡単なものではない。

 

 つらつら考えて見ると、そこには何かとてつもない「神の秘密」が鎮まって,何かを囁いているのであるが、今の私にはどうしても私には読み解くことが出来ないのである。

 出来れば、若い弾力のある頭脳の持ち主が現れて、非凡な直感を用いて一刀両断の形で解決策をもたらしてくれることを望みたい、それが私の今の望みである。

 

   

  〔1「神の法陣」の秘密を紐解いて見よう…!!


    
  

これらは0次元から6次元までの「神の法陣」の縦の数の加算を行い、その答えを最下部の黒枠の中に赤字で示したものである。 この後続けて残りの7、8、9、… の各次元の縦の加算計算を自分の手で行い、全体としてどのような数の配置になって来るのかを是非とも見て、そしてジックリ考えてもらいたい。 

その上で、それは一体何を語っているのかをあなたの持つ独特の直感力を用いて解き明かしてもらいたい。 そうすることにより、「古神道」と「神の法陣」はどのような関係で結びついているのかが判るはずである。
  確かに、その二つには十分な関係にあることは見て取れるのであるが、そこにはどのようないわく因縁があるのかについてはいまだ五里霧中で未だ判ってはいない。 まことに残念なことであり、知の足りなさゆえである…!!。

 一応、私の出した結論を聞いてもらいたい。これらの加算数、すなわち、赤い数字は平面上(2次元上)から見たものであり、それを90度視線を変えて見たもの(3次元上)、それが各法陣の姿とも思われる。自信はまったくない。
 なぜなtら、3次元と言うのは立体化したものである、しかし、この「神の法陣」には立体の要素は見られないのであるが、恐らくは、考え方に不備があるのであろう…!!?。

 

一応、参考のために0次元から、9次元までの各次元数の加算答えを下に挙げて置くので検証してもらいたい。

   
0 1 46 360、1504、16273、630630、1864207、76543210、000000000、 …… と数は進んで行く…!!。

 それはすなわち、「九進法」になおすと、011011011011011…と数は並ぶのであるが、この意味は一体何を開示しているのであろうか……!!??。


  まだここには大いなる「神の秘密」が数多く眠っているのであるが、それらを是非、見出してもらいたい…。  考えることにより、あなたの知のエネルギ-は次から次へと湧き出し、頭脳はますます冴えわたることになるのである。

 〔2〕「ひふみ九九算(カムナガラの道)」の秘密を見てみよう…!!


  

  
  

上の図は「ひふみ九九算表(カムナガラの道)」の左右にある0の群れを結んだもの、すなわち、「カミムスビ(円筒形)」にして前後左右に転がしたプリント図、すなわち、循環図である。である。ここには「古神道」と「次元表」は完全以結ばれていると言う完全な証拠が現れているのである。しかも、そこにははっきりした序が見られ、我々の心をときめかせ、唸らせるのである。

 何と言うこと、そこにある「赤い数字」は、まごうことない前掲の「神の法陣」の0次元から9次元までの縦の数列を加算したものであることはあなた方にもお解りであろう。要するに、それらは単なるランダムな数の羅列ではなく、何か、とてつもない素晴らしい意味を込めた「天啓の数」の並びと言うものである。その事実の重大さは一見しただけであなたがたにも十分にお判りのことではあろう。
 
あなた方は「古神道」と「神の法陣」には何ら関連性が無い別なものと思っていたであろうが、そうではない。このような切っても切れない驚くべき密接な関係がそこにはあったのである。

 

一体、ここに現れた「数列の一致」は何を語ろうとしているのであろうか…!!。ここまで両者の数字が一致していると言うことは、何らかの関係、あるいは何らかの重大な意味が必ずあるはずである。

 何を我々に告げようとして現れて来たのであろうか…!!。今の我々の知では解明不能なのか…!!?。そこには一体…!!?。

ただただ、理解に苦しむだけであり、頭を捻っても一向にそこにある意味が解らないと言う塗炭の苦しみが残るだけである。

 要するに、この正体を突き止めることが、すなわち、「神」は次元の違いをどのような形で表しているのかを解く鍵となるものである。これは2次元と3次元の違いを「数」で表しているものである。
 ただし、それをどのように我々の貧しい言葉で言い表すのか、それが問題なのである。 甚だ簡単なものなのであるが、甚だ難しいと言うことである。そのうち、誰かが綺麗な言葉で誰にでも判るように説明してくれるであろう。

 ただ、我々日本人の祖達が残したものであり、その子孫である我々が解き放つことが義務であり、責任と考えている。我々日本人が解かずして誰が解くことが出来るのであろうか…!!?。 考えれば日本民族の責任は甚だ重いと言うことであり、ひょっとすると人類の未来が懸かっていると言ってもいいものかも知れないものである。

 なんせ、これらは古神道から現れた「神の大叡智」の一部であり、まだまだ、無尽蔵な「神の語り」がその中には眠っていて、起こされるのを待ちわびている状態なのである。誰か、勇を鼓して扉を叩いて見るものはいないのであろうか…!!?。

 言わずと知れた、私がその門番である、遠慮は要らぬ、訪ねて来てこの「カムナガラの道」の扉を叩くがよい…。 懸命に、そして心の限りに…!!。何事も、熱意があれば扉は自然に開いてくることを知ってほしい。
 これはまさに、現代知を遥かに凌ぐ最強の「神の秘文図」であり、現代物理や現代数学」、あるいは哲学や宗教を総なめするばかりの自然の大摂理が秘められているものである。
 実を言えば、私はその答えを知ってはいる。しかし、答えの意味、すなわち、なぜそうなるのか、どのような過程を経ることによりそのような答えになるのかについては悲しいことにまったく不明なのである。

 

 さあ、今のところ、古神道の語り上げるこれらの驚くべき事実には世界中の誰も気がついてはいない。それはすなわち、我々日本人には考えるための十分な時間が用意されていると言うことであり、思い切って非常識な世界へと取り舵を切って見ることが可能と言うことでもある。 ハッキリ言えば、常識的な考えから生まれて来るものは、すべて常識であり、簡単に誰でも知り得るものである。 一方、非常識な考えから端を発したものは、すべて非常識なものであり、それは人々に知られ、馴染んで行くごとにだんだんと常識に変わってゆくのである。要するに、常識と非常識は紙一重の差であり、時間と共に徐々に変化し、同一の形態と化すことになるのである。それはすなわち、、すべては心の認識知の変化によるものであり、時の流れ、時代と共に少しづつ変わって行くものであると言うことである。

 

 考えて見るがいい、我々の日常会話を100年前の人々が聞けば、まことに非常識な会話の連続であり、あってはならないものに聞こえ、まさに狂人じみたものと映るであろう。 しかし、我々には当たり前のことであり、誰でも即座に理解が出来るものである。要するに、100年前には非常識であったが現在では常識なのである。例えばである、現在、多くの方々が持っているスマ-トホン、あれは10年、15年前には想像も出来なかった非常識極まるものであり、とんでもないものであった。ところが今では普通の若者が当たり前のように用いて、遊んでいるのである。要するに、非常識が常識化するスパンが甚だ短くなっていると言うことであり、人類の歴史も極限に向かっていると言うことでもあろう。。

 これが人間の進化であり、知の上昇と言うものなのであろう。そのような段階を経て、初めて知は磨かれるのであり、絶対的な方向へと舵を切って進んで行くのである。

 

 恐らく、この古神道の奥義祝詞から見いだされた「カムナガラの道」や「神の法陣」も100年から200年後の未来の世界では当たり前の数の語っている事実となっていて、何ら不思議なものではないと言うことになるであろう。

 これらすべては古神道から現れた誇るべき日本古代の大叡智であり、我々は有難く押し頂いて検証に走り、そこにある素晴らしい内容を早急に習得すべきなのである。

 

最早、躊躇すべき時間は残ってはいない、残りは僅かである。ただ、あなた方は何も知らないので鷹揚に構えているのであり、知らないから大笑いしているだけなのである。

 

一つ、恐ろしいことを教え申そう。

 

  1992年ブラジル国連会議(地球環境サミット)で採択されたのが『アジェンダ21』

 

それは「人口を85%削減」することが記載されている『国連も査定報告書』である。つまり、そこには1930年までには現在の世界の人口 70億人のうち60億人を減らし、10億人が“適正人口”にすることが国連ですでに決定されているという、恐ろしい事実が書かれているのである。まさに由々しき重大な事なのであるが、誰も騒ぎはしない、我関せずの態度で毎日の生活を送っているだけである。

また、米バラク・オバマ政権で、大統領補佐官(科学技術担当)を務めるジョン・P・ホルドリンは 「地球に最適な人口は10億人である」 と主張していることも見逃すべきではない。

すると、残る時間は僅かに13年である、一体何がこれから起こると言うのであろうか…!!?。これから大幅な人口削減計画が始まるのである。そうしなければ、最早人類は未来が無いのである。

 

うろ覚えでまことに相すまぬが、確か天明さんの「ひふみ神示」にも「三分の一の人民になると、早うから知らせてあるではないか…!!、何もかも三分の一ぢゃ」とあったはずであるが…!!?。
 それと何らかの関わり合いがあるのであろうか…!!?。

 

とにかく、これからの世界はとんでもないことが多発するはずである。もうすでに、すべてのシナリオは現実化して稼働しているはずと思われる。地球温暖化、大規模な人工の天災、地災の出現、または国の内乱、民族の闘争、あるいは水と食料不足による国同士の戦争か…。それとも国を左右するような世界的な人工的パンデミックの襲来がこれから起こるのであろうか…??。 とにかく、これからは何が起こるかわからない世の中、すなわち、一寸先は闇の世の中が始まると考えたほうがいい…!!!。。。それが2018年から始まる誰も予測が出来な愛大変な世界なのである。ご用心、ご用心…!!!。

 

とにかく、今後の10年間の世の中の動きはますます混沌の度が深まり、支離滅裂な動きが始まるはずである。

ご用心、ご用心、のほどを…!!!。これからは世の中の動き、一挙一動に十分気を付けて見ることが大切であり、その動きには十分心を配るべきである。

 

                                                                                              《今月の講座はこれで完》


   
  

 「神の法陣」大精義講()

  「神の法陣」次元の真髄より 

      「神の法陣」の基本を学ぼう…!!  

 「神の法陣」は自然方陣、すなわち、それは我々の行く道を告げる「羅針盤」であり、「神」の指さす道標(みちしるべ)なのである。我々はそれに従ってその道を進む、それが縄文のDNAを引き継いでいる我々日本民族の宿命なのである。

                                     2017年11月上載)

  さあ、じっくりと「神」の指さす未来への道のりを探索し、真実を見つけようではないか…!!。

すべては「数」が知っているのであり、「数」が教えてくれるあるべき自然の真実の姿なのである。

しかし、悲しいかな、今の日本人はそれ、すなわち、「数」の本質本性をまったく知らず、ただ無視して一向に顧みようとはしないのである。

 

 そもそも、本来のあるべき日本神道の奥義とは「数」から始まり、「数」にて終わるものである。それが「ひふみ祝詞」であり、「カムナガラの道」と言う真の道なのである

 それをハッキリ告げているのが、あの「先代旧事本紀大成経」であり、その中の「カミフミのコトトギ」なのである。そこには「数」は自然万般、すなわち、天、地、神、人、物のあらゆる律理を解き明かすものであり、万法の基本となるものであると記されている。この書の初めには聖徳太子撰録と明記されたこともあって、近世初頭まで『先代旧事本紀』は記紀よりもずぅーっと古い 史書・神書として珍重されていた。

 しかるに、これらの内容は現代の歴史観を大きく覆すばかりものであり、その内容は現代アカデミズムの立場から顧みるとあまりにも大きな差異があり、それ故に、一切は後世なってから作為的に作られた偽書であるとの烙印を押されていて、この数百年の間、完全無視の憂き目にあっていたものである。現代でもそれが続いていて、あまり学者達は手をつけようともしない。

 

 しかし、最近になって、学問の基礎である「現代数学」が堂々巡りをするだけで、一向に発展する兆しがないことにより、改めて、自然との見比べが始まり、「現代数学」の手法、すなわち、「10進法」で自然を解き放つことには無理があると感じるようになったのである。要するに、それが「10進法」と「自然の数学」は合わない、量子学的にはまったく反りが合わない、だからあちこちで計算的な矛盾が出て来て、計算不能になって来ているのであると先端の学者達は言い始めて来ていることなのである。

例えば、計算的には答えは0になるはずのものが、いくら計算を繰り返してもただただ無限大の数が果てしなく伸びて行くだけであり、まさに、混沌の極みに入るのみで学者達は困憊この上無しの状態なのである。

 

ただそれ、すなわち、「自然の数学」を本格的に解き放つためには、素直な心と極まりない洞察心が必要であり、あくなき自尊心と自然を愛でる心がなければ解き放つことは出来ないものである。  

要するに、それらが無い限り自然の素直さ、自然の美しさを見出し、その心に入ることが叶わないと言うことである。例えば、現代科学では同調共鳴や、一致と言う共鳴の響きなどがまったく見られないことである。

 

本来、自然の奏でる摂理の偉大さを感じ、それに従ってその理を解明すること、それがが肝心なのであり、大切なことでもあるのである。しかし、我々はそれをまったく無視してすべては人知を優先して考えると言う愚かな道を選んでいるのである。

 

それがいかに愚なことであり、自然の道に外れていることかは「神の数学」の「神の法陣」による「数の語り」を調べてみるとよく判るのであるが、如何にせん、数千年前の西洋発想の現代概念ではまだまだ無理と言うものなのである。

 

さあ、そのような訳で今回も先回同様に「神の法陣」の語る「数の理」を調べ、如何に人間の作り上げた「10進法」と「自然の数理」の間には飛んでもない大きな違い、落差があるのかを一つ検証して見ようではないか…。

 

あなた達は「数の言葉」に従い、それに沿っての計算検証を是非ともしてもらいたい、その結果に感動を覚えれば、改めてそれに従い道を進めばいいのである。

 すべては新しくそこを起点に始まるのであり、それが新しく始まるあなただけの自然叡智を見出すための出発点であり、新たな「神の叡智」を見つけ出す最良の方法なのである。

 「神の数学」はサークル状になっているのであり、どこから始めてもいいものである。どこから始めても行き着く先は必ず全体の知であり、すべてを網羅して止まないものなのである。


 


 

これらの「神の法陣」の二つの対角線上の数字群を見てほしい、と同時にこれらの二つの対角線の持つ規律ある方向性にも気をつけて見てもらいたい。

「神の法陣」のすべては羅針盤的な同一方向性を示しているのであり、そこにはしっかりした秩序と調和性、そして厳たる統一性が存在することを明らかに示しているものである。

でも、あなた方のように「現代数学」に心を奪われている方々には一切それが判らず、ただ首をかしげて思案するだけであろう。それとも、そんなことがあるはずが無いと現実を完全無視して、スル—するだけなのである…!!?。

 

御存じのように、方陣の図には必ず対角線が2ヶ存在する、すなわち、それらは「陰(-)」と「陽(+)」と言う正反対の性質を持つものであり、それはお互いに調和的な結びつきを有しながら介在し合い、常に相関関係にあって何事かを囁いているものである。しかし、本質的にはその両者はまったく同じものであり、「陰(-)」と「陽(+)」の間には実質的な差異が無く、相対的な対立差異があるだけであることは各対角線の数を加算すると同じ答えの数が現れることからも解るであろう。

何と、この二つの対角線上の数列を調べることにより今まで不鮮明であった「陰」と「陽」の性質、本質が解って来るのであり、その相関関係もハッキリとして来るのである。

今までは確かに、昼と夜、天と地、動と静、男と女、などの単なる相対的な言葉の「陰」「陽」と言う漠然とした認識程度だけで終わり、科学的(?)な詳細説明などはまったく無かったのである。 要するに、今までの歴史上ではこれらの「陰」「陽」の本質を知らずただ言葉を濁しながら無理やり辻褄を合せるように試みているだけであったのである。

 

それをここでハッキリした根拠のある解釈を行ない、その性質をしっかりと見ようというのである。要するに、「数」の語りにより、今まで誰も知らなかった「陰」と「陽」の本質や内容を「数」を用いることにより改めて知ることが出来るのである。正しい「陰」と「陽」の本質の解明、これも「数」の囁きの一つであり、これら二元性の存在を明らかにして、本来の自然宇宙の性質やその成り立ちなどを語ろうとするものである。

まずは上記〔A〕図の各次元体の中にある二つの対角線上の数、すなわち、右下がりの対角線〔A〕と右上がりの対角線〔B〕の対角線数列を取り出して見てみょうではないか
 

 それが次の数列であることはよくお判りであろう。 あなたは既にすべての〔A〕と〔B〕は=で結ばれることは知っているであろう。この二つはまさに同値なものである。




 


 これら対角線の数列は「現代数学」上から見れば、単なる数字の羅列であり、関係性は何も無いように見えるものである。要するに、「現代数学」的には考えるにはまったく値するものではない。そこで、これらを「神の数学」、すなわち、自然数学上から見てみることにする。すると、これらすべては「神の意志」を語るものであり、大いなる「自然宇宙の知の結晶」であることが判るのである。本来、これらの事実を知らずして、自然を語ることは出来ないのであり、甚だおこがましいものなのである。シッカリと数を見るがいい、そこには〔A〕=〔B〕の図式が並んでいることを…!!!。それを不思議と感じないならあなたには「自然数学」を学ぶだけの心が無いのであり、、「自然の理」をうんぬんするだけの資格にも欠けていると言うことである。いささかでも、数に興味を感じている者はよく見るがいい、〔A〕の最後尾の数は135702468となる数列であり、「ひふみ九九算」の数であり、〔A〕の最後尾の数は01234567891となる自然数、すなわち、「ひふみ天地の数歌が現れて幕を下ろしているのである。そこに、何らかの、不思議さを感じ、心が揺れ動くのは直感が声を上げて何かを伝えようとしていることなのである。 是非、そこに秘められた声を聞いてもらいたい。
そこには驚くべき一致の存在が囁かれているのであり、それにより完全な次元の結び付きが判明するのである。

それらは次の通りである。

「神の証言」その1


①〔B〕の1次元+〔A〕の8次元→1+11111111=111111111=9→0(完全0差数列)

②〔B〕の2次元+〔A〕の7次元→32+1087654=321087654=36→9→0(完全Ⅰ差数列)

③〔B〕の3次元+〔A〕の6次元→753+186429=753186429=45→9→0(完全2差数列

④〔B〕の4次元+〔A〕の5次元→4174+17417=417417417=36→9→0(完全3差数列)

 

すべては巧みに編み込まれた「神の秘儀」であり、よほどの慧眼の持ち主でない限り、真実を見抜くことは出来ないであろう。また、見抜いてもその先、すなわち、これらの答えを今の我々の生半可な知能程度では紐解くことは出来ないのであり、知がある程度完熟してこそ初めて解き得るものなのである。

しかし、私は断言する、誰かが少しづつそのあたりを開いていけば、あるいは数年、数十年後にはある程度の「神の秘密」を読み解くことが出来ることになって、それは大いに人間知に貢献することになると言うことを。

 

さあ、さあ、こうなったら私の知っている限りのことは伝えて行くのが筋道と言うものであろう。それを手掛かりに、稀有なる御仁が更なる「神の奥義、秘儀」を見出すことになれば、私としても大変喜ばしいことである。

恐らくは知る限りの「神の数学」の計算手法を使って苦労に苦労を重ねてこそ、初めて完全な答えを手にし、「神の心」と「神の業」を十分に知ることが出来ると言うものである。

しかも、不屈の心と熱意、そして直感と洞察力、それに大いなる天意が相供なわない限り、これらの答えを見い出すことは不可能であり、よほどの努力と純な才能に恵まれている御仁でなければこれらの「数の花」を理解し、解き放つことは出来ないのである。要するに、甚だ易しいのであるが、我々のように現代知にまみれている限り、解くことは甚だ難しいと言わざるをえないと言うことなのである。

 

 今まで、「陰」と「陽」の本質を知るには余りにも手掛かりとてなく、数千年の間、言葉のみのやり取りで終始するだけで一向に事態の進展はなく、曖昧模糊とした形でただただ捨て置かれてきたが、それもこれで終了となるであろう。  

要するに、2500年前の中国の「陰」「陽」の説明言葉と現代の説明言葉には何の変りも無く、意味の上での発展などもまったく見られなかったのである。

そして、それらは、今でも2500年前とまったく同じ姿をさらけ出しているものであり、同じ顔で我々の無能をあざ笑っているだけなのである。

 

更にもう一つ言って置かなければならない、今までは各次元はどのような状態で存在し、その存在態やその系列態などは一体どのようになっているのかは誰も知らず、科学者達の長年の論議の的になっているのは御承知の通りである。今もその解決は至らず、ただただ闇の中の論議に終始しているだけである。とにかく、今のままでは次元に関する検証証拠などは一切無く、「神」を巡って果ての無い無限の論議が繰り返されていると同様に、永遠に論議は繰り返されるだけであろう。

 

ある学者は言う、我々の存在する次元は見える存在であるが、それ以外の次元は見ることは叶わない。なぜならば、それらはあまりにも小さくて、あまりにも無限に小さ折りたたまれて、可視不能な存在となっているからであると…!!。

 何となく詭弁のようにも思われるのであるが、これが現代知の偽らない実情なのである。何故ならば、本当の次元的構造を知ろうとしても、余りにも手掛かりになるものは無く、この数十年の間、言葉のみのやり取りで終始して来たのである。

それ故に、一向に事態は進展せず、ただ停滞だけが続いているだけである。 それが現代科学知の本当の姿であり、現在の人類知の偽りのない姿なのである。 

学者の間では、我々の次元の裏に刷り込まれて存在するのが高次元であり、それ故に見えない状態なのであるとか、または、無限に小さく織り込まれている存在なので見えないのであるとかの、いろいろな論議が飛び交い、現在でも一致を見ることが出来ない状態である。要するに、ハッキリとした自然的な論拠を持っていないと言うことである。

今の物理学では我々の存在するこの次元でさえも何次元なのかもまったく不明であり、論議の最中と言う状態である。極端なものは、やれ10次元であるとか、はたまた、21次元であるとか…。 いやいや、そうではない単なる3次元であるとか、いや、4次元であるとかの論争がこの数十年間続いて世間を賑わしているだけであり、何ら一致を見ることは無い現在である。

それゆえ5次元の世界などとはまさに夢のまた夢であり、想像さえも出来ない世界である。すると果たして、その上に存在する6、7、8、9、10…無限…の次元世界とは一体どのようなものなのであろうか…??。果たして、現実的な世界なのであろうか…!!???。 誰も想像することも叶わず、現在の学者達もただ口を閉ざして黙っているだけである。

 

さあ、余分な口上はこのくらいにして、〔1の図〕の問題を片付けて行こう。

次のようになるのである。 是非とも、検証をお願いしたい。


 


 さて、諸氏にはお解りであろう、ここにあるのは「神の法陣」の「陰」と「陽」の二つの対角線数列が加算された答、すなわち、Σ(加算答)である。じっくりと眺めながらいろいろと洞察をして貰いたい。それによりいろいろと面白い「神の真実」が次々と顔を出すことになり、果てしない興味が湧くことになるはずである。このような「理外の理」の存在は「現代数学」では絶対に見られないものである。

 

 要するにである、ここに現れた数列、すなわち、0246813570……は「カムナガラの道」の3番目の数列であり、完全な循環数列体なのである。要するに、この数証の語ることとは、すべての次元体、すなわち、1次元体から9次元体までは完全なつながりを持っていると言うことであり、いわば、一つの塊状でありながら、完全なる循環的な規律を持つ連鎖的な塊であることを証明しているものである。それはすなわち、片方の端をもって摘み上げれば最後までずるずると持ち上がると言うことであり、完全な連鎖的な状態にあると言うことである。

 

 次にここに現れた答えの数を一桁化して見るがいい、次のようになるはずである。


    

  

 如何であろうか…!!!。この図は何回も言っているように実次元とは0次から4次元までであり、5次元以降はすべて裏次元となって我々の「見える世界」と相対的、あるいはは対照的な「見えない世界」と言う裏世界的な存在になっていることを証言しているものである。 その事実を知らない学者達は10次元とか20次元と言う言葉を持ち出して世間を煙に巻いているのである。実際は4次元止まりであって、それ以上の次元は存在はないのである。現代物理の言う5次元以上の次元はすべて勘案の出来ない現実界には無い次元であり、単なる直線理論上の架空理論に過ぎないものである。
これらの現実的な理論を踏まえて、古神道では「表の世界」と「裏の世界」と称しているのであり、合わせて「表裏一体の世界」と言っているのである。。


その「表裏一体の世界」を証明して見よう。ただ、あなた方が付いてこられるか、来られないかは私の知る限りではない、それはあなた方の責任である。

「神の証言」その2


①0次元(陽)+9次元(陰)→0+246813570→→0246813570となって納まり、本質0を示す。「カムナガラの道」の3番目の数列が現れて「正しい」と言う証言である。

②1次元(陽)+8次元(陰)→2+46813570→→246813570となって納まり、本質0を示す。「カムナガラの道」の3番目の数列が現れて「正しい」と言う証言である。

③2次元(陽)+7次元(陰)→46+8135702→→468135702となって納まり、本質0を示す。「カムナガラの道」の3番目の数列が現れて「正しい」と言う証言である。

④3次元(陽)+6次元(陰)→813+570246→→813570246となって納まり、本質0を示す。「カムナガラの道」の3番目の数列が現れて「正しい」と言う証言である。

④4次元(陽)+5次元(陰)→5702+46813→→570246813となって納まり、本質0を示す。「カムナガラの道」の3番目の数列が現れて「正しい」と言う証言である。

 

 考えて見るがいい、現代科学は次元に関しての論理は沢山あるが、すべては脳の中の仮設としての存在であり、まさに、バ-チャル的なものばかりである。そこには現実的な検証資料等は一切無いのである。

それ故に、2次元、3次元などの基本的な次元の定義さえもままならず、その確定的な論証も曖昧模糊となっているのである。

いや、今では次元を口にするにも憚れる状態である。何故ならば、それは「神」と同じ永遠に解決することが出来ない永遠のテーマ問題であると考えられているからである。

さあ、それではもう少し、検証を行ってみよう。


「神の証言」その3

 

 このように、様々な論証が現れて、すべては正しいことを証言しているのである。すべては数によるナチュラル・プル—フ(自然の証明)である。
  

またもや、ここに、あの「宇宙人の数学」である「システム オブ ナインズ」の数理が顔を出し、すべてを論理的に納めているのである。要するに、あなた方がこの「宇宙人の数学」である「システム オブ ナインズ」の存在を信じない限り、更なる大いなる真理のステップを踏むことは叶わないと言うことである。

 

出来るなら、あるべき真実には目を瞑るべきではない、あなたが成長を望むならば。なぜなら、目を瞑れば目を瞑るほどあるべき真実からどんどん離れて行くだけであり、ただ、心は永遠に迷うだけであるからである。

 

改めて言う、今まで何回も伝えて来たように数は異口同音な形で一つの真理を叫び続けているのである。果たして、我々は人間の脳が産み出したバーチャル的な仮説(現代科学)を信じるべきなのか、それとも数十億年、あるいは数百憶年の年月を跨いで、真実を紡ぎ続けて来た大いなる宇宙自然の言葉である「数」の語る言葉に耳を傾けるべきなのであろうか…!!??。

さて、はて…!!!!。                                                    平成29年11月上載 (完)




  

 「神の法陣」大精義講()

「神の法陣」次元の真髄より 

「神の法陣」の基本を学ぼう…!!  

 「神の法陣」は自然方陣、それは「自然の在り方」、「自然の方向」、「自然の意志」等を指し示す「神のモノログ」の集大成の図であり、「叡智の基盤」となるものである。ただし、この「自然知の基盤」の秘密は現代西洋知ではどうあっても解くことは叶わない。何故ならば、知の基盤が完全に異なっているからである。   
                                                                                                             2017年12月上載)

 「神の法陣」、さても、不可思議な「数の語り」であり、「数の図」でもある。まことに単純、簡単な「数の仕組み」を表しているものであるが、現代知ではどうしても解き放つことが出来ないものなのである。 それはおかしい、そんなことは無いと疑う方は是非いとも簡単な「神の法陣」を現代数学を用いて解いて見るがいい。果たして、解けるであろうか…??。どう足掻いても無理であろう。
 そこに現れた答えとは我々の知らない何かの真実を示し、何か重大なことを教えているのであり、決して他愛の無い戯言などではないのである。論より証拠、現代知で解いてみるがいい、出来るであろうか…!!?。

 答えは「ノン」である。 そこに現れた「数」は単純素朴なものであり、つまらない「数」の羅列に見えるものばかりである。その上、すべては意味を測り兼ねるものばかりであり、考えあぐねるものばかりである。 いや、本当はそうではなく、余りにも単純な故に、我々の目には特別な意味は無しとr映るだけである。その挙句、用は無いとしてただ捨てらるだけであり、考えられることなどは一切無いのである。

本来から言えば、自然は単純なもの、素朴なものを好むのであり、故に単純、素朴なものの中に真実と言う本当の答えを隠し持っているのである。それが本当の真実なのである。

それに反して、何故か、人間は難解、複雑なものを好み、難解、複雑であるからそこには真実があるものと思い込んでいて、難解、複雑なものこそ高等なものであり、挑戦するに値するものであると考えて懸命に挑んで来ているのである。

 要するに、見解の相違と言えば、そうかも知れない、しかし、考えて見るがいい、我々の文明はすべて、難解、複雑なものから簡単で明瞭なものへとシフトしながら発展して来ているはずである。宇宙自然もまったく同じであり、不規則、不定則で難解のものから簡易なもの、すなわち、簡単な規則、定則を持つものへと膨大な時間をかけながら審議しながら、移ってきているのである。それが科学者達の言う「シンプル イズ ベスト」と言う大いなる言葉の本当の意味なのである。しかし、彼等、科学者たちはその事実を知りながら、どういう訳か、日ごろ、難解、複雑なものを目指してことに当たっている。要するに、口とは裏腹により難解、複雑なものへとターゲットを絞って研究を進めていると言うことである。その結果、自然は余りにも複雑であり、混沌であると言って戦意を無くしているのである。そこにあるのは余りにも甚だしい誤解である…!!!。

 例えば、次元の問題でもそうである。彼等科学者たちは次元は数の多い方が高等なもの、「神」に近いものであると考えてより高次なもの、すなわち、4次元、5次元、6次元と次元数の多いものを高次元と名ずけて懸命に追及しているのである。ところが、何たること、本来の次元の姿は、次元の低い方が「神」の存在に近いものであり、最も低い形である0次元こそが「神」の存在象を表すものになるのである。 要するに、0次元こそが「神」そのものであり、「神」の存在場と言ってもいいものなのである。しかし悲しいかな、、そんなことをいくら強く言ってもあなた方には馬の耳に念仏であり、聞く耳をもたない。相変わらず、大きいことはいいことであると宣って大きい次元こそが「神の所在地」とばかり、4次元、5次元の理論解明に大わらわなのである。すると、その先の何十次元、何百次元と果てなく存在する高次元、高々次元とは、一体、どのような存在なのであろうか…???。そこで、既に論理は完全に破綻していることに気がつかないのであろうか…??、はて、はて、学者とは甚だ面妖なものであり、気づきがないものなのであろうか…??。
 
もっとハッキリ言えば、神は有でもあり、無でもあるのである。有っても無いものなのである。有を支配するものでもあるが、普段は無の中に存在して、有をあらしめ、支配しているものである。まあ、禅問答のようになってしまったが暇な時にでも考えて見てほしい。その証こそが0=9であり、「神の数学」の中の最も重要なキィ―ポイントなのである。そう言えば、有名なアメリカの物理学者であるカク ミチオ博士は「神」は微粒子のなかにいる、そして、神は宇宙を数学的に完璧に設計した天才数学者であると断言しているようであるが、これはあなた方の論証と一致するであろうか、如何であろうか…!!?。

 

 例えばである、何時も言っている通りに、古神道の奥義祝詞である「ひふみ天地の数歌」を神に捧げる際に、ひ、ふ、み、…の前に0、すなわち「カムナ」を置いて唱えてみてもらいたい。そうすると全体的なバランスが取れて荘厳さが増して来ることがひしひしと伝わってくる。要するに、全体的に力を帯び、凛凛とした気風が自然に生じ、場が整ってくるのである。それはまさに「霊威を持つ神言」であり、「神」の発現には必要なものなのである。

要するに、「ひふみ天地の数歌」こそが超古代から連綿と受け継がれて来た「真理」を持つ究極の言霊であり、大宇宙の自然の素晴らしい姿(真実)をいみじくも語っている大いなる真理言葉であったのである。その内容が、今、宇宙人の数式、すなわち、「システム オブ ナインズ」(九進法)により明らかにされつつあるのである。

ところが、今では神社をお祭りしている当の神主はその事実を知らない、その存在さえも知らない者が多いのである。それが日本神道の今の姿である。要するに、「ひふみ天地の数歌」の本体を知らないのである。
 その本体こそが「カムナガラの道」であり、辞書にあるように「すべては失われ、名前だけの存在となっている」と言われているものである。

それでは人を救えないのは当然であり、当たり前のことなのである。いや、逆に、神主達は人に救われてやっと生きているような哀れな状態であり、まさに逆転の有様である。それが今の「日本神道」の哀れな状態なのである。

さあ、愚痴はこのくらいにして、本題である「神の法陣」に入ろう。あなた方は決して間違ってはいけない、「神の法陣」こそが「神」の手になる最高の「数図」であり、崇高な「神の知」の手引書なのである。
それを学んで熟知することにより、あなた方は数多の「神の叡智」を手にすることが可能であり、それを携えて世の中に打って出ることにより、これからの人知の進歩、発展に大きく寄与することが出来ると言うものである。

世界ではそれに類したものとしては中国の「魔方陣」がある、これは人知による「数図」であり、ただ一種類だけの知的な開示法があるだけである。それに比べれば、「神の法陣」はすべてにわたって同一の数多の開示法で開けるのであり、内容に置いても数十倍、数百倍と言うの意味深いものを秘めながら、開示されることを待っているのである。

「神の法陣」を開く前にもう一度言って置きたい、世界中の人々は「易」とは確かに中国で作られたものであり、「3次の魔方陣」を基に数千年前の中国の学者達が苦労の上に完成させたものなのである。しかしである、よく聞いてもらいたい、この「易」の土台となった「3次の魔方陣」は約4000年前に日本に来ていた中国人である伏羲が人々に聞いた風聞をそのまま持ち帰って苦労して完成させたものなのである。それをあなた方は作り話であると思っているようではあるが、実際に「神の法陣」を紐解いて見れば、さもあらん、まさに古代文献の記述は本当であり、事実以外にはなにものでもないことがハッキリと判ってくるのである。論より証拠、「カムナガラの道」の中には64ヶの「3次の方陣」が存在して大いなる「天地の真実」を誇らしげに歌い、驚くべき真実を歌い上げているのであるが、それは誰も知らないものであり、今まで誰も見出すことが出来なかったものである。それこそ、まさに「神業」であり、「神の息吹」を感じさせて止まないものである。それはまさに、国の「知宝」であり、神が民族に与えられた「神誼(じんぎ)」と言うものである。

よく考えて見るがいい、如何に人の好い日本民族でも、そのような大事な国の「宝物」をおめおめ単なる一介の外国人に見せたり、教えたりすることは無いはずである。恐らく、あちこち聞き廻って何とか外見、概要を手にして中国に帰り、散々苦労しながら作り上げたものが「3次の魔方陣」であり、「易」の原型となったものなのである。そのあたりのことはこの「カムナガラの道」にある方陣(法陣)を見れば4よく判るはずである。

しかし、古代日本に存在したまことの「神の法陣」はどうゆう訳か、その後完全に行方不明になり、それと共に輝かしい「古代日本の秘宝」、「神の叡智」はすべての人々の記憶からも消え去ってしまったものである。

 それが再び、姿を現わしたのは西暦1990年代であり、古神道の奥義祝詞の「ひふみ天地の数歌」の内容調査の際に見出した「カムナガラの道」と共に再び日本民族の元へと回帰を果たしたのである。この祝詞「ひふみ天地の数歌」と「カムナガラの道」は同一同根のものであり、同じように「カムナガラの道」と「神の法陣」は切っても切れない関係にあるものである。要するに、祝詞「ひふみ天地の数歌」と「カムナガラの道」は同一同根のものであり、同じように「カムナガラの道」と「神の法陣」も切っても切れない深い関係下「にあるものなのである。ハッキリ言えば、この三者は同一線上にあるものであり、その関係については説明すれば、誰でも簡単に納得できるほど単純であり、かつ相対的な深い関係下にあるものなのである。

 何と、「ひふみ天地の数歌」と「カムナガラの道」、それに「神の法陣」の三者はまさに同一同根なものであり、本来は不可分なものであったものである。今の、神道関係者たちはそんなことも知らず、相も変わらず先人たちの説いた「神道の本義」を追い、夢見心地のまま「神」を語り合い、「神」を祭って平然としているのである。

 要するに、本来のあるべき「神の大儀」の道に戻り、改めて「本来の知」を習得することにより、世界に羽ばたくことが出来るのであるが…、その事実をまったく知らないのである。

  何も難しいことは無い、これらの「ひふみ天地の数歌」と「カムナガラの道」、それに「神の法陣」の三者を理解したいと思う心があれば、それで十分なのである。 

  もう一つ伝えて置きたい、誰も知らないが、この「神の数学」は天明さんの「ひふみ神示」や出口なおさんの「大本教」などとも大いに関係があるようである。

それにしても不思議である、何故、時を経て産声を上げたこれらの「神の経綸」がここに来てピタリと合うことになったのか、まことに不思議なことであり、驚くべきシンクロなイズの発現象なのである。

 

例えばである、大本教の言葉である「この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。」、それに、「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」などの不可解な言葉の謎は「神の数学」を学ぶとシッカリ判って来るのである。何故ならば、この言葉は宇宙人の数学「システム オブ ナインズ」と大いなる関係があるからである。また、古神道の「カムナガラの道」もこの「システム オブ ナインズ」を用いることにより、すべてが明らかになっているのである。これらの事実は「カムナガラの道」を学んだ方々はよくご存じのはずである。

 

また天明さんの「ひふみ神示」の本当の意味は「神の数学」を学ばない限りは絶対に判るものではない。「神の数学」に通じている者が見れば何となく全体が見えて来るものであり、ははん、と頷けるものである。

何故、そうなるのか、それは私にとっても甚だ深い謎である。しかし、遠からず、直感と洞察力の強いお方が現れてこの謎を解き放ってくれるであろう、私はそう信じている。それが何時になるのか、その時を私は首を長くして待っているつもりである。たとえ、それが20年後、30年後であろうとも私はシッカリ待っているつもりであり、100歳になろうと120歳になろうと私は頑張っているつもりである。ハ、ハ、ハ……!!。

 

おっとっと、またもや、論旨が「神の法陣」から外れてしまった、堪忍、堪忍…!!。

 さて、「神の法陣」の基本を学ぼう…!!の①から④までに於いて、「神の法陣」の開き方を3通り伝授申し上げたのであるが、それ以外にも2通りあるので、それらを公開するので、是非、あなた方の調査の参考にしてもらいたいと思う。すべては順序通り、定則通りのものであり、変則的なものは何もない、すべては予定通りであり、「神」の定めた調和の道の通りにすべてがまかり通っているものである。そこにはおかしいところは何も無く、難しいことなどもさらさら無いものである。

 

   

 次の図は解き方の参考図であり、現代知とは大きく異なるものであるので、これを参考にして筆を進めてもらいたい。

 

 

上図に示したように「数」と「セル」は共に「60:20=3:1」、「12:4=3:1」となる同一的対比性を見せていることに注意を払ってもらいたい。 そのあたりから考えると「数(エネルギー)」と「セル(空間)」の間には絶対的な緊密性があって、整数的な対比を持っていることが判るであろう。それを理論的に見出すことが出来れば人類の科学は一挙に自然と結びつくことが可能なのであるが…!!!。そもそも、100年前にアインシタインが空間とは何も無い空であり、無の世界であると断言し、それ以降、その理がまかり通って、誰も疑わなかったのであるが…!!!。
しかし、実際は御覧の通りに空間にはエネルギ-が存在し、しヵも、溢れているのである。それでも、最近は空間には沢山のエネルギ-が存在していることが判り、、それを取り出そうとする動きがあるようである。それがフリ-エネルギ-と呼ばれている空間エネルギ-なのである。

 これだけではない、この後、4次元法陣、5次元法陣、6次元法陣、……とおなじ手法を用いて検証計算を続けてゆくと、何と、偶法陣は、1、2、3、4、6、…となって自然数が続き、奇法陣は1、3、5、7、9、…となって、何かを囁いているのである。

 この案内は「4次元方陣図」であるが、これとまったく同じ数の進み方で「2次元法陣図」、「3次元法陣図」について計算を完成させてもらいたい。そうすることにより、あなたも十分にそこにある意味を察することが出来るはずである。

 その後は、この「2次元法陣図」、「3次元法陣図」、「4次元法陣図」の解法を元に「5次元法陣図」「6次元法陣図」「7次元法陣図」、……と解いて行くと面白い「数との会話」が始まり、現代西洋科学ではまったく不明な「宇宙の意志」が鮮明なる形で現れてくるのである。 

その結果、総じて現代西洋知は自然に対して有用なのか…、それとも完全に腰砕けに終わっているものかが判断出来ることになるであろう。そうすると、「神の数学」は現代知に対しての一つの試金石、いや、方向を占う「知の羅針盤」とも言えるものになるかも知れない。是非、真面目に考えてもらいたいものである。

 とにかく「神の数学」においては「数」を秩序正しく運用する限り、意味のない「数の運び」などは一切無いのであり、その最後に現れた「答え」に至ってはすべて「神の心」が籠っているものばかりである。

 これら解き方について一つ注意をしておきたい、それは中心に1ヶのマスの場合には上のように公平な計算を施さなければならないのである。恐らく、この考えは現代知には無いものであり、まさに、「神」は公明正大を好み、大いなる「愛」をもって我々自然界のすべてのものに接していることが判ろうと言うものである。

このように次元を追って次々と計算を進めていくと、「数字」は「エネルギ-」であり、「セル(枠)」は「空間」を表している事実が判るであろう。そうすると、これは「エネルギ-比」と「空間比」の律は常に同じであり、「エネルギ-」と「空間」の間には密接な関係下にあることを示している図なのである。まさにこれは現代西洋科学知ではまだ確かめられてはいない物理理論的な事実であり、これからシッカリ確かめなければならないものである。

 要するに、この方法によってすべての次元における「エネルギ-の比」と「空間の比」は完全に同一性を持っていることが判るのであり、そこには現代知には無い新たな時空次元の理論と言うものが浮かび上がっているのである。

 つまり、この「神の数学」による図の計算は、単なる数字の計算としてではなく、そこには物理学上の基本要素、未だ知られてはいない物理象が姿を見せていることになるのである。これ以上は物理の問題であり、このあたりの理の解釈は今後、科学者達が行ってくれることであろう。

それにより、50~60年前からある「宇宙次元」とは偶構造なのか、それとも奇構造なのかについての論争も終止符を打つことにもなるであろう。


 

 
この事実を更に確かめるためには、様々な「神の法陣」を作ってこれらの事実を確かめてもらいたい、それにより、真実は次々と明らかになるであろうし、それにつれて、あなたの心も晴れ晴れとなるであろう。


 これについては特別な説明は要らないであろう、ハッキリ言えば小学生の問題である。故に、解けない、難しいなどの泣き言は言わないでもらいたい。もし、難しいと思うならば、改めて、1次の「神の法陣」から9次の「神の法陣」をシッカリとアナリスして心で納得してほしい。果たして、そこにはどのような数が並ぶのであろうか。

 素直に見て、素直に考える、それが本来の「自然の道」と言うものである。

それに比べて「現代数学」は余りに功を焦り過ぎるあまり、複雑、難解な道を選び過ぎて、結果として、自然からますます乖離するだけであり、今になって自然は難しい、人知では解明不能であると泣き言を並べているのである。それは人為的なミステイクのなせる業であり、ヒユウマンエラ-による自業自得な結果なのである。それは判った時点で見直すことが大切であり、遅れれば遅れるほどダメ-ジは大きくなるものなのである。
 本来、大自然は易しく、かつ簡単に創られているのであるが、難解を好む学者達によって作為的に歪められ、あまつさえ、思い込みにより複雑怪奇な事象へと変えられてしまったのである。
 正常な手続きを踏みながら、まさぐって行けばすべては縦横無尽に道は開けて行くのであり、決して行き止まりなどは無いのである。それが大自然であり、「神」の手により創り上げられた至高の作品、すなわち自然の大いなる姿なのである。

  もし、これらの意味が判らない、もっと詳細な資料がほしいとのたまう方には、この続きの計算仔細表を差し上げるので、じっくりと検証をして見てもらいたい。

それにより、こんがらかった頭を正常に戻すことである。あなた方は自然に学ぶことを忘れ、人知により創り上げた現代西洋科学にきりきり舞いして正常な判断力を失っているのである。 それを正常に戻すためには昔の通りに自然と語らい、自然に学びながら、改めて恭順に服すことが必要なのである。 恐らく、それが最もいい妙薬になるのではなかろうか…!!。

 

 自然を愛し、自然を慈しむ、それが自然に生かされている我々日本人の本性なのであり、遥かな古来から続いている日本民族の生きざまなのである。

確か、ついこの前、ほんの100年前まで、我々の祖達は常に自然を愛し、自然と語り合い、自然を友として崇め、毎日を過ごして来たのであり、自然を「神」として尊敬し、崇拝してきたのである。それに比べて、西洋人は聖書にあるように「自然を簒奪して我が手に収めよ、産めよ増やせよ、地に満ちるまで…」と叫んで、常に自然をぼうどくし、傘下に収めようと図って来たのである。しかし、どうであろう、その結果が今のように自然の反抗を招き寄せ、人々を苛まし続けると言う無残な有様になってしまっているのである。この両極端の自然観は一体何を物語っているのであろうか…!!!??。

 

現在の自然の姿を見るがいい、生命の源である水と空気は汚れ果て、魚は住めず、鳥や昆虫は絶滅寸前の状態なのはニュースなどでもご存知であろう。

スズメは極端に減り、イナゴやバッタは見ることも少ない、秋になったら空を乱舞する赤とんぼなどもほとんど目にすることもない、農家にとっては守り神である蜂も見事なくらい少なくなってしまった。例年ならば、渋柿が熟する頃になるとムクドリの大群が押し寄せて来て、4,5日で木になっている柿の実を食べつくすのであるが、今年(2017年)は一羽も来ない、柿の実は赤いままで熟して落ちている。何かおかしい、何か変である …!!??。
 しかし、そんなことは誰も気にもしない,ただ、我関せずで横を向いて知らん顔をしているだけである。

今のように、自然を乱し、自然の反乱を招いた結果、自然はますます凶暴になり、地球全体を飲み込もうとしているのである。その証拠に、ヨーロッパでは今までは無かったような異常気象が続き、天候不順、巨大な竜巻、拳(こぶし)大の雹、霰が降り、それが洪水となって人家を押しつぶし、生活を不能にしているのである。

また、アメリカを見るがいい、今までには見たことのない巨大な竜巻が群れをなして発生し、人々は「オ― マイ ゴット」と叫びながら逃げ惑っているのである。これらを他山の石とせずに、2,3年先を占う 「閻魔の鏡」として我々は注視すべきである。要するに、これから起こる未来の出来事を予知するための試金石としてみるべきなのである。

 

これらの異常気象は今のところ、納まる気配などはまったく無い、それどころか、年々凶暴になって行くと予想されるだけであり、我々人類にはもはやどうしょうも無い、手が付けられない状態が続いているのである。それはすなわち、明日は我が身に起こることの前兆と受け取って、前後の手段を考えなければ、ただ、国家的な破滅があるだけなのである。

 

しかし、学者達は地球は活動期に入った、昔から繰り返されている一つの地球の活動の一駒なので我々にはどうしょうもないことであると逃げを打つだけである。

さあ、もう12月であり、来年も目前に迫っている、恐らく、来年も自然の反乱事態は深刻さは目を覆うばかりであり、その勢いの度は倍加するだけであろう。一体、これからどうなって行くのであろうか…!!??。

我々には自衛手段は何もない、せめて出来ることは小高い丘に頑丈な地下室を作って自然の猛威から逃れると言う小さなことしか出来ない、それにより、天変地異から身を守り、家族を守る、それが精一杯なのである。しかし、それも時間の経過次第ではどうなることやら、とにかく、今後の様子を見守りながら身を潜め合ってびくびくとしながら天命を待つだけである。情け無いが、それが個人で出来るささやかな自然に対する最大の防御法であり、保身の限界と言うものであろう。

 来年、すなわち西暦2018年に幸いあれ、日本国土に荒神が来ずに、幸神が訪れることを、皆で、古式ゆかしき古神道の奥義祝詞を奉じながら懸命に祈ろう。

 「カムナ、ひ、ふ、み、よ、 いつ、むぅ、なな、や、ここ、たり…」と……!!!。これで子音は順序立って、アイウエオ、アイウエオと流れてやまないのであり、やっとこれで、数千年、数万年ぶりで「神」の御許へ無事に届くことになろうと言うものである。試みに、双対の古代祝詞であった「アイウエオ五十音図」を調べるがいい、「アイウエオ、カキクケコ……」の流れの子音は必ずアイウエオ、アイウエオ……と流れて止どまることを知らないことを…!!!。これは誰でもっ知っていることであり、知らないのはあなただけである。調べてもらいたい。

だから、当然、双対の祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の子音も同様に、アイウエオ、アイウエオと流れて行かなければならないのである。そのように流れていくことにより、この二つの祝詞は共鳴連動して効果は倍加するのである。しかし、この事実を知る者は残念ながら誰もいない…!!!。

要するに、今まで通りの古神道の奥義祝詞「ひふみ天地の数歌」を唱えている限りでは、「神」には届かないと言うことである。何故ならば、その中には「神」が省かれているので「神」は感応出来ないからであり、 そこで最初に初めて「カムナ=神の名=0」を入れることにより、すべてが完成し、「神」に感応しながら「神」の許に届くことになるのである。要するに、今までの「ひふみ祝詞」は「神」に感応しない傀儡祝詞にすぎなかったのであり、本当の姿ではなかったのである。これらについての詳細はあなた方が心で納得するまで、じっくりと考えてもらいたい。すると自然、自然にその理は判って来るはずであり、身も心も一段と高揚して凛凛と体力も漲ることになり、それと同時に更なる高次元の有難い「神」の援助も得ることが出来るようになるのである。

 「カムナ」とは「神」の本質である0を意味するものであり、ひぃ、すなわち、1の前に0,すなわち、「カムナ」を置くことにより、「神」の流れは完成し、一つの自然完成体となって無事に「神」の前まで運ばれることになるのである。要するに、すべての前、すなわち、「ひぃ、ふぅ、み、…」の最初にはカムナ(0)を置く、すると、天地創造の前には0(神)があってそこからすべての万物は派生したこと意味するに歌となり、自然創造の物語は完全に完成し、過不足の無い完全な形に至るのである。それがすなわち、数、1234……で表されている自然の母体は0(神)であり、それを最初に置くべしと言っていることなのである。
 それをシッカリ認識することにより始まるのが、あの「天の岩戸」開きである。天明さんの「ひふみ書」には書いてあるではないか…、言答開けたり(イワトあけたり)と…!!。あなた方は神話の「天の岩戸」が頭にこびりついているので思いがそちらに傾くのであり、迷いに迷うておかしな発想にいたるのである。言答開けたりとは言葉の本当の正体が判明したと言っているのであり、言霊の本当の意味が判ったと言うことなのである。

 これであなた方はご承知になったであろう、現代西洋科学知には「神」は不在であり、日本の古代の叡智には「神」が存在していたことを…!!?。そして、これから世に出て来て活躍するのは「神」を戴く日本民族であることが…!!!。

 

そのあたりのことは天明さんの「ひふみ神示」にもあるではないか…、「ひふみとは限りなき神の弥栄であるぞ、は初めなき始め、すなわち、(1)の前にあるであるぞ、(9)は終わりなき終わりであるぞ」と…。要するに、1の前には0と言う初めがあるぞ、それを忘れるなと言っているのであり、また、9は終わりのようだが、終わりではなく永遠に甦り、循環するものであると叫んでいるのである。皆さんはこれを忘れているようであるが、それでは解釈は一向に進まず、堂々巡りを続けるだけなのである。 まことに哀れではあるが…!!。 また、天明さんは同じところで、この正しいひふみ…を唱えよと何回も言っているではないか、神と人が声を合わせてこの「ひふみ…」を唱えれば天地が開くぞと…。 、天地が開くとは自然の本当の道が判るということであり、真実が判ると言うことである。それはすなわち、正しい「ひふみ…」である「カムナ、ひ、ふ、み、…」を唱えるとすべてが判明するぞ、と言っているのであるが、、誰もそれについては理解が出来ず、言及することもない…!!。ただ、今まで通りのうわべだけの解釈ですまし、涼しい顔をしているだけである。

 それにしても、不思議である。天明さんとは一体は何者なのであろうか…!!、一種の未来人なのであろうか…!!。このように未来に現れるべくして現れる「神の数学」を予測し、これらの内容をシッカリ予言しているとは余りにも不思議である…!!。 何故なら、「ひふみ神示」の「アレの巻」をみると、内容は60年後に現れる「神の数学」を意識して書いたとしか思われないものばかりである。また、天明さんの「ひふみ神示」をひもとけば何となく「神の数学」の内容を暗示していると思われるフレ-ズが山のように出て来るのである。まさに、おびただしい類似しているフレ-ズの群れが次々と現れてくるのである。道理で、「アレの巻」には今まで誰も手を出さなかった訳であり、無視とも思われて来た経緯があったのも頷けることである。それはそうであろう、60年後に現れる「未来の学」には誰も手が出せない、予想がつかないのは当たり前である…!!。シッカリ見てみるがいい、ここにあるのはまさしく「神の数学」上の至言ばかりであり、現代知ではどうあっても意味不明、解釈不能のものばかりである…!!!。そう言えば、次のような不思議な文言も何処かに残されているではないか…!!。その意味をシッカリ検討し、内容を把握することである。
◎ ≪「ひふみ神示」は経綸の計画書じゃ、束ねの神は、束ねの人は後からぢや。あとから出るぞ、少しの時の早し遅しはあるなれど、いずれは神示通りに出てくるぞ≫ と…!!!。

 

何せ、西洋知は初めから「神」を度外視しているのであり、そのことは自然数を見ればよく判ることである要するに、自然数を1234…とすることにより、「現代数学」を作り上げたのであり、最初の0(神)の存在を無視して自然数の定義を制定したと言う不自然極まりない過程があるのである。 今になって、大学の数学過程では自然数の定義では0を付け加えて0、1、2、3、4、…としているようであるが、今となっては既に遅すぎた感は否めない。何故ならば、0=神の認識はとうの昔に無くなり、今では誰も信じる者はいないからである。本来は「神」があって、そこからすべては始まったものなのであるが……!!!。.いみじくも、古神道の「ひふみ…天地の数歌」はそのことを「アイウエオ」に託して歌い上げているのであるが、そのあたりのことに触れている神道学者は誰もいない。まことに悲しい限りであり、嘆かわしい限りでもある…!!!。

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考えてみると、今、ほとんどの外国は、テンヤ、ワンやの大騒ぎの最中である。今まで大国と言われていたような強力な国でさえも、即、内戦が勃発するような気配である。アメリカ、ソ連、中国、それにアラブ民族対ユダヤ民族、まさに世界は一触即発の状態であり、緊張の度が増すばかりである。平穏なのは日本だけの感じである。それもまさに嵐の前の静かさと言うものであり、明日は判らないと言うような刹那的なものであるが、そんなことは誰も知らない。考えようともしない…。
 これからの数年間、政府の中枢部は出来る限り、シッカリと日本丸の舵を取ってもらいたい…!!!!!。今のあなた方なら、それが出来るはずである。よろしう、お頼み申す…!!!!。

年が明けたら果たしてどうなることやら…。おお こわ…、おお、こわ!!
。                                                                                                             (平成29年12月講座完)

 済まない、何と言うこと、図面がまったく出て来ない、故障かな、2~3日待って下され…!!!。 何と、契約したホ-ムペ-の容量リミットをオ―バ―してしまったそうである。
   さて、どうすればいいのか…!!!???。 さて、さて、…!!!???。  このあたりで、年貢の納め時にせよ…、との「神」のご沙汰(アドバイス)なのであろうか…、さて、さて、……!!!???。 


      追伸…!!。 
                             平成30年4月21日


 唐突に、「神の数学」の上載を中止してしまったことをお詫び申し上げる。要するに、容量リミットをオ―バ― しているのか…!?。それとも誰かの邪魔が入って、数字的な画像が消されてしまうのか、とにかく、次々と数字的な画像が消えて行くのである。これ以上続けると以前の上載資料の数字的な解釈説明がどんどん失われてしまうので、涙を飲んで中止する羽目となった次第である。 それに80歳をとうに越した立派な熟年老人なので 体力的にもそろそろ限界かなとの感じがするのも一つの原因である。

 しかしである、手元に上載予定であった原稿が二、三、残っているので、それを是非とも皆さんに閲覧してもらいたいと思う。これらは古神道の神髄の中枢部分であり、これを知らずして古神道を語ることはできないものなのである。
 しかも、この事実は誰も知らないものであり、神道歴史上では語られていても、その真実は今まで誰も知らなかったものである。私が、これらの秘密を紐解いて神道上に上げない限り、恐らくは数十年間、いや数百年間は今のままであろう。 それが、失われた「カムナガラの道」であり、その中には「十種神宝とくさのかんだから)」や「一霊四魂」の真実、あるいは「カミムスビ」「タカミムスビ」などの内容がシッカリと示されており、西洋現代科学知を遥かに超えている超自然的な物理体形を物語っているものなのである。それはまた、誰も知らない日本独特の超物理学的な自然の真実を歌っているものでもあり、現代西洋科学を遥かに超えているものである。それはまさに、「カムナガラの道」が囁いている「日本独特の道」そのものであり、世界の何処にも見られない「日本固有の道」でもあるのである。その稀代な「固有の道」の物語るストリ-には慣れているはずの私の心さえも騒ぎ立、何時も興奮が覚めやらないものなのである。これらすべてはあなた方の知っている神道神話の中の記載事項であり、人知れず世界に類の無い日本神性的な存在を高らかに物語っているものと言ってもいいものである。これらの事実的存在は、神話とは作り話などではなく、事実に沿った一つの歴史的な実話であり、「神話」や「民族の物語」は、歴史的には甚だ重要なものであることを証明するものである。古代の祖達が判りやすいように比喩的、寓話的に捉えて表現したものを、我々は深く考えずに、そのまま偶像化し祀り上げていただけのものなのである。それは要するに、考えることが甚だ苦手であり、そのまま棚上げして用いていただけと言うことなのである。それではいつまでたっても進展は無く、ただ、時間を無駄にするだけであり、真実からだんだん離れていくだけなのであるが、…!!。そんなことは誰も考えようとはしない…!!。口にしょうともしない…!!。

 例えば、日本神話にある「カミムスビ」「タカミムスビ」などの正体不明の言葉を現代物理用語に直すと、それぞれ「立体化」、「超立体化」そのものであり、現代西洋物理学では捉えていない超物理上の表現用語なのである。しかも、それは小、中学生でも十分に理解が出来る簡単な仕組みなのであるが、、西洋科学知にまみれたあなた方にはどうあっても考えが及ばないものなのである。要するに、そんなことはあり得ない、古代人の知では無理であるとの既存観念に縛られて、思考観念が十分に働かず、ブレ—キがか常にかかった状態なのである。ただ、それを外せばいいのである。もし、何処かで顔を合わせる時があれば、是非、尋ねて戴きたい。快く、その理論をお教え申そう。たしか、現代物理学でも、その理論は目にするが、相変わらず、解き方が判らないようである。それを調べて見たい御仁は手元に「超ひも理論入門(下)」…FDピ-ト著 があれば、その後半のところの163ぺ-ジを開いて見てもらいたい。そこにあるト-ラス体の作り方が、「カミムスビ」、「タカミムスビ」に当てはまるものであり、その仕組みの一切を語っているものである。また、次ペ-ジのチエスの駒の動き、すなわち、碁盤の下部から瞬時に上部に移動する物体の不思議な動きが説明不能と書かれているが、それは古神道の「カミムスビ」「タカミムスビ」の仕組みを用いることにより、簡単に説明ができるものであり、当たり前のことなのである。そのすべては数が証明してくれるものである。その手法こそが現代物理では未だ未発見の一つの次元転換法と言うものであり、物理学者達が夢にも思わなかった素晴らしい仕組みなのである。そのことを知っていた古代の人々とは一体何者であったのであろうか、恐らくは、神話にあるように天上界から舞い降りて来た宇宙人の末裔であり、彼等が宇宙の真実について語り残したもの、それが日本神話であり、伝承されて来た昔話なのであろう。すべては鎖のようにつながっているのであり、リンクしているものなのである。その輪がやっとここに来て閉じられて、真実が姿を現わそうとしているのである。とにかく、このままでは日本神道はこののち50年ももたずに姿を消すことになるであろう。これはまさに危機であり、誰かが立ち上がらなければ復活などは思いもよらないものである。若い神主の諸氏に一つ、奮起してもらいたいのであるが、誰か、手を挙げる御仁はいないであろうか。
今が、そのチャンスであり、絶好の機会なのであるが、しかし、誰も耳を貸そうとはしない、神道復活などは思いもよらず、躊躇しているのであろう。今ならば、「日本神道は世界神道である」、または「日本神道は宇宙神道である」と唱えても、その論証は確実にあるのであり、世界の誰もが認めるだけの論理的な証拠や、その手法も整っているのであるが…!!!。
 恐らく、多くの人々は無学、文盲な,,輩の講じている正体不明な論理などを口にするのは汚らわしく、信じることは出来ないと宣うであろう。しかし、それが現代人の増上慢であり、現代文明を破局に追い込もうとしている元凶なのである。このあたりで是非とも気がついてもらいたい。
 
 現在、私は数が示す「カムナガラの道」の中の「カルマ(業)の真実」を調査中であり、驚くべき真実と邂逅中である。しかし、年齢が災いしているのか、少しも進展しないことに腹を立てていることも真実である。
 確かに「数」は滑らかに流れて「カムナガラの道」自然的な「カルマ」の存在を告げているのであるが、如何にせん、それをハッキリした論理をもって説明するには、今の私の知では追いつかないのであり、ボキャボラリ—的にも完全な不足状態にあるのである。それらの理由で、完全の途方に暮れている有様、、それが私の状態であり、迷いに迷いながら、知の迷宮(ラビリンス)をさ迷っている現在なのである。その中に、物語のように白馬に載った王子様が現れて、一気呵成にこの謎を解いてくれるのをただ待っているだけである。さて、あと何年待てばいいのやら…!!。最早、84歳を迎え年々、腰は曲がり、顔には皺が多くなるだけである、数えて見ると最早10年以上待ち続けているような気がするのであるが…。

要するに、そこには60ヶ以上の「神の数図」が厳かに並び、すべての本質は0であり、その現れの姿はすべて3、6、9(ミロク)の形で具象化していることを示しながら、我々の前に鎮座し、手招いているのである。それは誰にでも判る整然とした姿をもって我々の目の前に現れて来るのであり、決して錯覚とか見間違いなどではないものである。それを見い出すのは小学生並みの計算力と判断力があれば充分であるのであるが、何と言うこと、専門学者達、すなわち、数学者、物理学者、神学者、哲学者にはまったく歯が立たないのである。いったい、それは何を意味するものであろうか…!!!。それを確かめたい方は是非訪宅して戴こうか…、現物を目の前にして、討議を重ねることが最も最善な策と言うものであろう。ただし、たぶらかされないようにまつ毛に唾を付けて来ることである。その上で、証拠現物を持ち帰って、何年でも好きなだけ考えることである。いや、何十年でも考えて戴こう、それだけの価値は十分にあるものなので…。ハ-ハ-ハ-…!!!。


もう、数年間も綱引きの状態であり、一歩も先に進むことが出来ない。果たして、私の脳が悪いのか、それとも現在の人間知に限界があるのか、それが判らなくて悩みに悩んでいる最中である。。 誰か、教えてほしいと叫びたい…!!!。 しかし、いくら叫んでも返ってくるのは無情なこだまだけである。
 誰も知らない事実であるが、今、話題になっている「数」、369(ミロクはカルマを表す貴重な数理論であり、確実な歩みの下で、すべてにわたって必然的に発現しているものなのである。ただ、誰もその事実を知らないだけなのである。 
 それらの事実とその答えを「数」は易しく、かつ見事な形で教てくれているのであるが、その「答え」の意味、すなわち、どのようにして我々の持つ言葉に転換するのかが解らなくて悩んでいる最中である。要するに、何回も言っているように私のボキャボラリ—があまりにも貧困で説明が出来ないと言うことなのであろう。まことに、不甲斐ない限りであり、申し訳ない限りでもある。
 それらは、まさに丁寧な形、易しくかみ砕いた状態で示されているのではあり、意味は解るのではあるが、どうしても我々の知とは結び付かなく、表現がまったく出来ないのが、甚だ口惜しい限りである…!!。
 要するに、その仕組みは我々の科学や、数学的な概念などはまったく通じなく、、それ故に、それを表現する言葉そのものが見つからないのである。もし、強いて言葉で表せと言うのなら、私は「カミムスビ」「タカミミスビ」と言う古代日本語を挙げる、まさに、「カミムスビ」こそがピッタリの表現言葉であり、自然の性質を表現し、それを開示して止まない素晴らしい超科学的な言葉なのである。でも、いくら私が声をしぼって叫んでみても、あなた方の頭上を通り過ぎるだけであり、振り返る人などは誰もいない。

 最早、こうなれば、学知、人間知等の問題ではなく、直感、ひらめきの有無の問題なのかも知れないとも思い始めていることも、これまた真実である…!!!。
 
 
 もし、我こそはと言う御仁がいるならば、是非、手を挙げて冒頭にあるFAXに連絡を戴きたい。すべての資料をご送付申し上げよう。 ただし、それだけの自信に溢れている方に限る。
 また、最近では考え方も少々変わり始めている、今までゲ-ムに夢中な若者たちを下らない、とあざ笑ってきたが、あれはひょっとすると直感、あるいは洞察力の養成に役立つのかも知れないと思い込み始めている現在なのである。ひょっとすると、彼等の思いがけない知のひらめきが解決してくれるかも知れないと言うような神頼み的な思いも事実、浮かんできているのも否めない。
 おかしければ、思いっきりお笑い下され…!!!。ウヮハ-、ハ-、ハ-…!!!。しかし、時間が残り少ない私の目には、ただ口惜し涙がこぼれるだけであり、本当に情けない思いがあるだけである。(追伸、2018 7 27)
 

 
 私はこれから簡単にそれらの誰も知らない古神道の秘密を記載し、その事実説明行って見るつもりである。要するにこれはその予告編なのである。まずはそのための問題提起を行うのであって、これからあなた方に 十分に考えて戴かなければならないものでもある。それを私は期待し、望んでいるのである。

 まずは、古神道の真髄を表している「カムナガラの道」を見てもらいたい。そこには神話の言う「八百万の神々」が鎮まり、人に知られないように身を隠している。そして、声を揃えて 「すべてのものの本性は0であり、本質は「無」である」と叫んでいるのである。 また、歴史上では「八百万の神々」をもって多くの神々と解釈しているようではあるが、そうではない。正確には我々の祖達は八百体(柱)と言う大勢の神々と言っているのであり、数をハッキリと前に押し出して断定しているのである。その証拠に、私はこの 「カムナガラの道」の中に八百体を優に超える神々を見い出していることを申し上げたい。筋さえ通して見れば、それはまことに容易いものであり、小学生でも分かるものである。また、この「カムナガラの道」の中には、すべてこの世の現象体の本質は0、空であり、シッカリそれが「陰」、「陽」の2元の姿を帯びて具体化すると、すべては必ず3,6,9(0)の表われとなって現れてくるのである。これらすべては最強の双対の祝詞である 「カムナガラの道」 と「アイウエオ五十音図」に納められているまったく同じ形式を持つ驚くべき最高秘の文言なのである。しかし、それを知る者は、現在、誰もいない。甚だ、簡単な小、中学生にでも判るような数図理論をもって、その事実は示されているのであるが、そこまで数理展開を行った者は今の所、皆無の状態である。まさに、秘中の秘とも言うべき「神の理」であり、人間知を遥かに超えた超哲学的な内容を持っているものである。

更に私は言う、我々の祖である古代の人々はこの「カムナガラの道」の中に八百万の神々、すなわち、800体の神々の面影を見出し、それを見事に数え上げて古神道の中に残していたのである。しかるに、更なる真実を申し上げれば、本来はここには999体の神々が集合し、鎮座ましましているのである。要するに、古代人の祖達はそこまで探し出すことは出来ず、八百の神々で済ましたのであろう。実際はそこには999体の神様が声を揃えて「すべてのものの本質は空なり、無なり」と叫んでいるのであるが…、あなたにはそれがお判りになるであろうかな…!!??。

要するに、古神道では、800体の神々は声を揃えて≪すべては「0」であり、「無」である≫と密かに叫んでいるのである。それが即ち、我々の知っているあの密教の言葉と同じもの,すなわち、「色即是空」と言う言葉である。何と、この言葉は自然宇宙の「絶対的な真理」であり、それを最初に歌っていたのが古神道なのである。あなた方も、聞いたことがあるであろう、「色即是空空即是色」、すなわち、この世のすべては無であり空であると言う重々しい言葉を…!!。 (「この世のすべての事象は,永遠不変の本質はであり,また,空こそが、この世のすべての根本道理である」ということ。この句のなかの「」は物質的存在であり,形を持っているものを意味する。)

注釈】 「色」とは、宇宙のすべて、すなわち、の形ある物質、有形のものであり、「数」で表わせば、「9」となるものである。また「空」とは、実体がなく空虚であるということであり、「数」で表わせば、「0」と言う存在であり、形の無いものである。また、「即是」とは、これら二つのものが全く同じものであり、本質は変わらないものであると言うことである。要するに、世の中に、永劫不変なものは何も無い、何故ならば、すべてに実体の本質は空であり、無であるからであり、この世のすべてのものは無から作られ、空としての存在なのである。要するに、0から生まれて9になって、また、すべては0に還って行くと言う無限循環を繰り返しているのである。  英語で言えば簡単、All is vanity.(すべては空虚である)で済み、「神の数学」においては簡単に(0=9)表されるものである。また、それは最小=最大を意味する言葉となって現代数学者の脳を狂わせて止まないるものでもある。何故なら、彼等は決してこの意味を解くことが出来ないからである。もし、解くことが出来たならば、それは「現代数学」の終焉が来たことを意味するものであり、新しい夜明けの幕開け、すなわち「意識数学(循環数学)」の登場を告げる時の訪れともなるものである。


 
更にもう一つ付け加えたい。それは次のものである。

 あなた方は日本の神々は必ず夫婦神であり、仲むつまじい二人神であることはご存知であろう。まずは神々の祖であるイザナギ(男性)とイサナギ(女性)から始まって数多の夫婦神が鎮まっていると神話は伝えている。しかし、これらは神話の中の話に過ぎず、単なる作り話であると今の日本人は思い込んでいるのであり、そう、教えられて我々は育ってきているのである。

しかし、これらの神話の話しは真実であり、虚構的な物語などでは無いことをあらかじめ申し上げておきたい。そこで、その証拠となる古神道の神々の夫婦像を古神道の「カムナガラの道」の図から導きだし、あなた方と共にその検証を行って見ようと言うのである。

果たして、そこには何体の夫婦神の姿が見いだされるのであろうか…!!?。 「カムナガラの道」と言う、たった10×10の表の中にどのような形で潜んでいるのであろうか…!!??。それは大変興味深い形であり、易しい姿をしてはいるが、どっこい、これは「神の秘儀」であり、あなた方の思考回路ではどうあっても及ばないものである。要するに、あなた方の知ではどうにもならないと言うことである。また、「神」の思考回路を辿って別な道を見い出すと、何と、そこには256対の新たな夫婦神が鎮まっているのである。それを理解しながら計算するには僅か10~20分もあれば事足りるのである。まさに、あっという間に合計800を超えるような神々が姿を見せ、そのささやきの言葉と内容が手に取るように判るのである。

 何と、この「カムナガラの道」の中には256対の夫婦神の姿が目撃されるのである。さあ、目を皿のようにして、そして直感をフルに働かせて、これら八百万の神々を見い出してもらいたい。 考えて見ると、これは初歩の問題であり、簡単なものである。しかし、現代的な知では解き放つことは少々難しいものであり、「数」に教を乞わなければならないものである。

  何回も言うようであるが、これら「カムナガラの道」の数図、すなわち、10×10のセルの中にこれら八百体の神々が信じられない方法をもって潜んで、何事かを囁いているのである。

 しかるに、更なる真実を申し上げれば、先程申し上げたように、本来はここには999体の神々が鎮座ましましているのである。要するに、古代人の祖達はそこまで探し出すことは出来ず、八百の神々の数で済ましたのであろう。実際はそこには999体の神様が声を揃えて
「すべてのものの本質は空なり、無なり」と懸命に叫んでいるのであるが、果たして、あなたにはそれがお判りになるであろうかな…!!??。
これこそ、まさに、目を疑うばかりの「天与の仕組み業」であり、人知の果ての「神の叡智の業」と言うものである。言って見れば、最も簡単で、最も難しい「自然のパズル」であり、「神の叡智」の姿と言うものである。
おそらく、説明すれば僅か2~3分で誰でも理解が出来るものである。しかし、その存在を信じようとはしない者には、決して明らかにはされることは無いのである。

 
 これらの答えは気の向いた時にでも明かしもうそう。それまでは「八百万の神々」の正体をあなた方の手法で懸命に追跡して頂こう。とにかく、真実を求めてひたすら頑張ることであり、知の糸を八方に張り巡らしてアンテナを張ることが必要である。簡単な理論理屈ではあるが、現代知に脳が麻痺してるあなた方には、この「数の綾」、「数の見せる大業」を解き放つことは無理なのかも知れない。

 それまで待てない御仁は直接私のところに赴いて来て、直に私と談判するがよかろう、快く応じようではないか。なに、1~2時間もあればあなたも十分に納得することは請け合う。そんなことは到底信じることはできないとのたまう御仁は、もっと、素晴らしいことをお教えしよう。それは「あの世」と「この世」は間違いなく繋がって存在していることであり、「カミムスビ」、「タカミムスビ」を施すことにより、立方体(3次元体)、更には超立方体(4次元体)となって「宇宙の形」が鮮明な形で現れ、それを形成している「エネルギー構造」も判明してくることになるのである。それによると、自然宇宙を構成しているエネルギ-網は我々の知っている最も強靭なかたちである、6角形、すなわち、籠の目状ではなく、更に堅固な8角形を用いて作られているようである。少々、知のある方で、常識をもっている方ならば十分に理解可能なものである。是非、来宅して下され、是非とも、楽しい夢想的な議論に花を咲かせようではないか…!!!。楽しくて時間の忘れようと言うものである。一つ、言って置きたい…!!。 これらすべては不思議な縁で、古神道の奥義祝詞から導かれて来たものであり、私が世に出すように定められている「神の叡智」なのである。 それはあなたの学のあるなし等はは一切関係ない、直感と洞察力、それに意地がある程度あれば十分に理解が出来ると言うものである。

 
この「神の数学」のすべては「神」との真剣問答,すなわち、由々しき「神の知」の存在を肯定してこそ、初めて成り立つものであり、同時に、それを否定している既存の「人間知」の牙城を揺るがすばかりのものである。要するに、それは人間にとっては改めて新たに知る一つの「神の道」、すなわち、「自然の超知」と言う存在であると考えてもらいたい。と同時にこれは「神の存在」をいみじくも語り上げ、その存在を強く証明しているものなのである。
 さあ、「神の存在」と言うものを真剣に考える時が来たようである。「神」に最も近いのが我々日本民族であり、「神」の信頼の最も厚いのが縄文人のDNAを引き継いでいる我々日本人なのである。さあ、ゲ―ムなどにうつつを抜かしている暇があるならば、この「神」とのやり取りに時間を使ってもらいたい。これは一つの「神」との真剣勝負であり、「神の知」とのゲ―ムの始まりであると考えればいいのである。ただ、「神」の存在を肯定出来ない者達には単なる絵空事としか聞こえないであろう。
 
 もう一度言う、この「カムナガラの道」の中に999体の神々が身を隠し、声を揃えて
「すべての象は空であり、無である」と叫んでいるのであるが、それを是非とも探し出してもらいたい。「甚だ簡単なものではあるが、甚だ難しいものでもある」、さあ、賽は投げられた、真剣勝負の始まりである。その審判は何時でも私が務めるつもりである。
 少しでもいい、何とか、兆候を見い出して何処までも追跡してほしい。なんせ、古代の祖達は800体までの「神々」の存在を見い出しているのである。彼等より頭がいいと自負している現代のあなた達は果たしてどのくらい見出すことが出来るのであろうか…!!??。一つ、お手並み拝見といこう…!!。 私ならば5分もあれば800体くらいは簡単に見出すことが出来るのであるが…!!!。


 さあ、考えて、考えて考え抜くことである、そうすることにより、「本当の知」に対する真剣味が増してきて「既存の知」の影はどんどん薄くなって行くはずである。今や、既存の知は余り役には立たないようである、新しい知を求めることにより、「新しい秩序」が見出され、それにより未知の「神の領域」、「新しい叡智」の存在が視野に入ってくるのである。それを推し進めるのが若い知のエネルギ—の力であり、未来を切り開こうと言う若者達のほとぼしるばかりの偉大なる明日に向かうエネルギ—の集中力と言うものが必要なのである。
 そこでは「数」同士が語り合っている内容を知ることにより、それと同時に我々の未だ知らない「フィードバック・ループ」的な時空構造を持つ更に高いレベルの次元的な存在に繋がって、人間の未だ知らない「宇宙の叡智」に行き着くことが出来ようと言うものである。現在のような「知の手詰まり感」はどうにかして払拭して、将来の展望性を持つまったく「新しい手法」を見い出すことが必要であり、さもない限り、現代文明には未来は無いことを知るべきであろう。すべてこれらは、日本民族のDNAを持つ我々縄文人の末裔が背負うべき運命であり、人類の将来に大きく影響を与えて止まないものなのである。今の我々がやらずして、誰がこの重責を担うのであろうか…!!?。ハ-ハ-ハ-、信じることの出来ない御仁にとってはあまり大口を叩きすぎたような感があるような気がしないでもあるが…!!。 まあ、そこは堪忍、堪忍。しかし、すべては本当のことであり、真っ赤な真実なので御座るよ…!!!!!。

                                                                     (完)

 自家発刊の小冊が少しばかりあり。 題して「甦る超古代日本の大叡智
シリ-ズの一環としての「日本神道は世界神道である  「日本神道は宇宙神道でもある共に一冊1000円がある。 是非、読んで「神の数学」の基本を固めてもらいたい。何と言うこと、「宇宙の数学」は古神道の「ヒフミ天地の数歌」とまったく同じものであり、それを知ることにより「カムナガラの道」を解き放つことが誰にでも可能になるのである。とにかく、今のままの我々の知ではどうにもならないのであり、これ以上の発展などは望めないのである。そのことだけは知ってほしい。
更には、今回
,古神道の神髄である「カムナガラの道」の全内容を広く知ってもらうためにる③「カムナガラの道」を言祝ぎて…,更には、④「サイコロの目の不思議物語」「甦る超古代日本の大叡智シリ-ズの三冊目、4冊目として自家出版した。ここでは「カムナガラの道」の詳細を網羅して、その解き方もすべて詳細に記してある。本来のあるべき古神道の本質を知りたくば是非、読んでその流れの中にある真実を知ってもらいたいと思う。これは宇宙自然の本当の律理や古神道の奥義言葉の真実などが網の目のように繋がりながら開示されている唯一の現代古神道解読書であり、古神道のすべての真実を易しく語り継いでいるものである。それは日本の伝統的な知であり、誰でも知っているものであるが、その実体、その正体を知る者は誰もいないと言う不思議なものなのである。さて、さて…!!?。その本流を語る「神の愛した古神道」とは一体どのような素性を持つものなのであろうか…!!??。
 
 この日本の素性を誇る「カムナガラの道」、それは日本人の永遠の魂の叡智として、誰も知らない姿で歴史を潜り抜け、今でも小学生の誰もが空んじているものであり、爺さんや婆さんの誰でも知っている日本民族の「知の宝物」、「知のオパーッ」と言ってもいいものである。その事実を知らないのが学識豊富なあなた方であり、西洋現代知に蝕まれているあなた方だけなのである。
 「カムナガラの道」のすべては既に失われたと言って落胆しているのはあなた方、学識者たちだけであり、知らないと言っているのも西洋知の権威を盾にしている、あなた方の脳なのである。
もう一度言う、カムナガラの道」は誰でも知っているものであり、子供でも知っているものである。知らないのはあなた方、最高学識を誇っているあなた方だけなのである…!!!。


 真実を明かせば、それは失われたのではなく、密かに正体を隠すためにデフォルメされて、民間に下げられたものであり、それを日本の伝統知として一般の人々の中で大切に伝えられて来たものである本来、この「カムナガラの道」は大きなとぼけた顔をしている存在でありながら、人類の未来を制するものと言ってもいい。それほど素晴らしい「神の叡智」なのであり、「神の聖域の」一つなのである…!!!。 また、その双対の祝詞の一つがあの「アイウエオ五十音図」なのである。その証拠に、「アイウエオ五十音図」を開くと中身は「カムナガラの道」であり、まったく、同一の内容を持つものであることがハッキリと判るのである。まったく同一な手法を用いることにより、この二つ、すなわち、「カムナガラの道」と「アイウエオ五十音図」はキレイに解き放つことが出来るのである。
さて、さて、その本当の答えとなるものは一体何であろうか、あなた方が知っているものであり、また、知らないものである…!!?。
 これらの小冊を読めば、古神道の本来のあるべき真実がわかり、その本質さえも徐々に明らかになって来るものである。
 また、何故、古神道は世界神道や宇宙神道なのか、その理由ももよく判るはずである。
 古神道こそは古くて新しい未来の叡智の集大成であり、「神」の道を語っている最後の「人類の至宝」と言ってもいいものである。現代西洋知でいくら頭を絞っても本来の「自然の理」だけはどうにもならん、なんせ、基本律が180度違うのであるから…!!。そのあたりのことは天明さんの「ひふみ神示」が何回も言っているはずであるが,誰も聞き入れようとはしない……!!??。
それが、
「九の道(九九算表)を早く開いてくれよ」と言う言葉でであり、「ヒフミの秘事出てひらき鳴る、早く道ひらき成る、世のことごとに開き、世、なる大道で、神ひらき世に神々道ひらく」の言葉でもある…!!!。早く言えば、「九の道(九九算表)」シッカリと紐解けば、「ひふみ天地の数歌」の秘密が判って来ると言っているのであり、それにより、すべての自然の大道が開かれて世の中が丸く納まること言っているのである。これらは、まさに、予言の言葉であり、未来にある「素晴らしい叡智」の存在を強く歌っているものである。彼はそれを早く解き放つべしと言っているのであり、早く答えを出せといっているのである。ところが、残念にも、それについては誰も触ろうとはせずに、ただただ、現存する知の枠内のみで、これらの言葉を解釈をしようとして懸命になっているのである。

 世の中の人々は「ひふみ神示」について取り留めも無いことを言ってワイワイ騒いでいるようであるが、そろそろ真実をつかんで、あるべき方向へと進み始めてもいいのではないか…!!。鍵は既に与えられているのである。このままでは天明さんもあまりの不甲斐なさに呆れ果て,さぞかし往生し,嘆き悲しんでいることであろうに…!!。


 さて、さて、今年ももう終わり、新しい年を迎える。残念ながら、「カミムスビ」、「タカミムスビ」の真髄を究めて古神道の真実を知る、すなわち、日本の古代には現代西洋科学を遥かに凌ぐ驚くべき古代科学知の存在があった事実を知りたいと言う奇特な御仁は誰一人現れなかった。小々淋しい気がするこの頃である。要するに、それだけ、信じられない、馬鹿げていると思う知識人が多いと言うことなのであろう。しかし、それも今のような流動感のあるパニック的な現代生活の中ではやむを得ないものであろう。しかし、考えて見てほしい、ちょいとだけ思考を変えて脳を働かせば、すぐにその真実はあなたの手に入り、一生あなたから離れることは無くいろいろと知ることが出来るのであるが…!!!。
それともそれだけ、正統な日本民族のDNAを持っている日本人は数少ないと言うことなのであろうか…!!?。とにかく、直感が疼(うず)き出さない限り、真実味は薄いのであり、それ故に何ら感慨もわかないのである。要するに、興味が湧かないのが日本人の数十%を占めているハイブリット、あるいはミックス人種であり、紀元前後から日本に滔々と入って来た大陸系のDNAを持っている人達がその大部分を占めているからである。それでも、彼等は意識的には完全に日本人化して日本人の心をもって日本に同化しているように見える…。しかし、残念ながら、古い歴史を刻み込んだ由緒ある心(DNA)は持ってはいない者達であり、それ故にいささかも古代的な出来事には関心が湧くことは無く、興味を持つこともないのである。まあ、それはそれでよしとしょう。

 最も困るのは、この最近の数百年間に日本にやって来て居を構えた連中である。何と言っても、未だに故郷恋しいとばかり、母国を恋慕して母国を持ち上げるだけであり、日本の方針にケチをつけ、何かにつけて反対するだけである。そもそも、大陸系の者達は学、知識こそが人生のすべてであると考えているので力仕事は好まず、役人とか政治家、あるいは芸能人等の口先商売に身をやつしてその日を暮らし、満足しているのである。要するに、大陸に長年(数千年)にわたり根付いていた科挙などの役人登竜門への憧れと言うものが今でも心の奥に残っていて、それがどうしても先発してしまうので、力仕事や、きつい仕事には目が向かず、頭で処理する仕事だけに重きを置いてしまうのである。それ故に、金銭感覚に優れ、金銭の亡者となり、果てには、他人を奴隷のようにこき使うブラック企業や人材派遣会社の出現となって、人々を苦しめているのである。本来の日本人なら他人をおもんばかり、苦しめるようなことはしない、それが助け合いの精神であり、日本人の魂の叫びの原点となっているものである。それが、すなわち、日本が世界に誇る自然と共に歩む日本のエコロジ―精神であり、世界には見られない崇高な思想なのである。その精神が牽引車となって日本を現在まで引っ張って来たものである。それが、今、心ない連中によって破壊されようとしているのであり、蹂躙されようとしているのである。それはまさに日本民族の歴史的な魂の寸断であり、長い間育まれて来た日本精神の喪失が今や、始まろうとしていることを意味するものである。さて、さて、この先は一体どうなることやら……!!??。


 現在の日本人で縄文人のDNAをいくばくか、引き継いでいるような御仁は何%くらいいるであろうか…!!?。確か、東京大学の教授であった方が次のように述べていたはずである。
当時、すなわち、紀元前後に大陸を追われて日本に侵攻してきた敗残兵達の数は、少なくても当時の日本の全人口の9倍以上、最大で27倍の荒くれ共が押し寄せてきたはずであると言っている。
そのように考えなければ、当時の突然一気に増えた日本の人口の増大理由が説明がつかないと言っているのである。この事実をあなたはどのように考え、どのように捉えるのであろうか…。
例えば、あなたの一家、恐らく夫婦の二人と子供の2,3人、合計5,6人の平和な一家に突然荒々しい兵士崩れの外国人(あなたの家族の9倍から27倍の)が乱入して来たならば、あなたは家族を守り通すことが出来るのか…、いや、100%無理なはずであり、捕まっていいように処理されるだけである。そのような事態が西暦紀元前後に起こったと、この東大の先生は言っているのである。そのあたりから見ても、原日本人(縄文人)の純粋なDNAを受け継いでいる現代の日本人は、恐らく、数%であろうと私は思っている。それ故に、「カムナガラの道」をはじめとする古来からの「日本の大叡智」は失われてしまい、ただ、遥かな時代の神話としての存在になってしまったのである。その結果、今、懸命に古代日本の歴史を擁護しょうとする現代日本人はまれであり、殆どはどうでもいいと考えているようになったのである。要するに、純粋に日本の国、日本の国土を愛している日本人はどんどん少なくなってきていると言うことになるのである。
 それでは、30年後、50年後の日本の国はどのようになってゆくのであろうか、私は大いに危惧感を抱いているのであるが…!!?。そのような危機感を持っているのは私だけなのであろうか…!!?。

 さあ、すぐ新しい年が始まり、気持ちを新たにして生きて行こうと考えているのであるが、余りにも世界の情勢は混とんを極め、予測不能な状態にあって、まさに一触即発の模様である。今、世界はバラバラの様相にあって、明日はどうなるかも知れない有様である。このような時こそ、国内的には一致団結が必要なのであるが、それも政治的にはあまり望めないような状態である。余りにも不協和音が激しすぎて、不愉快になるだけである。だからこそ、必要なメイン・テマ―、すなわち、挙国一致のメイン・テマ―の出現が望まれているのである。それが正しい日本の歴史の発掘であり、高尚な古神道の奥義を開くことなのである。何しろ、日本の歴史と古神道は世界で最も古く、かつ、高貴で、揺るぎ無い存在なのである。しかし、そんなことは誰も知らない、調べようともしない。
今の日本の歴史は余りにもハイブリットの連中に好きなように汚され、踏みにじられて、あるべき真実は完全に消されてしまっているのであり、古神道に至っては、すべて神話と化して、作り話のようなものに変えられてしまっているのである。要するに、すべては、いいように作り変えられたものであり、半偽造されたようなもの、それが神話なのである。それを我々は真面目に学んでい、明日に生かそうと頑張っているのである。何かおかしい…!!?、何か変である…!!!。
これで今年2018年は完とする

何時もありがとう…!!。

  平成31年、新しい苦行の始まりのような気がする…!!??。


 今年も、いろいろと不可思議な話、信じられない話をするつもりであるが、果たして、あなた方はどのような対応を見せてくれるのであろうか、相変わらず、信じられない、信じることは出来ないとのたまうのであろうか…!!?。
私の言っていることはすべて事実であり、あなた方を騙そうと言う心はコレポッチも無いことをまずは宣言して置きたい。そのように感じるのはあなた方の心には現実のままでいい、満足している、これ以上真実を知りたい、未来に羽ばたきたいと言う希望がまったく無いからであり、向上心、探求心が薄れているからであろう。それとも本当の知、新たな知を学ぶにはあまりにも脳に負担がかかるのではないかと恐れているのかな…!!?。しかし、心配は無用であり、危惧することは無い、何故なら、これらすべては大自然の心と共鳴し、神の心に沿っているものであり、いわば、天与のものであるからである。そのことだけは申し上げておきたい。
 ただ、ほんの少しばかり、常識を傍らに置いて、頭を働かせばいいのであり、すべては円満に片が付き、思いもよらない世界へと侵入することが出来るのである。恐らく、始めれば、15分~30分もかからず新しい「知の世界」を見い出して、快かなと叫びだすはずである。要するに、直感と洞察力がモノを言う世界なのである。現代数学のように小難しい数式や記号などは何も無く、必要ならばあなた方がこれから新しく作ればいいのである。
すべては既に自然により作られ、その流れに沿ってて整然と並んでいるのであり、そこから感じた「神の声」を引っ張り出せばいいのである。それが、古神道の奥義であり、本義でもあるのである。

 要するに、古神道にはそれだけの内容があり、真実がシッカリ描かれていると言うことである。その整然たる流れの中から「神」の言わんとする内容を見い出し、我々の言語、すなわち、言葉にすればいいのである。そのための道具が直感と洞察力というわけである。それらは古神道の中に数千年、いや、ひょっとすると数万年の間、人知れず、ひそかに潜み時が来るのを待っていたのである。それは本当に、簡単であり、他愛のないものであるが、我々の現代知では見出だすことができなかったのである。何故ならば、それは自然の手法で描かれ、自然の仕組みの中に巧みに隠されていたからである。
それを感知した古の聖(ひじり)たちが懸命に学び取り、その知を「神道」として集大成したものが、いわゆる古神道である。要するに、それが仏教や儒教に汚染される以前の神道が本当の「日本神道」であり、一般に古神道と言われているものである。もっとハッキリ言えば、大陸からの思想を含まない純然たる日本発の「自然の道」、それが古神道であり、「カムナガラの道」を真髄としているものである。あなた方も知っているであろう、日本に仏教が入って来て以来、1000年以上、神道は下手に置かれ、仏が上座を占めていたことを…!!。すべてが仏教に圧され、仏教が主導権を握って神道思想を抑圧して来た時代が明治時代まで続いてきたのである。
 しかしながら、そのことさえも今の日本人は信じることが出来ず、まともに考えようとはしない。恐らく、そこには何者かの強大な策略が働き、それに嵌って振り回されて、我を失っているからなのである。それを目覚めらせるためには、どうしても強いショックが必要であり、心から驚嘆させる何らかの手立てが必要なのである。それを私が持っているのであり、それをあなた方に差し出そうと言っているのである。
 それが私の見出した「カムナガラの道」であり、大自然の法則と大自然の大いなる姿を解いている畢竟の「数の語録」、「数の仕組み業」と言う大いなる「ナンバ-テ-ブル」の存在なのである。

 何回も言っているが、現在、私が持っているもろもろの資料によれば、
古神道の「ひふみ天地の数歌」と「アイウエオ五十音図」は、まさに双対の祝詞であり、天地を動かすような力を持っているものである。しかもそれらは簡単に証明が可能なものと言ってもいいものなのである。と同時に、それはまさに天与の仕組みを持っている素晴らしいものでもあり、現在の西洋科学知を遥かに超えているものと言っても何ら差支えのないものでもある。ほんの少し、ほんの少しだけ食指を動かせば、誰にでも理解でき、誰にでも手に入るものであるが、今の日本人は西洋知に憧れるあまり、本来あるべきの自然叡智の道の存在をスッカリ忘れ果てているのである。……!!。今こそ、そのくびきを断ち切り、本来の利発な日本民族の姿に戻す、それが古神道の目覚めの理由であり、その目的でもあるのである。これから、労働者を搾取していた資本主義はすたれ、代わって、自由、平等、博愛の心を持つ日本精神主義が芽吹き、世界に広まって行くはずである。見るがいい、その兆しは既に始まっているのであり、世界は日本化にそよぎ始めているのである。ただ、それは今の所、あまりにも緩慢過ぎてあなた方には判らないだけであり、目には見えないだけなのである。

 私があなた方に伝えなければならない「神の秘儀」はまだまだ残されているのであるが、如何にせん、数や数図を用いると今までの過去の数図が片っ端から消えてしまうと言う奇怪な難題にぶち当たって難渋している現在である。
 本来なら、この「カムナガラの道」が示す「神の言葉」、すなわち、「数字による通信文」を公表してご協力を仰ぎたいのであるが、そのような訳でそれも出来ないのである。しかし、考えて見ると、数も読めない現在の知識層が殆どなので、かえって社会を混乱させてしまい、己の身を危うくする危険もあるようにも思えるのである。 とにかく、最近では少数ではあるが、三三、五五と連れ立って狭い我が家に学びに来る殊勝な御仁達()も増えているので、その中にこの神のコードの「カムナガラの道」やその双対の祝詞である「アイウエオ五十音図」にある3、6、9の示す天与の囁き、すなわち、「偉大なる神のメッセージ」を解き放ってくれる偉大な御仁が現れることを願うだけである。また、彼等が大変興味をもっているものにはこの「カムナガラの道」の中に存在する数多の「魔法陣」の原図とも言うべき数図の存在である。それが即ち、「神の法陣」であり、古来から日本にだけ存在している「神のメッセ-ジ」なのである。この「カムナガラの道」の中には何と全部で64ヶの「神の法陣」が存在して何事かを告げているのであるが、残念ながら私の力では遠く及ばず、解くことは出来ても、それを読むことが出来ず、泣き寝入りしている状態なのである。そもそも「神の法陣」は私が作り上げたのではなく、数千年の間、眠っていた日本の叡智の甦りなのであり、「神のメッセ-ジ コ-ド」の再来と言うものなのである。要するに、遥かな昔に、この事実を日本に来ていた中国の伏羲や神農が風聞により知って、4000年前に持ち帰って作り上げたのがあの「易」の大元になった「数の図」、すなわち、あの「3次の魔方陣」なのである。疑う方は「竹内古文書」を見るがいい、そのすべてはハッキリと記されていることが判るはずである。そのあたりから見ると、「カムナガラの道」は4、5千年以上の歴史を十分に持っていることが判るのであり、行方不明になった経過も判るような気がするのであるが…。 さあ、誰でもいい、この「秘密のコ-ド」に挑戦する者はいないであろうか…!!?。解き方と答えの数字の在り方は既に判ってはいるが、悲しいかな、そこに並んでいる数の読み方とその意味することが未だ不明でなのである。それは「10進法」計算では不能であり、あの宇宙人の数計算法である「システム オブ ナインズ」、すなわち、「九進法」を用いない限り、決して解くことは出来ないのである。
 
 私も年である、来訪する方々の質問には十分に答えているつもりではいるが、果たして、何処まで理解されていることやら…!!?。

 最近では、世の中の学者達が手こずっている「神の存在」を証明する方法を伝授を始めている。気力と洞察力があれば、別に難しいものではない。とにかく、「神」は数を用いて宇宙に存在する知生体に何かを伝えようとしているのは確かである。何故ならば、数による語りは0をモチ―フにし、3と6と9を従えて秩序と調和を持ちながら延々と広がっているからである。それは間違いなく、「神」が示す「秘密のコ―ド」であり、解き放つべしとの「神のメッセージ」である。
 再三述べているように、私はその不可思議極まりない「数のささやき」を既に解き放ち、その答えも学んで知ってはいるのであるが、如何にせん、その意味を解き放ってハッキリした「我々の言葉」にする術を知ることが出来ないのである。それは摩訶不思議な方法で示され、摩訶不思議な手法で解き放てば、すべては答えとして秩序をもって出てくるのであるが、その答えの意味することがわからないのである。まことに恥かしい限りであるが…!!!。
 ただ、解るのは「ひふみの世」の後は「369、すなわち、ミロク(弥勒)の世」が来ると言うことであり、すべてにわたって完全無欠な世の中が出現すると言うことである。それを「カムナガラの道」が歌っているのである。
 ただし、それを取り出す方法とか手法は今の所、誰も知らないものであるが、別に難しいものではない、小、中学生でも簡単に判るものであり、大変素直で易しいものなのである。ただし、ある程度の気力や根気力は必要であり、すべてを解くためには時間も少々かかることだけは知ってもらいたい。確か、「ヒフミ神示」にもそのような言葉があったはずであるが…!!!。
 そこで、提案したい、その方法と手法は一時間か2時間もあればマスタ-出来るので、私はそれを教えるだけ、後の計算と検証は自宅で楽しみながら時間をかけて行うことが望ましいと思われる。我こそはと思う御仁はいないであろうか…!!。苦労、根気、熱意、そして失意と負けじ魂、それらが人間を大成させる原動力になるのであり、将来には必ず役に立つものであることを知ってもらいたい。それが無ければ、人間失格であり、誰にも相手にされることは無いのである。
 概して、楽して覚えたことはすぐに忘れ去ることになり、身にはつかないのである。この
「世界に冠たる難問を解き放とうというのである。少しくらいは苦労して、この「カムナガラの道」が伝えている未来の情報を明らかにしょうとする感の鋭く、かつ、推察力に長けた御仁はいないのであろうか…!!。あなたが、その答えを手にすれば、世界はあなたの前にひれ伏すのであり、尊敬の的となることは疑いの無いことである。恐らくは一生、一度のチャンスと言うものであり、2度と無いものである。頑張って見ようとする心の若い人はいないのであろうか…!!!。とにかく、面白いことは私が保証しょう。

  私が元気ならば、来年、すなわち、平成20年あたりから、外国の学者達に呼び掛けて見ようと思っている。彼等はこの2,3年で0とか、369の数字に大変興味を持ち始めていることはユ—チュウブを見ればよく判る。彼等も何かを予感して騒ぎ始めているようである。恐らく、余り遠くない時期に人類の意識の大転換が起こるのではないか…!!!。そのことを「カムナガラの道」が示しているのであるが、そのことを知る者は私以外には誰もいないのである。
 なんせ、「神の数学」は0や、369の数の宝庫なのであるから彼等も夢中になるはずである。…!!!。また、彼等は、何の疑問ももたず、数字をあてはめて正解を引き出している者達であり、いわゆる、右脳の働きが良いと言われている人種なのである。要するに、彼等は、理論、理屈さえ通ればまっすぐに仕事に励むのであり、わき見も振らずに一路邁進して行く恐るべき者達であり、決して侮ってはならない輩である。(
2019年2月記


 あなた方には信じられないであろうが、古代日本に存在したこの「カムナガラの道」は一通りにあらず、多面的な驚くべき色々な内容を持って密かに我々を招いているのである…!!!。まさに、それは不可思議の一語に尽きるものであり、不可解な「自然の道律」の坩堝と言ってもいいものである。例えて言うと、この「カムナガラの道」は数多の「神の法陣」から成り立っものであり、それを解くことにより、不可解な数による答えが順次に現れて、何事かを朗々と語り上げているからである。そこには64ヶの「神の法陣」が鎮座ましまして、そのすべてには8通りの解法があり、その8通りを解けばすべては同一の数を答えとして従え何事かを語ろうとしているのである。その8通りの同一の数の答えとはすなわち、3、6、9(0)の3種の数であり、縦。横、すべてにわたってこれら3ヶの数は正確な連鎖の下で、「カムナガラの道」の図全体に調和と秩序をもたらしながら凛と構えて鎮座しているのである。その上で、我々に答えを出せと迫まり、我々を困らせているのである。何故ならば、我々の持つ「10進法」ではどうしても解くことは叶わないからである。

 それはまさに、「ひふみ神示」にある通り、そこには8通りの解法があると言うことを如実に示しながら語り上げているのである。何故なら、上で述べた通り、これらの数多の「神の法陣」の全ては8通りの解法を所持し、その8通り答えのすべては同一な数で示されているからである。しかも、それらはすべては表の中では縦、横、斜め共に同一数系上の下、秩序をもって繋がって何事かを囁いているのである。これらは言葉だけでは難解に聞こえるかもしれない、しかし、その手法は単純であり小、中学生でも簡単に解くことが出来るものである。不審と思われる御仁は、今まで私が示した「神の法陣」の手法を用いて、これら64ヶの「カムナガラの道」の3次の方陣を解き放って見るがよい…!!!。それにより、そこには驚くべき「神の言葉」の出現があって、疑いの無い「神の存在」の証と言うものを歴然とした形で示していることに気がつくはずである。ネットを見るがいい、世界中のインタ-ネット上では「神の存在」についてかまびすしく騒ぎ立てて、論証を求めようとして頑張っているようであるが、チャンチャラ可笑しい、日本にはその昔から「神の言葉」そのものがシッカリ伝承され、「神の存在」を明らかにしているのであり、それが古神道の「カムナガラの道」なのである。
 しかし、今となっては、すべては時の闇に消え去り、その事実を知る者は誰もいない。それを語っている「カムナガラの道」も遥か昔に既に失われて、「神の言葉」を恭しく唱える者もいない。
 そればかりではない、日本語の大元であるが、余りにも古すぎて発生由来を誰も知らない「アイウエオ五十音図」もしかりである。その二つはまったく同じ構図をもって、まったく同じことを囁いているのであるが、そのことを知る者などは誰もいない。
 それ故に、私はその二つを双対の祝詞であると申し上げて、皆さんをいざなっているのであるが、誰も知らん振り、そんなことがあるはずが無いとばかり、完全無視の状態なのである。。その二つの内容はまさに瓜二つであり、双子の関係と言ってもいいものであるが、誰も耳を貸す者はいない。要するに、今の日本人はそんなことは誰も感じない、誰も気にすることもなく、ただ粛々と西洋文明に振り回され、身も心も捧げ尽くしているだけなのである。

 また、この二つ,すなわち、「カムナガラの道」と「アイウエオ五十音図]を解き放つことが出来たと言うことは、すなわち、あなたの意識が開かれて宇宙叡智と共鳴可能な状態に入ったことを意味するものであり、未知の領域に一歩足を踏み込んだと言うことにもなるのである。 また、それは同時に、あなたは「カミムスビ」と「タカミムスビ」の手法を知ることになり、宇宙の形とそれを作り上げている「宇宙のエネルギ-構造」までも手に入れることにもなるのである。
 まずは行(
おこな)って見ることであり、トライして検証の上事実をシッカリ自分の手で確かめることである。すべてはそこから始まるのであり、そこから「あの世」と「この世」の関係も動き始めることになるのであり、それを知ることになるのである。 すべては「神業」であり、人知の領外にある「自然の叡智」なのである。 それ故に、目が向かないのであり、心も動くことも無いのであろう。それではあまりにも可哀そうであり、進歩発展には程遠いことになると言うものである。
 もっと素直になり、意地を張らずに自然の言うことに耳を傾けてもらいたい。それが本来の生きる道であり、心に安らぎを与えて一生を安楽に過ごすことが出来ると言うものである。
  ああ、「カムナガラの道」、それはまさに、究極の「神の叡智」であり、「日本の誇り」と言ってもいいものなのに…!!!。
     (2019年3月記)


 さて、今回も「カムナガラの道」の扉を、「神の法陣」で開くことになるのであるが、恐らく、あなた方は猜疑の目で見、心を開こうとはしないであろう。しかし、それもまたやむを得ないであろう、しかし、私としてはあるべき真実をそのまま語るだけであり、心のままに書いていくだけである。よしんば、20年先、30年先に心を動かす奇特な御仁が現れても、決して迷うことの無いように書き残しておくこと、それが「神」から与えられた使命であり、一つの義務であると考えている。 そのような思いにかたられて、悩み苦しんでいるのは私ばかりではないようである。 先月の末に沖縄詣をした時に素晴らしいものを見つけた。それは少々離れた久高島の交流館に密かに眠っていた一幅の書の存在である。
 それは自然哲学者であり、国文学者であった折口信夫氏の自筆であり、次のように句が掲げられていたものである。その内容に私は絶句し、今は遠い人ではあるが、新たな近親感にむせんだのである。まことに素晴らしい歌である…!!!。

    
「目を閉じて時と所を忘るれば、神代(カミヨ)に近き聲ぞ聞こゆる」、― 釈超空(折口信夫)
 

 これはまさに私の心境であり、私が歩んできた道そのものを歌っているものである。まことに共感するものが多い言葉であり、心を打つ歌でもある。それはまるで私のふさぎがちの心境の応援歌のように聞こえて、感激のあまり何回も何回も帳面に移しとったのである。私も久しぶりに折口信夫の名を目にして感無量の心地でもあったのである。
 僅か三泊4日の旅であったが、「神」に感謝したい気分で帰りの心はルンルン気分であり、今までの心の苦悩は一掃され、晴れ晴れとした気分になって明日も頑張ろう、皆さんに「神の数学」の真髄の素晴らしさをシッカリ示してこの世を去ろうと言うおおらかな気持ちになったのである。
(2019年4月記)


 さてさて、今回は「カムナガラの道」の奥底に眠る畢竟の秘儀を紐解いて更なる奥へとあなた方を誘(いざな)って行こうと思う。それは以前に少々語ったことがある「123(ヒフミ)の世」から「369(ミロク)の世界)に変転する仕組みと、変転後の「ミロクの世界」の「模様仕組み図」である。すなわち、「ミロクの世界」とは、一体、どのような世界であり、どのような仕組みになっているか、そこにある理律とは…??、などである。それらをあなた方に解き明かして、その事実関係を共に確かめて見ようと言うとんでもない話である。恐らく、これは「神」に対する裏切りであり、恩を仇で返す行為なのかも知れないが、その所は無視して行こう。もはや、84歳の私には余り時間が無いようであるから…!!?。
 それらは甚だ簡単でありながら、あなた方にとっては甚だ難しいものなのである。その証拠には、小、中学生には解けるが、あなた方高学歴者には解くことが出来ないからである。それが現代西洋科学文明知の下にある、あなた方の今生の運命なのであり、やむを得ない定めなのである。
 
 要するに、現代知に汚染されていない子供たちはやすやすと解いてゆくのであるが、現代知にまみれ果てた高学歴のあなた方には解けないと言うlことなのである。その理由証拠が、あなた方には0=無限大であることを知らない、検証がまったく出来ないと言うことに尽きるのである。それが出来ない限り、この問題に口を挟むこともできないのであり、考えても無駄と言うものである。
 よく見るがいい、自然世界はすべて循環態であり、廻り回りながら新生しているのである。要するに、輪廻転生こそが本来の自然の本性であり、在り方なのである。現在数学知、すなわち、10進法のように、どこまでも無限に向かって直線的に進むと言う数学手法は何処にも存在しないのであり、宇宙自然的にはご法度の数手法なのである。
このような簡単で、たやすい循環数手法、それがすなわち、「神の数学」手法なのであり、自然の用いている数学なのである。その事実さえも知ることも叶わない現代の人々こそ哀れであり、「神」の心を受け付けようとはしない可哀そうな存在である。それも、ひとえに西洋現代文明知の過(あやま)ちが引き起こした人類史上の重大な進路誤謬であり、最早、引き返すことなどは出来ないものなのである。 しかしである、それが本当であるか、どうかを確かめる術はあるのであり、それが「神の法陣」なのである。それが、私が「神の秘儀」と言っている循環的な解法を持つ手法であり、今の今まで隠されて来たものである。すなわち、「神の法陣」は「神」の意志によって隠され、代わりに直線主義の「魔方陣」が台頭して、3000年以上にわたり世界を振り回して来たのである。それが即ち、「直線主義(物質文明)」であり、十進法を基幹とする我々の文明なのである。しかし、本来、自然はすべて循環運動が基本であり、それ故に、すべては循環法によりのみ解き放たれるのも何ら不思議ではないのである。論より証拠、循環法により、得られた答えは見事な秩序と調和が見られ、我々の心に響き渡って、共鳴状態を醸し出して止まないのである。 さて、そうすると20世紀末に突然現れたこの「神の法陣」」は循環形態を持つ「自然方陣」形式なのである、すると、これはまさに自然を写した本当の自然数学であり、恐らくは、「直線主義(物質文明)」の次に現れるべきして現れると言われている循環主義の文明、すなわち、「意識文明(精神文明)」の曙を示すものなのであろうか…!!??。それともそれらを知らずして現代文明はこれから衰退に向かうのであろうか…!!!???。

 別にこれらは数式で知らせなくとも、言葉だけで説明が出来るのである。要するに、古神道の秘儀を伝えている「カムナガラの道」は数多(
あまた)の3次の「神の法陣」から成り立っているのであり、それらの各法陣を既に伝授してある循環法手法で解けばいいのである。すると一つの3次の「神の法陣」は八通りの解法をもっているのであるが、その中の2ッは対の存在なので全体的には七ッの答えとなっているのである。恐らくは、「ひふみ神示」を表した岡本天明さんもそこまでは気がつかなかったのであろう。彼は言っている、「新しき光が生まれて、世を救うのじゃ、新しい光とは、この(九の)「神」じゃ、七ッの花が八ッに咲くぞ、この神示八通りに読めるのじゃ…!!!」。まさにすべてはその通りであり、彼の言っている通りなのである。それにしても、すべては余りにも不思議極まりない縁で結ばれ、摩訶不思議な姿の下で繋がっているのである。これをして、「神」の御業と言わずして、何と言うべきなのであろうか……!!!???。

 確かに、「カムナガラの道」の中の「神の法陣」のすべて、すなわち、64ヶの3次法陣のすべては八ッの解法を持ち、その中の二っは対による解法なので全体としては七っの答えとして存在しているのである。まさにすべては「ひふみ神示」の通りであり、一言一句たりとも違わないのである。また、64ヶの「3次の法陣」の対による解法もまた、すべて同じ答えをもっているのである。  もし、お疑いの御仁、あるいは真実をつきとめたい御方は是非、拙宅を尋ねるが良い、今なら、まだ、頭脳は健在である、十分にあなた方に対応ができるはずであり、あなた方の長年の疑問も一掃できるはずである。 改めて言う、「ひふみの世」が「ミロクの世」に代わる様はまことに荘厳であり、感無量の響きがあり、胸にずしんと響くものである。この事実をこの21世紀中に明らかにする者は決して現れては来ないであろう。それほど貴重でかけがえのない真実の花(九の花)が現在を開きつつあるのである。すべては「数」で語られ、「数」で開かれ、「数」で答えているものである。それは要するに、世界中の人は誰でも読め、誰でも答えを描くことのが出来るものと言うことであり、誰でも真実に近寄ることが出来ると言うことである。それが、また奇しくも、あの「ひふみ神示」に謎かけのようにあまた現れているのである。それにしても、何であろうか、余りにも不可思議極まりないこの一致は…!!??。
 
 私は常々言っているのであるが、「天明さんの言葉は予言であり、「ひふみ神示」はその予言の書であるぞ」と…。何故ならば、「ひふみ神示」の「アレの巻」を調べて見ると、そこには「神の数学」の骨子である「数の秘密」が勢ぞろいして盛んに我々を煽り立て,解くべし、解くべしと騒いでいるからである。いやそれどころか、我々のあまりにも無知さをあざ笑っているとしか思えない節(ふし)も多々あるのである。あなた達にはいざ知らず、私にはそう感じられるのであり、早急に解いて欲しいと懇願されているような気がして、仕方がないのである。それは不思議にも読み返す度に強くなっていくのであり、ますますその度合いは鮮明になっていくのである。

 今の私には二ッばかりの悔いがある。それは、余りにも無知蒙昧、文筆下手が災いして、あなた方に十分な真実を告げることが出来なかったことと、もう一つは私のインタ-ネットの「神の数学」の冒頭にある「ちょっと号外版」の(その2)の最初に記してある「アルモノ=波動生成器」の詳細な結末のご報告を申し上げる約束をすっかり忘れてしまったことである。この「あるもの」は効果抜群であり、今や、数多の方々が身に付けて「禍々しいモノ」から身を護ったリ、あるいは老人に活気を与えて体の健康を守っていて、大変に感謝されていることをお伝えしたい。まさに、効果抜群なものであり、これから、もっともっと世の中に広げなければならないものである。

 要するに。これは来るべき波動医学の先駆けであり、その嚆矢と言ってもいいものなのである。誰も知らないが、我々の体の不調、好調はすべて体の波動の乱れによるものであり、それを正せば必ず健康は簡単に戻って来るのである。  その肝心の波動の乱れとは、「あの世」に由来するものであり、「あの世」が発生源があることには誰も気がつかない。少し、ほんの少しだけ、そちらに気を回せば簡単に問題は解決するのであるが……!!!。
 我々の命、いや生命の根は「あの世」に由来し、そこから繋がっているものであるが、誰もそれには気付いている者はいないのであり、ただ、ただ、「この世」に原因を求めているだけなのである。!!。
 
しかし、いくら叫んでも、吠えても世の中の常識人達は笑い出すだけであり、さげすんで無視するだけである。それが悲しい…!!!。(2019年5月記)

 


    栄(はえ)ある『令和』の御代を迎えて……!!!!
 

 さあ、いよいよ新しい時代、すなわち、『令和』の御代に入ることになる。ただ、今の私に解ることはこれから世界は多難な時代を迎えると言うことである。よほど進路を見極めて進まなければ国全体が大変な事態に落ち込むことになることになるのであり、国民も塗炭の苦しみを味わうことにもなるのである。よほど達眼の政府の要人が日本丸の舵と進行方向を見極めない限り、世界の潮流に2歩も3歩も遅れることになるのである。それには現在の日本の状態をシッカリ見て舵をとることが何よりも肝心なことである。と同時に将棋指しのように20手、30手先が判るような慧眼を持つ上級官吏を育て上げることが必要なのである。今までのような記憶力の優れた秀才などは最早価値は無いのである。何故ならば、誰でも持っているパソコンで十分に用が足りるからである。これからは洞察力の優れた者、達眼力の備わっている者が必要なのであり、言葉より実行力のある者が天下を取る時代が来るのである。
 
 大分前の話しになるが、日本にIT産業が芽吹いて頃を回顧して見て欲しい。当時は政府主導でIT産業を育て上げようと国が頑張っていたのは皆さんもご承知であろう。私の記憶では市井には若者たちの発想によるITの若芽が続々と育っていた。中でもダントツなのがホリエモンと言う若者の率いる「ライブドア-」であり、ITの旗頭と言われていた。 しかし、ある時、彼のテレビ出演を見ていた時、余りにも不用意な発言をじていたのには驚いた。 その時、彼は自分の持ち資産は500億円を超えていると公表したのである。私はその時、これは危ない、これは厄介なことが起きると瞬間に思ったのである。案の定、その後彼はヘンテコな罪名で引っ張られ、服役の日々を送ったのである。

 彼がもう少し世間に慣れていたなら少々資産は減るが有力者の庇護を受けることにより無事に過ごすことが出来たろう。甚だ残念である。何故、残念なのかと言えば、当時、政府主導の下、威勢よく芽生え始めていたIT産業の芽のすべては地下に潜んでしまい、世間からすっかり姿を消してしまったからである。それから数年後、噂はあった、週末に韓国に行く飛行機の客の8割は日本のIT関係の技術者たちで占められていたと言う話しである。要するに、IT関係の技術者達は相手の示す法外なおこずかい欲しさに毎週アルバイトに出かけていたのである。中には有名な学者もいたそうである。それから数年後の韓国のIT産業の目覚ましい発展ぶりは皆さんもご承知の通りである。まさに世界を一飲みであり、日本は完全に後塵を拝して口惜しがっているだけである。その事実をシッカリ心に焼き付けて進む必要があるのである、これからは更に熾烈な産業革命が始まり、一層の努力が求められることになるのである。それが、「AI( 人工知能 )」化、「IoT( Internet of Things )」化が進み、機械が自ら考えて動くようになっていくことである。要するに、世間では第4次産業革命と言われるものがているものであり、おそらく、人類最後の工業変革となるものであろう。それがテクノロジーの進化によって、今まで人間の関与を必要としていた仕事の多くが、さらに自動化されるようになることであるその分岐点(分水嶺)は日本でオリンピックが開かれる2020年あたりだと思われる。

 我々は心して、この難関を突破して、2度と轍を踏み間違えるようなことは決してすべきでは無い。前回のように、庇護すべきものは予算を付けてでも庇護してよそに走らせるようなことはあってはならない、今回こそ国と国民は一致団結して進めなければならない。国もそのあたりのことは十二分に承知のはずである。いや、判らないのなら、褌(ふんどし)を締め直して当時の世相の実際を調べ、検証に走って確認すべきである。

 皆さんは知らないと思うが、その昔、世界初のコンピユタ-の基本ソフトの最高のものは日本製だったということを覚えているであろうか…?。恐らく、知る人は少ないであろう。その名は
トロンであり、世界に冠たる性能をもっていたものである。確か、発明者は東大の先生であったと思う。彼は いずれIoT社会(当時そういう名称はなかった)が到来し、あらゆる家電製品や自動車などにコンピューターが組み込まれ、ネットワークでつながるようになると予想した。そこで、機器に組み込まれるコンピューターを制御する「組み込み用ソフト」として広く使えるようにと、彼はトロンの開発を始めたのである。  それに対してアメリカは「情報処理用のソフト」、すなわち、ウインドウズを開発中であり、それを育成するためにはトロンは邪魔な存在となるのでアメリカの国内法の「スパ-301条」を盾にして上陸を拒否したのである。すなわち、トロンを「スパ-301条」に当てはまるものとして完全に抹殺し、アメリカの市場から追放してしまったのである。しかし、日本のトロンは情報処理系ソフトとしてはつまずいたものの、組み込み用ソフトとして、今在、世界で7割を超える市場占有率を維持しているのであり、。組み込み用の分野では、トロンが世界的なスタンダードとなって頑張っているのである。手軽に扱えることはもとより、、更には基本ソフトで扱える文字数はウインドウズでは最大3万字なのに対し、TORONでは何と最大150万字もあると言う素晴らしい性能を有していたものである。
 誰でも自由に使える組み込み用のソフト、しかも多量のメモリーを必要としないものは、トロンのほかには無いのである。それで現在でも世界的に使われて万丈の気を吐いているのである。世界中の電化製品、工作機械,船、飛行機、自働車、その他あらゆるものにはトロンが埋め込まれ、トロンで処理され、動いていると言われている。恐らくは日本人の9割はウインドウズを知っていても、トロンは知らないはずである。本来ならば全世界を飲み込んでいたものであるが、今では当の日本人でさえあまり知る者もいない有様である。
 要するに、アメリカにしてやられたのであるが、どっこい、トロン今でも懸命に奮闘し、世界をまたにかけて頑張っているのである。 

 これも余り知る者もいない話であるが、現在世界を縦横無順に結んでいる
光ファイバーヶブルは本来、日本の特許品であり、日本に巨万の富をもたらしたはずのものであった。確か、特許申告は東北大学のある教授と記憶する。しかし、それを認められなかったので、彼は二十数回も特許庁に特許を出したのであるが、それでも認められず、裁判に持ち込むと門前払いをくらったと言ういわき付きのものである。要するに、特許庁の役人は余りにも画期的な製品なので、こんなものは出来るはずが無いと受け取りを拒否したのである。要するに、当時の役人には、光通信と言うものが理解出来なかったのであり、想像することも出来なかったのである。それから数年後、まったく同じものがアメリカの特許庁に持ち込まれて特許を得て、それから世界的に光通信の時代が始まり、世界をまたにかけた光通信網が縦横無尽に走っている現在である。まさに、隠れた日本の誇りなのであるが、今の日本人はそんなことも知らないのである。


 ついでにもう一つご報告しておきたい。

  これも大分以前の話しである、それは世界中が大騒ぎした真空管に替わる革命的発明であるトランジスターのことである。これは一般的には1947年に米国ベル研究所のバーディンとブラッテンにより考案され、ショックリーが発明したことになっている。その結果、1956年にこの3人はノーベル物理学賞を受けているのはご存じであろう。ところが、実はそれ以前に日本人が考案していたのである。その人こそが先に述べた「オ-ラメ-タ-」の発明者である内田 秀男工学博士その人である。この内田氏のトランジスタ-に関する画期的研究成果を、研究主任は認めていたが、その上司達が全く認めなかったのである、いや、逆に馬鹿にしてそんなものは出来る筈がないと嘲笑ったそうである。当時は内田氏の勤める研究所もGHQの検閲が頻繁に行われていたので、恐らくGHQから米国にそれらの詳細は伝えられたであろう、それから半年後にはベル研究所からトランジスタ発明の発表があったのである。

 でも、そんな事情などは極楽とんぼの日本人はまったく知らない、知ろうともしない、本当に大切な教訓がここにはあるのであるが…!!。これからが国を左右する本当の正念場が始まるのである、特に、日本を背負って立とうとする上級官吏のあなた方、心して国民を育ててもらいたい。そのためには私は国民より偉い、優れているなどの妄想は捨てて戴きたいものである。これからは国全体が一つになって進まなければならないのであり、何処かに隙があれば、全体がアッと言う間に沈んでしまうことになるのである。これからが本当の難関が始まるのであり、国の浮沈をかけた最後の知の戦い、すなわち、恐るべき「AI( 人工知能 )」化、「IoT( Internet of Things )」等の現実化が始まるのである。恐らくは、今後、その勝者が世界を束ねていくことになるであろう。

 我々もこのアメリカのやり方を学ぶべきである。要するに、国の将来に役立つと判断すればすぐに政府が乗り出し、国のために全員一致で働き出すことが必要なのである。まさに官民一体の見事な連携プレイであり、これらの手法を日本も見習うべきであろう…!!今、まさにトロン事件とまったく同じ第2の幕が切って落とされようとしているのである。それが今、アメリカが中国に対して行おうとしているファーウェイ事件であり、世界を巻き込んで大騒ぎになっているものである。日本と違って一歩も引かぬ中国の国、さてさて、今後、どのような展開を見せるのか、…!!。日本にとってはそちら、すなわち、その結果結末の方から学ぶ教訓の方がよほど大切と言うことであり、決して、対岸の火事と見てはならない。 何故なら、、そこから学ぶことが大変多いからである。ただし、見る目が無ければただの貿易摩擦にしか見えないであろう。要するに、真剣に考えるか、考えないかの違いであり、それがやがては試金石になって己の未来を決めて行くことになるのである。
 

 しかし、日本はダメであろう、それは今から3年前の小保方晴子氏の件をみればよく判る。彼女は学者仲間ではなく、何と、新聞やマスコミ報道によって叩かれ、弁明することも許されずに追い出されてしまったのである。いわゆるマスコミによる魔女狩り、いやもっとすごいハゲタカの獲物狩りの様相を見せていたあの事件である。その余りのひどさに優秀な上司は責任を感じて自殺までしたのである。いわゆる、それはいじめであり、何の根拠も無いもので揚げ足を取って騒ぎに騒いでいたのである。それが業界では自然に行われていた他人の写真のコピ-の利用であり、当人も悪げなく普段の行為と思って利用していたものである。 この件は世界の笑いものとなり、日本の学術的な地位を危うくするような無様な様相を見せたものである。また、彼女は無給で研究して来たにも拘わらず、博士号は強奪され,更にはネイチャーへの論文投稿費用である約60万円までも自己負担する羽目になったそうである。それが大企業のやり方なのであろうか…??。

 それにしてもあまりにも理に合わないひどいバッシングの嵐であり、挙句の果てには、彼女の実家は眉をひそめたくらいの荒れ果て、誰も住んではいない有様になっているそうである。まさに一家離散と言う哀れの一言に尽きるものである。これが日本に生を受け、日本を愛し,日本のために尽くそうとした学者の見本と言うものである。これを見る限り、日本には理系女《リヶジョ》は永遠に育つことは無く、また、今まで以上に優秀な学者達は安住の地を外国に求めて日本を去るlことであろう。無念の限りであり、まさに、日本の恥と言ってもいいものである。それにしても、あまりにも悲惨な出来事であった、現代日本の社会の縮図を見たような気がするのは私だけであろうか…!!!?。
 
 この後、ドイツではスタップ細胞の存在は確認され、また、彼女の母校であるアメリカのハ-バ-ド大学では既に特許出願をしたそうである。要するに、弟子の仇を先生がとった形となっているのである。何か、いくばくかは溜飲がさがったと言う感じになったのは私だけであろうか…、恐らくは、日本人特有の判官びいきのなせる業なのであろう。  
 
 多分、これからの数十年は日本も莫大な特許料を払わなければならないであろう。これからますます癌の多発時代を迎えると言うのに…!!。 あれほど騒いだマスコミはその後の結果的な話については何も言わないのも気にかかる。本来ならば、その後の話しこそが意義あるものであり、大切なものなのであるが…!!!。多分、後ろめたい気持ちがあるからであろう。まあ、正直者や突厥した者達は馬鹿を見るのいい例である。重ね重ね残念なことと言いたい…!!!。
 ところで国民の皆さんは獅子身中の虫と言う言葉を知っているであろうか…!!、知らなければ辞書を引いて見てほしい、現在、大量発生中のようである、ご用心、ご用心…!!!。   (2019年6月記)


 さてさて、気まぐれが災いして3ヶ月観も遊び呆けてしまった、そろそろ秋口も近いので次のステップに入っていかなければあなた方には申し訳が無いと思う。これから入って行くのは、また、少々次元のレベルを上げて「神の次元」の数学物語である。すべては現代人未踏の「数が語る超物理学」であり、非常に易しくて、非常に難しい「自然の数のありかた物語」である。あなた方が難しいと感じるのは「現代数学」に判断基準を置いているからであり、本当の「自然数学」は易しくて、一言説明すればすべては終わり、その後はあなた方は自由自在に好きなように駒を進めればいいものなのである。自由奔放に、気のゆくままに、あるいは筆の走るままに、「数」を追いかけ、「数」の描く萬華鏡(マンゲキョウ)の姿をシッカリ見つめることにより、自然の持つ答えと言うものが自然と脳裏に浮かんでくるのである。そこまで行くと、、無理に頭を悩ませることもなく、また、誰かに教えてもらわなくても、自然、�自然に脳裏に浮かび上がり、すべては無理なく理解が出来るものなのである。

   

         「神の数学」〔2〕こと始めの序

 「神の数学」〔1〕では「天文」、「地文」などの直に我々に関係し、誰にでも判るような易しい自然上の事柄を「数」で解き放って来たのであるが、この「神の数学」〔2〕では更にその奥にあるもの、すなわち、『天象』、『地象』等の誰も知ることもなかった「数の秘密」や「自然の摂理」、あるいは「自然造化の仕組み」などを取り上げて、誰も知らない神の御手の妙について、改めてあなた方と共に考えて見ようと思うのである。

 それらはすべて「数」が明らかにした驚くべき「神の叡智」の存在であるが、それは同時に、間違いの無い「神の存在証明」ともなることを知ってもらいたい。何故ならば、そこにある「次元の仕組み」やもろもろの「自然の語り」等などは、我々の持つ科学知識などではどうあっても及ばないものであり、ただ、嘆息が洩れるだけであるからである。とにかく、すべては「神の御手」になるものであり、我々の考えなどは到底、及ばないものばかりである。

私は思う、今は信じる人も余りいないが、それでも今、一応これらの真実の存在を解き明かして提示して置くと言うことが、未来の知の羅針盤としての役割を果たすことになるはずである。また、それを基盤にして各人がめいめいに思った方向に進んで行けば、誰かは真実に突き当たるはずである。その為にも、私としては命の尽きるまで喜びながら書き記して行くつもりである。

その中何時か、大変な直感と推察力を持つ御仁が現れてすべてにわたって明らかにし、我々を素晴らしい知のユートピアに誘ってくれることを期待して止まないのである。

 要するに、これらは決してフィクションや架空の創作物語などではなく、古びた「古神道の奥義」が懸命に語り上げている史上最高の自然上の真理、真実を謳い上げているものであり、
現在の「西洋知」のあまりの無軌道ぶりに警鐘を鳴らしているものである。今は小手先のテクノロジーのみが大手を振って闊歩しているだけで、自然界における、本来あるべき基本概念や基本理論は一向に芽吹いては来ることはなく、すっかり忘れられているような状態になって最早100年なのである。何か、おかしい、何か不自然である。

ただ、あなた方は数千年前の我々の祖達とは無知で、野蛮な者達であったと言う妙な潜在観念に惑わされているので、古さびた「古神道」の言うことなどは信じることが出来ないのである。ただ、それだけなのである。要するに、心が幼稚で、考えが及ばないと言うことである。

論より証拠、私が今まで説いて来た「自然の数理」の真実について、あなた方はただ驚き慌てふためくだけで、その先にある真実、すなわち、その答え言及し、検証しようと試みた御仁は誰もいなかったのである。恐らくは、あなた方が知っている「現代の知」とのあまりの違いに驚いて、ただ胡散臭く思っているのであり、ただ、反感を抱いて信じようとはしないだけなのである。

本来なら、私は解き方を伝授しただけであり、その先に真実と言う答えがあるのであるが、それに辿り着いた御仁は誰もいない。本来なら、その先にある答えを見出して、そこではじめてすべては完了することになるのである。それが未来に通じる結果を引っ張り出すのであり、新しい未来を拓く鍵となるものである。それが出来るのは直感と洞察力に優れた非凡な方々であり、懸命に物事を考えようとする偉大なる凡人の方々だけである。恐らく、現代知にまみれた成績優秀と言われる方々、常に記号と計算値のみを追いかけて自己満足に浸っている方々は「自然数学」の余りの簡単さに、信じられないと言う言葉を発するか、それとも悪口雑言で攻撃を仕掛けてくることであろう。すべては天命であり、与えられた宿命なのであろう。従って、私はただ一人、我が道を歩み行くだけである。

 

 これからは、現在の我々の知、すなわち、「物理学」、「数学」、「神学」などの人類知がいかに頼りのない現代人の一人合点的な学もどきの知であったかを、改めて諸氏の前に披露し、本来のあるべき自然の本性と言うものを命の尽きるまで語り上げて行くつもりである。これらすべては我々にとっては永遠の謎であった「自然の叡智」や「神の存在」についての実証物語であり、その真実性を語り上げているものである。それにより、恐らくは、「神の存在」をひしひしと感じることになり、それを立証するために自然自然と「数」と語り合うようになって来るであろう。
 部分としては 別に難しいものではない、普通の頭脳の持ち主であれば、誰でも解けるものである。しかし
全体的な推理となると一筋縄では行かず、悩み続けなければならないのである。
 なぜなら、最終的な結末は、すべて宇宙次元の姿、形に帰趨し、それを語り上げててしまうような形になるからである。すべては、まことに不思議、不思議の物語、現代人の誰も知らない破天荒なスト—リが現れて、すべてを締め切ってしまうのである。しかも、一つや、二つではなく、三ヶも四ヶも連なって、まったく同じことを語り上げているのである。これが、未だ人間の知らない自然の証明法であり、現代語では「natural proof 」という、自然のゆくりない仕組みの一つなのである。それはいわば、「神」による知的な弱者に対する一つの救済法と言ってもいいものであろう。

 

ただ、いくら真実であると言ってもあなた方には中々信じられないものであるのは確かである。特に、論理性を持ち、簡単に解けるものであっても、まだ誰も知らない自然数学題材をモチ—フにしているものなので、恐らくは、あなた方は二の足を踏んで先に進むことを躊躇することであろう。でも今の私としては50年後、100年後の世界で花が開き、実がなるならば、それで満足であると考えている。

 すべては甚だ易しいものではあり、中学生あたりの頭脳で簡単に解けるものではあるが、その出て来た答えが問題なのである。何故なら、今の今まで、それはあなた方の思索外に置かれていたものであり、誰も考えたことのない内容を持って現れて来るからである。驚くことに、すべての答えは、「物質界の答」ではなく、「意識界の答」に転換されて出て来るのであり、我々、「物質界」の言葉には無い、大変哲学的な内容を持つ答えとして我々の前に出現してくるのである。要するに、すべてはあなた方の誰もが聞いたことも無く、考えたことも無いものなので、それ故、ただ、ただ、難しいと考えるだけなのである。

  これらのことについてのすべては「数」に教えられ、「数」により導き出されたものであることを知ってもらいたい。とにかく、「数」はあなた方の思っているような無機的なものではなく、完全に有機的で意義のある(意味を持つ)存在であることが理解されれば、それで私は満足なのである。すべてはそこから「新しい知の世界」が始まることになるのである。

例えば、我々の体は有機的な存在であり、また、我々の「心」、すなわち、「意識」は姿、形は無く、甚だ抽象的なものであると考えられている。しかし、それは間違いであり、本来は甚だ意義のある有機的な存在なのである。

 恐らく、あなた方には体は現実性のある有機的な存在であることは判るが、我々の意識が有機的な存在であると言うことには少々戸惑いを感じることであろう。何故ならば、見えない存在であり、姿も無い存在なのでので、今の所、説明が出来かねるものだからである。いわば、それは我々の知の未発達が招いているものであり、考えがそこまで至っていないからである。

要するに、現代西洋科学はそれを認めてはいない、すなわち、「目に見えないもの」や「姿の無いもの」は科学の定義上認めることが出来ないと定められていると言う事情があるからである。
 もっと分かりやすく言えば、我々人間には体はあるが、心なんて言うものはは無い、すなわち、ロボットとまったく変わりは無い存在であると宣言しているようなものである恐らくは、自分の言葉に酔う余り、そこにある大きな矛盾にはまったく気がつかないのであろう。

それが現代科学であり、我々の信じている西洋科学の半端極まりの無い正体なのである。

しかし、「心」や「魂」は誰にでもあるものであり、その存在は誰も否定することは出来ないものであることは誰でも知っているものである。それと同様に、「数」も「神」と同様に意識を持った叡智体であり、自在な力を持って「この世」を支配しているのである。しかし、それらを誰も認めようとはしない、いや、その存在を口にすることさえ憚っている状態である。

 

しかし、よく胸に手を当てて考えて見るがよい、そもそも、「有機的なもの」と「無機なもの」は別々な存在であって、基本がまったく違うものであり、決して合体して一つになることは出来ないと我々は考えている。しかし、それはおかしい、現に我々の体と心は完全一致の状態で存在し、体と心はお互いに手を取り合って完全な一体、すなわち、体(からだ)、動体として極み無い状態で活動しているものである。 それはすなわち、見えるばかりか見えないも同様に有機的な存在であり、体と心は一致協力しながら、働いていると言うことなのである。ただ、現在の我々の限られた眼力では見えないので、覚知が出来ないだけなのである。もっとハッキリ言えば、見えない、感じられないから「神」は存在しないと言うことは、我々の「心」も存在してはいないと言うこととまったく同じことなのである。
 要するに、バイブレーション(波動)があまりにも異なっているからであり、知がそこまでは発達していないからそのように感じているだけである。そこから考えて行くと、バイブレーション(波動)の違いこそが、我々と「神」の違いと考えてもいいのではなかろうか…!!?。要するに、微細な振動を持つ故に、見えない、感じられない「心」が、すなわち、「神」と同義同格であり、見える、感じられると言う荒い波動を持つ「体」は物質的な存在と考えるべきなのである。しかも、「見えない心」と「見える体」は一致協力して一つの完成体、すなわち生物体を作り上げていることは間違いないことである。
 すると、同様に、
「神界(意識界)」「我々の世界(物質界)」は一致協力の上で、素晴らしい「超世界」を作り上げて自然界に君臨していると考えても、何ら、不思議ではないのである。そのあたりの繋がりについては、古神道の「一霊四魂」の言葉がすべてを語っているのであるが、誰も知らないだけであり、誰も語ろうとはしないだけである。 古神道、それはまさに、「世界の誇り」であり、人類文明の「秘宝」ともいうべきものである…!!!.

 そのように考えると「数」も有機的な存在であり、遥かに秀でた「超叡智」を持っている意識体であると考えても何もおかしくはないのである。古来より、「数」と「自然宇宙の神」はお互いに旧知の仲であり、「数」が導いてこの壮大なる大宇宙を創り上げたと言われているのであり、すべては人知では到底及ばない「神」の図り事であることを我々は知らなければならないのである。
あなた方の言う「数」とは単なる標識絵である「数字」のことであり、単なる記号文字のことなのである。あなた方はこの「数字」と意識体の「数」を同一視して混同していると言う完全な間違いを犯しているのである。
 本来の「数」とは「神」と肩を並べて宇宙を創造した偉大な存在なのであるが、ただ、その事実を誰も知らないだけであり、言及する者はいなかっただけなのである。

  恐らく、今回の「神の数学」〔2〕の内容には、あなた方は面食らうであろう、それはそうであろう、あなた方は一度も考えたことは無く、また、思って見たことも無い自然上の厳然たる事実、想像の範囲を遥かに超えた超真実と言うものに遭遇しようとしているのであるから…!!!?。恐らく、これらの古代日本人の叡智は人類最高のあの「アインシタイン物理」を遥かに超えるものであり、現時点では誰も理解不能であるが、説明次第では誰にでも簡単に理解出来るものなのである。何故ならば、「宇宙の形」や「宇宙の仕組み」さえも、次第によっては簡単に「数」が教えてくれるからである。
 そのためには、どうしても「数」の本性を知らなければならないのであり、「数」の仕組みを理解しなければならないのである。

   多分、この仕組みが理解できた御仁は、二度と「神の存在」を疑うことは無いであろう。まさに、これらは「神の言葉」であり、同時に「神の存在証明」となるものである。現在、世界中で「神の実在」を証明しょうとシャカリキになっているようであるが、恐らくは、それを簡単な形で証明が出来る御仁はいないはずである。とにかく、今のままでは100年経っても無理であろう。

 出来れば、これらの内容を仲間に伝えて、共に語り合ってもらいたい。すべては「数」で描かれているので誰でも理解が出来るのであり、直観に秀でているならば、誰でも「その奥に潜むモノ(神の叡智)」を引っ張り出すことが出来るはずである。現在でも、その事実に接するたびに恐れおののき、あまりの驚嘆に体は震え。心は揺れ動くだけである。その事実に遭遇する度に、今の私は、その事実をそぉっと眺めているだけで、その更なる奥を探索することが出来なく、ただ、歯がゆさが残るだけである。恐らく、今の私にはそれを図的に描くだけの技術は無いのであり、すっかり忘れ果ててしまっているので挑戦が出来ないのである。 それは要するに、単に、言葉だけで語るだけで、あなた方の理解を得ることが出来ないと言うジレンマに陥っている状態であり、すっかり、投げ出したい状態なのである。図としては簡単なものではあるが、なんせ、85歳の老体には少々無理があり、その気概さえも失われてしまっているのである。
 そこで、誰か、若い才能のある御仁に助けを求めたいのである。才能とはパソコンで絵図が描け、簡単な計算が出来ることである。

絵と言っても難しいものではない、縦、横の線の中に数字を順序よく入れ、その前後左右と調和しているか、否かを見て行くだけである。しかし、そのためにはある程度の直感と推察力が必要となるのである。

誰か、助けて欲しい、その代わり、あなたを誰よりも先んじて世界一の知者、叡智を持つ御仁にすることを約束しよう。とにかく、すべての資料は約30年かけて仕上がっている状態であり、積み上がっている状態なのである。


    さてさて、その最初の一報は何時になることやら…!!?。気が向き次第と考えてもらいたい、これから気分と相談しながら、資料を纏め上げなければならないのであるから…。