神の数学ホームページメニュー 
ホーム 超々科学 超々数学 超々哲学 
超々神道 ちょっと号外 ちょっと号外2 神の数学 旧証言部
神の数学本編    サイトマップ
1.序説 2.『9の秘密』 3.『中心の秘密』 4.『言霊の秘儀』
5.真理の歌1~6 6.真理の歌7~12 7.古代日本の真実 8.数が語る真実証明
9.数のささやき(1) 10.数のささやき(2) 11.神の法陣(1) 12.神の法陣(2)
13.神の法陣(3) 14.神の法陣(4) 15.神の法陣(5)
      

 






「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その10)

       宇宙意識(神)との対話を始めよう(上の記)…!!!

                                                2015年10月上載 


 あなた方は驚くであろう、これはまさに狂人の戯言(たわごと)であり、現代知の世界においてはまさに不可知の限りの言動、不可解極まりない戯言(ざれごと)と言われかねないものだからである。 しかるに、世界中は現代数学のみが真実の数学形態と考え、それ一色に染まって無限なカオス、複雑系へと進み、上げ句の果てにはすべては不明で終わりを告げている。  それでも誰も不審には思わない、  おかしいとも思わない。  さて、さて、まことに摩訶不思議な人間知の世界である…!!。

確かに現代の世の中ではそのように聞こえても止むを得ないであろう。しかし、それは人間知と言う甚だ曖昧で、かつ狭い限定的な知の中だから、そのように聞こえるかもしれない、が、自然系の「数の歩み」と言うものの確たる存在を完全に否定し、無視を決め込んでいる我々の世界は果たして正しいものなのであろうか。 
 考えて見るがいい、現在のような現代知の行き詰まり感を打破するためには何らかの非常識とも思えるような知の芽が少しでもあれば、選び出して再検証して見る必要があるはずである。
 また、それが現代文明の閉塞感を甦らせ、未来へと導くものの可能性が少しでもあるのならば、出来るだけ検証すべきであり、決して否定してはいけないのである…!!。

 そのような見識の下で懸命に古神道に挑んで来たのであるが、何とそこには輝くばかりの古代の叡知が群をなして潜み、現代知などでは到底見出すことは不可能な状態、すなわち、特殊なアルゴリズムで覆われた状態で眠っていたのを見つけたのである。それが古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」であり、それと対をなす「アイウエオ五十音図」の姿なのである。 まさにそれは驚くばかりの超古代の大叡知の姿であり、現代知を嘲笑うような形で睨みつけまわしながら平然とした顔で鎮座していたのである。

これら二つはお互いに「鍵」と「錠」の関係、「陰」と「陽」と言う不可分な関係を持って存在し、「自然天地の理」を説いていたのであるが、今までその関係に誰一人気がつかなかったのである。

 

 例えば、「ひふみ天地の数歌」を「アイウエオ」を用いてひも解くと「神」の存在が明らかになり、その「神」を冒頭に置くことにより厳かに天地は開かれ、素晴らしい地球自然の成り立ちが悠然とした姿を現すのである。  また、逆な形で、「アイウエオ」を「ひふみ天地の数歌」でひも解くとそこに現れるのは素晴らしい自然宇宙の姿、すなわち「あの世」と「この世」を併せ持ったト-ラス構造体の姿なのである
 それはまさに、驚くばかりの循環的なアルゴリズム形式を持つ驚くべき姿であり、「現代西洋科学知」」などでは到底及びもつかないものなのである。

また、自然の数の理を尽くすことにより、そこには厳然として雄大な宇宙開闢の理(宇宙創成理論)が悠然と姿を現わ、我々を驚嘆の坩堝に引きずり込んで慌てさせるのである。

 

また逆な関係、すなわち、「アイウエオ」を「ひふみ天地の数歌」を用いて解読すると、そこには不可解な数の一致、仕組みの一致が現われ我々の目を奪い、不可解な数の理の存在を告げて我々を唸らせて止まない。 何と、そこには「あの世」と「この世」が不可分な関係で存在し持ちつ持たれつの関係で全体的な調和をもたらして無限循環世界を構築しながら永遠を誇っているのである。 要するに、「現代科学」などではとても解明不能な歴然とした驚くべき別次元のチャンネル世界が広がっているのである…!!!。これらの問いかけに対して答えてくれるのは現存する超古代文献の記述だけである。しかし、これらの記l述を誰もが笑い飛ばすか無視するだけなのである。

一体、日本の古代には如何なる知的基盤を持った「知的な大文明」があったのであろうか…!!?。ここまで我々を唸らせ、かつ現代人間知をかき乱すばかりに悩ませる大叡知の存在した時代、すなわち「神代(カミヨ)の時代」とは、果たしてどのような時代であり、どのような大叡知の存在があったのであろうか…!!。日本の神々は遥かな大昔宇宙より舞い降りて来たと伝えられているが、本当なのかもしれない。もし、事実ならば、このような奇想天外な大叡知の存在も頷けるところであり、理解も出来ると言うものである。 つくづく考えて見ると、これらはまさに人知領外の「神の知」と言うものであり、我々にとってはまさに福音と言ってもいいものである。是非、関心を持って調査検証し、更なる真実を見出して貰いたい。

 

一つ、思いだして見て欲しい、それは確か5年前のHP、「神の数学」の中の「言霊の秘儀」には「『祝詞ひふみ天地の数歌』の本当の姿とその本性を見る」(2010年9月上載)の中で一応説明したものについて…。それはあまりの奇想天外な「数の物語」であり、現代の常識ではまったく考えられない奇妙な「数の仕組み」であると紹介した事を…!!。

あまりにも常識知を越えていたので誰も注目をした者はいなかった。私としては誰かがその後を引き継いで自然の真実を見出し、そこにある想像を逸する「神の秘儀」を見出して世の中に出してくれるのではないかと少々期待はしていたのであるが、それは脆くも崩れ誰もその奥へと踏み込んだ者はいなかったようである。   

 

今まで半ば忘れていたものであるが、今回ひょんなことで思い出したのでそのあるべき結果顛末の一切をここに記して置くことにしたい。是非、この記述を再考して真実を明らかにしてもらいたい…!!。

まあ、奇奇怪怪な「数の走り」ではあるが、あれから既に5年の月日が流れている。恐らく、今では、これらの「数の理」をシッカリ身に付けた若者が育っていると考えられるので、ある程度の期待はしている。まあ、世間一般では今でもやはり現代知(現代数学)が大手を振って闊歩して、古代の数理学は肩身の狭い思いをしているのは変わりないのであるが、それでもいくらかは「神の数学」を応援してくれる方々が増えつつあるのは心強い限りであり、世間にいくらかまともに顔向けできるような風向きになりつつあるような気配がする。まことに有難いことであり、感謝している現在である。

 

すべては時の間に現われて消え去る真実知の芽生えの一つと考えている。それを偶然にでも覚知でき、掴むことが出来たならそれは種となって次第に大きく成長して花を咲かせ、やがては大きな実を結び、人々の心を潤し、満足させることになるのである。ただし、大きな心と真実一路のたゆまぬ努力がなければならないのは当然なことである。

するとこれからは現代知の常識等よりもハイセンスでスピリッチュアルな感覚がモノを言う時代、あるいはそのような御仁が活躍する時代が始まるのであり、今までのような現代知にまみれた学者などはあまり必要がなくなるような時代が来ることになると言うことである。 いや、現実にはもう到来しているのかも知れない。

今や、物質偏重の時代から精神偏重に移ろうとする過度期であり、一つの新しい文明、自然と一体化するようなホリステックな文明に移行するための準備期と考えてもいいであろう。 要するに今や、新しいパラダイムの揺籃期を迎えている最中であり、その初期的な過度期と考えてもいい。 ただ鈍感な我々にはそれが判らず、ただ後世の歴史家達が判断する一つの文明の過度期的な形態と言うものなのであろう。あなた方は知らないであろうが、現在世の中のすべてのシムステムが激しく変わっているのであり、気候異変、環境異変、生態系異変から始まり、国家、民族、経済、等が大きく変化しつつあるのである。
                                                                                                
  
  古代の宇宙言霊である「アイウエオ五十音図」を祝詞「ひふみ天地の数歌」で解き放つ。

 

 ( ここにある∑=37→1とは、すなわち、横の数の合計が37であり、しかも、最初と最後の数である1はは重複しているので重複分を引いた答が36となり、一桁化して9となり0になっているのである。)

 


この図を参考に、〔2〕の「アイウエオ」の横の相を「ひふみ…」で診るを展開してもらいたい。すると驚くことに〔1〕の「アイウエオ」の縦の相を「ひふみ…」で診たものとまったく同じ結果が現れて、あなたの魂を天外に飛ばすのである。要するにこれら二つの図はまったく同じことを証言している稀有の図であり、まさに、「自然の証言」の見事な図なのである。

 出来れば、 「言霊の秘儀」の中の「『祝詞ひふみ天地の数歌』の本当の姿とその本性を見る」(2010年9月上載) と併用して考えてもらいたい。

確か、前回はここに並ぶ不可思議な「数の並び」を考えて見て欲しいと言うメッセ-ジを残して終了となったが、今回はこれを一歩も二歩も進めて更なる「神の調べ」の実際的な存在を追求し、その厳とした証を見ることにしたい。 常識知で結構、頭脳の限りを尽くして改めて考えて見て欲しい。 何せ、「神の知の調べ」であり、不可思議な「数の物語」である。 ここを見事にクリア-すればあなたは「神の存在」に間違いなく行きつくのである。 まずは、「神の語る言葉」を見出すことから始めなければならない.それは驚くべき自然態の流のなかで語られている不可思議極まりない循環性をもって語られているものであり、まさに大自然の仕組み、大宇宙の大いなる姿でもある。それにより改めて「神の存在」を知り、「神」の御業の確かさを知ることになるのである。 それはまさに息を飲むばかりの美しく、神妙不可思議な一つの絵物語であり、大宇宙の巧みで幻想的なぺ-ジェントの姿を持つものである。
  いや、そうではない、そんな簡単な言葉では表現出来るものではない。そこにあるのは四ヶの異なったエネルギ-体の織りなす無限自在のト-ラス状の美しい九次元体の姿であり、神妙無限な螺旋回転循環構造態を持って展開されている大宇宙の姿なのである。
 それは「数」が導き出してくれる大宇宙の姿であるが、現代知では察知することは不可能である。何故ならば、「見える世界」と「見えない世界」を繰り込んで考えない限り、結果的には大きな矛盾が起きて考察不能になるからである。  まさに2元の世界の典型の象であり、現代物理の不備を突いて学者達を困らせようとしているものである。
 これは現代知的な説明であり、何が何だか判らないであろう。しかし、数図的な手法と仕組みをもって実際化すると、あら不思議、小学生でも十分に理解ができるものである。とにかく、現代知は煩わしい…, その上、煩雑過ぎるきらいがある…!!。 それに比べると自然の知は単純明快であり、その上、心に沁みて意識を盛り立ててくれる…!!。
 
 「数」は決して嘘はつかない…!!、自然の持つ「大いなる真実」に必ず我々を導いて行ってくれる、それが「数」と言う神のメッセンジャ-である。 
 あなた方は「神の存在」について喧々諤々と果てしない論争を続けているようであるが、「現代知」では決して答は出ては来ないことを知るべきである。何故なら、現代知の母体である「現代西洋科学」には「神」を認めないと言う基本知があり、「神」の存在と言うものは一切認めてはいないからである。要するに、「神は無い」と言う基本態から出発して発展して来たものである。それではいくら手を尽くしても「神」は見つからないのは当然であり、ますます自然の真実からは方向がそれていくだけである。要するに、それは自らを自縄自縛して、懸命にその犯人を探しているようなものである。
 
 まずは、「神」は存在すると言う信念を持って「神」を探すべきである。最初は判断不能でも、何回も手を尽くすことにより、徐々に脳の回路は開かれていくはずである。それが、知の進歩となって「神」に行き着くことになるのである。それが厭で、もっと短兵急に「神」を求めたいのなら、この「古代の宇宙言霊である「アイウエオ五十音図」を祝詞「ひふみ天地の数歌」で解き放つを徹底的に攻めるがよい、すると必ずや「神の言葉」を見出すことになり、それにより「神の存在」に気が付くことになるのである。また、それは自分の頭と手を用いて懸命に頑張れば誰でも到達可能なものであり、理解が出来るものである。疑うことはなかれ…!!、誰でもである…!!!。。

そのためにはもっともっと好奇心をかきたて、直感力と洞察心を極限まで引っ張り上げて「数の語り」を聞いて、シッカリそれを検証することが必要であろう。

 

さて、前回は常識的なアプロ-チを限りとして一応の終了となったのであるが、本当に必要なのはその先にある「神の言葉」の確たる存在、すなわち「神」と繋がる呪文言葉の存在、「神」の心を伝える「確かな言葉」の存在を見出すことである。それが今回のリサ-チの主眼点であり、目論みと言うものである。
 それにより「神」の存在が明らかになれば甚だ結構であり、万々歳と考えている。まあ、ある程度の紆余曲折はあるであろうが…!!!。

 

現代西洋知にまみれた現代人は何を寝言を言うかと呵々とばかり大笑するであろうが、それは何も知らない証拠、甚だ心が浅いことを示すものであり、己の未熟さを語っているものである。

それは将来自らの歩む道を笑い飛ばしていることと同一であり、「神」の定めた自然の道を罵倒し、否定しているのとまったく変わらないものである。

 

有史以前から日本民族はこれら自然の歩みの大いなる過程を称して「カムナガラの道」と讃え、その存在を肯定しながら皆で崇め奉り、尊守しながら代々伝えて来たものであり、すべては日本民族のDNA的な存在となっている「自然の道」を歌っているものである。ただし、今では言葉だけが残り、その内容は完全に失われてしまっている。

すべては有史以来に始まった大量の外来人の来襲により、すべては失われ時の流れの中に消え果て、失われてしまったのである。学者達の研究によれば、当時の縄文人の人口の9倍から多くて25倍の大陸からの荒々しい侵入者があったと専門家達は伝えていることから容易にその事実は判断できると言うものである。それでは如何にせん堪らず 中国文化が一気に開化して弥生文明に移行したのであり、それと同時に、それまでの尊い日本古来の伝承知や神代文字のすべては強制的に消され、失われてしまうと言う不測の事態が起ったのである。それは世界の歴史上の例を見れば容易に推察出来るものである。しかし、今の日本人はその事実を誰も知ろうとはしない。まったくの極楽トンボである。

 

考えて見るがいい、今、大陸に何か不測の大事態が持ち上がって、現在の日本に大陸から少なくても9億人、最大で25億人の難民が押し寄せて来た場合、我々日本人はどうなるかを…!??。答は至極当然のこと、ただ、民族抹消が一気に起り、日本民族は滅んで言語や伝統文化の一切は跡形もなく失われてしまうのは間違いの無いことである。

それが歴史の常、歴史の正しい答であり、至極、簡単明瞭な答でもある。しかし、国際的な人類歴史問題に直面したことの無い今の日本人には判らないであろう…!!?。

 

正確に言えば、「カムナガラの道」は失われたのではなく、密かに関係者により「神道」の中に隠され、民衆に託されて遥かなる未来へと伝えようと図ったものであるその証拠がこれらの素晴らしい「古代の大叡知」の存在、すなわち、今に残る古神道の祝詞の「ひふみ天地の数歌」の姿であり、本体の「ひふみ九九算表」の驚くべき内容とその姿なのである。

それらをシッカリ検証することにより、それらがすなわち日本古来の「カムナガラの道」であり、その驚くべき内容であることが判明することになるのである。

 

それと同時に存在した対の祝詞、それが「アイウエオ五十音図」である。要するに、この二つの祝詞が「鍵と「錠」の関係でお互いの秘密をひそかに隠守して来たので、現在までそのままの姿で無事に生き延びることが出来たのである。 しかし、それでもこの両者を並立させて置けば何時かは誰かがその秘密を解き明かすことを恐れた時の権力者により一方の祝詞「アイウエオ五十音図」を下野させ、一般民衆の手に託された、それが現在に残る祝詞の歴史ストリ-と言うものであろう。 推測ではあるが…!?。

その証拠となるものがこれらの数を尽くして明らかにされた「数の仕組み」や「解読ストリ-」であり、まさに恐るべき「神の叡知」を秘めた「神の数秘文」の出現と言うべきものである。

 

 これからその解読に移るのであるが、何せ、会話は苦手、文章は意を尽くせないような一老人の戯言に近い内容である。そのあたりを一慮しながら不足なところは言葉を足し、余分なところは削りながら、直感と洞察力を十分に働かせ真意をシッカリ汲み取って貰いたい、何せ、現代の人類文明知に関わる一大事と言っても決して過言ではないものなのである…。

恐らく成功すればあなたの心は一段と成長遂げ何ものも恐れない気概に満ちて自信が身に付き、意識のグレイドアップにつながって来ることになるはずである。

是非、心を素直に持ちながら自在な気持ちで考えて貰いたい。 時間がかかってもいいではないか、日本民族の魂の出自を探ろうとする大きな時の旅路をまさぐろうとしているのであり、古代のロマンを見出そうとする幻視考的な一つのメソットであると考えて気を楽にしてにフリ-な思索に耽lって貰いたい。

 

私は常々言ってる、「縦の数列」と「横の数列」は我々人間世界に存在する数言葉であるが、「縦」と「横」の間に位置する数列、すなわち、その間にある「斜め」の数列は「神」の持つ数言葉であると…。  故に、これらの「斜めの数列」を称して、『神の言葉』を持っている「神の数列」と私は呼んでいるのである
 今回は「神」の存在を明らかにするための「神に言葉」の存在を探ろうとするものであり、「神」の存在を明らかにして人々を苦悩から救うための史上初めてのものでもろう。
 これらの 「神の言葉」の存在を見出せば、当然「神」の存在が確認されることになるのである。 それは至極当然な理と言うものでもある。

また、これは初めて明らかにされた稀有なる「神の数言葉」であり、その初登場の場でもある。次回の「神の言葉」と合わせて検証し、「神の存在」をあなた方自身でしっかり確かめることである。それにより身も心も大いなる進化を遂げ、次のステップに飛躍が始まるのである。いわば、それは最初のステップを踏み出すと言うことである。

 あなた方には中々、信じられないもの、何となく胡散臭い言葉に聞こえるかも知れないが、今回は少々素直になって史上初の「数の言い分」を聞いて、その是非を判断してもらいたい。この「神の言葉」である斜めの数列には今、世間を騒がせている西洋発の「ソルフエジオ」と言う宇宙意識と通じる数列が存在しているのである。それが174、285、369の姿を持つ数列であり、宇宙意識と通じたり、遺伝子のゆがみを取るものと言われているようである。何と、「ソルフエジオ」は古神道と相通じる「数の言葉」であり、「神の文言」の一つと言うものなのである。 その事実はまさに驚き桃の木であり、とても信じることは出来ないものかも知れない。しかし、そもそも、この「数列の素性と根源」は古神道の祝詞に存在するものであり、すべては古神道由来のものである。要するに、「神の数学」の真実証言が今回は西洋サイドからもたらされ、その由縁、素性も知らない日本人は大騒ぎしているのである。要するに、西洋から風穴を開けられて初めて大騒ぎしている日本人特有の何時もの構図であり、おかしい構図、哀れな構図と言うものである。 
 確かに、それは日本人の西洋に弱い事を証明する一つのストリ-を物語っているものと言ってもいいものである。 そろそろ矛盾に満ちた西洋学の束縛から離れて本来の日本独特の「自然の学」、すなわち、循環と共生を重んじる古神道の「カムナガラの道」と言う自然の道に戻るべきであり、もはやその時が既に来ていると言ってもいいものであろう。
 

 しかし、断って置く、こんなものはまだ序の口である。古神道の祝詞の中にはまだまだ驚異に満ちた「数の走り」が数多存在し、縦横矛盾に活躍していることをここで付け加えて置きたい。

 

まずは先回の骨子と言うものをもう一度復習して見る。何回復唱しても信じられない方には単なる馬の耳に念仏ではあろうが、それでも聞き慣れると真意がだんだんに伝わって来ることもあると信じている。是非、それを期待したい。

 

①  これら〔1〕図と〔2〕図の数の加算により得られた36,37,38、39,40、41、42の完全連数の現れの不思議、更にはこれらの数を一桁化することにより 0、1、2、3、4、5、6の自然数は祝詞「ひふみ…天地の数歌」の部分的なものであることは容易に判るであろう。 これはまだ完結していない部分的なものであり、全体が現われて初めて完結に向かうものである。

すべてはまことに驚くべき数の現れであり、確率的に見ても中々奇異な数の現れ、滅多に現われる事の無い自然数の序の現れと言うものである。

 

②  これら〔1〕と〔2〕図両端に揃って現われた12345の数列の語る意味とは「アイウエオ五十音図」の最初の「アイウエオ」と最後の「ワヱウエオ」はまったく同じものであり、重複して現われて、重要な何事かの存在を語っているものである。

しかも、その〔1〕と〔2〕の両図にわたってまったく同じ答が現われてシッカリものを申し立てていることが判るであろう。その最初と最後の重複の意味とは、すなわち、最初と最後を重ねて立体円筒の形にすべしとの「神」のご宣託なのであり、夢々疑うことなかれとの重ねての「神」の御言葉なのである。そのあたりをシッカリと捉えてほしい。 当然、この「重ね合わせの原理」は現代物理学の中にもしっかり存在している。

要するに、重複により平面を立体化して、そこから改めて全体的な数の流れの検証を行うべしとの「神」の強い意思を語るものである。

 

  これらの「神」の言葉、すなわち、その指示に従うことにより、何が現われて来るのであろうか、それはこの後、来月のの楽しみと言うものである。

そこに「数」の言葉により真実が開かれ、示されているのなら「神」は間違いなく存在し、常に何事かを語り上げていると言う確たる証明になるものである。

 

恐らく、あなた方は疑うであろう、果たして、それが本当の「神」の存在証明及び「神」の意思の存在を語るものであるかどうかの証明を欲しがることであろう…!!??。

 

あなた方の殆どは「神」の存在を疑い、否定的な態度を取っている。だから、「神」はあなた方を黙殺して顧みようとはしないのである。もし、あなた方が「神」を容認して心を少しでも開けば、すぐさま「神」はあなた方の下へと馳せ参じて、色々と真実を明かして慈しんでくれることになるはずである。要はお互いが信じあってはいないことがネックになって、反目の形となって現れているのである。 その非と言うものは100%人間サイドにあるのであり、 恐らく、この禍根は人類史に大きく刻まれて永遠に残ることとなるであろう…!!。

 

今回はまず、「神」は存在して「数」と言う言葉で真実を告げているのである。まづはその事実を知ることが大切なことである。 要するに「数」は常に何事かを語りかけてはいるのであるが、あなた方はただ心を閉ざしてあらぬ方を向き、何も見えない、何も聞こえないのであり、すべてはその通りになっているのである。 まずはもっと素直になって自分を変えることから始めるべきである。

 

今回はその片寄ってえびつになっているあなた方の心を少しでも真円に近付けるためにこれら「神」の語る「数の言葉」の存在とその「語りの意味」を出来るだけ紹介することにする。自然の真実を知ることにより、心の曲がった形は矯正され、すべては正しい方に向くことになる。元来、自然とはそんなものである。曲がったものは受け付けず、ゆがんだ円は矯正してなおす、それが反動心と言う自然の働きと言うものである。
 

 

前ペ-ジの冒頭で言ったように「神」は我々の世界の中に一緒になって存在しているのであるが、まったく異なった場におわすのである。それがすなわち、我々の世界と45度位相の異なった別な世界なのである。

 要するに、我々と神々はまったく同じ空間にあって隣り合わせの状態、すなわち共存状態で存在しているのであるが、見る視界、存在する場がまったく異なっているので、見えない、聞こえない、感じられないと言う真空的な空間状態とも言うべき所在にあるのである。

その事実をこの「アイウエオ五十音図」は「数」で示し、教えているのである。 そのことは誰にでも判断可能であり、簡単に実証可能なものでもある。

 

では、これから「アイウエオ五十音図」に秘められている「数」で書かれた「神の言葉」を引っ張り出し、それを解き放って見ることにしょう。
 甚だ簡単なものではあるが、恐らく、現代知の信者には中々信じられないものであり、疑う方に心が走るものである。

まずはご宣託通りに〔1〕と〔2〕図の両端に揃って現われている12345の数列を重ねて立体化する、そこに現われた立体は当然一つの円筒と言う形である。
 すると、当然、重なった数の一つはなくなり、減算と言う形になるのである。それが上図にある(37-1=36), (38-2=36), (39-3=36)の姿である。

 

次の作業はその円筒に現われた横の数列の数を加算するとすべての横列のΣは36になり、一桁化すると9になり、更には0になるのである。 それにより、この図はまさに「神」が感応し、手助けしている図であることが誰にでも判るはずである。

 

さあ、いよいよクライマックスの始まりであり、「神」の言葉の出番と言うものである。ジックリ耳を傾け、目をシッカリ見開いて「数の語り」を見てもらいたい。

そこには決して誤謬や不手際などは一切無く、すべては流れ流れて止まない自然の数の正しい流れがあるだけである。それをここに書き留めて置く、その一切の仔細を頭と手を用いて存分に検証し、十分に確かめることである。それがあなた方の仕事と言うものであり、真理を開くための最良の方法と言うものである。

すべては「神」の筆であり、人間の手になるものなどでは決してない。

 

それを言い表しているのが明治時代に生を受けた最後の国学者と言われる山田孝雄博士である。博士は「『アイウエオ五十音図』は宇宙間の音韻の根本原理を示しているものであり、まさしく神授のものである。このような図表を作り上げた我等の祖先の偉大なる頭脳にはただ驚嘆するだけである」と言っている。まさにこの言葉は慧眼の至りであり、ただただ敬服するだけである。

  
 
(A)と(B)は「陰」と「陽」の関係、すなわち逆数関係にあることは「数」の流れがお互いに反対であることからも判るであろう。
 
この(A)図が「神」に繋がる「ソルフェジオ」の数列序である。 すると当然、(B)(C)(D)も「神」と繋がりを持つ「数の語」りであり、数呪文であると考えるべきである。 するとここに現れた「斜めの数列」のすべては自然界を解き放つための「数呪文」なのであろうか…!!??。 はて、さて…??。
 

 (注釈)①…
 まずは、これらの各図には「天から地」に向かって斜めに流れる数が2種類、すなわち、右上から左下に向かって流れる数列(A)があり、更にはもう一つの左上から右下に向かって斜めに流れる数列(B)がある。これらが「神の心」を表す斜めの数列であり、それらの数列の数を加算(∑)したものが=の右にある二桁の数である。要するに、ここまでが「現代数学の領分」であり、そこで単なるランダムな数であり、意味の無いものとしてこれらの答は捨てられてしまうのである。 しかし「神の数学」は違う、その先を更に読んで「神」の答に到達して、すべてを明らかにするものである。

 (注釈)②… まずは〔1〕の図である、ここには各数列の加算数(二桁)を一桁化したものが右にある(A)の一桁の数である。 見るがいい、そこにある(A)の一桁の数を縦に読むと207531であり、加算すると18になり、更には9になり0になるのである。  更に、(B)の図は各数列の加算数を一桁化すると135702(ひふみ九九算表の3番めの数列)となり、加算すると18になり、更には9になり0になるのである。 結果的には(A)と(B)の答は同じものになる。また、(B)の135702は(A)の一桁の縦数である207531の完全逆数、すなわち「陰」「陽」の関係でもある。要するに、それにより、(A)と(B)は完全な「陰」と「陽」の関係であることが判るのである。

 

逆数関係(陰と陽)にあるとはこれらの二つの数列を加算した場合、その和が0であることである、 計算して見よう。   (計算は神算法……上と下の数を加算して一桁にする)


  207531+135702=333333→ 18→9→0   ≪神算法≫……各項の数をそれぞれ加算する。 
 (例… 2+1→3、0+3→3、7+5→12→3、3+0→3 以下同様に…。)

 

 ここにある数列とは単なる自然数の並列であり、隣の数とは無関係な表れなのであり、 2、0、7、5、3、1と区切って呼ぶ。人間の数学ではすべてはお互いに関係のある数とみなして 20万7531と読んでいるのである。 例えば、計算機でのこの二つの数の加算答は343233となるが、よく数字を見ると10進法で加算されているので、二桁になった場合にはそのしわ寄せがその前の数字にかぶさって来ているのがよく判る。 要するに、最早、それは自然な流れではない、すなわち、現代数学では自然(神)の答は出ては来ないと言うことである。
  

 
 〔1〕とまったく同じである。すなわち、(C)と(D)は「陰」と「陽」の関係、すなわち逆数関係にあることは「数」の流れがお互いに反対であることからも判る。
(注釈)③… 次に〔2〕の図を見てほしい、これは「アイウエオ五十音図」にたいして「ひふみ天地の数歌」を横に置いた図であり、〔1〕とはまったく別の図である。 しかし、驚くことに、結果的にはまったく同じ答えが戻って来るのである。 何と言うことであろうか…!!、 ジックリ考えて検証してもらいたい。

〔1〕の図とまったく同じ計算法で答を出して見よう、すると(C)図の加算数の一桁の数は738405(ひふみ九九算の6番めの数列)であり、(D)図の数は504837となって、完全な逆数関係(陰と陽)にあることが判るのである。

しかも、すべてのこれらの数を加算して、一桁にすると0が現われるのは各図内の計算を見れば判るであろう。

 

それらの各逆数の計算結果をしっかり見て見よう
 〔1〕        

 207531  …… この二つの数列は互いに逆数関係にある

+135702
―――――――
  333333 → 18→9→0
 …!!


 〔2〕 

 738405  …… この二つの数列は互いに逆数関係にある …!!

504837
―――――――
  333333 →18→9→0

                                                      

 また、次にある面白い神算法の計算を教え申そう、これらの数の流れが示すものは何であろうか…!!!。。

 一つ私の代わりに頭を捻って考え出して貰いたい…!!。 

〔1〕の(A)(B)より

    +①=24681→21→3

    +②=24681→21→3

    +③=24681→21→3

    +③=24681→21→3

    +④=24681→21→3

    +⑥=24681→21→3

 

〔2〕の(C)(D)より

     +①=24681→21→3

     +②=24681→21→

     +③=24681→21→

     +④=24681→21→

     +⑤=24681→21→

     +⑥=24681→21→

 

    何故、これらのばらばらな数列の加算関係はすべて24681「ひふみ九九表の3番めの数列」の不可解な現れになり、かつ21になり、3になるのであろうか…!!??。

  これで「数」が「自然の秘密」、人間の知らない「自然の真実」の存在を語っていることが判明したであろう。
   まことに面白い限りであり、人間知ではどうしても解明が不可解なものと言える。この面白味、少しはお解りになったであろうか…!!!。
 


  要するに、これが「数の語り」であり、これを我々は人間の言葉に翻訳して「神の持つ真実」を探し出せばいいのである。 ひょっとしてあなた方は「神の言葉」と「人間の言葉」は同じものと思っているのではなかろうか、まさか…!!、 それならば「科学」も「数学」もいらない、何故ならば、「神」=「人間」が成立するからである。 そんな阿呆はいないと思うが…!!。
 まことにこれは面白い問題であり、興味深々の「数の物語」と言うものである。 是非正体を確かめ真実を明らかにしてもらいたい…!!!。

 

 ここまでの内容はあなた方にでも判るであろう、しかし問題はこれからである。これでは絶対的な完成ではない。要するにこれは平面的な完成であり、現代知 (人間知) 的な完成である。本来のあるべき完成とは立体的な完成であり、「神(宇宙意識)」的な普遍完成である。

 残念ながら、今回はここでペ-ジは尽きてしまった、本当のあるべき自然学の普遍的数学の真実は来月に廻すことにしたい。よって今回は(上編)としてここで閉じ、次回は(下編)として更なる自然の立体的な語り、すなわち、我々の平面的な数の語りではなく、ワン・ランク上の立体的な形式を持つ「意識数学」についての考察を進め、その存在を明らかにしてみよう。

  要するに、それはこの『アイウエオ五十音図』の両端を重ねて立体化することであり、それによりどのような数の流れが浮かびあがり、そしてそれは一体何を語ろうとするものなのであろうか…!!?。

まさに興味の尽きない自然の循環理が大きく展開されて我々の度肝をぬくのであり、まさに驚異の「数の語り」であると言うべきものである。果たして、あなた方には信じられるものであろうか。

  果たして我々の持つ10進法は自然から見た場合には整合性に欠ける欠陥数学なのであろうか…!!?。確かに、先端物理学者達は現代数学を用いて計算すると結果はとんでもないことになると警告を発し、新しい数学の種とその手法と言うものを求めている現在である。

 

さあ、今回は簡単にとどめ置いて、少々楽する積りであったが、元来の愚直の本性は治らずまたもや深入りして全貌をさらけ出すことになってしまった。いくら説明を尽くしても理解する者は恐らくは皆無であろう。 悲しいことではあるが…!!!。 本当の勝負はこれから来る来月の(下の巻)である、果たして、現代西洋科学の落とし児であるあなた方に理解してもらえるのであろうか…!!??。 次回も同じ「数の物語」であるが、果たして幾許かの賛同を得ることが出来るであろうか。今から楽しみにしている、頑張ってほしい…!!。

                         ≪今月の記(2015年10月) 完≫  

ここにある数列とは単なる数の並列であり、隣の数とは無関係な表れなのであり、 2、0、7、5、3、1と区切って呼ぶ。人間の数学ではすべてはお互いに関係のある数とみなして 20万7531と呼ぶ。例えば、計算機でのこの二つの数の加算答は343233となるが、よく数字を見ると10進法で加算されているので、二桁になった場合にはそのしわ寄せがその前の数字にかぶさって来ているのがよく判る。 要するに、最早、自然な流れではない、すなわち、自然()の答は出ては来ないと言うことである。


 

「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その11)

    宇宙意識(神)との対話を始めよう(下の記)…!!!

                                              2015年11月上載 




 「数」と「図形」、それらはお互いに相俟(あいま)って「宇宙意識」の持つ完全情報(叡知)を発信しているものである。それはすなわち「神」の言葉を代弁しているものであり、見事な形で「神の語り」を語り上げている偉大な存在である。 ただし、残念ながら、人間知はまだそこまで及んではいない、従って知る者は誰もいない。

要するに、「図形」は入れもの、容器であり、そこの納まるものが「数」なのである。その両者があって初めて動き始める、すなわち、「象」として開顕が可能になるものである。また、「数」の真実と言うものは容器、すなわち「セル」に入っている限り情報は失われることはなく永遠に保存されるのである。また、図は「場」であり、媒質空間としてエネルギ-の発散や損失を抑える一種の容器的な存在と言ってもいいものでもある。手っ取り早く言えば、エネルギ-を持っていなければ場は自然に消滅し、その存在自体が失われてしまう、すなわち、「場」は単独では存在出来ないと言うことである。そしてここにある「数」はエネルギ-であり、「場」(空間)と合い伴った状態,、すなわち、フルの状態にあって初めて開顕が出来、その存続が可能になるものである。

その「セル(場)」の中にある「数(情報)の原理」、それがすなわち、「ひふみ…九九算表(宇宙次元原理表)」の姿であり、「神の秘密」、「神の持つ宇宙の法則」を永遠に伝えて止まない「神の言葉」である。それがあるべき古神道の本来の本義であり、失われたと伝えられている「カムナガラの道」の本来の姿なのである。

 

相も変わらず、あなた方は狂人の戯言、愚人の繰り事と笑い出すであろう。 しかし、西洋の空言を信じ、西洋学の一番弟子として帰依して世を曲げ、その学を奉じて万来の自然をねじ伏せようとしているあなた方には、果たしてこの事実を笑い出す資格なんてあるであろうか…!!。

しかし、考えて見れば、それも止むを得ないかも知れない。何故ならば、これらは有史以来、誰も言ったことのない法外な言葉であり、信じられない内容を秘めているものだからである。

 

そのような万人偏見の下で長年、懸命に古神道に挑んで来たのであるが、何とそこには輝くばかりの古代の叡知が群をなして潜み、現代知などでは到底見出すことは不可能な状態、すなわち、特殊なアルゴリズムで覆われた状態で眠っている事を突き止めたのである。それが古神道の奥儀祝詞である「ひふみ天地の数歌」と、それと対をなす「アイウエオ五十音図」の姿なのである。その二つはお互いに「鍵」「錠」の関係、「陰」と「陽」と言う不可分な関係下にあり、それをお互いに合い用いことにより驚くべき「天の叡知」が顔を出して, 西洋知に慣れ親しんで来た我々を驚かせるのである。

先回(10月)は古神道の双対祝詞である「アイウエオ五十音図」を「ひふみ天地の数歌」で紐解けばそこには驚くべき数の一致が現われてあなた方の脳を混乱させ、有無を言わさずある不可思議な「宇宙知原理」の下へと走らせるように設定して置いたのであるが、恐らくは正しい回答に至った御仁は今までいないのではなかろうか…??。

如何であろうか、いくばくかの結論付けに至ったであろうか…!!??。

簡単に言っているが、これは未だ現代の学者達が解けずにもがいている畢竟の宇宙の姿とその究極の構成理を見事に描いている窮極の図と言ってもいいものである。

これはまた、面白いことに現代の先端物理学理論である「超ひも理論」と轍を共にしているものであり、そこにある宇宙の形はまさに「超ひも理論」で言う「実の世界」と「影の世界」そのものである。何と「超ひも理論」の十次元宇宙の図と古神道から現れたこの「宇宙の形」は完全なる一致を見ていると言うのである。

いや、そうではない、「超ひも理論」では理論点だけを推し進めて宇宙はト-ラス形(ド-ナツ形)であると推論しているだけであり、途中経過の計算は完全に省かれているのである。要するにどのような仕組みで、あるいは計算すればそのようなト-ラス形(ド-ナツ形)になるのかと言う明確な理論計算はまだ現代物理学ではまったく不明なのである。

ところが「アイウエオ五十音図」を「ひふみ天地の数歌」を用いて解けば宇宙の姿(ド-ナツ形)が見事に現れるのであり、「見える世界」と「見えない世界」がハッキリ存在し、同時にそこには自在無限に走りながら大宇宙を形作っている見事な秩序を持つエネルギ-の流れの存在が立証出来るのである。それはまさに、ト-ラス形(ド-ナツ形)の宇宙を縦、横、斜めと無限に走る互いに異なった形を持つ驚くべき「エネルギ-流れ」の姿であり、そのとてつもない見事な形である。


 その縦(10ヶ)、横(10ヶ)、右斜め(10ヶ)、左斜め(10ヶ)の整然とした流れを持つエネルギ-の流と言うものが、まるで織物の糸のように宇宙を構造的(ド-ナツ形)に織り上げているのである。


 決して嘘、いい加減な話を持ち出してあなた方を煙に巻こうとしているのではない、「数」がそのように述べているのであり、私も十分にその事実を計算検証し、その事実を確かめているから申し上げているのである。あなた方もいい加減に現代知の束縛から逃れて個人としての優位なプライド, すなわち、自然と相和し、自然と共和協調して進むべき道を確立してもらいたい。 本気になってこの図を作りあげて検証に走れば、あどけない中学生でも数時間もあれば十分に理解が可能である。 是非、試みて欲しいものである。

それが現代西洋知の頸木(くびき)から逃れて、新たな日本発の叡知を世の中に知らしめる契機にもなり、同時に日本の真価を高めて人類の知の進歩に貢献することも可能になるものである。

まずは先回(先月)に説明した「アイウエオ五十音図」と「ひふみ天地の数歌」の絡み合いの図を改めて見てほしい。すべてはそこから物語は始まっているのである。

これらは単に、〔1〕「アイウエオ五十音図」の縦列の序に「ひふみ天地の数歌」の数である123456780の連続数を次々と置いただけであり、別にそれ以外の細工はまったく加えてはいない。ただ自然数をあるがままに置いただけであり、ありのままにただ並べただけの単純なものである。

 また、〔2〕「アイウエオ五十音図」の横列の序に「ひふみ天地の数歌」の数である123456780の連続数を次々と置いたものであり、〔1〕と御同様に何の細工もしてはいない。   しかし、この〔1〕と〔2〕はまったく同じ結果を示しているのであるこの事実は一体何を意味するものなのであろうか…!!!。

要するに、この「アイウエオ五十音図」を用いて奇妙奇天烈(キミョウキテレツ)な「神の謀(はかりごと)」の存在をしっかり見ることが出来るのであり、しかも、それは説明をされない限り決して見い出すことは出来ないものと言ってもいいものである。今なら(この2,3年)、私がシッカリ附いている、行き詰ったら何時でも訊くがよかろう。

 

まさに、それは驚くべき「天地の象」の存在を垣間見せて、本来のあるべき古神道の奥行きの深さを示しているものである。


 


 

さあ、この図をシッカリ見極めてもらいたい、この図は「現実の世界」、すなわち、「見える世界」の図である。 これと接するようにして、この向こうには同じ大きさの「見えない世界」が存在しているのである。 自然世界とは「見える世界」と「見えない世界」が対になって初めて存在することが出来るものであり、片方だけでは存在不能で顕現不可なのである。それを証明しているのが、「この世」のΣの数字、すなわち、上記図の12345であり、それに続く、「あの世」のΣの数字、すなわち、6789である。
  そのことはシッカリ覚えていてほしい。
  それがすなわち、宇宙自然の基本則の一つであり、完全に秩序の下にあるものである。
 
 その事実から目を背けて「現実世界(
物質世界)」だけを見ているから、現代西洋科学は自然を解くことが出来ない、理解が出来ないと泣き事をこぼしているのであり、とどのつまりは自然は複雑、混沌であると結論付けてお終いにしているのである。本来は、森羅万象のすべては「現実の物質世界」と「見えない意識世界」の両方を通じて、初めて「自然の象」としての顕在に至っているのであり、両方を併せて考えない限り結論は決して出ず、ただ複雑、混沌で終始するだけである。
 
 ところが、西洋科学は「現実世界(
この世)」のみの探究であり、「あの世」に関しては一切考えようとはしていない、それが甚だしい矛盾を生んでいるのであるが、それには一向に気がつかず、 相変わらず、今でも「現実世界(この世)」の探索一本槍である。 それでは駄目なのである、「あの世」と「この世」を結び上げている序や仕組みを解き放つことにより、すべての秘密は明らかになり、すべてはもつれたヒモを解(ほど)いたように単純な姿と化して、理解可能な姿になるのである。 
 これらすべては「数の語り」によって単純明快に語られているものである…!!!。
 
 本来、「陰」、「陽」の二元世界の仕組みにより、すべては輪廻転生的な仕組みを繰り返しているのであるが、現代科学がそこまで理解可能になるのにはまだまだ大分時間がかかりそうである。 ここで重ねて言って置きたい、現在のような現実のあるべき[自然の仕組み」と言うものを無視しての自然探索などはまったく意味が無く、無駄な時間を費やすだけに過ぎないものである…!!!。


 

要するに、人知を超えた神秘な象を表現するために、「数」は「リズム的な仕組み」や「循環的な数の歩み」を用いながら、我々の「この世(物質世界)」と見えない世界である「あの世(精神世界)」を結んで、果てしない循環を繰り返しているのである。   その循環性の存在がすなわち、原因と結果を生みだしているのであり、その因果律を表す数の並びが、すなわち、「神の数列」の姿なのである。

また、これらの「神の数列」の序を用いることにより「見えない世界」を見出すことが出来るのであり、そこにある因果律さえも見出すことが出来るのである。   [因果律]、響きは恐ろしく感じるが、それは宇宙自然の大きな「大律」であり、当然の帰着律と言うものである。

要するに、その因果律を用いることにより、「あの世()」と「この世()」を包含して成りたっている宇宙次元の姿を見出すことが出来るのであるが、そのことはまだ誰も知る者はいないのである。 まさにそれは最近の学者達が長らく待ち望んでいた最終的な物理理論そのものであり、現代西洋科学では決して解き明かすことは出来ない本来の「自然の仕組み」でもある。
 その理由、それはお解りであろう、 現代西洋科学は「あの世」の概念をまったく欠いている半端な知学であり、最終的な自然の姿を知らない、掴んではいないからである。

 要するに、これは現代西洋科学に対する自然世界のハッキリとした否定であり、今後の科学のあるべき方向性を示しているものと言えよう。 
これはむしろ、ブ-ツストラップ哲学理論に近いものであり、自然には現代科学が知らない基本的な法則が数多あり、それがすなわち、「神が自然界に刻んだ法則」であると言っているものである。その事実を「数の並び」がハッキリ証言しているのである。
〖ブ-ツストラップ哲学理論〗
とは現代の力学的な世界観に対する現代物理学の最終的な拒絶表明であり、宇宙は相互に関連し合った出来事のダイナミックな織物(ウエブ)的な存在であるとしているものである。 要するに、宇宙における個々の物象の相互関係が全体的調和生み、その全体的な調和が織物全体の構造を決定するものであると論じ、現代物理学を完全否定している最新物理科学理論であり、甚だ難解な大乗的な哲学論理とされているものである。

その基本態、すなわち、それを如実に示しているものが、この「アイウエオ五十音図 」 であり、「ひふみ天地の数歌」である。
誰も知らないがこれらは
古代世界の知の産物」であり、「古代日本の遺物叡知」と言ってもいいものである。 そこにはまさに、個々の調和が全体の調和を作りあげ、それが全体としての驚くべき見事なハ-モニ-、一糸乱れぬ極限の共鳴を生み出して永遠なる循環回廊を回帰しているものである。 信じられないであろうが…!!!。

 

 あなた方はただポカ-ンとするだけであろう、そんなことは信じられないと鳩が豆鉄砲食らったような顔をするであろう。しかし、疑うこと勿れ、私は何回も検証済みの数の語る「在るべき真実」を伝えているのであり、決して、あなた方を騙してどうこうしょうとする積りは一切ないことを断言して置く。要は簡単である、現在、我々には「あの世」の概念と言うものの知識はまったく無く、想像もしたこともない完全な「未知の世界」と言うものである。しかるに、それは我々一人一人が近いうちに必ず直面する現実世界でもあるのは確かであり、決して逃れることは出来ない真実の世界なのである。
 確かに、考えて見れば、それは100%完全に通過しなければならない一つの「現実の世界」の話であり、誰も知らない「意識の世界」への道標と言えるものでもある。 
 それを調べ、探ることが万人の望みであり、これからの人類の精神的な安定を図るためには是非、必要な事でもある。 しかし、残念ながら、今のところ誰も手が出ない。
 要するに、今まで「神様」はそこにある事実を暴くことは許さず,結局、「永遠なる秘密」、「知るべからずの秘密」として厳として封じおかれたものであろう。
 しかし、ことここに至っては少しでも調べて見ることは必要であろう。いつまでも、知らぬ、存ぜぬで過すのはあまりにも人々は可哀そうであり、酷(むご)いことでもある。
 大きく考えて見れば、これらは人類の更なる知的な発展にも大きな意味を持つものであり、人々の意識の高揚にも大いに役立つものなのである。
 
 果たして、我々はどのような状態で「あの世」に突入し、どのような状態でそこで過ごした後に、改めて再び「この世」に転生するのであろうか…!?。 その秘密がこの「古神道の祝詞数図」に描かれているような気がするのであるが…、如何であろうか。考えて欲しい…!!。
 ひょっとすると、その一切の経緯が「この数図」から判明することになるかもしれない…!!!。すべては「この世」と「あの世」との結びつき、そして、再び「この世」に転生する大いなる糸口と言うものがひょっとすると見出されるかもしれない…!!!。そのためには何回も繰り返して読み直しながら検証して、心で納得することが必要なのである。
 
 
 ただし、言って置きたい、これらの検証の結果出て来た論証の内容は現実に沿ったものであるのか、それとも私一人の半ば妄想、独りよがりの願望の表れであるのか、それはあなた方の心の判断にゆだねなければならない、何故なら、「現代科学」はこれに関しては殆ど無能に近いからである。そのことだけはハッキリと言って置きたい。恐らく、学者達は一切口を挟むこともないであろう。 とにかく、出来る限りの多くの表作成の結果を集め、その出来栄えとその検証の結果を皆で検証しない限り本当の真実は見えて来ない。 
 結果は出るかもしれない、出ないかもしれない、それはあなた方の心のこもった協力次第によるものと言ってもいいであろう。 
 とにかく、この「見える世界」と「見えない世界」の数表の語る真意真実、すなわち、それは真か、否かを突き止めるためにこの数表と当分の間、睨めっこしてもらいたい。するとその中に真実がだんだん解って来るはずであり、少しづつ心がほぐれて来るはずである。とにかく真実は探せばあるはずであり、見つかるはずである。
 とにかく、人類史上初めての「あの世」と「この世」の結び付きの姿、そして、その仕組みについての壮大な生と死を尋ねるロマン幻視考であり、意識物理上の楽しい旅でもある。
  そのような意味でこの「アイウエオ五十音図」をじっくりと考えてもらいたい、そしてシッカリと数の動きを捉えることである。そして、あまりあてにしないで吉報を待つてほしい。                                                                                (追記、   平成15年 12月 20 日)

 

これは現代先端物理学でもその手法はふんだんに使われて「見えないもの」を容易に探し出すために用いられている立派な手法であり、甚だ簡単なものである。

例えば、小、中学生でも理屈を知れば誰でも「見えない世界」を探し出すことが出来るはずである。ただし、少々の忍耐力と僅かな直感力そして洞察力があればの話である。

 

その「見えない世界」を見出すために「神の数学」が用いている手法とはブ-ツストラップ理論の「宇宙のすべての現象は互いの自己調和によってスム-スに決定される」、そして「構成要素は互いに調和を保ち合った自己調和と言う形で存在している」の手法をそのまま地で行っているものである。

それが「そこにある自然観は東洋の自然観に極めて近いものである」と言う西洋の物理学者達により裏打ちされている手法、それがすなわち、先端物理学の「S行列式」手法であり、それとまったく同じ手法を用いて「神の数学」は見えない世界を探索し、結果として「見える世界」と「見えない世界」を包含し結びつけながら、一つの真実世界(自然宇宙世界)を作りあげていることを確かめているのである。

 

 簡単に言えば、「現実世界」に存在する、あるパタ-ンを持った数を追いかけていくと現実世界の縁(へり)にあるある数に辿りつく、その先は何もない、すなわちその先は「見えない」世界の領分なのである。そこでその数のパタ-ンを利用しながら「見えない世界」の中をそのまま果てまで追いかけて行くのである。
 すると面白いことに「見えない世界」の果てとは、すなわち、「見える世界」の果てと重なり合って存在していることが判るのである。 これらはあなた方がいくら知(現代知)を絞って考えても判らないと言って置こう。 ただ、「アイウエオ五十音図」の持つ「数の語り」だけが知っているのであり、素直な心でこの図を読み取った方々だけが会得出来るものである。

 この方法は現代物理学で用いている最先端の手法であり、S行列式理論と呼ばれているものである。 それは構成要素(ここでは数の序を指す)が互いに調和した秩序を堅持して何処までも流れていく、それは「見える世界」でも「見えない世界」でもまったく同じ秩序を保ちながら連続的な流れをもって突き進んで行くと言う一つの自然理論であり、「見えない世界」をまさぐる為に用いられている手法である

 

 ここで一つ説明をして置きたい現代物理学で解っているのはこの自然世界は「10次元世界」、すなわち、「横10×縦10」の次元世界であるとのことである。  そうすると、横10×縦5の「見える世界(この世)」と横10×縦5の「見えない世界(あの世)」との対世界でこの自然世界は出来ている、合わせるとまさに10次元の世界なのである。
 しかし、そこから重複して存在している一つの次元があるのでそれを除くと「9次元の世界」になる、それが我々の住んでいるこの世界である。

 

そのあたりのことを是非、頭に置いてもらいたい。

 

 恐らく、言葉や文章で説明しても判らないであろうから、「数」と「図」でジックリと説明することにしたい。ただ、残念なことに私は少々耄碌して、頭脳にはあまり切れはなく、また、シッカリ説明するにはボキャボラリ-が足りないのである。これらすべてを遺漏なく理解できた方はあなた方の言葉で、そして易しい言葉で私に代わって世間様に説明して戴きたいと思う。 要するに、あなたがたの腕次第により人類の知は大きく発展し、未来も変わってくると言うことに繋がって来るものと言ってもいい。

一番手っ取り早いのはモデル図を作って、それを用いて何回も検証して見ることによりそこにある一切の内容というものを十分に把握が出来ることになるはずであり、人々にも納得が出来ることにもなるはずである。現代科学文明の持つ先端物理学、最新数学理論を超える宇宙理論体系、現代人の誰もが想像もしたことの無い超科学宇宙理論、あるいは超哲学的な「あの世の存在」の真実を解き放って、その構造、あるいは「あの世」と「この世」の普遍的な双立問題の真相にまで立ち入っていることが可能と考えれば2,3時間の苦労などは何でもないはずである。 日本発の超叡知を世界に向けて発信する発揚の場と思って一つ本気になって考えて見ることをお願いしたい。

 

 今回は先回に説明した〔1〕の「アイウエオ五十音図」に「ひふみ天地の数歌」を縦に置いた場合の図と異なる〔2〕の「アイウエオ五十音図」に「ひふみ天地の数歌」を横に置いた場合についての説明をして見よう。まずはそこから「数」のみを引っ張り出して表記して置くので、これを基点として考えてもらいたい。


 〔図〕























 

では次に参ろう、これからは「見える世界(この世)」と「見えない世界(あの世)」を包含しているこの上図に名を付けて「 自然の真実世界」と呼ぶことにしよう

 例えばである、「見える世界の数列(エネルギの流)」が12345なら、当然、「見えない世界」に至ってもその連続数である67801が流れている要するに、「見える世界」と「見えない世界」は完全に連続している対世界であり、同時に「陰」と「陽」の対世界でありながら、連続性を持っている存在なのである。


 要するに、「見える世界」と「見えない世界」は完全に連続している対世界であり、断絶の無い完全連続な世界である。本当であろうか…、その事実をこれからの証明してみよう。  


 最初の「見える世界」の数列は左から1504837261の加算数(∑)は37→1であり、2番目の数列は、2615048372のΣ=38、同じようにして、3番めの数列は39、4番目は40.5番目は41である。それらを一桁化すると見事な自然数列12345が現われる。  さて、その後は「見えない世界」の数列のΣを求めると
最初のΣは42、2番目∑は43、3番めは44、4番目は36、5番目は37であり、一桁化すると67801が現われるのである。  そこで「見える世界」と「見えない世界」の数答をつなぐと、何とそこには、1234567801  の完 全連続数が現われて「見える世界」と「見えない世界」は完全な連続体であることが証明されるのである しかし、最初の1と最後の1は重ね合わせるので、その一つが消え、123456780になり、9次元世界と化すのである。
  要するに、
「見える世界」と「見えない世界」は別個な存在ではなく完全に繋がっている状態にあることが判明すると言うことである。
 この仕組みは、  まさに、神業、神の仕組みの数象であり、我々は声を上げることも叶わず、ただ恐れ入って沈黙するしかないのである。

 

さあ、次の問題に行こうではないか、完全に繋がっている「見える世界」と「見えない世界」の横列に並ぶ最初の数列と最後の数列は右から見ると、共に1627384051であることはお解りであろう。そこでこの二つの同一数列の一方を糊付け代(しろ)と考えて重ねて糊付けするのである。するとこの平面の表は横に長い円筒形になるのであり、一つが重なることにより、ここでもまた、10次元体から9次元体に移行するのである。  すなわち、ここで「超ひも理論」がやっと見出した「10次元理論」は不完全なものであり、実際は重ね合わせた9の一つ引いた「9次元世界」であることが判明するのである。 そこから今回の検証は始まるのであるが、このあるがままに数を並べ、あるがままに考える、、それが この「重ね合わせの原理」の理論であり、現代物理学でも用いられている立派な理論手法である。

 

①  上、下にあった横の二つの数列である1627384051を重ねると片方は消え、同時に、そこにあるすべての縦の数列は123456780の変化したものになり、加算して1桁化すればすべては9になり、本質は0になるものである。

 

②  次に「斜めの数列」、すなわち、「神の数列」を見てみよう。まずは左下がりの対角線から始めよう。そこには174の数の循環が見られるのであるが、驚くことにその数の循環は「見える世界」から「見えない世界」へと数の欠損等はまったく無く、見事な秩序を持つ形で174は 174174174…と繋がって流れていることが判る。 いや、そればかりか、そこにある「斜めの数列」はすべて「この世」と「あの世」を通して完全無欠な秩序を持って整然と流れていることも同時に判るでもあろう。 要するに、大自然には不整合やいい加減などと言うものは絶対に無く、あるのは完全な秩序と調和をもっていると言うことが解る。そのことだけは是非知って欲しい。
 見るがいい、そこにあるのは
174630285、の3通りの数列の循環体であり、すべてはその変化数系の現れであることが判る。 何とこれらの数列は今、世の中で騒がれているソルフェジオの周波数であり、その変化態の9種類そのものなのである。 私はここにある「斜めの数列」を「神の数列」と呼んで大分以前からいろいろと調べていたものであり、大変いわく付きのものである。 また、〔2〕の「アイウエオ」を横に置いた場合の右下がりの斜めの数列を追いかける場合には223334444等の同一数の並びが現われるが、これもやはり「神の言葉」であり、「ソルフェジオの周波数」と同じ神に語りかける「呪文」でもある。  せめて今回は日本語で名前を付けたい、「アマテラスの周波数」とでも名を付けて置こうか…!!!。その名前の起因になるものが、実は古神道にシッカリ存在しているのである。それは「世界中の人々」は決して逆らえない真実の数理と言ってもいいものである。

 何故ならば、「ソルフェジオの周波数」である174630285の全ての本質は3であるが、「アマテラスの周波数」の本質はすべてがであるからである…!!!。 要するに、「アマテラスの周波数」「ソルフェジオの周波数」より格が数段上と言うことなのである。

 

③  今度は右下がりの対角線を見て欲しい、そこには162738405と流れる「ひふみ九九算表」の6番目の数列が流れている。 よく見るとそれに沿って斜めに並ぶすべての数列はこの162738405の9ヶの数の変化態の数列であり、加算して36となり、その本質は0である。要するに、これらすべての数列は本質0を持って存在している数列,すなわち、「シラブル数」と言うものである。 この「シラブル数」とは正しい秩序を持つ本質0の数列のことであり、私がその名付け親でもある。

 

④  もう一度、ジックリと検証すると、ここにある縦の9ヶの数列、横の9ヶの数列はこれまた、すべて本質0になる無限循環数列であるのが解るはずである。

 

⑤  もう片方の「斜めの対角線数列」、すなわち、174174174の9ヶの数から成り立つ数列は加算して36になり、本質は0となっていることも解るであろう。 また、その隣の数列は630630630は9ヶの数の集団であり、加算すると27であり、本質は0になる。更にその隣は285285285の9ヶの数の集団であり、その合計数は45であり、その本質は0となるものでもある。

 

まだ、これで終わったのではない、ここまでは平面から円筒形と言う立体的な形になったものの内容説明である。 ここから、また大きな進化、宇宙の本質的な展開が始まり、超立体、すなわち、ド-ナツ型の宇宙の誕生へと繋がるのである。  

要するに、ここまでは現在の我々の自然宇宙と言う物質の基本態が誕生したと言うことであり、ここから本当の「 自然真実世界」の形成が始まるのである。

 

さて、今までの作業は最上列と最下列にあるまったく同じ数列を重ねて円筒形を作ったのであり、平面が立体になっただけの一次的な変化である。

今回は更によく見て欲しい、これは次の変化、すなわち、超立体となる2次的な変化と言うものを説明しておこう。

改めて、この平面図の左右の端にはまったく同じ数列が並んでいることを見てもらいたい。さてお解りであろう、そうである、右と左の端にもやはりまったく同じ数列が並んでいるのであり、今度は次の段階として、その円筒形の端と端にある同じ数列を重ねる。するとそこには超立体な円筒形が誕生することになるのである。それがド-ナツ形と言われているト-ラス体の姿であり、その形そのものなのである。

その上で、これらの「数の流れ」を読めばそこにある全数列、すなわち、縦9ヶ、横9ヶ、左下がりの「斜め数列」の9ヶ、右下がりの「斜め数列」の9ヶ、合計4×9ヶ、すなわち、36数列のすべては完全な無限循環数列となって活動を始め、我々の住む自然宇宙体(ド-ナツの形=ト-ラス体)を作りあげて永遠を歌っている姿が現われて来るのである。

 

要するに、ここにある①縦、②横、③右上がりの斜め数列、それに④右下がりの斜め数列の4種類の数列は、それぞれ決まった位置を守って無限循環を重ねている宇宙のエネルギ-の姿なのである。その流れが形づくっているのは、まさに構造体としては最も強固とされる8角形、すなわち、カゴメ(籠目)の形よりも更に強固な8角形の形であり、それを編みあげているエネルギ-体の姿でもある。

 

 まさにこの4種類、計36ヶの万物創造のエネルギ-こそがト-ラス構造の宇宙自然の生みの親であり、育ての親だったのである。

 

 それにしても驚いた、「アイウエオ五十音図」が5×10のスパンを持つ「現実の世界(この世)」を表し、その連続している隣には同じ5×10のスパンを持つ「見えない世界(あの世)」が確実な形で存在していることがこんなところで事実検証がなされるとは…!!!。 
 これはまさに次元を貫く世紀の大発見であり、まさに驚き、驚き、驚きのものであり、驚きのの3乗と言うものである。

 

まあ、あなた方もこの方式で円筒を作り、まずは上下を重ねて検証して見ることである。すると下にあった数は瞬間的に上に移り切れ目のない数の循環が始まるのである。また、右と左の同一数を重ねて同じように円筒状にすると今度は左端にあった数は右に移って数列はたゆまなく秩序を持って進んで行くのである。要するに、2方向が有限的な平面上では数列は切れていて繋がってはいないが、円筒形にするとそれは同じ秩序をもって繋がって進んでいくのである。しかし円筒形でもまだ、一方向は有限であり、端に行けば数列は切れてしまい進むことは出来ないのである。そこでまた、最端にあってそれ以上進むことの出来ない数列は、今度は上下を重ねて超立体、すなわちド-ナツ形にするのである。すると、今度は四方、八方ですべての数(エネルギ-)は繋がって「完全な無限循環」に入ることになるのである。

 要するに、この前後左右と二つの斜めの、合計4種類×9ヶ、計36のエネルギ-の流れを寸断せずに無限循環を果たし、満足させる形が超立体形のド-ナツ形、すなわち、ト-ラス構造なのである。例えば、斜めの数の循環を追うならば、右下がるの斜め数の場合には174,630、285等の判別しやすい数を上下、左右と何処までも追いかけるがいい。
 また、〔2〕の「アイウエオ」を横に置いた場合の右下がりの斜めの数列を追いかける場合には解りやすい 222…、333…、444…等の同一数の並びをどんどん追いかけるのである。

ただし、この場合の形は縦と横は同一寸法なのである。それは丁度、リンゴの形の真ん中をくり抜いて穴を開けた形である。それが我々の次元宇宙の本当の姿である。 驚いたことには、それとまったく同じ事を最近の宇宙物理学者達は言っているのである。 まさに、驚木、桃の木、サンショの木であり、お口(くち)アングリである。

 

 また、もう一つの〔2〕の「アイウエオ五十音図」に「ひふみ天地の数歌」を横に置いた場合の図については、まったく同じ手法で検証して見てもらいたい、すると、まったく同じ結果が現われてあなた方を十分に楽しませてくれることになるからである。これらの仕組みを言えば、すなわち、最先端物理学の「ト-ラス型」理論、あるいは現代数学理論の「リ-マン面」の実際的な検証、あるいは実証そのものと言ってもいいものである。 要するに、これら二つのバイプル-フ(傍証)により完全な真実証であることを自然はいみじくも語っているのである。

  (あまりの反応の無さに驚き、改めて追記する。信じられないのであろうか、それとも難し過ぎるのであろうか、悩みに悩む!!。そこで次の言葉を付加して置くのでもう一度じっくりと考えて戴きたい。…平成27年12月12日)

 
 要は簡単である、説明通りにこの世(見える世界)の10×5の数表と隣の「あの世(見えない世界)」の10×5の数表、合計10×10の陣を作り、説明通りの「ひふみ…数」を入れるだけである。その上で、次には数の通りをジックリと確かめて見て欲しい。例えば、数が左右に至って流れが途切れたならば、今度は左右を重ねて「そこにある数列の秩序ある流れを追いかけて見るのである。 次に数が上下に至って流れが途切れたならば、今度はその上下を重ねて「その数の秩序ある流れ」を再び追いかけるのである。 すると、上下、左右のすべての「斜めの流れ」、すなわち「神の数列」は完全な連続数となって永遠なる循環を始めるのである。それがすなわち、最先端物理学の「ト-ラス」を形成するエネルギ-の流れの姿なのである。 
 要するに、平面、あるいは立体だけでは四方、八方のの流れを観察するのは不可能であり、それを可能にするのが超立体的なモノの見方が必要なのである。いや、超立体的な存在だけがそれを可能にするものであると言い直したい。 あなたが次元的な成長を望むならば、あるいは高次元の世界を垣間見るためには、どうしても平面思考から立体思考、更には超立体的な思考が必要なのである。 現在のようなフラットな「数学知」ではこれ以上の真理探究は無理と考えている。まあ、何も言わずに、言葉通りのものを作って見ることである、するとそこには世界中の物理学者や数学者達が肝を潰すばかりの見事な珠玉の超次元体が姿を現すことになるから…!!!!!。
   


 
要するに、これらの工程を経たあとで、ジックリと数の流れを見るのである。すると数は9ヶのブロック(集合体)に至ってすべては0に収斂されることに気がつくであろう(「9次元世界」だから)。
 要するに、この我々の「九次元世界」はそのような仕組みによって作られているのである。そのあたりは「ひふみ九九算表」からも十分に予測されることである。出来れば、同じ手法をもって「ひふみ九九算表」を改めて検証して見ることを勧めたい。


 
 しかしながら彼等、すなわち、白亜の学び舎で西洋の学に振り回されている学者達は決して認められないものであり、完全に無視するものであることを知ってほしい。

 なぜならば、遥か昔に、そのような大叡知が存在したとは信じられないからであり、また、信じた場合には、今までの人類の歴史は基礎から完全に崩れ去ってしまうことになるからである。

 

  これらのことについては天明さんも言っていたはずである。

 

 ●「横にはウクスツネヌフミユルウの十柱ぞ。縦にはアイウエオの5柱、結構じやなあ。横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ、この方は見えんのであるぞ。顕れは神示じゃ。よく相談し合って結構致しくれよ」。

 「神の御手に巻物があるぞ、その巻物の数は50巻じゃ、この巻物を見た者は今までに一人もなかったのであるぞ、見ても判らんのじゃ。巻物を解いて読もうとすれば、それは白紙となってしまうのであるぞ、人民には判らんなり。説くことは出来んなり、この巻き物は天の文字で書いてあるぞ、数字で書いてあるぞ、無が書いてあるぞ、無の中に有が記してあるぞ。心を無にすれば白紙の中に文字が現われるのであるぞ。」

● 「反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりじゃ、合流するには立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなる。」

●そなたは現実世界のことばかりより判らんから、現実のことばかり申して、一に一たす二だとのみ信じているが、現実界ではその通りであるが、それは平面の見方、考え方と申すもの、いくら極めても進歩も弥栄もないぞ。1 に1たす1の世界、1に1たす無限の世界、

超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならん。

●そなたは心を持っていろうがな、 心があれば心の属する世界の道理がわかるであろうが。 心で描いて、心でまず作り出してから行為することも、その順序も判るであろう。

なりなりてなりあまれるところもて、なりなりてなりあわざるところをふさぎて、くにうみせならんぞ。このよのくにうみは一つおもて(面)でしなければならん。みとのまぐあいではなくてはならんのに、おもてを一つにしていないではないか。それではこんどのことはじょうじゅせんのであるぞ。

 ●そなたは平面立上を行っているから、中道のつもりで、他に行く道は無いと信じているが、それでは体の足らんのう、立体の道を早よう悟りなされよ、正中の大道あるのであるぞ。左でもなく、右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。 左も右も、上も下も相対の結果の世界じゃ。原因の世界に入らねばならん。平面より見れば相対あるなれど、立体に入り、更に複立体、複々立体、立々体の世界を知らねばならんぞ。

 ●自分と自分を和合せよと申したが、肉体の自分と魂の自分との和合が出来たら、もう一段奥の魂と和合せよ。更に、また奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。

 ●世界を一つにするのであるから、王は一人(秘答理)じゃ。 動きは二つとなるなれど、二つではないと動かんのじゃ。気は気の動き、身は身の動き、動いて和するのじゃぞ。和するから弥栄じゃ。和すれば一つじゃぞ。そなたは自分と他との境界をつくっているなれど、境界つくってはならんぞ。境界をつくらずに、おのずからなる自他の別を生みださねばならんぞ。世界一家のやり方間違えて御座るぞ。   …(世界一家=現代西洋科学)…

 ●清めるとは和することであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和することによって新しきものを生むのであるぞ。

 また、「この道はスメラが道ぞ、スメルミタミの道ぞ。3千年や5千年の近目では判らん」とある。要するに、これは数万年も前の神代の神々の知識であると言っているのである。

 

 これらは現代人にとってはまったく意味の判らん「月光の巻」からの抜粋である。このあたりの言葉を解釈しては引用する者はまったくいないといってもよく、誰も食いつくことが出来ず、音を上げているような難解なフレ-ズである。 この意味については今回の「アイウエオ五十音図」をシッカリ紐解いて、理解が出来ない限り、金輪際解けないものと言っておこう。

 

それにしても、天明さんは偉い、まことの日本の誇る語り部であることは私が保証する。 それにしても日本の国は面白い国であり、まさに不可解極まりない知の歴史を持っている国である。  まさに弥栄、大弥栄の国である。 ああ、目出度や、目出度や…!!!。  

                                                              ≪今月の記(2015年11月) 完≫

 

 

「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その12)

       ≪「現代数学」の知を傍らに置けば

          それは誰にでも解る来る簡単なものである≫ 

                                              2015年12月上載 



 ここに来て、私は本当の馬鹿であることにハタと気がついた、それは、いくら私が説明し頑張っていろいろと説明しても基本が出来ていなければ何も理解が出来ないと言うことである。それに改めて気がついたのである。 とにかく、改めて「基本の形」からもう一度始めて見ようと思う、それが今回から始まる何回かのシリ-ズである。

いくら気を張って様々な超知識の存在を教えようとしても基本になる知を知らなければまさに猫に小判のありさまであり、意味の無い戯れに過ぎないものでもある。一時的な気紛れ、あるいは斬新な言葉に惹かれて集まり、会話を交わしても、後に残るのはただ空しい感じだけである…!!?。 そこには何時も堂々巡りがあるだけであり、一つの偽りの仮面世界が広がっているだけである。要するに、これでは本格的な知の成長などは夢のまた夢なのである。

 

本来の「宇宙の真実」と言う極めつけの理を学んで初めて「天の理」、「神の律」の存在が理解が出来るのである。そのための手引きの知となるものがこれらの基本の知であり、宇宙普遍の知と言うものである。 それらを獲得しない限り、あなたは自由自在に「神の仕組み」を解いたり、新たな宇宙のマトリックス等に挑戦が出来ないことを知ってほしい。 とにかく、「数の基本態」だけは押えていてほしい。それが理に合わなければ自分で考えて理に合うように考えることである。

要するに、猫に小判から今度は改めて猫に鰹節に変身可能となるもの、それがこれから数回にわたって説明する「宇宙の基本知」であり、未だ人類が知らない「宇宙普遍の知」と言うものである。
 恐らく、これらのことを知っている者は今のところ世界の何処にもいないと思う。 とにかく、出来るだけ早く、それらを身に付けて縦横無尽、かつ自由自在な思考力をもってこの「数の世界」の探索に乗り出して貰いたい。

 

現在、いくら現代西洋知が巾を効かし、全世界を圧倒してもこれらのこれらの基本知を知らない限り、実体のない単なる影に過ぎず、いくら自然を追求しても自然の実体を掴むことは叶わない。その証拠が、すなわち、現代西洋科学がやっと追いつめた自然の姿とは単なる複雑と混沌の言葉で終わっていることであり、それ以上の進歩は無いことからも判るであろう。要するに、現代西洋知で自然を解明することは到底不可能と言うことである。

そのあたりのことを念頭に置きながら、人類の未だ知らない「宇宙普遍の知」、「宇宙の一般常識知」と言うものを改めて、慎重に一つづつ身に付けてもらいたい。

 

これは新たな自然の心を解明するための出発点であり、永遠なる自然回帰の「仕組み業」を求めて人間知に組み入れるための一里塚、いや一理塚として是非学んでもらいたいと言うことである。
 これは私の最後のお願いであり、あなた方の新たな旅立ちへの祝福メッセ-ジとして残しておくものである。

 

 

あなた方は、1+3=4、 2-2=0、 1-3=-2と言う現代数学の数計算は正しいものであり、例え、天地が裂けようとその真実はも変わらないと思っているであろう。

 

しかし、考えて見るがいい、大自然にはマイナス(-)と言う自然象は切無い。 いくら探しても、いくら考えを巡らしても自然の中にはまったく見当たらないのである。

 マイナス(-)と言う概念、それは現代の学者が苦し紛れに生みだしたトリッキ-な概念であり、よかれと思って作ったバ-チャル的な計算プログラムと言うものである。

 

  それをあくまでも正しいと信じて自然の解明に用いているので、あるべき「自然の大律」、「自然の仕組み」などは少しも判らず、とどのつまりは複雑、混沌ですべては終わってしまっているのである。  要するに、本当の自然のあるべき答が出せず、苦し紛れの答が複雑とか混沌の訳の判らない言葉となって、人々の心を迷わせ、苦しめているのである。複雑とか混沌、考えればまことにおかしな言葉であり、あるべき答とは言えないものである。

 

そもそも、「現代数学」は人間の作りあげた『欲望の数学』であり、大きな数、より大きな数を求めて無限に伸びる「10進法」が基盤となっているものである。

我々の持つ10進法と言う計算法は自然から見た場合には整合性に欠ける計算法を持つ欠陥数学、不完全数学であることは歴然としているのであるが、誰も気がつかないのであり、気がつかない振りをしているのである。何故ならば、それに代わる新しい数学の種、すなわち新しい計算法の存在はまだ見出されてはいないからである。

だから、その事実を未だ誰も言い出すことも無く、知ってはいても完全に知らん顔をしているのである。現在、先端の物理学者達は現代数学の不完全性に薄々気がついて新しい数学の種の出現を待ち侘びていると言われている。 何故ならば、その新しい数学の種の出現が無い限り一般相対性理論と量子物理学は結び付かないからである。その二つが結びついて初めて待望の「自然界の大統一理論」の誕生が可能になるものであり、人間知がそこで初めて完全に自然知と一致したものと言えるものである。

 

恐らく、私がその「現代数学」の欠陥を指摘する嚆矢となる人類初の不埒者であり、これからは非難の渦が轟々と湧き起こって来ることになるであろう。

当分の間、世人から愚を絵に描いた笑い者、または愚か極まりない変わり者として激しく指弾され、冷たい目に曝されてただ蟄居の憂目に合うのは間違いは無いことであろう。それでも私は声を大にして申し上げたい。

 「現代数学」は不完全数学であり、欠陥数学でもあると…!!!。

 

見るがいい、我々の用いている「10進法」はより大きな数を求めて10、100、1000、万、億、兆。京、…… と走り、無限へと繋がろうとしている。 それは更なる物質、無限の物質を求める「欲望数学」と言うものである。 何故かと言うなら、我々の本体は肉体という物質的な衣を纏っているが故に、物質世界に真っ先に目がゆき、結果として、物質的な要求が最優先しているからである。これは一つの意識の錯覚的な思い込みから始っているのであり、恐らくは近い将来是正されることになるであろう。

 

一つここでジックリ考えて見ようではないか…!!。我々と言う存在の主役は果たして本当に物質的な肉体であり、体と言う存在なのであろうか…。

果たして、肉体が主で意識、心と言うものはそれに従う付属的な存在なのであろうか…!!?。

いや、ジックリと考えて見ると、ボデイそのものは意識、心が支配している単なる従属体(ロボット)であり、その主役となる本体は意識、心であることに気がつくであろう。要するに、思考形態と言うものがどう言う訳か何処かで逆転してしまっているのである。

本来、我々の本体は意識、心であり、それに従属するものがボデイ(肉体)であるべきである。そこから考えると、やはり、意識を主体とした意識に重きを置く「学知」を学ぶべきであり、意識性を持った対象にもっと心を向けなければならないと言うことが判るはずである。

 

考えて見るがいい、確かに「神」である宇宙意識は意識的な存在であり、それ故に、物質的なものには全く関心が無い。すなわち、物質が沢山あろうが、まったく無かろうが一切興味はないと言うことになるのである。だから、物質的な存在がであろうが、無限であろうが少しも意に介さないはずである。

 ところが、現在、我々人間は物質的な存在と思っているので、物質的な存在のみに惹かれるのであり、物質的な現象に興味を持ちたがる傾向にあるのである。

何故であろうか…!??。

 それは要するに、我々は自分達の存在を誤解し、意識的な存在ではなく、物質的な存在であると思っているからであり、単に見た目で考えているからである。 それは深い真剣な考察等を経たものではなく、単に便宜的な経験を経て培われて来たものである。 改めて言いたい、本来の我々は心、魂が主であり、肉体はそれに従う従的な存在であり、それが自然の真実であると…!!。

 

 その事実は「現実の世界」と不可分な「あの世」の存在則を経験して初めて判るのである。 いや、もとへ…、「この世」と「あの世」の存在を考えることにより、「数」が教えてくれるのである。 物質欲がはびこっている今の「現実の世界」ではよほど思索に耽けらない限り中々そこまでは判らないのである。

 

考えて見るがいい、例えば、あなた以外の人間はすべて死に絶えて、世界で残ったのはあなた一人と仮定しょう、すると地球上のすべてのものはあなたの所有物であり、どのようにでも出来ることになる。するとこの場合、あなたは物を数えたり、物をもっと欲しがったりするであろうか…!!?。

その場合は最早、あなたは物を数えたり、欲しがったりする必要はまったく無いはずであり、物質欲などはまったく無くなるはずである。 なんせ、物質性のものは扱うことは出来ず、従って興味も湧かないからである。

要するに、あなたは物欲からは完全に解放されたのであり、欲しいと言う気持ちは完全に失われてしまっている状態になっている言うことである。

何故なら、すべてはあなたの所有物であり、どのように扱ってもいいものだからである。 しかし、そんなことには最早あなたは執着しないであろうし、綺麗さっぱり忘れていることであろう。
 それが「あの世」であり、物質的な体を捨て去った「精神的な世界」とまったく同じ状態と言うものである。 物質性(肉体)を失った者は、もう、物質には興味は何も無く、精神性のみに惹かれ、意識の世界に生きることに懸命になっていくのである。ひょっとすると それが一つの魂の昇華と言うものかも知れない、または、次のステップへの準備期間になるものかもしれない。そのあたりのことは「数」に問うて、真実を聞き出すしかない。

 

さあ、冒頭の問題に戻ろう、1+3=4、2-2=0、1-3=-2、 これは現代数学の答えであるが、果たしてこの答は正しいものなのであろうか…!?。

 

恐らく、今の今まで誰か、「現代数学」の計算手法に疑問を持った者はいたであろうか、ただ、我々は正しいと教えられてきたので正しい答であると信じて来たのであり、疑問を持つことも許されなかったのである。

要するに、すべては「こうすればこうなる」、「理屈はいらないから、そのように覚えなさい」と言われて覚えたものである。

例えば、「マイナス×マイナス=+(プラス)」であり、「虚数i(アイ)の二乗は-i」、「0は偶数でもなく、奇数でもない、特別の数である」。「0の階乗=1」、「9÷0=0」などであり、まことに不合理に満ちた人間的な知であり、欺瞞に満ちた数の語りと言ってもいいものであろう。

 

ハッキリ言えば、あなた方が知っている「現代数学」は生きている自然的な数学。有機的な数の語りではなく、単なる見かけ上の数字の寄せ集め、表面上の整合性を求める人間の学に過ぎないものである。それは合わないところを無理に合わせた人間世界だけに通じるロ-カル的な学問に過ぎないものであり、宇宙の普遍的な知とは程遠いものである。 そのあたりのことを今後、追々説明していく積りであが、果たして理解してもらえるであろうか…!!!。

本来は、自然の懐を探り、そこにある理を糺して、その結果を人間知に組み入れることから始めなければならないのであるが…!!?。しかるに、我々の知にはその過程がまったく無かったのである。

 

要するに、現代知は自然の仕組みを解くためには少々場違いな学であり、それを用いて自然の本当の姿を見出そうとしても、簡単には解き放つことは出来ず、結果的には複雑、混沌で言葉を濁しているのと言うことである。

 

もっとハッキリ言えば、本来は「現代数学」は「普遍の真実」、「自然の持つ法則」を追求するために始まった学であるが、最初の一歩に間違いがあったのでそれが不可能になってしまったのである。要するに、人間の手の指が10本あったので便宜上それを用いて10進法と言う一時的な計算を作り上げたと言うことであり、それがそもそもの間違いの原因なのである。

それを何とか曲がりなりに積み上げて現在に至ったモノ、それが「現代数学」の本当の姿なのである。

 

例えばである、0について考えて見よう、現代数学で意味する<0>とは「無」、「空」、「何も無い」ことであるが、「神の数学」においては正(プラス)に作用するエネルギ-と逆(マイナス)に作用するエネルギ-が打ち消し合って中和エネルギ-である別な形の潜在エネルギ-、見えないエネルギ-となって偏在しているものである。

すなわち、それはエネルギ-としては完全な静止状態にあって不可知の「極小値」でありながら、同時に「最大値」と言う姿を見せているものである。

それ故に、<0>エネルギ-は無限大であり、無限小でもあると言えるのである。

それを示しているのが古代インドの数学であり、そこにはは空、無を示し、同時に、満杯を示すと記されている。これはまさに0=9を表すものである。
 しかし、「現代数学」にはそれらのことが一切無い、ただただ、0は空、無であるとの一点張りである。 まあ、直線数学の形態であるからそれも仕方が無いのであろう。しかし、それではあるべき自然真実は決して姿を見せないのであり、自然の謎として永遠に残ってゆくだけである。

 

大変面白いことなので、この話をもう少し話を進めて見よう。

古神道から現れた数には0123456789がある。ただし、これは直線式(直線数学)で表されているものである。これを循環式(神の数学)で表した場合は0=9の定理を用いることにより、0123456789(0)となるものである。 要するに、9が消えて0が残るのか、それとも9はそのままであるかの2者択一でもいいのである。

 

要するに、これを循環式で表した場合には最初と最後は完全に結ばれて一つのものになるのであり、0=9が成立することになるのである。

すなわち、最初と最後はまったく同じものなのである。それが、現代の数学者達が逃げ出している0=∞(無限大)であり、無限小=無限大の言葉、すなわち、0=9なのである。 また、それは西洋のヨハネの黙示録でも示されていることも知ってほしい。  神は言った「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終りである。」と……。

一つそれを図で示そう。

 

次に示すものは0=9の証明アラカルト、すなわち、色々な0=9の証明法である。 洞察力を最大にしてジックリ考えてもらいたいものである。すべては自然の数の物語であり、その仕組み業である。

 
 

 

  
 

これらの図はまさに自然的な様相を持つものであり0=9については誰でも納得のいくものであろう。一本のひもの片端が0であり、他方の端が9の場合、それで円を作ると当然その接合点は0であり、9でもあると言う当たり前のことである。何てことは無い、3才の幼児でも判る簡単な道理であり、何処から見ても当たり前の自然的な理論なのである。
 しかし、現代の学者達はただただ恐れ戦いて逃げ回っているだけである。0=9、無限小=無限大の何処が理屈に合わないのか、これをクリア-しない限り「現代数学」には明日がないのである。 是非、考えてほしい…!!、 何も無理は無いものであり、判らないと言う方がおかしいのである。

 

別に何も不思議なことではない。あなた方が普段見慣れている時計の針でも同じことである。それは、要するに、始点と終点は同じであり、12時と言ったり、0時であると言っているではないか…!!。

 

信じられないと…!!、ではもう一つ、簡単な0=9の証明を行ってみよう。 それは次にあるまさに自然的な証明であり、誰も逆らうことは出来ない仕組みを持って我々に挑戦しているものである。さあ、これにNOを唱えて自然に逆らって見るがよい…!!。

それでも疑いのある御仁はその後の6次元体、7次元体、8次元体を調べるがよい。ただし、どう言う訳か、3次元体、6次元体、9次元体は9を用いる方が通じやすいのである。何故なのかその理由はまだ解らない。

 

  
 


 

中心を点対称とした二つの対極位置にある数を加算して見て欲しい。それは次のようになる。

 

(1+7)、(2+6)、(3+5)、(4+4)、(5+3)、(6+2)、(7+1)、これらすべての答は8である。では次に行こう。 次は(8+9)であり答は17になるのであり、どう見てもではない。

 要するに、ここで共通答の8になるのには相手の数は0でなければならず、17では完全に失格と言うものである。故に、9=0が飛び出してすべてを丸く納めるのである。

 

要するに、ここで「10進法」は無残にも敗退したのである。何故ならば、の次の数はではなく、でなければならないからである。

しかし、古代の人々は賢明であった、何故ならば、かれらはを利用して次のように答を纏めていたからである。彼等は頭の固い現代人より遥かにイマジネ-ションが豊かであり、機知に富んでいた人々であったことが判るのである。その事実は古代バビロニアの占星術やカバラの数秘術などがもっている。彼等の数の歩みには決して二桁の数は無い、すべて一桁のみがあるだけである。 また、あなた方は知らないであろうが、古神道の奥儀祝詞も同じように一桁で終わっているのである。 要するに、古代の算法はすべて一桁で始まり、一桁で終わっていると言うことである。

要するに、(8+9)=17、1+7=8  よって(8+9)=17=8と断定したのであるが、恐らく、今では完全に忘れ去られたのであるが、そこには何らかの自然的な証拠があったのであろう。

 

しかし、何故、17を1と7の個数に分けて加算したのであろうか…!!?果たして、偶然によるものであろうか…!?。それとも何らかの失われてしまった叡知が存在したのであろうか。今更、それを探る術はまったく無い。 ただ結果だけが残っているだけである。

 

ただ、ここに掲示してある例題、すなわち「4次元法陣表」だけの開示だけでは、あなた方も偶然とか、たまたまそうなったと言うことを想像して不信感を抱くであろう。そこでもう一つ念のために「5次元法陣表」を用いてもう一度更なる検証を行って見よう。十分な検証を行ってもらいたい…!!。

 その3

    

  

これもまったく同じ事を示している図である、検証するがよい…。また、それでも疑問が残るならあなたの手で次々と続く他の「次元法陣表」をまさぐって調べるがよい、すべては同じ事を囁き、同じ事を呟いていることが判るであろう。これらすべては真実の「数の囁き」であり、自然の持つ「天の叡知」の囁きと言うものである。

 

また、前に述べたように3次元法陣表、6次元法陣表、9次元法陣表は9を用いることにより全体的な解決に至るようである。そこにはどのような「神の秘密」が隠され、偉大なる神のメロディを奏でているのであろうか…!!。

まことに、面白い「数の理」でありが、まだまだ解決すべき問題は多いのである。

恐らく、これは宇宙の創成と同時に始まった神の真理の囁きであり、宇宙が終わる時まで決して変わらない永遠の囁きを呟いていることであろう。

 

一体、そこには何が語られているのであろうか…!??。

悲しいかな、老いた私にはこれ以上、奥に踏み込むには少々時間不足であり、能力不足の感が否めないのである。ただ、後はあなた方に万事を託すだけである。

 

さあ、もう少し、老躯に鞭打って世間様に訴え無ければならない。このままでは本当に現代文明は完全に壊死し、姿を消してしまう危険性があるからである。

何とかそれだけは避けねばならない。私が何年にも亘って訴えても、悲しいかな、まだ大勢の人々が0=9を疑問視して嘲笑しているのであり、その経緯(いきさつ)の一切が判らないと嘆いている御仁達も大勢いる現状である。しかも、何故か現実には高学歴な方々が多いのである。 要するに、現代の学を背負っていると自負している知識人達は頭から否定し、すべてを論外と断じて完全無視の状態にある現状である。

 

考えて見れば、小学生にでも判るような他愛の無い「数の走り」であり、「自然の理」を図にした甚だ易しいものなのであるが…!!。 何故か、彼等には理解が不能と言って、腕を拱(こまね)いているだけである。

しかし、当世の学の鼻高さんには理解できない不遜極まりないものであるが、場合によっては現代の学に風穴を明けて沈め去るようなとんでもない代物となるものかもしれないものである…!!。
 いや、ひょっとして、現代知のパラダイムの転換を起こす起爆剤になるものになるかも知れない。いや、これは脅しでござる、いや、そうかな…!!?。 私は単なる形而上学的な真実,すなわち、9=0を申し上げた積りであるが…!!。

 

 

さて、この続きの次元表をシッカリと検証することをお願いしたい。

それをジックリと行うことにより0=9の仕組み以外にも面白いアンチ(アンタイ)現代数学的な自然原理を見出すことになるかもしれない…!!。

または、現代知には無い偉大な「未知の法則」を得ることにより、より高い次元の高度な知をもつスピリット達との交信手段を得ることになるのかもしれない…!!。

それにより我々は永遠なる叡知を得て、一気に高次元世界に突入することも可能になるのかもしれない…!!。
 
 すべては宇宙自然の数学、すなわち、「神の数学」とこれからのあなた方の努力にかかっているのである…!!。

 要するに、現代文明の如何はあなた方の双肩にかかっている、あなた方の眼力次第で現代人類の進むべき道は決まるのである。シッカリ目を見開いて、正しい方向を選択してほしいと申し上げているのである…!!!。

                                                             ≪今月の記(2015年12月) 完≫



 

「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その13)

       ≪「現代数学」の知を傍らに置けば

          それは誰にでも解る来る簡単なものである≫ 

                                              2016年1月上載 

 

今回のメインテ-マ-はあなた方現代人の知らない宇宙普遍の大いなる「愛の叡知」の存在であり、それを知らない限り宇宙自然の真理、真実は決して解き明かすことは出来ないのである。ただ、皆さんは人間的な「愛」に引きずられて、「愛」を説明しようとしているだけであり、真実の愛、すなわち、宇宙普遍の「真実愛」の真実を知る者はいまのところ誰もいない。

 ハッキリ言えば、宇宙自然の森羅万象は「この宇宙愛」で結ばれているのであり、それ故に、未来永劫にわたって存在可能なのである。「この宇宙愛」とはすべては平等と言う愛であり、普遍的な繋がりを持つ博愛と言う愛である。

また、これは宇宙自然の持つ「基本原理」一つであり、「宇宙原理知」と呼んでもいいものである。

 まずは、その「宇宙原理知」とは宇宙意識(神)の持つ考え方(法則)であり、すべてのものの秩序、調和を図るための大律である。その存在は万古普遍の(不易)の姿で永遠にわたって森羅万象のすべてを包み込んで従わせているものである。

 一方、「人間知」、すなわち、人間の常識、理論、法則などの知は時代と共にの次々と新しく移り変わり、刻々と姿を変えていくものである。要するに、最終理論と言われても、100年も経たない中に別な新しい理論にとって代わられるのが常である。

我々人類は「神の知」、すなわち、「普遍なる宇宙知」を求めて発祥以来さ迷い続けている。何故ならば、知の限りを尽くしてそれらしきものを見出しても、悲しいかな、それが果たして、「宇宙普遍の知」なのかどうかを判断するスタンダ-ドとなる規範を今のところ持ってはいないのであり、故に検証することがまったく出来ない状態にあるのである。

そこでこのシリ-ズでは完全なる自然規範、すなわち、≪自然のスタンダ-ドな規範理≫の存在をあなた方と共に探して見ようと言うのである。

 

要するに、これらの≪自然のスタンダ-ドな規範理≫の存在を「数」が教えてくれるものであり、それを我々は真実か、否かを検証すればそれでいいのである。

とにかく、「数」を信じてついて行って見ようではないか…!!。

 

それらは人類始まって以来、誰も知らず、誰も考えたことも無い「宇宙知」の事実であり、我々の現代西洋知などでは到底、理解が出来ないものである。

これらを知ることによって恐らくは、「宇宙意識」と「人間知」の間に立ちふさがる厚い壁を取り外すことが出来、「宇宙意識」と「人間知」の融合が少しは進むことになるのではないか…!!。 それを我々は願うだけであり、今はただ、それを望むだけである。

 

  宇宙自然の象はすべて〝偶数〟により成り立つものであり、決して奇数(単数)と言うものは無い…!!。

 

「そんな馬鹿な、奇数があれば偶数もあるのである、それが自然である…との声が上がるのは当然であろう。しかし、待ってもらいたい。

現代物理学上には「自然宇宙は偶構造であり、奇構造は無い。すべては偶構造で成りたっている」と言う理論もあることを、あなたはご存じであろうか…!!。

 確かに、物象は二元で成りたっているが、一元で成りたっていると言う一元論もまだある。また、多元論もあり未だハッキリした決定打は現代物理は持っていないのも確かである。 要するに、現代科学では確かな論証は未だ見い出すことが出来ないいのである。

 そこで、この問題を「数」に聞いて見たのである。すると「数」は見かけ上の奇数はある、しかし、本質的にはすべては偶数から成り立っているのが本当の自然の姿であるとの答を出して来たのである。

恐らく、この「数の語り」は「自然は正反対称の偶構造」により、構造化されていると言う現代物理学の「統一法則物理論」の正しさを証明するものとも考えられるものでもある。

要するに、これらは自然界には単独の存在や奇数的な存在は一切無いと言うことをハッキリと歌っているものであり、我々の想定している自然の事実とは大変異なり、考えさせられるものである。恐らく、あなた方も首をかしげて、さぞ迷うことになるであろう…!!。

 さあ、これからその論理の正しさを「神の数学」で証明して見ることにする。

  何故、奇数が存在するのか…!?、奇数とは一体どのような姿を持ち、どのような状態にあるのであろうか…!!。それについては誰でも知っているものであるが、また、誰も知らないものでもある。何処かおかしいかな…!!?。

  今回その秘密を解き、実証を介してその真実の姿を見て見ようではないか…!!。

しかし、疑問は残る、それは「何故、それは一つの完全性をもたらし、なおかつ、宇宙知と同化した状態に納まっているのか」…??。また、「何故、それは宇宙知と共鳴して完全なる調和と秩序をもたらしているのであろうか」…??。

 それに関しては今のところ、私にも何も解ってはいない。残念ながら…!!。

  しかし、ここに絶対的に心得て置かなければならない一つの検証則がある。しかし、その事実については現代人の誰も知らない、想像もしてはいない。

  それは次のものである。

 ≪絶対奇数数列の場合、すなわち、奇数態である中心をダブル化することにより、全体を偶数態としなければならない。≫

 

これはまだ、人類の知らない宇宙の大哲則理であるが、少々言い方に難があり、判らないかもしれない。いや、あまりにも常識に外れているので、十分に理解するには時間がかかると言うべきであろう。この理とは、すなわち、「ものを二つに分ける場合、すなわち、「2分割」についての宇宙意識的な見解は我々の持つ「2分割」の概念とは大きく違うと言うことである。

 

これまで人類の行って来た2分割の仕方とは、すなわち、物を平等に2分割する方法は完全なる2分割、すなわち、それは誰が見ても疑いの余地の無い公平で当然な方法であると今まで考えられて来たものである。

例えばである、3÷2=1,5であり、何処をとっても非の無い公平な答である。しかし、宇宙意識(神)は正しい答は2であると言うのである。

 

あなた方も不審に思うであろう、そんな馬鹿なと思うであろう。

私も最初は同じ思いであり、散々手こずっていたものである。やはり宇宙意識(神)でも誤りがあり、とんでもないことを平気で言うものであると…!!。

 

しかし、その考えは「神の数学」の「神の法陣」の出現と共に微塵に砕け散ってしまった。何と、それは人間的な分割法をもってはどうあっても解決不能であり、宇宙意識(神)の持つ分割方法を用いない限り本当の答は出ては来ないのである。どれをどのように処理しても我々の持つ人間的な分割法では決しては正しい答などは出ては来ないのである。

 

要するに、我々の持つ「2分割」の概念には「愛」の姿は微塵も無いのであるが、宇宙意識の持つ「2分割」手法には「愛」は元より、「秩序」、「調和」が無限にわたって流れて安定化に繋がっているものである。しかも、それは常に宇宙意識(神)の心と繋がっている有機的な姿であり、なおかつ、大いなる意味を持って鎮座しているものである。

 

 要するに、我々の持つ「2分割法」は我々の目には疑いも無く当然な処方であるが、宇宙意識(神)から見ると最も忌むべき方法であり、自然にはまったく則しなく、完全からはほど遠い未熟な方法なのである。つまり、「もっと本当の、そして「愛」の籠った本当の分割方法が別にあった」と言うことである。

何と、我々人間には思いもよらない素晴らしい分割方法がそこには存在していたのである。それが3÷2=2の答であり、宇宙意識(神)の「愛」の答なのである。

 その答えの序、その有り方の真実を追求して、それを身に付けない限り自然宇宙の「絶対的な叡知」を解き明かすことは無理であり、更なる飛躍は望めないものである。

 

恐らく、あなた方も何を馬鹿な、そんなことはあり得ないと反発を感じるであろうが、真実が判るにつれてだんだん共感を抱くようになるはずである。

要するに、真実が解ると言うことは次のステップが始まると言うことであり、それはまた、次のステップに繋がって行くものなのである。

  数学的、物理学的見地から言えば、「中心はただ一つであり、しかもすべてのモノには必ず中心は存在する」、これが人間の認識知であり、常識知と言うものである。

 

ひるがえって、今度は宇宙真実の常識を見て見よう、それは我々の常識知とは大きく異なるものであり、まったく常識外のものと言えるものである。

 

「中心とは一つではない、それは求めて働く数だけある」 が正しい答である。

恐らく、初めて聞く言葉であり、あなた方には意味不明であり、何のことかはまったく判らず右往左往するであろう。しかし、これが普遍宇宙の真実と言う大いなる叡知であり、自然の持つ大いなる理である。 また、例え話、馬鹿馬鹿しい話で恐れ入るが、我々の一般的な概念では地球の中心は一つだけであると言うのが正しい考えとして支持されている。
 しかし、あなたの住んでいる土地は地球の中心に繋がっているのもこれまた事実である。だから地球の中心はあなたのものであると考えてもいいはずである。それを各人に当てはめると地球の中心はそれに相当する分だけあるのである。要するに、意識的な考えでは地球の中心は無数にあると言うことである。それが宇宙意識(神)の考え方であり、争いの無い「愛」の籠もった公平なものなのである。それが「物質的な考え」と「意識的な考え」の違いと言うものであり、物質性と意識性の概念の相違である。

 

例えば、「2方向なら中心は二つ、4方向なら中心は4ヶである」。それにより自然宇宙は調和が成り立ち、それと同時にすべては永遠性と秩序が保たれることになるのである。

 

その事実をこれから図と数字で説明しょう。果たしてそれは真実か否か、それともあなた方は完全否定に傾き、私の論証を嘲笑うのであろうか、そのあたりの様子を私は是非とも見てみたいものである…!!。

 要するに、我々は今までの常識知を一旦崩し去って、新たな真実知を求めない限り、これ以上の知的進化は望めないと言うことである。今のままで進めば恐らくは近い将来、文明の途絶もあり得ることにもなりかねないのである。

その証拠に見るがいい、この半世紀の間人類は新しい物理理論を考え出し、それにより自然の解明に大いに役立ったと言う事実があったであろうか…。

 NO,ナッスィングである。文明的な発展を遂げて来たように見えるものは、すべて枝葉のテクノロジ-に過ぎないものであり、根幹的な自然理論の形成等は何一つ生まれてはいないのである。要するに、今でも自然物理学は自然と対話を交わすことがまったく出来ない状態にあり、まったく進歩は無い状態にあるのである。
 これからその例証を挙げて置くので、あなた方と共にジックリと検証をして見たいと思う、要は素直に考えることである。

 今回は2方向から、すなわち、左右、あるいは上下からの必要とされる2分割の在り方、「分割の仕組み」についての説明である。 ジックリと考えて欲しい。

 


  ここにあるのは《現代数学の2分割法》であり、《完全な破壊分割法》である。

何故なら、3ヶのものを2等分すると中央の1ヶを2分割してお互いに1ヶ半ずつの所有となる、それが我々現代人の言う正解と言う答なのである。

 

しかし、宇宙意識(神)の考えはそうではない。1ヶを半分に分割するのは一つの破壊行為であり、忌むべき行為なのである。ここをシッカリ覚えて欲しい。  分割破壊、それは秩序を乱す大いなる行為であり、本来の宇宙意識の本意や掟に反するものなのである。  ではどうするのか…!!。

 

要するに、奇数、すなわち、中心を分割せずに共同所有とするのである。 それが3÷2=2の答なのである。

 右と左の両方から求められた場合には右のモノでもあり、左のモノでもあると言うように共同所有にすれば、わざわざ破壊分割しなくても問題は解決するのである。それが「宇宙意識の愛の心」であり、「神の数学」の言う「ダブル処理の手法」なのである。  要するに、一つのものをダブルに使用するのである。しかも、それはすべてにわたって有効なる手法であることは「数」が証明してくれるのである。。

 

 その委細は次の図にある通りのものであり、数の図表においてはまんべん無く使われている普遍の計算法なのである。この手法を完全に会得しない限り「神の法陣」を解き放つことは絶対的に不可能、いや、完全に不能であると言うことである。この概念は「現代の知」の中には一切無いものである。

 


  つらつら考えて見るに、この「宇宙愛と言う破壊の無い共有行為」と言うものは古来から日本人の心の中にあったような気がするものである。

 それが明治期以来から西洋化に向かうにつれて、この「宇宙愛」的な精神は徐々に失われて来た。とくに第二次世界大戦後、思想はアメリカ一辺倒に片寄った挙句、個人主義や排他主義的な風潮(自分は自分、他人は他人等の個人の権利の主張)に向かうにつれて、その宇宙愛的な精神はだんだん失われて来たのである。その挙句、今では隣人や地域関係、はたまた親子関係に至るまで気薄になり、博愛精神と言うものが消滅しつつあるのである。甚だ嘆かわしい次第であり、国の根源を危うくさせるものと言ってもいいものである…!!。

  要するに、衣食住はもとよりすべてにわたりアメリカナイズされた考えが主流になり、それまで日本人がはぐくんで来た昔のよき伝統風習、自然風習、あるいは自然との共歩共生などのアミニズム的な精神は途絶え始めようとしているのである。

 

勿論、ここで言うアメリカ的な生き方とは【A】の「公平に割り切った破壊的な分割」を意味し、古来からの日本の風習とは「自然や他人との共生、共有の形を大事にし、他との「愛」を育んで来たもの、すなわち、 【B】の「愛の共有分割」を指すことは言うまでも無い。

 

果たして、その両者の違いとは何を意味するものであろうか…!!、一体どちらが本当の「宇宙愛」に沿った正しい形なのであろうか、考えて見て欲しい。

 

 さあ、ここまで「数の現れ」を煎じつめて来たのであるから、もう少し奥を調べて見よう。要するに、奇数と言うものの本当の正体、およびその発生由来等を調べて見ようと言うのである。

これは【B】の「宇宙意識(神)の分割」を逆に考えて見るとよく解るはずである。

 

それは「○○○○(4)」が「○○○(3)」になったと考えることであり、そこにある4ヶの○の一つがが重なって「○○○」になったと言うことである。要するに3が4になるのは理不尽であり、不合理が生じるものであるが、4が重なって3に変化するのは簡単であり、十分な合理性も持つものである。

 


 

私が子供の頃、「写真は3人で撮ってはいけない、真ん中の人に災難が降りかかる」とよく言われた記憶がある。これは日本のみならず、外国にも同じ言い伝えが存在する。

今になって改めて考えて見ると、それの意味は「中心」には大きなエネルギ-が籠っているので、弱い人には支え切れない」と言う先人達の直感的経験が言わしめた言葉なのであろうと思われる。そのエネルギ-態とはどのようなものかは今の我々の科学では解らないが、太古の一部の人達はその存在を直感的に感じ、知っていたのであろう。それだから奇数を貴び、奇数をもって点の数、瑞祥の表れとしていたのであろう。しかし本当は実体を持つ並び(個体、物質)にこそエネルギ-の発露や干渉があるのであり、単なる数字にはそれらは無く、そこにあるのは「数が表す道」、「数の示す数の理」だけなのである。

 

要するに、そこにある意味とは中心こそがすべての原点であり、中心があるからこそ森羅万象はバランスが取れ、調和や秩序が保たれていると言っているのである。中心こそが変幻自在な「神の座」であり、あらゆる現象の基本の座であると言っているのである。

何れにしろ、これからは更なる「数の理」を具体的な方法で検証して真実を明らかにしていきたい、そのために様々な「数の展開秘」を披露して行く積りでもある。そのためにも是非、心の用意を十分に整えてて、素直な気持ちで学んでもらいたい。

 

しかし、果たして、ここに述べたこと、上述したような「数の理」は「自然宇宙」の真実を示しているのであろうか、あなた方には大いなる疑問が残るであろう。その疑問を外して置かない限り、無駄な時間を費やすだけである。

 そのためにも、これからその真実をつぶさに数字で検証する積りなので、一つ、一つ数の答を確かめながら十分に納得して貰いたいと思う。自然的には簡単、単純なものではあるが、あなた方には如何であろうか…。

  これは人類史上初めてのものであり、物質欲にまみれた現代文明の基礎を崩して、新たな意識文明のあけぼのを告げる可能性を持つものであろう。 それを確かめることが出来るのはあなた方であり、あなた方の努力次第で現代文明の行く末が決まることになるのである。 

 

宇宙普遍知とは永遠の真理を歌い、益々輝きわたるものであるが、人間知は瞬時の真実の影を追いながらさ迷い続けているものである。 故に、如何なる物理理論でも100年も経たず光を失い、捨て去られてしまうことになるのである。

 

最後に、次の図は現代知の模範サンプルである「魔方陣」と宇宙普遍知の見本とも言うべき「神の法陣」の解き方を並列したものである。出来る限り、その基本態のあり方をじっくりと学んで自然の真実則を捉えてもらいたい。 現代知の模範サンプルである「魔方陣」とは《直線数学》で解き放つものであり、 「神の法陣」の解き方とは《循環数学》を用いて解き放つ手法である。

 

要するに、そこにある解き方の違いとは「現代数学(直線数学)」と「神の数学(循環数学)」であり、その手法をありのままに示しているものである。 共にそこにあるべき真実の姿をそのまま描いているものである。 恐らく、諸氏の頭脳の程度によって感じ方はおそらく異なるであろうが、それは本来のあるべき本当の姿とその解き方を開示している貴重なサンプルであると考えて十分な検証を行い、そこにある真実をしっかり学んで頭の中にたたき込んでもらいたい。

 

すべては自然の成り行きであり、自然のまま、自然の歩みのままに素直に考えることが大切なことである。それは何にもまして大切なことであり、必要不可欠なものなのである。
 要するに、それが「カムナガラの道」を明らかにするものであり、本来の「古神道の本髄」を示しているものである。

魔方陣」と「神の法陣(神易)」の違いを図に示しておく。

 

 

「魔方陣」の直線手法に対して『神の法陣』は「陰(→)」と「陽(←)」を巡って循環する循環手法であり、自然の動き、すなわち天地の循環に沿っているものである。奇数個の場合。すなわち、中心は1ヶでもそれは「陰」と「陽」の二つの働きをもって調和を保っているのである。 上記の計算法を検証すればそのあたりのことはお解りであろう。

 要するに、中心は一つとして処理すれば混乱を招くだけであり、不整合が現われるだけである。それは、すなわち、正しいものではないと言うことである。この場合は二つの存在、すなわち、一つの中にも「陰」と「陽」の存在があると考えて処理すればすべてはスム-スに行くのである。それは当然、すべての「神の法陣」にも有効に作用するものである。

【B】を見てほしい。この図を何かで見たことはないだろうか。これはまさに原子内における〝電子の軌道の図〟そのものであり、自然の態そのままと言うものである。

すべては自然と同一な法則、動きにより成り立つものであり、まったく同じ流れを持っていることに気がつくであろう。それ故に『ひふみ…の方陣』を制すれば、すべての「神の法陣」は己の手中にあると言ってもいいものであり、〝天の叡智〟を自在に扱うことが出来ると言うことである。そのあたりをしっかり捉えて頭の中にたたき込んでいてもらいたい。

 

この手法は、ここだけではない。「0」から「無限」にまで及ぶ『神の法陣』の全てにこの動きの仕組みを規範として適用出来るものであり、それを用いることにより、隠されていた≪正しい数≫≪物言う数≫が次々と姿を現してくるの出る。 そのことだけは是非知って欲しい。

 

 『神の法陣』(=ひふみ…の法陣)の母体・母鍵となるものを称して『宇宙次元原理表』『ひふみ…九九算表』、『太極図』、『神易』としているが、そこには人間の持つ〝数理の知〟とは完全に異なっている神の数理の存在があるのである。まずはそれを検証することから始めて貰いたい。

そして、その後はそこで学んだ大いなる理を用いることによりすべての「神の法陣」を解き放ち、自らの求めるものを見つけ出すことが出来るのである。その奥義の深さ、幅の広さたるやまさに無尽蔵の観があり、学べば学ぶほどますます惹きつけられて行き、同時に自然の大律の奥深さにただただ驚嘆にくれ、人間の知のあまりのお粗末さに落涙するだけである。

 

                                                                                         ≪今月の記(2016年1月) 完≫
 

 
 

「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その14)

       ≪「現代数学」の知を傍らに置けば

          それは誰にでも解る来る簡単なものである≫ 

                                              2016年2月上載 


 さてさて、前回②では現代の賢者でさえも、息を飲むような驚くべき「宇宙の愛」の存在を披露したのであるが、恐らくは信じる御仁もいないであろう。要するに、それだけまだ知の程度がロ-カル的であり、宇宙意識の持つ知には到底及ばず、まだまだ大きな差があるということになるのであろう。しかし、これを会得しない限り、神の持つ真実の「数計算手法」をマスタ-することは出来ず、心の葛藤とあくなき辛吟は何時までも繰り返えされるだけである。

 最も、「人間の愛」さえも信じることが出来ず、自分だけよければいいと言うエゴの塊が長じて人間同士の争いや、民族同士の憎しみ合いを助長させている現在である。要するに、そのような断絶的な相互関係こそがお互いを傷つけ、だんだんと憎しみに変わって行くのである。今は自分は認めるが、他人は認めないと言うおかしな利己的な原則がまかり通っている悲しい現代である。そこには意識的には甚だ程度の低い人間の心理と言うものが見え隠れしているだけである。

                                            ▼

「神の数学」の奏でる自然に沿ったシンプルな計算の仕組みはまことに美しい。まさに自然の醸し出すリアリティが無理無く現れてすべてを包み込んでいるのであり、無理の無い自然との共存共和の姿を十分に垣間見られるものである。 
 これぞ、まさしく宇宙意識(神)の為せる業であり、自然の律理の現れを見事な形で表現しているものである。 また奥に踏み込めば踏み込むほど、そこには「現代数学」と異なる形の、決して無理のない自然の形に沿ったままの〝数の姿〟が次々と現れ自然の真実の在り方を語り上げていることが判るのである。

                                               
                                            

 確かに、我々の「現代数学」は宇宙意識(神)から見れば、未だ未熟な学であり、本来のあるべき自然数学の範囲範疇からは大きく外れているものである。しかし、その事実を現代の学者達は知らず、夢にも考えようとはしていないのである。ただ、伝統的な「10進法」を奉じて直線的に物事を考え、そのまま闇雲に直線的に進めて満足していると言う状態なのである。

本来のあるべき自然数学とは「現代数学線数学)」ではなく、自然と同じように循環的に考え、循環的に進まなければならない循環数学でなければならないのである。




 


 

考えて見るがいい、自然界には直線というものは無い、あなた方が直線と考えている事象は大きく弧を描いて進む円のほんの一部を見て直線と捉えているだけであり、それを単視眼的に見て、直線と考えているだけである。いわば、目の錯覚の為せる業であり、思考力の足りなさが生んだ幻影の姿なのである。要するに、視覚が先に立って論理は取り残されているのである。

 要するに、その論理性とは自然の作り上げた象(実体?)のすべては必然的に偶(双)的な存在であり、単的な存在は一切無いことである。我々が一つの存在と思っているものは、必ず共通ペア-が存在し、双対的な事象としてシッカリ納まっているのである。それが本来の自然の論理なのであるが、未だ、現代西洋科学では承認されることは無く、論議のみがあるだけである。。

我々にはそれらの一つだけの象しか確認できず、もう一つの対なる存在と言うものは視野の外、我々の慮外域にあると言うことである。要するに、我々はあるべき宇宙普遍的な叡知と言う常識を持つ段階にははまだ至っていないのである。

  要するに、直線的に「もの」を考えれば、刹那的にはすべては1ヶであるが、循環的に考えればすべては2ヶ存在しているのである。それがあるべき自然真理なのである。

例えば、円を考えるがよい、刹那的に、かつ、全体大乗的な見地から円を全体的に切断してその片を手にすると同じものが二つ得られるはずであり、決して1ヶだけと言うことはない。ただし、その二つは外観的にはまったく同じものであるが、本質的には「正(プラス)」と「負(マイナス)」となる正反の性質をもつものである。

それが古来から「天」と「地」、あるいは「陰」と「陽」と言われているものであり、相対的には完全な逆の性質を持っているものである。

宇宙自然世界とは「相対的な二つの存在」が基本則であり、それは常に「天」と「地」の二つが相伴って作り上げるバランス的、調和的な性質を持つものなのである

要するに、「単の世界」、「シングルの世界」だけでは原則的に存在が不能であり、顕在化することは出来ないものなのである。

 

 その偶構造的な理論展開は確か戦前にはあったが、現在の21世紀では余り見かけることも無い。私が最後にこの言葉を見かけたのはカタカムナ研究者であった宇野多美恵氏から贈られた著書、「相似象会誌1~8号」の中に記されていたとの記憶だけであり、残念ながら今は散出してしまって手元には無い。それが、1ヶ、3ヶ、5ヶ、7ヶ、などの奇構造体の中心をなしている構造体であり、本来から言えば、奇構造は「神」の思し召しには叶わないものである。

  しかるに、このように〝偶構造〟を基本理念にして奇構造を「ダブル処理」を行うと、そこには同形でありながら異質のものが二つ現れ、正しい宇宙的分割が可能になるのである。それが「宇宙愛の分割」であり、狭小な〝数の比較〟の次元を超えて、宇宙的尺度(相対的完全合同、陰陽的完全仕組み)を持ちながら全体的バランスを図って秩序を保っているものなのである。

 要するに「ダブル処理」をすることにより偶のペア(対)が必然的に姿を現し、それにより全体的にバランス的な構造体となって秩序ある完全世界が生まれるのである。

まさに、ペア(対)こそ自然宇宙次元の仕組み《陰・陽》の二元であり、宇宙自然を造っている基本要素なのである。

 これらの〝対〟的存在である「陰(マイナス)」と「陽(プラス)」、すなわちお互いに正反対の作用をもつものが互いに寄り添って相互補完し合うことによって初めて万物は安定完成し、永遠なる実在化が始まるのである。同時に、その二つがお互いに相補作用を求め、与え合うことにより万象に調和とバランスが生まれて永遠の世界をつくり上げているのである。

あなた方は理解しかねて首をかしげるかもしれない、言葉としては易しいはずであるが、現実的な意味合いに置いては少々頭が廻りかねるものであろう。

 そこで、あなた方が納得するような易しい例を挙げて説明して見よう。

 

  《対立しながら求め合う、それが「二元の織りなす世界」… 》

 

例えば身近な例として人間世界を見て見よう。人間世界は男と女と言う本質がいささか異なる2種類から成り立っている。要するに、それは同じ人間グル-プに属しながら「陰」と「陽」と言う完全に異なる性質を持つ2つの集団である。それらは常日頃は何となく「陰」と「陽」と言う二つの集団に分かれて行動を共にする傾向があることは皆さんもご存じの通りである。

 しかし、「陰」と「陽」の単独だけでは変化はまったく起こらず時間と共にすべては消滅することは必須である。それを防ぐために「神」は両者に時間と共に増大するプラスとマイナスのポテンシャルを与え一定の極限まで来ると合一を果たし、バ-ストして次の新しい現象を生みだす(顕在化する)ように仕組みを作ったのである。それにより永遠をつなぎ、何時までも存続しながら未来をまっとうするようにと…!!。生けとし生けるもののすべてはその仕組みに沿って流れて行くのであり、それは命を持つものの一つのを宿命と言うものであろう。

それがすなわち、輪廻転生に基づく生命の誕生であり、代々にわたる個性的な人格の形成の繋がりである。それが我々の生命のシナリオであり、DNAの役割、すなわち、未来に予定されている出来事の予定図と言うものである。

 「陰」と「陽」の関係、そして「その仕組み」は遥か2千年前から取り沙汰されてはいるのであるが、未だ一歩も前進せず、相も変わらず「陰」と「陽」の言葉だけが、世間に流布し、人々の間に囁かれているようである。しかし、この鄙びた言葉である「陰」と「陽」は現代世界に在っては単なる古代言葉であり、最早死語に近いものである。代わりに使われているのが「プラス」、「マイナス」と言う西洋用語であり、大いに一般受けしているようである。しかし、残念ながら、そこにあるニュ-アンスには大きな隔たりがあるのであるが、誰も感じる者はいないようである。甚だ残念なことである。

 そこを私は大きな声で言っておきたい、要するに、古代文献を見る限り、「陰」と「陽」は相結ばれることにより、新しい現象を生みだすものとなっているのであるが…!!。

 また、「陰」と「陽」は表と裏の関係でもある。表があれば必ず裏があるのであり、「表」だけとか「裏」だけと言う一方だけの存在と言うものは無いのである。

要するに、お互いに補い合うことにより「自然的な完成(?)」、すなわち、宇宙の根本本質である0に至るのが本来の自然の本義なのである。

また、「雷」現象も同じではないのか…!?。上空の雲には「マイナス・イオン」が飽和状態になり、地上には「プラス・イオン」ポテンシャルが溢らせながら、この二つは一定の距離を置いて対峙しているのである。しかも限度一杯になればお互いが相呼ぶようにして接近して一体になって、飽和状態を迎えている極限エネルギ-を目に見える現象体である雷光及び雷鳴(目に見えるもの)に変える、すなわち、て顕在化(生みだす)することになるのである。要するに、潜在(目に見えないもの)が顕在化(目に見えるものに代わる)する為の自然的ななりゆき現象と言うものである。
 これら二つは現象そのものの見た目には違いこそはあるが、基本の理は一緒なものである。

  律儀な御仁は怒るかもしれない、神聖な生命の仕組みと自然現象を一緒にするなと、しかし、その奥にある基本理は何ら変わらない同一なものであり、大きな目で見れば自然が醸し出した同一現象なのである。

  考えてみると、先端物理理論である『超ひも理論』も「見える世界(実の世界)」と「見えない世界(影の世界)」の相反する二つの世界が結び合って一つの事象世界を造っている」と報告している。それを目に見えるか形で詳細に説明したものが昨年の11月の「宇宙意識との対話を始めよう(下の記)」であり、まさにその真実検証の図なのである。要するに、現代西洋科学は「見える世界」を調査するだけであり、「見えない世界」を無視しているから自然との対話が進まず、自然は複雑であり、混沌な本質をもっているので調査不能、理解不能と投げ出しているのである。すべては「見えない世界」無視に端を発しているのであり、「見えない世界」等は無いと言う現代西洋科学のよこしまな定義が邪魔をして正しい答が得られない状態なのである。
 先回の「宇宙意識との対話を始めよう(下の記)」のように「見えない世界」を組み入れて考えれば御承知のように「自然世界」はすべては丸く納まり、完全無欠状態が見られるのである。

 するとやはり、戦前あたりの物理理論の「自然は偶構造で出来ている」と言う理論は正しいものであったと言うことである。

  さて、これからその「自然は偶構造である」との理論の正しさの証明に入るのであるが、恐らく、現在の物理学者達にはどうあっても承伏出来ないとのたまう方が多いであろう、その方々は老人の戯言と思って軽く聞き流して貰いたい。

いや、それでも気にかかると言う方は是非ともこの数理論を検証して真実を突き止めてもらいたい。ひょっとすると、その結果、ノ-ベル賞に繋がって栄誉に輝き、日本人としての大いなる、栄えある弥栄を歌うことになるかも…!!?。   ハ、ハ、ハ-…!!。

 

 まあ、そう剥きにならずに気楽に行こうではないか、本当にこれが理論として承認されれば、現在の行き詰まり感のある人間知は一気に開放されて新しい局面を迎えて、一気に新しい未来へとジャンプが出来ようと言うものである。

それは恐らく精神性の高い文明知の世界であり、一つの知的な次元上昇により始まる「意識文明」の曙なのかも知れない。それが現実に今、始まろうとしているのであり、現実化に向かって動き出し始めているのである。  

現在のような宇宙の法則に背を向けて自己流な解釈を重ねている限り、現代人類の知は「知もどきの知」であり、あるべき「宇宙の知」とは相結ぶことは無く、何時まで経っても平行線を辿っているだけであり、決して「真実の知」には辿りつくことはできないのである。

 

要するに、これら「人類の知」は真実の知、すなわち、本来あるべき「宇宙普遍の知」の類ではなく、かなり外れている「亜流のもどき知」と言うものである。それをこれからジックリ証明しよう。

まずは「2次元法陣図」、「4次元法陣図」等の「偶法陣の解析図」を作って検証して見よう。本来、大変簡単なものではあるが、現代西洋知に音頭を取られてしまったあなた方の脳には少々響き兼ねて理解がし難いものかも知れない。しかし、ジックリと内容を検証すれば誰でも頷けるものである。

 

要するに、我々の「現代数学」の仕組みと自然普遍の「数の仕組み」には大きな差がある、その差を埋め戻して轍を共にしない限り永遠に自然との摩擦が続き、何時までも自然の脅威におびやかされ続けなければならないのである。このまま進めば、恐らくは文明崩壊もあり得るのであり、人類が滅亡すると言うシナリオさえも無きにしもあらずである。今が、その立ち止まって考えるか、それとも強引に進み続けるのかの分岐点であり、人類の未来を分かつ分水嶺にいるのである。

 

 恐らく、これらの言葉に現代の学者達は吃驚して肝をつぶし、強烈な反論、すなわち論理無視の反論を尽くして来るであろう。さもなければ、すなわち、反論が叶わない場合には何時ものように完全な無視があるだけであろう。でも、無視は何も生まないものであり、己の将来さえも危うくする危険があるのである。

  一つ、考えて見て欲しい、「現代数学」には最早発展の余地は最早無い、何故ならば、完全な袋小路に入ってしまい今のままでは抜け出す手立てはまったく無く、絶望状態の極みにあるからである。見るがいい、現在数学者と言うものは数学愛好者を含めると世界全体では恐らく、数十万人、いや数百万人くらいはいるであろう。しかし、この半世紀で何か素晴らしい発見、すなわち、物理や哲学、あるいは我々の生活を助長させるような数学的な問題が解き放たれ、その結果、人々に賞賛されたことがあったであろうか…!?。人々が生きていくための安らぎとなるような素晴らしい叡知をが見出した者はいたであろうか…!?。 答はNOであり、一人もいなかったのである。

 多くの人が数学と言う学問カテゴリ-にただぶら下がって息をしているだけであり、それを持ち上げて動かそうとした者はまったくいない状態なのである。それが、すなわち、世界的な数学人口の激減に繋がっているのであり、若い層の数学嫌いの増加に繋がっているのである。 やはり、数学は面白くて簡単なもの、自然の心と繋がって常に生き生きと輝いている必要があるのである。 何故ならば、「数学」こそがすべての学問の基盤となるものであり、すべての自然の理を解き放つ為にはどうしても必要な「神の言語」であるからである。    
  それが「自然数学」であり、「神の数学」と言う名の自然の数学の本当の姿なのであり、「神」と我々人間をつなぐ唯一の言語なのである…!!!。

 

考えて見ればまことに淋しい限りである。「数学」、それは本来、物理、哲学、神学などの基盤学問を助けて自然の真実を探るための一つの「聖なる技法」、すなわち、「神の下された知学」と言うものである。しかるに、誰もそのことには気がつかず、ただただ気の向くままの遊び道具として扱っているだけである。

 

申し訳ない、すっかり横道に逸れてしまったようである、軌道修正をしよう。

 

  ≪「神の法陣」の処理の仕方を考える≫
 
 
 
 すべては循環的に結ばれることにより、大調和が生まれ、共鳴状態に入ることにより弥栄(大団円)が生じるのであり、これはまさに自然の仕組みそのものと同じである。
 見るがいい、小さいものは電子から、大きいものは地球、月、惑星、銀河、大宇宙に至るまで回転循環して未来永劫へと繋がっているのである。「数の走り」もまったく同じ動きを持っていることを示しているのがこの「自然数学」である「神の数学」である。 何故ならば、本当の「数のあるべき姿」とは有機的なものであるが、それを無機的な存在と断定しておろそかに扱って来たのが我々現代人である。 それは例えて見れば、我々人間は「金」と「鉄」の価値の違いを知り、大切に扱っているが、犬や猫などはその差を知らず、一緒に扱っている、その猫と犬とまったく同じなのが我々の「数」に対する見方なのである。「数」とはどれも同じようなものと考えて特に調べようとはせず、気にもせずに毎日「数える道具」として使っているのである。 我々日本人は「アイウエオ五十音図」を基本発生語として持っている、その一つ一つの言葉には特に意味は無いが、 しかし、その並び方によって意志を伝える言葉、すなわち、日本語ともなるのである。それとまったく同じ働きを「数」は持っているのであるが、それには今まで誰も気がつかなかったと言うことである。
 その「数が語る言葉」、それが「大自然を司る神の言葉」であり、「宇宙自然の大律」、「宇宙万象の従う理」を表わしている「神の言語」と言うものである。
 

 これは現代人の初めて知る「神の叡知」の業であり、「現代知」の全く知らなかった究極の「数の仕組み業」である
。これらを素直に学び取ることにより現代知は新しい局面を迎えることになり、その結果、現在のような「知の袋小路」から抜け出して、もっと知のレベルの高い意識体と交信が可能になるのである。それは同時に「知的な葛藤」、「精神的な悩み」等から解き放たれることでもある。それが要するに「精神文明知」の始まりであり、これから我々が目指す「宇宙意識と会話」による二一世紀の新しい文明の姿と言うものである。

今の「西洋現代数学」には有機的な心と言うものは何も無く、あまりにも四角四面的なところが多く、その結果、最後の答も無機的な締め括りをして終了となっているのである。

 自然は有情であり、意識を持っていると考えるべきである。一方、我々は無意識的にに自然に背かぬように心して動いているので、当然、そこには何らかの共通意識が働いているはずである。よく考えて見るがよい、我々を生みだしたのは自然であり、自然はまさに我々にとっては母親的な存在であることを…!!。 しかるに我々は自然の知を拒んで反抗している状態である。本来から言えば、は当然、受け入れて会話すべきものであるのに…!!。
 すると、やはり、我々人類の歴史は未だ10代にも満たない未熟な反抗期、すなわち、揺籃期の最中なのであろうか…!??。 要するに、 これからが成熟期を迎える時期に入ることを意味するものであり、「神」と親しく会話が出来るような時が来ると言うことである。恐らく、そこに気がつく人々が多くなれば、それだく早く完成した未来を築きあげることが出来るのであり、自然と共に未来を謳歌することが出来ると言うことになるのである。

 

 〔2〕「3次法陣(奇構造)」の奏でる「数」の調べを聞く…

 

  さて、今度は奇構造体である「3次法陣の図を見てみよう、それは2分することの出来ない奇の構造体であることはお判りのはずである。それはすなわち、「縦」も「横」もまったく分割不能と言うことである。

 もし、真ん中で分けられたものが調和ある同一形であるならば、当然そこには同じ結果の調和ある「答」が見出されなければならないはずである。

 果たしてすべてにわたって同じ結果が生みだされて、見事にこの検証の正しさを証明してくれることになるのであろうか…!!、まさに緊張の瞬間であり、知の歴史を分ける瞬間である。

 

   ≪奇数法陣の持つ中心数のダブル処理を考えてみよう≫

  

  

  

  あなた方は数字、あるいは数列を単なる道具、意識の無い無機物と考えているから簡単に分割が可能と考えているのである。これを擬人的に考えて有機的な存在と考えるとどうなるのであろうか…!!。

例えば、これを3人の子供に例えてみよう。離婚した両親に公平に子供達を分割するにはどうすればいいのか。あなた方の常識知では一人半づつになる計算であるが、子供を半分にすることは無理であろう。答は子供の一人を共通の存在として扱えば問題はスム-スに解決するのである。まことに簡単なもの、自然的な大人の心と言うものであろう。

要するに中心にあるものは確かに一つであるが、その一つのモノをダブル処理して「陰」と「陽」の2元性を与えればすべては円満に解決するのである。 要するに、上の例で言えば、分割不能な子供はお父さんのものでありながら、同時にお母さんのものとの考え方である。
 
 磁石などがそのいい例であろう。一つの存在でありながら、「陰」と「陽」の両極性をもつことにより調和と共鳴、そして常なる永遠性を保って悠然として時を渡っているのである。

  

お解りであろうか…!?。3次奇元体を公平に「陰」と「陽」の二つの世界に分けるためには中心にあるものを「ダブル処理(共通仕様)」して公平に2分割すればいいと言うことである。決して、現代人類知のように一つのものを破壊して完全2分割にするのではなく、もっと愛に満ちた神聖な2分割と言う優れた方法を用いるのである。これは現代の知には全く無い「究極の摂理」であり、これを知らない限り「宇宙普遍の叡知」に辿りつくことは出来ないものである。

 

恐らく、真実かどうか、あなた方は疑いを持つであろう。それを払拭するには自分の手で種々の奇数方陣体を作って検証することが最もいい方法である。

つまり、どれも同じ結果が生じてあなたの心は十分に納得し、満足することになるはずである。

すべては真実を語る「数の仕組み」であり、数の囁く「真実物語」なのである。

 

すると、これらの「数の語るもの」とはこれらすべての次元表は「エネルギ-(数)」は大きな対極的な循環を繰り返しながら、次元全体を同一共鳴場に変えて何らかの意思伝達を行っていると言うことなのであろうか…!!?。  そうとしか考えられないのであるが、如何であろうか…!!??。

するとやはり、「数」は一種の意識体であり、集合体形式をもって何らかの情報を伝えていると言うことになるのであるが、如何であろうか…!!!?。

一体、これらは何を囁き合い、何を語り合っているのであろうか…!!??。

そのあたりをどうしても知りたくば、せめて18次元までの「神の法陣」を自らの手で作り上げて、その中の関連事項を片っ端から検証して見ることである。

恐らく、そうすることにより、何か、途方も無い新しい発見が見出されることになるであろう…。そして、それを身に付けることにより、我々の意識は次元的な昇華が可能になるのであろう。

時間がある方は是非それらを作り上げて、ジックリ検証して見ることを勧める。それによりあなたは楽しい時間、ゾクゾクするような未知の「真実の世界」を覗き込んで大きな興奮を味わうことが出来るというものである。とにかく自分の手で作り出してジックリ考える、それが今の若者には一番必要な事であるが、今のような心に余裕のない教育の所為(せい)でそれが欠けてしまっているのである。
 それが要するに、チヤレンジ精神であり、孤独に耐える為のシッカリした心の育成と言うものである。ただただ、人との競争に勝つための意味の無い知、順序通りの当然の知, そんなものを求めることは最早必要がないのである。何故ならば、これからはそのような知の探求はロボット、あるいはコンピュタ-に任せて、本来、人間はフリ-の立場で好きな事を考えればいい存在なのであるから…!!。

 考えて見れば、我々は非常に稀な確率で人間として生を受けたのであり、また、それ以後も精子的にみれば何億分の1、何十億分の1と言う激しい競争を勝ち取って現在に至っているのである。
 何を好んで、あくせくした意味の無いつまらない人生を選択して一生を終えるのか、何故、好きな事をして満足した状態でこの世を去ることが出来ないのであろうか…!!?。
 要するに、すべては意識如何の問題であり、本人の意思次第の易しい問題なのであるが、世の中の仕組みがそれを許さない、為政者(神)がそれを望んではいないのである。
 もしも、皆がそのようになったなら、世の中はまとまらず、各人が勝手に動いてしまうからである。要するに、世の中はばらばらになってまとまりがつかないことになるのである。
 だから、その事実を誰も知らず、誰も考えようともしないように教育を施しているのである。 要するに、これは知られては困る真実の一つと言うことである。
 あなた方に是非言って置きたい、本来、最も大事、最も必要なのは人生に〆くくりを付けて、この世を去る時の心の状態である。極めて満足した幸福な状態で去るか、それとも不平不満が一杯の不幸にに満ちた状態で去るのか、どちらを選択するのか…!?。 言っておきたい、すべてその心は「あの世」は持ち越されて、「あの世」での意識はその状態から始まることになるのである。決して、「あの世」は心のマッサラな状態、空白な状態から始まるものではない。 肉体は無いが、意識はそのままの状態で残るのである。そのことは是非知っていて、悔いの無い人生を歩んでもらいたい。要するに、楽しく自然のこころで人生を送ることが「この世」と「あの世」を繋いでぐ最大、最良のかけ橋、あるいは絆となるものなのである。
 是非、覚えておいて、悔いの無い人生を送り、幸せな最後で「この世」とお別れして貰いたい…!!!。

 


 また、18次元までの「神の法陣」を作り上げたら次の事実を確かめることである。これらは現代人には初めての数の語る「数次元のからくり業」との会遇であり、新たな知の存在を知るいい機会にもなるものなのである。 また、「神の法陣」には人間知で干渉の可能な隙間と言うものは何も無いのであり、完全な「神の砦」と化して未来永劫へと繋がっているものである。

 

〔1〕 次元の不思議な関係性を調べる①


 「神の法陣」の11次元表は2次元表の集合体であり、12次元表は3次元表の集合体、13次元表は4次元表の集合体であることが判明する。

何と、大きな次元体は小さな次元体から成りたっていることが判るのである。そこにはまことに不思議な次元の巡り合わせが見出されて、我々の頭を混乱させてしまうのである…!!。これは誰も想像もしなかったことであり、夢にも思わなかった哲科学史上の驚嘆すべき一大事実の発見であり、一見するだけで誰にでも解るものである。

是非、そのあたりの素晴らしい「数の神業」を一見してほしい…!!!。  驚嘆すること疑いなしであり、人間知のちっぽけさを感じて溜め息の洩れる瞬間である…!!。

 

私は常日頃言っている、11=2、12=3、13=4であると…!!。要するに、それが「九進法」の演算であり、「神の数学」の基本算なのである。しかし、誰も信じようとはしない…!!!。
 しかしである、何と驚いたことに、宇宙を表わす「法陣表」のすべてもその手順に従って進んでいるのである…!!!。 要するに、それが自然本来の計算法なのである。

その秘密が今あなた方の手で明かされ、人類知の歴史は新しいペ-ジを開こうとしているのであり、何事かの新しい知の歴史が開かれようとしているのである。 出来ればあなた方の力を借りて、そのあたりを一気に解決したいものである…!!!。

 

それは作りさえすれば誰にでも判ることであり、興味が疼(うづ)いて目が点になるものである…!!。何故、そうなるのであろうか、それは誰にも解らないものであり、人類初の発見と言うものである。まさにこれこそはは自然科学上、自然哲学上の大いなる謎であり、出来るだけ早く解決する必要のあるものであろう…!!!。

 

〔2〕 次元の不思議な関係性を調べる②

また不思議な事に、これらは18次元表は中心に0次元表を抱き、17元表は中心に1次元表を抱き、16次元表は2次元表を等しく抱いている図が見出されることである。  同様に、15次元表は3次元表、14次元表は4次元表、13次元表は5次元表、12次元表は6次元表を中心に恭しく抱いて納まっている姿が現われているのも甚だ面白い現象である。そこにはシッカリとした「神」の規律があるのである。一体、これは何を示唆し、何を語ろうとしているのであろうか…!?。
まさに、我々には解らない人知外の領域に属する大知と言うものである。 さてさて、どう考えたらいいのであろうか…!!。今まで誰がこれらの事実の存在を予想したであろうか…!!?。

 

そこにはシッカリとした自然の数秩序が成り立っているのであり、自然を永遠へと誘って止まない尊い図の表れが出現しているのである。また、それらはまさに子供を宿している慈母観音を彷彿させる図と言ってもいいものである。

その数秩序の関係とは言うまでもない、(18+0=18)、(17+1=18)、(16+2=18)、(15+3=18)、(14+4=18)、(13+5=18)、(12+6=18)、…となるものであり、   とどのつまりは18→9→0 となって、すべての次元の本質は0であることを示しているのである。すると存在しながら無存在の0に還ると言うことは一体何を語ろうとしているのであろうか……!!??。

 

それとも「存在すること」と、「存在しないこと」はまったく同じこと、すなわち、「裏」と「表」の関係、すなわち、「表」「裏」一体であることを意味するものなのか…!!??。有と無は同じ事と言っているのである。はて、はて…!!?。

 

それは誰でも図を作れば解るものである。しかも、面白いことには中心に抱かれている子次元はすべて180度反転状態になって中心に納まっているのであるそれはまさに子供を宿している慈母観音の図であり、まさに胎児の姿そのものである…!!!。是非、その不思議な光景を見ておくべきである。 現代知で凝り固まったあなたの脳をほぐすためにも…!!!。

その有り様はまるで人間の胎児の恰好そのままであり、まさに、頭を下にして胎盤の中に納まっているまさにその状態を示しているものである。 

まさに、大きな次元と小さな次元の間には摩訶不思議な関係、すなわち、親と子の関係を示すものがあり、人間界の言葉にある「下界は天上界の映しの如し」と言う言葉そのまま通用するのである。

 

まさに簡単でありながら超難解とも言うべき「神の仕業図」の存在であり、われわれをして唸らせて止まないものである。 さあ、是非、これらの数図を自分の手で作り、あなたの感想を述べてもらいたい…!!。 恐らく、結果としては人間の知は、どうあがいても「神の知」には及ばないことを知り、シュンとなるだけであろう…!!。

 

ジックリ考えて、その結果を密かに私に教えてくれる奇特な御仁はいないであろうか…!!。この数十年間、私の頭は混乱に混乱を重ね、挙句の果てには思考停止の状態が続いている感じである。出来れば、このまま老人性ボケに入り、毎日がルンルンとした極楽トンボ気分で暮らしたい。それが可能なら本当に嬉しい。悩みも何もまったく無い、我が世の春の到来と言うものである。

 

ああ、すべてを忘れて、1~9までの数を口ずさみながら暖かいお日様の下で、子供たちと遊んで暮らして見たい…!!!。でも神様がそれを許してはくれそうにもない。

あと、何年経ったら私の希望は叶えられるのであろうか…!!?。あと、何年たったらこの因業な柵(しがらみ)から抜け出せるのであろうか…!!!。

もう.齢は80を越すが、毎日、「数」に急(せ)かされて青息吐息で休む暇もない。

人並な暮らしがしたい、毎日、心を宙外に置いて神と対峙して語るのにもすっかり疲れ果てた、もういい、もう沢山だ。

何もかも忘れて寝てみたい、すべてを忘れて一日ぐっすりと眠って見たい…!。

もう、30年の間待っているのに何時になったらこの小さな願いが叶うのであろうか…!!。 その日が来るのが本当に待ち遠しい…!!!。本当に、本当に……!!!!。

(完)

  

「神の法陣」大精義講()

 偉大な「自然の真実」の語り部達…!!(その15)

       ≪「現代数学」の知を傍らに置けば

          それは誰にでも解る来る簡単なものである≫ 

                                              2016年3月上載 

 


 恐らく、これが『「神の法陣」大精義講(3)』の最終章となるものであり、これで古神道に付随する古代の「数の叡知」の解法手順の開示についてはすべて終了となることを伝えて置きたい。その後は『「神の法陣」大精義講(4)』に移行して真実の「数計算法の存在」を諸氏と共に明らかにしておくことにしたい。

 

その中では種々の数計算を「10進法手法」と「神の数学的手法」の両方の形で行い、それを並列させながら「10進法手法」計算についての可、不可をシッカリ検証してあなた方の判断を仰ぎたいと思う。

要するに、どちらが自然態であり、自然の理を垣間見せる「計算手法」なのか、そのあたりをジックリ見てみたいと思うのである。

 

恐らく、あなた方は唖然とするであろう、何故ならば、「10進法手法」はあまりにも我田引水的、盲目的な形、すなわち、全体の秩序や調和を無視して何が何でも無理に答を出して自己満足をしていることが一目了然だからである。

あなた方が十分にそれらを理解し、「現代数学」に大きな疑問を持った所で私の講義は一応終わりにするので、その後はあなた方が討議検証して正、否をはっきりさせればいいのである。また、その結果が大変な重要性を持つと判断するならば、それを全世界に問いかけて見ることが望ましい。しかも、これがこれからの人類の進歩に寄与出来ると考えるならば是非、人類の知、すなわち、現代知の中にでも補足し、未来えのかけ橋として欲しい。そこまで行けば、まことに本望であり、同時に古神道は日本民族の誇りとしての名声を高らかに世界に轟かせることになるのである。

 

あまりものごとを深く感じることの無い民族、極楽トンボ的な気質を持つ気楽な単純民族、それが我々日本人の特徴と言われて久しい。. でも、これからはそのような状態で過ごすことはゆるされないのである。何故ならば、この先の時代は我々日本民族が世界を牽引して先導して歩くすることになるからである。 それは一つの与えられている運命でもあり、歴史の中の一コマなの順序立った現れ、すなわち、循環態なのである。それを称して我々は「宿命」と呼んでいるのである。

有史以来小さい島国に閉じこもっていた日本民族には外敵と言うものはあまり無かったのは確かであり、平和の中でぬくぬくと暮らして来たのも確かである。何故ならば、広い大きな海が外国との防御帯の役目を果たしていたからである。しかし、それは江戸時代のあたりまでであり、世界中が大きく各国を往来するような現在ではあまり意味が無くなっているのである。各国と対等に付きあい、対等な関係の中で運命を享受しなければならないのである。

 

現在、色々な状況から判断すると、これからはどうしても物質的欲望の時代、すなわち、お金は物を言う時代は終わり、新たな東洋的な神秘哲学が台頭して人々の心を掴み始めているようである。何故なら、今では生活に必要なものは殆ど手に入れることが出来、人々の心は物質的な要求にはあまり大きな関心を持たなくなって来ている傾向にあるからである。

それも、今は緩やかで、少数の現象ではあるが、やがては世界的に大きなトレンド(流れ)となって次第に金融資本主義から離れていくのは間違いは無い。その代わりに、これからは精神的な支柱を求めて人々は動き始め、精神的な欲求、精神的な安楽などを求めていろいろと試行錯誤が始まり、その流れもどんどん大きく、そして激しくなって来ると思われるのである。

 

またその心の動きの基本軸、すなわちそのサンプルとなって慕われて来るのが日本と言う国、すなわち、今まで自然と共に歩んで来た素晴らしい精神的な素養を持っている東洋の島国である。

要するに、日本はこれからの世界のイニシャテブを取って先導していくことの出来る、唯一の国となるものである。思想、文化、テクノロジ-、どれをとっても世界には余り類の無い素晴らしい国であることは世界が認め始め、注目の的となっているのは間違いの無い事実である。

要するに、それらのことから総合的に判断すると、これからはこの日本の持つ精神性が世界的な共感を得て、この21世紀には世界をリ-ドしていくことになると言うことである。

 

しかも、それはそれはあまり遠くない未来、すなわち、あと5、6年後からそれは始まり、各国は日本をトップに置いて、その後を懸命について行くことになりそうである。

 

あなた方はそんなことは有る筈は無い、まさにマンガチックな法螺話であると大笑いするであろう。しかし、そのハッキリしたサイン、前座的な兆候はすでに現れて世界を飲み込んでいる最中なのであるが、ただ、極楽トンボのあなた方はそれにはまったく気が付かないだけである。

それが思いもよらなかったポップ・カルチャ-、すなわち、マンガやアニメ映画、あるいは歌やコスプレなどであり、世界の若者達の関心を惹いて世界中に広がり、大勢の人々が日本を訪れていると言う奇妙な現象が現在起っているのである。 しかも、それらのより彼等は流暢な日本語を見事に獲得して喋ることさえ出来るのである。驚いた現象である…!!。

これらは前座、前兆とも言うべき単なる日本現象の一こまであり、これから始まる大いなる日本化の最初を示しているサンプル現象に過ぎないものである。これから大きなうねりを伴って現れて来るのは更なる本流であり、大いなる日本化のうねりの本潮の姿である。その結果現れるのは素晴らしい意識文明時代の到来であり、一段と進歩した新たなる意識を持つ人々の姿なのである。

 

恐らくこれら数年後に始まる世界的な潮流は日本人の精神面や思考の探究であり、やがては欧米の一神教と異なる価値観を持つ日本神道や日本人の論理道徳にまで及んで来ることになるであろう。その挙句、やがてはあちこちで日本に対しての憧憬模倣の動きが始まり、世界の日本化現象は更に進んでいくことになるのである。

 

簡単に言えば、世界の国々はこれからこぞって日本を見習うことになるのであり、次々と日本の後を追いかけ始めることになると言うことである。

その結果、当然、日本無しでは世界は成り立つことが叶わず、日本は世界のNO1の希望の星として全世界から期待されることになるのである。

 

それはまさに、あのアインシタインが100年前に語った言葉の内容そのままであり、改めて彼の言葉の偉大さが判ってくるのである。

 

それはすなわち、 「世界の文明はアジアに始まり、アジアに戻る。最後にはアジアの高峰、日本に戻って行くのである。我々は神に感謝する、我々に日本と言う尊い国をつくっておいてくれたことを」…!!!。

 

大きく目を見開いて、現在の世界の様子を見るがいい、今、まさに資本主義の先端である金融市場が崩壊寸前の状態である。恐らく、その崩壊と同時に各地で人々の不満が高じて戦争状態があちこちで勃発しているのはあなた方もご存じの通りである。現在のアフリカ大陸、中東アジヤの国家はすでに崩壊し、更には朝鮮半島から始まるアジアの生き残り戦争の一触即発の予兆がニュ-スを賑わし、すべてにわたって世界は危険を孕み始めている現在の状況なのである。 また、それに備えて最早世界各国は国家防衛策に向けての態勢を整えるために大わらわの状態が始まっているのである。 そこをシッカリ知って欲しい。 それはジックリとリインタ-ネットを調べれば誰でも判ることであり、どうあっても隠しきれない本当の事実なのである。あまり、ノホホンとしている余地などは最早無いのである…!!。

今や、アフリカや中東の国々は戦乱の拡大により殆ど力を失い、国民は難民となって国外へと逃げ出している有り様である。その様子は毎日のテレビで放送されているではないか…!!。

また、ヨロッパの国々は、これら中東、あるいはアフリカからの避難民でてんやわんやの大騒ぎであり、今までの「避難民を救おう」などと言う優しい言葉は、「避難民を追い返せ、国に入れるな」などの極端な言葉に入れ替わっているのである。 彼等が常に口にしていた人道主義も最早、絵に描いた餅であり、単なる逃げ口上の台詞に過ぎなかったと言うことがこれでよく判るであろう。
 最早日本人も、大量の避難民、もしくは移住民を容易に受け入れることは国を危うくすることであり、まとまりのつかない危険な国家になって行くことが心に沁みて解ったことであろう。そして安易に人手不足を補うために他国からの労働者を導入すべしと口走るような大臣がいたならば国防大臣ならぬ国亡大臣であり、国を危うくする大痴れ者であることがよく判るはずである。 今、日本の人口減少は自然の沙汰であり、自然の意思なのである。人手不足結構、人口減少結構と考えて、それには順応する対策をシッカリ立てて置くことが必要であり、心よく従うのが我々の務めであり、人類としての本来の義務なのである。 何せ、地球の適正人口は30億人~40億人であるのに対して、現在は70億人である、更に30年後には100億人の大台を越えると言われている現在である。当然、水や食料は大幅に不足して奪い合うことになるのは当然である。何とかして、今の中に人口抑制策を考えて、施行して行かなければ現代文明は滅び去ってしまうのは目に見えているのである。さあ、あなたならどうする…!!。
 我々一人、一人が考えなければならない大問題である。 大戦争…!?、致死病のパンデミック…!?、それとも、大自然災害…!?、すべては現代の我々の科学の力で可能なものであり、現在既に施行されている可能性もあるのである。


 それとは別に、、これからは世界経済は崩壊に向かい、あちこちで国のデフォルトが始まり、それと共に無秩序状態が始まってコントロ-ルが出来ない状態が始まることは火をみることより明らかである。もはや、それを抑えるだけの大きな力を持っている国は既に無く、世界は一挙に大乱状態になって大勢の人々は右往左往して、命さえも失うことになるのである。
 これも、ひょっとすると誰かが播いた人口削減のための方策の一つかもしれない。 それは「神」か…!!、「地球ガイヤ」か…!!?、それとも「国」あるいは「人」なのか…!!?。

現在の 世界に状況を見てみるがいい…!!!。、

 ロシアはかっての面影は無く、国内問題で揺れに揺れていて、他の国に口出すほどの余裕などはまったく無い。また、今まで世界経済を牽引して来たアメリカは赤字の垂れ流しによって、今や破産寸前の状態にあるとまで噂されている。

 アジヤにおいても、中国は金融問題でアップアップして息も出来ない状態であり、今にも、経済は失速して国民は暴動を起こしかねないような気配の最中である。
 また、韓国は経済が行き詰まって、国のデフォルトは目前の状態である。そのためにも一層の援助を日本に求めようと「日本叩き」が始まっているのである。今までの成功例が忘れられないのであろう。 何せ、それは長年にわたって成功した行為であり、一つの目玉技術として、また成功技術として忘れられないものであるからである。 何せ、日本の援助が無ければ、韓国は世界に伍して生きてはいけない国であり、日本と言う支柱を失えばアッと言う間に、生活に困る国に転落してしまう国である。 そこで彼等はジックリ日本を叩いて金を引き出そうと言う魂胆であり、政府以下、共同して日本を揺さぶっているのである。 何故なら、それ以外には国を救う手段がなく、今まで通りの手段を行使して反応を見ているのである。 
 まあ、素行不良で食えなくなった弟が、立派に家計を切り盛りしている長男を脅して金銭をふんだくろうとしている図であり、世間体もなりふり構わず、頑張っている図である。
 ただし、今回は阿部さん、麻生さんコンビはそんなには甘くは無く、韓国はデフォルトの憂目に遭うことは避けられないであろう…。 まあ、これも一つの歴史的な天命なのであり、国が滅んでも止むを得ない事なのである。

このように世界の国々の経済の状態を見てみると、主要国はすべて金融的な面で困難を抱えて困り果てている状態である。要するに世界の中で立派に国の経済が回転し問題が特に無いのは日本だけのようである。 まあ、世界全体が経済の余波を被って劇的な金融の変化はこれから来襲するのであるが…、 果たして、日本は無事に納まりが付くのであろうか…!?。 まあ考えて見れば、国民に対する借金は膨大なものではあるが、国民はおとなしいので大丈夫であろう…!!!?。

 

今や、物質欲望時代が招いた武器による資源獲得のための戦争、そしてその後に来たお金によるマネ-ゲ-ム的な戦争、すなわち、金融資本家達はお金をめぐっての熾烈な戦いの最中である。その結果、総力を費やした争いに疲弊して関係各国は青息吐息の有り様であり、回復は困難を極めることとなるであろう。何故ならば、現在、マネ-ゲ-ムの勝者となっているのは国ではなく、個人、あるいは一握りの民族資産家達であるからである。 今や、戦争は武器によるものではなく、お金の取り合いにより勝ち負けが決まるのである。

要するに、彼等は国家のお金さえも吸収し、私腹を肥やしているような有り様で、国はもはや、息をする余裕さえも無くなっているような状態なのである。

 その結果、これらの金融資産家達は人々や国家の反感を買い、これから一斉に叩かれ始めることになるであろう。その結果、長く続いて来た金融資本主義は終焉を迎えることになり、新しい形態の社会秩序が生まれて来ることになるであろう。 恐らく、そんなには長い未来のことではなく、この10年から20年くらいで何らかの変化が見られ、その行く末が議論に上ることになるであろう。

 

話は変わるが、我々日本人と同じ祖を持つと言われているあのユダヤ人(イスラエル)を見るがよい、彼等の人口は約2000万人(埼玉県と同じ人口)であり、世界の人口のの僅か0.25%に過ぎないが、驚くべきことには世界の要人となっている者達は甚だ多く、かつ、世界の富の80%を所有していると言われている。

また、ノーベル賞の20%、フィールズ賞(数学界のノーベル賞)受賞者の25%を彼等が占めて万丈の気を吐いていることは皆さんもご存じの通りである。まさに驚きであり、素晴らしいことではあるが、何となく不平等で腑に落ち無いような気もするのであるが…!!?。まさに奇奇怪怪な事実…!!、いや豪快な手腕、羨ましい見事な業と言ってもいいものであろうか…。 何と、何と…!!。

 

でも、羨んではいけない、我々はここから学ぶことが沢山あるのである。それは彼等は強い心の力と執着力、それに1000年以上と言う長い時間をかけて、苦労しながらやっと現在の状況に辿りついた経験がそうさせているのであり、、その苦労は並大抵なものでは無く、紙筆に尽せない苦労、苦難の連続であったことが想像される。 そこには大きな教訓があり、我々をして頷かせ、常に心に置いて反芻すべきものである。しかし、そのことは余り話題には上がらない。恐らくは他人の苦労話として、我関せずと安易に見ているのであろう。

考えて見れば、まさにそれは日本の諺、「艱難汝を玉にす」の通りであり、まことに驚嘆、感嘆に値するものであり、我々に強力な精神的な指針を与えてくれるものである。

それに比べると、今の日本人は甘い、甘い…。余りにも恵まれすぎている。最近の若い人達は特にそうである。苦労とか、困難などには全く縁が無いようである。
 はたして、これでこれからの世界的な困難時代を彼等は生き抜いて行くことが出来るのであろうか、無事に国と民族を守って行けるのであろうか…!!。 さて、さて、私は今から大いに危ぶむ…!!。

 

これでお判りであろう……。

 要するに、強靭な精神力を持ち、想像力を豊かに持てば、個人は言うに及ばず、国民や国々でさえも弥栄(万々歳)の状態を迎えることが出来ることを示しているのである。要するに、夢を抱いて、苦労に耐え、運命に従って強く生きて行けば思っていることが現実になると言う大きな教訓がここにあるのである。

ただし、そこには長い時間と言うキィワ-ドが必要である。恐らく、一朝一夕と言う短い時間ならばあまり変化は無く、効果は薄いと考えなければならない。しかし、そこから導き出される教訓は、すなわち、個人でも、強い意志と想像力があれば、短期間(20~30年)で目指した人生の目的に到達が出来ると言うことである。疑うこと勿れ…!!。

 

まことに,相済まん。いい気になってしゃべりすぎ、すっかり筋がずれ余分なことを言ってしまった、一つ、 軌道修正をしよう。

 

まずは息を静めることであり、雑念を頭から追い出すことから始めよう。次の出番となるもの、それが意識(精神)時代の先駆けとなる「神の知」である「神の数学」と言う「自然数学」なのである。

 「神の数学」としては、これはまだまだ発端であり端緒に過ぎないものである。そのあたりについては御承知願い、これからはあなた方の手で縦横矛盾に「数の持つ偉大なる秘密」を探り、自然の語る「数の仕組み」と「数の走り」に改めて新しく目を向けて、更なる諸々の検証を行って「神の意思」の存在の確かさを人々に伝えて行って貰いたい。と同時に我々の祖達が残した驚くべき「古代の叡知」の輝かしさを知り、諸手を挙げて讃え感激を新たにして貰いたい。これもまた大変大事なことである。

 

この後、恐らく次回から、「数」、及び「数の解き方」の手法に重点が移ることになるであろう。これもまた「現代数学」とはまったく方向の異なる自然数理学であり、本来の宇宙自然の持っている自然の理を自然の心で解き放ったまさに「自然数学の計算の基礎」となるものである。

願わくば、十分に詮議し、その上で出来る限り宜しい形で現在の人間知に付加することが望ましい。もし、これから、この「自然数学知」が現代学の発展に寄与するようなことにでもなれば、われわれ日本民族にとっては大いなる喜びであり、まことに幸甚な事とでもある。

 

 

さあ、遅くなったが、改めてここで古神道の失われた奥儀と言われている「カムナガラの道」を紹介しよう。これは古神道の奥儀祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の裏に隠されていた大いなる秘事であり、「ひふみ…天地の数歌」の本来のあるべき本体というものであり、その真髄(神髄)と言うものである。。

それは余りにも尊い内容を持つが故に、出来るだけ人々の目に触れないように密かに隠されて来たものであり、人知れず密かに特殊な人々だけに伝えられて来たものと思われるものである。

または、大きな過去に国の運命を左右するような出来事、すなわち、外来人の大幅な侵攻が頻繁にあった故に、大切に代々伝承されて来た「神代からの神宝」を奪われまいと人知れず奥儀祝詞である「ひふみ…天地の数歌」の裏に密かに張り付けて隠されて来たものと考えられる。

 

とにかく、五理霧中の日本の歴史の闇の中から見出された真実であり、検証しようにも根幹となる歴史のモノサシである日本の歴史年表は完全に狂って空白状態を示しているだけである。
 要するに、すべては長い時のはざまにすっかり解け込んで透明になって見えなくなっているものである。残す手立てとしては現れて来た古神道の奥儀祝詞である「ひふみ…天地の数歌」が伴なっている「カムナガラの道(ひふみ九九算表)」をシッカリと分析解明してその本性を見出し、その由縁と由来が正しいモノかどうかを判断し、その答を出すだけしか方法は無いのである。

また、それを一般外部に出して更なる判断を仰ぐと言う手段も必要である。私もそれに則って、その一際をあなた方の目に曝して判断を仰いでいる次第である。是非、厳しく詮議して、そこにある真実をジックリと時間をかけて明らかにしてもらいたい。

 

 これらの判断を是非今回、あなた方に託して見ようと思う。それはあなた方の知性に尋ねるのではなく、今回はあなた方のDNAにお尋ねしょうと言っているのである。それも、一つの時代検証の方法としては有効と考えている。

それによって面白いことが判る。あなた方の心が「カムナガラの道」と言う言葉に親和性や共鳴感を示すなら、あなた方はまさに縄文時代のDNAの残滓を幾許か持っている判じられるのであり、また、焦燥感、あるいは反発感に襲われるような激しい場合にはその反対の「NO」を示し、あなたの心には残念ながら、縄文のDNAはまったく流れてはいないと言うことになるのである。、要するに、あなたの魂の出生は外国(とつぐに)であり、未だ日本になじまない100年~200年の歴史しか無いことを示していると言うことである。まあ、このようなことを言うたびに人には笑われて馬鹿にされているのであり、少しも懲りない大虚け者と言われてもまったく気にはしない。それは、要するに、生来のたわけ者であるからである…。

 

 推定であるが、恐らく、現在の日本人の僅か数%の人々だけに強く残されていて、後の数十%の方々は僅かに残されていると考えられる。何せ、現在の日本人は色々な民族と混血状態により成立しているのであり、それ故に、どうしても民族全体が魂の完全な交わりまで行くことは考えられないのであり、縄文人のDNAを引き継いでいる者は甚だ稀なことなのである。それはある程度人相的な見相でも判ることであるが…!!。

 確かに、遥か遠い昔、この日本は気候の温暖な国、森林の生い茂る国、また、水の綺麗な国、海山の食べ物の豊富な国、その上、人々は温和で親切、そして長寿、平和、まさにこの世のパラダイスであり、極楽でもあったのである。  その評判を聞いた多くの国々から日本を目指して多くの人々が移住を目指し続々と日本に来たと推定されるのである。

 

 要するに、遥か古代の日本は人類発祥の地であり、古くから文明文化が発達していた大いなる国なのである。そして、有史以来大勢の偉人達が日本に来て自然の万法を学んで国に戻り人々のために力を尽くした事実が日本の超古代史には述べられている。 信じるも良し、信じないのも良しである。 要するに、歴史の裏に流れている裏史のよもや話ではあるが、妙に真実味を帯びているストリ-と言うものである。
 あまり、無下に捨てずに、大略的な話として心の隅に置いてもらいたい、何せ、新しい史実が発見されると一気にひっくり返る既存の史実の話なのであるから…!!?。

  日本の超古代史に記されている出来事及び偉人の名前は次の通りである。

   ◆BC,2441年伏義・神農来朝、易と薬学を学んで帰る。

   ◆BC,1843年支那に文字(てん字)を伝えた。後世、それが漢字の元になる。

  ◆BC,1009年、モ-ゼ来日、12年の修行の後、10戒を持って帰る。

  ◆BC,1044年、インドの釈迦が来て、5年学んで帰国する。

   ◆BC,598年、老子25歳で來日、富山で2年学ぶ。

   ◆BC,531年孔子来たりて、富山で5年学ぶ。

  ◆BC,16年、キリスト20歳で来日し、31歳でユダヤに帰り、福音を人々に伝えた。キリスト来日した偉人達の一人であり、青森の戸来に住み、お墓までシッカリあることは皆さんもご存じの通りである。

   ◆AD,582年、アラビヤか回教史によると、24歳のマホメットは蘇我氏を頼って日本に来たと記されている。

そうすると、東西の国にある古代文献が一致したストリ-を持っていると言うことは、日本の超古代史にある記述もまんざら嘘ではないような気がするのであるが…!!。

アラビヤか回教史のように世界の西と東にある遠い国々に同じような事を語っている古代史が存在するのは、まさに真実の証拠と言うものではないのか…。如何であろうか…!!?。

 ただ、崩れつつある現代西洋文明に夢中な愚かな日本人達は信じることが出来ず、ただ笑い捨てるだけであろうが…!!。

 

その証拠となるものを更に見て見よう。イギリスのヘレフォード寺院にある中世から伝わる「キリスト教の世界地図」は聖なる位置とは東の方であり、遥かな東の果てに「エデンの園」を置いているのである。要するに、現在の日本の国の位置が聖なる「エデンの園」であると言っているのである。

何と、楽園である「エデンの園」は日本であると論じているのであるそこには何か根拠になるものがあったと思われるのであるが…。



  さて、このあたりで本格的に「カムナガラの道」を紹介しょうではないか、それは本気で取り組めば、現代西洋科学はひっくり返るばかりの真実を伝えているものである。
  次の通りである。

  

  

 
 見るがいい…!!、この図の持つ本質は0であることを「数」は語っているのである。要するに、この図は「易」で言う「太極図」そのものなのである。
 以前にも、申し上げたがこの図こそは「易」の元図であり、「神の法図」なのである。この図から両義、四象。八卦と0の本質を持ちながら分派していくのである。それはそれは見事にである。

 この「ひみ九九算表」こそが『ひふみ…の天地の数歌』の本体、すなわち、失われたと言われているあの「カムナガラの道」なのである その証拠にここに流れる数列のすべてはその中に 123456789の「ひふみ天地の数歌」を複数持って何かを懸命に囁いていることが解るであろう。   要するに、それが「ひふみ天地の数歌」の本体である由縁であり、その証拠となるものである。


 要するに、この図は『ひふみ…の天地の数歌』にある123456789の数を最初は1ヶ、次はそれを2ヶ、次は3ヶ、次は4ヶ、……、の集合図であり、まさに全体が祝詞『ひふみ…の天地の数歌』から成り立っているものである。 それは計算しなくてもあなた方なら、見るだけで判るはずである。このあたりから考えてゆくと現代の日本人は「「九九算」に長けていることも十分に理解出来るのである。 調べて見ると、「九九算」は万葉集にも技巧を凝った形で歌われており、また江戸時代の寺子屋でも多くの大人や児童がこの「九九算」を懸命に学んでいたようである。要するに、日本には遥か古代から存在して、人々に愛され続けて来たと言うことである。

 

 聞くところによれば、アメリカでは九九算が出来る大学生は僅か20%くらいなそうである。それに比べると日本人の小学校3年では90%が「九九算」を暗記しているのである。これらは頭の良し悪しではなく、歴史の操作による先天的な記憶の甦りが働いているのではなかろうか…!!!。

 それが、すなわち、DNAに刷り込まれた「刷り込み作用」と言うやつであり、過去と共鳴して現代に再び甦ると言う現象である。おそらき、それはあのシエルドレイクの言う、「過去と共鳴する生命」、「過去と共鳴する歴史」と言うシエルドレイクの仮説を現しているものであろう。

まずは、上記の「カムナガラの道」 (ひふみ九九算表) の説明とその計算法を少々述べて置くことにするので、心して十分な調査、検証を行い、すべてを確かめて貰いたい。

 

①  0の置き方、 この表の中心から左側の0はすべて0と置き、また、表の中心から左側の0はすべて9と置く。また真ん中あたりの0は0か9のどちらかの数を用いる。 これが0と9の使い方の決まりであり、普遍的な自然の定則と言うものである。

 

例 … 1番目 0000000000 → 0000099999 = 45

        4番目 0360360360 → 0360369369 = 45

 

すると、この表のすべての数列の加算数(∑)は45になり、一桁化して9になり、0になることが判る。それは縦、横すべての数列は同一な答えであり、その同一の表れこそが本質の姿なのである。 
  それは自分の手で納得するまで何回も検証して貰いたい。

 

このあたりは祝詞「ひふみ天地の数歌」である123456789(0)を学ぶと解るはずである

これを胸に置いて、この表「カムナガラの道」を縦横無尽に解き放ち、そこに鎮まる「神の法則」をあなたの手で解き明かして貰いたい。 それにより、あなたの心の向きが完全に180度変わるはずであり、それと同時にあなたの心にも安らぎが広がって、満足感が満ちて来るはずである…!!。真実を見ると何時でも、誰でもそうなるのであり、心にも純心さと易しさが戻り、体に力が漲るのである。

 

 さあ、今回も「神の数学」の基本となるものを学んで、今後の計算に役立てて励むことにしよう。とにかく、すべては「現代数学」には無い自然の道を歩んでいる「自然の数の語り」であり、そのあからさまな天啓を語っている「数物語」なのである。

 

 ●例証(その1)…古神道の秘密を解き明かす ①

古神道には確か、「表裏一体」と言う言葉がある。この正しい意味は相反する二つのものは大元では一つであり、この二つの関係は完全密接な状態で切り離すことが出来ない。これらが普通の解釈であるが、実はそこにはもっと深遠な哲学的な意味があったのである。 それが「表」と「裏」を合わせることにより、自然の摂理が生まれ出ると言うことである。それをこの「ひみ九九算表」から見出して、考察してみょう。

 

この「ひみ九九算表」 に中心線を引いて二つにわける。中心線から上の世界は「天(意識)の世界」で中心線から下の世界は「地(物質)の世界」である。 また、もう少し、ざっくばらんに言って見ると「あの世」と「この世」と言うことであもる。 その件はこの図を十分に調べれば判り、更なる「神の秘密」も見出すことが出来ることにもなるのである。

例を上げて見よう、 一つこの図を中心線で二つに折ってみてもらいたい。その上で、上下に重なった二つの数字を加算するのである。そう、その通りである、すべて答は見事に9に納まり、0に収斂されるのである。そこには一切の例外は無く、すべては同じ形の0に収斂されて納まっていることが解るであろう。要するに、この「ひみ九九算表」 の本質は0となるものなのである。

 

   ●例証(その2)…古神道の秘密を解き明かす

 例えばである、ここには古神道の奥儀である一霊四魂、すなわち、四魂を統括する一霊と四魂である直霊(なおひ)、荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)とその本質が示されている  知の迸り熱き方々よ、さあ、それらを見事探し出して見るがよい…!!!。確か、以前に掲げた覚えがある…!!。それは神道家の今泉定助氏が解きはなった通りのものである。

 

 ●例証 (その3)…現代科学の謎を解き明かす

 ジックリと祝詞「ひふみ天地の数歌」を読み上げながら、「カムナガラの道」の持つ意味を尋ねるがよい、すべては自然の数の流れが語り上げて止まないのが「カムナガラの道」である。さて、また、心に響くまで考えを閉ざさないことであり、考えて、考えて、考え抜くことが大切である。すると、何時かは「数」の女神がほほ笑みかけて来ることになるはずであるから…!!。

 

次の<図1>は上記の祝詞「ひふみ九九算表」の半分であるが、よく調べて見ると、まことに奇想天外の物理理論を示している天与の「数図」と考えてもいいものである。もっとハッキリ言えば、人間の考えた「メビュ-スの輪」の理論を表わしている自然象図であり、自然が描いているまたと無い「究極の図」と言うものである。

 

<図1>

 

 

 ●例証(その4)…現代科学の謎を解き明かす②

 

 <図 2>

  

 
 お判りであろうか【A】においての上端と下端は繋がっていることの証拠が上端のΣ=45と下端のΣ=54となる9の差を持つ数であることが…!!。

 調べればすぐに判ることである、ここにあるすべての数は9の差を持って繋がっている自然連数であり、本質は0となる驚くべき意味を持つ等差連数の姿なのである。

 また、面白いことに、左側の「ひふみ九九算」は0を挟んで上と下は鏡面構造であり、それと同時に、右側の二桁の数字もやはり、同じく0を挟んで鏡面構造体を構成しているのである。要するに、右側の図も、左側の図も真ん中の0を中心に二つに折れば、上下の加数はすべて9の姿になるものである。検証するがいい…、目が覚めるはずである。

 これを単なる偶然と言う学者はいないであろうと思うのであるが…!!。もし、いたならば、それはテンプラ学者であり、似非学者の最たる者であると断じてもいいであろう。

さて、さて、この<図1>により「数」の流れを辿っていくと上端からの数字(エネルギ-)は中心に向かいながら絞られて行き、中心で反転して向きを変えてまた下端へと向かっていくのである。要するに、これが、現代科学が説明に苦労している自然宇宙の時空的な構造の姿なのである。これを簡単な言葉で言えば「あの世」と「この世」の姿であり、エネルギ-の向きが反対なので、お互いに認識も出来なければ、感じることも出来ないまったく異質の鏡面世界と言うことになるものである。エネルギ-の流れが反対ということは時間が逆に流れている世界なのかもしれない、何故ならば、最近では時間もエネルギ-の一種であると言っている学者もいるから…!!?。

 

  残念ながら、今回も繰り事を多く語り過ぎたのでペ-ジが尽きてしまった。申し訳が無い、改めて頭を下げるだけであり、心にはいささかの呵責が残って、次は頑張らなければならないとい言う拍車がかかっている現在である。

上記の「数の仕組み」についてはあなたの手で改めていろいろと考えて見てもらいたい。 恐らく、見る人により様々な解釈になり、もっと興味のある意見が飛び交うであろうし、それもまた必要なものである。何故なら、西洋知の鼻っ柱を折るにはどうしても自然的な論理構成による証(あかし)の出現が待たれているからである。

 

とにかく、「神の数学」にはこのようなものがゴロゴロしていて、枚挙にいとまが無いくらいである。ただし、現代西洋知に塗(まみ)れている方々には笑いの種にしか見えないようで余り顧みられることもないようでもある。

少々、現れる時代が早過ぎたのであろうか…、早とちりしたのであろうか…。でも、今となっては精魂尽くすだけであり、運命と思ってが頑張るだけである。

さあ、また元気を出して明日から次に向かっての更なる愚筆を進めて行こうではないか…!!、  わっ は、は、は…!!!。

                                                              (2016、3月の語り 完)
さて、次回からは「神の法陣」を用いて、「神」の用いている宇宙自然の「計算法」を明らかにしていきたいと思う、

  そこで題は更に進んで「神の法陣」(4)となって、誰も知らない更なる「神の知」を開示していくのである。
 出来る限り学んで未だ人類の知らない「自然の象」をどんどん解き明かして貰いたい。