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 あなた方は、十数年前にあったあの有名な野菜スープ事件を覚えているであろう。ある人が大根、ニンジン、牛蒡、干し椎茸の4種類を使った野菜ス−プを考案し、健康に大変いいと世の中に広めたのである。するとその効果が余りにも大で、色々な病気が治ると全国的に流行し大騒ぎになったのである。すると何と言うことであろう、医者達はそんなもので病気が治る筈は無いと言って薬事法違反で警察に告訴して収監させ、その人の一生を台無しにしてしまったのである。それは確か2005年の秋ごろであったと記憶は告げている、恐らく、皆さんもまだ覚えているであろう。

 ところがどうであろう、今ではこの書、すなわち、「元祖野菜ス−プ健康法」は韓国、中国,アメリカに紹介され一大ブ−ムを起こしているの





 





 そして、今やヨ−ロッパやアメリカでも大変な人気を博していると言うのである。 何だろう、何かおかしい、一体何だろう…!!??。

その後出て来た米国側の慰安婦資料報告書はまた、「慰安婦は客を断る特権を与えられていた」「(日本人兵士が)結婚を申し込むケースが多くあり、現実に結婚に至ったケースもあった」と書いている。雇用契約に関しては、慰安所経営者と慰安婦の配分率は50%ずつだが、平均月収は1500円だった(当時の下士官の月収は15円前後と書かれている)。

                                                                                     平成26年3月の記




  「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No25       

 ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい B                        

           (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26年
月  謹上


 

 先月は韓国の誰も知らない歴史の裏事情、すなわち、現在話題になっている慰安婦についての真実を一語りしたのであるが、今回はもう一つの隣国である中国について一語り花を咲かせて見ようと思う。今までの日本人は余りにも中国を文化文明の先輩国として崇め奉って来たのであるが、最早彼の国に対してはそのような尊慕の念は不必要なのである。

 思い起こして欲しい、この100年間、すなわち明治期以後は日本が手を取り足をとって中国を教導し、それが花を開いて現代のような世界に覇を唱えるような強い国になってきたことを…!!。我々は中国の近代歴史からそれらの事実を知ることが出来るのである。

 要するに、日本が先生となっていろいろとものを教えて来た、すなわち、中国が大先輩と呼んで大尊敬すべきは日本の国であり、日本の国民なのである。この100年、彼等は陰に陽に日本からあらゆるものを学んで成長したからこそ今の中国があると言う事実を我々は知るべきである。それは今も変わらない、相変わらず日本の技術を手を変え、品を変えてて引っ張り込んでいるではないか…!!。

 今まで、余りにも日本のマスコミが中国は4000年の歴史を持つ偉大な国と誉めそやかすのですっかりその気になり、態度の大きいことこの上なしの状態である。まさに尊大そのものであり、日本を初め周辺の近隣国家を完全に見下しているのである。

 しかし、実体はまさに張りぼての国であり、虚勢とはったりが横行している国である。

その虚勢とはったりに完全に飲み込まれた日本の政治家達はただただご機嫌を取り、愛想を振り撒くだけである。その上、望みに応じて巨額な金額を今でも与えているのである。それがODAすなわち、後進国経済援助資金と言うおかしなおかしな金である。

あなた方は耳を疑うであろう、いまでアメリカと覇を争うような国力を持っているあの中国に後進国経済援助資金が今でも毎年日本から貢がれている不思議さに…。

 しかもその日本からの援助資金については中国国民は何も知らず、その大半は政府高官のふところに転がりこんでいると言われているようである。それが嘘か本当かは私には解らないが…!!。

≪対中国へのODAは約3兆円と公表されているこが、それは外務省関係の公的な援助額の数字であり、財務省など日本の他機関の援助額を総額すると、6兆円を上回る額となっているはずであると言われている。≫

 

 まずは中国の本当の実情、あるべき本当の姿を知ることが目下の急なのであり、現在、最も必要なことなのである。

 いくら国力bPとアジアでは威張っていても実際は張り子の虎であり、実力は何も伴なわず、ただ何時も威を張るだけであることを知るべきである。それを雄弁に物語っているそれは何回かの戦争で何時も外国に簡単に打ち負かされていると言う歴史上の事実である。

 ただ、大昔から威喝、恫喝する能力だけは長けているので近隣諸国は這いつくばっているだけなのである。よく弱い犬ほどよく吠えると言うが、まさにそれである。

 現在でも事情はまったく同じである。何時も日本を見下してこの上ない蛇蝎三昧を繰り返しているが、それはただのこけおどしに過ぎず、本心は日本怖しの気持ちで一杯なのである。そのあたりの実情をしっかり調べて見据えて見ればすべてはハッキリと見えて来ると言うものである。日本は何事にももっと強気に出なければただ舐められるだけである。

 例えば、何かが起って両国間が完全に断絶した場合には1年も経たずに中国は何も生産することが出来なくなり、世界の工場と言う地位から完全に滑り落ちてしまいのである。

 何故なら、使っている生産機械や技術ノウハウ等の90%は日本のものだからである。一旦覚えた技術ノウハウは残るかもしれないが、しかし、機械が故障したり、磨滅した場合にはもはや手には負えないのである。

 彼らには程度の高い修理と言うものはまったく苦手であり、駄目なのである。
 そもそも中国人は手で物を作ることには大変な抵抗感があり、むしろ拒否感すら覚えるものである。なぜならば、彼等の目指す商売は昔から、頭とソロバンで儲けるものと決まっているからであり、品物を作って儲けるなどとは最低の仕事との意識があるからである。    この数千年と言う長い間、彼らはそれに従って商売をして来ているのは明白である。要するに、安く買って高く売りつける、それが駄目なら、次は頭を使って盗むというのが常套手段なのである。その証拠に中国の工場に行って見るがいい、すべての工場には警備兵が銃を持って24時間見張っているのを発見するであろう。特に上海あたりの町はずれではそうである。聞いて見ると、誰もいなければ一晩で工場は空っぽになってしまうとの答が返って来た。何と恐ろしいこと…!!。 

 

 よく考えて見るがいい、そもそも中国は日本を手本として見習いながら、いろいろな援助を受けて来たからこそ現在があるのである。要するに、日本の技術力と頭脳を利用したからこそ現在の中国の繁栄があると言っても決して過言ではないはずである。

 しかし、そのような恩儀に対しては彼等は非情と思えるような反日的な態度を取っているが、それはまさに、長く苦しい被征服者の歴史の為せる業であり、それによる我彼の風習の根本的な歴史の違いがそこにはあることを忘れてはいけない。現在の日本人は本当の中国の歴史を知らないのでそのあたりの事情がまったく読めず、何も感じもしないのである。

 

 そもそも今回の靖国神社問題もそこに端を発しているのである。要するに、根本にあるのは死んだ人に対する思いの差であり、過去に対しては一切目を向けない。過去を破壊することにより、自分達の未来がそれ以上のものになると言う残像を持っているのである。

 要するに、日本と中国は死に対する概念、風習と言うものまったく違うと言うことであり、それ故に完全な意見の食い違いが生じ、それを中国は声高に世界に向かって主張しているのである。事情を知らない日本人は中国のプロパガンダに完全に乗せられておたおたしている、慌てふためいている、それが現在なのである。

 それぞれの国の風習をお互い理解し合い、慮(おもんば)からない限り意見の一致は決してありえない。何せ、基本的な考え方から完全に異種であり双立は不可能と言うことである。

 
 要するに、中国の死に対する概念とはこの世からの敗退であり、残った者が勝者であり死者を鞭打とうが小便をひっかけようが一向に構わないと思っている摩訶不思議な国であり、世界的な常識と言うものから見ても完全に外れている国なのである。

 歴史書を見るがよい、例えば、850年前に存在した秦檜と言う英雄の像に対して、今でも頭を叩いたり、唾を吐きかける、あるいは小便をひっかける者が甚だ多くて困ってると言うのである。彼は国のために敵と講和を結んだのであるが、その行為が気にくわないと言う簡単な理由で、今になっても疎外、嫌悪されているのである。

 確か、1930年代には余りにも参拝客が小便を引っ掛けるので地元の警察が24時間監視していたと報じられていたこともあった。何と言う国民性なのであろうか…!!。ただ呆れ果てるだけである。

 

 確かに、中国の歴史は他民族との争いの歴史であり、戦争が絶えなかった国である。

 有史以来、多くの他民族が覇を唱えて王朝を建てていたのは歴史を見れば誰でも判ることである。要するに、外来民族が建てた王朝が甚だ多いと言うことである。外来王朝が興る度に漢民族は殺戮されたり、捕虜にされたりなどと大変な目にあっていたのである。

 だから、新しい王朝が誕生する度に敵憎しとばかり、前王朝の墳墓は全てにわたり掘り暴かれ、埋葬されていた遺骨は表に放リ出されて鞭打ちの刑に処されていたのである。その挙句、一般大衆さえも理由も知らずに小便を引っかける風習が生まれたのである。

 だからお中国には墓などは殆どない、いくら有名で有力な皇帝でもその墓と言うものはまったく現存してはいないのである。すべては次に興った新王朝が見せしめのために破壊し、遺骸は鞭打ちの刑に処したのである。

そのあたりをもっと知りたければ歴史書「中国4000年の真実」…杉山徹宗(大学教授)著を読めばよく判るはずである。

 

 それを恐れたのが、かの有名な秦の始皇帝である。彼は誰にも知られないように秘密の中に地下宮殿のような陵墓を作り、工事の終了と共に関わった何十万の工匠達を陵墓の中に閉じ込めて殺してしまったのである。すべては秘密保持のため、場所を知られないための綿密な工作の一環としての処理であったのである。

 それが効を奏したのであろう、始皇帝の陵墓の場所は誰にも知られずに二千数百年の間、噂だけとして残されていただけである。要するに、所在地はおろか、その存在までも長い間誰も知らなかったのである。

 その場所が判明したのはついこの間である。西暦2004年に最新の地中レ−ダ−が使用されて初めてその場所が判明したのである。でも、すぐさま中国政府は一切の発掘を禁じ、手を付けようとはしない。

 なぜであろうか…!!。あなた方ならお判りであろう。

 一気に発掘を急いで、何十万、何百万の生き埋めされた工匠達の遺骨が発見されることになり、その場合にはその残虐性、野蛮性が世界中に知れ渡る恐れがあるからである。
 いくら隠そうとしても今のご時世では隠しきれず瞬時に世界中に知れ渡ってしまう、それではまずいと考えているのである。

 

 一方日本は死者を丁重に弔い、その生きた証(あかし)と言うものを永遠に残そうとする気高い精神を持っている国である。要するに死に対する見方、すなわち死生観と言うものが日本と中国は180度異なっているのである。

 日本は何時までも死者を思い、何百年経っても大切に扱うのが通例であり、当たり前な行為である。だから今でも未発掘の天皇綾を初めとする大墳墓が数千基と手付かずのまま残っているのであり、古代遺産と言う文化面では世界でもまれな素晴らしい国なのである。

 今でもその尊い心が続いている、その連続線に位地しているのが「靖国神社」と言う存在なのである。

 お国のために死んだ者達を手厚く葬り、後々まで語り残す、それが国民の心情であり、日本人の熱い心意気と言うものなのである。   

 私たち日本人からすればお国のために亡くなった死者を念入りに弔うことは当たり前のことであり、何ら恥じることはない。しかし、それが彼等中国人には死者を祀るという行為が我慢がならないことであり、ふざけた行為と写っているのである。
 出来ることならそれらの死者を表に引っ張り出して鞭打の刑に処して溜飲を下げたい、その気持ちで一杯なのである。

 それなのに日本を代表する総理大臣が敬意を表して参拝する、彼等中国人にとっては驚天動地の出来事であり、まさに常識外の出来事なのである。


 本来、すべては歴史や習慣などの国情の違いは当然在るべきことであり、本来、それがあるので別々な国家として存在しているのである。それがすなわち民族性と言うものであり、国家の成り立ちの起因となっているものなのである。
 そこに合一性を見ることは如何ともし難いものであり、相手との相談了解が無ければ出来ないものである。
 それが不可能なら何処までも平行線をたどって行くだけである。要するに、問題が起きてもただ放っておく、それが当然なのである。

 時間が経てばその中に世界の人々が判断し、良し悪しを決めてくれるはずである。

 中国と言う国は遥かな昔からいろいろな異民族に支配されて塗炭の苦しみを味わって来ているのである。この2000年を見ても自分達が打ち建てた国、すなわち、漢民族が作り上げた国家と言うものは僅か数ヶの王朝であり、その他大部分の王朝国家は周囲の異民族が侵攻してきてつくり上げた国家なのである。いわばほとんどが外来の征服王朝であり、その度に漢民族は他民族王朝の下では殺されるか、それとも奴隷的な身分に落されるかのどちらかで在ったのである。

 だから、王朝が変わる度に数千万人の人々が殺されたり、行方不明となっているのである。だから一旦、王朝が変われば坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに前王朝に属していた人間を徹底的に狩りだして殺戮に及んで来たのである。
 その数は王朝交代の度に数千万と言う人口が激減しているのである。

 また、それでも飽き足らず、前王朝の影響を受けた建て物、備品、美術品、そしてあらゆる墳墓にいたるまですべてを破壊したのである。当然、寺院や歴史的建造物も破壊され、万里の長城や石の建造物が何とか残ったくらいである。また、同じように優秀な楽器演奏者、歌い手、芸能者であっても前王朝に属した者はすべて殺すことにより自分達の王朝の権威を守ろうとしたのである。だから今でも古い歴史のある歌や踊りと言うものは中国には何も残ってはいないのである。

                歴史書「中国4000年の真実」杉山徹宗(大学教授)著より

 

 そのあたりを知れば現在の靖国参拝に対してあのように強固に抗議するのか、なぜ死者の魂にまで鞭打つ行為が強いのかが判って来るはずである。そもそも魂の歴史、心の持ち方がまったく違う、いわば、お互いは完全な異邦人、遠い宇宙人のような存在と言ってもいいものなのである。それがすなわち、私の持論である中国人や韓国人と日本人は完全に魂の違う民族であるとに通じるのである。

 終戦後、日本は余りにも自虐史観が強すぎて中国の歴史などは学校では教えなかったことが知不足を生じ、今このような形で現われて国を苛(さいな)み始めているのである。要するに正しい歴史を今まで教え無かった、ただそれに尽きるのである。

 他方、中国は日本の上げ足を取るような些細なことがらまで学校の歴史教科書でガンガン教えている国である。そこに広がる歴史的な知の差はまさに歴然としていることがお判りであろう。

 誰かが言っていたではないか、「歴史を知らぬ者は歴史に押し潰される」と……。

 まさにその通りであり、それは今、日本が直面している問題そのものなのである。

 

 あなた方は知らないであろう、中国にはお墓と言うものはまったく見られない。

 日本のような墓地、個人のお墓が並んでいる墓地所と言うものがまったく無いのである。

 人が死んだ場合には家人や親戚が形ばかりの葬式をして、後は馬車に棺桶を積んで浅い丘陵地帯に運び上げてその場にただ置き捨てるだけである。その道中には2〜3人の雇われた泣き女がけたたましい声で「アイゴウ−」、「アイゴウ−」、「アイヤマ−」、アイヤマ−」と泣きわめいているだけであり、家人や親族達は涙を見せることも無く、ただ、道中はしゃべっているだけである。そして、船に似た棺桶を男が二人で担ぎ上げその場に置けば、一目散に駆け下り、その後は誰も2度と足を踏み入れることなどは無いのである。

 その場所に捨てられた棺桶は部分的に原色で塗られて一定の方向に向いて置かれているのであり、そのままの状態で雨と風に打たれて時間と共に棺桶は朽ち果てるのである。当然ながら、一年も過ぎれば頭蓋骨と骨だらけになってあちこちに散乱してしまうのである。

 要するに、死んだらすべては終わりであり、思いも巡らすなどはご法度である。ましてやその後、死者に対して回向するなどの習慣はまったく見られないのである。

 そのあたりは日本とは大違いであり、死に対する概念と言うものがまったく異なっているのである。何と、今の日本人はそのことを誰も知らない、すべて日本と同じ習慣と思っているのである。まさに、浅はかな限りであり、愚かな心である。

 そのことを知れば靖国神社問題に対していくら誠意を持って対応しても無駄なことであり、意味の無いことが判ろうと言うものである。だから、ほっとけばいいのであり、相手にしなければいいのである。

 

 私の住んでいた場所は満州国の吉林省の片田舎であり、付近には朝鮮系の人々もいたのであるが、何せ、中国系と朝鮮系、それに日本人とそれぞれ風習の違う民族が完全に住み分けて別々の部落を作っていたのである。まさに、3者3様な生き方であり、それぞれの国の風習に則っていろいろな行事を行っていたのである。その間には決して干渉すると言うことは無いのであり、あり得ないころであったのである。今でも目を瞑ればその情景が胸をよぎって当時が思い出される、それからもう70年も経っていると言うのに…!!。

 

 要するに、私の言いたいことはお互いの持つ根本的な死生観と言うものが違うと言うことであり、歴史的にも生き方が異なっていると言うことである。そこには当然差があり、習慣性が異なっているるのが当たり前である。

 だから、統一的な見解の一致はあり得ないのである。すべては国民性の差としてお互いに干渉せずただ納得すればいいだけのことである。その中、時間が解決してくれるはずである。野犬だって相手にしなければその中に吠え疲れて静かになって来るはずである。

 

 今回の「靖国神社参拝」に対して中国政府は散々干渉して来ているが、日本の決まりとしては死んだら善も悪も無く平等に扱われるのが日本の習慣であると言えばいいのである。  あなた方の国の習慣である死んだ人に鞭を打つなどの行為は日本ではご法度であり、逆に罪になると強く言えばいいのである。そのような情報は瞬く間に世界に広がる時代である。

 恐らく、すぐさま反響があり世界の国々は日本に味方することになるはずである。

 要するに、世界の声を味方に付ければこれほど強いものは無いのであり、逆に中国の習慣と言うものが世界に広がり、大恥をかくと言うことにもなるのである。

 

 歴史を見るがいい、2千数百年前の始皇帝の時代以前から死者の墳墓を暴いて死者を鞭打ちの刑に処する習慣が連綿と続いていたと言うことはまた空恐ろしいことである。

 それを恐れた始皇帝は自分の埋葬場所を歴史の中の秘密として隠し通したというのもこれまた大いに納得出来ることであり、いわば、人間的な合理性を備えていた人物であり、普通の人間であったと言うことである。

 

 今つくづく思うに、日本民族と中国人の間には思想的な面では遠い昔から大きな溝が横たわっているということである。それはすなわち、日本人と中国人はもともと別な人種であり、魂の出生が違うと言うことを意味するものではなかろうか…!!。

 中国や韓国人がアジヤ人種と言うならば日本人は少々異なる人種であり、超アジヤ人種と呼ぶべき特殊な民族のような気がするのであるが…。

 要するに精神的には1歩も2歩も進んだ人種であり、アジヤでは類の無い意識的にすぐれている人種と言ってもいいのでなかろうか…!!。 それは「神」や「仏」、あるいは「自然との語らい」と言う精神面でのインテリジェンス性が甚だ高く、柔軟性を持っている民族と言うことであり、いわば、昔でも、今でも変わりのない世界でも貴重な存在と言ってもいいものである。

 その証拠に、古代中国の歴史書を見ると、日本は中国も羨むような知徳の高い国と記されて在り、あの有名な聖人君子の孔子でさえも海を渡って日本に行きたいと嘆いていたと書かれているのである。その上、不老長寿の神仙の国との評判が高く、まさに彼の地の人々にとっては憧れの国で在り、行って見たい国であったのである。

 

◎「仁にして生を好む、天性従順にして治るに道をもって為す。君子不老の国なり。」

                      ……後漢書の倭人伝より

◎「その年を考えるに、あるいは百年、あるいは八十、九十歳年になるもの甚だ多し。」

                       ……魏志倭人伝より

◎「倭人の多くは八、九十歳に至り、あるいは百歳に至るもの多し。」

                       ……梁書の諸夷の項より


 まあ、言って見れば日本人は今でも当時とあまり変わりはないようである。余りにも天性従順だからこそ、難癖をつけられるのであり、道を持ってすべてを治めていると言う夢のような国だからこそ、イチャモンをつけられるのである。また、今も当時も人が羨むほどの文明の国、長寿の国であることがこれでお判りであろう。 すべては余りにも恵まれてい過ぎるので、その反動と考えると別に腹も立たない。
 要するに、すべてはこれ、羨ましさのあまりの反動の表れであり、一種の嫉みの行動と考えるべきである。だから泰然自若として慌てずに構えていることが大切であり、それはまた後々のためになると言うことなのである。

 恐らく、数十年後には世界から励まされこそはするが、おとしめられるようなことは無いはずである。逆に、イチャモン付けている国は世界からは笑われることがあっても誉められることなどは無いはずである。

 そんなことにはくよくよせずに胸を張って前進あるのみである。今は失意の中に落ち込んで少々元気が失われているが、これからの日本は前途洋々な一大大国になって来るのは疑い無いことである。 何せ、無限な海洋資源を抱え、産出するエネルギ−などはあり余る国になり、その他の金属資源においても世界最大級の豊富な資源国になると予想されているのである。ご存じであろうか…!!。

 まあ、今は少々きついかも知れないが、15年後、20年後の日本を期待しょうではないか。それを証しているのが歴史と言うものであり、遥か遠い古代からの驚くべき伝言の数々である。

 すなわち、それが超古代日本には何回となく世界に類の無い超文明が花を開き、世界に進出した時代があったとの言葉が書かれている超古代文献の群のことである。 

  まあ、それらを信じ、それらを夢見て明日を頑張ることにしょうではないか…!!!。

                         (完)


 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No26       

 ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい C                        

           (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26年月  謹上


 

 さもない自然の出来事の中にこそ大いなる真実が見え隠れしていることが多々あることを知って欲しい。まさに自然は素晴らしいものであり、そこには本当の真実が隠されていることを我々は知らなければならないのである。

 人間は欲が深いのでなるべく大きくて目立った自然の出来事を選んで研究し、それを世間に出すことにより名誉や地位を獲得しょうとして懸命に頑張っている。その結果、余りにも題材が大きすぎてままならず、一生をかけても完成には至らぬものが甚だ多い。要するに、野望が余りにも大きすぎたと言うことである。

 それより自然には小さいことではあるが、まだまだ人間にとっては役立つ情報がごまんとあるのである。出来ればあまり背伸びせずにそのあたりから始めるべきであろう。 なぜなら、最終的には短期間で即、人々の役に立つこととなるからである。

 今回はそのあたりの小さな私のストリ−、これから始まる未完のストリ−を一つ紹介することにしたい。

 すべては事実であり、私の体験談でもある。もし、貴方が将来、科学者を志すなら、このような小さな自然物語に注目して一生を研究に捧げて欲しいものである。見かけは小さくても根っこは大変大きいものであり解明されれば人々のためになることは疑いは無いものである。その上、即、役立つものであり、人々の健康を保持するためには大いに貢献するものである。是非、この意味することを考えて、是非あなたなりの結論を出してもらいたい。

 

 私の知り合いに今年93歳になるお爺さんがいる。何時も健やかで生き生きとして、常に活発に動きまわる御仁である。私は大分以前にこの御仁から悩みを打ち明けられたことがある。多分、今から4〜5年前あたりであろう。
 彼にとっては当時大分深い悩みであり、人にも打ち明けられず長年心にしまって置いた問題であった。その彼の悩みを図らずも解消させ、元気づけたことがあった。

 その転末を申し上げよう、人によっては甚だ馬鹿馬鹿しい話に聞こえるであろうが、私にとっては大変興味深く、今でも心に残って深く考えさせられるような時がある。

まあ、これを読んでいる方々の中でも恐らくは意見は二つに分かれることになるであろうが、まずは話を聞いてもらいたい。

 このお爺さんの家の隣は他人所有の檜(ヒノキ)の林であり、今では大きく育って常に屋根までかぶさって一日中陽が当たらない状態である。かれはそのことが家族の健康状態に影響し、誰かが病気になるのではないかと常に不安を抱いていたそうである。

 彼は何回も檜林の持ち主に家屋の近くの木を切ってもらいたいと掛け合ったそうである。しかしその中に話がこじれて口論となり、相手は一生切るものかと意地になって反発したそうで、それ以来疎遠な仲となっていたのである。

 それから大分年月は流れ、相手は亡くなったが遺言として決して檜林を切ってはならないと言い残したそうである。何せ、彼は近隣でも偏屈者として有名な存在であった。

 そのあたりのことをお爺さんは悔しそうに何度も訴えるので、私は考えに考えて次のようなアドバイスをしたのである。

 「檜は特別な香りを発して害虫や細菌を寄せ付けないと昔から言われている、最近の研究では人体の血行を促進して肉体疲労の回復を促す効果があることが解って来ている。ひよっとすると檜が出すフィトンチッドと言う成分(匂い)は長生きのための妙薬になるのかもしれない、貴方がまったく健康で病気も知らないのはそのせいかも知れないよ…!!。何かそのようなことを慰めとして言ったのである。

 ところが彼は中々信じないので、私も意地になってそのための証拠を一つ見せようとある場所に案内し、現実を見せたのである。
その場所は檜の林であり、その中に所々にクヌギの木が散在していた静かな森の中である。

 そこでおもむろに説明したのである、この檜林の中にあるクヌギの木を見て貰いたい、まさにそれが大切な証拠である。この檜林の中にあるクヌギの木をしっかり見てほしい、すべてのクヌギの木は堂々として素晴らしい気品を持って空高く伸びているではないか…!!。

 確かにそのクヌギの木達は皮も木も古めかしくはなく、真新しい状態で何とも言えない威厳があり、まるで森の王様のようにそびえ立っているのである。それは誰が見ても、思わず「何だ、これは」と思わすような素晴らしい檜林の中のクヌギの木の群であったのである。

 その檜林から僅か4〜5メ-トル離れた所から雑木林に変わり、そこにも多くのクヌギの木が群生している。しかし、どの木を見ても虫に食われて変形し、曲がりくねって醜いほどのものばかりである。それは丁度、王様と乞食(こじき)、または貴夫人と老メイドの違いであり、余りにも環境の違いと言うものが如実に現わしているものであった。

 確かに、それらは一目瞭然の違いであり、地獄の木と極楽浄土の木の違いそのものであった。檜林の外にある木はまるで地獄でうごめいている亡者の姿であり、色艶は無く薄汚れて見るのも痛々しい限りであり、虫に食われ悲鳴を上げている姿はまさに地獄の亡者の姿を連想させるものであった。それに比べると、檜林のクヌギの木はまさに上品で優しい観音様の姿そのものであり、傷一つなくすくっと空に向かってそびえたっていたのである。

 その神々さ、その気品の高さには思わず感嘆の声が洩れるような有様であった。

 帰り際にそのお爺さんいわく、思わず拝みたくなるような光景であった、貴方の言うように檜の木というものは恐ろしい不思議な効果を持つ「神の木」である、昔から言われている「檜で作ってある風呂に入ると百難を逃れることが出来る」の言葉も納得がいき、また医学でも「檜の風呂は血行を促進して肉体疲労の回復を促す効果があるので、冷え性やむくみ、下半身のだるさが改善される」と言われるのも合点が行ったと大変喜んでくれた。

 彼はそれ以来元気そのもので風邪ひくこともない、86歳になる奥さんも元気そのものである。家族全員が同じく元気な状態であり、軽い病気の一つさえもしたこともない。

 また、その檜林から7〜8m離れた崖の下の所にお婆さんが一人で住んでいる。このお婆さんもまた92歳で元気に毎日を過ごしている。

 やはり何らかの檜の恩恵を受けているとしか思えない。やはり檜には何かがあるはずである、何か未発見のアンチ・病気の成分が含まれて周囲にそれをまき散らしているような気がしてしょうがない。

 それは何だろう、その真実を誰かが見出して理論化し応用が出来ることになれば、恐らく日本から病人が激減し、国は類の無い文明国、健康国としての面目を施すことになるであるが…!!。

 そこには何かの作用、何かの未知現象が必ずあるはずである。疑問符付きでもいい、誰か教えてはくれないであろうか。私は是非知りたい…!!
 これは日本人にしか出来ない窮極の研究であり、日本の研究課題と言ってもいいものである。なぜならば、檜は日本独特の木であり、日本のみに存在する「神の木」と言ってもいいものだからである。

 

 今の日本を見るがいい、日本人は世界人口の約2%しかいないのに、世界全体の薬の使用量の40%を使っていると言う恐ろしい薬漬けの国である。ご存じであろうか…!!?。

 日本の医療費は1995年には2388億円であったが、2010年には40兆円に近いのである。倍率にすれば何倍であろうか、計算をして見るがいい。呆れ果てた数字である。

 そこで私は毎日考えている、果たしてこれら檜と人間の健康の間には何かつながりがあるのであろうか…??、それとも単なる偶然が引き起こしたたまたまの一致なのであろうか…?!。このようにして、私のライフ・ワ−クが一つ増えたのである。

 今、私の机の上には大きな花瓶があり、この前までの花の代わりに沢山の檜の葉のついた枝で満タンの状態である。
 気休めかもしれないが何となくあたりの空気が引き締まっている感じである。また枯れずに実がだんだん大きくなって来ているのは見ていて楽しい限りである。今では私の心の慰みであり、夢と希望を膨らませてくれる希望の星である。

 果たして、檜の発散する超微量な粒子が人体に作用して身体を健康にし長生きに貢献していると言うのは考え過ぎなのであろうか…??。それとも単なる噂だけであり、科学的根拠と言うものは無いのであろうか…!!。

 いや、やはり檜の森で見たあの風景が忘れられない、やはり科学的には検知されないような極微粒子が存在し、それが病気に対するアンチ効果を出し身体を守っていると思いたい。

 要するに、匂いよりもっと小さい量子的粒子、すなわち、未だ科学では検知されてはいない微細量子的な存在が人体に対して何らかの防御的な役割を果たしているのではないかと考えられる。恐らくそれは攻撃的な意思を持った外来粒子的な因子を無害にする、あるいは近づけさせない防衛的な役割を果たしている何かが存在しているのであるが、今の段階ではただ検知不能と言うことである。

 それは恐らく、人間で言えば幽子と言う霊の基本体(一般にはオ−ラと言われている)であり、常に本体のまわりを囲んで防御的バリァ−を張っている一種のエネルギ−フィールドである。

 それが昔からいろいろな仏の絵に描かれている御光(後光)であり、特別な能力のある者には見えると言われる物質(人体)の周りを囲んでいる微かな光のことである。

いや、それは東洋の仏ばかりではなく、西洋の聖人達や天使達の頭上に現われているものであり、聖光と言われている存在である。

 それは現在の我々はオ−ラ−と呼んでいる不可思議な光であり、人体から発散される一種の霊的なエネルギのことである。

 

 それについては大変面白い話がある。

 

 今から約40年前に工学博士の内田秀男氏によりオ−ラの存在が科学で実証された。彼は人間の体から一種の電磁波が放射されているはずであると言って、その微弱な電磁波をキャッチ出来る「オ−ラメ−タ−」と言うものを25年かけて開発完成したのである。

 この「オ−ラメ−タ−」で人体の周りをはかると、健康体の場合にはマイナス的な性質を持つ電磁波エネルギ−が検出され、また、病気とか疲労がある場合には、プラス的な電磁波エネルギ−が検知されたのである。

 それは要するに今の言葉で言えばマイナス・イオンプラス・イオンのことである。

 それにより今まで、オカルト的な認識下でオ−ラと呼ばれる存在と同一なものと証明され、そこで初めて「オ−ラ現象」が科学的な光の下にその正体を明かされたのである。

 ちなみに、オ−ラは人体だけではなく、ペンダント、お守り札、身の廻りの衣服、携帯品、生活環境の中にあるいろいろな器物、飲食物、タバコなどの嗜好品、はたまた動物や鳥類、いろいろな植物などが、微妙かつ密接に人間のオ−ラtp関係していると言うことが実測により判明したのである。

 氏は言う、いろいろな人体実験により、感謝と反省の心のある人は前面のオ−ラが厚く(約1メートル)、感謝と反省の心のない人は前面が甚だ薄いオ−ラ(10センチ)により包まれていると……。まさに面白い話であり、興味の尽きない検証と言えるものである。

 また、このオ−ラは体のどこかに疲労した部分があったり、病気や、異常が認められる部分は異常なモヤモヤしたプラスのオ−ラを出していることも判ったのである。

 さて、大変面白いことに、このオ−ラの形状は男子は父親、女子は母親によく似た形状のオ−ラを持っているそうである。このことにより先祖代々の因縁の繋がりの存在がハッキリと判ったと語っている。

 何となく、親子のつながりを示す遺伝子の話に似てはいないであろうか…!!?。

 また、驚くべきことに先祖や、亡くなった子供の命日の前後3日間くらいの間、父親すなわち、父方に因縁を持つ先祖や子供の仏の場合には大体右側、母親の因縁につながるものは大体左側に「オ−ラの雲」のような塊の存在が見えて来るそうである。
 それは体から数十センチ離れた位置の空間、つまりその人のオ−ラの中に姿を現し、もし、流産した子供のある場合にも同様な「オ−ラの雲」の塊が見えるそうである。
 この場合には直径が約15〜20センチの球状のプラスのオ−ラが体の周りをフワフワと見えない風船のように付きまとっていると言うのだから、また、これもショックな話であり、興味深い話ではないか…!!。何となく考えさせられるものである。

 

 内田博士は更につづける、別に宗教界の提灯持ちをする訳ではないがと言葉を続ける。「己の生活環境に感謝し、不徳不備を反省する心のない、他人の迷惑を気にしない「我」の強い人は前方のオ−ラの膜が薄いため外部の影響、すなわち、災難や事故の影響を受けやすい。神仏を敬い感謝と反省の心のある人は前方も後方もオ−ラの膜が厚くて大きいので電磁気的に外部の影響を受けにくいと…!!?。

つまり、心掛けのいい人には災難や事故は向こうからよけて通ると言う昔からの言いならわしがあるが、その確かさ、運の強さの有無がこれらの実験からも判ると言っているのである。

 さあ、こう云われては神も仏もヘッタクレもない人が多いこの世の中、自分だけが良ければいいと言う人の多い今の世の中を見ればつくづくと考えさせられる。

 それとは別に霊能者達は言っている、我々の周囲には常に霊がうごめいていて隙あらば身体の中に入り込もうとしていると。そもそも病気と言うものは霊が無理に入り込んだので身体に変調をきたした状態を言うのであると。

                  そのあたりのことを知りたければ「神の数学」の≪ちょっと号外NO4≫を見てほしい。

 

  だから、病を引き起こすような邪悪な霊の侵入を防ぐための何らかの科学的な手立があればまさに言うことなしなのである…!!。
 それを見出すことは、これまた人類にとっては大福音であり、まさに人類の歴史上の大発見と言えるものである。
 なぜならば、それにより、我々の苦悩も半減するはずであり、これから先の人生も希望を持って生きていくことが出来るはずである。  まさに人類の最大の大福音と言っても決して過言ではないものである。

 しかしである、科学者達は何を寝ぼけたことを言っているのかとまったく取り合わない…!!。それどころか、内田工学博士の苦心してつくり上げた「オ−ラ・メ−タ−」さえも今では忘れ去られた存在となり、知っている人さえも殆どいない有様である。

   まことに口惜しいではないか…!!。私に言わせると世紀の大発明品と言ってもいいものなのであるが、…!!!。

 

 西洋では昔からニンニクの匂いが悪霊(憑依霊)を寄せつけない効果があると言われてニンニクを食べたり首からぶら下げたりしている。そこには何かがあるのであるが、まだ我々の科学は幼稚でそれを突き止めることが出来ないだけである。

 ひょっとすると檜の香りやニンニクの匂いと言う微細な量子的な粒子が外部からの侵入をブロックしているのかもしれない。要するに、そこには憑依性のある霊達も決して割り込むことの出来ない何かが存在し、身体を守っていると考えてもいいのかも知れない。
 ただ未熟な科学がそれを認めないだけなのかも知れない、恐らくそうであろう。

 確かに、今の世の中、そのような事を口にすれば科学者達にはこけにされ、笑いものにされるばかりではなく、仲間でさえも笑い転げるのがおちである。でもそれを押しのけてこれらの現象の確かな存在をある一人の勇気ある電気工学博士が追求し、そこにある事実を世の中に出しているのである。

 しかし、それを専門外の学者がこぞって否定し、誰も追従することはなくすべては終わりを告げ、今では知る人もいない有様である。

   何かおかしい…!!?。人類の幸せのためになるならば、我々は何回でも追求し、ことの真相を調べるべきであろう。

 まあ、新しい科学的発見が発表される時は何時もそうであるが…!!。とどのつまり、せっかく見出された宝も仲間により何時の間にか放棄され、捨てられたままの状態になって姿を消してしまうのである。10年も経てば噂にも登らない、忘れ去られたままである。
  何かがおかしい…!!?。

 その構図は今、世間を騒がしているスタップ細胞の発見者である小保方晴子さんとその他大勢の会社のお偉方の人達のやり取りを見れば今も、昔もまった変わらない。何とか責任逃れをしょうとしているだけである。それに加えて専門外の専門外と言ってもいいマスコミのど素人までが口を出し、言葉を挟んで攻撃しているのである。それもまたつまらない難癖を付けてである。専門家によれば昔からの常法であり、皆がやっていることと言っているのであるが…!!。

 まさにその図はスケプゴ−トを囲む盲のライオンの群と外野で吠えるマスコミと言うオオカミの群である。まさに、絶体絶命の運命にある個人学者の姿である。もはや常軌を逸した状態であり、国を損なってもまだあまりある不可解な状態と言ってもいいものである。 それはまさに、日本人同士の叩き合いであり、一文にもならない攻撃で日本をおとしめ、世界の笑いものになっている学者やマスコミの不可解な行動である。そこには最早日本人特有の和の心などは一切無い、まさにエゴむき出しの醜い争いがあるだけである。

 このままではせっかくの宝物は外国の研究機関に横取りされて間を置かずに発表されることであろう。要するに、みすみす外国の手柄にされて一巻の終わりとなるのである。そのことを当事者達は気がつかないのであろうか…!!?。 

 まさに、何時もの若い成功者いじめの見苦しいパタ−ンの繰り返しがまたもや始まっているのである。簡単に言えば、見やすい画像に変えた簡単な事が「捏造」や「改ざん」と言う悪意に満ちた言葉となって総攻撃の種になっているようである。研究者に聞くと論文の中では見やすくするためには多々あることであり、別に問題にされるようなものではないと言っているのであるが…??!。

 はて、さて…!??、何かがおかしい。何かの作為的な意図が感じられ、行く末に危惧を覚えるのであるが…!!?。

 

 それは余りの日本人の根性の狭さ、弱い者いじめの悪い性格が将来巨大な利益を生むはずの金の卵をミスミス外国の研究機関に持って行かれてしまうと言うことであり、いつものパタ−ンがまたもや始まったと言うことである。
 

 その結果、余りの非常識なパシングに嫌気をさし、彼女はその中に好待遇に誘われて外国の研究機関に行ってしまうであろう。それは火を見るより明らかであるが、今のところ誰もそこまでは読めないようである。ひょっとすると、自分の手を汚さず日本人の手で始末させようとする外国の誰かが裏でシナリオを描いて懸命に煽っているのかも知れない…!??。何故なら、発端があまりにもいい加減であり、しかも始まって以来批判や糾弾だけの終始があるだけで、そこには何となく研究発表を無いものにしょう、論文を無効にしょうとする邪悪な意思が見え隠れしているからである。

 恐らく、これからは国際的な場に飛び火するであろうし、画策した外国の国から見れば思わずニャリとすることである。何故なら、この論文が撤回されてフリ−になると思わぬ宝が懐に転げこみ、その国には莫大な利益をもたらすことになるからである。

 これらのことは今までも何回も経験済みのはずであるが、またもやである。日本人のおバカぶり、先を考えようとはしない性格は何年経っても相変わらずであり、すぐに忘れて何も学習してはいない。いくら高学歴社会と威張っていてもまったくお寒い限りである。

 本来、このような場合には国が裁定に入って一年なり、二年なりの期間を与えて研究を続行させるべきなのであるが、そのような眼鼻の聞く人材は政府にも官僚にもこれまた誰もいないと言うお粗末ぶりである。何のための指導者なのであろうか…!!?。

 しかし、これもまたおかしな話である、普段は少しの利権も見逃さずにすぐにもぐりこんで少しでも分け前にあずかろうと画するはずなのに…!!。

 アメリカを見るがいい、国の将来に役立つと判断すればすぐに政府が乗り出し、国のために全員一致で働き出すのである。それはそれは本当に見事な連携プレイである、日本も見習うべきではないのか…!!。

  そのあたりは過去にあった実例を2,3挙げて置くので出来ればもう一度思い出してもらいたい。

 まずは古いところからである。

@ 大分以前に世界中が大騒ぎした真空管に替わる革命的発明であるトランジスタ−のことである。これは一般的には1947年に米国ベル研究所のバーディンとブラッテンにより考案され、ショックリーが実用的発明としたことになっている。その結果、1956年にこの3人はノーベル物理学賞を受けているのはご存じであろう。

 ところが、実はそれ以前に日本人が考案していたのである。その人こそが先に述べた「オ−ラメ−タ−」の発明者である内田 秀男工学博士その人である。

 

この内田氏のトランジスタ−に関する画期的研究成果を、研究主任は認めていたが、その上司達が全く認めなかったのであるいや、逆に馬鹿にしてそんなものは出来る筈がないと嘲笑ったそうである。当時は内田氏の勤める研究所もGHQの検閲が頻繁に行われていたので、恐らくGHQから米国にそれらの詳細は伝えられたであろう、それから半年後にはベル研究所からトランジスタ発明の発表があったのである。

でも、そんな事情などは極楽とんぼの日本人はまったく知らない、知ろうともしない、本当に大切な教訓がここにはあるのであるが…!!。

本来は教科書に載せて子供たちの心を大いに鼓舞する事件なのであるが…!!。

A あなた方は世紀の画期的な発明の一つである光フアイバ−を知っているであろう、しかし、誰が発明したのかは知らないであろう。その先駆者は日本人なのである。

  東北大学教授の西澤潤一氏は1964年に光フアイバ−の特許出願したのであるが、当時の特許庁は意味がわからないとしてこれを  不受理にしてしまったのである。当時の噂ではその出願書類がアメリカに流れ、その情報はまさに筒抜けの状態であったと言われていた。

 それから間もなく、1965年にアメリカ系中国人であるチャールズ・K・カオにより光フアイバ−の論文が出され、カオはその功績により1996年に日本国際賞2009ノーベル物理学賞を受賞しているのはご存じであろう。彼はその功績により「光ファイバーの父」としばしば呼ばれることになったのである。

あなたは何かおかしい…??、はてな…!!と首をひねらないであろうか…!!??。

 まさに日本人の心を揺るがして止まない事件であり、教訓として覚えて置くべきことである。

B あなた方は余り知らないであろう、日本にはトロンと言う素晴らしいパソコンのソフト(OS)の発明があったことを…!!。しかし当時は余りにも優秀なものであったのでアメリカの政府からは拒否されてしまったのである。なぜならばアメリカでは膨大な費用をかけたマイクロソフトのウインドウズと言うOSソフトが育っている最中であり、それより遥か優秀な機能を持つトロンが入って来たならばすべては全滅する恐れがあったからである。

  もっとハッキリ言えば、トロンとは「日本版Windows」であり、当時は非常に優秀で画期的なものであったのである。もし、トロンが採用されていれば、それこそ、「日本では誰もWindowsなどを使用する者はいなかったと言われるくらいに凄いものであり、一気に世界中に広がり、利用されていたはずと言われていたのである。

 しかし、そんなことは今の日本人の誰も知らない、ただ、脳天気に構えてノホホンとしているだけである。

  しかし、ご安心あれ、幸いなことにこの日本発のトロンは今でも生きているのである。いや、それどころか今ではトロンの搭載数はまさに世界一と言われるようにまでなっているのである。

  ただ、日本人がまったく知らないだけであり、教えられてはいないだけである…!!。

 この「トロン」は今現在でアメリカのWindowsに遥かに勝る「省エネ能力」と「高速処理能力」というメリットを持って世界せましとばかり暴れまくっているのである。あなた方はそれを知らないだけであり、知らせられてはいないだけである。

 本来は教科書にでも載せて子供たちに教えるべきものである。つまらない歴史を学ぶより、余程子供の心に赤々と希望の灯をともし、未来への励みになるものである。

 それはすなわち、トロン」は携帯電話、デジタルカメラ、ビデオカメラ、DVDFAX、コピー機、洗濯機、炊飯器、カーナビ、銀行のATM、電子ピアノ、工作機械などあらゆる電子機器に搭載されて活躍しているのであり、それらすべては日本で誕生した「トロン」で動いているのである。

 何と、今では世界で最も搭載数の多いOS(オペレ−ション・システム)に成長しているのであり、世界中のあらゆる国の人々の生活には無くてはならない必需品となっているのである

  

 これらのことから推測されるものとは、まさに日本人の知は世界をリ−ドし、人類の文明を変えてしまうような極めて強力なパワ−を持っていると言うことである。

   まさに、弥栄の極み、無上の歓びであり、誉でもある。また力がとめどもなく湧きあがってくる源泉ともなるものである。

 ただ、そのことを極楽とんぼの日本人が知らないだけであり、教えられてはいないだけである。教科書にでも載せれば子供の心の励みになることは必定である。それは太古より少しも変わらぬ日本民族の真価の発露であり、世界に誇れる知的な文明の所有者たることを物語るものである。要するに周囲がしっかりガ−ドをして守ってやればこれからの日本はまだまだまだ世界に貢献出来ると言うことが上の事例からも判る。それには古来からの和の心を失わないことであり、一致団結の精神を鼓舞することである。

                                                                     ≪今回の記              
      

   「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No27       

    ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい D                        

              (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26月  謹上


 常々不可解であり、常識で見てもどうしても解せないと言う問題がもう長年胸の中でくすぶっている。数えて見るともう10年以上もくすぶり続け未だに消えてはいない。

 まことにおかしな話ではあるが専門家達は誰も問題にせず、話題にもしょうとはしない。

 この問題は誰かが強力に推し進め、明快なる論理を立てて社会にアピ−ルし説得を進めることが望ましいのであるが、まだ誰もそこまでは言いだしてはいない、しかしそれも時間の問題であろう。

 それは人間の3大本能と言われる食欲と言う重要な基本の問題であり、人間が生まれてこのかた誰も疑ったこともない一つの本能の聖域に関することである。

 我々は生まれてからこの方、一日3食取ることが普通であり、今まで誰もそのことに対して疑いを持つ者はいなかった。終戦後の貧しい食生活も一日3食であり、高度成長期を迎えて栄養的に非常にリッチな食事となっても相変わらず3食が普通である。

 今から50年前までは自動車は少なく殆どの人は何処に行くのにも徒歩で済ませていた。恐らく、今までは身体の消費するエネルギ−の3分の1か半分くらいは歩くことに費やされていたはずである、何故なら歩くと言う行為は身体全体を使い生活の中では最もエネルギ−の消費が激しいものだからである。ところが今では何処に行くのでも車であり、遠距離を歩くことなどは殆ど無い、100メ−トル離れた隣家に回覧板を置きに行くのも車で行く有様である。

 しかも、現在の3食の食事は栄養過多で量的にも制限は無い、要するに、食べたいものを食べたいだけ食べている過食の状態と言ってもいいものである。一方、身体は動かさないのでエネルギ−は身体に貯まるだけであり、はけ口はまったく無いと言うことである。そこにある理不尽さ、すぐにでも計算出来る結果結末については誰にでも判るはずである。

常識的な考えに従えば甚だおかしいことであり、まったく辻褄が合わないものである。

 しかし、そのことを疑問視する者は誰もいない、医者も知らなければ学者達もまったく騒がないようである。要するに、表立ってそこにある大きな矛盾を口にする者は誰もいないと言うことである。

 すなわち国民全体、子供も若者も老人もメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)をまっしぐらに走ることになり、止まることを知らない状態になる危険性があるのである。  それが将来、高血糖、脂質異常、高血圧等を引き起こし、重複した場合は命にかかわる病気を招くことになるのであるが…!!。

 恐らく、国の関係機関や医者達はそのことを判っているであろうが、まったく警告すら発しようともしない。いや、逆に3食しっかり取ることを推奨しているようである。

 まあ、発育中の子供や筋肉を使う労働者たちならそれもいいかもしれない、しかし、定年過ぎでまったく身体を動かさない高齢者に対しても健康で長生きしたいなら3食しっかり取りなさいと医者達は言っているのである。何かおかしい…!??。

 本来、彼等老人達はあまり体力(エネルギ−)は必要ないのが普通であり当然である筈なのであるが…!?。

 そこを考えずに医者の言うことを素直に聞いて無理にも3食を摂っている人がこれまた多い。その結果、何時の間にか身体の中に溜まったエネルギ−は内部崩壊を起こし、弱った身体を完全に痛めて再起不能の状態に陥れてしまうことになるのである。

 それが胃ガン大腸ガンであり、血液不良血管障害、脳梗塞心臓病、あるいは認知症、アルツハイマ−などである。

 何と、最近では老人性アレルギ−花粉症も食べ過ぎに原因があると言われているようである。

 

 要するに、生活習慣病、すなわち国民病と言われている体の不具合は食べ過ぎにあると言うことであり、栄養過多が原因なのである。しかし、それを気にする者などは一向にいない…!!。好きなだけ食べて、胃が満足するまで食べて食べて食べまくっている。

 ひょっとすると、人口減少、すなわち少子化傾向が進んで止まらない状態にあると言うのもそのあたりにも原因があるのではないのか…!!。

 しかし、そんなことは誰も言いやしない、誰も聞こうともしない。ただ、新聞では西暦2050年までには日本の人口は大激減して国が傾いてしまうと大騒ぎしているだけであるが…!!。

 まことに不可思議な国、何も考えようともしない国、それがこの日本と言うおかしな国である。

 

 食べ過ぎがこのように非常の多くの病気を引き起こし、国の財政までも圧迫破綻させようとしているのである。何せ、国の税金収入が40兆円あまりであるのに対して国民が医療機関に払うお金が40兆円と言うことから見てもことの重大さはよく判るであろう。  
 何と日本国民は贅沢なのであろうか…!!。食べ過ぎて国を崩壊させようとしているのである。見るがいい、世界中では何億と言う人々が飢えに苦しんでいると言うのに…!!。

 これは今に始まったことではない、大昔から食べ過ぎは寿命を縮めると言われ続けて来たのであるが、そんなことは誰も気にせず懸命に食べて、我が身を滅ぼそうとしている、食べることに身も心もやつして挙句にはこの世の地獄にまっしぐらに落ちて行くのである。

 どうしても人間は食の魅力には勝てないのであろうか…、それほど馬鹿なのであろうか…!!?。 Oh Got saves them…!!。
 

 今から約3800年前に刻まれたピラミッドの刻印には、「人は食べた物の4分の1の栄養で生きられる。残りの4分の3は医者のために食べている」(食べ過ぎると病気になり、医者を儲けさせる)ということが書かれているそうである。

 また、インドのヨ−ガ行者は言っている、「人間の一生食べる量は決まっている、早くその分を食べると早く死ぬと、それはすなわち内臓の働きに限界があるからである」と…!!。 これらはまさに現代に通じる名言と言うものである…!!。

 何と先人達は歴史を通して忠告しているのであるが、誰も耳を貸すものはいない、知らん顔である。

 その行く末には地獄が待っていることを知ってはいるが、大勢で渡れば怖くは無いと言うのであろうか、まさにハ−メルンの笛に誘われているネズミの群と同じではないのか。

 食事を制限すればなぜ健康で長生きが出来るのか、それをこれから手繰って見ることにしょう。

 その謎を解こうとして学者達もいる。彼等の報告書の中には「幼い頃から食事制限したほうが、延命効果は高まる」という研究もあるが、一考してもいいいように思えるのであるが…!!。

 江戸時代に活躍した貝原益軒も「子供は少し飢えさせるべし、寒さに震えさせて育てよ」と言っている。それが病気にもならず、子供を健康に育てる最良の方法であると言っているのである。何と、江戸時代にあっても現代の学者と同じ結論がすでにあったのである。

 要するに、古今東西、時は違っても真理はあくまでも真理であると言うことである。

 

 確かに、食べ過ぎは老化の最大の原因であることは動物実験でも確かめられている。

 例えば、マウス実験でもサルの実験でも、やはり小食の方が若々しく健康であると言うことである。また、ある実験によると不妊やインポテンツも断食でよくなると言っているが、これも一種の若返り効果と考えてもいいものであろう。そのあたりの少食の程度とは常に空腹感があると言う程度と言うことである。

 

 よく見かけるが、ある程度の高齢者になると顔面に「老人斑」と呼ばれる一種の色素沈着が起り、一般的には「シミ」と呼ばれている。ネズミを用いた実験によればカロリ−を制限した場合にはこの「老人斑」は3分の1に減少してしまうそうである。
 要するに、空腹や飢餓状態におかれると、生体は、体内の異常な老化タンパク質を分解・除去して排泄してしまうのである。何と、空腹こそが長生きの秘訣なのである。

 

 最近、動物実験によって判明したのは、食事量を4割減らすと、「延命遺伝子」により寿命は1.5倍に延びることである。要するに、食事量を減らすことで健康になるという言葉が科学的に証明されたと言うことであり、高齢者にはまさに福音と言うものである。

ただし、その内容を完全に理解して飲み込むことが出来、更には実践出来なければ何もならない。

まさに、少々意思が固ければ誰でも出来ることであり、ただただ容易なことではある。しかし、難しいことでもある。
 

 我々人間は空腹状態に置かれた時に、生命力が活性化するという遺伝子を持っており、その生命力遺伝子が活性化することによって、傷付いた細胞が修復されると言っているのである。つまり、病気を治したり、健康や若さを保つための最大の秘訣とは空腹状態を作り出すことであり、空腹状態を保てばすべては自然に治ってしまうと言っているのである。

 そう言えば、何とかと言う医者が、「空腹こそが人を健康にする」と言うタイトルの本を書いている、それによれば、何と20歳以上の若返りが可能で、当人も氏も当然20歳くらい若く見えるそうである。まあ、何と素晴らしいことではないか…!!。

 また、最近では「3日食べなきや、病気の70%は治る」と言う本も出ている、サブ・タイトルは≪「食うな」「動くな」「寝ていろ」、犬でも猫でも知っている医者いらずの治し方≫である。そう言えば昔の猫や犬は具合い悪くなると2,3日縁の下に入りじっとしていて、出て来る時には病気は治り、ケロッとしていたものである。すると我々人間は犬や猫のにも劣る存在なのであろうか…!!?。

 

 あなた方も考えて欲しい、年齢が増えれば食欲が下がっていくのはむしろ自然であり、そこから出る結論とは、すなわち健康を維持したいと思うのなら一日二回食や一回食などを考慮しながら、改めて自分の身体のコンデ−ションを見つめなおすことが必要であると言うことである。

 でも、健康であることに慢心している大部分の老人達はやがては病気に苛なまされるなどとは夢にも思わず、相変わらず、3食摂って病気なにものぞとばかり気炎を上げて毎日を過ごしている。

 いくら、将来に備えて減食を勧めてもせせら笑うだけで一向に取り合おうとはしない。

 ただただ、3食こそが我が命であると言い張るだけで、一切耳を貸そうとはしない。

 

 かく言う私は25年以上の2食主義者である、今までの病歴は3年か、4年に一回にかかる軽い風邪くらいである。間もなく80歳を迎えるが健康体そのものと言っていい。

 食べ物の好き嫌いはまったく無い、いや、それは嘘…!、私は宴会料理が苦手であり、何千円の食事よりもラ−メン一杯か定食丼あたりの方がよほど嬉しい、定食屋に入って六〇歳過ぎの親父の顔を見るとほっとする。若いやつは駄目である、味に手練手管がまったく無く、味にも微妙さが欠けるからである。

 まあ、生来の貧乏性が身についてしまっていると言われると一言もないが…!!。 いや、いや、そうではない、

 お腹一杯食べると気持ちが悶々として晴れないのである。次の日も、やはり頭が冴えない、ただ無為の中に時間ばかりが過ぎて行くのが非常に腹ただしさを感じるである。

 何でもいいから少しだけ口に入れて少々空腹を和らげる時が私にとっては無上な幸福感を味わえる刹那であり、仕事が最も進む最高至上の時なのである。こればかりは3食しっかり摂って満足している御仁等には判らないであろう。

 

 並みいる高齢者諸氏諸君よ、長寿をまっとうしょうではないか、それは自分の心掛けでだけで簡単に出来るものであり、どうにでもなるものである。まずはそれを知ることが第1条件であり、信じて行うことがる第2条件なのである…!!。

 苦しいのは最初の1週間であり、いろいろな誘惑が襲ってくるのに耐えなければならなず、甚だみじめなものである。しかし、それを過ぎれば後は気持ちは極楽気分である。それですべては解決するのである。是非、そのことだけは知って欲しい。

 まあ、1ヶ月もすればそれが当たり前になり、時々ルンルン気分になっている自分を発見し、ただ驚くだけである。

 

 将来、他人の手を借りずに生き永らえると言うことが肝心であり、病院や看護施設でみじめな高齢を迎えて人生に別れを告げると言うのでは何の自慢にもならない。まさに、死にゆく者の哀れさがあり、ただただ悔いが残るだけの人生で終わったと言う残念感があるだけであろう。

 人の手を借りずに人生をまっとうする、そして完全燃焼を果たす、すなわち、ピンピン コロリ こそが理想の死にざまであり、まさに極楽往生の第一歩と言うものである。今の老人の死に様を見るがいい、全体の3%のみが老衰で死亡しているだけである。
 残りのほとんどが病院で淋しくあの世に先立っているとデ−タ−は告げている。

 それを実践するためにはまずは減食、すなわち、1日2食を合言葉に健康に老後を生きていくことが大切である。老人達が集まってあれがおいしそうだ、これが食べたいなどとうつつを抜かし大声で騒いでいるくらいがまことに望ましいと言いたい。私なんぞ、老人仲間とつれだって近所の100えんの回転すし屋に行く、そして食べるのはすし3皿だけであり、後はお茶3杯飲んでガリを食べて終わり、それがいつもの通例であり、仲間同士の慣例である。ただそれだけで満腹になるのである。そこで3,40分はおしゃべりに花を咲かせ、満足して帰ってくるのである。 かく言う私がその発起人であり、そのガキ大将である。
 まあ、隣を通り抜けるいろいろな寿司皿を見ているだけで内分泌が盛んになり、胃の動きも活発になるのがよく判る、まことに有難いことである。まあ、正直に言えば、年中貧乏暮らしが身について離れないのが本当の理由であろう。 神様、無様な行為をどうかお許しを…!!。


 要するに、減食により、自らは健康溌剌さを得、家人は安心名利を得、国家は財政の利民族的な誉を得ることが出来ると言う三方三得の図が出来上がれば素晴らしいことである。

 

 ただ、それに満足がいかないのは医者と製薬会社であろう、それでは食ってはいけなくなる、潰れてしまうなどと騒ぎ立てるであろう。 が所詮彼等は今まで人の血を吸って生きて来たいわば無頼の徒であり、本来は自然界には不必要な存在と言うものである。そんなものが無くなればこれまた極楽王土が近くなり、簡単に未練なくこの世にオサラバ出来ると言うものである。

 

 健康であると言うことは日常の生活を制限されずに生きていくことが出来る状態にあると言うことであり、人様のお世話にならず一人で常に生活出来る状態を言うのである。改めて考えて見ると、まさに、独立独歩、ゆうゆうたる人生の幕開けであり、己の心のままにエンジョイし、好き勝手に人生を送れると言う、これまた、無上の果報者と言うべき存在であろう。まさに老人万歳の世界である。
 いくらお金があっても、健康を損なっている状態では社会的には常人とは言えず、一人前として認められては貰えないのである。

 健康こそが社会人としての気を吐く最大のバロメ−タ−であり、無事幸せに生きていると言うことの最大の証となるものである。

 

 ところが老後になると否応なしに体力が無くなり、精神的にも負荷が大きくなって来るのはこれまた自然であり、当然である。
しかし、それは止むを得ないものである、なぜならば、それは神が与えた定め、すなわち宿命だからである。

 しかし、言っておきたい、病気は神が与えるものではなく、自己の心の弱さが招いたものであり、己の思慮の浅さが呼び込んだものである。だから個人の責任なのである…!!。

 それは自分で決着をつけなければならないものである。しかし、誰もそんなことは知らない、病気になればすべてを医者に任せてただただのほほんと構え、大金をふんだくられるだけである。

 だから私は出来る限り自らの手で病気を刈り取り、老後の憂いをなくすことが大切であると常々言っているのである。

 そのための最高の手段が食事制限であり、食べ過ぎをできるだけ抑えることである。まことに易しいことである。

 だから、その易しいことをやろう、我々高齢者は出来れば食抜いて2食で済まそうと言っているのである。それが最終的には自分の身体を守り、更には家庭と国に奉仕することになるからである。

 何も難しいことではない、誰にでも出来る至極簡単な事なのである。しかし、誰も耳を貸そうとはしない、皆聞く耳を持たずただただ医者の言う通りに3食主義を貫き、身体を損なおうとして懸命になっているだけである。まことに阿呆らしいことこの上無い…!!。.

 

 医者、そんなものは聖職と言う仮面をかぶった一種の職人であり、サ−バントと考えるべきであり、別に有難がるような存在ではない。彼等は報酬をしっかり取って贅沢しているのである、いわば我々の方こそがお客さんであり、主人公なのである。本来は向こうが有難うございますと言って、頭を下げてしかるべきものである。

 もっとうがった見方をすれば医者は高齢者には3食を勧めて何とか病気になって貰い、入院と言う段取りにしたいのかもしれない、要するに、患者不足解消のためにであり、食うためにである。

 

 ひょっとして、その目論みが余りうまく行き過ぎて今では何処の病院も老人で満杯と言う姿になったのかもしれない。その証拠に、十数年前までは医者が多すぎる状態であったのが、ここに来て急に医者不足などと騒がれているのも何かおかしい。要するに、あまり計画はうまく行き過ぎ世の中は病人だらけになり、今では自分達の手に余り、うろたえ気味になっていると言うことなのであろう。

 要するに、余りにもお客さん獲得に手練手管を使い過ぎ、いい加減な御託を並べて病人獲得に精を出し過ぎ、それで医者が足りなくなった感があり、慌てふためいていると言うことである。

 そのひずみが最近になって牙をむきつつあるのである。

 そのあたりの仔細を記して見よう、果たしてあなた方がさもあらんと思うかどうか…!!?。

 

@ 今までは少々痩せ気味が健康体であると言われていたが、最近では痩せているよりはむしろ小太りの高齢者の方が長生きするとも言われ始めている。

 また、最近ではコレステロールが高い方が健康体で長生きするとも言われ始めている。すると今まで営々とコレステロールを退治しょうとして来た我々の努力は一体何だったのであろうか…!!?。

何てこった…!!。

 

A 今までは血圧130以上は高血圧として薬を飲むことを強要されてきた、しかし、最近では150は健康値であり、決して血圧が高いとは言えなく、加齢による高血圧としては当然と言う見方になっている。何と、高齢者で血圧120〜130で正常値であると誇って来た御仁達は逆に低過ぎて早死にするとデ−タ−は言っているのである。

何てこった…!!。

 

B 一昔前は健康血圧とは年齢に90を加えた値が正常と医者は言っていた。要するに70歳の御仁は70+90=160、すなわち160の血圧が正常値ということである。ちなみに私は80+90=170が正常値と言うことになる。すると現在の血圧の130では長生きは出来ないと言うことになるのである。昨日まではルンルン気分であったのが、今日は一瞬で地獄のどん底に落ちているみじめな状態である。

何てこった…!!。

 

C 血圧が高いほど身体には健康的なのである。何故なら手の先から足の先まで血液はめぐるからである。しかるに、如何にせんそこには血管が絡んでくるのである。要するに、血圧が高ければ血管が破れやすいし、血圧が低ければ血管は安全ではあるが長寿は望めないと言うのである。要するに、そこにあるのは個人の体質の問題であり、日頃の食生活と運のバランス如何が問題であると言っているのである。結局は我々医者ではどうにもならない、個人の責任であると言っているのである。

何てこった…!!。

 

D 薬で血圧を下げると心筋梗塞や脳卒中は抑えられると言うのが今までの医者の持論であったが、何と結果は予期に反して22%も心筋梗塞や脳卒中は増えていると言う事実が判ったのであるが、その事実は医者以外の誰も知らない。

何てこった…!!。

  E ある試算によれば現在の基準値により高血圧と診断された患者は約4000万人、何と医者の診断を受けた殆ん どの高齢者       達は高血圧と診断され薬を服用している勘定になると言うのである。それも薬を飲めば完治する 訳でもなく、一生飲み続ける こ     とを強要され、それに従っていると言うのである。

何てこった…!!。

 

 何と言う膨大な数の健康な人達が病人に仕立て上げられ苦しんで来たのであろうか、しかも、国民の預かり知らないほどの長期間にわたってである…!!?。

 その人達の心中はいかばかりであったことか、察しても察しきれないほどである。心の折れた人々も数多いたであろうが…!!。

 しかもである、何とそれにより、1兆8千万と言う意味の無いお金が毎年病院と製薬会社の懐に入ったことになるのである。それが2008年以来17年間も続いていたと言うのである。何と言うことであろうか…!!。

 本来なら、これは大きな詐欺事件であり、問題となってもいいものである。

 もし、政治家が絡んでいるのなら、まさに大きな疑獄事件となるものである。しかし、そんなことは誰も言わない、問題にもしない、何と、日本人はおおらかなのであろうか…!!?。

 今の世の中まさに、金まみれであり、利権が絡みに絡むと言う不可解な状態にあるのである。

 昔は医は仁術と言われ、医者は皆伝統ある気高い心を持っていたのであるが…!!。

その崇高な心は一体何処に行ってしまったのであろうか…!!。

 一般国民以外は誰も損はしない、だから問題にもならず、告発もしない。何と言う呆れた国なのであろうか…!!。

 すべては太いものには巻かれろの例え通りであり、お上の定めには誰も逆らってはならないと言う構図そのもののような気がする。

 そう言えば、大分昔、医学会のドンと言われた何某が政府に喧嘩を売り、勝利を納めたような事があったような気がするのであるが…!!?。   ああ、医者先生は強い…!!、まことに強い…!!。それに比べると我々国民はまことに弱い。
 弱いからこそ上からはいじめられ言いたいことも言えず、頭を下げるだけである。

 江戸時代の悪代官でももう少し情があり、愛嬌もあったような気がするのであるが…!!。何か割り切れない、何かをかしい…

                                                      (今月はこれで完

 
   「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No28
      

    ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい E                        

              (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26月  謹上


 あなた方は知っているであろう、世界で最も長生きで平均寿命が長い国は何処の国であるかを…!!。確かに統計的には日本の国であると言われ、我々も今まではそう信じて来たのは事実である。

 しかし、今ではそれも過去の物語となりつつあるのである、ご存知であろうか…!!。

 あなた方日本人が長寿と言う評判に酔いしれていい気になっている間に、世界はどんどん長寿化しつつあるのである。現に今や、アメリカの100歳以上の長寿者は日本の4万人に対してアメリカは15万人に達し健在を誇り「センテネリアンズ」と名乗って意気高々と生活をしているのである。

人口比で言えば日本はアメリカの約半分であり、比例的に見るとアメリカの百寿者が8万人程度のはずである。ところが、実際にはその2倍近くにも達しているのである。

 要するるに、100歳以上の高齢者はアメリカの方が日本より圧倒的に多いと言うことであり、まさに長寿大国と言う名をほしいままにしているのである。

 これは一体どうしたことであろうか…??、我々はアメリカ人は肉やハンバーガをもりもり食べまくっているので全体的に短命であると思っていたのであるが…!!。

 いやはや、実際はとんでもない長寿大国になっていたのである。何と言うこと…!!。

  それには大いなる訳があるのである、しかも日本人が寄与してアメリカを長寿大国にのし上げて来たと言うのである、しかし、日本人はそんなことなどは誰も知らない…!1、噂にもならない…!!。

 あなた方は知っているであろうか、桜沢如一久司道夫と言う世界をまたにかけて活躍し、欧米人の食生活を大きく改善した日本人の名前を…!!?。恐らくは知らないであろう…!!。彼等はまさにアメリカ人達にとっては救世主とも言うべき存在なのである。

 彼等はマクロビオティックと言う自然的な食養理論を掲げて病気にならないための食生活や食事療法をアメリカやヨ−ロッパに広めて大いに名を馳せた方々である。

 なかんずく久司道夫氏はアメリカを舞台にマクロビオティックを広めて名声を博した御仁であり、アメリカでは知らない人はいないくらい大変有名な日本人である。

 現にアメリカのスミソニアン国立博物館には彼の文献や記録物がすべて展示されており、永久保存物となっているのである。そのことは日本人ならば是非知って置くべきである。

 

 ちなみにマクロビオティックとは「長寿法」と言う意味であり、桜沢如一が提唱した食養法である。彼は食物にも「陰」と「陽」の性質があり、それを取り合せて食べることが重要であり、病気の予防には必要であると述べて論陣を張って世界またにかけて歩いた有名な日本人である。

  また、彼は理想的な食の根源は伝統的な日本食にあり、日本食こそが理想的な食体系であると言う食生活理論を掲げて世界に打って出た日本人でもある。

 同時に彼は思想家・哲学者でもあり、 マクロビオティックの提唱者として世界的に有名になった御仁でもある。海外では ジョージ・オーサワ(George Osawa)の名で知られている日本の生んだとてつもない超偉人と言ってもいい人物である。

 特に彼を有名にしたのは「易」から生みだした「無双原理」と言う自然の哲学原理である。そこには次のような言葉が述べられている。

 
  「 宇宙の秩序 」  七つの原則

 @      すべてのものは唯一なる無限から分化したものである。

 A  すべてのものは対立しながら変化している。

 B  対立するすべてのものは、相補的な関係下にある。

 C  同一のものはなに一つない 。

 D  表があれば、かならず裏がある。

 E  表が大きければ、裏も大きい。

 F  始めあるものには、必ず終わりがある 。

 

当時世界を股にかけて活躍していた桜沢如一氏の提唱するマクロビオティック運動に共鳴し、その薫陶を受けた久司道夫氏はアメリカに渡り、彼の地で氏の理論を支持する大勢の若者達の協力を得て自然食品会社を興し、味噌や醤油、豆腐、梅干しなどの日本の食品を作り始めたのである。また、同時にアメリカ人の青年達を集めて玄米の炊き方や味噌汁の創り方まで丁寧に一から教えていったと言われている。

  また、食べ物はなぜオ−ガニック出なければならないのか、水はどのような水でなければならないのか、燃料は電子レンジは駄目でガスを使用することなどを、それこそ手取り足取りで初めから教えていったのである。

 しかし、現代の栄養学とはまったく逆な事を教えていたので最初の10年間は誤解の連続であり、いろいろな迫害や偏見が多くて苦労が絶えなかったようである。それは彼の自叙伝を読めばよく判る。

 

 栄養学の専門家達もマクロビオティックの食事法は栄養的に問題があるとして、公然と批判を始め、攻撃をして来たのである。特に食材はアメリカ人にはなじみのない日本のものを用いていたので、それらはあまりにも栄養価がみすぼらしいので健康にはよくないとされ、猛反撃を受けたのである。何せ、初めて聞く食材であ、初めて見るものばかりなのでアメリカ人は最初は大変面喰ったそうである。

  しかし、そのような状況の中で実際にマクロビオティックを体験した多くの人々達がその輪をどんどん大きく広げ、日に日に参加者が多くなって盛り上がって行ったのである。

 事実彼等は全米的に自然食品のマ−ケットを次々と作り上げ、日本食と言う自然でヘルシ−な食事法を喧伝して、人々を誘いまくったのである。

 それが効を奏したことは、今ではどこのス−パ−マ−ケットに行っても玄米、豆腐、味噌、醤油などは普通に売られ、しかも日本語がそのまま通じていることを見れば判るであろう。

 

 今では「本当に食物で病気は治る」とか「本当に食べもので人間の心を変えることが出来る」、「食べ物によって長寿は決まるものである」などと言われるのは当たり前になって来ているのであり、その言葉は今ではアメリカ人の心に沁み渡っているのであり、何処に行っても常識化している状態である。

  久司道夫氏がアメリカに渡りマクロビオティック運動を始めたのが1950年代である、それからもう半世紀以上は経っている。
 今ではマクロビオティックと言う言葉はアメリカでは知らない者はいないくらい有名な言葉となっているのである。

 しかし、残念ながら日本ではほとんど知られていない状態であり、桜沢如一とか久司道夫などの名前さえも日本の若者達はまったく知らない、残念なことである。

 

 そもそも1900年代のアメリカは肉食中心脂肪たっぷりな食生活が標準的で、それが様々な病気の元になっていたのである。それが建国以来のアメリカの風土であり、習慣だったのである。要するに、それが短命を生んでいたのである。

 当時のフォード大統領が、「こんなに医学にお金をかけて、医療がこれだけ進んでいるのに、どうして病気の人が減らないんだ!」と言い始めたのをきっかけに政府内で調査が始まり、その結果、1975年に出て来たのが アメリカの食生活のガイドラインと言われているあの「マクガバン・レポート」であり、その中で望ましい食事の例として戦前の日本食が挙げられていたと言う話は有名である。

 その下地となったものが久司道夫氏のマクロビオティック運動であり、アメリカ政府自体も本気で日本食を推奨して国民の健康を守ろうとしていたのである。

  要するに、最近のアメリカ人に長寿をもたらしたものは日本の伝統的な食事であり、それを考えて理論化して全米に広げたのがこの二人の日本人なのである。

 

 しかし、どうであろう、それに反してアメリカの高カロリ−の食べ物、飲みものを次々と摂り始めたのが今の日本人の若者達なのである。

 その結果、何と言うことであろうか…!?、まさに国民病と言われるほどのいろいろな病の増加に苦しんでのたうちまわっている現在である。まさに、哀れであり、国が滅びんとするほどの情けない有様である。今や三人に一人、いや二人に一人とも言われるほどのガン患者の発生であり、国民全体が発狂寸前の状態になっているのである。

 それに加えて、膨大な医療費のふくらみが止まる所を知らない有様であり、まさに今後も天井知らずの勢いなのである。

 一説によると国の税収と殆ど等しい40兆円を越さんばかりの勢いであり、今ではそれを凌駕しているとも言われている。

 

 ある人はこれはアメリカの策略であるなどと言っているようであるが、如何にせん、本人が欲して口にしているのであり、いわば、自業自得な所業と言うものである。しかも事情は何も知らないのであり、店にあるファ−ストや飲みものは極めて安全と思いこんでいるのである。

 出来ることなら、政府が乗り出し、日本版の「マクガバン・レポート」でも作って国民を啓蒙して「昔の食」に戻すことを推奨すべきなのであるが…。アメリカに出来て日本には出来ない訳が無い。要するに、国民を思う気持ちがあるか無いかと言うことである。

 しかし、今いくら見渡してもそれだけの人材は政府や官僚にはいないようである、残念ながら…!!?。

 もしその気持ちがあるならば、お金に目のくらまぬような清潔な御仁を民間から引っ張り出して政府に嵌め込んで行けばいいのである。やる気があれば簡単に出来ることであるが、やる気が無いのである。なぜならばお金にはならないからであり、その一言に尽きよう。

 

 そもそもアメリカと日本の高齢者達を比べて見ると意気込みがまったく違う、アメリカ人は非常に病気を恐れて日頃出来るだけ自衛手段を見出し、それを講じるのに余念がない。

 要するに、アメリカ人は病気病院を非常に恐れているのである。

 何せ病院の治療費がべらぼうに高いので病気=破産となるケ−スが大変多く、多くの人々はそれを恐れて常に健康管理に走っていると言うのが本当の話である。

 要するに病気になった場合、高額な病院の支払いに困ってしまうと言うことである。

  その例を挙げたものがある、海外サイトを覗いて見よう。

 

 ある20歳の男性がアメリカで急に盲腸を発症、入院して手術した場合にかかった費用の明細書がインタ−ネットで公開され話題となっている。 

  これがもらってびっくり、度肝を抜いた医療費の請求書である。トータルの金額が書いてあるが、55,029.31ドル(約575万円)だ。とても自分の手におえる金額ではない。  術後の回復室にはせいぜい二時間しかいなかったのにその使用料は7,501ドル(78万円)、入院はたった1泊なのに、部屋代と食事代が4,878ドル(51万円)っていったいなんなんだ? それに、彼らは4,500ドル(47万円)もする麻酔を使ったようだ。最後にやっと手術そのものの費用16,000ドル(167万円)が出てくるのである。

それでも平均すればアメリカでの盲腸の手術代は200万円は超えているようである。 それが日本ならば大体40万円くらいであり、国民健康保険を使えば10万円くらいで済むことになるはずである。

 

 要するに、アメリカには日本のような国民健康保険制度がないので、殆どは自己払になり、しかも有無を言わせずにふんだくられるのが当たり前なのである。 

 だから、彼等は常日頃の健康管理に気を使い、その中でも特に食生活に気をつけるのに一生懸命になっているのである。

 アメリカで破産する人の6割は高額な医療費が原因とも言われているがそれも無理は無いことである。それだから、日本食が身体にいいと評判になれば我も彼もと一斉にそれに群がって、一大ブ−ムが発生するのである。

 

 今はその日本食ブ−ムの第二期目とも言われている。日本の寿司、刺身、ラ−メン、カレ−ライス、お酒等に日本の料理と言う名前が付いていれば評判になり何処からでも駆けつけてくるのであり、金にはいと目をつけないのである。

 そしてその美味しさ、または健康保持には最適であると評判が立てば、その愛好者は幾何級数的に次々にと増えてますます評判になっていくのである。

 そのような過程を経た結果、今ではアメリカの高齢者達は世界一の座を占め続け、世界に君臨しているのである。

  それがこの半世紀以上にわたって続き、効を奏した結果、アメリカには世界にもまれな高齢者世界が生まれ始めているのである。
 このままの状態が続けば当分世界一の長寿国の名をほしいままにして、長寿の歴史と言うものを大きく塗り替えてしまうであろう。

 しかし、日本人はそんなことは知らない、調べようともしない、それで日本人は世界一の高齢者の世界であると威張っているのである。まさに井の中の蛙と言った図であろう。

 

  よく考えて見るがよい、日本の何処に行っても病院の待合室は老人で一杯でないか…!!。その上、並みある老人施設もまた満員で、2,3年待ちはざらなのである。

 何せ、老人の医療費がべらぼうに安く(約一割)、だから老人にとっては病気になってもお医者様が付いているからまあいいや、とばかり日常の不摂生を顧みようとはしないのである。日本とアメリカの基本的な病気に対する違いはそこ、すなわち気持ちの違いにあるのである。

 

 片やアメリカは医療費がべらぼうに高いので、病気にならないように自己管理が徹底している、気持ちが高揚しているのである。

 一方日本は老人の医療費は国におんぶしているので自己管理には余り重きを置かないのである。すなわち、健康にはあまりお金をかけないのであり、食べ物も健康にいいのかどうかをあまり気にしない、選ばないと言うことである。

 

  要するに、病気はその字の如く気が大いに関係しているのである。日頃、病気を警戒し、気を引き締めて生活することが肝要なのであり、また絶対的に必要なことでもある。それがやがては個人を守り、家庭を守り。国を守ることなのである。

   しかるに、今の日本人にはその気がまったく無い、いい加減なのである。のである。しかも、恥ずかしいくらいにである…!!。

  すべては自分達の自己管理の甘さが招いた事態であり、長年の食生活の不実がもたらした当然の結果なのであるが、それさえも気がつかないのである。知的には優れているはずであるが、それも疑わしいと言わざるを得ない、さみしい限りである。

 病気は年を重ねれば当然出て来る身体の不調であり、身体の老化現象であるなどと考えているならば、それは大きな誤りである。
 もし、そうであるならば世の中の老人全体が病気持ちとなるはずである。しかし、実際は、健康を保って病気知らずの老人は大勢いるし、まったくのボケ知らずの爺さん、婆さんが多数存在しているのである。

 一体、何が違うのであろうか…!!?。

 

 話して見ると意気込みが違うのであり、気力が違うのである。それに物事に達観して自然に生きているのであり、万事に渡ってくよくよすることは一切ないのである。

 それに粗食家であり、健淡家でもある。好き嫌いと言うものが呆れるほど一切無く、常に前を向いて快活に生活していることが判る。

  さあ、今度は我々がアメリカの高齢者を見習う時である。

 医者の世話にはならないように毎日の生活を気を引き締めて送ることに留意していこうではないか。医者の世話になるのは身の破滅であり、世間に対して申し訳ないと言うような気持で毎日を送ろうではないか…!!。
 そうやって気を引き締めることが大事であり、それにより我が身を奮い立たたせて健康に過ごすことに繋がるのである。

 

 人間、気力が大切であり、知力や生活力を引っ張っていくのも気力がものを言うのである。気力が充実していれば病魔や老人病になることは無く、気の迷いをつくらなければおかしな霊などにも魅入れることもない。万事、気力、気力がもの言う世の中である。

 また、気力は食べ物に左右されやすく、身体にあった食べ物こそが気力の元になることを我々は知らなければならない。

  気力とは身体の血液の中から生まれるものであり、知力は脳が生み出す力である。

 その二つが合い伴いながら健康を作り出し、日常生活がうまく廻っているのである。のどちらかが欠けたなら、最早健全な状態とは呼べなくなるのである。

 

 これから我々は食について懸命に考えるべきであり、正しい食事はすべての病気を根本から予防し、治すことになるのである。そのためには自分で食事の材料を選び、自分で調理をすることが大切なのである。それが基本と言うものである。

 確かに、表を歩けばいろいろな看板があなたを誘惑して、食べなさい、食べて行きなさい、飲んで行きなさいと誘うであろう。
 しかし、貴方には知があり、健康大事を目指す身なのである、そこを一旦立ち止まって考えようではないか…!!。

 食の良し悪しを考える、そこから健康と病気の大きな分かれ道が生まれて来るのであり、大きな隔たりに分岐していくのである。

 それは一体どう言うことかって…!!?。

 それは次に掲げてある文を読んで、自分で考えて欲しい…!!。 

 かってはアメリカ人の主食に近かったものが牛肉であり、ステ−キなのである。しかし、最近では放牧されて育つのではなく、狭いケ−ジに一匹一匹牛を押し込め、その結果ストレスや病気になって大量の牛が死んでいっているのである。
 まさに、それは日本の鶏舎の大型版と言うものである。

 病気の発生、 それを避けるため大量の薬品や抗生物質を投与しなければならないのである。その悪循環が次々と始まり牛の肉は完全に汚染状態になり、コストはどんどん高くなって利益を押し下げているのである。それと同時に薬で汚染された肉を嫌ってアメリカ人は日本食等に鞍替えをはじめているというのが実情である。

 

 それが今やアメリカ全土で起き、今や酪農家達は四苦八苦の有り様で、懸命に政府を突っつき輸出の拡大に懸命なのである。
 今回のTPP貿易についてもアメリカと日本の意見がまとまらないのはそこに原因があるのである。アメリカ産の牛肉を関税をかけずに安く日本に入れてしまうと日本の酪農家が困るばかりか、抗生物質などの薬品で汚染された牛肉がこれ以上日本に入って来ると日本人の健康に大変な障害が出来、益々医療費が増え始まると言うのが日本の口には出せない思惑なのである。
 しかし、あなた方は牛肉が安くなるなら大歓迎であると言うであろう、でも、裏にはそのような事情がある事を知るべきである。

  またそこには次のような事情があることもしっかり知って貰いたい。

  それはアメリカでは売れない脂身の多い肉がどんどん今日本に輸出されているのである。

 脂身の多い肉はアメリカ人が最も嫌うものであり、それと反対に日本人が最も好む肉なのである。その捨てるような肉をアメリカの業者は日本に輸出して儲けているのであり、それが霜降り牛肉、牛丼、シャブシャブ等の日本人の好きな高級食肉の正体なのである。

 なんせ、捨ててしまうような肉を日本はどんどん買い入れているのである、アメリカにとってはこんなぼろい商売はないのである。まったく、笑いが止まらないところであろう。日本人よ、そのあたりをよく考えて見るがよい…!!。

  それがどんな結果をもたらしているのかをこれから検証してみよう。

  1900年代のアメリカでは25人に1人の割合でガン患者が発生していた、それが1950年には8人に1人、1980年には3人に1人、また現在では2人に1人の割合でガンに冒され始めているのである。   【『地球と人類を救うマクロビオテック』…久司道夫著より】

 

 何とそれは今の日本の状態にそっくりではないか…!!。

 いやそっくりどころではない、まさに同じ軌道を日本は走っているのである。要するに日本はアメリカを数年遅れた状態で追っかけていると言うことである。

 日本人はそのような事を知っているのであろうか、官僚は頭がいいといわれているが本当なのであろうか…!!。どうも私には腑に落ち無いのであるが…!!。

 最後に、健康を目指す常識人の方々に私の推奨する健康肉をお知らせしょう,(anatagatanidakedearu,himitudearu…!!.)

 要するに、大自然の中で薬にも汚染されず、自由に気ままに放牧されている安くておいしい素晴らしい肉があるのである。日本人は乳臭いと敬遠しているがそんなものはすぐに慣れて美味しく感じることは請け合いである。アメリカあたりの牛肉よりもよっぽど美味しく、脂身は少なく、見た目もきれいで柔らかい肉、それはマトンであり、ラムである。

  何しろ、何百頭、何千頭の群れである、化学飼料や薬品などを与えなくとも自然が立派に育て上げてくれるのである。だから汚染は皆無、ストレスは皆無、まさに健康優良児そのものである。それにおとなしい、人に対して大変馴順である。
 あなた方の子供には是非食べさせるべきである。

 

 まあ、貴方が健康でありたいと思うなら是非私はマトンを勧めたい。モンゴル人を見て見るがよい、マトンを食べているので健康人そのものではないか…!!!。なんせ、力相撲の横綱はモンゴル人達であり、彼等が主役で相撲は回っているのである。

 しかも、病人と言うのは余り聞かない、彼等はまことに朗らかで健康で生き生きとして草原を駆けまわっているであり、まさに自然児そのものの感があるのである。
 我々もそうでありたいものであり、本来はそうあるべきなのである…!!!。日本民族の神と共にあった心意気は何処に消えてしまったのであろうか…!!。神をないがしろにしたツケは余りにも大きすぎた、これからそのツケを取り戻さなければならない…!!!。
 さあ、自然に戻ろ、大自然の懐に抱かれよう…!!。それを常に心に置き、未来に生きる合言葉にしよう…!!。

                           (今月は完)


 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No29
      

    ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい F                        

              (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26月  謹上


  いろいろな不可思議な問題を取り上げながら、そこにある真実を探すべくご紹介申し上げているのであるが関心の無い御仁、あるいは鋭意探究済みの方々には退屈極まりないものかも知れない。しかし、今まで興味を持たれなかった方々に少しでも現代科学では御しきれな不可解な世界がれっきとした形で存在していることを知って戴きたい。

 

 今回は題して「死後の世界」の真実を探求すると言う事であるが、一昔前と違って今では誰も正面きって否定するような不見識な学者達は余り見受けることもない。確かに、3、40年前とは違い必ず!、や?付きで終わっているものである。しかも、現在では学者達の研究テ−マとしても扱われ大きな反響を呼んでいるのもこれまた事実である。

  例えば、福島大学の教授である飯田史彦氏とか宮崎大学の狩俣恵常教授である。また、超心理学の分野から[あの世]の存在とか、[生まれ変わり]の問題にアタックをしているのに愛媛大学の中村雅彦助教授がいる。要するに、科学的なアプロ−チが今盛んになされている最中なのである。これは日本ばかりではなく、海外においても同様であり、色々な大学で盛んに「死後の世界」の研究に懸命に挑んでいる。しかし残念ながら、現代科学とは完全に別な領域なので中々確たる証拠と言うものが掴むことが出来ないようである。

  なんせ、現在の西洋科学は確たる証拠(物質的証拠)が無ければ何も認めないと言う世界であり、まったくアンバランスこの上ない世界なのである。そこでは意識上の証拠などは決して採用されず、ただただ否定されるだけである。

 要するに物質世界だからこそ物質的な証拠がものを言うのであり、意識的な世界では意識的な証拠で事足りるのである。それが本来あるべき大自然界の大律であり、掟と言うものである。

 しかし、悲しいかな、今の物質偏重の片チンバな世の中ではそれがまったく通じないのである。

 しかし、現代科学から離れた分野である心霊研究においては霊魂は不滅で何回でも生まれ変わる、すなわち「輪廻転生」は当たり前であり、今、その傍証を集めようと世界中の科学者達も力を入れ始めていることは甚だ喜ばしいことである。

 

 さて、私の書庫には一冊の古い書物が眠っている、不用になった本は次々と処分したが流石にこの本だけは処分出来ず本棚に眠ったままになっていたものである。最後のペ−ジには昭和50年に読売新聞社発刊となっている、今から40年近く前である。そこに書かれている一文は特に私の心を惹いて今でも離れない。

  今回はそのあたりを原作そのまま引用してあなた方に読んで戴く積りである、まさに一言一句そのままにである。今のあなた方はどのような受け取り方をするのか私には大変興味を引くものである。果たしてこの半世紀の間に人の心はどのように変化したのか、それとも相変わらず50年前と同じような認識状態にあるのか、一つ伺いたいものである。

 

「不思議な不思議な一つの証言」…

 

「地図を書いて置いたのに遺言通りにしてくれない…!!」=と飛び降り少年の霊。「別のボクだけ運んで……、これではお母さんに会えないよ…!!」    これは一つの悲しいニュ−スとして翌日の朝刊で全国に報道された物語である)

 

●   「お母さん」、「おかあさ−ん」…!!

 京都市に住む高校3年生の女生徒、高山洋子さんは、まるで男の子が泣きじゃくっているかのように大声で泣きじゃくるのだ。余りの大きな声に、近所の人が驚いて覗きこむと、可愛いセラ−服の女の子なので2度びっくりの有り様であった。

  時は今年(昭和49年)の4月9日午後7時過ぎ、近所に住む施術者(女性)がだんだん聞いて見ると、どうも、自殺した母親の後を追ってある京都の病院の5階建の屋上から15メ−トル下の歩道に飛び降りて自殺した少年の霊らしいことが判ったのである。

 その4日前の5日の午後、病気を苦にした母親が服毒自殺、母一人子一人の母子家庭の暮らしから、突然突き放された長男(小学5年)は遂に幼い心を律しきれず思い余って母親の後を追って飛び降り自殺したのだった。

  この悲しいニュ−スは翌日の朝刊で全国に報道され、読者の涙を誘ったのであるが、その飛び降りた少年は痛ましくも≪遺言≫をしっかり握っていた。「このまま病院には運ばないで地図の家へ運んで下さい、絶対に…!!。家には母が死んでいます」。 そこには家までの地図と自分の願いが便箋に鉛筆でしたためられていた。

 「どうか助かって…」学校の先生や近所の人の願いも空しく彼は約7時間後に病院で息を引き取った。母の亡きがらに何時間か寄り添い思いあぐねて書いた思われる≪少年の遺言≫に関係者達は涙を誘われずには居られなかった。

  施術者は新聞の記事を改めて生々しく思いだした、「泣いていないで話してごらん、坊や」…、施術者は優しく≪霊≫に向かって話しかけた。

少年の霊 …「うん、自殺する時に持っていた手紙には「家には母も死んでいます。病院には運ばないで地図の家に運んで下さい」と書いて置いたのに、別の僕だけを運んで行って、本当の僕を連れてってはくれないのだよ、お母さんに会うために飛び降りたのだけど…。 ああ、身体中が痛い…!!。頭も胸も足もウ−ン痛い、動けないよ…!。僕は一生懸命通る人を呼ぶのだけど,皆は通り過ぎちゃうだけなのだ。

 

 施術者「そう、可哀そうに」…。

 少年の霊 …「お母さん、お母さん、どうして僕を一人置いて死んじゃったの…!!」

 

  ●現場のカ−ネーションも頷く…!!。

 

 つまり少年は、地縛霊(死んだ場所から動けないで、その土地に縛りつけられてうろうろしている霊)となって病院の前で救いを求めており、それを知らせるために洋子さんにとりついたのである。

 霊は「誰も気がついてくれないからお姉ちゃんに乗っかった(憑いた)」と言い、「お母さんに会いたい」、「お母さんに…」の一点ばりで泣きじゃくるだけである。

 施術者…「坊や、わかったわ、これから坊やの居るところに行って、お祈りして、お母さんに会えるようにしてあげますからね。ちょっと待っていてね」

 霊術を解き、早速、施術者と洋子さんらは連れだって現場に赴いた。

 その夜は小雨もようだったが、幸いにも雨は止んでいた。少年の飛び降りた場所には花束が置かれ、また新たな涙が誘うばかりであった。さっそく施術者がその場所を清めると、さっきの洋子さんから少年が浮遊し始めた。

  霊…「あ−あっ、身体が楽になって来たよ」…

  施術者…「ボクはもう家に帰れると思うよ、家に帰ったらお母さんに会えると思う。 お母さんに会ったら言ってあげてね。お母さんは自殺なんて大変いけないことをしたから、神様によくお詫びをしなさいと言ってあげて…」と。

  霊…「うん」

  施術者…「お姉さん達は、もう夜も遅いからこれで帰るわね。明日また来るからね…」。

 そう言い終わるとその夜はことりとも風は無いのに、死んだ場所に祀ってあったカ−ネションの花束が彼女等の声にうなずくように一斉に揺れた。これには一同、「あ、あっ」とびっくりさせられると共に、また新たな涙を誘うのだった。

 

 ●「あっ、お母さんが初めて笑った」

 翌日、亡き少年に供えるためにオニギリやチョコレ−ト(前夜、霊に何か欲しい…?と尋ねたらチョコレ−トと答えている)などを持って現場を訪れた。 そこで早速、場所を霊術で清めると、また洋子さんに浮遊現象が現われた。

 

 霊…「家に帰ることが出来たけど…。家ではお母さんが苦しんでいるんだ。お母さんを助けてあげなきゃあ…!!」。

 その時は洋子さんの体は、まるで自分が高い所から落ちたように、体を硬直させ顔をこわばらせており、付き添いの人が抱え上げている恰好だった。そして「お母さんを助けなきゃ」とムリヤリ体をよじって動きだそうとする(少年が現場から家へ帰ろうともがいている)姿である。

 

 一人が病院で家の場所を聞き、一同は洋子さんを車に乗せて少年の家へ行くことになった。

 洋子さんは痛さに顔をしかめ、目は閉じたまま。それなのに、担いで自動車に乗せられた洋子さんは、まったく知らない少年の家の近くに来ると、「そこを右に曲がって、」「うん、ここを左へ…」と、勝手知ったように道案内するのには一同ただ顔を見合わせるだけであった。

  家に着くとその日は初7日で、近所の人が大勢集まって法要が始まろうとしていた。

 そこえ見慣れない一団が尋ねてきたと思ったら、女学生らしい体をぐったりとさせた女の子を抱え、ふらふらと家の中へ入って来たので親戚の人達はびっくりして奥へ逃げ込む始末であった。

 

 霊…「ボクだよ、ボクが解らないの…?」 と洋子さんは、よろけるように少年のおばさんらしい50歳くらいの女の人に抱きついて、大声で泣き出すのだった。

  霊…「おばちゃん、ボクだよ、ボクがお母さん死んじゃったので、おばさんの家へ行ったんだよ。そしたらおばちゃんはいなかったじゃないか …」。

 

 最初うち、何か薄気味悪いタチの欲無い連中とばかり、色めき立っていた法要の人たちも、だんだん≪坊やの霊≫が戻ってきたことに気が付き始め、顔を見合わせ、目はひきつりはじめた。おばさんらしい人も最初はこの怪しげな集団を追い払おうと気負い込んでいたが、少年の霊が言う通りの事実は他人が知る筈がないことばかりなので、遂には本当に少年だと気がついて涙を流して棒立ちの状態であった。

  施術者…「お母さんは何処にいるの…?」

  霊…「うん、あっち」と勝手口の方を指差して、「お母さんはあそこで苦しんでいるよ」。

  一同がそちらに行こうとすると、もう真っ青になって気味悪がった人々は、その部屋の内側からカギをかけてしまった。

  施術者…「早くお母さんのところに行きなさい」

 霊…(うれしそうに)「うん、あっ、お母さんがはじめて笑った…!!」

  それからすぐに高山洋子さんの体から離脱していったのである。

 

 高山洋子さんの一連のこのような行動は、一般の人には到底信じられない不可解な事である。気になるのは高山さんが、少年の自殺のことをよく知っていて、潜在的意識の中から引き出したのではないかと言う疑いである。

 だが、いわゆるこの霊術は催眠術のように「そ−ら眠くなる、もうあなたは目を開けてはいられない…」などと言って催眠状態の中から聞き出したものではないし、暗示と言ったものもかけてはいないのである。

  洋子さんも少年のことは知っているかと聞かれ、新聞で読んで知ってはいた、だけど見出しをチラと見たくらいで内容はほとんでど知らなかったと言っている。

 目を閉じたままで少年の家をあっちだ、こっちだと皆を道案内したことも普通では考えられないことである。なんせ、彼女は少年の家などを知るはずもないのだから…。

どうしても霊がした行動と思わざるを得ないのである。     以上「超能力探検」(吉田美雄著)…読売新聞社刊より

 

 以上で今回の話は終わるのであるがここにはいろいろな教訓が含まれている。

我々はこのような話を聞いても中々信じることは出来ないし、ただただ避けて通ろうとするだけである。要するに、我々は現代西洋科学では割り切れないものはなるべく接触しないように心掛けると言うことを日頃から無意識の中に刷り込まれているのである。

だから何か信じられないようなことに遭遇する度に「そんなことはある筈がない」。「嘘だ」と思いこむことにより否定、あるいは忌避の方向へ走ってしまうのである。

 しかし、ことが大きくなれば放ってはおけず、週刊誌やテレビでも取り上げられるが、それも多分は冷やかし的、中傷的な意味合いのもので、いわゆる興味本位に書き立てているだけである。だから殆どは一過性のものであり、すぐに忘れられてしまうのである。

 

確か発明王のエジソンは晩年に「霊界ラジオ」の発明に懸命だったと聞くが、もし、そんなものが実際に出来上がれば現代科学の世界は一変して物質世界などは誰も見向きもしなくなるであろう。一気に世界は変わり、文明は再び黎明期に戻り、、人間知は最初から始めなければならないのである。

彼が亡くなっておよそ100年経つが未だに誰も彼の意思を継ごうとする者は出て来ない。そのあたりから見ると科学は進んだと言われているが、実際は何も進んではいないと言わざるを得ないのである。 要するに科学は一方的な局面のみ発達しているのであり、オ−ルラウンドな形での発展はまったく無いと言うことである。

まあ、誰かがその中に口火を切れば一気になだれ込むであろう。何か確たる証拠が出てくれば科学陣は総出で「あの世」の検証に走り、まともな答を見つけることであろう。

恐らく、その嚆矢となるのは日本人であろう、なぜならば憑依現象に最も関心が高いのは日本人であり、その憑依サンプルにはこと欠かないからである。

考えて見れば、数百年前から日本にはその現象は有名なものとして常に日本人と共に存在しているのである。それがイタコであり、口寄せ巫女と呼ばれる特殊な人達である。

彼女達の仕事は死んだ人と話すことであり、「あの世の人」と「この世の人」を結びつけ、会話を成立させることである。

今のところ、我々は自分の知っている「この世界」がすべてだと教えられているのであり、知らないものなどは一つも無い、「見えない世界」、そんなものは存在しないと思っているだけである。しかし、正しく言えば、あなたの知らないものは「知らない」だけであり、完全な認識不足のなせる業である。また「見えない世界」は見えてはいないから存在しないと思っているだけなのである。
 要するに、すべてはあなた方の認識知の不足のせいであり、まだまだ経験知の不足と言う曖昧な世界にとどまっているだけと言うことである。

 

今回取り上げたように、世の中には「憑依現象」と言われる不可思議な現象があることを知らなければならない。あなた方はそんな馬鹿なことはある筈がないとこぞって否定するであろうが、それはあなたが事実、真相を知らないだけであり、認識知の不足が招いた「誤った知」に支配されているからである。

例えば、東大病院のある高名な医師さえも言っている、「運ばれて来る患者達の何割かは憑依による患者達であり、その兆候は明らかである」と…。だから何らかの施術を行って霊を開放すればすぐに体は元の状態に戻って完全回復状態になるのである。

しかし、現代医学を修めた医者達はそんなことは知らないので、やれ、検査、検査に明け暮れ、薬を投与して様子を見ているだけである。そして、とどのつまり原因不明、対処不能な心の病気として精神病院に送り、廃人にしてしまうのが常である。

 

 歴代の総理大臣もそのあたりはぬかりなく、いわゆる超能力者と言うものをブレ−ンに置いて身の周りを固めているのである。私の近くに住んでいた杉山と言う御仁もそのような一人であり、一か月に2,3回くらい元総理大臣の福田赳夫(たけお)氏の下へ参上していろいろ相談事を受けていたようである。頼めば、福田氏の揮毫なども持ってきて、よく人々に与えていたことが思い出される。

 当時の師の言うことには最も力のある超能力者を抱えていたのが中曽根康弘氏であり、恐らくは中曽根さんは病気で死ぬことなど考えられず、寿命の尽きるまで元気でいるだろうと話していたことが今も耳に残っている。ちなみに師が関係していた元総理大臣

の福田赳夫氏は90歳で亡くなったが、中曽根氏は今でも顕在のようである。

 

その杉山師も超能力に関してはものすごいものがあり、毎日大勢の人々が参内していろいろな相談を受けていた。師にかかると憑依霊による病気などはアッ途言う間に回復し、帰る時にはニコニコと笑顔を浮かべて帰って行ったものであった。

 

私も驚いたことがある、師と話している最中に、突然、君のお父さんが来て「私は満州国とシベリアの付近にあるXXXと言う河の畔で死んだ」と話しているよと言われたことがある。その河の名前は恐らく日本人の誰もが知らないようなあまり大きくない河であり、地図を懸命に探してやっと判るような小さな河である。当時は私でも名前を聞いたことのない河であり、いい加減な事を言っていると少々腹立たしさを覚えたものである。

 

しかしである、その数年後、親の実家で祖先代々の新しい石碑を建立したので墓参りに来て欲しいと言われたので、早速行って自分の親父の名前を見たところその下には杉山師が行った通りの河の名前がハッキリ彫られていたのにはまさに吃驚であり、大きなショックを受けものである。そのことだけは今でも忘れられない。

 

それまでは疑ってかかっていた自分が悲しい。まあ、多感な青春(老春??)の一こまの出来事であり、恐ろしいものが何も無かった人生の華ともいうべき壮年期の頃の甚だ恥ずかしい話である。でも今は懐かしい一つの思い出としてしっかり心に納めている。

 今ではその杉山師もすでに鬼籍に入り、改めて感謝を述べることも出来ない。

今からざっと20数年前の忘れもしない出来事であり、大ショックの傷は未だに癒えてはいない。今となっては自分の未熟さ、不明さが招いたことを恥じるだけであり、天を仰いでただ嘆息し、ただただため息を洩らすだけである。             

                        (8月の記)                                                    



     「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No30       

       
≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたい G                                   
                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)        
       
                                                                                 平成26年9月謹上

 
 

 
さて、いつの間にかこの気まぐれで始まった『ちょっと号外版』も30回目を迎えてしまった。すべてはど素人の下司の勘ぐりから始まったものであり、長年心から消えなかったものを改めて思い起こすべく記したものである。だから、科学的な真実はこうこうであると真面目な学者から説明を受けても、恐らくは余程心を動かされない限りは「なるほど…!?」と同意する羽目には私はならないと思っている。私もそろそろ80歳を迎えんとする者である、今更偽り事を口にして身を飾りたいなどとはサラサラ思わない、ただ感じていることをありのままに述べるだけであり、あるがままを語るだけである。決して荒唐無稽な偽り話をして、世間に受けようなどとは少しも思ってはいない。

  ただ、言って置きたいのはこれらの『ちょっと号外版』の中には私自身が「どうかな…!?」と50%以上の疑問を持つようなものは一つも無いことは確かであり、私自身が後ろめたさを持つようないい加減なものは一切無い、それは神に賭けて誓っても言える。

  まあ、今回もあなた方は「何だ…!?、それは…!?」と耳を疑うような「奇妙な話」であり、あなた方の誰もが「何…???」、と感じて目を疑う話でもある。しかし、すべては未来に関する真実のデ−タ−であり、人類の存亡を憂慮している一つの奇妙な報告書もである。信じるのもよし、笑い飛ばすのもよしである。ただし、少しは心の隅にでも置いてもらいたい、何時かは役に立つはずである。

  
 我々は刹那、刹那の短い時間で生きている、何せ。寿命が短いので長期間の展望は余り行われてはいない。要する大体に2〜3年と言う短い時間の中で、健康や寿命に影響するものに対してはシビャに対処しょうとしているが、それが20年〜30年、あるいは50年以後に生命体に影響を与えるものに対してはまことに関心が薄く世評の盛り上がりもまったく無い。
  本来ならば、100年、200年の未来に起こるであろう不適切なものに対しても、少しでも予測されるものならば声を大きくして人々に伝えなければならない。それは未来への重大な布石としての一つの義務と言うものである。さもなければ、必ずや将来に禍根を残すことになるのは確かである。

 また、未来に大きな影を残すと思われるものであれば、それが現実化する遥か以前、すなわち、それが予想された段階でその根を断つと言う大英断が必要なのである。

  しかしである、世の中の人々はその危険が間近に迫って来ない限り関心を持とうとはしないし、それが現実に我が身に迫って来なければ騒ごうとはしない。

  しかし、言って置きたい、それが根になって未来に起こることは時計を戻さない限り訂正は不可能である。なぜならば、その原因となるものは20年、30年過去にあったものであり、過去を修正すると言うことはどうあっても不可能なことだからである。

  今、それらのことが原因で20年〜30年後の未来の世界に重大な危機を与えんとしているものは数多あるが、人々は小声で噂をするだけで誰も表立って声を上げようとはしない。

  それもその禍根となるものは一つや二つでは無い、それらが微妙にからまり合って複合的なことも起ることもこれまた予想される。
それらは歴史が進むにつれて人類全体に大きな影響を与えるばかりではなく、現代文明全体、場合によっては人類が消滅する危険性も十分に孕んでいることも考慮に入れて置かなければならない。要するに、将来の俯瞰図をあらかじめ作って置くと言うことであり、それには予想されるような微細な事柄の始末一切を書き込んで、時に応じて照合することが必要なのである。 

  それらが今、一つずつ頭を持ち上げて人類を睨み、しっぺ返しをはじめようとしているのである。何故なら、その原因となるものは長年人間がたれ流した文明の残滓であり、誤った認識による反自然的な人工生産物、すなわち自然界には今まで存在しなかったものなのである。自然界に存在しないもの、それは両刃の剣であり、甚だ危険極まりないものと考えるべきである。

   また困ったことに、それらのものを利用して利益を生み出そうとする輩は甚だ多い、しかし、彼等は目先の欲に溺れるだけで地上の生命体にとって果たして有害かどうかはまったく考えようとはしない。例え、考えたとしても2年、3年の短期間内のことであり、20年、30年と言う長いスパンで考えることなどは間違っても無い。彼等大企業は知っているのである、短期間で影響が出るものについては人々は大騒ぎするが、それが長期間にまたがるものについては原因不明になる公算が強く誰も騒がないことを…。

  それ故に、処罰されないであろうと言う勘ぐりがそこには働いているのである。

  もっとハッキリ言えば、短期間に数人の羅病者が出た場合には直ちに処罰されるが、数十年経ってから数万、数十万の人々が病気になり死亡しても、原因追求は不可能、故に追求されることは一切無いと考えているのであり、ただただ利益追求に走っている不埒な輩(やから)である。

  それでも最近のコンビニあたりは良心に目覚めたようで「添加物」や「防腐剤」は使ってはおりませんと断り書が書かれている。 少しだけであるが妙に感心する…!!。

 しかしその裏を返せば、「添加物」や「防腐剤」を業界では使っていると告白しているようなものであり、自分達も過去には使用していたことを認めているようなものである。

  まあ、そこには大きな矛盾が見え隠れしているのであるが、世間様は何も感じてはいないようである。…!!。

   これら食品を長持ちさせるために当たり前に添加されている防腐剤や保存料、あるいはキレイに見せるための人工着色料などは体に有害であると長い間叫ばれて来ている。 なかには2,3年経っても腐らない、状態はまったく変わらないものも甚だ多い。

  しかし、今ではそれが当たり前になり誰も声を上げない、将来に発生するであろう何らかの異常に対しての危機感を持つ者は誰一人いないようである。

 

  今、巷では自動販売機が軒を連ね、大いに売り上げを伸ばしているようであるが、これもまた危ない。なぜならば、清涼飲料水などに使われているノンカロリ−の人工甘味料が原因で若者達の元気な精子はどんどん減っていると言うまさにショッキングな実験結果が起っているからである。その事実は最近、日本薬学会で発表さていることを知って欲しい。

  ある人の調査によれば大阪の若者の精子を調べたところ、60人中58人の精子のほとんどが奇形だったそうである。それも少しばかりではない、ひどい奇形、あるべき根本形が完全に奇形化しているのである。まさに大変なことであり、人類歴史上の一大事と言うべきものである。  …が誰も騒がない…!!、人ごとのように見返りもしない…!!。

  そう言えば、20年前にある学者は警報を鳴らしていた、若者達の精子の数は以前に比べると3分の1に減っていると…!。しかし、誰も相手にはせず聞き流しただけであり、噂にもならなかった。

 誰かがその時、原因究明に走っていたならば今のような深刻な事態は起らなかったであろうに…!!。

   また、別の学者も嘆いている、今の若者の精子と卵子には奇形が余りにも多過ぎると…!!?。それが不妊の原因であり、子供が出来ない原因なのである。

  また、お医者さんの中にも生まれて来る子供には奇形児や異常児が非常に多いと叫んでいる方もいるようである。しかし、誰も原因追求しょうとはしない、誰も騒がない…!!。

  そこにはこのようなれっきとした発生の一致が見られているのにであるが、人ごとのように 誰も知らん顔である…!!。

  まさにこれは国難であり、国家の存亡さえも懸かっている重大な出来事であるはずなのに…!!!。

  本来なら、政府関係者がことの次第を糺すべきであり、次第を見極めるべきであるが、一切関係ないと誰もが腰を上げようとはしない、耳をそば立てようともしない。将来、働き手が少なくなれば外国から働き手を連れてくればいいなどとトンチンカンな事を言っている政治家の存在には呆れ果てて言葉も出ない。アホかと言いたくなる。

  一体その原因となるものは何であろうか、そこには必ず原因となる種があるはずである。これだけ優秀な学者先生達が揃っていると言うのに原因追求が出来ないようでは国民から馬鹿にされ、能無しとの嘲りを受けるだけであろうが…。
このように現場の学者達は盛んに声を揃えて「成人男子の精子の異常を訴え、まさに国の存続を左右するばかりの異常事態である」と騒いでいるのに…!!。

 

   また、現在大流行りの清涼飲料水などに使われているノンカロリ−の人工甘味料はアスパルテームと言う名前であり、長い間、あちこちで論争の的になっているものである。そのことを知らないのは日本人だけである。

  本家のアメリカでも大変疑惑の多いと言われている代物であり、現在でも数多くの現代病の原因とされ、健康被害を訴える多くの人々が数多訴訟を起こしている現状である。

  しかし、日本人は誰もそんなことは知らない、誰も言わない…!!。
 自動販売機の数は世界一であると妙な自負心を持っているが、果たしてそれの導く10年〜20年後の結果始末とは一体…!!!。

  まことに脳天気であり、世の中は太平極楽と思ってノホホンとしているだけである…!!。 

 

  日本人の多くの若者がこれらの事実をまったく知らずノンカロリ−でござる、カロリ−0でござると言う甘言に惑わされてこのアスパルテーム入りの様々な飲料を飲んで満足し、最先端の飲料であると信じて飲んでいるのである。何せ、砂糖の200倍の甘さを持ち、カロリ−が殆ど無く、ス−パ−甘味料と呼ばれてはいるが、れっきとした人工生成物であり、自然にはまったく存在しない物質である。

  日本では誰も毒性を持つとは思ってはいない、ましてや、それが将来人口減による国家存亡の危機を招くことになるであろうことなどは夢にも思ってはいない…!!。  ああ、極楽トンボ日本人…!!。

   誰も何も言わない、マスコミも何も報じない。本当はマスコミが大々的に報じて警鐘を打ち鳴らすべきであるが、明日も判らぬ刹那的な政治家の話や、犯罪の見出しが紙面に踊っているだけである。役立つ報道なんかは何も無い、言って見れば大衆には関係の無いゴシップ報道ばかりが紙面上を賑わしているだけである。

  これでは日本も数十年の中に国力は激減してひ弱な国に転落するのは当たり前である。せっかく世界一の長い歴史と伝統を持つ大文明の国であるのに…!!!。

  ひょんなこと、予期せぬ出来事で国全体が頓挫し、壊死しょうとしているのであるが…!!。

  そのことを如実に語っているのが現在の夥しい病人達の群であり、病院の待合室に見られる大勢の老若男女の姿である。
 まさに、どこも一杯の状態であり、言葉は悪いが満員御礼の札が出てもいいような状態と言ってもいい。

  誰かが警鐘を鳴らさなければ完全に国は数十年後には弱体化して救いようがなくなるのであるが…!!。
 誰か大きな声でものを言う救国の士はいないのであろうか…!!?。

 

  いや、よく考えて見ると、予兆は30年前くらいにあったのであるが誰も気にしてはいなかったのである。そんなことは起るはずは無いと誰もが多寡をくくって予想もしてはいなかったのである。それは形はまったく異なるが今回もご同様であり、まったく同じ状態である。

 

  覚えている御仁もいるであろう、公害によるいろいろな奇病が日本で発生して大騒ぎになり、世界的なニュ−スなったことを…!!。

  それは昭和50年から60年代あたりにかけて、未曾有の環境汚染とそれに伴う公害病が日本を席巻して大騒ぎが続いたことである。今のあなた方はすっかり忘れ果て、記憶にも無いかもしれないが、一つ思い出して心の戒めとして貰いたい。

  公害病とはすなわち、重化学産業などの発展により、大気や河川や地中に排出された有害物質により引き起こされた病気である。なかでも、水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、四日市ぜん息(喘息)の被害は典型的なものである。

  それら公害病の原因は有機水銀、カドミウム、ヒ素、硫黄酸化物などであり、それが食べ物や飲料水などに入り込み、知らず知らずに体内に入って重大な障害、すなわちいろいろな重大な病気や体の障害を引き起こしたことである。

 それらの名は水俣病、第二水俣病、関川水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、川崎公害、四日市ぜんそく、杉並病、土呂久砒素公害、小中野ぜんそく病、松尾鉱山ヒ素公害、倉敷公害病などの10指に余る数であり、数万人、数十万人が塗炭の苦しみを味わい、長い間、悩まされ続けて来ているものである。

 

  当時の欧米諸国は日本を指して「黄色いカナリャ」と呼んで興味深々で見守っていたのである。最近では「人類のモルモット」と呼び名を変えて日本人の食生活を観察しながら決して同じ轍を踏むまいとして自分達の食生活の参考としているようである。

  今の皆さんは「黄色いカナリャ」の意味などは判らないであろう。今では完全に死語となり口にするものもいないから無理も無いことではあるが…。 一つ、そのあたりをご説明申し上げ、今回の参考にしてもらいたい。

  要するに、昔、鉱山などでは時によって鉱山内の酸素の濃度が薄く呼吸困難になる恐れがあった。そこで籠に入れた「カナリヤ」を先頭にして無事を確かめながら少しずつ歩を進めるのが常であった。カナリヤは酸素が薄いとすぐに死ぬのでセンサ−の役割を果たし、それを意味する言葉が「黄色いカナリャ」と言う訳であったのである

 

  現在でも公害と名のつくものは相変わらず続いているが、ただ国民は慣れてしまい余り騒がないだけである。それらがすなわち、光化学スモッグ、・排気ガス公害、粉塵公害、・アスベスト被害、カルキ入り水道水による発ガン性物質トリハロメタンの発生等である。最近起った原子力発電所の損壊による放射性物質の拡散なども一つの公害と言ってもいいものであろう。

 

  まあ、先回は何とか乗り切り、世界の教範の役目を果たし訳であるが、それを学ぶことを怠った中国は御承知のように国の興亡さえも噂されるほど甚大な被害を出している現在である。

  なにしろ、河と言う河は工場の排出する有害物質で5色に染まり、大地は農薬汚染の蔓延により力を無くし、更なる農薬をばら撒いて収穫を上げようと図っていると言うのである。

   また多数の工場の排出ガスにより町中が視界不良の状態になり、人々は重大な健康被害に苛まれ命からがらの状態、それが現在、すなわち2014年、今の中国の実情である。

 

  昭和50年代が世界の黄色いカナリヤの役目を果たした第1期ならば、今度の食品汚染問題は第2期とも言うべき公害期と言ってもよく、またもや世界の注目を浴びている状態である。

  しかし、前回は官民一体となって被害者達には賠償金というものを払って何とか解決した経緯があるのであるが、今回の被害者は広範囲で国民全体なのである。要するに、被害者は全日本国民であり、加害者は食品添加物や防腐剤の添加を許可している役人達であり、そのバックにいるのは政府と言うことになるのである。

  それらの事実に誰も気がつかず、平然と構えているのが我々国民である。考えて見れば、まことに哀れであり、まさに泣く子と地頭には勝てぬとばかり泣き寝入りの状態である。要するに、真実うんぬんを追求する前にうまく丸められてしまう公算が多いのである。

 

  例えば、全国の水道水にガンを誘発するカルキの混入を許可し、世界に類の無い混入割合を定めたのは政府であり、基準の尊守をせず基準の10倍、20倍ものカルキを添加して平然としているのが役人達である。要するに、立ち入り検査などは無いのであろう。

  要するに、カルキを多く混入すればするほど綺麗な水が出来ると思っているのであり、それが住民のためであると思っているのである。要するに、自分で思考はせず、言われた通りにしているだけである。それはまさに学校教育の賜物通りであり、そのままである。

  実際はそれがガン多発の要因になって、ガン患者が年々増えていることも知らずに…!!。 何と言うことであろうか…!?。

 

  恐らく、それらの結果の諸々の現れが今ある日本の成人病、すなわち生活習慣病と名を変えた国民病の蔓延であり、決して終わりの来ない大量の病人の発生である。
 確か、新聞の見出しにも、「今の成人の二人に一人はガンにかかり、三人に一人はガンで亡くなるとある…!!。

   本来なら、国民はこの事実には大いに驚き、大騒ぎをするはずである。しかし、誰も騒ぎ出さないし、特に話題になることも無い。
 何だろう、この羊のような従順さは…!!?。

 

  しかし、このままでは病気の発生は延々と続き、果てしないことを知るべきである。これからも永遠に地上に日本民族がある間、生きている間、ずっと我々を脅かし続け終わりは無いのである。

  もし、途中で、重大な予測不能なミスの発生し、その原因が判明した場合には、その限りではない。その途中のミスの現れ、それが現在進行中の大量発生の病の発生、すなわち、ガン、糖尿病、高血圧、を始めとする生活習慣病であり、死亡者の約3分の2が占めていると言うガンの大発生である。

 

 その意味することがあなたにはお判りかな…!!?。

  果たして、学者や役人にはどれだけの知恵方策があるのであろう、いや無いはずである。あるなら当然、原因と予想されるものにはとうの昔に蓋をしているはずである。しかし、現状を見る限り、それだけの才覚すらないようにも思えるのであるが…!!。

  彼等は自分達の行為、すなわち、よかれと思って行っている行為が、実は国を滅ぼそうとしているとんでもない行為であることにさえ気がつかないのである。要するに命ぜられたまま行うだけ、それ以上のことは一切しないと言う役人根性の現れそのものである。

 

 もはや、我々にはあまり時間は無い。現在、ガンにかかるのは2人に1人、ガンで死ぬのは3人に1人である。しかし、その発生推移を過去の統計から見ると、恐らく、10年〜20年後にはガンにかかるのはほぼ全員であり、ガンで死ぬのは2人に1人と言うことになるであろう。

  そのような状態から家族を守るのはあなたしかいないのであり、国民の団結しかないのである。なあなあ主義の国も行政機関も一切役には立たないことは現在を見ればよくお判りのはずである。

 

  最も必要なのは汚染されてはいないいい水を飲み、材料を選んでいい食事を作ること、それが家族を守る最強の武器である。
そのためには国産、地産の食材を使い、内容の判らない外国の食材は敬遠すべきである。また水道水はあまり信用せず、自分で毒性をなるべく処理して用いることである。

  それ以外に何かいい方法があれば教えてほしい、本当にいいものであれば、大至急世の中に拡散して人々に知らせなければならない。

  せめて、信じる者だけでもいい、何とか生き残る方法を模索しようではないか…!!。

 
 あなた方は知らないであろうが、すでに大量人類殲滅作戦は始まっていると見るべきである。それは誰も知らない間に、ひそかに綿密にオペレ−ションは開始されていると言うことである。それは人々が気がついた時はすでに手遅れ状態と言うことであり、死を待つばかりの状態なのである。まずはしっかり周囲を見て現実を知ることから始めて貰いたい…!!。

 

   恐らく。裏で糸を操っている恐ろしい人達はこれでいい、これで計画成就は間違いなく進行しているとほくそ笑んでいるであろう。
 その可能性は大である、決して白昼夢などでは無いことを伝えておきたい。

  その一つの証拠に、彼等はあと30年以内に地球の人口の急激な縮小を図らなければ現代の社会は完全に滅び去ることを計算により確かめているはずであり、そのことはすでに数十年前には判明していることなのである。

  それはすなわち、このまま、今のままででは現代文明は完全に滅び去るのは確実であり、彼等はそれを知り、すでに人知れずひそかに対策を敢行していると言うことである。今後益々その動きは顕著になっていくはずである。

  要するに、あと、数十年で地球上には100億の人間が溢れ、食料をめぐって人間同士が争い合い、国や民族同士も食料や水を求めて戦争をし、殺し合いを始めることをコンピュ−タ−はすでに数十年前にはじき出しているのである。

  その場合には生き残りを賭けた人々は遠慮会釈無しに何処に国でも攻撃し、手段を選ばずに相手の殲滅を図るはずである、それこそ徹底的に一人も残さずにである。

  現に、今でも、エネルギ−の枯渇により、新しいエネルギ−源を求めてあちこちの国が動きまわっているではないか…!!。それまでの決まりとか国際上の法律さえも無視までして…!!。道義とか信頼などはもう無いも同然であり、意味の無いものになるのである。

  すべては生き残りを賭けて国を存続させるための前哨戦であり、問答無用の争いはすでに始まっているのである。今の私にはそのように見える、聞こえるのであるが…!!!。あなたには如何であろうか…!!?。 

  また争いの最中にある国を見ればよく判る、敵も味方もまったく同じ国から供給された同じ武器を使って殺し合っているのである。要するに、それは誰かが仕組んだ人工削減計画の一端であり、 グロ−バル的なものであることが判ろうと言うものである。

  それは人類を救う、現代文明を崩壊から救うと言う大義名分をもった一つのオペレ−ト作戦であり、当然の義務感を持ち、罪悪感などは少しも無い者達の計画に沿ったものであろう。

 

   現在の世界の人口は約70億人であり、本来のあるべき地球の適正人口は30億人とコンピュタ−は弾き出しているそうである。
 どっちみち、すでに人口削減計画は始まるであろうことは目に見えてはいる。ただ、我々は知らないだけである。

  いや、最早ゴ−サインは出ている、現状を見るとすでに始まっていると言うことである。

  現在の世界の情勢は最早そのように行き詰まりを迎え、動きが取れなくなっている状態である。そこを何とか生き延びようと強い国は必死で何らかの工作を企ていると考えてもいいであろう。  

 大乗的な見地から考えて見ると、それは当たり前のことであり、筋道としては止むを得ないものと考えるべきものかも知れない。

 

 

  そのための手段の一つがよく話題になっている「ケム・トレイル」ではなかろうか。

  先日、アメリカから来た友人が語っていた。たまたまアメリカでケムトレイルを播きなが墜落した飛行機にはドラム缶に入った薬品が山のように積まれていて、話題になったそうである。一体、何のために空から散布しているのであろうか…??、今もって完全に不明である。一説には口削減計画の一環であるとも噂されているものである。  何と…!!、 何と…!!、恐ろしい限りである…!!!。

  知らない人には申し上げよう、「ケム・トレイル」とは飛行機雲のことであり、空の端から端まで伸びて中々消えないものである。ちなみに、普通の飛行機雲は水蒸気なので航跡はすぐに消えてしまう。そのことはしっかり知って空を見張って貰いたいものである。

 (ケム=ケミカル  トレイル=航跡)
                                                            (今月の記は完)

 

   「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No31
      

       
≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたい H                                   
                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)        
       
                                                                                 平成26年10月謹上


   

 いやはや驚いた、この間、拙宅まで来てくれた情報通のアメリカ人(NYに50年間も住んでいる日系人)によると、とにかく今、アメリカの知識層は日本食にのめり込みまるで雪崩を打っ様に日本食に群がり始めていると言うのである。

 何せ、肉食を止めて日本食をとる限り、心臓疾患にかかる率は8分の1から10分の1に激減すると噂されているそうである。それでは単細胞で余り深く物事を追求しない一般のアメリカ人にとってはその言葉はまさに「晴天の霹靂」であり、それを知った沢山の人々は日本食に殺到して来ているのは至極当たり前であり、別に不思議なことでもない。

 

 今ではその余波はヨーロッパにも大きな影響を与え始めているそうである。今、イギリスを初め、フランス、ドイツの国々では日本製の有機(オルガノ)と言うレッテルが貼られている食品がもてもてであり、店には沢山並んでいるそうである。
 しかも、それらは日本の大きな会社で作られたものではなく、名も無いような小さな会社の製品、すなわち、職人の手作りによる確かな有機食品であり、それらが人気の的になっていると言うのである。

  要するに、日本とは逆な現象が起きているのであり、その理由は歴然としている。

 それはすなわち、日本人は大きな会社で作られたかっこいい食品、添加物や人工甘味料などの化学物質が含まれているにも拘わらずテレビのコマ−シャルに惑わされて見た目のいい商品、甘い囁きを持つ商品を求めがちなのである。

 しかし、彼等企業側は儲かればよく、売れればいいのである。中身よりも見てくれを重視し、それをテレビで流してお客にアピ−ルし、購買力をそそろうとしているのである。

 要するに、人様の健康面や、実際的な効果などは無視して、まずは人の心をくすぐるような言葉や品物の見てくれを重視して販売に懸命なのである。要するに、それは本質的には邪道であり、人間的には忌むべき行為なのであるが、誰も気にはしない。

 要するに、売る方も買う方もどちらも揃って愚かであり、向こう見ずなのである。日本人でレッテルに書かれている内容成分を読んでだ上でしっかり吟味して買うと言う人は殆どいないと言ってもいいであろう。
 すべては命、健康に関わるものであり、あなたの一生を決めるものである。余りにも短絡過ぎる、これからはしっかり見て、どれから考えて買うようにすべきであろう。そうすることによりいい商品、確かな商品が育って行くのである。
 すべては我々の手の中にあるのであり、心掛け次第でどうにでもなるのである。そのためには心をもてあそばれない、心をシッカリ持つべきである。

 日本人は何事も価格や流行偏重に片寄るのに対し、外国の人々は金銭よりも健康面に与える影響を最初に考え、それからじっくり商品を選び出すのである。 この差は大変大きく、将来は国の行方にも大きな影響を与えると考えるべきである。

  これを一言で言うと、将来において必ず国力に差が出て来ることになるのである。

  日本は大量生産物である無機的な化学合成食品の摂取による病人の蔓延、それと同時に健康な若年層における精子の大減少による子供の減少と言うとんでもない事態に陥るのは確かであり、それが将来の人口激減を招き、国家財政に大きな影を落とすことになるのである。

 果てしない無機的な化学合成食品の摂取による病人の蔓延、それと同時に健康な若年層における精子の大減少や精子の大幅な変形、奇形による不妊度の大巾増加と言うとんでもない事態が現在発生しているのであるが、誰も気がつかない。恐らくは近い将来の人口激減は避けられないであろう。しかし、誰もまだその事実には気がつかずただおっとりと構えているだけである。

   そのあたりを学者や政治家は今の中にシッカリ考えて対策を立てるべきであろう。

 

 今、肉食系の人々は心臓病やガンを大変恐れていると言われている。

 何せ、今のアメリカでは病院にお世話になったら大金をふんだくられて一文無しになり、家族は明日から路頭に迷うことになる確率が大変多いと言われ、戦々恐々としている。 なぜならば、アメリカには日本のような保険制度は無く、また日頃の貯蓄もあまりしてはいない、そのことが裏面に出て、病気=破産と言う現象が多々発生しているからである。

 要するに、病気になるのは自己管理が悪いからであり、すべては自分が責任を取らなければならないと言うのが向こうの常識であり、すべては自業自得と見なされて誰も相手にしてはくれないのである。

 

 それに比べれば、日本は大変恵まれ過ぎていることは確かである。健康保険制度がある故に一般人は3割、高齢者に至っては1割の負担で済み、残りは国家が支払いをしてくれるのである。何と有難い国であり、老人にとってはこの上ない楽園である。

 口さがない人々は言うであろう、北欧の国々では医療費は100%国が面倒みてくれるので日本よりも遥かに幸せな国であると…!!。

 でも彼等の国では諸般の事情がまったく日本とは異なることを忘れてはいけない、例えば、スエ−デンでは所得の50%以上は税金として国家に徴収されているのである。

 日本人のあなたには果たしてそれが耐えられるであろうか…!!。

 それに比べれば日本は僅かの8%であり、先日までは5%と言う低率であったのである。

 考えると、日本は病人にとっては天国であり、高齢者にとってはまさに極楽浄土と言っても決して過言ではないことはお判りであろう。

 

  済まない、論点がすっかりずれてしまったようである、ここらで原点に戻ろう。

 要するに、突然発症する心臓病やガンを恐れる余り、諸外国ではそれまで食べていた大好物の牛肉離れが始まったのであり、その代替食として健康と長寿に優しい日本食に切り替え始めたのである。そこで困り果てた酪農家や牧場主達は販売タ−ゲットをアメリカから日本に移そうと我然輸出攻勢を強めようと現在アメリカ政府に圧力をかけているのである。

  恐らく、彼等の目には日本人最高のお得意であり、騙しやすい民族と映っているのであろう。

 それもそうである、考えて見るがいい、アメリカでは見向きもされず、捨てられるような脂肪の沢山入った肉を輸入して最上級の「霜降り肉」と名付けて有難がり、また脂が肉の半分を占めているような凄い脂身の肉を薄切りにしてシヤブシヤブと名ずけて名物料理にしていることを見れば、さもあらんである…!!。

またある企業は、国民食と銘うって牛丼の肉に用いて一般庶民に売り込んで評判をとっているのである。これらの肉を裏で仕切っているのが大きな名のある輸入会社であり、後押ししているのが日本の政府と言う構図があるような気がするのであるが…!!?。

  すべては己の金儲けのためにであり、国民の健康事情などには一切の斟酌は無いと言うことであろう。

 

 どうも今度のTPPの件でもアメリカ政府は何とか関税を撤廃させて牛肉を日本に大量輸出することを目論んでいるようである。要するに、自国民が駄目なら他国民に鞍替えしょうと言うのである。それはすなわち、自国民の健康は守るけれども、他国民の健康なんかはどうなってもいいと言うことであり、人道的な考えなどは何も無いことを暗に証明しているものである。

  我々はそこをシッカリ知って決して騙されないように個人々が心掛けるべきであろう。

  恐らくあなた方の中には牛肉が安くなるのならば結構ではないかと思う方も大勢いるであろう。しかし、その分、国内の牧畜家は更に一層の打撃を受けて廃業に追い込まれ、国産牛肉はますます高嶺の花となってしまうのである。

 もし、そうなったら今度は牛肉の価格は外国の業者の言いなりになり、どんどん価格は釣りあげられてしまうのは目に見えている。そこが彼等の思う壺なのである。

要するに、すべては向こう様の手の中に握られ、思うままに工作されてしまうのである。貿易とは国民を生かすか、殺すかという一つの戦争であり、相手の国の事情などはまったく考慮しない、すべては自分の国が潤えばいいように仕組んだ方が勝ちなのである。

 

 とにかく、経済戦争とは鉄砲の代わりに、お金が飛び交う目に見えない戦争であり、浮沈をかけてお互いに相手の経済の潰そうとすることである。ドンパチの戦争は一部の犠牲で済むが、お金の戦争は国民全体影響を及ぼすものであり、強いては国の存亡にも繋がって来ることを我々は知っておくべきである。

 それが今進行中のTPPと言う国家の浮沈にかかわる経済問題であり、負けた方の経済組織は見るも無残になると言われているものである。とにかく、しっかり見据えて、しっかり構えてかかることである。

 要するに、TPPは弱い国の産業を破壊する「悪魔の選択」であり、相手の経済をめちゃめちゃにし、その挙句相手の経済を思うままに操ると言う一つのとんでもない経済戦争なのである。

  もし、日本が敗れた場合には牛肉が滔々と日本になだれ込み、それと比例するようにガンや心臓疾患などは2倍、3倍と幾何級数的に増え、それと同時に医療費は今の何倍かになって国の保険制度はアッと言う間に破綻を来たすのは目に見えることである。

 要するに国の財政そのものを今度は病人が食いつくしてしまうと言うとんでもない構図に発展する恐れがあるのである。
 そんな馬鹿なと言うなかれ、現在の日本の医療費は確か40兆円くらいである、すると病人が倍に増えると80兆円になる計算である。
要するに、これは国家予算に匹敵するような莫大な金額を政府が負担すると言うことになるのである。卓上の計算ではあるが恐ろしい限りである。

 その事実は肉類の消費量と生活習慣病の発生のグラフを重ねて見れば誰にでも簡単に判ることである。ただ日本は外国と比べて長期的な展望を描くことが苦手であり、誰も要求しない、そこが弱い所である。まだ、国家が熟成してはいないのであろうか…!!??。

 

 これは誰にでも判る単純計算であるが、恐らくそれが判らないのは政治家や官僚だけであろう。何と言っても目先のことしか考えない単細胞の集団と言ってもいい連中であるからである。誰も10年後、20年後のことなどは考えようとはしない。

 中には正論を口にする感心な御仁も見かけるが、仲間は誰も賛同などはしない、ただ野次り倒されるだけである。一体なんだろう、平然として国民の代表面しているこの連中は…!!?。

 

 単純な日本人はアメリカは同盟国であるから日本に対してそんな理不尽なことはしないであろうと善意に解釈をしているようであるがとんでもない思い違いである。 自分の国のためならば、相手のことなどは微塵も考えない恐ろしい国であるとの認識を新たにすることが必要なのである。

 とかく、日本人は考え方が甘い、日和見しすぎで極論にはなかなか走らない。それが彼らには見え見えであり、相手にしやすい国民と見ているのは間違いのないことであろう。

 

その一つの例の存在をここで明らかにして置きたい。

 あなた方は知っているであろうか、日本の国家財政の赤字はすでに1000兆円を超えていることを…!!。要するに国家予算の約10年分以上が借金として国がかぶっていると言うことであり、それは最後には国民全体が背負う羽目になる、結果としては国民が返さなければならないことをあなた方はご存じであろうか…!!。

 それは恐らく、将来の人口減少を考慮に入れるといずれかには国民一人当たり1000万円以上の負担になると思えば間違いの無いであろう。

  口さがない評論家達は700兆円余のアメリカ国債を買って政府が持っているので差引300兆円の赤字にとどまっていると政府を擁護しているようであるが果たしてそうであろうか、私はそれが真実であるかどうかを疑っているのであるが、あなた方は如何であろう…!??。

 なぜならば、政府は正しい釈明を一切してはいないからである。例えば、700兆円のアメリカの国債と言うものはアメリカの財政が健全である限り、借金としては扱われることは無い。財政が破たんして始めて返済不能となって赤字が発生するのであり、そこではじめて赤字として計上されることになるのである。そこから考えるとこの700兆円は財政赤字である1000兆円以外の存在と考えていいものである。

  要するに今後、アメリカの財政が破たんし、ドルが紙くずとなった場合にはこの700兆円が初めて赤字として新たに計上され、日本の国の財政の赤字は一挙に1700兆〜2000兆円となって倍加の状態を呈することになるのである。

 しかし、これはまだ誰もそこまで見通すことは出来ず、それ故に、まだ誰も言ってもいない事実である。出来れば単なる私の妄想であることを願うのみである…!!。

 考えて見ると、このアメリカの国債の700兆と言う話は大分古く、5〜6年前の数字である、恐らく今では1000兆円あたりに増えているのではなかろうか…!!?。

 なぜならば、その後、政府がアメリカの国債を買い控えたと言う話は一向に聞かないし、その事実も無いようであるからである。

  考えて見ると、アメリカの意向に沿うような大臣の名前はよく耳にするが、逆らうような勇ましい大臣は彼の田中角栄氏以後には聞いたことは無い。

 とにかくすべてはアメリカ主導のままで推移しているのであり、日本のお偉方はただそれに盲従している限り我が身は安全と考えているだけで、誰も国のために我が身を捧げようとは考えてはいないのである。これは年寄りの感…、間違い無いことである。

 その場合、相手に悪意があった場合、完全に嵌められ国はひとたまりも無く没落の道を歩むことになると言うことを知っておくべきであろう。とにかくお欧米人は黄色人種を一段低いランクに位置づけしているのは確かであり、紛れもない事実である。アメリカが今日本と仲良くしているのは日本から甘い汁を存分に吸えるからである。何も利益が吸えなくなれば、その瞬間ポイとゴミのように捨てられるだけである。日本人は本当に人がいい、騙しやすい人種である、この言葉はアメリカ人が言っている言葉である。

 これらは単なる私の推測であり、一つの推論である。しかし、筋道を通してしっかり考えると、残念ながらどうしてもこのような推論に達してしまうのである。あな恐ろしや…!!。

   何かまたしても論点が外れてしまったようである。堪忍、堪忍…!!。

 

 私が言いたいのは国民病、すなわち、政府が名付けた生活習慣病の転末である。その中心的な原因は生活習慣の変化、つまり、食生活の乱れ、塩分のとりすぎ、脂肪のとりすぎ、運動不足、過剰なたばこと飲酒、休養がとれないなどの不健康な生活が続くことにより、体が対応できなくなって発症する病気である。またそれがために生活習慣病と言う名前がつけられたのである。たしか、この前までは国民病と言う名前であったような気がするのであるが…!!?。そのあたりから察すると何か国としての事情があるような気がする。

 最近はこれらのいくつかの要因が重なり合うことにより、より若い世代から発症するようになるとも言われ始めていることを知って欲しい。あな、恐ろしや、恐ろしや…!!!。

 

 それから怖いのは「思い込み」と言う中々是正出来ない心の病がある。「思い込み」と「癖(習慣)」は中々是正することは困難であり、一生ついて回ると言うことを知って欲しい。 諺にもあるではないか…、「雀百まで踊り忘れず」と…!!。

 例えば、現在ほとんどの主婦は人体にとっては大切なカルシュウムの補添材料としての認識で牛乳を大量に飲んでいるようである。また特に高齢な御婦人達は骨粗鬆症を恐れるあまり牛乳を多く摂っているとも言われているようである。

 要するに、骨を丈夫にして天命が来るまで健やかに生きたいとの思いがそうさせているのである。ところが、どっこい、それは単なる思い込みに過ぎず、逆に牛乳の飲み過ぎが骨からカルシュ−ウムを奪って体外に排出してしまうことを知らないのである。

 考えて見ると、医者でさえその事実を掴んだのはつい最近であり、今までは牛乳を一生懸命推奨していたような気もするのであるが…!!?。

  確か、一昔、二昔前までは牛乳は体には優しいものであったのはこれまた事実である。

 しかし今では事情がまったく180度変わり果てているのであるが、それもまた、事実である。しかし、それを誰も知らない…!!!。

 

 その昔、牛達は自然の草を好きなだけ食べて、好きなだけ運動を楽しんでいたのである。でも、今では間違っても青草を食べることは出来ず、好きなだけの運動も叶わないのである。牛達の食う飼料の草はすべて外国からの輸入品であり、数カ月をかけて船で運ばれて来るものである。船に乗せるまでに何回かの防虫除去のための薬剤洗浄を受け、船の中でも、恐らく、何回かの害虫駆除薬が散布されているのは間違いのないことであろう。

 何故なら、一匹でも外国からの昆虫の侵入があれば、住みよい日本では瞬く間に蔓延することが予想されているので、それを恐れて徹底して駆除作戦を行っているからである。

 すなわち、そのことは輸入された動物食料の乾し草は完全に薬漬けの状態であり、汚染されたものと見為すべきであろう。まことに、考えればそら恐ろしい事であり、とんでもないことである。

  要するに、汚染された食料を体内に入れるとどのようになるかは今までの色々な公害経験をした日本人には特によくわかっているはずである。

 

  もう大分前の話ではあるが、ある近所の酪農家から次のような話を聞いたことがある。

 余りの飼料の高騰に音を上げて牛には近くに生えている牧草を食べさせたそうである、するとその話を聞いて農協の係員がすぐさまとんで来て言ったそうである。いわく、農協から飼料を買って牛に食べさせないなら、今後牛乳は一切引き取らないと…!!。

 その時の言い草とは、すなわち、一般の草を食べさせた牛は牛乳の濃度は低くなってしまい規格には合わなくなるからとの事であった。そこで彼は泣く泣く、改めて農協から飼料を買うことにしたそうである。 何の言う理不尽な話であろうか、要するに、農協は飼料の販売で儲け、また牛乳の販売で儲けていた、すなわち、ダブルの利益を得ていると言うことである。

 恐らく、それ以来、自家産の牧草で家畜を育てているような酪農家は日本にはいないと思われる。かくして、牛乳は知らないところで完全に汚染され、その事実も知らずに皆が一生懸命飲んで、健康になろうとしているのである。まことに相矛盾したお粗末な話である。

 

  また、論点がずれ始めたようである、申し訳ない。年のせいであろうか…堪忍、堪忍…!!。

 要するに、人間の浅はかな考えに基づいたものは何処かで辻褄が合わなくなり、その結果、何時かは自分たちに返って来ると言うことである。

  現在の最先端の医者達は声を揃えて牛乳を飲んでいると骨が丈夫になるどころか、骨が完全に駄目になると警告を発している。その証拠に牛乳や乳製品を沢山摂っているスエーデンやアメリカの老人の骨粗鬆症の発生率は日本人の5倍と言う高率であるそうである。

 また、アメリカ在住の高名な日本の医学博士が下痢や血便で悩む患者、あるいはアトピ−や喘息で悩んでいる患者の食卓から牛乳やヨ−グルトをカットしたら案の定、短期間の中にすべての症状は回復に向かったと言っている。
 これらのことは確かな実証例として国民全体が注目して何かを学ぶべきであろう。要するに、自分の身は自分で守ることが必要になるのあり、最早他人任せには出来ないと言うことである。

悩んでいる方は是非、試験的にでも牛乳や乳製品を当分の間、カットを試みることをお勧めしたい。

  また、氏は言っている、妊娠中の母親が牛乳を飲むと子供にアトピ−が出やすくなると。 すると経済成長後に牛乳を沢山飲むようになってからアトピー患者が多発しているのと辻褄が完全に合うのである。 何てこった…!!!。

 また、ある人は言っている、生まれたばかりの子牛に市販の牛乳を飲ませると4〜5日で子牛が全部が死んでしまうと…!!?。
 事態はまことに恐ろしいことであり、一刻も余裕が無いのである。我々は黙して聞くべきであり、大事に至る前に自分の家族を守るためにも早急に手を打つべきである。これらが本当ならば個人で簡単に改善出来ると言うことである。

 

 今、我々は心してこれらの事実に耳を傾けるべきである、今までの医者は常識が邪魔をしてこのような簡単な事には気がつかなかったのであろう。それとも病人は多い方がいいとばかり、口をつぐんでいたと見るべきなのであろうか…!!。

 

 さて、これをどのように克服して国民全体を無病息災と言う状態にもっていくのか…!!?。一体全体どんな手があると言うのか…!?。

それを知っているから私は皆さんに対してこのような大それたことを言えるのであり、

 今までの常識の誤りを少々指摘したいと思う。とにかく、国民の間に浸み込んだ長い間の思い込みと言うものは出来るだけ早く是正することが必要である。一歩遅いと取り返しがつかないことが往々にしてあるからである。 

  最後に一つ教えて進ぜよう。まずは疑わずに素直になって是非実践して見て欲しい。

 

 要は、市販の牛乳の代わりに豆乳(1リットル)を買ってきて、そこに市販のヨ-グルト(乳製品で結構)を種菌として大匙に山盛り2杯くらいを投入するのである。その上で台所用のラップを掛けて空気が入らないように輪ゴムで口を締めてから改めて蓋をするのである。

 そのヨ−グルトを発酵させるための容器は1リットルの製品を作るなら1,5リットルか2リットルくらいのなるべく黒い色の甕(かめ)を用いることをお勧めする。なぜならば、熱の吸収効率がよく、更には甕(かめ)は発酵状態もいいように思えるからである。

 次に発泡スチロ−ル製の蓋付きの大きな容器(20リットル以上)を用意して、風呂場に持って行き、その中に熱湯を入れて甕(かめ)を置き、発泡スチロ−ルの蓋をシッカリしめて一晩置いておくだけである。お湯の量は甕の高さの八分くらいがいい。

  次の日の午前中にはまことに素晴らしく、そして滑らかな豆乳ヨ-グルトが出来ているはずである。それに市販の摺りゴマを好きなだけ投入し、砂糖(てんさい糖が最適)か蜂蜜で味付けをして好きなだけ食べればいいのである。味は大変滑らかで、大変香ばしいこと限り無いものである。残れば冷蔵庫で保管して置けば2〜3日は大丈夫…。

 常温の場所にしばらく放置して置くと味が悪くなってカビが生えて来るが、それは自然の産物であり、「神の食べ物」であると言う確たる証拠である。カビが生える、それは大変歓迎すべきことと思ってもらいたい。 とかく、 あなた方御婦人達はカビを悪者扱いにしているようであるが、本来は自然の物に発生する有難い生き物であり、汚染された食べ物には決して姿を現すことはないものである。
 「カビ」、それはまさに自然が遣わした「健康食」の証明と言うものである。決して心得違いすべきではない。 

 要するに、もうそこには防腐剤や毒物(添加物や農薬等の体に害を与えるものはあとかたも無く消え去り、最早体に有害なものはまったく存在していないと言う「自然の有難い証明」、それがカビの発生であると思ってもらいたい。

 それは我々の健康を保つためには欠かせない最良の自然発酵食品が出来上がったと言うことである。自然的な発酵食品、それは人間の生命維持には欠かせない天与の酵素の集団であり、長寿の妙薬であると思ってもらいたい。

 酵素の役割は食べ物の消化を助け、細胞の新陳代謝、あるいは血液の循環等のあらゆる生命活動に関係する、いわば元気の素と言ってもいいものであり、元気を維持するためには必要不可欠のものと言われている。

 

 それまでは私も常識に騙されて来たのである、すなわち、一般のヨ-グルト菌は動物性の菌であり、それに対して豆乳は植物性なので相性が悪く共存は出来ないと長い間思い込んで来たのである。ところがどうして、牛乳ヨ-グルト菌は豆乳とも甚だ相性がよくスム−スに共存しスム−スに合体することが判ったのである。しかも豆乳は牛乳よりも値段が安く、安い店では1リットル150円くらいで買えることを伝えて置きたい。

 しかも、調整済み豆乳でも未調整豆乳でも出来具合はまったく同じで。味にも変わりは無い。まあ、毎日食べる量は個人の体調に合わせて自分で決めることが望ましい。 とにかく、食べる時は有難いと言う感謝の念を捧げ、よく咀嚼してから飲み込むといい。

 また、出来るなら、一食抜いて代わりに豆乳ヨ-グルトを250〜300ミリリットルくらい摂ることをお勧めしたい。

 ただし、高齢者は冷たいものでは無く、少々温めて優しくしてから食した方がいい。温めた方が菌の活躍が大になるからである。

 その上、少々酸味が出て来た頃が食べどころである、なぜならそれは完全発酵が済んだと言う印であり、極限の発酵菌が生成されていると言う自然からの合図だからである。 出来るだけ素直になり、自然体になることである、すると自然は助けてくれるのである。

 

 恐らく、この事実もやがては世界中に広まっていくことになるであろう。豆乳と乳酸菌のコラボレ−ョンが人類を救う、何と素晴らしく結構なことでではないか…!!。

 西洋社会には牛乳はあっても豆乳は恐らく無いであろう。やがてはすべては日本発のク−ルなニュ−スとして世界中でもて囃されることになることは間違いの無いことであろう。 是非、そうなって欲しいものである。

 まず、とりあえず豆乳ヨ-グルト万歳とでも叫んで置くことにしよう、素直になって自然と語る、マコトにいい気持ちである…!!。

 

 まあ、とりとめの無い話が続いたが、内容を見極めて不用なところは遠慮せずにカットして読み流すことである。すべ手は私の生活上の体験から生まれたものであり、老人の長年の感に根を下ろしているものである。だから、あまり深刻には考えないようにお願いしたい。

 まあ、世の中の荒波をかいくぐって来た老人のささやかなアドバイスの言葉と思って下されば命冥加に尽きると考えている。 
  それとも世を拗ねた呆け老人の他愛の無い話と笑って下さっても結構である。  ハハハ―……!!。

         (10月の語りはこれで完)


 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No32

       
≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたい I                                   
                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)        
       
                                                                                 平成26年11月謹上



 
 今回は数ヶ月前に書き置いたが、まだ上載に至らなかったまことに不可思議な話を講じて進ぜよう。すべては真実であるが,まことに不可解な話であり、答を持つような御仁はいなかろうと思う。

  この話の大元は私の小さい時(小学4〜5年)の頃の話であり、今まで長らく心にくすぶっていたものである。でも余りにも強烈なシ−ンであり、忘れようにも忘れることは出来なかった。80歳にならんとする今でも心にありありと焼き付いて忘れることも出来ない。

  恐らく、時は昭和20年の冬に近い秋あたりであろう、終戦後、すぐに満州からの退去が始まり、殆ど徒歩に近い有り様で長年住み慣れた土地から離れ、遥か南の海に向かって長い行進が始まったのである。大都市に着いて、やれ日本がつくり上げた列車に乗れると喜んだのはつかの間、日本人は乗せることは出来ないと駅員の制止の怒鳴り声が聞こえ、全員はその場に氷ついた。何回も駅長と交渉の結果一人に付き毛布1枚出せば乗せてやるとの返事であった。冗談じゃない、この寒空にそれを取り上げられたらそれこそ凍死してしまうと団長が何回も押し問答していたことをかすかに覚えている。

 それでも最後には確か、毛布10枚くらい(うろ覚え)で話がつき、全員無蓋車(屋根の無い貨物列車)に乗せられて四平街と言う都会に辿りついたのである。そこに日本軍の大きな2階建ての兵舎(煉瓦つくりの)があり、そこで何カ月か過ごした。

  面白いことにその兵舎の床下を掘ると油紙に包まれた沢山の拳銃と弾が見つかり我々はそれでよく撃ちっこして遊んでいたものである。(当然兵隊さんは弾を抜いて装填されてはいなかった)

 しかし、その中に大人に見つかりすべて没収されてしまい、残ったのは信管の潰れた発射済みの弾丸だけであった。しかし、双眼鏡やサ−ベル(腰剣)、銃剣なども同時に手に入れて秘密の場所にかくして置き、いろいろと大人に内緒で遊び、大変面白かった

 

 そのような最中に一緒に遊んだ友達や大人が次々と朝になると死んでいったのである。悲しいことに、殆どが餓死か栄養失調、あるいは気が狂ったようになって倒れていった。昨日まで遊んでいた友達が次の日床に伏したと思うとすぐに居なくなるのである。

 平和ボケしている今のあなた方には嘘としか聞こえないであろうが、本当に次々と死に、残ったのは3分の1もいなかったであろう。なんせ、朝目が覚めると両隣りは息をしていなかったと言うのが大部分であった。

 私の家族は7人であったが、日本に辿りついた時には10歳の私と3歳の栄養失調であまり動けない3歳の弟だけであった。全員行き倒れの状態で道端で次々と倒れて行って死んでいったのである。当然、埋葬なんては出来ない全員が立ち止まって拝んで黙祷を捧げるだけであり、あとは道端の奥に放り出して黙々と行軍を続けるだけであった。

 

 要はその逃避行の途中の出来事である。時間は少々暗くなった頃と記憶している、突然、大きな火の玉が現われて私の目の前(2〜3メトル位か?)を地面から空中へと舞いあがったのである。その時間は目の前ではほんの1秒くらいあったかどうかである。

 その時私は確かに見たのである。何とその火の玉の中に何時も遊んでいた友達の顔を…!。それは光を帯びては明るく見え、まさに恐怖に打たれていたように目を大きく見開いて怖れおののいているような顔であった。

 私もびっくりして「ああ」か「おお」と叫んだことは覚えている。○○チャンと名前を叫ぼうとしたのであるがそれは声にはならなかった。

 それはすぐさま身をひるがえすようにして上空へ消えるように飛び去ったが、時間にして1〜2秒くらいであったであろう。私は棒立ちになったままで立ちすくんでいたことを覚えている。

 私はすぐさま「○○…チャンが火の玉にさらわれた」と叫びながら知らせに走った、しかし、その時見たのである、おばさん(彼の母親)は一生懸命彼の名を泣きながら叫び、かれの体をゆすっていたところを…。そのことは今でもありありと思い出される。その後そのことを何人かに話した、しかし、誰も信じず、ただ、馬鹿にされるだけであった。

 

 時は一転する、今から1年くらい前(平成25年あたり)のことである。パソコンで動画を見ていたら同じような場面に遭遇したのである。とつぜん、火の玉が道路から中空に飛び上り、屋根に上ろうとしている場面である。その屋根に飛び上る瞬間、その中から人間の足が現われて屋根に衝突しないように屋根を蹴り懸命に登ろうとする動作を見せていたのである。

 それは間違い無く火の玉の中から現れた人間の足としか見えなかった、ぞの上その撮影者も「ああ、人が乗っている…!!、人が乗っている…!!」と大騒ぎしているのである。

 

 それが下の動画である。しっかりあなたの目で見て確かめてほしい。

     ★左記画像またはこちらをクリックしてください★

 

 次の話は私が40歳くらいの時の体験記である。野暮用を兼ねながえら近所の道を歩いていた時、偶然にも家内の父親が道端で石垣を積む作業をしていた。

 彼は石工であり、何時もは仏像などを彫っていたが時には頼まれて石垣なども積んで生活費を稼いでいたのである。

 その時、軽く挨拶を交わしながら、とりとめも無い話をしていた時のことである。突然彼の頭上に薄い光が現れた。それははためくように動きを変え、頭から上空へと背景が見えるような透明さを持った淡い光であり、虹状に輝き、筋状になって上空へ伸びていたのである。その様子を今ここで詳しく表現するには少々難しい、とにかく奇妙な光であった。

 それは要するに、トランプのダイヤの長端が繋がりあって大きくなったり小さくなったりしながら煌(キラ)めいているようであり、それが何本も交わりながら上空に伸び、ゆっくり色を変えながら回転をしている感じであった。しかも光の濃淡が刻々と変わりながら上空へと伸び、その先はどんどん薄くなって不可視の状態になっていたように思えた。しかし、本人はまったく気がつかない様子であった。

 恐らく、肉眼で見えた頭上に伸びる不思議な光の長さは1〜1メ−トル半くらいであったであろう。それは話をしている間、多分、3分くらいは見えていたと思う。

 私は一体何だろうと不思議に思いながら言うことも出来ずそのまま挨拶して別れた。

 

 問題はその後である、多分、その後2時間くらい経った時に突然電話が鳴った、その義父が仕事中に突然倒れ、近所の家に運び込まれたと言うのである。急性心臓麻痺であり、そのままあの世に行ってしまったのである。

  それから私の悩みは始まった、あれは一体何だったのであろうか、あれが世に言う死相の現れだったのか、いや顔に出ていた訳ではないので死相ではないであろう。

 結局、落着いたのは多分アレが死の前触れのサインであり、死の前兆とも言う現象あったのであろうと言うことである。それを私が見たのであろう、そう思いながら心に仕舞い込んだままで長いこと忘れていた。

 その忘れていたことが今回を機に鮮やかに思い出し、それと共に頭の記憶の回線が繋がり、回転を始めたのである。それをここで、ありのままにしたためているのである。

 

 確か達観した名僧とか名のある占い師は人の死を予告出来ると話には聞いていたことがある。それが確かなことであり、単なる風聞では無かったことが今回の回想によりハッキリ判って来た。間違い無く死ぬ前に何らかの前兆現象があり、それを読める御仁が世の中には間違いなくいると言うことが改めて信じることが出来たと言う次第である。

  ただし、今の世の中ではそんなことを言う者などは誰もいない、ただ胸に秘めておくだけで決して口にはしない。口にしたら最後、どのように陰口をたたかれるのか判りはしない。恐らくは大勢の諸氏の胸の中には多かれ少なかれあることと思われる。

  しかし、最近では少々事情が変わり、そのような事実の存在を大学病院で医療現場に携わる医師たちがハッキリと証言し始めているのである。 要するに、信じていないのは常識を植えつけられているあなた方だけであり、それはまた、それとは裏腹に懸命に信じようとしてもがいているようにも感じられるものである。

 

 更に話はもう一つ続く、義父の親がやはり石工であり、伊豆の天城隧道の石積みを行っていた時の話である。ある時、トンネルの表側で仕事をしていた時に、突然、大きな音が響いてその音を追うように大きな火の玉が二つ、トンネルから泡食ったように飛び出して来たのであり、それは本当に慌てふためくようにものすごいスピ−ドで飛び出して来たそうである。

 要するに予期しない突然の落盤により死者が出たその瞬間の出来事である。

それは日中にも拘わらずハッキリ明るく光って見え、大勢の人々が目撃したそうである。

 

 このような事を点検していくと、どうも今まで我々が知っている常識とは大きくかけ離れた事実があるようであり、常識ではどうしても理解の出来ないことが甚だ多いことが解る。

 ようするに、常識が何処にも通じなく、一切は頭の中で空回りするだけで答は今のところ決して出ては来ないのである。   

 今までは、ラチも無い話と一笑に付されていたのであるが、ここに来て画像と言ううハッキリした媒体により何時でも、何処でも、誰でも見ながらの検証が可能になっているのである。常識的な頭脳しか持たない輩にはそれが何よりも有効な武器であり、この上ない強みなのである。

 

 最早、常識には無いからとか、馬鹿げているとかの言葉は一切通用しないのである。

 このような新しい発見には常識は完全に無効であり、常識はまったく意味が無いと言ってもいい。

 要するに常識で判断して納まるものの中には新しい貴重な発見などは最早何も無いと言うことである。

 判断が出来ないからと言って新しい事実を旧態依然とした学者達に判断を仰いでもまったく無駄と言うことである。恐らくは面子上知らないとは言わないであろうし、なにか自説を引っ張り出して来てまやかし的な説明で終わるだけであろう。

 

 考えてみると、霊、あるいは霊魂に関する話は大昔から後を絶たない、しかも日本ばかりではなく世界中で共通して起っているのであり、沢山の事実が動画にも撮られている。これからはそれを起点として話をし始めるべきであろう。

 いや、今でもビデオなどの動画で沢山撮られているので誰でも、何時でも見て判断が出来る時代になって来ているのである。

 恐らくその中に誰かが霊の存在の真実を明かしてくれる、それは間違いのないことであろう。すべては常識と未知の狭間に位置しているものであり、今のところは常識がまだ勝っていると言う段階である。しかし、それもそれは時間の問題と言うところまで迫っているのである。

 

 現に、米国でもトップレベルにある2つの大学、すなわち、バージニア大学、アリゾナ大学などでは医療現場に携わる医師たちの証言を基に魂や臨死体験、霊魂の生まれ変わりについて研究しているそうである。 しかし、日本の学術界では霊魂とか生まれ変わりなどの研究はあまり陽を見ず隅に追いやられている現状である。

また、そんなものを研究している限り、まったく何処からも顧みられず、予算もつかないのが日本の実情である。

 

要するに、これ一つ見ても基本的な研究、基礎的な調査などが諸外国に比べると完全に劣っていると言われているのも合点がいくことであり、さもありなんと納得のいくところである。ハッキリ言えば、一般的な利益追求のための研究は一般会社に任せて、アカデミズムな大学はもっと未来のための研究、人類の福祉のための研究調査などに専念すべきであろう…!!。

余りにもカネにものを言わせて頼み込むような利益追求会社の言うことを聞いているから花は咲かないのであり、世間からは無視されてしまうのである。

世間からは無視されると言うことは、国から予算は貰えないと言うことであり、その分、利益追求会社の申し入れを聞いて研究費を捻出しなければならないと言うことでもある。

要するに、その循環が益々大学の地位をおとしめ、不毛にしているのである。頭のいい人達はそんなことにも気がつかないのであろうか…!!、それとも今の大学の現実はそのように厳しいものなのであろうか、まことに悲しい限りである…!!。

                                                                (今月の話 )

 

   「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No33


   
≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたい J                                 
                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)        
       
                                                                                 平成26年12月謹上


 さあ、私の話の種もそろそろ尽き果てようとしている。要するに、これ以上の話すことはもう何も無くなりつつあると言うことである。
 そんなことを考えながら今年一杯で(ちょっと号外版)の掲載を休止しようかと思いながら日々鬱々としているところである。

 そんな時に、偶然にも面白いものに遭遇した。恐らく、同じような体験をされた方、同じような意見を持つ方も大勢いるかと考えて、笑われるのを覚悟で敢えて書き記しておくことにした。まことに不埒、まことに不可思議な掌(手のひら)のあり得ない話である。
 馬鹿な話、愚か者のよた話と思われる方は呵々大笑と笑い去って、その上で忘れて下されるならばまことに有難限りである…!!。

 

 いや、恐らくは思い過ごしか、それとも老人になったので掌の皺(シワ)が自然に増えたのか、または最早夢も希望も無いと言う反動的な精神状態が起き、知らず知らずの中に起きた誇大妄想的な心の動きの影響がこのような現実的な結果が生じたのか、そのあたりは定かではない。 まあ、眉に唾をつけながら、そして笑いながら読んで貰った方がいいかもしれない。その方が私も気楽である。

 そのあたりについては宜しく諸氏のご判断を仰ぎたい、御推察のほどをお願いする次第である。

 私はただ、事実をありのままに述べるだけであり、決して偽りとか創作等の見苦しい所作は一切無い、ただただ思ったことを包み隠さず正直に記しているだけである。

  ことの始めは多分、50歳くらいの時であったであろう。ある時、このあたりでは知らぬ者はいないと言われていた姓名判断や家相判断、それに手相判断の名手がいた。年齢は80歳に近く、何時も貧乏然とし冴えない恰好している名物老人であるが、界隈(かいわい)一体の商売人や大工さんには大変人気のある御仁であった。

 何故なら、彼の言う家相通りに家を建てた場合、それまであった色々な家庭内のもめごととか不幸の類は一切姿を消し、すべては万々歳に終わるとの大評判であり、施主や大工さん達は設計図持参で毎日列をなして通っていた。

 私も少々気になることがあったので2,3相談し、家の造作を言う通りに変えて見た。その時彼の言うに、3ヶ月後には間違いなくすべてはあなたの望み通りに好転するので心配するなの一言であった。驚くことに、すべては3ヶ月後にはその通りになり、本当にあり得ないことが起ったのである。

 

 ある時、何かの話のついでに私の手相に触れたことがある、その時言われた言葉、それは今のあなたには知能線と感情線の間に一つだけ十字の星が出かかっている、これが将来完全な十字の星に成長すればあなたの将来は万々歳で、決して生活に困るようなことは無いと言う信じられない言葉であった。もう20年以上前のことになる。

 そんなことはこの数十年間、すっかり忘れ果てていた。ところがこの間、何の気なしにレンズで掌を覗いて見た。すると昔と手の様相がすっかり変わって十字の星10ヶくらいがキレイに並んでいたのである。これは神秘十字紋あるいは神秘十字線と言うもので、これを一つでも持っている御仁は大変な幸運に恵まれるそうである。

  それは神秘的なもので、「神」とか「霊」とかの目には見えない世界の助けがある場合に限って現れてくるものなそうである。
 オォッ…!!、何と予測もしなかったことであり、まさに、吃驚仰天の極みであった。

  この年になって何と言うことであろうか、まさに驚き桃の木である…!!?。

 そればかりか、掌の真ん中あたりからそれぞれの指の付け根に向かって垂直にのぼる3本の線があることを発見した。今までにはまったく気がつかなかったものである。

 さて、面妖なとパソコンを引っ張り出して手相の欄を検索して色々と調べてみた。

 すると、何と言うこと、それは太陽線と言われるもので、それは見えない霊的な世界で大きな役割を果たす運命を背負っている者に現れる吉相であると書かれてあったのである。 ここでまた、更に吃驚仰天である。

  何と言うことであろうか…!!、この神秘十字紋と太陽線の両方とも「神の世界」との関わりを告げていると言っているのである。これには私も吃驚であり、まことに不思議な一致であると思わず背筋が寒くなるような思いがしたのである。

 

 さて、いつから私の手相がこのように変わったのであろうと考えたのであるが、今までは滅多に自分の手をしげしげと観察したことは無かったので皆目そこは不明である。天眼鏡で自分の掌を見るなどと言うことは恐らく数十年ぶりのことであり、たまたま偶然に天眼鏡(レンズ)付きの電気スタンドを手に入れたので面白半分に掌を覗いて見ただけである。

 

 また、この年齢になると不思議なことは多々ある、私には何が何だか判らないが、少々述べてみたい。今までは全く気がつかず、すべては最近になり判明したことがらである。

 これらすべては最近(この1年間内) 人様から教えられたものであり、朴念仁の私はまったく知らなかったもの、想像もしていなかったものばかりである。 言われて見て、はじめて気がつき今、自分で検証して驚いているような始末である。

 

@  私の名前は さとう としお、すなわち、サトウとシオ、砂糖と塩であり、マクロビオティック、すなわち食物の陰陽原理で言えば、最初と最後の極端同士の組み合わせの最たるものである。すなわち、性質で言えば「陰」と「陽」の双立と言うことである。

 

A  さとう としお は数に置き換えると姓は310(さとう)であり、名は140(としお)である。数を合計すると姓は3+1+0=4であり、名は1+4+0=5である。すると姓の4と名前の5は「陰」と「陽」の最たる数であり、4+5=9→0 となる。計算は「神の数学」の数の流儀によるものである、「神の数学」を少しでもひも解いたあなた方ならすぐに判るであろう。

 

 B  私の住所の番地は 1017、すなわち、0を挟んで1と8であり、故に、1+8=9→0

 C  わたしのп蒜ax番号は0558(76)4334(HPにある通り)である。すると、

局番は0558と(76)である。すると、0558()=18→0、76()=13→4、また個番は4334()=14→5となる。すると、0、4、5となり、ここにも「陰」と「陽」の数である4と5が現れて、4+5=9→0 と相成っているのである。

D  また最近、ある言霊の先生から電話番号の4334はすなわち、黄泉(よみ)(あの世を)を見よ(検証せよ)」と読むのであり、それがあなたの使命を案内するものであると言われた。

 

 それで、はたと気がついたことがあった。 この電話番号は40年前あたりに電話局から貰ったものであり、そこに潜む意味などは今まで何も考えたこともなかった。

ところが5〜6年前に中古の車を買ったのであるが、何とその番号が4334と言うナンバ−なのである。その時は何も知らずに、家人に電話番号と一緒とは面白い、これで何処へ行っても車を探しやすい、有難い番号であるなどと面白がっていたものである。

 

ところが、今度、事態は深刻になって来ているようである。要するに、最初の電話番号の4334は予告であり、今度の車の4334は催促の御達しであるとその人は言う。 なんと、そんなことは何も知らずに遊び呆け好きな事をだけをやっていたのである。

 要するに、余り与えられた仕事をかまけていたので、改めての神界からの催促が下ったと言うことなそうである。しかし、私はそんなことは知らずに好きな事(神の数学)を懸命に学んで一人で楽しみ、それを月に1回HPに流して人々の反応を楽しんでいたのである。
 それ以上に積極的に討って出ようなどとは今の今までに考えてもいなかったのである。

  それが怠慢と言われる由縁であり、お叱りの対象となったもののようである。

 

 その罰は突然下った、今年の6月のことである、突然歩行困難になって来た、平地なら歩くことが出来るのであるが、急な坂道はまったく駄目、息が切れて10歩と歩けないのである。すぐに病院に行くと診断は完全なガンの典型的な見本であると医者に宣告された。

 恐らくはもう5〜6年前から始まった手遅れ気味のものであり、即入院、即手術と相成ったのである。しかし、心には何の動揺も起らなかった。アッケラカンの心境であった。

 しかし、私には少しの痛みも無いし、苦しみも無いので多寡をくくって、切りたいのなら勝手に切るがいいとばかり平気の平左の毎日であり、医者にもそう毒づいていた。要するに、ガンに対する恐怖心は何も無く、ケラケラと笑っている状態だったのである。

 無事に手術は終わった、けれど切開したあとの苦しみ、痛みなどは不思議にも何も無いのである。

 本当に何の痛痒(かゆみ)さえも感じることもなく本人はまことにあっけらかんの状態であり、初日はともかく手術二日目あたりから毎日、面会所で病人仲間と大声で談話に明け暮れ、看護婦に寝ていなさいとたしなめられたこともたびたびあったくらいである。

 ただ、今でも痛さで覚えているのは血液を採取された時の注射器の痛みであり、病院の玄関先で転んで足を傘立てにぶつけた時の痛さだけである。まあ、懲りない男である。
 それでも2週間後には無事退院なとなり、家人達も最初の心配も消え失せほっとしたようである。問題はその後である、退院後の体調はすこぶる良く、まるで20代に戻ったような気分、すなわち、まったく若返ったような気分でルンルン気分の毎日なのである。

それまで微かにあった加齢のもやもや、それまで長年感じていた胃の不調などは何処かに飛んで行ってしまい、まさに、ガン様々の有難い気分で毎日を過ごしている状態である。

まあ、日本広しと言えどもガンにかかったことを感謝しているアホは私くらいであろう。今でも感謝している毎日であり、ガンにかかったことさえも忘れている毎日である。

  そこで私は思う、ガンにかかったことに悩み苦しむと言った精神的な苦痛こそが、かえって心に大きなダメ−ジを与え、体力の回復を遅らせる大きな原因なのではないのか…!?。これから先、無事に生涯を過すことが出来るのであろうか…?、家族はどうなるのであろうか…?、抱えているロ―ンは無事に払い切れるであろうか…?、そのような考えが度を増すにつれて、精神は不安定になり、それと共にますます体に負担が増して、回復力がどんどん失わせてしまうのではないのか…!??。

 要するに、あまりにも世間がガンの怖さに震え、あまりにも大騒ぎするので、それが病人の心に恐怖と不安をもたらして夜も眠れず、神経過敏になり過ぎて、とどのつまりには回復不能となってしまうのではないのか…!!??。

 今回の自分の体験上からもそう思われて仕方がないのである。だからこそ、あえてこのガンの始末記を皆さんにご報告申し上げているのである。本来ならば、忌むべきことは大っぴらにすべきではなく隠して置くのが礼儀なのであろうが…!!。

 一つマスコミや医者と患者、皆でそのあたりを真剣に考えて見るべきではなかろうか…!!?。

 

  例えば、薬と偽って病人に小麦の粉を飲ませると、一気に病気が治ってしまうとか、今、飲んだ飲みものの中に毒薬を入れておいた等と言えば急に苦しみだすことがあると医者の話にはよくあることである。
 要するに、肝心なことは気の持ち方、心の持ち方なのである。それが如何に大切なことであるかを語る大きな証拠であり、その証左と言うものである。 これを称して医学の言葉ではプラシボ−効果と言うそうである。


最近になり、年のせいか、私はこれらの私の身に起こった事はすべて「神」の戒めであり、ルンルン気分で世の中を渡って来た懲罰ではないかと思うようになって来ている。 普通の人から見るとおかしいものであり、半ば狂った人間と思うであろう。

 まあ、老人の妄想と言ってしまえば、それまでであるが、今は真剣に考えはじめている。

 要するに、人生の黄昏時ではあるが、ここらで心を入れ替えて少しは活動しなければ申し訳ないと言う気持ちが少しづつ持ち始めていると言うことである。 それは大分、常識的な人間になって来ていると言うことかもしれない。

 

 私の察するところでは、これらは「神」の宣伝マンとして少しは働いてくれとの催促であり、目を覚ます時が来たとのお知らせを告げるものと考えている。まあ、勝手な思い込みと言われればそれまでであるが……!!。

 考えて見ると、そろそろ、年貢の納め時の80歳ではあるが、体も心もすこぶる健康な状態に戻っているのであり、どんどん気迫も充ち々て来ている毎日である。それこそまさに「神」の仕事をせい、との通達であり、そのために用意された体の健康回復のようにも思えるのである。まあ、何と言う殊勝な心がけなのであろうか、まるで別人のようである。

  そこで決めたのである、残りの人生は自然の叡知学、すなわち、「神の数学」を世に出し、「神」のサンドウッチマンとして最後の御奉公に精を出し、「神の知」と共に生き、「神」の指図の下に動き、それにより「神」の存在を明らかにするくことを…!!?。
 まあ、何と言うご都合主義であろうか、何と言う変わり身の早さであろうか…!?。自分でも呆れ果てている。

  さあ、西へ向かうのか、東に走ろうか、それは「神」が決めてくれるであろう。

 私は今や万感の思いを込めて「神」の指図通りに従って懸命に「神の知」を広く天下に喧伝するだけであり、ただただ一心不乱に道を邁進するだけである。 寝て一畳、起きて半畳の居間があれば十分であり、一日一食の食事があれば、もう何も不足はない、…!!!。それに、後五年の月日があれば「神の数学」を手に世界を席巻して古神道の名を轟かして見せようものと意気は盛んである。
 まあ、堪忍して下され、年寄りの冷や水、最後の悪足掻きとでも思って、どうか静観して下され…!!!。 ハハハ……!!!。

 
 おかしい男、意味の判らないことを言う男とあなたは思われることであろう。改めて白状すると、私はある時ひょんなことから「神」と縁を結ぶことになったのである。

 現在でも、まことに不可思議極まりない「神の学」を学んでいる最中であり、老人ではあるが、まだ一介の学徒であると自分では思っているのである。 何とか「神の知」を世の中に広げようと細々ながらHPに「神の数学」を書き記しているのである。しかし、すべては蔓延する西洋科学知に阻まれ、遅遅として進まず、単なる「とんでも学」と見なされて往生している最中である。

 実際に検証して見れば小学生でも判りそうな簡単な算術計算ではあるが、西洋的な知識だけひけらかしている今の学者先生達にはまったく判らないようである。 何と嘆かわしい世の中なのであろうか…!!。 

 まあ、色々な事情が重なって「神」と仲良くなってからおよそ30年くらいは経っている。最初の苦労は並大抵ではなかった、夜遅くまで一つのことに考えを尽くし、「神」の答に達するまでは3晩、4晩とかかったものである。それと合わせて現代の物理、数学、神学の書等を読む、正直に言えば、苦しいよりも楽しいことの方が遥かに多かったことも事実である。

 結果的に言えば、その「神」との縁結びの諸々が心と脳に浸み込み、知らず知らずに私の人格形成に大きな影響を与え、今の世の中では変わり者と呼ばれるようになっているようである。

  要するに、それを称して「神の知」を持つ男と世間では呼んでいるようである。まあ、何といかめしい名前であろうか…!!。

 

 私自身は別に「神」を崇めたり、拝んだり等の特別な所作は何もしてはいない。

 だから、別に神棚も設けてはいないし、拝んだりする習慣もない。ただ我が家には40年前に家を建てた時に大工が作ってくれた小さな神棚が一つあるだけである。

 特別に神棚に向かって拝んだリ、柏手を打つこともしない。あるのは家族と一諸にお正月に柏手を打って来拝するくらいで、特に日頃親しく頭を下げることなどは特にない。

 当然、近所の神社にもお参りにも行くこともないので、ご賽銭なども上げたことも無い。まあ、ハッキリ言えば世俗的な「神」に対しては大変な無礼無精者であり、不信仰者の最たるものと言ってもいいのである。それは私も重々承知している。

 ハッキリ言えば、そんじよ、そこらにいる信仰心のまったく無い動物や鳥達と同じ心で「神」に接しているのである。要するに、「神」の存在を当たり前に考えて呼吸し、当たり前に考えて生活している日頃なので別に何とも思ってはいない。

 

そこは「霊」に対しても同じである。

 親、兄弟6人と長年連れ添った妻の7人の身内が「あの世」に去ったが、別にそれに対しても回向するとか、線香を上げるとかも昔から滅多にしない。ただ、お盆とお彼岸、それに親戚、縁者が回向に来た時には一緒に仏壇に手を合わせるくらいのものである。

 要するに、信仰心をもつ人からすればまことに罰当りの人間であり、とんでもない人間に見えるであろう。例え、面と向って破廉恥で、恥知らずの男と罵られてもいいような人間である。が別に気にもならない。なぜならば、すべては事実であり、その通りだからである。

 

 私に言わせれば、「神」の存在は当たり前のことであり、特別に拝むとか、伏して語るなどの所業をする方がおかしいのである。「神」とはそんないい加減な存在ではないし、そんな軽々しいような存在ではない。逆に、そのような人間サイドの甘い行為こそが「神」に対する冒涜に近いものであり、本来は何も意味を持たないものであることを知るべきである。 ホイ、また怒られそうである。

 例えば、あなた方にとっては太陽は無くてはならない有難いものであるが、だからと言って毎日拝んだり、ひれ伏すような行動をして意味がないことを知っている、だからそんなことはしない。そんなことをしなくても太陽は燦々と我が身にも他人にも差別無く燦々と光と熱を与えてくれていることを知っているからである。

 はっきり言えば、そのような行為は個人の心に何らかの呵責があるからであり、その呵責を消し、チャラにする為の行為であり、全く意味の無いもの、すなわち、一つの人間サイドの方便と解釈してもいいものであろう。

 すなわち、自責の念、呵責の心のある者は「神」に許しを乞うために拝み、言葉を唱えることにより、心の呵責から逃れようとしているだけである。要するに、自分の弱い心を立て直すために、己の心の弱さを補なうための方策、それが神頼みなのである。

 

 また、私は「神」を貶めたり、「仏」をないがしろにした覚えもない。気持ちとしてはまことに常に平常心であり、自然心と言っていいものである。一般の人のように「神」に特別な気持ちを持って有難がたがり、「霊」に対してへつらったリ、語りかけることなどは今まで一回もない。 ただただ自然心であり、すべてのものに対して素直な気持ちで常に接しているだけである。ただ、それだけである。

 要するに、人間の目線で見れば、それは甚だ無愛想、不敬な限りと感じるかも知れない、しかし、自然の目で見ると決してそうでは無く、甚だ納得のいく当たり前のことを行っているだけである。

 私は常にそう思っているので少しも世間に対してはばかることも無いのである。

 

  確か、「神」とか「霊」の言葉は現代科学的な目で見れば胡散臭く、誰も真面目に考えようとはしない世の中である。私も同じで、もう少し若くて威勢がいい時だったら、「神」、そんなことなどはある筈がない、何と言う非科学的であり、古びた骨董的な考えの極みであると罵倒三昧の限りを尽くしたであろう。

 しかし、その昔とは事情が異なり、今では「神」に知を学んでいる身、常に「神」に接している身である。その昔とは180度の転換を果たした身であり、世の中を見る目さえも90度くらい変わったように感じている今日この頃である。当然、そこには昔とはまったく心掛けの違う自分があるのである。でも、まだ「神」を崇め、特別視する気持ちはさらさらない。 死ぬまでなさそうである。

  しかし、そのようにひとでなしのような不見識しか持たないような私ではあるが、この掌に現れたこれらの夥しい「神秘紋」は一体何を言おうとしているのであろうか…!!?。

 ただ、判るのは「神」の不興をかうとか、「神」にうとまれている等の不心得な心を持ったことは一度も無いし、今後も同じ様な態度を「神」に対して臨んでいくことは確かである。すると……!!??。

 つまり、「神」を言葉に唱えたり、恭しく拝むようなことはしないし、また、悪しざまに罵るようなこともしない、すなわち、自然体でいる限り、「神」は決して見離さないと言うことであり、よく見ていると言うことである。それでいいのであり、万事はスム−スに解決すると言うことである。 いや、むしろ歓迎していると言うことをこの手のひらの「神秘紋」や太陽線が証明し、物語っているのではないのか…!!。

 恐らく、私のように、おべっか使わず、自然体で「神」に接していても、「神」の恩寵は十分受けられると言うことをこの二つの幸運紋の出現が証言しているのである。

 一方、いくら心から神を信じ、神を敬って這いつくばっても、思いや行動がそれにそぐわない限り意味がない、一切は無駄骨になり、ただ嘆息するだけで終わると言うことでもある。

 

 今の宗教家を見るがいい、口では「神」を讃え、神に従っている等としおらしいことを言っているが、果たしてそうであろうか。
 考えて見るがいい、彼等は常に他人を見下し、他民族を迫害し、挙句の果てには戦争行って多くの人々を死に追いやっているではないか。まさに神の心を裏切るようなとんでもない悪魔かその手下の類であり、人間殺しを平然と行って平気でいる。何かおかしい…!!。

 彼等は完全に人間失格であり、いくら「神」に手を合わせ、「神」におもねてもその寵愛を得ることは決して出来ない哀れな者達である。

 要するに、「神」の心に反するような行為を行い、損得の理屈だけで動いている限り、「神」の目は絶対こちらには向かない、故に、「神」の心には入れず、「神」と波動は共有できないと言うことである。

  その理由は簡単、要するに我々の心と「神」の心は常に繋がりを持っているのであり、我々の心に影がさせば、それは即、「神」の心に重なって影を宿すことになるのである。

 もっと、ハッキリ言えば、「神」の心からは常にビ−コンのような純波動が出ていて、すべてのものとその波動は交叉してそのまま反射的に親元(神)に返っていくのである。

 その場合心に何らかの歪みが発生した場合には波動はそのひずみを写したままで戻るのであり、そう報告されてしまうのである。

 それ故に、「神」は決して歪みを見逃したり、見過ししたことは無く、すべては無垢平等に行われるのである。要するに、「神」を崇めようが、「神」をさげずもうが余り関係ないと言うことであり、自分の心が歪んで変形しない限り神のおとがめは受けないと言うことである。

 

 まあ、つまらないことを並べ立てたが、要は自分の心に歪みをつくらない、心は常に真円であれば常に「神」とも心が相通じ、その庇護の下に平穏無事に生涯をすごすことが出来ると言うことである。

 

 まあ、最後に色々な御託を並べすぎた、何か感じるもよし、つまらなければ読み飛ばすのもよしである。人生、終盤になっている方々は何かを感じるはずであり、血気盛んな方には猫の耳に念仏であり、何も感じないものである。要はそれでいいのである。

 

少年老い易く、学成り難し。まさに老年終わりの際(きわ)にその事実を知る。

真の道は遠くて長く、果てしない。しかし人生はあまりにも短く、即終わりが来る。

その事実を知った時が最後の花道であり、その時はすでに前には道は無い。

ただ、茫然として後ろを振り返り、ただ悔悟の涙を流し、頭を垂れるだけである

                                                   (今月の記完了)



  「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No34

≪A true fact that nobody know in the world !!≫ (本当の真実を探りたいK                                 
                              (すべては嘘のようなほんとうの話である)        
       
                                                                                 平成27年1月謹上



 アケマシテ、オメデトウゴザイマス。
「神の数学」を学びはじめた皆々様に心よりのご挨拶申し上げます。

 

さて、また年が一つ増えて段々体の自由が失われてゆくのがよく判る。まあ、高齢者にはまことに有難くない年の始まりである。
何と65歳以上の高齢者は年々まだまだまだ増え続けるそうで、2025年、すなわち、15年後には人口の30%になると統計局ははじき出している。

 30%とは日本国民の約3人に1人は65歳以上の高齢者が存在すると言うことである。

 政府関係者は簡単に30%と言うけれど、子供も入れた総人口の30%とはまさに由々しい事態である。現在政府の統計では子供は全人口の15%であるとしているが、それは15歳までの子供と断っている。しかし、高校生や大学生、それに専門学校生も入れると一体どのくらいのパ−センテージの未就職者がいるのであろうか。恐らく20%くらいにはなるはずである。すると残りは50%の稼ぎ手である約6000万人が30%の高齢者、すなわち3,657万人を支えていくと言うことになる。まあ、単純計算ではあるが…!!?。

                                                     平成15年5月4日 総務省統計局

 

  いや、これはまことに恐ろしい事であり、現在の時点では対処不可能な事態と考えるべきである。 これを乗り越える方法は今のところ3通りしかないような気がする。

 それは@ 稼ぎ手を増やすか、それともA 高齢者の数を極端に減らすか、またはB 消費税を50%にするかである。

 

それについて考えて見よう。

 

〔1〕       稼ぎ手を増やす

これについては政治家達は海外から働き手を連れて来ると言っているが、それはまことに単純愚な方法であり、後、先を考えない愚かな発想と言うものである。 政治家たる者、将来を見通す目が無ければ愚人に等しいと歴史は言っている。

なぜならば、日本は住みよいので少しでも長く居住し、帰ることはしないからである。そのためには死に物狂いで日本人の結婚相手を探し、日本国籍を得ようとするであろう。また、彼等は仲間意識が強いので群になって居住区をつくり上げ、日本人社会とは中々馴染もうとはしないであろう。場合によっては完全に別社会を作り日本人に刃向かうことにもなり、何時かは国の存亡にも関わることにもなりかねないのである。今、アメリカを始め移民導入を旗印にした多くの先進国は、今その対応に苦慮して四苦八苦していることを我々は知るべきである。

最も簡単で安易な解決策ではあるが、最も国を危うくする愚な解決法である。

  アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス。その多多くの国々は数十年前に労働力不足解消のために多くの移民を招き寄せたのであるが、今になりその後遺症の思わぬ出現で揺れに揺れ動いていることはあなた方もご存じのはずであろう。

要するに、労働力欲しさのあまり先見性を見失っていたと言うことが、このような重大な結果を生みだしているのである。

単なる目先の発想だけで物事を考えることが如何に危険であり、長期的な展望が必要であると言うことの見本と言うものである。

日本の政治家のように未来のことなどは眼中に無く、今、即今の物事しか目に映らないような単純脳の頭では未来までの見通すことは不可能であり、それ故に国を誤る公算が大と言うものである。

 
 ましてや、最近の隣国の排日運動の盛り上がりと比例するように、日本に潜入しているその国の勢力が日本を食い物にしようとトコトンまで牙を磨いて迫り、いろんなところに食い込んで来ていることなどは誰も予想もしてはいないであろう。

余りにも、日本人はお人好しで、その上おおらか過ぎるので、誰も気がつかないのである。

企業の場合、仲間同士が結託し金銭を融通し合ってマスコミを動かし、過大なコマ−シャルを流して利益の独占を企て、日本を食い物にしているとの噂もある。

あるいは国の上層部まで手を伸ばし、自分達の利権を守ろうとする姿勢が特に目立ち始めている。それは政治家の言動あたりからも何となく解るものである。

まことにけしからん話であり、我々を馬鹿にしている話である。それにうかうかと乗っている国民も国民であり、学歴が高いが故に油断があり、それが金銭的には盲目状態を生じる羽目になっているのであろう。

 

それらはまさに一つの洗脳の状態、マインドコントロ−ルに陥いっている状態、あるいは用意周到に仕組まれた罠に嵌った状態と言うべきものである。知らず知らずの中に術中に嵌り込んでいるのである。

誰も気がつかない間にすべては始まり、人々の噂になる時はもう終わっていると言う状態である。馬鹿を見ているのが一般人であり、カモにされた多くの人々である。

 また、不正手段を用いて密かに稼ぎを母国に送り、あちらの経済を助けているような勢力もまた存在しているようである。まことにけしからん限りである。

そのような隣国からの出稼ぎ流民は断固取り締まり、強制送還を行うべきである。しかし、現在のように日本が国費を使って強制送還しているのは、甚だ府に落ちなく、余りにも国民を馬鹿にしているように思えるのであるが…!!。

 国費とは国民が税金として納めた純粋なお金であり、勝手に使うことはまかりならないはずのものである。

 

考えてもおかしい話は多々ある、今から約20年くらい前、韓国人の文鮮明により設立されたカルト宗教団体「統一教会」により、日本人は多くの被害をこうむっているではないか…!!。どれだけ、多くの日本人が入信しどれだけ多額の金銭を巻き上げられたことか、当時を思いだして見るがいい。

その挙句、若い女性の信者達は韓国に渡り、文鮮明の号令一下合同結婚式を行い、日本人と韓国人のペアをつくり上げたのである。驚くことにその犠牲になった日本の若い婦女子の数は7000人と言う膨大な数である。確かその頃人気歌手の桜田淳子も「統一教会」の広告塔として一役買っていたことを覚えている。

 確か、当時の週刊誌では約7000人の若い日本人女性が貧しい農村部に嫁いでいったと書かれていたことを覚えている。

中には日本に戻りたいと泣き叫ぶ娘可愛さに取り戻しに行った両親は結婚相手からお金で買ったのだから返す訳にはいかぬと怒鳴られてすごすごと日本に戻って来ている。確か、当人達には戦時中の売春婦問題を大げさに吹き込み、贖罪意識を持たせ、罪滅ぼしと言う状況に追い込んで完全に洗脳した挙句、年配の農民に売られてしまうことになったのである。

すると賢明なあなた方はすぐに事情を察するであろう。彼女等は知らぬ洗脳され、知らぬ間に間に売られていたのである。何と言うことであろうか…!!。

当時の週刊誌には大々的に載っていたのであるが、誰も騒ぐこともなかった。

何故なのであろう、何らかの理由があるはずである。知らぬは日本人ばかりである…!!。

 

これは北朝鮮の拉致問題よりも重大な問題なのであるが、誰も見向きもしない。本来ならば、韓国に問いただし、シッカリ抗議すべきものであるが、誰も取り上げようとはしない。国民も黙ったままである、

北朝鮮に拉致されたのは数十人であるが、韓国で騙されて売られてしまったのは7000人である。どちらが重大と考えるべきであろうか…!!?。

 それとも騙されて他国に行き、売られてしまったのは自己責任であるから国にも何ら責任は無く、自業自得と言いたいのであろうか…!!。

拉致事件は1980年代であり、一方、「統一教会」の日本人婦女子が売られた事件は1990年あたりである。その後、今になっても「統一教会」が始めた霊感商法による詐欺被害が数多起こっているのであるが、誰も知らん振りである。

今ではそれら日本人を騙して手にしたお金を元手に韓国国内においては沢山の系列会社もつ大財閥として君臨しているようであるが、それをあなた方は何と見るのか。

まことにけしからん話であるが、誰も気にしない、今では噂も立ち消えの状態である。

 これらの事件を追跡調査し、事の次第は世界に知らせれば韓国政府自体も根幹がおかしくなるはずである。でもそのことを言い出すような肝っ玉の据わった政治家は誰もいない、政府もへっぴり腰で、今も韓国の機嫌取りに夢中である。

 

そんなことはおくびにも出さず、韓国大統領は今日も戦時中の売春婦強制 連行事件で頑張っている。何回も言えば、嘘でも真実になると言うのであろうか…。    あれなどは確か、利用したのは日本兵であるが、貧しい親たちから女性を買い上げて売春婦として日本兵に提供したのは韓国人の商売人達である。その事実は当時の新聞によりハッキリしているのであり、逆にその女を食い物にしていた韓国の商売人達を掴まえて女達を救いだしていたのが日本の警察であったと言うおまけが附いているのである。それは当時の新聞を見ればよく判るはずであるが、しかし、その転末を誰も言い出そうとはしない。

 

また、最近ではテレビ業界が韓国映画を流して、韓流ブ−ムを作りあげているようである。しかも、面白いことに、マスコミがそれを後押ししているのである。

そう言えば、あるテレビ局とある大広告社はすでに韓国の傘下にあると言われていることを耳にする、それが本当なら日本国民はすでにハ−ルメンの笛吹き男に支配されているネズミ同然と言えるのでは無いのか…!!?。
 すなわち、韓国が笛を吹くと日本人は踊り出すと言う状態にあると言うことである。
 すなわち、それは何時でも自在に日本人を洗脳出来る状態が整っていると言うことであり、それを知らないのが日本人なのである。何と言うことか…!!!。

 

あれは大変危険である。何故なら、知らない間に画面の中にサブミナル手法が埋め込まれ知らぬ間に日本人は洗脳されている可能性があるからである。

要するに、テレビと言う媒体を使って日本人全体を洗脳し、韓国を美化して韓国礼賛を盛り上げシンパ(Sympathizerの略)を作ろうとの魂胆が見え見えなのである。

例えば、あるテレビ局が異常なほど韓国ドラマを放送していることや、韓国の俳優を大きく取り上げていることなどは一つの韓国礼賛の洗脳行為により、日本の婦女子達は知らず知らずの中に洗脳され、韓国を頻繁に訪れている羽目になっているのではないか…!!?。本来、文明国では禁止されているはずであるが、まことに怪しい限りである。

 既にその危険性は過去に在った韓国の「統一教会」により日本人は十分に判っているはずであるが、少しも懲りないのが日本人である。教育水準は高いはずであるが、知能指数は幼児並みと言うことなのであろうか…。

 

何か、文の流れがいつの間にか変わってしまったようであるが、要は、外国人を大勢日本に入れると言うことは犯罪が多発して日本の国はまさに無法地帯になる可能性があると言うことである。政治家達はそんな心配は無いと言うかもしれないが、たった一つの小さな隣国にここまで国を勝手に蹂躙されている現状を見れば、あまり政治家の言うこともあてにはならない。
 要するに、気骨のあるシッカリした政治家は誰もいないと言うことであり、いるのは口をハッタリで飾っている政治屋ばかりであると言うことである。

 

いま、現在でも隣国の大統領が日本を誹謗するような悪口外交を世界に向かって行っているが、日本政府は何もしない何らかの手を打とうともしない。見ているだけであり、ご機嫌を取ろうとしているだけである。一言、二言相手が青ざめるようなことを言えば、相手はシュンとなるはずであるが…!!。

これらは今までに何度も経済的な危機を救って貰った大恩のある日本に対する完全な仇返しであり、これみよがしの態度で侮辱を繰り返し行っているのは甚だ納得のいかないことである。要するに、これらのことはおとなしい日本政府に対する一つの揶揄的な挑戦であり、腰砕けの政治家に対する当てつけの示威行為と言うものである。

 

このことは未来永劫に渡って肝に銘じておくことであり、決して忘れてはいけないものである。気を緩めたら最後、同じ轍に再び嵌ることは必定であり、世界中の笑い者になるだけである。

また、それに相乗りをするような責任感の無い一人、二人の日本の政治家の言動もあったが、顔を見る限り、祖先はあちらの血を引いているようである。

しかし、祖先はどうであれ、現在政治家となった者は日本の国を危うくするような言動は決してあってならないのであり、あれば早いうちに芽を摘んでおくことが我々国民の母国を守るための一つの重大な義務と言うものである。

まあ、この事実は我々一人、一人の胸にシッカリ秘めておくべきであり、将来のためにも今、じっくりと考えて置くべきことである。

 

        〔2〕       高齢者の数を極端に減らす

さあ、これは日本ばかりではなく、世界的にも憂慮すべき問題であり、解決法とて無いようにも思える。まさか、何歳までと生存枠を決め、あとは死んでもらうと法律で決め、自発的にこの世から消えて貰うと言うような訳にもいかないであろう。まあ、どうしてもと解決法をと言うなら、偶発的な出来事をもって内々で処理するくらいである。例えば、数年に一度くらいの、老人だけに致死的に効く一種の伝染病でも蔓延させて高齢者の死亡率を上げるか、それとも、死にたくなったらいつでもどうぞ飲んで下さいと言うような安楽死薬を高齢者に無料で配布して好きな時に楽に死んで貰うと言う具合にである。その時は当然、警察は介入せず、国からは多めの見舞金が出ると言う条件くらいは必要であろう。それにより、家族の看護手間や多数の老人施設問題、あるいは交付する年金問題も省け、国の財政にも大きく寄与することになるはずである。まあ、50年と言う今後の歴史スパ−ンを考えるとこの方法が最も合理的な方法なのであるが、現在の道義的な目で見ればこれは最も非難されるべきものであろう。

 しかし、考えて見るがいい、この方法が罷り通れば、看護施設や、老人の施設はいらないし、病院は半分以の数で済むのである。よって莫大な国家負担の医療費は数分の一になるのである。それに年金の負担も遥かに低くなり、国家は大いに助かるはずである。

   

〔3〕     消費税を50%にする

しかるに、それは余りにも可哀そうとのたまうならば、次の一手はどうであろう。それはすなわち、現在の北欧諸国で行われているような消費税の大幅なアップであり、給料の50%くらいを国に納めると言う案である。まあ、あなた方が高齢者を大切にと言うならこれしかない。これは国民の賛同を得たなら十分に実施可能である。何せ北欧で現に行っている方法であり、そのお陰で高齢者達は何も気にせず余裕をもって生きていくことが出来るのである。考えて見るがいい、あなた達だって何時かは通らなければならない老人の道であり、避けて通ることは出来ない必須の道なのである。

   ただし、この場合の危険性は国が財政破綻した場合には悲惨なものになるはずである。しかし、、この方法こ そが政府にとっては最も望ましいものであり、これから各国が提携して進めていく一つのスタンダ−ドな方針と  なるものであろう。

 あなた方は私を非難するであろう、何と馬鹿なことを言う人でなしと呆れ果てるかもしれない。しかし、現実はすぐそこまで来ているのであり、最早、待った無しの状態が現実に迫っていることを知るべきである。その証拠に、現在、支給される年金が年々減らされていると言う事実があるのであり、消費税もこれからどんどん上って行くと言う現実が待っているのである。 さて、行く末は…!?。

 

この〔1〕稼ぎ手を増やすと、〔2〕高齢者の数を極端に減らす、〔3〕消費税を50%にする

 この3案のどれかを選べと言われたなら、私は躊躇せずに〔2を選ぶ、何故なら、何時でも好きなようにして眠りに入るように行くべき場所に行けるからである。

 どっちみち、何年か後には否応なしに行かなければならない黄泉の国と言う世界である。2,3年早かろうが遅かろうがあまり大差はない。むしろ、体が健康な中に希望を持って参上出来るようになれば喜ばしいと言うものである。

 

最早、思案のしどころ、考えれば何とかなるなどと悠長な事を言っているような時期ではない。事態は切羽詰まっているのであり、否応無しに、時間は過ぎて行くのである。でも、今のところ、まだ議論し、決定するまでの時間は十分にある。国民総意で決めれば、我々高齢者達も従わざるを得ない、恐らく、唯々諾々と承知するはずである。ようするに、現代版、姥捨て山を作ると言うことである。

 

 考えて見ると、2050年には世界の人口は100億人に達すると学者達は弾きだしているのも見逃せない。現在、すなわち、2015年あたりでの世界の人口は約70億人である。世界の人口がこれから増えるに従って水や食料をめぐっての争いが、頻繁に起き、更にはそれが発展して国と国の衝突になり、負けた国は消えてしまうことになるのである。

 どうも現在、あちこちの国で騒乱が起きているようであるが、恐らく、これから起る大規模な世界的動乱の前哨戦のような気がするのであるが…!!?。恐らく、漠然とした直感的な不安に苛まれている者達が集まり、相呼応して騒ぎを起こしているのではないのか…!!??。もし、そうであるならば今後騒ぎはますますエスカレ−トしてとどまることを知らないはずである。

 

とにかく、最近、新聞等を見ていると何かが今までとは異なっていることがひしひしと身に感じられるのであるが、あなた方は如何であろう…!!?。 何となく、終末的で心が焦りの中に沈んで行くような、そして救いようの無い虚無感に苛まされて前進もままならないような不安感が二ユ−スを見る度に体の中を駆け巡るのである。 一体これは何だろう…!!??。

近い将来、何時か必ず起るであろうことは直感の鋭い者には何となく解り、微かに感じ取れることは否めない事実であり、今、そのような漠然とした不安を感じる者が多くなりつつあるのもこれ確かである。

知らぬ間に自暴自棄になり、喧嘩に走り、犯罪に手を染めたり、あるいは戦地に赴いて身を危険に曝したりと半ば自棄(やけ)になったりしている若者達が益々多くなって来ていることも、これまた気がかりなことである。

恐らく、近い未来に起きる現実、それを漠然と感じ不安に苛(さいな)まされている、それが一因なのではなかろうか…!!?。

 考えて見ると、何かおかしい、高齢者達が年金をもらって悠悠自適な生活を送っているのに対し、一般の若者達は生活に苦しみ、結婚もままならない状態が多い。何かおかしい、何か変である…!!??。



  何となく、日頃漠然と感じていた事柄を一気に述べたような具合であるが、気に障ることがあればどうか老人に免じてご勘弁の程を…!!!。 国を思うこと限り無いからである。  ご容赦、ご容赦…!!!。

 それともすべては年寄りの冷や水であり、針小棒大に感じているだけなのか…!?。それならば、そろそろ筆を折るいい時と言うものであろう。

          (すべては完)

 

 

 

    

 

     

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

                                           

 現在、そのあたりの事実効果を鋭意確認中であり、そのために密かに身体の不調を訴えている色々な老人に身体に付けて貰って確かめている最中である。
 そ れらの報告次第、その結果によっては身体の不調に苦しむ老人達を楽にすることが可能となり、まさに老人大国にとってはまさに福音と
     

    

となるものであろう。






















とうとう彼女はどうしてもそのアルモノを欲しいと言って強引に持ち帰ったのである。 当然、帰りにはその使い道を教えてお引き取りを願ったのは言うまでもない。何と、彼女は気を自在に操ることの出来る特殊な能力を持っている御婦人であることを後から知った。そこでさもあらんと納得したのである。




 その中でもイスラエル系のアメリカ人夫婦の発音は抜群であった、顔をみなければ完全な日本人のしゃべりであった。今になり改めてそれを思い出し、当時を偲んでひしひしとした感じを憶え、回顧の念にさらされている今日この頃である。




ちょっと号外版(2)…現在23〜34まで、増殖中…!!。


「神の数学」の考えてほしい問題(
ちょっと号外版)No23
      

≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい @                        

           (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26年月  謹上

 私は今不思議な事を身をもって体験に大童(わらわ)な最中である。それは「アルモノ」を日常的に身につけているだけで身体の調子が大変よくなり、毎日が大変健康的に送れると言う驚くべき事実である。今のところ120%の効率と言ってもいいようである。 その効果テキメンなことに我ながら吃驚仰天の有様てある。
 ただし、余り他人には言ったことはなく常に一人で密かに楽しみながら行っている。

 そもそも、気持ちの不調や身体の不具合い等は血液が何らかの原因で弱り、力が無くなったと言うことである。ゆえに、必要な栄養素や酸素が充分に体内に送りこめない、そうなれば必然的に臓器や細胞にエネルギ−不足が起きて元気がなくなる。それが病いというものであり、気が病になったことから起る病気と言うものである。

 ただ残念ながら、日本ではすっかり人々に忘れられ、実践する者も今では誰もいない有様である。何と言うこと…!!。何と勿体ない…!!。


 ただ、残念ながら、日本ではすっかり人々には忘れ去られ、実践する者もいない有様である。、


 



 大変済まない事であるが、元来、私は健康には恵まれていて風邪一つ引かない身体なのである。だから、病気うんぬんについての報告は少しも出来ないのが残念である。

 

 さあ、男性の平均寿命を見ると私もそろそろ寿命も尽きなんとしている身である。

 最近の表によると日本人の男性の平均は79歳なそうで、いよいよと身が引き締まり、潜んでいた次なる魂が次第に頭をもたげて来ている今日この頃である。その所為(せい)であろう、物事のすべてをハッキリさせたいと願う心が強くなり、わだかまるものをすべて吐きだしてその真実をシッカリと確かめなければと言う思いがしきりにするのである。

 

結果としては、大変良好であり、これ以上の喜びは無いと感じている毎日である。

それでも、念のため最近では数ヶ所の4〜5人くらいのグル−プの皆さんに協力をしてもらいデ−タ−の収集に努めている。

まあ、今年中にはある程度の結果が出せるはずと思われ、大変楽しみにしている。

 

まあ、これは一つ年寄りの手慰み事であり、出来れば最後の社会奉仕の一つにしたいと本人は思っている、考えればまさに他愛の無いものではあり、甚だ簡単なものなのである。従って、これを本気にするような心の素直で純な者などは今の日本には余りいないと思われるのであるが…!!。

 何せ、今の日本は高学歴社会であり、西洋科学と言う学に夢中な状態である。このような非科学的と言われる原始的な方法が現代医学よりも遥かに有効と言うのはとても信じられないはずである。一体この現象事実は何を意味しているのであろうか…!!?。

 今のところ、私の体験だけが報告出来る唯一のものであり、また、最初のものでもある。

すべてはつつがなく完全完了したが、今でも相変わらず身に付けて便宜を感じている。

 
そのあらましを簡単に報告申し上げよう。

 
それはアルモノを身に付けて普段通りの生活をしていればいいだけであり、特別な動作とか運動はしなくてもいいのである。また、そのアルモノも減る訳では無く、上手に使えば永久に使えるものである。全体的な価格も高いものではなく、せいぜい原価(材料代)は4〜5千円くらいのものである。だから、どのような老人にでも簡単に入手出来、かつ健康保持のために大変役立つものと思われるものである。

 ただ、一つだけ条件がある、それは出来るだけ素直に信じて行うことである。少なくともそんな馬鹿な事がある筈は無いなどの反発心はカラリと捨てて無心な状態を心掛けるべきである。私は思う、人間の信じる心、すなわち想念力(心の波動)と言うものは思っているより甚だ強く、信念次第では可能なものでも不可能にしてしまうものなのである。
 まあ、何事も心を強く持つことであり、信じて行うこと、それが一番の天剤の妙薬と言うものであり、心の妙薬と言うものである。

 

  さあ、ことの次第を述べることにする。まずは素直に信じて読んで貰いたい。すべてはそこから始まるのである。

 

@  身体にアルモノを付けて生活する、当然散歩中も買い物の最中でも身体に付けっぱなしであり、お風呂、就寝以外は付けっぱなしである。最初はその動きに惑わされて少々ぎこちない身体であったが、慣れて来るとかえってそのリズミカルな動きが心に気持ちよく響き、身体も動きやすくなってきた。

 

A  大体20日くらい経過した時である、今まで感じていた坂道のぼる際に感じる疲労感が一切無く、身体全体が完全に解放されたような気がした。それと同時に、今まで左足に有った軽い神経的な痛みと言うものが一切感じられないことに気がついた。 また、驚くことに、それを身に付けている限り、寒さと言うものが余り感じられない。今までは正月すぎると寒さが一汐身に沁みていたのであるが、ことしは一向に寒さが感じられないのである。書斎の寒暖計は日中は15度くらいであるが、一切の暖房は必要の無いような感じである。炬燵もあるが猫が入っているだけである。

 

B  気分も大変高揚していると言う感じである。と同時に常に身体の何処かにあった筈の疲労感がまったく消え失せていることに気がついた。まったく若者の気分であり、すべてが昔に戻った感じの毎日である。
それと同時に物事に対する意欲間が次々に湧きだして来た。要するに、老化と共に失われた物事に対する意欲、すなわち、あれをやりたい、これもやらなければならないと言う意欲がだんだん無くなって来て日延べすることが多かったのであるが、妙にそれが復活して来ているのである。

 

C  それと共に睡眠にも変化が現われ出した、今までは夜中の1時近くなると何となく瞼が下りて来て、それでは寝るかと言う状態であったのが、今では意欲満々で1時になっても少しも眠さを感じないのである。それどころか、寝る時間が惜しいと言う感じで逆に心が、さあ、寝ようと言って呼びかける始末である。その上、朝の目覚めはまことに爽やかで心地いいものである。

 

D  また、困ることも生じてはいる。それは何時間でもパソコンと睨み合っていられることである。今までは2〜3時間くらいで飽きて外に飛び出してぶらぶらしていたのであるが、最近では朝から晩まで座っていても平気であり、やる気満々なのである。かえつて私の方が心配になって中止する羽目になっている。何故なら、目が心配だからである。 視力がだんだん弱くなって来て、今回の運転免許証の交付も危ぶまれるような状態なのである。

 

E  最近の散歩についてもご同様である、今までは近くのスロ−プを登ってその上の平地で運動して帰ると言う毎日30分〜40分くらいのコースであったのであるが、それも一変している、要するに心と身体がそれでは済まなくなって来てどんどん散歩量が延びてきているのである。先日なんかは、もっと先に行こう、もっと先に行こうと言う気持ちが先になり、それに従って歩いて行ったらとうとう全体では5,6キロくらい歩いてしまったのである。何と言うこと、家に帰った時はすでに正午をまわっていた。 とにかく歩くことがまったく気にならないのである。

 

まあ、その中に色々な方々の報告書が上って来るであろう、その時改めて紹介しよう。

 

  この報告文も余り深い詮索等は無用として、面白くおかしく、また半分心であしらいながら読んで貰えるとまことに有難い限りである。まあ、読めばいくらかは心がほぐれ、ほのぼのとした気持ちにもなり、気合も入ってくるであろう。それだけでもいいのではないか、少なくても悪い心地はしないはずである。 出来れば、半ば頭のおかしい老人のつまらないうわごとの一つと思って読んで貰えるとまことに有難い。 本当にそれで結構であり、十分である。

 

 しかし私としては真実を十分に意を尽くして語っているのであり、決して嘘、偽り等は無いものである。そのことだけは誓って置くことにしたい。

何せ、今まで誰も考えたことの無いものであり、誰も思いつくことも無かったものである。また、余りにも素朴で単純なモノなので人に言えばカンラカンラとただ笑い飛ばされるだけであり、恐らくは相手にもされないはずである。ハッキリ言えばそのようなものであると最初に言って置きたい。

 それは一見、馬鹿馬鹿しいものではあるが、考えて見ると理論的には十分効果があることは確かなことである。しかし、それは今までの物理学から見れば間違いなく噴飯ものに見えるであろう。 しかし、急速に発展して来た量子力学からみると妙に理論が合っているものであり、自然の理論から言っても決して外れているものではない。ハッキリ言えば波動の理論を適用し、それをダイレクトに応用している、まことに原始的な治療法と言ってもいいものである。
 要するに身体の波動が弱り正常な波動から外れた場合、外部から強い正常波動を与えて共振させる、すると波動正常共鳴効果が発生して弱った血液の波動はだんだん力を取り戻し、正常な状態に戻ると言う物理現象であり、まことに理に叶っているものである。
 早い話、老人の弱々しい血液の流れを外部より強い波動を与えることにより血液は共振共鳴してエネルギ−シュな流れにだんだん変わるのであり、それにより老人特有な色々な病は自然に消え失せると言うことである。要するに、身体がいくらか若さを取り戻し、同時に、すべてがシャンとなると言うことである。 考えれば少しも不思議な事などは無い、量子力学的な理論から見ても当たり前の話である。

 しかるに、100人が100人そうなる訳ではない、完全に健康体な方や猜疑心の大変強い御仁は何も感じないようである。まあ、当たり前と言えば当たり前のことであろう。 今のところ私個人の見解であり、私個人の現在の状態を申し上げているだけである。すべてはこれからの結果、結末を丹念に調べてから初めて「すべてはOKである」のゴ−・サインが出せると言うものである。

 

 波動には物質を伝わる波動と、空間を伝わる波動の2種類があるが、今回はこの空間を伝わる波動の力を借りて血液の流れをエネルギ−シュにする、すなわち、その波動の力を借りてで血液に力を与えようと言うのである。要するに、同類は同類を好むという波動共鳴の理論を使って血液をエネルギ−シュにして、少しばかり、老人の健康を守ろうと言うことである。

 

 確かに、今の医者達は笑い飛ばすであろう、何故なら、彼等は現代物理学の信者であるからである。しかし、今では彼等の学んで来た物理学は古典物理と呼ばれて窓際に置かれ、新たな量子力学が物理の主座に納まっている世の中である。彼らにはそのことなどは知るよしもなく、相変わらず古典物理で会話を交わしている毎日である。

 恐らく、あなた方の大部分も私の言うことには疑問の目で見ることであろう、しかし直感の鋭い方々、現在の物理学(量子物理)を学んでいる方々はさもあらんと言って目を輝かせるであろう。それでいいのである。「量子物理学」とは別名「波動物理学」とも言う。

 

 要するに、私の言っていることは何も難しいものではなく、はなはだ簡単で素朴極まりのないものである。その上、理論性も甚だ筋が通っているものであり、効力効果は抜群と言えるものでもある。その上、まことに自然の流儀には叶っているものでもある。

 確かに、効果は抜群であり、目覚ましいものと心の中では自負はしている。しかし、それらは私の体験上の経験知であり、単なる一個人としての経験談でしかないものである。従って、戯言(たわごと)とか、単なるボケ老人の妄想談であると言われれば一言も反論も出来なく引き下がらなければならない。なぜならば、現在の科学者達は決して認めようとはしないものであるからである。

 

 もし、この実験が成功を収めた暁には恐らく老人が悩んでいる身体の不調と言うものは完全に軽減されるのは間違いないであろう。

 今のところハッキリと言えるのは、何となく身体が疲れるとか、集中力が続かない、食欲が湧かない、眠れない、朝の目覚めが悪い、などの軽い老人特有な軽い症状などは簡単に消えてしまうと言うことである。ただし、病気に対しての効果は今のところ何も知らない、すべてはこれからである。

 

 私の経験を申し上げれば大体10日〜20日かかって上記の症状は段々に消え失せていくようである。突然それが解消すると言うものではなく、ある日気が付いたらすべては自然的に緩やかに消え失せていることに驚き、ただうろたえることになると言うのである。それにはある程度時間がどうしても必要なのである。

 

 医者とか薬と言うものはある程度即効性が必要であり、時間がかかると患者には藪医者と言われ、薬は効果の無い薬と言われかねない、それが今の世間の医療の有り様なのである。要するに、身体が直ちに回復しなければ名声が上らず、患者も来ない、従ってお金が入っては来ないと言うことである。

 だから、本来は身体に少々毒な強い薬を処方してショックを与えて身体を麻痺させて誤魔化しているのである。だから、何回も病気がぶり返す羽目になることが多いのである。

 世間の噂をあなたは知っているであろうか、腕のいい医者の家にはペンペン草が生え、腕の悪い医者の門前は大賑わいであると言われていることを…!!。
なんせ、直ぐに治してしまえば、もう患者は来ず、従って、お金は入って来ず、生活が出来ないのである。

 今までは医は仁をモット−にしていたが、今の世の中ではそんなことを言っていては生活が出来ない、騙してでも患者を集めなければ食っては行けない世の中なのである。まさに、嘆かわしい限りの世の中になったと感じて、ただ天を仰いで嘆息するだけである。

 
 要するに、身体の外から血液と同調するような波動を与えて、血液と共鳴させ、それにより血液に力を与えようと言うのである。
 
このような方法で常に血液を刺激すような波動を与えていると、血液は時間と共に共鳴状態に入り、それにより血液は力を取り戻す、すなわち、元気になるのである。それにより、毎日紙一枚くらいの速度で体力が徐々に回復していくのである。ただある程度の期間が経過しなけれなその効果は解らないのである。おそらく、20日〜30日が過ぎて初めて症状が消え去ったことに気がついて、愕然となるはずである。


 考えて見ると、身体の不調は時間の経過と共にその度合いが増して病となったものであり、一気にそうなったものではない。だから時間をかけてすこしづつ正常に持って行く、それが本当の自然の道であり、本来の健康回復のあるべき道なのである。
 ところが、せっかちな病人達はそれでは困るので、、医者もそれに合うような医学を設けてその期待に沿おうと強い薬を与えることを心掛けようとしているのである。
 要するに、どっちもどっちと言うことであり、どっちも本来の道から外れているのである。要するに、両方が悪いと言うことである。


 考えて見ると、我々人間は少々せっかちなのである、長い時間を経て結果となったものを、短い時間で元の状態に戻そうとする、それで




   

  血液が元気になれば身体は疲れない、集中力が持続する言う現象が起るのはこれ当然である。多分、それが身体に宿る「気」と言うものの正体であり、気の巡りが元に戻ったと言うことである。それは、すなわち、元気になった、健康になったと言うことと同一儀なのである。

 

  昔の人は気が大事であり、気が弱くなる、気が細いと病になる、だから気が大切であり、普段の生活が大切であると説いていたが、恐らく、この場合の気とは血液の元気度を指し、エネルギ−に満ち溢れている状態を述べているものであろう。

 その証拠に、若い人の血液は元気そのものであり、力が漲っている、それに対し、老人の血液は妙に弱い々しく力が無い。だから献血バンクでも断られるのである。 要するに、同じ血液ではありながら、それほど血液に違いがあると言うことである。

 

 例えば、目の前で若者の血液と老人の血液を見比べた場合、我々でも直感的に判別可能なのである。それほど同じ血液でも大違いであり、勢いが異なるものなのである。要するに、血液の中にエネルギ−が大量にあるか、無いかの違いが老若の違いと言うものであり、力(エネルギ−)の強弱の違いそのものである。 まさに老いぼれた血液はみすぼらしく、輝きと言うものはまったく失われて無残な状態である。

 ならば、老人の血液を元気にすればすべては解決するのであり、理論的にはよぼよぼした身体もだんだん甦って来て病気を受け付けない身体になると考えられるのである。

 少なくとも、老人の血液を元気にすれば身体の軽い不具合、すなわち、身体が疲れるとか、集中力が続かない、食欲が湧かない、眠れない、朝の目覚めが悪いなどは解決すると言うことである。ならば、その方法を見出せばいいのである。簡単なことではないか…!!?。

 昔の人は「理」は万有を支配する原理であるのに対して、万有を形成する元素を「気」であると言っていたのである。それにしては現代科学では気とは何かについてのハッキリした説明は無い、言葉も無い、ただ断言を避け口を濁すだけである。

  そこまで考えて、ハタと気がついた、これは一つの叶えられなかった古代からの人類の願望の一つであり、大いなる悲願と言うものである。今まで余りの大きな望み、自然に反するゆえに「神」は許そうともしなかったものである。何故なら、老人はだんだんに弱って来るのが自然であり、当たり前だからである。それなら、これらの行為、すなわち、老人を病から救いだし、健康にすると言うことは一つの反自然的な行為であり、「神」に対するぼうどくと言うものではないのか。

 ひょっとして私は余りにも軽々しく口にし過ぎているのではないのか、余計な事をしているのではないのか…、今、書きながら私は自問自答して悩んでいる最中である。こりやしまった、大変な事をしでかしたと思ったがもう遅い、こうなったらすべての真実をさらけ出して皆さんにぶちまけてしまう、結果はどうなろうとそれが最もベタ−と考えている次第である。 まあ、世間から見っれば馬鹿の骨頂、馬鹿の見本と言うものであろうが…。

 

 さあ、言い訳が長過ぎたが、要するに、自分の身体を使っての考えながらの実験が数年前から少しづつ始めていたのである。要するに、加齢と共に感じ始めた身体の疲労を何とか回復させ、若い時と同様な身体に持って行くと言う試みであり、そして常に脳を硬化させず、柔らかに持って行く、それを求めての長い旅が始まったのである。要するに、お金をかけずして何とかして血液に力を与えてエネルギ−シュにして、身体全体に気を充満させると言うことを求めての怖さ知らずの旅なのである。

 笑われても当然なこと、そのような軽い気持ちでスタ−トしたのであるが、ここに来てやっとその尻尾の先を掴まえたので、その第一報として何となく話をしたくなったと言うことであり、それだけである。

 

 私はいわば同胞である老人達の身体の不調を医者や薬ではなく自然的な方法で何とか治そうと試みているのである。しかし、今までの学者達はそんなことは考えようとはしない、いや夢想さえもしなかったのである。

 また医者に至ってはそんなことをされたならおまんまの食い上げになり路頭に迷うとばかりただ否定の声を上げる者もいるであろう。考えて見ると神に逆らい、医者には憎まれる、人々には馬鹿にされ嘲られる、まさに四面楚歌の状態である。

 いや今の世の中、ひょっとすると医者のざんそにより投獄の憂き目を見るかも知れない、まあ、この年になれば何も怖くは無いが。ご用心、ご用心…!!?。

 

 なぜならば、もしこれが真実であり、効果があると判明した場合には大変なことになるからである。例えば、老人達には元気が漲り、病人はがた減りになり皆が天寿を全うすることになり、医者には余り行かなくなると言うことが現実に起きるのである。すると医者は困りに困り、何か口実を作って私を悪者に仕立てて社会から抹殺してしまう、それもあり得ることである。まあ、またいつもの白昼夢が始まったと思って欲しい、毎度のことであり、あまり気にしないことである。

 

 

 

 当時の記録を見ると癌の99%は治ると言うところがけしからん、それは「言ってはならない言葉」であり、薬事法違反に当たるとして告訴されているのである。今では「治る」と言う言葉は禁句であり、「改善する」と言わなければならないようである。しかし、我々の欲しいのは「治る」と言う言葉なのである。

 また、その後に出されたある医者の「野菜スープの疑問に答える」と言う著書の中では追加試験によって改善された様々な病名を挙げ、ガンを初め殆ど治らない病気は無いと言うくらいの効果絶大なものであると賞賛しているのである。 何と言うおかしなことなのであろうか…!!。同じことを言っても資格がある、無し、により極楽と地獄の差が生じてしまうのである。本来はまったく同じ人間であり、同じ個人である。「神」の目から言えばまさに狂っているとしか思えない奇怪な仕業である。いや、我々の目から見ても「神」の目と同じに見えるのであるが、如何かな…!!?。










さあ、我々も医者ばかりを頼りにせず、これからは少しでもいいから自分で考えて自分で行動をすることが必要であろう。一つ考えよう。


さて、うっかり余分な話に首を突っ込みすぎた。 堪忍、堪忍…!!。



















 今や、日本は二人に一人とか三人に一人とか言われる癌の大国となってしまっているのであり、 対策とて何も無い、 これは誰に責任があるのであろうか…!!?。

 行政も医者も今では手の施しようの無いくらいのガン患者の続出である。最早、頼みにはならないと言うところまで来ているのである。されば、我々個人が意識を変えてガンにかからない方法を探さなければならないのである。誰か、妙案を出して欲しい。

 この現状を見ると、最も手軽なこの「野菜スープ」に挑戦して見たくなる。癌の99%は治ると言うのが違法文句なら、50%ではどうであろうか、少なくても医者のガン治療率よりはまだ率がいいはずである。

 

 さて、うっかり余分な話に首を突っ込んでしまった、堪忍、堪忍…!!。

 

さあ、何だっけ、そう、老人の苦痛を和らげる大いなる話であった。

 

 もう大分以前である。ある御婦人が我が家にやって来た、その時丁度つくり上げたばかりのアルモノをテ−ブルの上に置いておいたのである。そのご婦人は座るやいなや、そのアルモノを指差してこれは一体何か、凄い力が出ている、恐ろしいものであると突然叫んだのである。

 私には何も特別には感じられない普通のモノとしか思われなかったのであるが…。

 今回それと同じ事がまた起ったのである。時は平成26年のお正月過ぎである。今度の客人は遥々ニュ―ヨ−クから尋ねて来られた年配の御婦人である。ニュ―ヨ−クにはもう50年間住んでいて向こうでは大変有名な方と伺っている。彼女はドクタ−の肩書きを持って世界中を飛び回って重い病人を治していると言う超忙しい御仁である。その活躍ぶりは色々な本とか新聞に沢山載っていたのである。

 たった一泊という短い出会いであったが、大変印象深いものを残して去って行った。

 まあ、嵐のように来て嵐のように去って行った言うべきであろう。彼女にも帰りがけにどうしてもそのアルモノが欲しいと懇願され、そこで大至急用意して持ち帰ってもらったのである。少々小型なものであったが…。

 別に説明せず、あいさつを交わした途端に見つけたのである。判る人には判るものと甚だ感心した。 何か気配を感じるのであろうか…。

  察するところ治療する相手から禍々しいものを貰わないための一種の波動的なバリケ−ドにするつもりらしかった。
 彼女はいわゆるス−パレデイであり、何ものにも恐れない気性を持っている御婦人と見受けられたが、やはり何かを感じて怖れていたようである。私も、最初に彼女を一目見ただけで無残にも色々な患者から禍々しい霊的なものを数多貰っていることが判り、その痛々しさには驚いたのであるが、初対面なのでとても言い出すことなどは出来なかった。

 でも、これからはそれを身につけている限り最早悪いモノが憑くと言うことはなく、健やかに仕事に邁進出来ることであろう。
 ただ、それを願うだけである。

 

 












に、そのモノの持つ波動はおぞましいモノに対しては大変有効なものであり、憑くことを撥ね返し受け付けないものである。しかし、それは歴史代々使われていたものであるが、使い方にあやまちがあり、本来あるべき使用法そのものに間違いがあったのである。

 私も、そのことを今、初めて知って驚いている次第であり、それを本来の使い方に戻して今回使用し抜群の効果を上げている最中なのである。

 さあ、ここからは眉に唾を受けてしっかり聞いて下され、私は天下の一大事を報告しているのであり、由々しいまことの真実を語っているのである。ただし、今のところは我が身に起きた現実の第一報を諸氏に報告しているところであり、その事実のあるがままを正直に報告しているだけである。 

 要するに、あなた方の知っているアルモノの物質構造を少々変え、使用法も大幅に変え正しいものに変えたものである。 
 その上、それと同調して波動効力を高めるために少々特別な物質を混ぜてはいる。それも身体のためになるものなのである…。
 しかし、別に危害はない、触っても平気、飲んでも食べても平気なものである。その点はごどうかご安心の程を…。

 



まあ、今回は途中経過の報告であり、気が向いた時に改めて知り得た結果をご報告申し上げよう。もし、あなた方がどうしても知りたいと強く願うならば…。
                                                            (今月の部はここまで)

 

  

 「神の数学」の考えてほしい問題(ちょっと号外版)No24       

 ≪A true fact that nobody know in the world !!≫
   (本当の真実を探りたい A                        

           (
すべては嘘のようなほんとうの話である)

                                               平成26年月  謹上


 まあ、世の中で色々と物議を醸している問題が多いようである。それについてテレビあたりで名のある評論家達はあることないことを口やかましくまくしたてているようであるが、どうも余り核心を突いた内容は感じられない。ただ、幼稚園児並の思考力と口先だけを武器にしてチャラチャラ発言しているだけであり、まるで昔の御婦人の井戸端会議そのものである。そこには、なるほどと感心するような発言などは何も無い、それはすなわち、自分の力で見出した力強い言葉、自分で集めたそれらに関する何らかの強力な証拠と言うものを誰も持ってはいないと言うことである。

 自分で発言するなら少しくらい自分の手と足で当時の資料を見つけてから発言するべきであろう、それにより自分の言葉と言うものの重みがまったく違うものになるのである。

 要するに、自分で考えたと言えるもの、あるいは自分の足で歩って見出した証拠などは何も持たず、そんじょそこらの週刊誌かテレビあたりで誰かが発言したものをそのままオウム返しにまくしたてているだけである。そんな状態でも自分ではテレビで発言できるような偉い評論家であると思っているのであろうか、まことにおかしな話である。…!?。

 見ている方はそのあたりのことについてはすっかり判っているのであるが、本人はそれにも気がつかず、滔々と空しく響く言葉をあたりに響かせて得意然としているのである。

 ああ、、何と偽善的な振る舞いであり、虚しい限りの仕草が見えているだけである。

 その気になれば、また今ならば、それらに関する証拠は十分に集められるはずである。

 なぜならば、その生き証人達はまだ健在だからである。があと5年もするとすべては闇の中に消え、一切は無に帰してしまうことになるのは明らかである。

 

 例えばである、韓国の戦時中の慰安婦問題についてである。韓国は日本の兵隊が強制的に銃で脅して連行し、そのまま慰安婦として徴用したと韓国サイドはしきりに言っているようであるが、それは大変おかしい話である。そこには基本的な誤りが見え見えなのであるが、向こうも気がつかず、日本サイドもまた見逃しているだけである。

 今の韓国大統領は「日本よ、もっと正しい歴史観を持て」としきりに言っているようであるが、私も大賛成である。日本サイドがもっと本気になって歴史的な証拠を探し出せば、慰安婦問題などは簡単にかたが着いてしまうはずである。先方は言葉のみの攻撃であり、証拠となるべき証拠、すなわち当時の新聞記事や書類の類は何も出しては来ないのである。いや出せないと言うべきである。

 要するに、あっても出せないような不利な書簡類ばかりと言うことなのである。

 

 考えてみるがいい、恐らく、殆どは親に売られて慰安婦となった娘達であり、親達は娘に因果を含めさせて了承の下で慰安婦商売に走らせたのである。

 親に売られる、それは当時の世相では家族の犠牲になって家族を救うことであり、世相的に見ても止むを得ないことでもあったのである。

 

 恐らく、韓国側には売買契約書は無数にある筈である、しかし、そこには娘の親と人買いの名前、そして日付が書かれていると考えるべきである。しかし、その両方とも韓国名であったならば、日本軍の介在は無かったと言うことであり、書類は見せられない、すなわち、それを出せば韓国のウソがばれ大恥をかく羽目になることになるのである。

 

  第二次大戦の頃の従軍慰安婦、それは当時では一つの口糊を得るための止むを得ない商売であり、それは当時としては大変お金の儲かる商売であったようである。最近出て来た戦時中の新聞などに出ている求人広告を見るとそれがよく判る。

 新聞は語る、当時の大学卒の初任給は20円くらい、一般の兵隊さんの月給は30円程度であったのに対して慰安婦の一か月の収入は300円くらいと書かれているのである。韓国サイドは懸命に性奴隷とアピ−ルしているが、そうではなく、成り金に憧れて了として自ら飛び込んで行ったのである。それを証する証拠書類が数多出て来ているのであるが、それらは出せないのである。

 

 何と言うこと、命を的に働く日本軍人の約10倍の収入があったと言うのである。これは驚木、桃の木であり、食うに困るほどのお金に不自由している貧乏人は飛び付きたくなるのは当たり前であろう。そこに目をつけたのが朝鮮人の人買いブロ−カ達である。

 彼等は三々五々と手分けして貧乏な朝鮮の家庭に入り込み娘たちを買い漁ったのである。今の日本人には判らないであろうが食えない家庭の娘達は家族のために親にせがまれて自分の身を泣く泣く僅かばかりの金(100円くらい)で売られて行ったのである。

 確かにその後の慰安婦商売により彼女達には大金が転がり込ん出来たのは確かである。

 しかし、彼女達はそれをどうしたかと言えばすべてを家族に送金し、それにより家族はおろか親戚縁者までが糊口をしのぐことが出来、命を永らえることが出来たのである。

 それが事実である。論より証拠、韓国では今でもその悪癖があるではないか、親戚縁者の誰かが成功して金持ちになるとそれを当てにして皆が寄り集まってタカリ始める、それが長い間の悪習であり、民族的なしきたりとなっているのは衆知の事実である。   

 そうしなければ、それこそ一生親戚縁者から村八分にされ、除け者として誰にも相手にはされなくなるのである。それは今でも変わらない韓国の風習であり、悲しい民族性の名残であることはあなた方も知っているであろう。その風習は今でもしっかり残っているのである。

 それを知らないから日本人はよろしく上げ足を取られ困りはっているのである。

 日本人よ、もっとしっかりした歴史的な実情や相手の国の習慣を知るべきである。

 

 要するに、慰安婦が一人出れば親戚縁者の一家は左団扇(ひだりうちわ)で過ごせるのであり、他人にも娘を自慢出来ると言うのが一つの昔からの習慣(ならわし)と言うものである。

 どうしても疑う方は身中に兵隊に行った方を探し出してきいてみるがよい、ただし、3,4年くらい軍務に服した方でないとそのあたりの事情にはうといかもしれない。探すなら今の中である、あと2〜3年後では遅すぎるであろう。

 まあ、90歳以上のご老人なら殆どの人はそのあたりの事情を知っているはずである、

 出来れば、是非とも聞き出して今の中に証拠として記録して保管して置く置くべきであろう。

 

 別にこれは私の創作物語などでは無い、これは当時の一般的な世相であったのである。その証拠に日本の国内でも同じことが起きていたのであるが、あまり知る者はいない。

 今の人達は余りにも恵まれてい過ぎて想像も出来ないのであり、だから言われっぱなしで言い返すことさえも出来ないのである。自信と根性を持って反論すべきものは反論しなければならないのであり、抗議すべきものはしっかり抗議することが必要なのである。それが国家間のしきたりである。歴史を直視すると言うことである。そのことを今の日本人はまったく知らないのである。

 今の日本は何と情けない弱腰の国、意気地の無い国になってしまったのであろうか…!!。

 

 これらはすべて歴史の真実である、それを知らないでまっとうに対処しょうとするから、今の若い政治家達が馬鹿にされて慰安婦問題を口実にして韓国にいいようにあしらわれているのである。あなた達は本当の歴史の事実を教科書では教えられてはいない、だから本当の歴史の真実と言うものをまったく知らない、それが原因なのである。 だから、少しも言い返せない、挙句にはただ馬鹿にされていいように扱われている、それが現在なのである。

 また、中国や韓国のいい加減な歴史問題を盾にした外交にも完全に後れを取り、なす術も無くオロオロしている官僚にもまったく呆れるだけである。少しは反骨精神のあるトップ人間はいないのであろうか。名をなすいい機会なのであるが…!!。

 

 しっかり歴史を紐解くと、韓国の慰安婦達、それは国と家族、そして大勢の飢えに苦しむ親戚、縁者等を貧困から救い出したと言う大きな意義のある存在であったことが判るのである。ひょっとして今の韓国があるのは一重に彼女たちのお陰かもしれない…!!。、その証拠に現在でも彼女等は世界中で大奮闘中と言われているではないか…!!。

 当時はそのために、親や親戚からは救世主と崇められていたのである。彼女等は幾許かの金子と交換に人買いに連れられて家を後にし、そして、その後毎月大金稼いで家族に送金して家族や親類縁者を助けていたのである。我々はその歴史的な事実をしっかり知って覚えておくべきである。

 

これから、その証拠と言うものをあなた方にしっかり申し聞かそう。

 

 改めて、戦時中の慰安婦募集の新聞広告を見ると、その貧しさゆえに売られて行った韓国の慰安婦達の収入が大体判ろうと言うものである。そこには当時の日本兵の毎月の給料は30円に対して慰安婦の月の手取りは300円になると記されている。単純計算でも兵隊さんの30円の給料で一家を支えたのであれば、300円なら10家族以上がその恩恵にあずかっていた、いや我彼の賃金べ−スを基に算出すれば20家族ぐらいは養えたと考えてもいいであろう、 そして、全員でその娘を親孝行な娘と誉め讃え、その家族を持ち上げ誉めそやかしたのである。

 

それが嘘では無いことは最近の新聞記事を見れば判るはずである。

 

 例えば、戦時中慰安婦として働いていた「文玉珠」さんという(自称)従軍慰安婦女性は、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万6145円(当時の金額)の預金返還の訴訟を起こしている。それは現在の価値なら、4000万〜5000万円と言う大金である。
 当時は千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買える金額であり、韓国人にとってはおろか、日本人にとってもまさに天文学的な金額と言うべき大金であったのである。

 要するに、4000万〜5000万円程度の大金を僅か3年間で貯めたと言うことである。

 その概要は慰安婦であった期間に文原玉珠名義で、合計12回の振込み(計26,145円)を行っているが、これは当時、家が20〜30軒くらい買えるほどの大きな金額である。

それにしても、今になって改めて慰安婦だったと言いだして、日本の更なるおこぼれ金にあずかろうとしているのである。まったくけしからぬ話ではないのか…!!。

 しかも彼女たちを親から買った人買いブロカ−達は全員が韓国人(日本名を持つ)である。彼等は言葉巧みに親に話を持ちかけ娘達を買い漁っていたのである。

 そんな芸当は当時の言葉(朝鮮語)の話せない日本人などには到底出来ない芸当である。

 最後には余りに女性を騙そうとする韓国人ブローカーの横行にたまり兼ねた朝鮮総督府《日本軍》は「警察官」を増員して取り締まりに当たったと当時の新聞は告げている。要するに、これにより慰安婦を「拉致・強制連行」していたのが朝鮮人業者であり、警察官を増員し、それを取り締まっていた日本政府であったと言うことが判ろうというものである。

これには新聞と言う大きな証拠があるのである、疑う方は調べてみるがよかろう。

 そのような事実の存在を誰も知らない、言われるままに日本サイドは受け取って慌てふためいているだけである。何とも頼りの無いオロオロとした無様な感じがあるだけである。

 

 また、大分以前になるが、日本で従軍慰安婦のウソを刷り込まれ、完全に同情して謝罪をしに韓国に行った日本人は約6500人ほどいるはずである。その彼女たちの大部分は韓国の農村部で行方不明になっていると噂されていた。一時は週刊誌等で大騒ぎしたのであるが、それからの消息は一向に聞いてはいない。その後はどうなったのであろうか…!??。「週刊ポスト」6月4日号の記事(平成22年5月24日(月)発売)≪ 7000人もの日本人女性が韓国の農家に花嫁として送られた≫より。

 

 その多くは文鮮明が率いる統一教会の信者達と言われている。恐らくは、言葉巧みに誘われて貧しい農民たちに売られてしまったと当時は言われていたのである。確か、当時の国民的な大物歌手も絡んでいたことを写真は報じていたはずである。それを思いだして欲しい、恐らく、今では全員自分の軽率な行為を悔いているであろうし、我が身の恥として人にも言えず苦しみもがいていることと推察されるのである。

 ひょっとして、これは北朝鮮の拉致問題よりも何百倍も大きな合法と言う名を借りた一つの拉致問題と言えるものではないのか…!!??。

 
 しかし、そんなことは今では誰も知らない、話題にも上らない。新聞もその後については何も報道してはいない。何か引っかかる、

 すべては忘れ去られた過去の映像の一こまとして歴史にその刹那をとどめているだけである。

 今の日本人はそのような過去の存在さえも忘れてしまい、韓国の慰安婦問題におたおたしているのである。情けなや、ああ、情けなや…!!!。

 また、最近のある写真は報じている、それは韓国に修学旅行で行った日本の高校生達は慰安婦の前で土下座させられている場面の驚くべき写真である。引率した先生もいたであろうが…!?。 そんなことは日本の新聞は一切報じてはいない、報じようともしないのである。

 

 現在、韓国は、日本と外交を行う際に従軍慰安婦問題を利用し、優位な立場を取ろうとしていることだけは知っておくべきである。彼等にとっては本当は慰安婦なんてはどうでもいいのである、ただイニシャテ−ブを取り、金をふんだくろうとしているだけである。それを知らない政治家達はただ戦々恐々としてただただ言うままになっている有様である。

 

【参考資料】 (是非、知っていてほしい…!!)

 あなた方は知らないであろう、昭和の初期に起きた東北大飢饉の頃も同じような事態が日本でも起きていることを…。食うにも食えない農村の一家は口減らしのために娘たちを人買いに泣き泣き売ったのである。その結果当時の色街には女で溢れていたと言われていたのである。

 当時の資料帳面には夥しい女性の名前が並ぶ。昭和恐慌や大凶作で東北が疲弊した1920−30年代(大正末〜昭和初め)、東北の村々から「売られてきた」東北6県の村の出身者の名前である。その娘たちと、遊郭のある楼主との、生々しい証文(契約覚書)の類が大量に発見されたのである。そこには、「壱千(いっせん)参百(さんびゃく)円也(なり) 正金貸(まさにかねかす) 但(ただし)無利子 稼業所得ヲ以(もっ)テ返済ノ約 契約方は満5年トス 玉代(水揚げ)ハ楼主5分本人5分ノ割合」とある。
 

 「当時、仙台では1000円で2階建ての家を買えた」という。証文では女性本人が借用人。だが、現実には農家である親が楼主から大金を借り、その代償という形で娘を遊郭で働かせ、肉体と心を犠牲にした稼ぎで返済させたのである。親は「連帯人」、本家や地主が「保証人」に名を連ね、契約を破れば全員が責任をかぶらなければならない始末であった。それは親思いであればあるほど、娘をがんじがらめにする契約であったのである。

 
 <娘身売りの時代>、 世界恐慌(1929年=昭和4年)のあおりで、輸出品だった東北の生糸の値が3分の1、コメも半値に暴落。重い小作料にあえぐ農村の娘身売りが急増した。「青森県農地改革史」によると、特に大凶作があった34年、農家一戸平均500円以上の借金を抱える町村が百を超え、「芸娼妓(げいしょうぎ)に売られた者は累計7083人に達した」と当時の資料は伝えている。

 これはすなわち、韓国人の慰安婦問題の僅か10数年前の日本にあった話である

 今の日本人が韓国の慰安婦を哀れと感じて同情心を覚えるなら、その前にこのような日本人に起きた事実の存在を直視してから韓国の慰安婦問題を考えるべきであろう。 それにより今回の韓国慰安婦の問題とその事実関係がはっきりと判るはずである。 

 関心のある方は、まずはそのあたりの歴史から調べて考えて欲しい。

 

 慰安婦、それは好んで身を落としたのではなく、すべては家族を救うための家の犠牲者であり、悲しい物語がそこにはあったことを今の人々は知らなければならない。

 それは日本人も韓国人でも同じであり、何ら変わることはない。そこをしっかり考えるべきであろう。今の日本人は余りにも裕福になり過ぎて世間知らずであり、過去知らずが高じてまさに過去に脅かされていると言う哀れな構図になっているのである。

 言葉は悪いが、これからはもっとずるく、そして小利口に立ち回らなければ世界に伍してやって行くことなどは出来ないと考えるべきであろう。今後はますますぎしぎしときしむ国際関係が待っているのである。

 

 これは事実を証拠とした正しい見方であり、歴史的に見ても何ら間違いは無いものである。

 

 政治家たるもの、せめてこのような歴史的な事実を踏まえた上で韓国の慰安婦問題に取り掛かることが必要なのである。なまじ生半可な知識のみを手にして問題に当たるからある政治家みたいに大恥をかいて国民に指弾される羽目になるのである。恐らく、彼等は今では公衆の面前にも顔を出せないであろうし、政治家生命が絶たれたのも同然である。

 余りにも見方が軽すぎたのであり、歴史の事情に余りにも疎(うと)過ぎた結果である。

 

 

 そもそも、本来、日本人と韓国人は同じ民族ではないと言うことを知るべきであろう。

 その大変な事実を我々日本人は誰も知らない、だから疑うことも知らないのである。

 韓国人と中国人、それは日本人と顔つきが似ているから同種民族と思われがちであるが、まったく別の人種と言うものであり、別の民族であることを今回の件からしっかり学ぶべきである。まあ、いいチャンスと捉えて今後に備えて自分の手で調べて置くことである。それにより謎であった歴史に真実が明らかになって来ることになるのである。

 このことを言ったのは恐らく私が史上初であり、今まで誰も言ってはいないはずである。

  要するに、それがそもそもの誤りの原因であり、そこに今回のような民族間の不響和の発端、原因があるのである。

その証拠となるものが、発音である。日本語の発音は特殊なものであり、それも遺伝的な声帯一致がある程度なければどうにもならない特種な発音がまつわりついているものである。 それが「膠着語」と言う特殊な言語の存在なのである。それを追って行くと遥かな古代ロマンに突き当たり、それに沿って調べて行くと古代日本民族には西から来たイスラエル族の10支族の血が流れていることが判明したのである。それはまさに圧倒され続けて来た古代歴史探訪の一幕であり、古代幻視考による真実追跡のこよない一場面の出現とも言うべきものであった。

 

 私は今まで何人かの欧米人と付き合って来た、かれらの殆どは在日二年くらいで日本語を不自由なく操ることが出来、発音もキレイであり申し分ない。とにかく、端整な発音がすぐに身に着くのであり、流暢におしやべりさえも出来るようになったのである。

 

 しかるにである、韓国人や中国人は10年たっても発音がたどたどしいままであり、中途半端な発音にとどまっているのである。中には30年以上在住しても日本語の発音が正しく出来ず、助詞の使い方、発音さえもままならない人が大勢いることはあなたは見聞きしているはずである。

 すると発音声帯上と言う観点から見れば完全に異なる民族と言うことになるのである。むしろ日本人はどちらかと言えば、姿、形こそ異なるが欧米的な人種に近い存在と言えるものである。ただ、長い間の混血により身体は完全にアジャ人化してしまったが、魂だけはそう簡単には同化しないものなのである。それはDNAが何千年経ってもまったく変化しないことから見てもお判りになるはずである。

 

 今まで誰もそんな奇妙なことを口にした者はいないはずである、だが歴史を顧みると面白いことがだんだん判って来て楽しいものになって来るのもこれまた確かである。

 

 さて、古い歴史を思いだしてほしい、遥か古代に栄えたイスラエルの12支族(セム族とハム族)の中の10支族はバビロン幽閉から逃れて遥か東方に旅立って、そのまま行方不明となったと歴史上では伝えられていることを…。

 その10支族とはセム族のことであり東洋人的な顔と姿を持っていた人種であると伝えられている。彼等の言語はアフロ・アジア語と言われるものであり、その中にはヘブライ語も含まれているはずである。確か、ヘブライ語の発音は日本語に近い言葉であると言われているものである。そもそもへブライとは日本語の辞書を引けば「日経来」と書く、すなわち、その漢字の意味とは日本から来た民族と言う意味と言われている。

 

 また、一般い言われている古代民族シュメ−ルとはラテン語ではスメルであり、その意味は「至上最高の人々」と言う意味である。その最高指導者は「スメラミコト」と呼ばれていたそうである。その意味は「至上なる天より降臨した地上の開拓者」と言う意味なそうである。

 また、日本人とシュメ−ル人の間には数々の共通点が見られる。その一つが言葉の発音である。日本人とシュメ−ル人は膠着語の言語であり、中国人や韓国人の言葉はそうではない。膠着語とは「テ」、「ニ」、「オ」、「ハ」などの助詞が膠(にかわ)のように張り付いて言語をつくり上げているような言葉を言うのであり、それは地球上においては日本語とシュメ−ル語しかない。それもル−ツが同じと言われる明確な由縁と言われているものである。

 また、歴史的にはフェニキア語やアッシリア語なども、セム系の言語になるものである。

 すると、日本人とイスラエル人は同族関係にあると古くから言われていることも気にかかる。世界の伝承の巷では10支族の子孫は今の日本人であると言われているのであるが、これもまたもこれまた大変気になることである。

 

 言い伝えによると、そのセム族である10部族は囚われの身となっていたアッシリア帝国から逃れ、東の方へさまよい出た。そして長年アジア大陸を放浪し、最後に「中国のかなたの神秘な国」に定着したと伝説では言われているのである。

 キルギスタンでも、同様の言い伝えがある。「昔ふたりの兄弟がいて、一人は山の方へ向かってキルギス人の祖先となり、もう一人は海の方へ向かって日本人となった」と…!!。

 写真をHPより引っ張り出して来たのでそこにある女の子の顔を見るがよい、可愛らしいことこの上ない、まさに全員が日本人の顔を持っている民族である。思わず涙がこぼれ落ちてしまった…!!。まことに不覚千万…!!。


         ≪キルギスタンの娘達≫

  アルバート・アインシュタインも同様なことを言っていたと言われている。

 やはりユダヤ教を知る人々の目には、日本が非常に懐かしい「古代の英知の国、古代イスラエル」を思い出させるような国であると言うことになるのである。

 これで、すべてはつながり、日本人と韓国人はまったく民族が異なるものであることが何となくお判り戴けたはずである。要するに、民族が違えば、感情、考え方、習慣、知能などがまったく変わる、今の日本と韓国の考え方の違い、習慣の不一致はその辺にあることを是非とも知って貰いたいのである。

 

 とにかく、日本人と中国人、韓国人は隣同士の国でありながら余りにも民族性が違い過ぎる、魂の出来がまったく異なることに注目すべきである。
 少しなら国が違うからと思えば何とか付き合うことも出来る、しかし、その違いはまさに天と地の違いであり、人間の性質そのものがまったく異なると言うのは魂の次元が異なっているからと考えるべきであろう。

 要するに魂の出性そのものがまったく異なっているのであり、民族の歴史さえも完全に優劣があると言うことが今回の事件でハッキリしたのである。
 そのことを今回の慰安婦事件がハッキリと教えてくれているのである。あなた方も再認識して、見方を改めるべきであろう。

 私もこの稿をしたためながら、改めてしみじみとそのあたりを思い返して、改めて歴史の真実に深々と頭を下げている有様である。

 そのことについては大学の教授である韓国人の呉善花さんがいみじくも指摘している言葉がある、それを一つ紹介しておこう。

 「例えば、ペンを友人から借りたときの振る舞いを例に挙げ、日本では「ありがとう」と言うが韓国で「ありがとう」と言えば水くさい関係になるとし、親しい仲にも礼儀ありという日本と、親しい仲に礼儀があってはならない韓国とは文化的風土がまったく異なる」と…。

 それを聞いて私の長年の喉のつかえが一瞬にして氷解したのである。

 何と、今まで韓国の経済が完全に破綻した際に日本が救ってやったことには何も感謝の言葉は無かったことの理由がハッキリ判ったのである。そもそも強い国が弱い国を助けるのは当たり前であり、感謝の言葉などはあってはならない、それが韓国国民の常識であり、通念であったことが図らずもわかったのである。

 その裏を返せば、それはすなわち、娘が慰安婦となって働いて、家族や親戚縁者を助けるのは当たり前であり、誰も感謝などはしない、それが民族としての当然の不文律であり、家族としての当たり前の行為であると言うことに繋がっているのである。それにしても今までの日本人は余りにも人が良すぎた…!!。


 こうした小さな「違い」が、国民性の大きな差異となって現れているのだと呉善花さんは言っている。まあ、我々にはまさに大きな驚きであり大きな発見とも言うべきものである。そう言われてみて改めて今回の両国間の問題も成程と頷けるものである。まったく、知らなかった両国間の人間の性質、及び習慣の違いと言うものが今になって改めて浮き彫りにされているのである。


 そのあたりから見ると、慰安婦問題についても大きな隔たりがあるのも、これ当然なのである。要するに、これは民族性の違い、魂の異なりからくる隔たりと考えて余り気にはしないことである。また、この慰安婦問題を機に隣国である韓国に対する同情や善意と言うものはすべての捨て去るべきである。

今までに何回、韓国の経済危機、経済破綻などを招いた際に日本が自主的に救って来たことか、並み大抵の金額では無かったはずである。しかも、そこには一回も有難うの言葉は無かったと言われている。それどころか強い経済の国が弱い経済国を助けるのは当たり前であるというのが彼等の台詞であり常套文句であったことを改めて知るべきである。

おしなべて言えば、日本人は人が良すぎる、余りにも性格が直すぎる、このままでは世界に伍して生きて行くのも難しいのではなかろうか。世界にはまだまだ悪辣 極悪非道な民族、日本を食い物にしょうと企んでいる輩が数多くいるのである。そのことが今回の慰安婦問題で図らずも判ったのである。それがせめてもの救いであり、慰めでもあろう。

追記